第八章(12) どうしてこんなことになった?


 * * *


 ――ベラーとプラシドが再会する、少し前のことだった。

「……これ、直しきれるのかなぁ」

 動力室に残されたウィクトルは、この船を飛ばす巨大な楕円形の鈍い輝きを眺めていた。両手をそれに向けて、しばらく経った。周囲に、編みかけのような文様が浮かんでいる。

 ――ゼクンとともに牢へ向かえば、そこにいるはずの囚人の姿はなかった。牢の鍵は開けられ、見張りが中で惨殺されていた。

 逃げたんだ、とゼクンが飛び出していった。彼を追いたかったものの、ウィクトルが向かったのはプラシドの元だった。

 船の様子がおかしいと報告を受けたプラシドは、動力室にいた。ウィクトルが息を切らしながら説明すると、

「――待て、どうして……あの魔術師と、ベラーを同じ牢に入れたんだ? 私は……別の場所に、と、言ったはずなのだが」

 プラシドの顔は強ばった。

「何かがおかしい。この船に忍び込んだのは、もしかしてベラーだけではない? それとも、裏切り者がいる……?」

 しばらくして、プラシドは急いで動力室を出ていった。ベラーが向かう場所は、一つしかない、と。残されたウィクトルは飛行に関する仕組みの修理を、ほかの魔術師とともに任され、今に至る。

「――これでまずは一歩!」

 ようやく細長い楕円形の周りに、完全なる文様の輪一つが浮かび上がる。これを数回やらなくてはいけない。周囲のほかの魔術師数人を見れば、皆、疲弊した顔を浮かべていた。複数人でも、簡単な作業ではない。

 けれども、時間をかけさえすればできる。逃げたベラーと、その元弟子パウについては不安だが、船を落とされる心配は必要ないだろう――そうウィクトルは考える。恐らく彼らは、船が真っ逆さまに落ちない程度に墜落させ、地上で仲間と合流する気だったのだろう。きっとベラーによる計画である。

 そしてベラーが捕まったのも彼の計画のうちだろうと、プラシドが言っていた。

 嫌な魔術師だな、と思う。そして不安が不意に強くなる――地上に船を落とす計画は、これで防ぐことができるが、まだ何かあるのではないか、と。

 ベラーを探しに行ったプラシドについても心配だった。プラシドの腕を疑っているわけではない。ベラーが危険すぎるのだ。

 ゼクンについては、大丈夫だろう。

 ゼクンが追っているのはベラーではない。元弟子の方である。ゼクンなら、あいつに勝てる。

 そう思った時だった――ポケットの中で、何かが暴れた気がした。

 何かが震えている。慌ててウィクトルがそれを取り出せば、震えていたのは銀色の水晶だった。

 ゼクンの核というべきもの。それが。

「――えっ?」

 手のひらの上に転がったそれは、突然、ぱきん、と割れて、全て砂になってしまった。

 ウィクトルは何が起こったのか理解できなかった。指を動かせば、隙間からさらさらと銀色の砂がこぼれ落ちていく。まるで水のようだった。落ちて散ってしまえば消えたも同然で、もうどこにいったか、見えない。

 この水晶は、大きく傷つけたのなら、その水晶と繋がっている者を殺す。

 逆に、この水晶と繋がっている者が命を落としたのなら、水晶は砕ける。

 ウィクトルは声も出せなかった。ただ手のひらが傾けば、砂の全てが地面に落ちて幻のように消えていった。

 ――何かの間違いとしか、思えなかった。

「ウィクトル、次に行くぞ」

 魔術師の一人が、飛行の仕組みを孕んだ楕円形に向けて、手をかざす。だがウィクトルはすぐに動かない。

「……ごめん、ちょっとゼクンの様子見てくるわ」

 果てにそう返して、ふらりと皆に背を向ける。呼び止める声が聞こえたが、振り返ることはできなかった。

 多分、気のせい。多分、何かの間違い。

 ゼクンの水晶と間違えて、何か別の水晶を持ってきたのかもしれない。それがちょっと砕けただけで、ゼクンはいまもパウを探しているかもしれない。それどころか仇をとっているかもしれない――本当の仇ではないものの。何にせよ、双子がいた日には戻れないが、ゼクンはまたにこにこ笑ってくれるかもしれない。

 そんな風に、考えたくないことから目をそらして。

 ――悲鳴が耳を貫く。不意に蛇のように這い寄った血のにおいが足に絡みつく。

 そして正面から飛んでくる、光。

 ――ウィクトルがその水晶を避けたのは、単純に、フォンギオとトリーツェンがいる扉の方を向いていたためだった。

 そこに、いるはずのない二人がいた。『遠き日の霜』の二人の魔術師。この船と『光神蟲』の元の持ち主達。片方は魔術文明都市の副魔術師長と呼ぶべき存在『天の銀星』だった老魔術師。そしてもう片方は魔法により改造人間達を生み出した、眼鏡の女魔術師。

 彼らの足下に転がっているのは、仲間の死体だった。ウィクトルは自分に向かって飛んできた水晶を避けながら、それを見つけた。血が溢れ出ている。多分、生きてはいない。

 直後に、背後で悲鳴が上がる――修理に取りかかっていた仲間の魔術師達全員が倒れていく。血の海が広がる。修理に気を取られていた彼らに、防衛する余裕は一つもなかった。

 その場で立っているのは、ウィクトルと、フォンギオ、トリーツェンだけだった。

「久しぶりですね、ウィクトル」

 トリーツェンが眼鏡の向こうで目を細める。

「どうやら、あの愚か者は死んだようですね。わかりますよ、まだここに漂う気配から……手間が一つ省けましたわ。失敗作は処分しなくてはいけなかったので。それに……これでようやく、彼らの『ごっこ遊び』から解放されるのですね」

 ――ゼクンの顔が、脳裏をよぎった。珍しく笑ったゼナイダの顔も、思い出す。

 気付けば、ウィクトルは水晶一つをトリーツェンに放っていた。だが同時にトリーツェンも水晶を放つ。二つの輝きは衝突し――ウィクトルの水晶が砕けた。

 トリーツェンの魔法は、勢いを落とさずウィクトルの胸に突き刺さる。血を吐きながらウィクトルは転がった。

「――ふむ。では、修理にとりかかるとするか」

 そんなウィクトルを気にせず、そして広がった血の海も気にせず、フォンギオが装置の前に立つ。片手をかざせば、たちまち文様が浮かび上がり、装置の楕円形を包んでいく。

「……時間はかからないが、一度着陸させた方がいい。それにしても、随分と丁寧な壊し方をしたな」

「――どうして、いったい、何が……」

 身体は重く、起き上がれそうになかった。それでもウィクトルは地面を這いずり、フォンギオを見上げる――装置に手を加えていく様は、恐ろしく速かった。先程、数人係でやっと一歩進めたといったところだったが、フォンギオは一人で応急処置の修理を進めていく。

「小さな穴を開ければ、そこからいくらでも入ることができる」

 フォンギオはウィクトルを見なかった。

「ベラーにとっては、簡単すぎただろう。ほか何人か、非魔術師の者も送り込んであった……だが予定より時間がかかったな、彼にしては珍しい」

「遊んでいたのではないですか? まったく、こちらはプラシドにひどく腹を立てているというのに……」

 トリーツェンが髪の毛をいじりながら愚痴のように漏らす。

 どうしてベラーとパウが同じ牢に入っていたのか、気付いてウィクトルは顔を歪める――ベラーだけではなく、非魔術師の工作員、あるいは裏切り者もいた、ということらしい。

 血塗れの手を、己の耳に伸ばす。小さな魔法陣が展開される。

 まだ魔法を使う余裕があった。正しくは、ほかの余裕を捨ててでも魔法を使う必要があった。命が削れる感覚がある。だが集中し、魔法を維持する。

「プラシド、様……」

 プラシドに、この現状を伝えなくてはいけなかった。

 ところがその手を、魔力で作られた刃物が手首から切り落とした。

 ぎっ、と悲鳴を上げる。右手を見れば、そこにもう手はなく、血が溢れ出ていた。

「だめですよ、泥棒さん」

 トリーツェンの冷ややかな目が向けられていた。彼女が手を構えれば、板のような刃が、宙に生まれる。魔力で作られた刃。切っ先はウィクトルの首を見下ろしていた。

 ――どうしてこんなことになった?

 刃が振ってくる。首に食い込む。骨を断つ。

 ごとん、と聞こえた音の正体は、自分の頭が落ちた音だったが、ウィクトルは気付けなかった。

 そもそも何故『遠き日の霜』という、魔術師至上主義組織にはいったのか。

 ただ、満たされた生活が欲しかっただけなのだ。

 魔術師であるといっても、自分は比較的「凡人寄り」であり、そこ止まりだった。黄色の耳飾りを手に入れることもできなかった。

 だからこそ「選ばれた人間」としての道を選んだ。そうであるべく。

 後悔したことがなかったわけではないものの。

 結果はさておき、自分より能力のある魔術師を「材料」にできたのは、ひどく楽しかった。

 でも、と、赤毛の双子の姿が思い浮かぶ。

 結局、何者にもなれなかった。もっと自分ができる魔術師であったのなら、あの双子を救えたかもしれないのに。

 記憶も後悔も、命とともに消えていった。

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