第一章(09) 守るはずだったんだ


 * * *


 広場は荒れ果てていた。見慣れた家々からは火が上がっていて、それが他の家にも延焼して、村は燃えていた。

 そして地面を黒く染める血の跡。血の海――浮かぶようにして、見慣れた人々が物言わず転がっていた。一人は腕をなくして。一人は上半身だけを残して。また一人は、頭がなく、血塗れであることもあって、誰だったのかわからない。

 故郷の姿はなかった。

 炎の燃えさかる音と、どこからか聞こえる悲鳴ばかりが、うるさい。

「あ……あ……」

 渦巻く血の臭いに、アーゼは足を止めてしまった。とたんに力が抜けて、ふらついてしまう。と、足に何かぶつかって、見れば。

「そんな……」

 倒れていたのは、猟師の男だった。その手には狩猟に使っていた銃をまだ握っていたものの、脇腹が大きく抉れていた。息はしていなかった。

 戦ったのだ、彼は。村を襲ったものと。けれども負けてしまった。

 改めて辺りに横たわる死体を見れば、ほとんどが農具であるものの、それぞれが武器を手にしていた。皆、戦っていたのだ。

 しかし、全員が死んでいた。男達だけではない。女達の死体もある――子供のものまで。

 前方から、人影が走ってきた。とっさにアーゼは目を見張った。

「――ア、アーゼ……!」

 村の医者だった。ぐったりとした村人一人に肩を貸して、歩いてきていた。

「先生……!」

 医者は服の所々を血に汚れさせ、顔にも煤をつけていた。けれども涙で頬の煤は流れていた。医者はせきこんだものの、顔を上げる。

「皆さんが……! もう、この村は終わりです! みんな、死んでしまった……! みんな……立ち向かいましたが……! うっ……あ、あの……恐ろしい蠅に……!」

「――母さんは! 母さんは、どこに!」

 半ば怒鳴るようにしてアーゼが尋ねれば、医者は頭を横に振った。

「私は、見ていません……あの大きな蠅が村に来て、戦えない者は家にいるよう言われましたが……! 村から出られたのか、どうか――」

 その言葉が終わる前に、アーゼは医者を突き飛ばすようにして走り出した。自宅へ急ぐ。先はより炎が燃えさかっているのか、煙に満ちているけれども。

「アーゼ! だめです! そちらにはあいつが――」

 そんな医者の声を気にしている暇はなかった。

 悪夢のような場所を走っていくと、やがて、自宅が見えてきた――半壊し、燃えている、生まれ育った家が。

 息を呑んで、アーゼは立ち止まってしまった。

「――母さん!」

 けれども、家の中へ。炎と煙に呑み込まれるように、飛び込んでいく。

「母さん、いるなら返事しろ!」

 もし、まだ残っているのなら。

 返事はなかった――それはいいことなのか、悪いことなのか。

「母さん!」

 と。

 ――不気味な声が聞こえた。どこかで聞いたことのあるような。しかし初めて聞くような。

 それは、すぐ近くの扉から。その扉に体当たりして、アーゼが部屋に飛び込めば。

 ――巨大な黒い影が、いた。ココプ村のグレゴに比べれば、ずっと小さかったけれども。

 だが熊ほどもあるそれは――蠅によく似た姿だった。

『グレゴはまだいる』

 そのグレゴの、目の前に。

「――かあ、さ……」

 胸から上のない母親が、横たわっていた。焦げの臭いに、濃い血の臭いが混じっている。

「―――あああああぁぁぁっっ!」

 火事になって逃げ遅れたところを襲われたのか。それともその前に襲撃されたのか。

「お前ぇぇっ!」

 剣を抜けば、未だ肉を咀嚼しているグレゴへと走り出す。炎を踏んで。煙を突っ切って。

 ぶん、と怒りにまかせて振った鋭利は、たやすく避けられた。驚いたのか、グレゴはぎぎっ、と鳴いたが、アーゼは剣を振るい続けた。

「よくも! よくも! よくも……っ!」

 だが怒りに鈍った剣ではグレゴを捕らえられなかった。しかしアーゼは大きく踏み込んだ。踏み込んで、跳ねて。

 比較的小柄なグレゴ。馬乗りになるのは簡単だった。

「この……野郎……っ!」

 その身体に、剣を深々と突き立てる。

 そのとたん、グレゴが悲鳴を上げて暴れた。瞬間、剣から手を放してしまったアーゼは振り落とされた。それと同時に頭を強打する。

「うぅ……っ……」

 意識が揺れる。視界がぼやける。

 その中で、剣が刺さったままのグレゴは、こちらへ寄ってくる。

 起き上がらなければ――けれども、どうにもうまくいかない。思考が、揺れて。

 意識が、沈む。

 ――目が醒めるような光が走った。炎よりも眩しく、星を彷彿させた。

 どこからか飛んできた水晶が、グレゴとアーゼの間に割り込むようにして床に突き刺さった。グレゴがぎぃっと声を上げて退く。

 炎の向こうに、紫色のマントをはためかせた影があった。

 パウは魔法陣を展開すると、再び水晶を放つ。グレゴを狙ったのであろう水晶は、そのすぐ横に突き刺さる。グレゴは様子を見るように、パウへと頭を向ける。

 すると、もう一度放った水晶が、グレゴの目玉に刺さった。やっと命中した。グレゴは悲鳴を上げて頭を振り、水晶が消えると涙のように血を流す。

 そこへパウが追撃を構えるものの、不意にグレゴは飛び上がった。天井を突き破り、陽が沈み始めた空へと、煙と共に高く昇っていく。

「待て!」

 空に向かって、パウが水晶を放つも、そのグレゴはぐんぐんと離れていく。

「――この野郎っ……」

 ようやく意識がはっきりしてきたアーゼは、急いで家を飛び出した。軋んだ身体が痛むものの、気にしなかった。気にすることができなかった。

 家の外に出れば、グレゴの姿はすっかり小さくなってしまっていた。夕焼けに赤くなった空に、溶けていく。

 刺さったままの剣と共に、グレゴは消え去った。

「くそっ!」

 アーゼを追って出てきたパウが、折れそうな勢いで杖で地面をついた。

「くそっ……ああ、くそっ……」

 だが憤れたのも、そこまでだった。何故なら。

「――守るはずだったんだ」

 アーゼが愕然として頽れた。空の彼方を見つめたまま。

「村を、母さんを、守るはず、だったんだ……」

 そのために、隣村に潜むという巨大蠅を退治した。もう大丈夫だと思ったのだ。

 涙が溢れた。頬を伝い地面に滴ったものの、熱気にすぐに乾いてしまう。

「――どうしてこんなことに」

 それは弱々しくも、血を吐くかのような言葉だった。

「どうして……!」

 そんなアーゼの後ろ姿を、パウは見ているほかできなかった。

 ――どうして。

 ――俺は、誰かのためになりたくて。

 ……滅んだ村を前に、膝をついたかつての自分を、思い出していた。


 * * *


 夜の間に雨が降った。パウが消火のために降らせた魔法の雨だった。

 雨が上がった明け方、村の生き残り達が死者を広場に集めた。焼けてしまって誰が誰だかわからないものもあったが、それでも、消火によって燃えず、判別がつく状態で残ったものもあった。しかし、グレゴに頭を喰われたものや、身体の一部しかないものもあって。

 遺体は広場に並べられた。広場ではすすり泣きが耐えなかった。それでも村人達は、もくもくと作業をしていた。新しく遺体を運び込んだり、燃え落ちた家から大切なものを拾い上げたり、けれどもそれは、生き残ったというのに、亡霊のような仕草だった。

「ありがとう、『千華の光』の魔術師……あの巨大な蠅を追い払ってくれただけでなく、火も消してくれて……おかげで、救われた死者もいただろうし、わしらは家に残してしまった思い出を拾えた……」

 怪我人の手当をやっと終えて、パウが広場に行けば、村長に声をかけられた。生き残った何人かと、これからのことを話し合っていたらしい。

「……この村は、もうだめだ」

 頭に包帯を巻き、また右腕に吊り包帯を施した村長は頭を横に振った。

「家畜も作物も失い……人々も失った……もう、だめだ。皆に、早いうちにここを去るよう伝えるつもりだ……残りたがる者もいるかもしれないが……あの蠅が、もう襲ってこないと決まったわけではない」

「……アーゼは、いまどこに?」

 尋ねれば、村長はつとある方へ顔を向けた。アーゼの家があった方だった。

「先程、人に見に行かせたが……動かないそうだ」

 深く、溜息を吐く。

「……彼は隣村で巨大な蠅に立ち向かったそうだな……だが……不運としか、言いようがない……」

 空の端を見れば、少しずつ明るくなり始めていた。パウは村を去ることを伝えれば、最後に村長やそこにいた村の生き残り達に挨拶をして、歩き始めた。

 しかしミラーカを連れて向かったのは、村の出入り口ではなく、アーゼの家のある方。

 ――離れた場所からそっと見ると、うなだれているアーゼの姿があった。その表情は、見えない。

 思わず、パウは出て行きそうになった。

「……」

 しかしなんと声をかけていいのか、わからなくて。

 そのまま、村を出るしかなかった。

 夜明けに染まりつつある空を見れば、今日も一日、よく晴れるのだろう、雲一つなかった。

 太陽が昇っていく。赤みが消えて、空は虚しいほどに透き通った青一色に変わっていく。

 パウは一人丘を登って、そして下っていった。目指すは、近くにある大きな街。あのグレゴの行方は、もうわからない。けれども大きな街でなら、そのグレゴの情報、あるいは別のグレゴの情報を手に入れられるかもしれない。

 その時、ふらついて。

 とっさに杖で身体を支えようとしたが、かなわずパウは転んだ。ひりひりと痛みが走るが、両手をついて、上半身を起こす。そして。

「――くそっ!」

 杖でぶんと、地面を殴った。

「ああ、なんで、なんで……」

 眼鏡の向こう、瞳に涙を滲ませながら。

「助けられると、思ったんだ……! あの村は、襲われる前に助けられたって、思ったんだ……!」

 見えない目からも、雫はこぼれる。さらに叫びたくなったものの、そこでパウは下唇を噛んだ。

「パウ」

 ミラーカが、心配するかのように下りてきたから。

「パウ」

 少女の声で、蝶は名前を呼ぶ。

 その青い羽の輝きは、宝石のようで。しかし深海のように底知れない。

「パウ……行こう」

 パウはそっと、顔を上げた。蝶はふわふわと離れていく。少し離れたところで、宙でくるくると回る。

 涙を拭い捨てて、パウは立ち上がった。

 グレゴは、まだいるのだ。

 ――蠅化したグレゴは、全部で十二匹。残りは、十匹。

 否。

 ――十人、残っている。


【第一章 蝶を連れた魔術師 終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る