第三章(08) 答えろ、パウ

「――大きな剣!」

 突として、メオリが思い出したかのように叫んだ。

「大きな剣で真っ二つにしたら! できるだろう? そしたら流石に奴も……」

「そんなにでかい剣が今作れたのなら、さっきの水晶で仕留められてた!」

 パウが叫び返せば、メオリは転がるようにグレゴの突進を避けながら、怒りが混じったような表情を浮かべた。

「あんた、前はそういうの、得意げにほいほいやってただろう……!」

 しかしそこで、やっと気付いたのだった。

「――そうか、あんたその大怪我でそこまで弱って……!」

 と、メオリを逃したグレゴが、器用にも身を翻して今度はパウへと襲いかかる。パウは慌てて脇へと飛び込んだが距離が足りなかった。

 パウ、とメオリの悲鳴。巨体の体当たりを受けて、パウの身体は吹っ飛び転がる。だがグレゴはそれだけで終わらず、もう一度パウへと向かって羽ばたく。

 間一髪、グレゴの目を翼で叩くようにシトラが横切った。グレゴは驚いたのか宙で留まり、そのまま地面に落ちてしまった。するとシトラの全身が輝いて、鋭いくちばしが向かったのは、巨大な蠅の細い脚だった。

 風のようにシトラが宙を駆け、グレゴの耳をつんざくかのような悲鳴が上がり、辺りに黒い血が破裂したように飛び散る――グレゴの脚数本が、切り落とされる。

「胴はだめだな……でも脚ならやっぱりいける……!」

 メオリの険しくも嬉しそうな声。骨が砕けたかのように痛む身体を、それでも起こしながらパウがメオリを見れば、彼女は焦ってはいるものの、得意そうな顔を浮かべていた。

 しかしグレゴは羽を震わせればその巨体を宙に浮かせた。そしてやり返してやるといわんばかりに威嚇の声を上げれば、またシトラを追い始める。

「羽を……羽を切り落とすか、破くか……!」

 パウはグレゴを睨んだ。脚もいいが、先に羽だ。飛び回られるのはやはり厄介だ。

 先程吹っ飛ばされたためだろう、息をするのが異様に苦しかった。だがパウは小さな魔法陣を出現させれば、グレゴの薄い羽に向かって水晶を撃つ。しかしシトラを追い回すグレゴには、なかなか当たらない。

「シトラ、そのまま囮、頑張って!」

 メオリも使い魔に指示を出せば、水晶を放つ。輝く切っ先は、見事にグレゴの羽を突き破って空へと消えていく。するとグレゴの速度は落ちていくものの。

 ――怒りの声が上がる。傷ついた羽でも、グレゴはふいにぐんと前にでた。

 そして空に響いたのはシトラの悲鳴。ついに追いつかれ、体当たりを喰らってしまったのだ。

 巨大な蠅に比べて小さな鷹は、木々の緑へと落ちていく。それと同時に、メオリが痛みに声を上げて膝をついた。

 グレゴは、その複眼でメオリの姿を捉えていたようだった。木々に落ちていったシトラを追わずに、地面に蹲ってしまったメオリへ頭を向ける。口を大きく開く。飢えに涎がだらだらと溢れ出ている。

 とっさにパウは掌をメオリに向けると、魔力波を放った。魔力の大きな波は、メオリの身体をさらえば吹っ飛ばし地面に転がす。シトラの受けた体当たりの負傷に苦しんでいるところに、さらに痛みが重なってしまっただろうが、グレゴの巨大な口から逃すことができた。滑空が下手なグレゴは、メオリを喰らうことがかなわず、地面にずるずると墜落する。それでもすぐ立ち上がろうとするが、まだ脚は再生していなかった。蠅であるものの、もがく姿はどこか芋虫を彷彿させた。

 脚は再生しないものの、羽はまだ形を保っている。多少、水晶で貫かれ破かれてしまった羽だが、グレゴは震わせ始める。

「――糸で斬ろう」

 空に逃げる前に、縛ってしまおうと考えたところで、パウは思いついて声を上げた。

「い、糸?」

 疲弊した様子でも、突然の意味の分からない言葉に、メオリが拍子抜けしたような声を響かせる。

 パウは説明することなく、手を構えて魔法陣を出現させた。蔓のように生えてきたのは、鋭い光を帯びた糸――先端は蛇のように宙をうねってメオリへ向かっていく。

 メオリは目を丸くさせたものの、自然に手を伸ばし、魔法陣を出現させていた。その魔法陣で糸の先端を受け取れば、二人の魔術師の魔力が合わさり、糸はより輝く。

「……なるほどね」

 糸の輝きは刃の輝き。理解してメオリは口の端をつり上げた。

 ぎぎっ、と鳴き声がしたかと思えば、グレゴが宙に浮こうとしていた。その巨大な身体が地面からわずかに浮く。けれどもパウは腕を大きく振って、メオリも網を投げるかのように手を大きく回して糸を宙に上げた。

 そして二人が糸を張れば――決して細くはない輝きは、グレゴの身体を分けるかのように横に渡った。漆黒の身体に食い込めば、輝きはばちばちと激しさを増す。

 魔力による糸の刃だった。

 グレゴは暴れるものの、糸は押さえつけるように食い込んでいくために、簡単には逃げだせなかった。糸を持つ二人は、グレゴの勢いに倒れそうになり、魔力が揺らぐものの、それでも集中を切らさない。

 漆黒の巨体に光が食い込むほどに、異様な臭いのする血がぼたぼたと地面を染めていった。背中から地面へ、遅々としているが光は確実に食い込み切り分けていく。

「あともう少し……!」

 暴れるグレゴに引っ張られながらも、パウは集中を切らさないように、息を吸う。

 だがその時、グレゴが一段と激しく暴れた。それはパウもメオリも引っ張られ身体が浮いてしまうほどで、一瞬糸の輝きが失われた。

 そこで鋭い鳴き声が木々の緑から飛び出した。再び空へと舞い上がったシトラが、グレゴを睨む。そして上空から羽ばたけば、その魔法の風がグレゴを押さえつけたのだった。

 二人の魔術師は再び集中し、糸をより張る。息の乱れも、地面に垂れる汗も気にする余裕なく、ただ標的を睨み続けていた。

 果てに、ある程度、漆黒の身体に光が食い込んだところで。

 すとん、と糸は一気に地面に落ちた。続いて、グレゴの断末魔が滝の轟音をかき消し空と森を揺らす。

 辺りに満ちるのは、異様な血の臭い。まるで焦げたかのように、地面は巨大蠅の血にどす黒く染まっていた。

 真っ二つになった身体は、しばらくの間びくびくと動いていた。やがて動きが緩慢になって、殆ど動かなくなった。しかしよく見れば脚や羽はじわじわと再生していて、二つに分かたれた身体も、まるで磁石でも入っているかのように徐々に互いに近づいていった。触れ合うと、溢れ出す血が隙間を埋めていく。

 時間はかかりそうであるものの、真っ二つにしても、この巨大蠅は再生できるようだった。

 けれどもたった一つ、このグレゴに死を与える方法があるのだ。

 ……戦いの最中はどこかに隠れていたのだろう青い蝶が、ふわふわと巨大な漆黒に近付いていく。

 青い輝きが巨躯に触れて数秒後。

 腐り落ちるかのように、巨大蠅は溶けて崩れた。強い腐敗臭が辺りに漂う。

 無事に、ミラーカに喰わせることができたのだ。

 シトラが鳴くこともなく、メオリの肩に下りた。メオリは疲労からか、はたまたいま目の前で起きた光景に言葉を失ってしまったのか、無言でグレゴがいた場所を見つめていた。

 グレゴがいなくなった森は平和そのもので、滝の音ばかりが耳にうるさかった。

「――ふふ」

 その轟音が響く中、ミラーカは確かに満足そうに笑った。パウのもとへと戻ってくれば、差し出した彼の手にとまる。

 ――これで、四人目。

 全部で十二人。残りは八人。

 やはり手を焼くものの、今回も、どうにか。

 ……一人だったのなら、無理だっただろう。

「――メオリ」

 そうして少しの間、忘れてしまっていたメオリの存在をパウは思い出す。

 だが彼女の名前を呼ぶその前から、かつかつと、何か煮えたものを孕んだ足音は近づいてきていたのだ。

 ――胸ぐらを掴まれたのは、パウが彼女の名前を呼んで、振り返ったその時だった。

 ぎらついた橙の双眸と目があった。胸ぐらを掴まれた勢いに、見えない目を隠していた前髪が流れて、パウの赤い双眸が日の光に照らされる。

「――なあ、教えてくれ」

 メオリの声は、まるで今にも魔法を放ってきそうなほど低かった。息は乱れているものの、何とか抑え込んでいるかのようだった。

「あんた、何を知ってるんだ? 何を隠してるんだ?」

 だが抑えきれなくて、声に怒りが混じる。こちらを見上げる橙色の瞳の奥で、何かが燃え上っていた。

「答えろ、パウ」

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