第三章(09) 私は黙っていないわよ

 ――パウは。

「……っ」

 何も答えられなかった。まるで喉で、言葉が詰まってしまったかのように。

 口にするのが怖かった。全ての真実を。自分の過ちを。

 ――その責任をとろうとは、贖おうとする気はあったけれども。

『臆病者』。

 それは、昨晩ミラーカに言われた言葉。

「パウ……!」

 メオリの怒りを孕んだ声はかすかに上擦っていた。橙色の瞳は波打つ。

「教えろ、パウ! 私は……殺さなくちゃいけないんだ」

 胸ぐらを掴む手に、ぎり、と力が入った。

「師匠を殺した奴を、絶対に殺さなくちゃいけないんだ。そして何が起きてるのか、知らなくちゃいけないんだ……!」

 それでもパウは、メオリに言えなかった。

 向ける矛先がわからないメオリの殺気に、息ができなくなる。

 声を出せないまま、パウが唇を震わせていると。

「どうしても言わないっていうのなら」

 すっ、と、メオリの片手が上がった。小さな魔法陣が現れる――パウに向けて。

「悪く思うな……」

 それが本気だったのか、ただの脅しだったのか、パウには判断できなかった。しかし我に返って、声は出た。

「待ってくれ――」

 刹那、メオリが構えていた魔法陣が、大きく揺らいで消えた。

 魔法陣が消えたそこには、青い輝き。

 ミラーカ。

 ぎょっとして、メオリがその青い輝きを見上げる。パウもミラーカを見上げた――いつの間にそこにいたのだろうか。それよりも、いまのは一体。

 そう考える間もなく、ミラーカがふわりと大きく羽ばたけば、青い波のような光が広がった。まるでさざ波のように広がるものの、柔らかな光はメオリを、そしてパウをも吹っ飛ばす。

 ずしゃりと地面に落ちたパウは、少しして身体を起こした。目の前に何事もなかったかのようにミラーカが飛んでくる。メオリを見れば少し離れたところで同じように倒れていた。しかし彼女は起き上がろうとしない。

「メオリ……」

 ゆっくりと身体を起こして、パウが彼女に駆けよれば、メオリは固く目を瞑っていた――息はしている。気絶しているようだった。

 吹っ飛ばされただけで気絶したとは、到底思えなかった。パウは振り返って、そこでふわふわと羽ばたいていたミラーカを見つめる。

「何を……何をしたんだ……」

 このままにしてはおけなかった。パウはメオリの肩を掴んで揺すった。

「メオリ、おい……大丈夫、か……?」

 しかしそこへ、甲高い悲鳴を上げて、茶色の風がパウの手を払った。

 シトラだった。使い魔の鷹は、主の身体にとまれば、まるで守るかのように翼を大きく広げてパウに威嚇の鳴き声を浴びせた。

 こうなれば、メオリに手を伸ばすことはできなかった。

「――行こう」

 声がする。滝の轟音が響く中、鈴の音のように聞こえる。

「ここにいても、意味がない」

 淡々と、蝶は言う。まだ少したどたどしい口調でも、はっきりと。

 このままここに留まったところで、ミラーカがまた何かするかもしれなかった。

 メオリが目覚めたのなら、彼女はまた騒ぎ出すかもしれなかった。

 ――静かにパウは立ち上がった。

 杖をついて歩き出す。メオリに背を向けて、もう振り返らなかった。

 青い蝶が、先を急ぐから。


 * * *


 夜になった。

 あの森からだいぶ離れ、気付けば辺りは荒野になっていた。

 焚き火を起こせば、パウは岩に腰かけた。

 焚き火の向こうには。

「――そんな顔しないでくれない?」

 パウと同じように岩に腰を下ろした、少女の姿。黒の刺青のような模様のある素足を組み、青く輝く髪を後ろに流して彼女は微笑む。

「どうしてメオリに手を出した」

 焚き火を挟んで、パウは見える片目で、ミラーカを睨む。

 ミラーカが首を傾げれば、長い髪がさらりと焚き火の光に輝いた。

「やる前にやっただけよ? うっかりあなたに死なれたら困るし」

 手加減してあげた方なのよ、と、彼女は口の端をつりあげる。

 ――グレゴを四体喰らった彼女が、いまどれくらいのことができるのか、パウにはわからなかった。

 少なくとも、もう無害な蝶ではない。

 疑問が湧きあがる――果たして彼女に、このままグレゴを喰わせ続けていいのか、と。

 しかしそうするしかできない。グレゴを殺すには、彼女に食べてもらうほか、ない。

 自分がとてつもないものを生み出してしまった自覚は、あるのだ。

 グレゴについても。ミラーカについても。

 ――そして生み出してしまった罪悪感だって。

 だからこそ。

 だからこそ、あの時メオリに何も言えなかったことを、いまになってパウは後悔していた。

 結果的に、傷つけてしまった。

「あなたが素直に話さなかった代償でしょう?」

 口を固く結んでいると、ミラーカは言う。

「でも……あなたはまだ、話せそうにないのね」

 立ち上がれば、彼女はふわりとパウの前に立った。細い指が、パウの顎と頬に触れる。

「いつまでも黙ってはいられないわよ?」

 蝶の少女は、冷ややかな瞳でパウを見下ろす。

 どこか面白そうに。けれども憐れむように。そして呆れたように。

「事は随分大きくなってるみたいだから……きっと時間の問題ね」

 瞳が三日月のように細くなった。

「それで都合が悪くなるようなら……今日みたいに、私は黙っていないわよ? あなたは私の玩具。私の道具……他の奴に手を出されたら、困るもの」


【第三章 嵐の中の翼 終】

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