第六章(05) 一人殺したら一点!


 * * *


 橙色に染まりゆく空の下。鬱蒼とした森の中。

 小高くなった場所から、廃墟と化した街を眺める影があった。

「……例の魔術師と蝶は見あたりませんな。それにしても奴ら、随分と余裕そうで」

 熊のような男だった。漆黒の軽装鎧に、頭全体を覆う仮面。その仮面の、まるでゴーグルになっているかのような部分が、ぐるぐるとピント合わせを行っていた。

 男が見ていたのは廃墟と化した街中――そこで和気藹々としている『風切りの春雷』騎士団だった。

 彼の隣では、赤い髪に銀色の瞳の少女ゼナイダが背伸びをしていた。背伸びをして、また前のめりになったりして、遠くにある街中を必死に見ようとしている。

「……ゼナイダ様、誤って一歩踏み出したりしないでくださいね」

「わかってる……あたしもお母さまにお願いして、そういう目をもらおうかな……でも顔がゼクンと変わるのは嫌だし、もうわがまま言ってお前をもらってるし……あんまりわがまま言うのは、悪い子だよね」

 ゼナイダは、その年頃よりも更に幼い様子で、うねうねと動いて街中をどうにか見ようと諦めない。そんな中で。

「とりあえずは殲滅しないと……オレガリオ、ゲーム、する?」

「ぜひとも……時間制ですか、ポイント制ですか、それとも別のルールにしますか?」

「ポイント制で」

 いつもは単調気味なゼナイダの声は、かすかに上がっていた。熊のような男オレガリオは「ふむ」と漏らして、仮面のレンズを等倍に戻せば彼女を見下ろす。

 ゼナイダは人差し指を前に出した。

「一人殺したら一点!」

 ぱっと開いた両手を前に出せば、

「例の魔術師か、蝶を捕まえた場合は十点!」

「蝶も十点ですか? 蝶ですよ? 話によるとグレゴではあるようですが、そこまで凶暴ではないそうで……」

 オレガリオは再び街へと視線を向ければ、騎士団員達を観察する……聞いていた数よりも騎士団員が少ないために、街の奥にもいるのだと判断する。見れば煙も上がっている。

「……じゃあ蝶は三点で」

「了解しました……それから、騎士団の隊長や、この妙な魔法道具を使ってくる魔法道具師はどうします? あれは副隊長でしたっけ」

 ――十字路で、手合わせを行っている二人組をオレガリオは見つけた。その一方は、自身と同じほどの大きさの剣を片手で震う女剣士、この騎士団の隊長であるネトナだった。

 副隊長である男の姿は、ここからは見えなかった。

「それぞれ五点にしよう」

 透き通った音がした。木々の緑の帳を透けて差し込む夕日に、一対の銀色が橙色を返す。

 腰の左右にある鞘から大ぶりのナイフを抜き取ったゼナイダは、すでに構えていた。

「ルールは決まった。早く始めよう……ゲーム、好きだよ」

 爛々と輝く瞳は、まだ遠くにある標的を見つめていた。さながら肉食動物を思わせる輝きで、しかし彼女にとって、そこにあるのは「ポイント」でしかなかった。

「……それでは行きましょうか」

 オレガリオは頷けば、一歩を踏み出した。

 ――ぱちん、と見えない何かが切れた。

 そこにあったのは、一つの結界に似たもの。エヴゼイが張っていた、魔法道具の糸。

 これにより、騎士団側に存在が知られてしまうものの『掃除屋』にとっては些細なことでしかなかった。

 生け捕りの対象以外は、とにかく「掃除」してしまえばいい。

 そして生け捕りの対象が逃げたとしても、追って捕まえればいい。

 オレガリオとゼナイダが崖を飛び降りる。続いて他の『掃除屋』達も次々に飛び降りいていく。誰もが闇夜に溶けていきそうな姿で、頭全体を覆う仮面すらも黒く、つるりとしている。人間であることはおろか、生き物らしさを感じさせない姿。

 標的へと進む中、ゼナイダは微笑んでいた。

 ――また楽しいゲームが始まった。


 * * *


 この地に来て三日目の夕方。アーゼはネトナと手合わせをしていた。

 ――剣を構え走り出すアーゼに対し、巨大な剣を片手で持ったネトナは動かない。奇妙な紋様を持った彼女の剣は、ほのかに輝いていて、アーゼの姿を捉えているネトナの瞳は、まるで静かに燃えているように鋭い。

 正面からネトナへと迫ったアーゼだが、素早くステップを踏めば、彼女の背後へとあっという間に回った。そして剣を振るうものの、ネトナの剣が残像もなく動き、アーゼの剣を弾いた。

 たまらずアーゼは背後に退いた。そこへネトナの追撃が迫る。夕日を浴びて頭上で輝く、巨大な剣。とっさにアーゼはそれを剣で受け止めるものの――判断を誤ったと、後に思った。

 大剣を受け止めれば、その威力だけではなく、剣の重量もアーゼに襲いかかってくる。アーゼは潰されないように力むものの、身動きができない状態となってしまった。少しでも動いてしまえば、間違いなく自分が潰される。だからといって、押し返すことはできない――。

 後悔が始まった次の瞬間、脇腹にネトナの蹴りが飛んできた。吹っ飛ばされたアーゼは地面に転がり、しかし剣は手放さなかった。

「くっそ……」

 痛みを堪えながらもアーゼが起き上がろうとしたところに、剣の切っ先が突きつけられる。

「――素早く動くのはいいが、まだ無駄が多いのではないか?」

 ネトナが見下ろしていた。彼女は剣を背負えば、片手を差し出す。アーゼはその手を取り起き上がれば、同じように剣を納めたのだった。どうやら今日はここまでらしい。

「そろそろお前の剣を折ってしまうだろうし、日も暮れ始めた……」

 そう言ったネトナに、アーゼは頭を下げる。

「ありがとうございました、隊長――」

 そこでぐう、と腹が鳴ったものだから、アーゼは顔を赤くしてしまった。

「……夕食もそろそろできているだろう、狩りに行かせた者が獲物を見つけていればな」

 淡々とネトナは言い、腕を組んだ。アーゼは誤魔化すかのように笑みを浮かべるしかなかった。

 周囲で手合わせを眺めていた騎士団員達も、それぞれのテントへ戻ろうと動き出していた。もうじきここを旅立たねばならないものの、穏やかな日々を過ごせていた。

 橙色の空を見上げれば、ふと、故郷の楽しい日々をアーゼは思い出していた。

 と、そこでぐう、とまた鳴って。

 けれどもそれは、アーゼのものではなかった。

「ネトナさん……」

 ネトナは決して、アーゼへ振り返らなかった。何事もなかったかのように歩いていく。

 背負うその大剣に、アーゼの目が留まる――あれほどのものを振り回しているのだから、相応のエネルギーを使うのだろう。

 そうしみじみと思いつつ、アーゼも歩き出した時だった。

 ――奇妙な笛の音が聞こえた。ただの笛ではない、異様に遠くまで響き渡る音。

 奇妙な音に、アーゼは足を止めた。他の騎士団員達も音のした方、街の奥へ顔を向けてなんだなんだとざわつき始める。

 街の奥にある広場には、いくつものテントを広げているのだが。

「――全員、敵襲に備えろ!」

 荒々しい声が響く。戻りかけていたネトナが、険しい顔をして、再び剣を手にしていた。

「いまのはエヴゼイの警笛だ! あいつが周辺に張っておいた警戒糸が切られた、何者かが近付いてきている!」

 騎士団員達は各々武器を手に取り、周囲に警戒する。アーゼも剣を手に取り、周辺を見回す。

「どこから何が来てるんですか?」

 ネトナに尋ねれば、ちょうどそこに、街の奥から虫のようなものが飛んできた――二つ折りにした紙切れが、ぱたぱたと羽ばたいていた。

『そこから東の方向! 数は三十ほど! まっすぐそっちに来てる、ただ事じゃなさそうだ!』

 エヴゼイの声が溢れ出てくる。聞いていた騎士団員達は顔を険しくして東側に広がる森を睨み、ネトナも舌打ちこそしなかったが、ひどく顔を歪めて敵が潜む方角を睨んだ。

「奴らだろうな。早すぎる……」

 夕日が断末魔をあげるかのようにより濃くなり、一方で闇色を帯びていく。無風の森はまるで何かの死を待つかのように身じろぎせず、騎士団員達の間には、停滞した空気が沈み込んでいた。緊張感が全てを縛っている。

 アーゼは木々の間にある闇を睨み続けた。何かが潜んでいる気配はない。

 ところが、その黒色が、波打ったように見えて。

 ――漆黒の何かが飛び出してきた。銀の鋭利な輝きも見えて、先頭にいたネトナへ飛びかかる。

 それはナイフを手にした、黒装束の者だった。一つも肌を見せない服装で、頭全体を覆う黒い仮面もつけているために、もはや人間以外の何かに見える。

 ネトナが大剣を盾にし、黒装束の攻撃を防ぐ。と、黒装束はぐにゃりと動いて、ネトナの隙をつこうとする。

 その、あたかも骨がないかのような動き。再びネトナは剣で防いだからいいものの、黒装束はぬるぬると動いてナイフを滑らせ続ける。

 黒装束は次々に姿を現し、騎士団員達へ襲いかかる。その奇妙な動きに、なんとかナイフを剣で弾く者がいる一方で、どこかでは悲鳴が上がり、血の臭いが漂った。

 アーゼも正面から飛びかかってきた黒装束を、剣で弾いた。弾かれた黒装束は地面に転がったものの、まるで蛇のように身をくねらせて再び飛びかかってくる。その素早さをなんとか目で追いつつ、アーゼは剣を滑らし攻撃を防いでいく。身をよじって避けようものなら、そこにできた隙に突きが出される。それもどうにか避けるものの、じわじわと追いつめられていく。

 しかしアーゼは、踏み込めば剣を横に振った。それは敵が攻撃を繰り出すのと同時で、相手のナイフの切っ先が、かすかに身体に触れた。しかし斬れたのは服のみ。服を代償に、アーゼの剣は敵の身体を捕らえた。

 ……あたかもゴムを捕らえたかのような感覚だった。剣は確かに敵の身体に食い込んだものの――斬れた、という感覚が一つもなかった。

 勢いに敵は地面に転がったものの、アーゼは愕然として敵を見つめた。

 得体の知れない何かだった。

 アーゼが言葉を呑んでいる一方で、ネトナも敵の身体に剣を振り下ろしていた。しかし奇妙な感覚に刃は弾かれ、顔を歪める。硬いものにより、刃を防がれた感覚ではない。ぐにゃりとした感覚。それでも迫り来る攻撃を避け、ネトナは再び攻撃を試みる――今度は刃での攻撃ではない。剣の面を使って、思い切り敵の頭を殴ってみる。

 野蛮にも思える行動だったが、どうやらこちらはしっかり効いたようだった。仮面にひびが入った。そこで止まって中身が見えることはなかったが、敵は倒れて動かなくなった。

 思わずネトナは、倒れた黒装束を見つめた――明らかにただ者ではない。斬ることができなかったのは、この服装のためか、それとも。

 何にせよ、何かしらの魔法が作用しているのだろう……悔しいことに、魔法について詳しくないのだが。

 そこで風が肌を撫でていくのを覚えて、ネトナは振り返った。

 ……盾にした剣が受け止めたのは、新たなナイフ。

 それを握るは、熊のような黒装束の男。他の者と違って、その仮面には目の部分がある。

 熊のような男は再びナイフを繰り出す。続けざまに迫る刃を、ネトナは素早く避けていくが、横から別の気配を感じて、ぶんと剣を振り回す――。

「子供か?」

 剣で弾いたのは、ずいぶんと小柄な黒装束だった。仮面は被っていない。艶やかな赤毛が見えた。その顔立ちはまだ幼く、間違いなく子供であったが、両手に握っているのは、すでに血にまみれた大ぶりのナイフだった。

 と、その隙を、熊のような男が狙う。

 ネトナは向き合わなかった――アーゼが割り込んだからだった。アーゼは熊のような男のナイフを弾けば、その身体に蹴りを入れて退かせる。

 気付けばあたりに漂う血の臭いは濃くなっていた。夜が迫る中、地面は血により黒々と染まり始める。動かなくなった仲間が何人か。対して倒れている敵はほとんどいない。

「五点の片方だ」

 突然幼い声がした。まさしく、まだ幼さを残している赤毛の少女から、発せられたものだった。

「いま何点?」

「……六点です」

 少女が尋ねれば、熊のような男が答えた。すると少女かすかに得意げに、

「あたし、九点」

「……貴様ら、何者だ。『遠き日の霜』の者か?」

 淡々と会話をする二人に、ネトナが怒声に似た声を浴びせる。

 熊のような男と少女はしばらく答えなかった。やがて答える代わりに、同時に飛びかかってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る