第六章(04) 『千華の光』でもほんの一握り

「奴らよりも先に、グレゴを捕獲する」

 次の日の朝、ネトナが騎士団員を集め、今後の目的を伝えた。

 片側の目に眼帯をつけ、もう片側の目に鋭い闘志を宿した彼女は、腕を組んで続ける。

「奴らの目的は、グレゴを回収し、研究を続けること……我々が先に捕獲し、奴らの目的を阻止する」

 一部の騎士団員の顔に、不安の表情が滲み出た。ネトナはそれを悟ったのだろう。

「幸か不幸か、我々にはまだ、奴らから渡されたグレゴ沈静化の魔法薬がある……ひとまずはそれで弱らせ捕獲し……その後のことは、我々に新しく加わった魔術師達が処理をする」

 ネトナは騎士団員達を見回し、改めて続ける。

「簡単なことではないのは十分にわかっていると思うが……しかし、我々はやらなくてはならない」

 ――『風切りの春雷』騎士団にはいま、グレゴ沈静化の魔法薬とともに、二体のグレゴの情報が残されていた。

 一体は『白の花弁』地方に潜むもの。そしてもう一体は、この『赤の花弁』地方にいるとされるもの。

 ネトナは『遠き日の霜』から逃れると同時に、この『赤の花弁』地方にいるとされるグレゴを目指して、ここまで騎士団を進めていたのだった。

 しばらくはこの無人街で休息を取り、体勢を整えた後、そのグレゴを討伐しに行くこととなった。ある騎士団員は傷を癒し、ある騎士団員は武器の手入れをする。また手合わせをする者もあれば、命を受けて周囲の探索に出る者や、食料となる獣を狩りに行く者もいる。

 パウもメオリと摸擬戦を行っていたが、そこに声がかかった。

「魔術師の諸君! ちょっと僕のお仕事手伝ってくんない?」

 副隊長である、エヴゼイだった。

 連れてこられたのは彼のテント。他のテントに比べて大きく、妙な魔法機材も並ぶ中、テーブルの上には、魔術師にとっては見慣れた白水晶が籠に盛られていた。

 この白水晶は、魔法石――特に治癒の魔法薬を作るのに使われるもの。

 かくして、パウとメオリは、エヴゼイの魔法薬作りを手伝うこととなった。

「んぐぐ……」

 ……水晶一つを両手で握るメオリは、ひどく顔を歪めていた。傍ら、テーブルの上では、シトラは不安そうに、そして不憫そうに主人を見上げている。

 ようやくしゅるしゅると、彼女の握る水晶が「解け」はじめた。煙のように解け、そのまま真下にあった小瓶の中へと蛇のように入り、すでに中を満たしていた透き通った水と混ざり合う。煙と化した水晶全てが水と混ざり合えば、メオリは次に、両手を小瓶に添える。中の水が輝き出す。

 ここまで来れば、魔法薬は九割はできている状態だが、メオリはまたしても険しい顔を浮かべて仕上げに難儀する。シトラがぴいと鳴いていた。

 彼女がようやく魔法薬一本を仕上げたのは、それからしばらくしてのことだった。肩の力を抜いて、新たに完成したものをテーブルの奥に並べる――これでようやく三本目。

「お前、魔法薬作りはだめだめなんだねぇ」

 隣でエヴゼイがけらけらと笑った。彼の前には、仕上がった魔法薬がすでに五本並んでいる。

「……『千華の光』なのに?」

 そう言ったのは、エヴゼイのテントの前を通りがかった際、パウとメオリがそこにいたために入ってきて様子を眺めていたアーゼだった。目を丸くするものの、眉を顰める。

「魔術師にも得手不得手があるんだよ……」

 メオリは悔しそうに言い捨てて、次の水晶を握る。それでも怪訝そうな顔をするアーゼに、エヴゼイが説明する。

「魔法って言ってもいろんな分野があるからさぁ。メオリは多分、使い魔の扱いは一流だからこそ『千華の光』になったんだろうねぇ」

「『千華の光』って、単純に優秀な魔術師に与えられるものじゃないんだな……」

「優秀な魔術師に与えられる地位と称号であることは確かみたいだよぅ? メオリとは逆に、魔法薬作りだけが得意な奴もいたらしいし、攻撃魔法だけが得意な奴もいたらしいし。むしろそういう奴の方が多いんじゃないの? 何でもできる奴はきっと『千華の光』でもほんの一握り……」

 そこでちらりと、エヴゼイの黄緑色の瞳がメオリの向こうを見つめた。それまでのエヴゼイの話を聞いていたアーゼも、はっとして彼と同じ方を見つめる。

 ――ことりと置かれたのは、十三本目の完成した魔法薬。その蓋のコルクに、青い蝶がとまる。

 パウはまた水晶一つを手に取れば、十四本目を作りにかかっていた。苦労している様子も、疲弊した様子も一つもない彼は、やっと視線に気付いて振り返る。

「こいつは色々規格外だから……比べないでほしい」

 メオリが肩を竦める。エヴゼイはパウの作った魔法薬を手にとれば、まじまじと見つめていた。

「作るスピードも速いし、質もいいねぇ……グレゴのことは、本当なんだなぁ」

 その言葉にパウがぴたりと作業を止めてしまったものだから、エヴゼイが慌てて「ああごめんごめん、変な意味で言ったわけじゃないんだよ?」と謝る。

「別に気にしてない……事実であるし」

 パウは作業を再開する。と、赤い瞳がエヴゼイの作った魔法薬を捉えた。

「メオリはまあおいといて……あんたも質のいい魔法薬を作れるんだな。随分と腕のいい魔術師だな……いや魔法道具師だったか」

 魔術師に関しててんでわからないアーゼが、メオリに耳打ちする。

「……なあ、魔法道具師ってそもそも何だ? 魔術師と何か違うのか?」

「魔法道具師は、名前の通り魔法道具を作るのに特化した魔術師さ……魔力の出力量がかなり小さい関係で、攻撃魔法をはじめとした普通の魔法がほとんど使えないけど、細かなことはとても得意だから、そういった技術が必要な魔法道具作り専門の魔術師になるんだ」

「ま! 僕は正しくは『魔法道具師もどき』だけどねっ! デューに行ったことないもの!」

 そこでエヴゼイが誇るように両手を腰に当てた。その言葉に、やはり意味が分からないアーゼはもちろん、パウとメオリもきょとんとして彼を見た。

「……あんた、デューの魔術師じゃなかったのか」

 最初に口を開いたのはパウだった――魔術師や魔法道具師というのは、デューでの学びを得てなるもの。デューでの学びを得ずに魔法を扱えるようになった者を、デューは『もどき』と呼んでいたのだ。

 つまり、デューで認められなくては「魔術師」とは言えない。

「えっ? じゃあどうやって魔法道具師に? 独学なんかじゃないですよね……? ていうか普通、魔力を持っていたのなら、デューで学ぶはず……」

 次に口を開いたのはメオリ。するとエヴゼイは自慢げに笑ったのだった。

「独学じゃないよ? 元魔法道具師だったおじじに教えてもらったんだぁ。いやぁ僕のおじじ、大昔にやらかしちゃってさ、『魂削り』されてデューを追い出された身なのさ」

 ――その時アーゼは、デューの魔術師二人の顔が青ざめたのを見た。

 二人の手が止まる。それに気付いているのかいないのか、エヴゼイは胸に手を当て、続けたのだった。

「それから月日が経って孫の僕が爆誕してね? 幸い頭や精神に問題がなかったおじじは、才能があった僕にあれこれ教えてくれたわけさ! デューに送らずにね!」

 エヴゼイは変わらずニコニコとしているが、魔術師二人の表情は暗く、アーゼは聞こうにも聞き出せなかった。

 やがてそれぞれ魔法薬作りに戻るが。

「――パウ。あんた、言ってたな。デューの上層部の魔術師に会ったら、全て話すって」

 隣にいるパウ以外には聞こえない程の声で、メオリが囁く。

「デューは陥落した。でも、もし再建して、その時にあんたに何かしらの罰が与えられるとするなら、多分……」

「『魂削り』の可能性が高いだろうな……」

 パウはもう、表情を変えなかった。淡々と答える。

 十四本目の魔法薬が出来上がっていた。それを完成品の列にまた加えれば、ミラーカがふわりと舞ってパウの肩にとまった。

 メオリは表情を固くしたままだった。

「その時は……その時だ。俺はどんな罰でも受けると決めた」

 メオリに対して、そう小さく微笑んだパウはひどく落ち着いていた。

「……パウ」

 肩の上で、ミラーカが名前を呼ぶ。

 ――ミラーカとの約束は、まだ誰にも話していない。

「やることをやるまでは、そうはさせないつもりだけどな」

 そこで唐突にぱっとテントの出入り口が開いた。外の光が差し込む。

「――魔法薬作りの調子はどうだ、エヴゼイ」

 光の中に立っていたのはネトナだった。テントの中に入ってくれば、メオリとパウ、そして出来上がっている魔法薬に視線を向ける。

「お前達も作っていたのか。魔法薬は応急処置ではあるが、これで助かる命もある……」

「――あっ、そうだ、ネトナちゃん! 僕ひらめいちゃったんだけど……」

 不意にエヴゼイがネトナへと寄った。テントの中にいるほかの皆に背を向けて、二人は小さな声で何か会話する。終わって、ネトナが少し怪訝そうな顔をしていたものの、その鋭い瞳が一番奥にいたパウを一瞬捉えて、彼女は外へと出てしまった。

 間もなくして、ネトナは戻ってきた。その手に魔法薬を手にして。

 どうやら打ち込むための魔法薬らしく、奇妙な形の瓶に入れられていた。専用の道具で対象に打ち込むのだろう、それにしても、薬自体の量は多くないものの、奇妙な瓶に入れられたその姿は、大砲に使う小さな弾を思わせる。

 ネトナはそれを、パウの目の前に置いた。

「これは奴ら……『遠き日の霜』から渡された、グレゴを大人しくさせるための魔法薬だ」

「これが?」

 パウが顔を上げれば、ネトナは頷くことなく目を鋭く細めて言葉を続ける。

「我々には、いまこれが四本ある。正直に言って、心許ない数だ……エヴゼイから聞いたが、お前はどうやら、この手のものが得意らしいな?」

 段々とネトナが何を言わんとしているのかが見えてきて、パウは口を閉ざす。しかし彼女が言おうとしていることには、リスクがあった。

「……この魔法薬を複製しろっていうのなら、まずはこの一つをばらさなくちゃいけない。使い物にならなくなるかもしれないぞ。それだけじゃない、何もわからなかったり、複製が不可能だったら……」

「その時は三本の薬で残り二体のグレゴに挑む。そしてその際に、お前に尽くしてもらうだけだ。何、貴重な三本だが、捕獲できればこちらのものだ……その蝶は、グレゴを喰えるのだろう?」

 一般の騎士団員達にはまだ伏せられているが、全てを話してあるネトナは知っている。この青い蝶ミラーカもグレゴであることを。

「捕獲をすれば、その後沈静維持のために薬を定期的に打ち込み続ける必要はないのだ……だが、捕獲成功に至るまでに使う分の薬は、多い方がいいだろう?」

 ――パウはこの魔法薬の分析を試みた。複製するためには、この魔法薬の構成を知らなくてはいけない。

 目を瞑り、集中する。水の中に潜るように、目の前のものに意識を潜り込ませる。

 うまく入れない。これは外装のためか――ぱきん、と音がして、薬を包んでいた魔法の外装が壊される。その他にも、標的に飛ぶための魔法、標的に命中した際に薬を注入するための魔法、そして恐らく魔法が作用する箇所まで流れていく魔法など、一つ一つをはがすように壊し、核ともいえるグレゴ沈静化の魔法薬に迫っていく。

 ネトナの声がする。

「以前、エヴゼイに一度試させたんだが、自分の技術では見えないと言っていた。お前なら、どうだ?」

 彼女の背後で、エヴゼイが顔をしょぼしょぼにしていたが、集中しているパウには見えない。

 ――やっとたどり着いたグレゴ沈静化の魔法薬は、ひどく複雑なもののようだった。

 なるほど、確かに見えない。しかしパウは魔力を使って、一つ一つを確認していく。

 ものの分析や魔法の分析とは、魔力で触れて確かめるようなもの。そのため、実は大量の魔力を消費するものである。けれどもパウにとって、それは問題にならない――後遺症があるにしてもなお、魔力保有量も出力量も未だ水準を上回っている。

 深くまで潜っていけば、複雑だと思われていた魔法薬の構造は、案外整然とされたものとなって見えてきた。

 そこから先に進んで、パウは思わず目を見開いた。

 ……そもそも、このグレゴ沈静化の魔法薬。初めて聞いた時にはとてもよい魔法薬だと思ったが。

 ――「グレゴ」を大人しくさせる魔法薬は、だいぶ前から存在していたではないか。

 それは一体、誰が作ったか。誰が鍵穴を見つけ、誰が鍵を作り出したか。

 ……蠅化に至る研究資料は失われたと言っていたが、こちらの資料は残っていたらしい。

「……俺の作った魔法薬だ」

 ベースにあったのは、見事芋虫型グレゴを大人しくさせた、あの魔法薬。間違いなく、パウ自身が作り上げた魔法薬だった。

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