第六章(03) 私を何だと思っているの?
「まるで火事でも迫って来たところを逃げたみたいだな……」
一軒の家から出て、パウは思わず呟いた。この家にも人はいなかった。外から進入してきた植物だけが住み込んでいた。しかしどの家も「街を捨てた」と考えるには妙なのだ、植物が覆い、また朽ちていく中、部屋は不自然に乱れていた。
それこそ、火事や盗賊に襲われたかのように。
だがどこも燃えたような跡はないし、小さくはない街故に、盗賊に皆殺しにされたとも考えられない。
まるで、ある日突然、住人が消えたかのようだった。
「こっちにも誰もいないぞ……誰か何かわからないのか?」
「いやぁさっぱり……気味が悪いな」
どこかから声が聞こえる。自分と同じく街を調べている騎士団員達だ。
何はともあれ、一通り調べなくては休むことができない。パウは次の建物へと入っていった。
そこは他の家々に比べて大きな建物で、植物の侵入も薄く思えた。杖で床をつけば、かつん、と音が響く。
「……まさか教会か?」
広々とした場には、教えを聞き、祈りを捧げるための椅子が整列していた。あまりにも珍しいものに、パウは唖然とする。椅子が見つめる先は壇上となっていて、そこに見事な絵を見つけて、口を噤む。
手入れをされず、ところどころがはげてしまってはいるものの、そこにあったのは『世界創造』の様子と『神』だった。
青い海に浮かぶ、この大陸。その上に輝く光。だがその光はまるで砂になるかのように解れていく――。
決して色鮮やかではない。緻密でもない。しかし壊れた天井、曇り空の隙間から差し込む日の光。崩れゆく中にある言い伝え。取り囲む蔦は額のようになり、人の手だけでは作れなかったであろう信仰の芸術が、静かにパウを見据えていた。
射止められたパウは、しばらく動けなかった。
……この世界に神はいない。去った。あるいは死んだ。
だから人間は自身の力で生きていかなくてはならない。
それにしても――神とは、一体何であろうか。
壁画を眺めつつ、パウはふと思う。神。世界を創った者。それほどの力があった者。そうであるのに去った者。
……一部の人間が言うには、自分達を見捨てたという者。
けれども帰還を待ち、悲劇から救ってくれることを願う者達がいる。この教会も、そういった信者によるものだろう。
いってしまえば異端者のものであり、この美しい壁画も馬鹿馬鹿しいものだ。しかしパウには、そうは思えなかった。
青い光が、壁画をまじまじと眺めるかのように舞っていた。
――壁画に描かれた光よりも、ずっと美しい、その青色。
「神に近付く、なんて、まるで子供みたいよね」
唐突に声がした。パウが瞬きをすれば、青い光は消えていた。
「それで新世界なんて創って、その後はどうしたいのかしらね。それで、何が手に入るんでしょうね?」
声は響かない。かつん、と響いたのはパウの足音だけ。
振り返れば、青い髪に青い瞳の少女が、長椅子に腰をかけていた。
「――ミラーカ! 大丈夫、なのか……?」
彼女がこうして目の前に現れたのは、巨大魔力翼船での戦いの後以来だった。蝶の姿では普段通りひらひらと羽ばたいているものの、口数が少ないことに、パウは気付いていた。だから何かあったのではないかと、少し気にしていたのだ。
「あなたこそ大丈夫なの? まだ病み上がり気味のくせに、特訓なんて意気込んで」
ミラーカは前の席の背もたれに頬杖をついた。
「あまり勝手にされたり、無理をされると困るのよ……前にも言ったでしょう? それから私、この前あなたが無茶したこと、まだ少し怒ってるのよ」
それで最近は口数が減り、姿も現さなかったのかと察する。
「病み上がりで、特訓に意気込んで消耗しているところを襲われて……なんてなったら、あなたはまた無茶をするでしょう?」
そしてまた負けるのよ。
深い青色の瞳は、神秘的にも鋭利にきらめいてパウを貫く。
――だからこそ。
「……でも俺は、ベラーに勝たないといけない」
また負けるかもしれないからこそ。
いまは強くなりたかった。
「特訓はほどほどにするさ。いまのままじゃ、だめなんだ、俺は。もっと腕を磨かないと……」
パウはまっすぐにミラーカを見据えた。赤い瞳が、青い瞳と衝突する。
「俺はお前を手伝わなくちゃいけない……もう失敗は、したくないんだ」
約束したのだ。そうであるのに、迷惑をかけてしまった。
実力不足だったのだ。
「あの時は……本当に悪かった」
思い出して、パウは視線を床に落とした。まるでこうべを垂れているようにも見える彼に、ミラーカはどこか不満そうな顔を浮かべていた。数秒言葉を探して、彼女は溜息を吐けば立ち上がる。
「相手が悪すぎたのよ」
パウの隣を通り壇上に上がり、壁画の前まで進めば、眺めてまたつまらなさそうに溜息を吐く。振り返れば、
「負けたことに関しては……怒ってないわ」
――その時、パウが悲しむかのような、けれどもかすかに笑ったかのような顔を、ミラーカは見逃さなかった。
どこか安心したかのような、許しを得たかのような顔で、パウはミラーカを見上げていた。
「……次にあいつにあった時は、必ず勝つ」
誓いの言葉はせせらぎのように柔らかで、しかし意志は燃えていた。
「勝って、お前の復讐の一つを終わらせるから」
片方しか見えない赤い瞳は、しっかりとミラーカを見上げていた。彼女と、その背後にある壁画を。
……ミラーカはしばらくのあいだ、また言葉を探して黙っていた。緩い風が吹いて、青い髪を揺らし、きらめかせる。パウの紫色のマントも波打つ。
「……私は見つけてと言っただけよ」
やがてミラーカが何度目になるかわからない溜息を吐いた。
「殺して欲しいとまでは言っていないわ」
「……お前の前に差し出せばいいのか?」
はっとしてパウは一瞬焦るものの、ミラーカは笑わずによそを見て、
「でも、それでもいいわ。自分の手で殺してやりたかったけど、好きにすればいい……あなたもあいつに騙されていたわけだしね」
――そこでようやく、パウはミラーカの本当の異変に気付いた。
思い返せば、彼女はよく笑っていた。しかしいまは少しも笑っていない。
どこか投げやりで、苛立たしげ。
「ミラーカ……お前やっぱり、どこか悪いのか?」
復讐したいと願う相手に会ったものの、相手はかつてひどく彼女を傷つけた者なのだ。それだけではなく、言葉通り彼女は一度散った。たとえ身体の方に問題がなくとも、それ以外に問題があってもおかしくはなかった。
パウはそれを心配したけれども。
「――パウ」
ミラーカはパウの前に立てば、まるで覗き込むかのように見上げてくる。
彼女の唇が何か言葉を紡ごうと震えた。しかし声は出ず、またしばらく彼女は悩んだ後に、
「あなたは、私を何だと思っているの?」
意味がわからなくて、パウは何も答えられない。そこにミラーカは更に、
「あなたのその目……好きじゃないわ――」
――夢が弾ける。
明朗な声が響く。
「パウ! ここにいたか!」
瞬きをしてパウが振り返れば、アーゼが教会に入ってきていた。パウは慌てて正面を見るものの、そこに青い少女の姿はもうない。
「うわぁ……まさかこれ、神様とやらの帰還を願ってのものか?」
入ってきたアーゼは、壁画にぽかんと口を開けている。どうやら、ミラーカの姿を見てはいないようだった。
「……この街、妙に森の中に入ったところあるし、変だなとは思ってたんだよな。まだ帰還を信仰している人間によって作られた街だったのかもな」
そうして壁画を眺めるが、彼は我に返って。
「ああ、この街の事情を知ってる人がいたんだ」
「……誰か住んでたのか?」
「いや……たまたま近くを通りかかった商人だ」
――騎士団のもとへ戻れば、見慣れない幌馬車が一つあった。
「盗賊かと思ったよ。なるほど、あんた達が、巨大蠅を退治してくれる騎士さん方だったか!」
この森を抜ければ、次の街への近道になる――そう知っていた商人の老婆は、ネトナの説明を聞いて安心したようだった。そしてこの街について、説明する。
「……この街はねぇ、十年以上前から、無人だったんだよ」
かつてはちゃんと人々が生活していたという。しかし「神への信仰」が残る街故に、あまり他の街との関わりがなく、また訪れる人も少なかったという。
老婆は、それでもこの街に商売をしにくる者の一人だったという。相手が異端者とされる者であっても、商売相手としての問題はなかった。
ところが、ある日この街を訪ねてみれば、住人が一人もいなくなっていたという。
「神は帰ってくる、なんて信じて祈ってるけどねぇ、人は人だよ。だからね、一応デューに伝えておいたのさ、変なことが起きてるってねぇ……ただ、まだ解決してないみたいだ」
いまはもうそれどころじゃないしね、と老婆はエヴゼイからもらった茶をすすりながら笑う。
「ま、あたしも気になるからちょっと調べてみたけどね、よくわからないんだ……ここから何人もの人間を連れ出す盗賊を見た、なんて噂もあったけど、下手な嘘だとしか思えないしねぇ」
――老婆は一通り説明すれば、幌馬車に乗って去っていった。いまは商売のために旅をしているわけではなく、巨大蠅騒動や魔術師達の分裂、デューの壊滅などで混乱する世の中、後悔する前に愛する故郷に戻りたいと、馬を進めているのだそうだ。
「――というわけで、何かやばいものが潜んでたりするわけじゃないみたいだねぇ」
老婆が去って、エヴゼイが野営の準備をし始める。
「安心して過ごしても問題ないでしょう! 警戒は怠るべきじゃないけど! 僕の方でもあれこれしておくからさ……はーいみんな、おつかれさーん! 長旅終了、しばらくはゆっくりしようなっ!」
騎士団達は廃墟と化した街の広場を野営地と決めた。それぞれの組がテントを立て始める。
「パウ、テント立てるの手伝ってくれ」
アーゼに呼びかけられる。この旅の中、パウはアーゼと過ごすことが多かった。すぐに向かおうと、パウはそちらに足を向けるものの。
――グレゴはどこからともなく現れる。まるで自然現象のように。
それは、かつて騙されて教えられた、芋虫型グレゴについてのこと。
足が止まって、息も止まる。
――思い返せば、あれだけの大量のグレゴ、研究所の魔術師達はどこから連れて来たのだろうか。
否。厳密に言えばあそこにいたのは「芋虫型の怪物」ではなく――。
「――何に気付いた?」
冷ややかで、凛とした声がする。はっとしてパウが顔を上げれば、隣にはネトナがいた。瞳だけをこちらに向けている。
「何がわかった?」
女騎士の慧眼は、パウを捉えて放さない。
黙っているのを、パウはもう止めていた。
「……この規模の街の人間全員が消えるなんて、おかしなことだ。まして、デューが十年以上原因を解決できてないとなると、もっと有名な話になっているはずだ」
「それを『千華の光』であるお前やメオリは知らなかった……と。それで?」
「もうわかってると思うが……『遠き日の霜』には、デューの上層部もいる」
「……都合の悪い情報を隠すことができる、ということか」
そして最後のパウの言葉は、決して震えはしなかったものの、畏怖と怒りが溶け込み、低くなった。
「――グレゴ研究所には、大量の芋虫型グレゴがいた」
正しく言えば、人間。
腕を組んだネトナは、唇を固く結んでいた。
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