第六章(06) 師匠の仇をとらなくちゃいけないから
黒衣の熊男と、赤毛の少女――オレガリオとゼナイダは二人とも、ネトナを狙った動きだった。しかしオレガリオの方は、アーゼがまた割りいって、そのナイフを受け止める。
ところが今度はうまくいかなかった。受け止めきれず、アーゼは吹っ飛んだ。そこへ、オレガリオはその図体からは考えられない素早さで、アーゼへ迫る。ナイフの切っ先が、胸を狙う。
けれどもアーゼは、手放さなかった剣を滑らせて盾にした。そのまま地面に転がってしまうものの、流れるようにして起き上がれば、再び襲いかかってきたオレガリオの攻撃を避けつつ、反撃の機会を窺い目を光らせる。
一方、ネトナも赤毛の少女ゼナイダの隙のない攻撃を避け続けていた。まるで舞うかのように大ぶりのナイフを振るう彼女の瞳に迷いはない。すでに何人かの仲間の命を奪ったのだろう、ナイフが振るわれる度に、その刃が纏う血が飛び散る。
幼いながらも間違いなく殺しの達人であろう彼女を前に、しかしネトナは戸惑わなかった。隻眼を鋭くさせ、ナイフの動きを確実に捉え、避け、または大剣で防ぐ。そして反撃に出るものの、少女はひらりと避けて、再びナイフを振るってくる。
と、ナイフの刃がかすかにネトナの髪に触れた。ほんの何本かであるものの、金糸がはらりと散った――緩やかであるが、ゼナイダの刃はネトナを捕らえ始めていた。
対してネトナの大剣は、またしても避けられてしまう。斜めに切り上げるものの、ゼナイダは身を退いて避け、その勢いを持ったまま、飛びかかってくる。ネトナはそれをまた大剣で弾くものの。
……すぐ近くで悲鳴が上がった。ネトナの鋭い瞳が、追いつめられつつある騎士団員一人を捉える。彼の手から剣が離れ、無防備になった彼の胸に、黒装束のナイフの切っ先が向かう――。
「――退け!」
鉄と鉄のぶつかる音がした。ネトナが割り入り、その大剣で黒装束のナイフをはたき落としていた。仲間にそう叫びつつ、そのまま剣を滑らせ、敵を薙ぎ払う……やはり斬れた感覚はないものの、敵は吹っ飛んだ。
「謝る暇があるならさっさと立て!」
その仲間はいくらか負傷していた。ネトナが怒鳴れば、彼は身体を引きずるようにして下がっていく。
「誰かを助けてる余裕なんてあるの?」
幼い声が、鋭利な輝きと共にネトナに迫る。とっさにネトナが身をよじって避ければ、すぐそばをゼナイダが飛ぶようにして通り過ぎていく。と、ゼナイダは宙で身を翻し、樹を蹴れば、またネトナへと飛ぶ。
「――お前も随分余裕そうだな」
そんなゼナイダへ、ネトナは。
――ナイフの刃を避けつつ、片手を伸ばしたのだった。
掴んだのはゼナイダの服。驚いたゼナイダが目を丸く出来たのも一瞬だけで、ネトナは掴んだ彼女を地面に叩きつけた。
ふっ、とゼナイダは息を吐く。しかし次の瞬間にはネトナの手から抜け出し、地面を転がり大剣を避ける。そして起き上がり、体勢を整えたものだから、ネトナが改めて対峙すれば。
――ぎん、と、銀色が宙を舞った。
それは、オレガリオと刃を交える、アーゼから。
はっとしてネトナの瞳がアーゼへ向けられる。顔をひきつらせた彼の姿が見えた。
その手が握る剣は、折れてしまっていた――宙を舞った切っ先が、地面に突き刺さる。
だがその時、鷹の鳴き声が空に響いた。愕然とするアーゼに迫ろうとしていたオレガリオの前、一閃が走りアーゼを守る。光は宙で羽ばたき、金色の瞳をぎらつかせる。
シトラ。そして。
「状況は良くないみたいだな……あんた達、魔術師? それとも……?」
街の奥の方から、メオリが姿を現した。
「……魔術師だ。例の魔術師じゃなさそうだけど」
ネトナと対峙していたゼナイダが、メオリを見据える。その隙にネトナがアーゼを掴み、下がったものの、ゼナイダは気にしなかった。
オレガリオも気に留めない。上空で羽ばたくシトラを見上げる。
「使い魔を連れた魔術師ですか……五点でどうでしょう?」
「そんなに高くしなくていいよ。使い魔使いの魔術師だし……でもサービスポイントってことで五点でもいいか」
悠長に話す黒装束を前に、メオリは眉を顰める。
「あいつらは……?」
「油断するなメオリ、普通じゃない……何かがおかしい」
そう苦い顔をしたのはアーゼだった。ネトナも敵を見据えつつ、
「『遠き日の霜』が関係しているのなら……魔法で何か強化しているのかもしれない」
「――メオリ?」
と、不意に、はっとしたようにオレガリオが顔を上げた。そして。
「……ああ、聞き覚えがあると思えば、あの老体が言っていましたっけ?」
「何の話? わかんない」
ゼナイダが首を傾げれば、オレガリオは「ほらあの」と続ける。
「ゼナイダ様、戦ったでしょう? 虎を連れた老魔術師と……」
――静かに、メオリの顔から血の気が引いていく。けれどもオレガリオは気付かず、ゼナイダも首を傾げている。
「それ、あたしが勝ったゲームだよね。それは憶えてるけど、何か言ってたっけ?」
「言ってましたよ、私も詳しいことは憶えてないですけど……おそらくこの魔術師は、あの老体の弟子でしょうね。使い魔を連れていますし……」
「……じゃあやっぱり三点にしよう。弱いよ。あの虎と魔術師だって弱かったもの――」
――猛禽の、怒りに満ちた叫びが轟いた。刃物と化した羽ばたきは赤毛の暗殺者へ流星のように降り、けれどもゼナイダが身を翻して避けたために、復讐は叶わなかった。
だからメオリは、より橙色の瞳をぎらつかせる。
「……『掃除屋』。『掃除屋』だろ? スキュティアが言ってた……師匠を殺したのは『掃除屋』だって」
その剣幕に、アーゼは息を呑んでメオリを見据えた。異変にネトナも、一瞬だけ眉を顰めた。
伸ばしたメオリの腕に、シトラがとまる。
「……あっちの赤毛、私が相手をする。師匠の仇をとらなくちゃいけないから――!」
手を上げれば、使い魔の鷹が光を帯びて羽ばたいた。そしてメオリの姿は瞬間移動魔法で消える。
かすかにゼナイダが目を細め、身構える。次の瞬間、彼女の真後ろにメオリは現れた。そして放ったのは光球。だがゼナイダは表情一つ変えず、まるで蛇のように身をよじれば全て除け、メオリへと踏み込む。
ところがそこに、シトラの急襲が襲い掛かる。メオリへ跳びかかろうとしていたゼナイダは、退かざるを得なかった。使い魔の鷹が大きく羽ばたけば、その羽ばたきを刃となって標的へ降り注ぐ。
ゼナイダはナイフを使ってすべての刃を弾いたものの、挟み撃ちをするかのように迫ってきたメオリの光球を避けることはできなかった。正面から迫ってきたかと思えば、くるりと背に回ってきた光球は爆ぜ、ゼナイダの小さな身体が衝撃に揺れる。だが彼女は倒れることもなく、声を漏らすこともなかった。光の刃に乗じるようにして向かってきたシトラをも、大きくナイフを振りあげて弾く。
「……うるさいなあもう、弱いくせに」
ゼナイダは高くに上がったシトラを、面倒くさそうに眺めていた。メオリが再び手に魔法陣を構えているものの、そちらを一切見ない。
ただ深く、溜息を吐いて。
「――魔法、意味ないよ」
次の瞬間、メオリは魔力で作り上げた水晶を放っていた。殺意を宿した水晶はまっすぐに標的に向かい、だが。
――標的の身体に触れる前に、弾けた。
……まるで時が緩やかになったかのような一瞬の間。メオリは唖然として目を大きく見開いていく。その間にも、上空にいたシトラは、標的めがけて嘴を刃物にし、落下していく。
その、シトラでさえ。
――光が弾けた。まるで弦楽器の弦が切れたような、気味の悪い音が響いた。
ゼナイダは変わらず鷹を見上げていた――身体の半分ほどが粘土のように崩れ始めた、使い魔の鷹を。
使い魔とは魂の一部。故に使い魔の痛みは、主にも伝わる。
……まさに身体が砕けるかのような痛み。息をもできない痛みに耐えられなかったメオリは、悲鳴も上げることもできず、ぐらりと傾く。
そんな彼女へ、ゼナイダはたん、と地面を蹴って、跳びかかって。
大ぶりのナイフが狙うは、心臓。
銀の刃が深々と胸に刺さり――噴き出す血を纏って、引き抜かれる。
「メオリ―――!」
アーゼの悲鳴が響いた。女魔術師の身体は地面に転がり、血の海を広げていく。赤色は近くに落ちた鷹をも染めていく――。
「待て、アーゼ!」
ネトナが制止の声を上げるものの、アーゼは折れた剣を手に、メオリへと駆け出していた。メオリの身体を抱き上げるが、そこに迫るはオレガリオのナイフ。
舌打ちをしたネトナは、アーゼに迫るオレガリオを追って踏み出す。剣を両手で握る。
――唐突に、上空で光が弾けた。かと思えば、巨大な水晶いくつもが降ってくる。
それは誰を狙ったものでもない。あたかもアーゼとメオリを囲むようにして、並んで地面に突き刺さる――壁を作る。
オレガリオは壁に阻まれ、その場で止まるしかなかった。ネトナも突然の魔法に動きを止める。
動いたのはゼナイダだった。ナイフで殴るように水晶を叩けば、水晶は砕ける。
――水晶の壁。メオリとアーゼの間に立っていたのは、パウ。
「――例の魔術師と青い蝶!」
青い蝶を連れた、紫色のマントの魔術師を前に、ゼナイダの銀色の瞳が爛々と輝いた。対してひどく険しい顔をしたパウは、懐から素早く紙切れを取り出せば頭上に掲げる。
エヴゼイから預かってきた魔法道具の一つ。魔法道具だからこそ出来る、規模が大きく、複雑な瞬間移動魔法を発動させる。
紙切れが解ける。何本もの細い糸となって『仲間』と判断した者に絡みつく。
それはゼナイダもオレガリオも、他の『掃除屋』も動けない一瞬の出来事だった。全ての『仲間』と結びついた魔法道具は、所定の座標へ、全員をこの場から移動させる。一瞬で『風切りの春雷』騎士団の姿が消える。生者も、死者も。
「……逃げましたね」
残されたのは『掃除屋』だけ。オレガリオがそう言って街の奥を見れば、まるで風景に絵を描いていくかのように、奇妙なドームが作られつつあった。張り子のようである。細い糸がぐるぐると形を作り、紙切れがそこに張り付いて壁を作っていく。
魔法道具によるバリアであると、一目でわかった。
「追いましょう、ゼナイダ様。ああ、また差をつけられてしまいましたね。あなたはこれで十二点。私は六点……」
「違うよ、オレガリオ……あたしも九点のまま。殺し損ねたから」
颯爽と歩き出したゼナイダは、眉間にしわを寄せていた。
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