第六章(11) お仕事できない子だと困るのよ


 * * *


 ――身体を流れる銀の血から、映像が、感情が、伝わってくる。

 それは仲間である『掃除屋』のもの。ある者は任務を最後まで遂行できなかったことを悔い謝り、またある者は己が仕える魔術師達をたたえ、死んでいく。

 その果てに、銀の血が、また波打つように流れる。

 ――オレガリオまで負けちゃったか。

 ……ゼナイダは決して言葉にしなかった。かすかに目を細めて、しかし立ち向かってきたアーゼの剣を払えば、そのまま彼を路地の壁に叩きつける。

 そうしてできた道を駆け抜け狙うは、紫色のマントの魔術師。

 お母さまのお願いを、叶えなくてはいけない。

 たとえ一人でも、任務を遂行しなくてはいけない。

 そもそも――『掃除屋』とは多人数でもあり、一つの存在だった。

「パウ、逃げろ!」

 なんとか立ち上がったパウに、アーゼは叫ぶ。自らの怪我も気にせず剣を握れば、ゼナイダの背中へ迫った。

 そこへ、銀色の輝きが襲い掛かった。

 あたかも霧や雲のような。あるいは羽虫の群れのような。それがアーゼを激しくなぶり、地面に押さえつけた。

「まさか……血か!」

 正体に気付いてパウが叫べたのも一瞬。その刹那に、ゼナイダは距離を詰めていた。気絶を狙っての、ナイフの柄での殴打。ところがパウはわずかにしかない魔力全てを使って、瞬間移動魔法でその場から消える。少し離れた場所に姿を現すが、すぐさまゼナイダは跳ね、襲い掛かってくる。

 もう瞬間移動魔法を行使する魔力は残っていない――とっさにパウは杖でゼナイダの攻撃を弾こうとしたが、逆に弾かれてしまった。ひびが入った杖はくるくると宙で回転し、地面に落ちていく。

 それを目で追う間もなく、銀の群れがパウに襲い掛かった。身体を大きく弾く。

 そうしてパウが突っ込んだ先は――教会だった。

「――ああ大変だ、戦える人、守りに向かってぇ! 医療班は重傷者を連れて下がれ!」

 教会で怪我人の手当てをしていたエヴゼイが叫んだ。すぐに騎士団員達は動き出す。治療を行っていた者は怪我人を連れて下がり、最初にエヴゼイと共にここに来たのだろう、まだ負傷していない何人かが、剣を抜く。

 壁に開いた穴の前、瓦礫に沈み込むように倒れたパウは、衝撃に気を失っていた。外からはまだ何も侵入してこない。

 そこで一人の騎士団員が近寄ったが、外から、銀色の光が矢のように駆け抜け、彼の頭を貫いた。

「……そういえば何点だったっけ。でも、オレガリオ死んじゃったから、もう私の勝ちか……つまんないの」

 銀色の雲を連れて、赤毛の少女が教会に侵入してくる――ゼナイダは何人もの負傷者を一瞥すれば、溜息を一つ吐いた。

 すぐさま騎士団員数人がゼナイダに迫る。けれどもゼナイダは、手にしたナイフを構えることもなく、彼らを睨みつけ。

 ――銀色の雲が蠢く。『掃除屋』の血でできた雲。その中で銀色が瞬時に凝固し、いくつもの水晶が発射される。

 魔術師の行う攻撃と、同じもの。

 何人かはとっさに避けた。何人かは弾く事に成功した。しかしゼナイダに切りかかろうとした半数は、その銀色に刺突され、あるいは貫かれた――そして銀色の水晶は、蒸発するようにまた雲となり、ゼナイダのもとへ戻っていく。

 そしてゼナイダは、間を置かなかった。銀色の水晶から逃れた者達へと斬りかかる。たん、と地面を蹴れば、舞うように一人の喉笛を切り裂いた。そのまま流れるように次の一人へナイフを構えたが、剣に弾かれてしまう。しかし素早く再びナイフを振るい、その身体に深く赤色を刻み付ける。

 騎士団員達は、ゼナイダに一つも傷をつけることができず、次々に倒れていく。赤毛の少女は、ただ無表情で、淡々と作業をしているようだった。

 と、その瞳がわずかに見開かれる――背後に気配を感じて。

 ――ゼナイダの背後には、忍び寄っていたエヴゼイの姿があった。電撃を帯びた枝を握っている。

 ところがその姿は、突如蠢いた銀色の雲に弾き飛ばされてしまった。エヴゼイは教会の壁に叩きつけられる。気を失っていなかった彼は、敵を見据えたが。

「なるほど……そういう仕組みだったのかぁ、魔法が効かないって……」

 苦笑いを浮かべて杖を投げ捨てた――いまの接触で理解したのだ。そして杖が「振動」によって壊されたことも。

 ネトナの大剣ほどに丈夫な魔法道具なら耐えられるかもしれないが、決して簡単に作れない。いま自分の手元に、それほどの強度をもった物はない――頭から血を流しながら、エヴゼイはより苦い顔をする。

 一方、ゼナイダはもう攻撃を仕掛けてこなかった――襲いかかってきた者達全てを無力化し、足元には目標の一つである魔術師が転がっていたために。

 ちらりと見て、うっかり殺していないこと、気絶しているだけであるのを確認する――生きて連れて行かなくてはならない。この魔術師と、青い蝶を。

「……」

 と、ようやく気付いて辺りを見回す。青い蝶の姿が見えない。

「――パウ」

 鼓膜を震わせたのは、かすかな声。それをゼナイダは聞き逃さず、瞬時に位置を特定する。

 銀色の雲がうねる、凝固する、細い水晶が暗がりに放たれる。

 悲鳴は聞こえなかった。代わりに、青色が瞬いた。

 ――壁を見れば、青い蝶があたかも標本にされたかのように、銀色の水晶に貫かれ留められていた。水晶が消えれば、はらはらと落ちていく。

「……グレゴってことは再生すると思うけど、どれくらいの速度なんだろ」

 続けざまに、銀色の雲がうねって、ピンのような水晶をいくつも発射する。地面で蛾のようにもがいていた青い蝶の身体を更に貫く。その羽にも穴をあけ、もはや粉々にしていく勢いだった。

「『あれ』は結構早かったけど」

 やがてすっかり蝶の形がなくなれば、ゼナイダは銀色の雲を操るのをやめた。

 そうして向けたのは教会内全体――殲滅するべき者達。

 変わらずつまらなそうな、淡々とした銀色の瞳で。夜風に赤毛を撫でられながら。

 ナイフから滴り続けるのは、敵の血。漂うは銀色の雲。

 しかし。

 ――這い寄ってきたのは、冷気とも殺気とも言えないものだった。

 深淵から何かが沸き立ってきたかのような、未知の感覚。肌から感じるものも、精神的に感じるものも、全く初めてのものだった。

 故に恐怖そのものに似た何か。

 纏わりつくような、だがすでに身体の中に入り込んでしまったかのような。

 自分という存在が、潰されてしまいそうなほどの、何か、恐ろしい感覚――。

 反射的に、ゼナイダはその場から大きく飛び退いた――連れて帰らなくてはならないパウを、そのままにしてしまうほど、衝動的に。

 ……暗闇の中で、青い光が瞬き続けていた。

 教会内にいる皆が、それを見ていた。それから放たれる、次元が違うもののような、異世界からのもののような、圧倒的気配に全ての時が止まっていた。

 青い光は膨らむ。広がる。水のような動きではない。粘度の高い溶岩のようにどろどろと蠢き、まるで溺れている者が川から手を出すように、表面から何かが生えては、どろりと溶けて消えていく。

 そしてそれは、明らかに意思を持っていた。瓦礫まで迫れば、波打って、その瓦礫を呑み込む――倒れていたパウも、青い輝きに消えてしまった。

 透明度が一つもないその青色は、様々な青色に変化し続けていた。明るくなり、暗くなり、緑を帯びたり、赤を帯びたり。

 もはや全ての色を帯びた青色であり、未知の光を放ちながら、教会内に広がっていく――。


 * * *


「――間違いなく、不老不死と言っていいですね!」

 『遠き日の霜』が制圧した魔術文明都市デュー。大規模な魔法研究のために用意された一室。

 かつては人々のための魔法が研究されていたこの場所で、いま、魔法陣で作り上げた巨大な球体の前、ウィクトルは笑いながら手元の書類に記録していた。

「時間負荷をかけても一切姿が変わらないのはもちろん……物理的にも、魔法構造にも一切の変化なし! これは不老と呼んで間違いない……そしてどんなに痛めつけても死なないんだから、不老不死の生き物だ!」

 そこまで叫んで、ウィクトルは両手を上げる。

「知能の欠如と変貌がなければ完璧なのに……」

 球体上になった魔法陣の中、いるのは一匹の巨大な芋虫だった。

 元は人間。それもデューの魔術師の一人であり、賢い者だった。

 それがいまは醜い姿になり果て、かつての技術も、その知能の欠片もなく、飢えだけを抱え込んでいる……。

 こうまでなって得る「不老不死」に、意味はない。これは完璧な存在では、ない。

「……トリーツェン様ぁ、トリーツェン様は……かつてこの世界を作った神様とやらが、一体どんな姿してたか、そんなこと考えたことあります?」

 ふと思って、ウィクトルは尋ねてみる――少し離れた場所には、ウィクトルと同じく、芋虫型グレゴについて記録をとっているトリーツェンの姿があった。

「あら、急にどうしましたの?」

 尋ね返され、ウィクトルは頭をかきながら苦笑いを浮かべた。

「いやぁ……いくら不老不死の魔法を新しく組み立てたり、肉体を改造しても……どういうわけだが、芋虫の姿になっちゃうでしょう? だからちょっと思ったんですよね……これが不老不死の正しい姿なんじゃないかって」

 その言葉に、トリーツェンがかすかに顔を上げた。眼鏡の奥、瞳がウィクトルへ向く。

 ウィクトルは続けた。

「それで思ったんですよ、じゃあ神様って奴は、どんな姿だったんだろうって」

「……プラシドも似たようなことを言っていたわね。でも、あなたは本当にこれが正しい姿だと思いますの?」

 言われてしまえば、ウィクトルはより苦笑いを浮かべるしかなかった。

 目の前の巨大な芋虫は、あまりにも醜悪で気味の悪い存在だ。その上知性の一つもなく、技術もなく、まさに動物のように何か喰うだけ……。

 と、そこでウィクトルは気が付いた。

「トリーツェン様、それは……銀の血の?」

「ええ……銀の血の核、その一つよ」

 見れば、トリーツェンは小さな銀色の水晶を手にしていた。思わずウィクトルは感嘆の声を上げて、まじまじと眺めた。

 ――これはトリーツェンの、画期的な発明と言えた。

「これが、ですか……血液までも魔法道具のようにしてしまうなんて、すごいですね! 特殊な魔力で敵の魔法を無力化、でも身体にかかった魔法は対応しているから自分だけ魔法を使っているような状態になる……いやぁ恐ろしい! おまけに核を同じくする血液同士なら、ある程度の距離があっても意思疎通ができる……人間を兵器にできる道具……」

「核から最初に作られた個体……『親』であれば、『親』の血液から作られた『子』の血液を操ることもできますわよ。それこそ……魔術師のように。これは一種の魔力ですから」

 最初はここの皆に、結構嫌われた技術だったんですよ、とトリーツェンは笑う。

「でも……これが兵器を作るためのものだと伝われば、皆、認めてくれましたの」

 そこで不意に、トリーツェンの瞳が細くなった。見極めようとするかのように、銀色の水晶を見つめる。

 やがて顔を上げて、微笑んだ。

「ごめんなさい、もしかすると、ちょっと席を外すことになるかもしれないわ」

「何かあったんですか?」

「……この水晶は、ゼナイダの核なの……銀の血を宿したあの子と、密接に繋がったもの……あの子の心、あの子の命……」

 つまりゼナイダの「銀の血」はここから作られた。

 またゼナイダのその血から作られた『掃除屋』達の血は作られた。

 言ってしまえば、ゼナイダと『掃除屋』の力の根源。

「……この水晶から、あの子が恐怖しているのがわかるの。いままで恐怖することなんてなかったのに」

 トリーツェンは掌の上にその銀色を転がした。

「……『掃除屋』さん、お仕事できない子だと困るのよ」

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