第六章(08) わかるでしょう、あなたなら


 * * *


 何百羽もの鳥が、羽ばたいたような音が周囲に満ちた。

 エヴゼイの作り上げたドームが断末魔を上げていた。壁を作っていた紙は羽のように散り、空気に溶けていく。数秒の後、もうそこには何もなくなっていた。ただ濃い闇色の空だけが広がる。星の輝きはあまりにも弱々しく、月は雲に隠れて見えない。

「――皆、剣を手にとれ!」

 街の東へと向かう中、先に蠢く闇を認めてネトナが指示を出す――正面からはすでに、黒衣の『掃除屋』達が迫ってきていた。顔すらも黒い仮面で覆った彼らは、まさに闇そのもので、しかし手にしたナイフの輝きだけは冷たく鋭い。

 『掃除屋』は『風切りの春雷』騎士団員の姿を認めると、踊り狂っているかのような奇妙な動きで迫りくる。騎士団員達は怯むことなく、剣を交えていくが。

 仲間の一人の剣が『掃除屋』の身体を捕らえたのを、パウは見た。しかし『掃除屋』の身体は、その黒い服装も切れることなく、単純に払われるのみで、身を捻るように体勢を整えれば反撃にナイフを振り被る。

 まるでその瞬間だけ、剣が棒切れになってしまったかのようだった。どういう原理であるかはわからないが『掃除屋』は斬撃を受け付けない。切り傷の存在を否定する。

 ――『斬れない存在』としているのか?

 戦う仲間達から少し下がった場所で、パウは目を凝らす。そんな魔法は聞いたことないが、魔法とは未知の可能性を秘めている……。

 血の臭いが漂う。誰かの悲鳴が聞こえる。傷ついているのは騎士団員ばかりだ。苦戦を強いられている。

 このままでは、と、焦燥が胸を焼く。あの『掃除屋』の魔法は、非常に厄介だ……。

 ところで、その斬れないことや、怪物じみた動きに、『掃除屋』が何かしらの魔法の力を得ているのは確かなようだが、魔法を使っている様子は一つもうかがえない――。

「――後ろだ!」

 そこでパウは、騎士団員の背に迫るナイフを見た。とっさに手を前に出せば、水晶一つを放つ。

 煌めく魔力の水晶は、まっすぐに標的へ迫った。しかし。

 すんでのところで――水晶は砕けてしまった。

 何かに防がれた様子もない。力尽きたかのように、一瞬で消えてしまった。

 『掃除屋』が振り返ったのは、水晶が消えた直後。幸いにも、刹那の足止めにはなり得た。背後に迫った攻撃に気付いた騎士団員が振り返り、縦に剣を振るう。しかし、やはり斬ることはできない。『掃除屋』の身体はもちろん、黒衣にも傷はなく、ただ後ろに退かせただけとなった。

 ――あれは、何だ?

 魔法を弾いているわけではない。

 ――魔法を消滅させている。

「早く逃げろ!」

 魔法が効かないのであれば、面と向かって戦うことは難しい。だがパウは地面に向かって水晶いくつもを放てば、敵のナイフによって傷つき片膝をついた仲間の前に壁を作った。彼に跳びかかろうとしていた『掃除屋』は壁の出現に驚き、またその隙に、他の仲間が負傷した仲間に肩を貸し下がっていく……いま自分にできるのは、これくらいだけだった。

 それでも『掃除屋』が水晶の壁に近付けば、あたかも炎にさらされた氷のように、水晶は崩れていってしまうのだ。

 原理がわからない。「弾いている」のならわかるのだが、魔法の消滅――魔法の否定なんて。

 魔法が効かない。それだけならよかったのだ――しかしどうして、魔法無効と強化魔法がそこに同時に存在している?

 まるで。

 まるで――黒い水晶を思わせた。

 思わず歯ぎしりをして、パウは黒衣の刺客達を睨む。と。

 蠢く闇の間から、赤毛が。

 銀色の瞳をぎらつかせた少女は、ナイフを両手に、パウに跳びかかった。

 メオリを刺した、あの少女。はっとしてパウが瞬きをすれば、すでに彼女は目前に迫っていた。

 ――気持ちの悪い感覚が肌を撫でていく。

「――何を呆けている!」

 しかしそこに割り込んだのは、大剣を片手で振り回す女戦士だった。赤毛の少女、ゼナイダを弾けば、パウの前に立ち塞がる。吹っ飛ばされたゼナイダは樹の幹を蹴れば、すとんと着地して改めてナイフを構える。

 先程に比べて、ネトナはより険しい表情を浮かべていた。やはり苦戦しているらしい。

「アーゼ、殴った方がはやいぞ!」

 彼女の隻眼が、少し離れたところで『掃除屋』を相手しているアーゼに目がとまった。アーゼも苦戦しているらしかったが、その言葉を受けて、いくつか敵の攻撃を避けた後に剣で頭を殴る。すると気絶したのか『掃除屋』は倒れたが。

「敵は相当硬いらしいな……剣で殴っても、武器の寿命がより縮むぞ」

 アーゼの剣を見て、パウは苦い顔をした。アーゼの剣は、見てすぐわかるほどに刃こぼれしていた。『掃除屋』の身体がゴムでできているかのように感じるとはいえ、剣に負担がかかることに変わりないらしい――鈍器として使えば、負担は更に増すだろう。もし戦いの最中に折れてしまえば。

「何かわかりそうか?」

 ゼナイダを睨むネトナに尋ねられるものの、パウは悔しさに一瞬だけ声を詰まらせた。それでも。

「多分……あいつらは魔術師ではない。身体に魔法がかかっているか、魔法道具を使っているかだと思う……」

「その魔法がなくなれば、奴らの動きは鈍くなり、剣も通用するようになるか?」

「恐らく。でも……どうしたらいいのか、わからない。仕組みがわからないんだ。ただの魔法じゃない」 

 それを聞いた次の瞬間、ネトナはゼナイダへと走り出していた。剣を振るい、猛攻に耐え、また猛攻に出る。パウも負傷した他の仲間を逃がすべく、水晶の壁を作って敵の追撃を妨害するが。

 ――ぞくりとした気持ちの悪い感覚。鳥肌が立ちそうなほどで、悪寒にも似ていた。

 真横から『掃除屋』一人が迫ってきていた。

 パウはとっさに魔力の盾を作り出したが――それは魔術師として反射的な行動であり、悪手であった。

 相手に魔法は効かないのだから。

 ――作り出した盾はたちまち消えていった。しまった、とパウが赤い瞳を大きく見開く中、心臓を狙うナイフがゆっくり宙を滑っていく。

 ――青い波動が、柔らかく広がった。その美しさとさざ波のような見た目に反して、激しく『掃除屋』を弾けば、樹に叩きつけた。

 ミラーカだった。奇妙な波動は一波のみで、蝶はふわふわとパウの肩に留まった。

「……お前のそれは効くのか」

 ミラーカの力が「魔法」の範囲内のものであるのかは、もうパウには見当もつかない。

 蝶は何事もなかったかのように羽をゆっくりと動かしていた。

「震えてる」

 不意にそう言い出す。パウは正面を睨み、仲間を助けるべく、魔法を構えた。

「震えてなんかいない――」

 そう答えた、次の瞬間。

「――あなたが怯えてるって、そういう意味で言ったわけじゃないわ」

 世界が青く染まった。絹のように輝くも、深い青色に。

 蝶の青。音の全てが消え、世界は停止していた。

 騎士団員の表情、一つ一つが手に取るように見えた。勇ましく剣を振るう者、絶望を覚えて顔を歪める者。そして『掃除屋』の不気味な影も。

 パウの隣で、青く輝く少女が、肩に手を添えて指さす。

「ほら……わかるでしょう、あなたなら」

 ミラーカが指さしたのは『掃除屋』の一人。パウは何を言っているのかわからず、困惑するが――何か奇妙なものが肌を、そして魂を撫でていくような感覚にやっと気付いた。

 青い世界の中、感覚が研ぎ澄まされる。

「これは……」

 気持ちの悪い、振動。

「魔力が震えているのよ。奴らの魔力が」

 ふふ、と少女は微笑む。

 ――頭の中で、パズルのピースがはまっていく。

 ――魔力の震え。それは未熟な魔術師によく見られる、震え。

 本来、魔力は震えてはならないもの。震えている、ということは不安定であるということ。

 魔力が震えては、魔法は発動しない。構成が崩れてしまう。

 そしてその振動が外に広がったのならば――周囲の魔法にも影響が出ることがある。

 だから未熟な魔術師が魔法薬を作る際、魔力が震えて安定しなかったのであれば、当人が手掛けていた魔法薬だけでなく、周囲の魔法薬や魔法にも影響が出て、事故が起こりやすいのだが。

「まさか……わざと震えさせて、振動で周囲の魔法を無効化していたのか……?」

 気持ちの悪い感覚の正体がわかった。魔力の震えによる振動だったのだ。

 だがそこで、おかしなことに気付く。

 何故、震える魔力であるにもかかわらず、魔法が発動している?

 『掃除屋』には何かしらの強化魔法がかかっていることに、間違いがない。魔術師ではないようだが、どこかしらにその魔法のための魔力をそなえているのだろう。そして「震えている魔力」というのが、その魔力であるとすぐに考えられるが――本来ならば、発動するわけがない。別にそなえた魔力が原動力になっていたとしても、震える魔力が近くにあるのだから影響を受けるはずだ。魔力が震えているのなら、それを原動力に魔法を発現させることも、周囲で魔法を発現させることも、難しいはず……。

 ――あくまで難しいだけ。

 顔を歪めて、パウは改めて敵を見据える。

 忘れたわけではない。敵は『遠き日の霜』――上位の魔術師もいて、また未知の魔法技術も持った組織なのだ。

 ……『掃除屋』を強化している魔法が、魔力の震えに対応したものと考えれば、全てのピースが綺麗にはまる。

 隣で囁くような声がした。青い少女が光となって溶けて、もとの蝶の姿に戻る。そして世界の色も、時間も全てが戻り、戦場が動き出す。誰かの蛮声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。ネトナが何か指示を出している――。

 だが……仕組みが考察できたからといって、どうしたらいい。

 パウは仲間を守るべく、再び水晶で壁を作り出し、援護する。その中で考える。

 それで自分は、どうしたらいいのか。魔法でどうにかしようにも効かない。彼らの前では、魔術師は何の意味も持たない。そして魔術師でなくとも、奴らに傷は負わせられない――。

 ――いや。

 無意識に、少し強めに杖で地面をついた。夜の薄明りに、眼鏡が反射する。

 「斬れない」を対処する方法は、ある。根本の「震える魔力」に対して手を打てないが、魔法自体をどうにかする手はある。

 ……それははっきり言って、暴力的で、子供じみた考えだった。ああ出たのならこうする、そういった類の案だった。

「……アーゼ!」

 パウが叫べば、近くにいたアーゼが急いで走ってくる。

「どうした、何かわかったか?」

「ああ……もし、だが……」

 パウはそこでかすかに迷ってしまった。

 ――これは危険すぎる方法だ。

 けれども、きっと、自分にしかできない。

 そして、これまで『掃除屋』が屠ってきた魔術師とは違って、自分には仲間がいる。魔術師でない、仲間が。

「俺が倒れたら、後を頼む」

 告げれば、アーゼは目を見開いていた。肩に留まっていたミラーカもふわりと羽ばたき「パウ?」と声を漏らす。

 ミラーカは近くにいても大丈夫だろう。彼女は、もはや魔術師を超えた何かであるから。

 自分以外に魔術師がいたのなら、きっとできない方法だ。

「何をするつもりだ? それだけは言え」

 アーゼはやめろとは言わずに、それだけを聞いてきた。だからパウは。

「魔力の爆弾を作る……俺の魔力を周囲に溢れさせて、奴らにかかっている魔法を壊すんだ」

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