第五章 神亡き闇にて
第五章(01) 『錆時』のアロイズの息子さ
魔術文明都市デューの長。つまり魔術師長。それを『天の金陽』と呼んだ。
そしてその下に位置し、長を支える二人の魔術師。いわば副魔術師長というべき二人の魔術師。それを『天の銀星』と呼んだ。
もし、この三人の中にも魔術師至上主義組織『遠きの日の霜』がいたのならば――パウのその考えは、デューが陥落したことによって、的中した。
デューが制圧され、大陸中に瞬く間に噂が広まった……『天の銀星』の一人がデューを裏切り、長を殺したのだと。
それを皮切りに、潜んでいた『遠き日の霜』が姿を現し、デューの正しき魔術師達と争い――デューは敗北した。
大陸中央にある大都市ポルト・イエーラで、パウもその知らせを聞いて唖然とした。
各地で噂になっている巨大蠅も魔術師至上主義者達によるもので、非魔術師を滅ぼすための兵器だという話も、大陸中を満たしているようだった。
ついに『遠き日の霜』が世界に姿を現し、大きく行動を始めたのだ。
確かにその兆候はあった。以前出会った魔術師スキュティアが言っていたではないか。
しかしこんなにも早く事が起こるなんて。
デューの魔術師達にすべてを話そうにも、もう彼らはいなくなってしまった。敗北した彼らの行方についての噂は、何も聞いていない。
――間に合わなかった。
けれどもパウは、諦めなかった。
後悔している時間がないことを、もう知っていた。自分にできることをやらねばいけないという使命が、燃えていた。
いま、自分がするべき事は三つ。
一つは生き残ったデューの正しき魔術師達と接触すること。行方はわからないが、どこかに逃げ延びているはずだ。特に気になるのは『天の銀星』の、味方であるだろう一人の行方だ。もしかすると、デューの魔術師達はその『天の銀星』を中心に、どこかに身を潜めたのかもしれない。反撃の機会を伺うために。
また一つは『遠き日の霜』及びベラーの居場所を突き止めること。一人で立ち向かうのは難しいかもしれないが、敵について知らなくてはならない。ミラーカとの約束を果たすためにも、居場所を知ったとしても、慎重に動く必要がある。
そして最後の一つは、各地にまだ残っている蠅化グレゴを退治すること――蠅化グレゴは不死身、ミラーカでないと消滅させられない。何より、自分がきっかけで生まれてしまったものだから。
――幸い、ポルト・イエーラは大きな街であり、様々な噂が集まる。
気にかかる噂を一つ、耳にした。
ナヴィガ・ファート遺跡周辺に、例の巨大蠅が出現したこと。けれども蠅を捕獲する騎士団が向かった、という噂。
行かなくてはいけない。どんな騎士団であるかわからないものの、グレゴは不死身。
しかしその騎士団とは、敵か、味方か。
――人々がグレゴに立ち向かっている。けれども『遠き日の霜』の魔術師も、グレゴに立ち向かい、捕獲しようとしていた……。
「ゼフタルクみたいになっていないといいがな」
ポルト・イエーラを離れて数日。もうじき噂の場所である遺跡のある森へ入るというところで、パウは独り言のようにミラーカに声をかけた。青い蝶はひらひらと先をゆく。何も答えない――が。
「変」
急にそう言ったかと思えば、羽ばたきを少し忙しくして、先を急ぎ始めた。
「変って?」
嫌な予感を覚えてパウも足を早めた。杖が地面を削っていく。
ミラーカの急な行動は、いつも悪い出来事を察してのものだった。
まさか例の騎士団が、グレゴに負けて。あるいは未知の多いグレゴに、また何かしらの変化が起きて――。
しかし木々が開けた場所が見えてきて、パウは歩みを止めた。ミラーカも少し困惑したように宙にとどまる。
――木々の向こうに、漆黒の巨体が見えた。
蠅化グレゴ。間違いがない。
その身体は、いくつもの縄で拘束され、台車に乗せられていた。
まさに狩られた獣のようで、周囲には人の気配もある。
唖然として、まだ距離があるにもかかわらず、パウは遠くの漆黒を見つめていた。何が起きているのかはわかった――グレゴを討伐に向かった騎士団が、勝利をおさめたのだろう。
確かにグレゴは不死身でしぶとい。だがゼフタルクでも、一度は捕獲したと言っていた。殺すことはできなくとも、技術があれば捕獲はできるのだろう。
それにしても。
「……グレゴ、だよな」
思わず呟いて、巨大な蠅を見つめる。
動かない。妙に大人しい。妙に大人しすぎるのだ。寝ているのかと思うほどだ。
「変」
ミラーカが繰り返す。その通りで、芋虫の姿の時でも常に飢えて、他者やほかの命を襲い、眠ることを知らない様子だったグレゴがこうも大人しいのは、異常だった。
「どうなってる……」
そろそろと、パウはグレゴへと近づいていく。ようやく開けたその場所が詳しく見えてきた――グレゴの周囲には男数人の姿があった。腰に剣を身につけていて、服装も戦いに向いたもので、彼らがおそらく件の騎士団だろう。どうやらグレゴの見張りらしい。グレゴに気を取られて全く気付いていなかったものの、開けた場所の向こうでは、テントがいくつも張られていて、馬車もあった。そしてそこにも騎士団員らしき人間の姿がいくつも見える。
想像していたよりも規模の大きい騎士団なのかもしれない。それならばグレゴ捕獲にも納得がいくが、けれどもやはりおかしいのだ。
木々の間を抜けて、ついにその開けた場所へ。目の前にある漆黒は間違いなくグレゴだった。大人しくしているグレゴ。そしてグレゴの周囲にいた騎士達がパウに気付くやいなや、
「動くな! 何者だ!」
剣を抜きパウへと構える。パウはひるむことなく、敵ではない、と両手をあげた。すると騎士の一人が、
「――『千華の光』か? ということは、船からの使いか?」
「……いや、旅の魔術師だ。このあたりで巨大蠅を相手にしている騎士団がいると聞いて手伝いにきた」
船、と言ったか。よくはわからないものの、ひとまずは剣をおろしてもらうべく、パウは言葉を続けた。
「手伝いにきた、が……その必要はなかったみたいだな。しかしどうして、こうも大人しいんだ? 俺が相手にしたときは、相当怪我を負わせて弱らせないと、こうも大人しくはならなかった……」
パウの素直な言葉に、騎士団達が顔を見合わせる。そしてもう一度睨んでくるものの、やがて剣を鞘に納めたのだった。一人が前に出る。
「……失礼した、手伝いに来たというのに……デューの魔術師から、魔法薬をもらってな。それを撃ち込めば、しばらくは大人しくなるんだ」
「デューの魔術師?」
デューは『遠き日の霜』に敗北したというが、その生き残りの魔術師達のことだろうか。
思わずパウは目を大きく見開いた。もし、彼らがいるとしたら。
騎士団の一人が嬉しそうに笑う。
「ああそうだ、デューで魔術師至上主義者達に負けてしまったらしいが……こうして私達を支援してくれているんだ……これから、この巨大蠅……グレゴ、というそうだが、こいつを彼らに引き渡す予定でな、調べてもらっているんだ」
「これから、引き渡す?」
「ここが合流地点でな、これから来るんだ」
デューの魔術師達が、ここにくる。どこにいるのかと思っていたものの、意外にも早く出会うことができそうで、パウは言葉を失った。そもそも敗北したものの、こうも行動を起こしているなんて。おまけにグレゴについて調べているとは――呼び名までは知っているらしいが、全ては知らないはずだ。話さなくてはならない。
「いつ! いつ彼らは来るんだ! 俺は……デューの魔術師達に会わなきゃいけない! 会って話を……」
思わず飛びつくようにパウは尋ねてしまった。騎士の男は少し驚いたようだが、まるで無理もないと溜息を吐く。
「こんな状況になってしまったからな……デューの魔術師達も、仲間が多い方がいいだろう。もうじき来るはずだ、ここで待っているといい」
「……そうだ、ここを仕切っているのは誰だ? 魔術師達について、話が聞きたい」
大人しく待ってはいられない。尋ねれば、騎士の男はついてこい、と歩き出した。パウとミラーカは、その後に続き、テントの並ぶ場所へ向かう。
騎士団員達を見れば、表情は明るい。時折、医療品を持って走る者、包帯を巻いた者の姿も見える。開いたテントの中、負傷し横たわっている者の姿も見えた。しかし絶望の影は一つも見えない。真剣に話し合っているように見えるものの、笑みを交えながら話している者達がいる。訓練をつけてもらっているのか、手合わせしている者達もいる。
全てを食らう不死身の巨大蠅を相手にしているとは、思えなかった。
「なんだか……みんな生き生きしてるな。俺がいままで見てきたものとは、全然違う……」
パウが口にすれば、先を進む騎士の男が振り返る。
「最初は、どんなに立ち向かっても、あの蠅に勝てないものだから、ひどい状態だった……けれども魔術師達の支援を受けられるようになって、私達は戦えるようになった……それに隊長は強いし、他にも強い仲間がいるからな。あの蠅を捕まえられたのは、彼らのおかげだ」
と、彼はあっ、と声を上げた。
「隊長……グレゴを捕まえてデューの魔術師達と会うのだから、取り込み中かもしれないな……エヴゼイさんなら暇してるかな……」
そこでふと、パウは足を止めた。
未来を切り開こうとしている騎士団の中――妙に見慣れた金髪を見つけた。
一瞬目を疑ったが、それは間違いなく、以前に見たもの。
――最後に見たときは、焼け落ちた家跡で、うなだれて動かなくなっていた。
それがいま、剣を振るい、手合わせをしている――。
「ああ、彼か。もしかして『錆時』のアロイズを知ってるのか……?」
騎士の男が聞き慣れない言葉を口にした。だが彼は首を傾げて。
「……いや、若いから見たことがないか……話によるとよく似ているらしいが……彼は『錆時』のアロイズの息子さ。知っているか? かつて名を馳せた傭兵団『錆時』について……」
――そういえば。
――そういえばかつて、彼は「父親が傭兵だった」と言っていた。
持っていた剣も上等なもので、彼の父親が良い傭兵だったことに察しがついていた。
しかしいまは、彼の父親の話よりも。
「――アーゼ」
呟くようにパウがその名を呼んだ。手合わせをしていた彼は、聞こえたのだろうか。ちらりと視線を向ける。その表情がたちまち驚愕したものとなり、構えていた剣がゆっくりと下ろされる。
彼の瞳に写る、紫色のマントの魔術師と、青い蝶。
「パウ……パウなのか?」
思わぬ再会だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます