第五章(02) お前は……何者なんだ


 * * *


「じっとして、いられなかったんだ」

 この騎士団をまとめる者に会うつもりだったものの、パウはアーゼに案内されて彼のテントへと入った。質素なテントだったが、荷物は隅に整理されていた。アーゼは茶を二人分淹れた。そうしてパウとアーゼは、簡単なテーブルに向かい合ってついた。ミラーカはテーブルのふちにとまる。

「一度は別の場所で生活しようと思ったさ……でもその時に、また巨大蝿が出たって噂を聞いて……いてもたってもいられなくなった」

 アーゼは茶を一口啜る。

「それで一人で立ち向かったけれど……喰われかけて。けど、そこに『風切りの春雷』が……この騎士団が来て、助けられたんだ」

「そのままお前は、この騎士団員の一人になったってわけか」

 いまのアーゼに、ロッサ村が滅んだ時のような様子はどこにもない。かといって、二人でグレゴを退治しに行こうとした時のような、切羽詰まったような様子もない。その様子に、パウはひどく安心を覚えた。少し逞しく思えるのは、騎士団員として戦うために身に纏った服装のためだけではないだろう。

 あれから彼は立ち上がり、歩き出し、前に進んだのだ。

 ――失わずに、済んだ。

「助けられた時に、そのグレゴは逃がしちまった……でも、騎士団員になって、再びその個体と出会って、ようやく捕まえられたんだ」

「それが、外にいた奴か?」

 ランタンの明かりしかない、薄暗いテントの中。パウは一口茶を飲み尋ねた。茶の水面では、釣り下げられたランタンの灯りが、まるで満月のように揺れている。この安心感が、どこか久しぶりに思えた。茶の甘い香りが頬を撫でる。

 アーゼは頭を横に振った。

「いいや、あいつじゃない。以前の奴さ。そいつはもう、デューの魔術師達に引き渡したよ……外のあいつは、二体目さ」

 これで二体目――そう知ると、パウはきょとんとする他なかった。

 ここにいる騎士団員達の様子から、それ以上にグレゴを捕まえているような気がしたのだ。

 パウの心境に気付いたのか、アーゼが苦笑いを浮かべた。緑の瞳が細まる。

「結構うまくいっているように見えたか? 追い払ったり、攻防したりっていうのは何回もあったけど、捕まえたのはこれでやっと二体目なんだ……」

「……グレゴは死なないし、傷も簡単に回復するしな」

 だからこそ、普通に相手にしても敵う相手ではないのだ。パウが口にすれば、アーゼは頷く。

「一体目を捕まえた時に、ひどく手を焼いたんだ。結果としては捕獲に成功したけど、何せあの蠅は死なないし、傷もすぐ治るし……やっとの思いで捕まえて、動けないようにしたものの、どうしたらいいのかわからなかったんだ」

 グレゴを殺す手段がなければ、そこまでで精一杯だろう。アーゼの瞳に影が落ちたように見えることから、騎士団の被害も少なくはなかったかもしれない――彼が手にするカップの中、水面には何かを思い出すようなアーゼの顔が映っていた。

 それでも彼らは、巨大蠅と戦った。

 ふわりと、アーゼは顔をあげる。ランタンの灯りに、金髪が輝いた。

「でも、そこでデューの魔術師達の支援を受けられるようになったんだ。蠅を引き取ってもらって、あれが何なのか、どうするべきなのか、調べてもらえるようになったんだ」

「――この組織は、デューの魔術師達が作ったものではないんだな?」

 と、パウは気付く。デューで生き延びた魔術師達が作り上げたものだと思っていたが、そうではないらしい。

「この騎士団は、もともとは『白の花弁』地方にあった街の自警団さ」

 テントの外、騎士達が手合わせに剣を交える音がする。

 そうじゃない、もっとこうだ――随分上達したじゃないか――野次を飛ばす声も聞こえる。

「その街はグレゴにやられたけど……多くの人々のために、巨大蝿に立ち向かおうって決めて、各地を回りながら活動してるんだ」

 だからこそ、とアーゼは笑う。

「だからこそ、俺みたいなのが集まる。そして『風切りの春雷』としても人手があった方がいいから、次々に受け入れているわけだ……」

 なるほどと思い、パウはまた茶を一口飲む。人々は、あの巨大蝿を相手に、ただ怯えているだけではないのだ。そしてデューの魔術師達も『遠き日の霜』に敗北したといえども、こうして人々のために活動を行っているのだ。

 ――自分の持っている知識が、デューの魔術師達には必要だ。

 ――そしてミラーカでなければ、グレゴは殺せない。

 ひとまずはデューの魔術師達と合流し、この巨大蠅が何であるのか、自分が何をしたのかを話さなくてはならない。そして場合によっては、彼らから逃げる必要があるだろう――ミラーカとの約束を守るために。

 外にいるグレゴも、ミラーカに食べさせなくてはいけないが……それはデューの魔術師達が来てからの方がいいだろう。ミラーカがグレゴを殺せることを、証拠と共に知らせなくてはいけないから。

 ――それよりも。

 つと、パウはアーゼを正面から見つめる。

 荒れ果てたロッサ村での彼の姿が、また思い出される。

 村を守るために行動したが、守ることができず、家族を失った彼。

 ――きゅっと胸が締めつけられるような感覚があったが、これは罪悪感ではなく、使命感。

 ――いや。

「……?」

 妙だ。違和感に気付いて、パウは顔をかすかに歪めた。気のせいだろうか。ランタンの灯りが、妙にぼやけているように見える。

「パウ」

 テーブルの縁にとまっていたミラーカが、青い羽を羽ばたかせて、パウの肩に乗る。

 疲れだろうか。と、正面にいるアーゼが、怪訝そうな顔をしていた。しかしそれは徐々にパウを睨むようなものに変わって。

「……パウ、さっきお前を案内していた奴から聞いたけど……お前は、デューの魔術師達に会いたいんだな?」

「そう、だが……」

 この異変は、気のせいではない。身体が妙に重く、どことなく苦しい。

 アーゼの淹れた茶に、目が留まった。

「……アーゼ、まさか、お前」

 思わず立ち上がろうとしたところで、パウはふらついて床に倒れてしまった。テーブルに立てかけてあった杖も床に転がる。肩にとまっていたミラーカがふわりと宙に羽ばたいて「パウ」と名を呼ぶ。

「その前に、全てを話してもらおうか、パウ――お前は一体何を知ってるんだ? いや、ちがうな……どうして知ってるんだ?」

 アーゼは立ち上がり、床に転がったパウを見下ろす。

「……デューの魔術師達に、お前やこの青い蝶のことを話したんだ。ひどく不思議がられたよ……あの蠅を消滅させられるなんて、おかしいって。それに俺とお前でココプに行ったとき……大陸に巨大蠅が姿を現してすぐの頃に『グレゴ』という呼び名を知っているのも、おかしいと言われた」

 アーゼの瞳は、鋭い光を宿していた。薄暗いテントの中、隠しきれない敵意と復讐が燃えていた。

「どうしてデューの魔術師達が知らないことを知っていた? どうしてグレゴを殺すことができた? お前は……何者なんだ?」

 外の喧騒はもう遠い。パウはぼやけた視界の中、アーゼを見上げていた。彼の声はしっかり届いている。と、彼の頭上で青い羽ばたきが見えて、

「ミラーカ、いい、やめろ、必要ない」

 とっさにパウが制止すれば、青い蝶は少し悩んだように宙に留まり、やがてアーゼから距離をとる――やはり、攻撃しようとしていたのだ。

 けれどもいまは、その必要はない。どうやら……毒を盛られたようだが。

 手をついて身体を起こそうにも、上手く動かず、パウは横になったままだった。

「死なせるような毒じゃない。逃がさないためだ」

 と、アーゼが嫌悪したように溜息を吐く。

「……卑怯な手は使いたくなかった。けど、お前が敵なのか味方なのか、わからないからな?」

 ふと、パウはアーゼの父親の死について思い出した。

 毒を塗ったナイフ。そのかすり傷で死んだ。

 そんな彼が、毒を使うほどに切羽詰まっているとは。

 改めて見上げれば、アーゼはいまにも自分に殴りかかってきそうだった。

 それで――思わずパウは笑ってしまった。

 ぎょっとしたのか、アーゼがかすかに距離をとる。

「ちょうど、話さなくてはいけないと、思っていたところだったんだ」

 身体はだるいものの、舌は動かせる。

「よく聞け、アーゼ」

 全てを話す準備はできている。

 ――全てを受け止める準備もできている。

「グレゴは、元々は人間」

 静かに、使命感が燃える。

「そしてあの巨大蝿は、俺のせいだ」

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