第三章(06) 『掃除屋』よ

「――確か、メオリ。メオリじゃなかったかしら! コサドアさんの隠れ家で何度か会ったことあるわよね?」

 スキュティアは顔を明るくさせる。メオリは肩にシトラをとまらせると、頭を下げた。

「お久しぶりです……まさかこんなところでスキュティアさんに会えるなんて」

 そうしてメオリは改めて彼女を見つめて、安心した様子で溜息を吐いたのだった。

「――よかった、スキュティアさん、何もない様子で」

 恐らく、魔術師が失踪している件について言っているのだろうとパウにはわかった。知り合いの魔術師に会えたのだ、溜息も出るだろう。

 スキュティアも笑顔だったが、ふと首を傾げた。

「こんなところで会えるなんて……でも、一体何をしているの?」

「巨大蠅を探しに来たんです。最近噂になっている、あれです。どうやらここにいるらしくて」

 素直にメオリは笑って答えた。肩に留まっているシトラは安心しているのか、羽繕いをしていた。

「あら、メオリも!」

 と、スキュティアは目を丸くさせる。

「私もなのよ……噂を耳にしたから、確かめようと思って……」

 私も魔術師だから見過ごせなくて、と彼女は微笑んだままだったが、その瞳は使命感にきらりと輝いた。

「スキュティアさんもなんて……心強いです」

 心底、安心したような声でメオリは言う。

「弱気ってわけじゃないけど、正体のわからない敵に対して仲間が多いと安心します……パウもいますし」

 そう彼女が、ゆっくりと歩いてきていたパウへと振り返って、スキュティアははじめてパウの存在に気付いたようだった。

「あら、もう一人いるのね……『千華の光』みたいだけど……初めまして、よね?」

 耳に長い髪をかけて、スキュティアはパウに微笑んだ。しかし。

「……でも聞いたことがあるような」

 そう、何か思い出そうとするかのようによそを見たスキュティアを見つめながら、やっとパウはメオリの後ろまで来て、そこで。

 ――窓が一つもない廊下。資料を見ながら一人進む、ベラーの姿があった。

 やっと戻って来た。パウは微笑んで師匠の名前を呼んだ。するとベラーは顔を上げて微笑み返してくれて、しかしはっとして振り返る。

 誰かが彼の名前を呼んで、追いかけてきていた。その髪の長い女は、ベラーに何か話しかけている――。

 ――それは、グレゴ研究所での記憶だった。まだ真実を知らなかった頃の記憶。

「――そうだ、ベラーのところの」

 スキュティアの瞳が、ゆっくりとこちらに向けられる。

「でも、死んだって――」

 笑みが消える。

 ――先に攻撃を仕掛けたのは、パウだった。杖を持たない手を構えれば、水晶を放った。だが次の瞬間、冷ややかに瞳を鋭くさせたスキュティアは盾を作り出し、弾かれた水晶は粉々に砕ける。その粒子が空気に溶けて消えてしまう前に、スキュティアは光球いくつかを放つ。

 焦らず、パウは瞬間移動をして距離をとる。だが光球はまるで蛇のように追尾し、見た目こそ蛍のようであるにもかかわらず風を切り、大きく膨らむことなく進行方向を変えて迫ってきて、うまく撒こうにもまさに生き物のようについてくる。

 逃げ切るのは無理だ――数回の瞬間移動魔法で息を切らし始めたパウは、マントを翻しながら大きく手を掲げた。そこに現れた魔法陣を中心に、魔力波が広がる。迫ってきていた光球を呑み込む。

 何度かの瞬間移動で、スキュティアとの距離は十分にとれていた。パウが見える片目で彼女を見据えれば、彼女もあたかも逃がさないという様子でこちらを見据えていた。

 ――やっぱり。

 ぎり、と思わずパウは歯ぎしりをした。

 ……崩壊し、自分のように「用済み」とされた魔術師達が殺されたグレゴ研究所。そこにいた彼女が、こうして生きている。それが意味するものは。

 あいつは……奴らの仲間だ。

「――な、何を……」

 何も知らないメオリだけが、目を白黒させていた。スキュティアを見て、パウを見て、驚愕のあまり喉につっかえてしまっていた言葉を吐き出すように叫ぶ。

「パウ、どうしてスキュティアさんに魔法を――!」

 そいつこそが敵だと、パウが叫ぼうとした次の瞬間、スキュティアが再び光球を放った。先程のものとは違い、電撃を帯びたものだ。

 パウはもう一度瞬間移動魔法で光球を避ければ、それでもなお追ってくる光球一つ一つに向かって水晶を放ち、相殺させる。狙いが外れてしまっても、もう一度水晶を作り出し数で補っていく。加えて、スキュティアめがけて新しく水晶を放つ。

 スキュティアは再び魔力で盾を作り出せば、それで水晶を受け止めた――だが受け止めて一秒おいて、盾に亀裂が入る。そしてガラスが割れる音が響いて、盾は砕け散る。けれども同時にスキュティアは手を宙に滑らせた。すると盾の欠片はパウの水晶を削り、威力を落とす――。

「――くっ……」

 それでもパウの水晶は、勢いでスキュティアを吹っ飛ばした。突き刺すことはできなかったものの、女魔術師は地面に転がった。

「……お前、グレゴ研究所にいただろ」

 手を構えながら、ゆっくりとパウはスキュティアへ歩き出す。

「『遠き日の霜』の一員だろ?」

 尋ねれば、起き上がろうとしていたスキュティアが、仕方がないなぁというように口元に笑みを浮かべた。

 やはり、そうなのだ。パウは赤い瞳を細めた。

 しかし、鷹の荒々しい声が空気を震わせた。飛んできたシトラの翼に勢いよく手を叩かれ、驚いてパウは手を引っ込める。

 見れば、メオリが険しい顔をしてこちらを睨んでいた。

「一体何してるんだ! どうしたんだ、パウ!」

 彼女は、一体誰が敵であるのか、わからないのだ。

 ……スキュティアが起き上がりながらも光球を放ったのは、その隙だった。放ったのは二つ。一つは隙を狙われたパウに命中し、もう一つも全く身構えていなかったメオリに当たり、炸裂する。先程と同じく電撃を帯びた光の球。衝撃にパウは杖を手放し倒れ、メオリも吹っ飛び地面に転がった。

 すぐさまパウは起き上がろうとしたが、身体が痺れになかなか言うことを聞かない。その間に、スキュティアが立ち上がっていた。服についた土を払えば、ふうと溜息を吐き、肩の力を抜いた。

「なん、で……?」

 そう呟いたのはメオリだった――敵が誰であるのか、これで気付いただろう。

「……まさか、あなたが生きてるなんてね。ベラーからは死んだって聞いたけど……見落としたのかしら、珍しいこともあるのね」

 メオリを一瞥もせず、スキュティアはパウを見下ろす。滝の轟音が鼓膜を揺らしているが、彼女の声は嫌に朗らかに響く。

「まあここで始末できるのだから、問題はないわね」

 瞳は冷ややかで、しかし楽しそうで。

「――どうしてここにいる! 何を企んでいる!」

 片膝をつくまで起き上がれたものの、痺れが抜けきらず、未だ完全に立ち上がれないパウは怒鳴る。するとスキュティアは不思議そうな顔をしたのだった。

「それはこっちが聞きたいわ。グレゴを探していたらしいけど……もしかして、責任でも感じて?」

「――グレゴ……? 責任……?」

 不思議そうな顔をしているのは、メオリもだった。助けを求めるように、彼女は声を張り上げた。

「待って! どういうこと! 何なんだ……!」

 けれどもスキュティアの耳に、その声は届かない。目にも映っていないようだった。彼女はパウを見つめ続け、だからこそパウも睨み返す。

「何にしても……あれは死なない存在。あなたが何をしようとも無駄よ。手を焼くとか、そういうものでないのは、わかってるでしょう……? 私達ですらうまく回収できるか怪しいんだから」

「――回収?」

 滝の轟音が響く中でも、はっきりと聞こえた。ええ、と彼女は肯定した。

「そう驚くことじゃないでしょう。蠅化したグレゴの研究は、まだ終わってない……それに騒ぎが大きくなってるから、デューの魔術師達よりも先に見つけて捕まえなくちゃ……」

 そこでスキュティアは、まあ、と傲慢さも帯びた苦笑いを浮かべる。

「まあ……あちらが先にグレゴを捕まえて調べて、どうにか私達の存在にたどりついたところで……その頃には、私達は表に出てきているだろうけど」

 今まで密かに活動していたと思われる、魔術師至上主義組織『遠き日の霜』。

 それが表に出てくれば――間違いなく、デューと対立する。

「……デューを潰す気か?」

 彼女達はすでにデューを滅ぼす計画を始めているのかもしれない――コサドアが殺されているのだ。

 パウが苦虫を噛み潰したような顔で尋ねれば、全く悪気のない笑みが返って来る。

 それが恐ろしかった。

「デューだけじゃなくて、私達の思想にあわない人間全てよ――」

「――説明して」

 淡々と、感情がなくなったかのようなメオリの声が響いた。風を切る音が響いて、翼を大きく広げた鷹が、スキュティアに襲いかかる。

 しかし彼女はひらりとシトラを避けた。それでもシトラは宙で羽ばたけば、その翼で起こされた風が輝く刃となって敵に襲いかかる。だがスキュティアは一つ大きな光球を出現させれば、それを目の前で爆発させた。光の刃は消え失せる。そして爆風にシトラが煽られ、爆発した光の向こうから新たな光球が飛び出せば、シトラの胸に命中した。

 鷹は悲鳴を上げて地面に墜ちた。それと同時に、立ち上がっていたメオリも、胸を押さえて苦痛に膝をついてしまっていた――使い魔は魔術師の分身。使い魔の痛みは、主も背負うことになる。

「もう、こっちで話しているんだから、邪魔をしないで?」

 スキュティアは呆れたように腕を組む。けれどもメオリは、膝をついたままでも彼女を睨んでいた。

「説明、して」

 もう一度、繰り返す。

「どういうこと……なんですか?」

 じわりと声は怒りを帯びてくる。

「……師匠を殺したのは……もしかして……」

 怒りのためか。痛みのためか。メオリの息は少し乱れていた。

「嫌だわ。私じゃないわ。私はまだ誰も殺していないわよ」

 対してスキュティアは、やはり穏やかに、楽しそうに返すのだった。

「コサドアを始末したのは『掃除屋』よ。普通の魔術師だと、なかなか相手しづらいから、彼女が仕事したのよ――」

 『掃除屋』。

 それが、コサドアを殺した者。つまり、彼を殺せるほどの者。

 正体はわからない。しかしそんな者までもが『遠き日の霜』には。

「――『掃除屋』って? 何、そのふざけた名前の奴は!」

 メオリが目をぎらつかせて怒鳴る。淀んで見えるほどに、その瞳は怒りに満ちていた。

 けれどもその時。

「――来る」

 耳元で、甘く、囁くような声。

 パウが見れば、いつの間にか耳元にミラーカがいた。肩にとまる。その足は、心なしか、妙にしっかりと服を掴んでいるように見える――。

 ――滝の轟音よりも、さらに大きな轟き。地面を震わせるほどの、爆発にも似たそれ。

 突如として世界が激しく揺れた。再びメオリが倒れ込み、起き上がりかけていたパウも伏せるような形で倒れてしまう。そしてスキュティアも大きくよろめく。

 滝壺から、何かが盛り上がるようにして姿を現そうとしていた。巨大で黒いそれ。

 ――グレゴ!

 それは、パウがいままで見てきたどの蠅化グレゴよりも、大きなものだった。その巨体にふさわしい、大きな口。姿こそ蠅によく似ているが、牙のあるそれ。

 ふらつきながらもスキュティアが目を大きく開く。太陽の光に照らされる、巨大な怪物。その怪物の影の中に立つ女魔術師は、あまりにも小さかった。

 それでも彼女は光球いくつもをグレゴに放った。黒い身体に当たれば爆ぜる。その衝撃にグレゴは多少宙で揺れたものの、大した負傷を負わせられていないようだった。

 と、グレゴは不気味な牙のある口を大きく開けた。奈落へと続いているかのような、血と腐ったような臭いのする口。しかしスキュティアは逃げることなく、口の中へと光球を撃ち込んだ。

 だがグレゴは、それすらも物ともしていない様子で。

「元もいまも低俗なくせに……」

 苦々しいスキュティアの呟き。彼女は大きな光球を出現させれば、それもグレゴの口内へと放った。

 巨大なグレゴの、巨大な口。しかしその口でも呑み込み切れない程大きい、魔力の球。

 ところが。

 がばり、とグレゴの口がより開いた。まるで顎を外したかのようだった。

 えっ、とスキュティアが瞬きするのをパウは見た。

 そしてグレゴは光球を噛み砕いた。破裂する魔力の塊。術者であるスキュティアすらも、目の前での炸裂に身構えてしまった。

 そんな彼女の頭から――グレゴは噛みついた。

 食んで、グレゴは顔をあげて、顎に力を入れる。ぽとりと落ちたのは、スキュティアの両足、爪先から太股の辺りまで。

 それ以外は全て、グレゴの口の中。何度か咀嚼して、巨大な蠅は人一人を喰らったのだった。

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