第二章(02) はじまりは、俺にあるんだ


 * * *


 治療を手伝い、また消火や片付けを手伝って、気付けば夜になっていた。

 魔術師さんもここで休んで、と、街の人に毛布を用意してもらったが、一人になりたかったパウはそれを断って、街から少し離れた木陰で焚き火を起こした。

「――くそっ」

 膝を抱える。眼鏡を外せば、さらに丸くなった。

 今日の街でのことが、思い出される。

「……っ」

 不意に押し寄せてきた苛立ちに、パウは地面を蹴った。怪我の後遺症でうまく動かない足で、乱暴に。

「俺のせいで……」

 肩は震えていた。

 それでもパウは――泣かなかった。

 ここで自責の念に潰され何もできなくなってしまえば、それこそ自分を殺したくなってしまうから。

 それに。

「パウ」

 ミラーカが名前を呼ぶ。蝶は炎の光を受けて、より青く輝いていた。魔法の光よりも、深く、柔らかい、その輝き。まるで夢の中で見るような光だった。

 ミラーカが一緒にいる。そして。

「大丈夫だ……グレゴは、見つけだす」

 ――街の人々から、グレゴがどこへ行ったのかは聞いた。

 やることは、ただ一つ。そのグレゴを、退治すること。

 ……今はとにかく休んで、明日に備えて。

 落ち着きを取り戻しはじめて、パウは眠る準備に取りかかった。薄汚れた毛布を取り出す。

 ――グレゴが、もう一度あの街を襲う可能性がないわけでは、ない。あの街にはまだ多くの人々がいるのだから。

 ……ココプ村や、ロッサ村のことから考えても、どうやら「蠅化」したグレゴは、人間を好んで食べているようだった。ならば、人々がいる場所に、再び現れてもおかしくはない。

 これ以上、あの街で死者を出さないためにも。何としてでも、グレゴを仕留めないと。

 そもそも。

「……はじまりは、俺にあるんだ」

 自分に言い聞かせるように、呟いた。

 ――背後に気配を感じたのは、その時だった。

「――その通りよ」

 はっとして振り返った。そこにいたのは。

「――何も考えず研究してた……あなたが悪いのよ?」

「……誰だ?」

 少女が、立っていた。

 おそらく十代半ば頃の、自分より年下の少女。質素でもどこか上品さのある白いワンピースのようなものを着ている。髪は腰の下まで長く、淡い青色に輝いていた。

 顔は見えない。けれども口元は笑っていた。まるで入れ墨でもはいっているかのように黒い模様のある足は、裸足だった。

 街の人間とは、思えなかった。

「あなたは何の疑問も持たなかった。あなたはただ子供みたいに、褒められたいからという理由で研究していた」

 少女は続ける。その言葉にパウは顔を青ざめさせた。

 ――何故、知っている。

「――見過ごしたのよね。あの芋虫達に、何か元の姿があるんじゃないかって気付いたのに」

 少女の声は、鈴のように愛らしいものの、凛としていて、冷ややかで。

 パウは動けなかった。少女はこちらに歩いてくる。そして彼女は、パウの耳元で囁いた。

「あなたのせいで犠牲になった人、犠牲になったグレゴは何人いるのかしらね?」

 息が、止まる。

 音が遠のく。

 冷たさが全身を包む。

 目の前が真っ暗になる。

 ――全てが、わからなくなる。

 ――。

 ―――。

 ―――――けれども、はっと。

「……………っ」

 息を吸い込む。飛び起きる。

 鳥の鳴き声が聞こえた。くすぶったかのような臭い。そして――目を突き刺してくるような、朝日。

「……朝?」

 いつの間にか、眠っていたらしい。焚き火はすっかり小さくなり、いまにも消えようとしていた。

 奇妙な夢を見たらしかった。

 けれども確かに残っている、胸のもやもや――罪悪感。

 自然とパウは、自分の胸に手を当てていた。ぎゅう、と握って、目を固く瞑る。

 息は上がっていた。肩で息をしていた。それを整えようとするものの――震えていた。

 ……わかっては、いる。わかっては、いるのだ。

 けれども、実際に言われてしまうと。

 自分のしてしまったことの大きさが、怖くて。潰れてしまいそうで。

 ――きっと、あの少女は、自分の罪悪感。

「……パウ」

 と、囁くように名前を呼ばれる。目の前を、宝石よりも美しい青い輝きが舞う。

「大丈夫だ、変な夢を、見ただけだ……」

 手をさしのべれば、青い蝶はとまってくれた。

 あたかも、慰めるかのように。思えばいつも、ミラーカは慰めてくれた。

「……手伝ってくれ、ミラーカ。全てを終わらせるために」

 ミラーカだけが、頼りだった。

 ――グレゴを殺せるのは、同じグレゴだけなのだから。


 * * *


 ――巨大な芋虫のような生き物「グレゴ」の存在を、研究所にいる人間以外に知られてはいけない。

 何故なら、こんな恐ろしい生き物がいると知られてしまえば、大陸でパニックが起きてしまうから。

 グレゴはどこからともなく現れるものだという――そんなものが存在するなんて、無力な人々が知ってしまえば。

 知らない方がいいこともある、ということだ。

 『千華の光』でも知らない者は多いのだという。何故なら現れた際に『千華の光』の中でも腕が立ち、またこの研究所の人間でもある魔術師が出向くからだと、ベラーは教えてくれた。

 ……この時、どうして疑問を抱かなかったのだろうか。

 この研究所の人間以外に、知られないようにするなんて。そんな危険な生き物であるのに、存在を隠しておくのは果たして正しいのか、と。そしていくら腕の立つ『千華の光』でも、突然グレゴが現れた際、誰にも知られず処理をすることが本当に可能なのか、と。

 しかし、師匠であるベラーの言うことは、全て正しいと思っていたのだ。

 ……研究に参加するようになって、最初のうちこそは、グレゴが気持ち悪くて、パウはなかなか研究に集中できなかった。

 しかし師匠に期待されているから。期待されてここに呼ばれたのだから。

 ただ褒められたくて。そして人々のためになりたくて。

 だから次第にグレゴの研究に夢中になった。そしてグレゴそのものにも。

 巨大な芋虫のような怪物グレゴは、切り刻んでも焼いても死ぬことはなく、自己再生する。芋虫のようであるが、何かに姿を変えることはなく、生殖もしないらしい。

 生殖で増えることはないが、まるで自然現象のように、唐突に現れるのだという……いまはまだ、フィオロウス大陸の辺境でしか姿を確認されていないらしいが、もしこれが街中に現れたら。

 グレゴを調べてみると、妙な魔力の気配があることに、パウは気付いた。

 自然にわき出てくるのだと言うのなら。

 ――空気中の薄い魔力が凝固したもの?

 ――自然にできた、使い魔のようなもの?

 さらに調べていくと――どうもこのグレゴというものは、あたかも魔力に縛られるように、幾重にも複雑に、奇妙な魔法がかかっているようだった。

 ――まるで。

 ――まるで誰かが何かに、何百もの魔法をかけたかのような。

 ――何か。

 ――何か元になった物質、あるいは生物がいるのだろうか。

 ……けれどもこれは、知らない魔法だ。そもそも、魔法なのか。単純に魔力が糸のように絡み合ったものなのか。

 とにかく――よくわからない。

「別の部門で、それを研究しているのだけどね」

 ベラーに尋ねれば、少し残念そうに教えてくれた。

「彼らもよくわからないらしいんだ……それがわかれば、この不死身に死を与える方法や、そうでなくても、そこからまた様々なことがわかると思うのだがね……」

 グレゴはまるで、奇妙な魔力の塊のようだった。

 魔力――誰もが持っているわけではないけれども、魂に備わる力。また薄くも世界に漂っている力。

 もしそれが不死身の理由であるのなら納得がいく上に――グレゴに魔法をかけようとすると、弾かれてしまうのもわかる。

 隙間がないのだ。魔法をねじ込む隙間が。

 それでもパウは、研究を続けて。

 ――隙間を、見つけた。それは、小さな隙間。

 その隙間にねじ込むことができる魔法を、パウは考えて。

 そうして作り上げたのが――巨大な芋虫を大人しくさせる、魔法薬だった。

 魔法薬。複雑に組んだ魔法を溶かし保存したもの。

 これをグレゴに注射すると、グレゴはたちまち眠るかのように大人しくなった――魔法が活動を抑えたのだ。

 グレゴはどうも、いつも腹を空かせているようだった。それ故なのか常に凶暴で、大人しくしている時はほとんどなかったのだ。

 そのグレゴを、大人しくする薬を作ったということは。

「……これなら、現れた時に被害をより小さくできるし、捕獲の際に出る怪我人も減らせる」

 ベラーと自分の研究室。ガラスの向こうで、眠るかのように大人しくなった複数匹のグレゴを見て、ベラーは微笑んだ。それはまさに、意表を突かれて出た笑みだった。

「その上、研究の際にも暴れなくて済む……むやみに傷つける必要もない」

 そうしてベラーは、パウへと視線を向けた。

 師匠は――目を細めて、微笑んでくれた。

「何より、やっと私達の魔法が、彼らにきいたんだ……! パウ、やはり君は、私の見込んだとおり……」

 ただただ、パウは褒められて、嬉しかった。

 師匠に褒められたのだ。他の誰に褒められるよりも――幼い頃、自分を助けてくれた魔術師に褒められる方が、ずっと嬉しかった。

 ベラーはこの薬や研究の結果を、上に報告しに行くからと、預かってくれた。

「あとで他の部門の人間や、上の魔術師もくるかもしれない……たくさん質問されてしまうかもしれないが、君ならうまく答えられるだろう」

 ベラーは抑えたくとも抑えきれないような急ぎ足で、研究室から出て行く。

 だが、はっとして振り返って、申し訳なさそうな顔をした。

「……すまない、パウ。先程私が研究に使っていたグレゴを『処分』しておいてほしいのだけど」

「わかりました!」

 部屋に残されたパウは、ベラーの研究室の奥へと向かえば――台に縛りつけられているグレゴを見つけた。

 解剖されるかのように切り刻まれたそれは、再生の最中だった。何度も切り刻まれたらしいそれは、わずかに再生が遅く、そう暴れてもいなかった。

 グレゴの処分――不死身のグレゴを現れる度に捕獲していっては、いずれ、閉じこめておく場所がなくなってしまう。そもそも共食いをしてしまうグレゴには一体一体ケージを用意してあって、ただでさえ場所をとっているのだ。

 だから、ある程度研究に使ったグレゴを「期限切れ」と判断して、他のグレゴに食べさせる。それが「処分」だった。

 台には車輪がついている。パウはそのグレゴをまずは部屋の外へと運び出した。

 だが、廊下に出る直後だった。

 パウが、ひらめいてしまったのは。

 ――このグレゴを、自分の研究専用のグレゴにできたなら。

 行動を抑制する魔法薬こそ作ったが、パウはベラーの助手をしながら研究をしていた。それ故に、そこまで自由に研究ができるわけではなかった。

 特にグレゴを直接触るような研究については、ベラーと一緒でなければできなかったのだ。そこまでの権限がなかった。深くまで、調べることは難しかったのだ。

 しかし、このグレゴを自分のものにできてしまえば。

 今回の研究の結果で、権限が得られるとは、まだ限らないのだから。

 それに――自分はもっとできる。その自覚が、パウにはあった。

 そして、もっとベラーに褒められたかったから。期待に応えたかったから。

 ……処分をせずに、研究所内の自室にこっそり持ち帰るなんて、悪いことだとわかっていた。ばれてしまえば、喜ばせたかったはずのベラーをがっかりさせてしまうかもしれない。それだけではなく、研究所の上の人間に、ここを追い出されるかもしれない。

 それでもパウは、自室にグレゴを運んだ。

 見つからない自信があったし、見つかっても、それ以上の成果を自分は出せると信じて。

 役に立ちたかった。褒められたかった。

 そうしてパウは、自室でこそこそとグレゴの研究を始めたのだった。

 子供のように。何の疑問も持たずに。無邪気に。

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