第七章(09) やるべきことをやっているだけだ
* * *
ゆっくりと時間が過ぎていく。しかし村では着々と結婚式の準備が進んでいて、パウ達やオリヴィアは崖上からその様子を眺めて数日を過ごした。
それまでに何度か、村の人間がまた調査しに森に入ることがあったが、事なきを得ていた。事前にサリタが伝えてくれるからである。また崖上からは村の様子がよく見えるため、人々の動きから察して一行は警戒することもできた。
いずれにしても幸い、村の人間が崖上までやってくることは一度もなかった。
そしてついに、結婚式の前日を迎えた。日が昇れば、華やかに飾られた村が照らし出される。家々は白い花と青い花で飾られ、広場のアーチも美しく完成していた。
「へえ……すごいな」
崖下を覗き込んでいたアーゼが声を漏らす。すると後ろにいたオリヴィアが、
「とっても綺麗ね……きっと、素敵な結婚式が、見られるわ」
「小さい村なのに、あんなに盛大にやるなんて」
「小さい村だからこそよ、みんなで、お祝いするの」
「そうか? 俺の村では――」
そこでアーゼは、ようやくはっとして顔を上げた。オリヴィアと話していることに気付いていなかったのだ。そしてオリヴィアも、アーゼが言いかけた言葉に思わずびくりと震える。
アーゼはそれ以上何も言わず、オリヴィアを見ることもなかった。オリヴィアはかける言葉を探しているらしく、しかし見つける前に、アーゼは無言のまま離れて行ってしまった。
そんな二人の様子を、パウも言葉なく眺めていた。逡巡に一度俯くものの、やがて彼は、一人になってしまったオリヴィアの隣へ進む。
「……明日だな」
「ええ、明日よ、パウ」
巨大なカマキリの顔から、感情は読み取れない。しかし弱った表情をしていたのだろう彼女は、パウに声をかけられると、安心したかのように言葉を返した。
と、オリヴィアの触覚がふわふわと揺れる。巨大な瞳が捉えたのは、パウの肩に乗る青い輝き。ミラーカ。
パウは、オリヴィアが何を見ているのかわからず首を傾げる。しかオリヴィアは何も言わない。そしてミラーカも何も言わない。
しばらくの沈黙が居座った。
ところが、唐突に響いた鷹の鳴き声が、静寂を破り去る。
いまの鷹の鳴き声は、シトラのものだった。崖から少し離れた森の上を、一羽の鷹が旋回している。
「メオリ、何か見つけたのか?」
すぐさまパウが声を上げれば、焚き火のある方から、メオリが急ぎ足でやってくる。
とっさにパウは、また村人達がやって来たのかと思ったが。
「それが……サリタなんだけど」
パウとオリヴィアの前にやって来たメオリは、少し困惑した表情を浮かべていた。けれども微笑んでいるのは何故だろうか。
彼女はそれ以上答えず、ただつと、崖下を指さした。
――木々の緑の中を、白い何かが進んでいる。ふと顔を上げた彼女は、こちらの視線に気付いて手を振る。
「サリタ!」
オリヴィアが声を上げた。確かにそれはサリタだった。けれどもいつもと全く違う、その白い姿は。
――ドレス?
パウは唖然として瞬きをした。間違いなく、サリタが着ているのはドレスだった。それも恐らく、明日の結婚式で着るもの。
どうして彼女がそんな姿で森に入ったのか、すぐに推測できる。
間近で見せに来たのだ。
それにしても、大切なドレスで森に入ってくるなんて。汚れてしまうかもしれないし、枝にひっかけて破いてしまうかもしれない。
「ああサリタ……どうして!」
と、パウの隣で、巨体が地面を蹴った。パウが驚いた次の瞬間、オリヴィアは崖から飛び降りていて、しかし彼女は羽を広げれば、そのままサリタの前に着地する。
そういえば、飛べると言っていたか。
「あはは……来ちゃったんだね、サリタ」
そう苦笑いをしたメオリは、シトラを呼び寄せれば、その足に掴まって崖下に降りていく。ちょうどその時、騒ぎに気付いたアーゼが「何かあったのか?」と戻ってきたものだから、パウは崖下を指さして何が起きているのかを無言で説明して、共に徒歩で崖下を目指した。
ようやく崖下まで回ってきて、聞こえてきたのは、サリタの嬉しそうな声と、オリヴィアの困ったような、それでも嬉しそうな声だった。
「この子……ドレス姿を見せるために、来たんですって」
パウとアーゼの到着に気付いたオリヴィアが説明する。それを受けて、美しい花嫁姿のサリタは淑やかに頭を下げて、ふわりとドレスを広げて見せる。
「すごく綺麗だな!」
隣ではメオリが目を輝かせている。アーゼも、
「ああ、なんていうか……本当に結婚するんだな……」
明日、一人の人間が幸福に結ばれるのだ。自然とパウも微笑んでサリタを見つめる。彼女の胸元にある白いペンダントが、眩しかった。
だが。
「でもサリタ。大事なドレスなのに、森に入っちゃだめよ。何かあったら、どうするの」
嬉しそうでもどこか呆れたような声を上げたのは、オリヴィアだった。
「どうしても見せたくて……特にオリヴィアには、ちゃんと見せてあげたかったの」
と、彼女はペンダントを手にする。
「このペンダントが完成した時も見せるからね」
まるで美しい生き物の卵にも思えるその石は、つるりと日光に輝く。と、ふと思い出して、パウは口にする。
「そういえば、そのペンダントは、結婚式に関係があるものなのか?」
以前『白月のペンダント』とオリヴィアが言っていたか。
尋ねれば、サリタが自慢そうに微笑んだ。
「そうよ! 結婚式で、このペンダントに金の模様を刻むの。それが結婚した証になるの」
なるほど、とパウは思う。そういうものがあるらしい。
「幸せの証ね……」
オリヴィアが呟く。するとサリタは、どこか励ますかのように彼女に微笑みを向けた。
「……明日は、ちゃんと見ててね」
そうしてサリタは「抜け出したことがばれたら、まずいわね」と我に返ったのだった。
「戻らなきゃ……本当はね、最近森に入るなって言われてるの。見つかったら怒られちゃうわ。それじゃあ、明日――明日よ!」
花嫁姿の彼女は、汚さないように気をつけながら木々の向こうへ消えていった。その背を、一体の巨大な怪物は長いこと見つめていた。
「明日、か」
しばらくして声を漏らしたのはメオリだった。
「いい日になるといいね。いや、いい日になるのか」
戻ろう、と彼女が言えば、アーゼが頷いた。二人は崖上を目指して進み始める。パウも続こうとしたが、オリヴィアが動かないことに気付いて、ふと振り返る。その弾みか、肩にとまっていたミラーカがふわりと宙に羽ばたく。
オリヴィア、とパウが声をかければ。
「――パウ、ミラーカ、ありがとう、明日まで待ってくれて」
彼女は振り返らず、唐突に言い出す。
「本当にありがとう……本当に……」
巨大な漆黒は、震えているように見えた。
「私達も、戻りましょう。背中に、乗る? 歩きにくそう」
「……いや、歩いて戻る。少し歩きたい」
オリヴィアの申し出に、パウはそう答える。少し一人になりたかった。オリヴィアは頷けば羽を震わせた。空を飛び崖上を目指していく。背にある剣の柄が、鈍く光を返していた。
パウは杖をついて歩き出す。遠のいていくオリヴィアを見つめながら。
少しの安心感があった。
自分は、彼女にできることをできるだけしたのだと。
自分こそ、少し報われた気がした。
――ほんの少しだけれども。
そして歩く中、ふと立ち止まる。
「……パウ」
ミラーカが名前を呼んでいる。しかしパウは立ち止まったまま、視線を落とした。
――結婚式が終わったのなら、オリヴィアをミラーカに喰わせなくてはいけない。
すなわちそれは、オリヴィアを殺すということ。
罪悪感の波が打ち寄せる。そもそも自分が全ての発端――。
「パウ」
でも。
「パウ」
――オリヴィアは、死を救いだと言っていたから。
――きっとこれも、自分が彼女にしてあげられることの一つだ。
そして。
「ミラーカ」
この青い輝きにも、できる限りのことをしなくてはいけないから。
そっとパウが手を差し伸べれば、ミラーカはしばらくの間、どうしてかとまってはくれなかった。ただやがて、花弁が地面に落ちるかのように手にとまってくれた。
「……行こう、ミラーカ」
やるべきことをやるために。償うべきことを償うために。
この救いの青い輝きと共に。
「……パウ」
また、ミラーカが囁くように名前を呼んでくれる。
しかし続いた言葉は、唐突に思えた。
「頑張りすぎよ、パウ」
不意にそう言われて、パウは瞬きするほかなかった。青い蝶はそれ以上何も言わず、ただ羽を動かしている。
だからパウは微笑んだ。
「俺は、やるべきことをやっているだけだ」
救うために。
罰を受けるために。
――オリヴィアの姿は、もう小さくなって、崖上に到着していた。
……その姿を、森の外から望遠鏡を使って見つめる影が一つ。
望遠鏡はするりと滑る。次に映したのは、森から出てくる白いドレスの女だった。
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