第八章(05) 『仕入屋』だよ
* * *
颯爽と先を進むベラーは、まるで壁の向こうや曲がり角の先が見えているかのように歩いていく。時に手で制止を出し、それを見てパウがぱっと止まる――通路の先、または扉の向こうに人影がある。それが去ってから、再び歩き出す。
道中、黒い影を見た。曲がり角の先、数人で歩いていた。身に纏うもの、全てが黒色。その上頭全体を隠す仮面をつけている。仮面はつるりとしていて、まるで人間の身体に黒い卵がついた何か歩いているように見えた。
「……『掃除屋』もいるのか」
紛れもなく、以前『風切りの春雷』騎士団を襲撃してきた、人体改造を施された者達だった。もう魔法封じはないものの、あれがいては、魔法を思うようには使えない。彼らは、魔法に影響を及ぼす振動を持っている。
「『掃除屋』……ではなく、正しくは兄弟組織である『仕入屋』だよ」
人影が去っても、ベラーはしばらくその場を動かず、やがて完全に人が消えたと判断すると、歩き出す。
「彼らはプラシド側についたからね……厄介なことに『掃除屋』と違って捕獲を得意とする組織だから……索敵がうまくてね」
「『掃除屋』と……『仕入屋』は違いがあるのか?」
見た目に違いはなさそうだったが、パウが尋ねればベラーは頷いた。
「組織としてはほとんど同じだよ。トリーツェンの生み出した技術による、銀水晶による組織……ただ仕事内容が違う。『掃除屋』は我々にとって邪魔な人物や組織を片づけるのに特化していた。対して『仕入屋』は、その名前の通り……実験の材料を仕入れてくれる組織でね。だから索敵や生け捕りが得意なんだよ」
実験の材料を仕入れる、索敵や生け捕り――意味に気付いて、パウは顔を歪める。
つまり彼らは、不老不死の研究をする際に、実験体として使われる人間をさらってくる組織。グレゴとなる人間を集めてきた者達。
「あれには気をつけた方がいい」
少し早足で進むベラーは、足音の一つも鳴らさない。ただ長い髪が、魚の尾鰭のように揺れていた。
「あれのリーダーであるゼクンは、お前を殺せるから、プラシド側についたんだよ。我々はお前をできたら生け捕りにしたかったのに対して、プラシドは青い蝶の秘密こそ知りたいものの、お前を消すのには賛成してるようだからね」
「ゼクン? ……知らない名前だぞ、何で俺を?」
いや、聞いたことがあるような。しかしどこでだったかは、思い出せない。
すると、ベラーはまるで、どうしようもないというように微笑みながら振り返ったのだった。
「ゼクンは、ゼナイダの双子の片割れだよ。どうも彼は……お前がゼナイダを殺したと思っているみたいでね」
ゼクン。ゼナイダ。そういえば、ゼナイダが死に際に――。
と、ばっとベラーが壁に寄る。パウもならい、壁際に身を潜める。遠くから足音が響いてきている。迫ってきている。
周囲を見れば、隠れられそうな場所も扉もない。魔法で姿を隠すべきか、とパウはそっと手を上げる。しかしその手はベラーにおろされてしまった。
ベラーは来た道を引き返し始める。
「魔法で姿を隠すのは……よくないだろうな。魔術師もいる、その魔術師全て、君の技術で誤魔化せる相手とは限らないよ」
遠回りになるけど、と新たな道を進み始める。まるで迷路のような通路を、ベラーは全て記憶しているかのように進んでいく。時に部屋に入ったかと思えば、別の扉から部屋を出て、また見知らぬ場所に出る。通気口へ入ったかと思えば、そこから上の階、下の階へ移動する。
巨大魔力翼船ユニヴェルソ号は、パウが思っていたよりも遥かに巨大で、複雑だった。いまのところ、通路のどこにも地図がない。もはや乗組員にとっても不親切なほどにも思えてくる。外へと通じる扉にも、警告や注意の一つがあってもよかったものの、思い返せばそれすらもなかった。妙な船である。
「古い船だからね。造られた当時は、乗れる者なんて限られていたし、地図や案内があっても、この船は常に手を加えられ、変えられていったから、意味がなかったんじゃないのかな」
口にすれば、ベラーが答えてくれた。その口の端がつり上がる。
「ただかえって便利だよ。たとえば、裏切ろうとしても、船の構造がわからないから、逃げられないと考えて動けなくなるんだ……ほとんどの者が、自分の持ち場についてしか知らないはずだよ。船に乗せている劣等の者達はもちろん、一部の魔術師も」
ぼんやりとパウは吐き気を覚えた。彼らの何もかもが、悪意に満ちている。まるで蜘蛛の巣にひっかかってしまったかのようだ。
「……それで、ゼクンっていうのは?」
先程の話を思い出し、改めて尋ねる。
「なんで俺がゼナイダを殺したことになってる。俺は……何もしてないぞ」
思い出す。あの時のことを。あの時は、自分もミラーカも何もしていなかった。周囲の者だって。
『掃除屋』のリーダーである少女ゼナイダは、ひとりでに死んだのだ。銀色の血を、あふれ出させて。原因はわからない。
「ゼナイダが見ていた最後の光景に、君が映っていた。ゼクンはそれを見たんだよ。ゼナイダとゼクンは『繋がって』いたからね……」
意味がよくわからない。パウは首を傾げたものの、扉を開けてまた廊下に出たベラーは、振り返らず続けた。
近くの窓を見れば、青空は先程よりもより青くなって見えた。いまは昼なのだろうか。
「ゼナイダを殺したのは、彼らの親にあたるトリーツェンだよ。失敗したような手駒は切り捨てるべきだからね……でもゼクンは、まさか親が片割れを殺すとは思っていないみたいで……おまけに、自分達がただの『道具』であることも知らないんだよ」
ゼナイダ、および『掃除屋』は魔術師ではないようだった。
すなわち魔術師至上主義組織『遠き日の霜』にとっては、劣等の者達。選ばれなかった者達。捨てるべき者達――使えるのなら『道具』。
ふつふつと、怒りがわいてくる。ベラーを頼るしかできない、いまの自分にも、苛立ちを覚える。
どうして彼らはそんな考えをできるのか。命は命であり、ほかの何ものでもないのに。
魔力魔法が使えるかどうか。ただそれだけの違いであるのに。
……誰かの救いになる力があるのなら、救うべきだ。
……救われたいと思う者がいれば、救われるべきだ。
だからこそ。
「しかし……トリーツェンも驚いただろうね、まさか『道具』に裏切られるなんて。それだけでなく『才能なし』に銀水晶を盗まれるなんて……」
ベラーは笑っていた。
――ぎい、と鈍い音がした。
刹那、パウは音のした方へ振り返り、手を構えた。瞬時に展開された魔法陣から放たれたのは鎖。扉から出てきた人影二つを拘束する。
幸い『仕入屋』ではなかった。鎖は蛇のごとく男二人を縛り上げる。魔術師でもないらしい、魔法を使って対抗してくることもなかった。けれども。
「誰か――」
一人が口を開く。
が、大股でベラーが歩き出したかと思えば、その一人の頭を、持っていた肉切り包丁の背で殴りつけた。殴られた彼はぐったりと脱力する。同じ鎖に巻かれているもう一人をつれて、床に転がる。
まだ意識のある一人が、険しい顔をしてベラーを睨みつける。そして口を開こうとしたところで。
「殺してもよかったんだ」
ふわりとしゃがみ込んだベラーは、まるで抜け落ちた鳥の羽が、地面に落ちたかのようだった。
「でも床が血で汚れると、面倒なことになりそうだったから」
鎖で縛られたままの男が震え出す。パウには、ベラーの背しか見えていなかった。だからその時ベラーがどんな表情をしているのかわからなかった。
振り上げられる肉切り包丁。鈍い音がした後にベラーが立ち上がれば、その包丁の背が少しだけ血で汚れていた。
男二人は気絶していた。魔法の鎖を消し、パウは見下ろす。
「残念だけど、このあたりに、外への扉はないんだ」
不意にベラーが溜息を吐いた。パウは渋い顔をしながらも、男二人を、出てきた部屋の中に引きずり入れた。
「部屋につっこんでおけばいいだろ! そんな必要はない……」
「起きたら厄介じゃないか」
それでもパウは、男二人を部屋に押し込めば、きっとベラーを見上げた。
肩を竦めたベラーは、それ以上何も言わずに先に進み始めた。
しばらく進んだところで、廊下が細くなる。廊下というよりも、通路めいた場所を歩いていた。魔力翼船の、地鳴りのような低い音が、異様に響いているように感じられる。
鉄の扉が見えてきて、ベラーがドアノブを掴む前に、振り返る。
「……仕方がないからここを通るよ。足音を立てないように。下には人がいるから、気をつけて」
そう言われ、扉が開かれた先には、細い鉄の橋がかかっていた。高さのある部屋の中、高所に吊られる形で作られた通路らしい、その部屋は非常に大きな部屋だった。
ベラーがかすかに身を屈めて歩き出す。パウもついていく。人の声が聞こえる。ちらりと下を見れば、確かに人影が見える。人影と――いくつもの魔法陣や鎖で固定された、巨大な何かが。
パウは思わず息を呑んだ。その巨体を見るのは初めてだったものの、闇を煮詰めたような漆黒は、これまでに何度も見てきたものだった。
グレゴの漆黒。
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