第六章(13) 俺がここにいると


 * * *


「……えっ、何してるんですか、トリーツェン様……?」

 ウィクトルは思わず一歩退いてしまっていた。いつも浮かべがちな苦笑いもできずに、あまりにも突然で不可解なトリーツェンの行動に、拒絶にも似た表情を露わにしてしまった。

 それもそのはずである――共にグレゴについて記録を取っていたトリーツェンが、突然銀水晶一つを口の中に入れたかと思えば、飴玉のように噛み砕き、傍らに吐き捨てたからである。普段の彼女からは考えられない、品のない行動だった。

「あら、驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね」

 トリーツェンは、直前の行動がまるで嘘だったかのように微笑んでいる。しかし傍らには砕けた銀水晶がまだ転がっていて、彼女がふわりと手を振れば、光り輝く小さな刃が全て粉にしてしまった。

「……それ、ゼナイダの銀水晶って言っていましたよね?」

 ウィクトルは顔をひきつらせたままだった――嫌な予感がしたのだ。

「……砕いちゃいましたけど、いいんですか?」

「ええ。余計なことをするかもしれないから、処分したのよ」

「……処分?」

 ウィクトルの表情から更に血の気が引く。対してトリーツェンは微笑んだままだった。

「使えない道具はいらないの……ゼナイダは失敗したわ。ちょっと報告に行って来るわ」

 かつかつと足音を響かせながらトリーツェンは進んでいく。その冷えた後ろ姿に、ウィクトルはもはや嫌悪すらも覚えるほどだった。

 トリーツェンは殺したのだ、任務に失敗したらしいゼナイダを。

「……あんなにも慕っていたのに」

 お母さま、と嬉しそうに呼ぶ双子の片割れの姿が脳裏をよぎる。実際には、トリーツェンと双子の間に血縁関係はない。昔、不老不死研究のために人間を捕まえに行った際、小さな村を襲ったのだが、そこで双子の赤ん坊を見つけたのが始まりだという。この双子を、トリーツェンは兵器として改造したのだ。

 そのことを考えれば、トリーツェンが最初から双子を「道具」として見ていたのだとわかるものの。

 ――「兵士」ではあったかもしれないけど、道具でもないしペットでもないんだぞ……?

 その残酷さに、ウィクトルは言葉を呑んだ。ただただいまは、意地悪なところもあったが自分によく懐いてくれていたゼナイダの姿ばかりが、思い浮かぶ。

 確かに彼らは、非魔術師だった。自分達とは違う人間だった。

 けれども、友人だったのだ。

「――トリーツェン!」

 不意に声がしてウィクトルは顔を上げる。今し方部屋から出て行こうとしていたトリーツェンの前、少し慌てたようなプラシドの姿があった。

 そのプラシドの腕の中に、ぐったりとしたゼクンの姿があった。

「ゼクン! プラシド様、一体何が……」

 とっさにウィクトルは駆けだした。プラシドはゼクンを下ろせば、床に横たえる。

「急に倒れたんだ……だからとりあえず連れて来たのだが……」

「あら、ゼクンが? それは予想外でしたわ……ごめんなさいね、あなたの手伝いをさせていたのに」

 トリーツェンは屈むことなくゼクンを見下ろし、プラシドへと微笑みを向けた。

「ゼクンに関しては心配ありませんわ……おそらく、ゼナイダの銀水晶を砕いたからでしょう。銀水晶は二つで一つ。片方が砕けた影響を受けたのかもしれません……きっと、ゼナイダが最期に見たもの感じたのものを受けたのです……」

「――ゼナイダは失敗したのか?」

 その言葉に、はっとプラシドが顔を上げる。変わらず、トリーツェンは眼鏡の向こうで目を細めて「もう処分しましたわ」と答える。するとプラシドは声をかすかに潜めて、

「銀水晶の仕組みが、この子にわかってしまったのでは?」

「それはあり得ませんわ。まずこの子はわたくしを疑いません、ゼナイダが処分されたとは、夢にも思わないはずよ……きっと、あの紫色のマントの魔術師にやられたと、思うことでしょう」

「……それなら都合はいいが」

「決して、完璧にいいとは言えませんけどね。怒りのあまりあの魔術師を殺すと言い出したのなら困りますもの……」

 そうトリーツェンはかすかに眉を寄せたが、瞳は冷ややかに細くなる。

「まあ何かありましたら……こちらも処分しますわ。いまゼクンまで失っては困りますから、なるべく避けますが」

 そう言ったトリーツェンの背中を、ウィクトルは固唾を呑んで見つめる。

 何も知らないゼクンは、目を固く閉じたまま、起き上がろうとしなかった。しかしその閉じた目から、わずかに涙が零れていた。


 * * *


 『掃除屋』の襲撃から、数日が経った。

 『風切りの春雷』騎士団では、多くの負傷者が出た。死者も少なくはなかった。そのためにもう少し休みたいものの、隊長であるネトナが「もう動かなくてはならない」と判断した。

「今回は勝利したが、次は何が来るかわからない。やはりもう動かないと……それだけではない。奴らよりも早くグレゴを捕まえなくてはならないのだ」

 ネトナは二日後にここを発つと皆に伝えた。

 ――その日の昼過ぎ、パウはミラーカを連れて、騎士団の野営地を歩いていた。廃墟と化した街を利用した野営地では、いまだ怪我人の姿が多くみられる。しかし彼らはもう、出立の準備を始めている。一部では手合わせをしている様子も見られる。

 誰も絶望していないのだ。誰も悔いてはいないのだ。

 ここで打ちひしがれてしまっては、死んでいった仲間に向ける顔がないと知っているために。

 しかし。

「……っ!」

 パウが建物の角を曲がったところで、騎士団員の一人と出合い頭にぶつかりそうになった。パウは落ち着いて身を引いたものの、相手はひどく驚いた顔で――ひどく怯えた顔で――まるで逃げるかのようにパウから距離をとっていく。

 思わずパウは彼を目で追ってしまったが、我に返って歩き出した――もう慣れてしまった。数日前こそ、一体どうしたのかと思ったが。

 視界の端をちらりと見れば、自分を見てひそひそと話し合う騎士団員の姿があった。こちらを睨みつける者の姿もあった。歩く者があれば、パウをさりげなく避けていく。そして気付かれないように振り返ってまじまじと見つめるのだ――パウと、彼が連れている青い蝶を。

「青い蝶」

 声が聞こえる。

「ありゃ一体……何なんだ?」

「気味が悪いよ……聞いたか、新入りがあれを見て以来ずっと寝込んだままらしいぞ」

「俺はあれ以来……よく眠れないよ、悪夢を、見るんだ……」

 パウの足はそちらへは向かなかった。

 向かうは騎士団の隊長のテント。ネトナがいる場所。

「――話があるんだが」

 入ってすぐにパウはそう言ったが、言葉を止めた――ネトナは先に、アーゼと何か話していたらしい。壁際には腕を組んだエヴゼイの姿があった。

 あとにしよう、と、一度テントを出ようとした時だった。

「ちょうどよかった、こちらもお前に話があってな……アーゼにお前を呼びに行かせるところだった」

 ネトナがアーゼに少し下がるよう、手で指示を出す。パウは、

「俺に……話があるのか?」

「そうだ。だが先にお前から話せ」

 促されたものの、パウは一瞬躊躇った。テント内にいるのはネトナとアーゼ、それからエヴゼイだけ――ここにいる人間達は、果たして自分のことを、いまどう思っているのだろうか。

「……俺はこの騎士団を離れようと思う」

 ――誰も表情を変えなかった。ただ皆、次のパウの言葉を待っていた。

「俺がここにいると、士気が乱れるから」

 皆が、恐れてしまったのだ。自分と、自分の連れる青い蝶を。

 何かしたわけではない。パウ自身も、ミラーカが特別何かしたとは思っていなかった。自分も何も変なことはしていない。

 ただその存在が、いま、この騎士団の戦士達を不安にさせ、乱させてしまっている。

 士気の乱れは、命がけの戦いに、必ず悪影響をもたらしてしまう――だからパウは、決意したのだった。

 けれども、ただ離れるわけではない。

「ここを離れて……俺一人で、この先にいるグレゴと戦う」

 グレゴを殺せるのはグレゴだけ。騎士団に任せるわけにはいかなかった。

 そもそも、最初はそうだった。最初は一人で戦うつもりだったのだ。

 ――ところが。

「だめだ」

 ネトナの声が淡々と、それでいて凛と響いた。

「この先にいるグレゴとは、我々が戦う。お前一人に任せない」

 ぴしゃりと言われ、パウは思わず何か怒鳴りそうになる……士気の乱れは、ネトナが一番わかっているはずだったし、隊長故に、それがどんな悪影響を及ぼすがわかっているはずなのだ。

 しかし、ネトナは言葉を続けた。

「……さて、お前の話はそれだけのようだな。では、こちらの話をさせてもらう」

 パウの話を、まさに切り捨てるように終わらせたかと思えば、彼女は地図を取り出した。一体何のつもりかとパウが怪訝に顔を歪めれば、ネトナは地図をテーブルに広げ、指さしたのは――『白の花弁』地方。

 そして、隻眼でパウを見据える。

「お前には……『白の花弁』地方にいるとされるグレゴを頼みたい」

 パウは唖然としてしまった。

 ――士気の乱れやそれが及ぼす影響は、ネトナにも十分わかっていたのだ。

 このままパウを騎士団に置いておくのは難しいかもしれない……そこでエヴゼイと相談して、パウを『白の花弁』地方に向かわせることを思いついたらしい。

「二手に分かれるのだ」

 ネトナは地図の『赤の花弁』地方を示し、次に『白の花弁』地方をもう一度指さす。

「お前の存在が士気を乱しているということもあるが……敵の動きがやはり速いようだからな。『白の花弁』地方にいるとされるグレゴも、急いで対応しなくてはならない……そこでお前に『白の花弁』地方のグレゴを任せ、我々はこの『赤の花弁』地方のグレゴの相手をしようと思うのだ」

「……それは、でも……危険なんじゃないのか?」

 おずおずと、パウは尋ねてみる。するとネトナは鼻で笑ったのだった。

「それは我々が? それともお前が? ……まず、我々に関してだが、なめてもらっては困る。お前がいなくとも、グレゴの捕獲を成功させてみせよう」

「でもグレゴは不死身だ、捕まえたところで……」

 捕まえたところで、捕まえたままにするのは難しい。グレゴはどんな傷も治るのだ。逃げ出す可能性がある上に、それによってまた騎士団員も危険にさらされる可能性もある。

 しかしネトナは、テーブルの上に小瓶一つを置いた。

「――忘れたのか、お前の作った魔法薬があることを」

 それは『掃除屋』に襲撃される前に、パウが作り上げた魔法薬の一つだった。

 グレゴを大人しくさせる魔法薬――『遠き日の霜』のものを、パウが分析し、複製したものだった。

 複製した魔法薬はこれ一本だけではない、まだ数がある――。

「グレゴを捕獲したのなら、これで大人しくさせ続けるつもりだ……お前と、ミラーカが戻ってくるまでな。魔術師どもから守り逃げながら、なるべく『白の花弁』地方に向かう予定だ」

「俺とミラーカが帰って来るまで?」

「お前は『白の花弁』地方のグレゴを退治したのなら、すぐにこちらに戻ってくるのだ……でないとグレゴは消滅させられない、そうだろう?」

 そこでアーゼが微笑みながらパウの前に出た。

「『白の花弁』地方には、お前一人で向かわせない……俺がついていく、そういう話をしてたんだ」

「本当はもっと人をつけてやりたかったが……難しいことは、お前自身がよくわかっているはずだ。だがアーゼは……お前を信用している」

 ネトナはアーゼとパウを改めて見据えて、腕を組む。

「しかし無理をしてはいけない。もし何かあって二人では難しいと思ったのなら、すぐにこちらに戻って来てくれ。偵察、といった具合でいい。馬を与える、その方がいいだろう……それでも十日以上はかかるだろうがな」

「――馬より速いもの、知ってる?」

 唐突に、テントの入り口が開いた。眩しい日の光が差し込み、その中に影が一つあった。

「私のシトラなら……五日でいける」

 肩に鷹を乗せた女魔術師は、そう得意げに笑って、パウとアーゼの間に割り込んだのだった。

「メオリ! お前……もう怪我は大丈夫なのか?」

 パウが目を丸くすれば、メオリは挑発するかのように口の端を吊り上げた。肩に乗っているシトラも元通りになったようで、鳴き声一つを響かせる。

「……話は聞こえた。さすがに二人だと心細いだろうし、何かあった際を考えるのなら、速く動ける足があった方がいい」

 メオリの橙色の瞳は、全員に向けられた。

「私も行きます、この二人と一緒に……その代わり、騎士団から魔術師がいなくなるけど」

 しばらくの間、ネトナは彼女を見据えていた。やがて、その隻眼がエヴゼイへと向く。

「エヴゼイを働かせる。こちらは任せておけ」

「僕ぅ、ネトナちゃんの剣新しく作ったり、それだけじゃなくてみんなの武器や持ち物直していっぱい働いた後なんだけどね?」

 エヴゼイはそう言いつつも、手をひらひらと振っていた。

 ――翌日、一頭の翼を持つ四足の獣が、野営地から飛び立った。

 朝日に照らされながら宙を駆ける背に、人影は三つ。

 メオリ、アーゼ、パウ。

 ――そしてパウの肩にとまっているのは、青い蝶。

 パウがミラーカに手を差し伸べれば、青い蝶はしばらくの間、何か躊躇ったようだった。

 それでもパウの手に移れば、青い羽を輝かせたのだった。


【第六章 祈り沈むは幻想の 終】

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