第八章(07) 集中しなさい
* * *
鉄の廊下を、足音を殺して進んだ果てに、薄暗い場所に出た。
低く這うような、それでいて耳鳴りに似た音が絶えず響いている。虫の羽音も彷彿させた。その音の反響から、そこが広い空間であるとパウは察する。
魔法陣が張り巡らされた床、目前に並ぶのは、巨大で細い楕円形の何か。台座こそあるものの、どれもが浮いている。楕円形はどれもが魔法陣、あるいは紋章を帯びているが、どれもが違うように見える。一つだけ黄色の文様を持ったもの。赤と白の魔法陣二つを持ったもの。複数の、それも色もばらばらの魔法陣と文様を持ったもの――まるで展示されているかのようだった。
「……これがユニヴェルソの原動力で、仕組みか」
この楕円形の装置一つ一つに、巨大魔力翼船ユニヴェルソ号の秘密が隠されている。人の気配がない中、進むうちに、パウは自然と言葉を漏らしていた。この船には様々な力がある。その様々な力の分だけ、この装置が並んでいると思われた。
ベラーは迷うことなくかつかつと進み、一つの装置の前で立ち止まった。
「これだよ、君が壊すべきは」
――白い巨大な魔法陣いくつかを纏った装置だった。床の魔法陣を見る限り、周囲のものと密接に繋がっている……周囲の装置の、まとめ役のようである。
ベラーはパウへ振り返る。薄暗い中、魔法陣の光に照らされた顔は、ぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
「ここ全体で、巨大な魔法道具、摂理といっていい……そしてこれが、飛行に関する部分の重点だよ」
「……翼と浮力の部分ってことか」
魔法道具や魔法による仕組みに、パウはそこまで詳しくなかった。けれども魔力翼船の簡単な仕組みぐらいはわかる。空気中の水分と漂う微力な魔力を織り合わせ翼を作り、推進力と浮力を得る。浮力に関しては、また風と重力操作により確かなものを得る……。
ところで。
「……それで、どうやって壊す?」
ここまでついてきてしまったものの、その具体的な方法がわからなかった。そもそも変に壊したら。
「場合によっては……普通に墜落するぞ」
いまいるこの巨大な船。浮力を失ったら。
「その通り。だから慎重に壊さなくてはいけない」
ベラーは装置へ振り返り、見上げた。そして改めてパウを見て、微笑んだのだった。
「なに、難しい顔をする必要はないよ。魔法薬や物質の分析と同じ要領で、この仕組みに潜り込めばいいんだよ。重要なものは、一番底にあるはずだから、それを小さく傷つければおしまいだよ」
まさに、空気の入ったボールに穴をあけるような行為。
しかしパウは、なるほど、と思う。ベラーの言いたいことはわかった――実際にできるかは、さておき。
ベラーは装置の前へ、パウを促す。パウは少し躊躇いながらも、前に立った。
魔法薬や物質の分析と、同じ要領で――手を前に出す。装置の中に、意識を潜らせていく。
とたんに、ぐっと魔力が持っていかれる、そんな感覚によろめいた。
――想像以上に、複雑に魔法が組まれている。触れようとしなくとも、触れてしまう。触れたのなら、魔力が持って行かれてしまう。分析とは、魔力で魔法に触るようなものだから。
まるで騒音の中に放り込まれたかのようだった。耳を澄ませ、音の一つ一つを探って目当てのものを見つけなくてはいけないものの、あまりにも騒がしく、とにかく音が耳に入ってくる。そんな感覚だった。
装置を作る魔法は、まるで数式のようなものだった。数式一つが糸となり、絡み合い、編まれ、一枚の布を作っている。
目を瞑り集中する中、パウは徐々に顔を歪めていった――潜れない。外装というべき魔法構成の編み目に、穴がない。
それでも声も漏らさず、息をするのも忘れて、意識を巡らせる。
――ここからいける。
下の層へ。下の構成へ。
「……ちょっとやそっとの傷なら、自動修復が行われる」
「……それをもっと早く言え」
ベラーの声が聞こえて、さっとパウは、魔法の仕組み一つを乱してみた。できた解れから、更に奥へ――乱れた構成は、確かに修復されているらしかった、何も起きない。
「だから目的のものを見つけたら……いい感じに傷をいれるんだよ。半端では修復される。やりすぎたら――」
「――墜落」
それでも、とにかくやるしかない。
汗が額を流れ、頬を伝い、顎まで落ち、床に滴った。魔法の構成がいくつも並んでいる。この先に行かなくてはならない。
楽器を叩くような気持ちで、パウは魔法の仕組みを傷つけ乱し、核へと近づいていく。頭が痛くなってきたような気がしたが、やがて気のせいではないと気付く――何かが、自分の中に侵入してきている。魂に絡みついている。魂に干渉されてしまえば、そこを元としている魔力は乱れてしまう――
恐らく、防衛の仕組みが作動しているのだと思う。これ以上の干渉を拒み、逆にこちらに干渉し、破壊しようとしている。
息をするのが辛くなってくる。鼓動は早くなる。指先から体温が抜け、冷えてくる。
「大丈夫、集中して」
とん、と肩に手を置かれた。感覚が鈍くなる中、それだけは確かで、パウははっと目を見開いた。目の前にある装置は、いまだ平然としてそこにある。少し憎らしくなって、パウは頷き、睨んだ。
もっともっと奥へ。最奥に向かわなくてはならない。
頭を軽く振って、汗を飛ばした。そしてさらに、仕組みの奥へ潜っていく。編み目のような構成の向こうへ、進んでいく。
――稲妻が落ちたかのような音が響いた。
ひうっ、と思わずパウは悲鳴を上げてしまった。核まではあともう少し、そこで不意に装置の魔法陣が激しく明滅し始めたのである。それにあわせて襲いかかる、激しい頭痛。揺れる意識、乱れる魔力――。
「パウ、いま下手に魔力を乱すな」
かすかであるものの、珍しく、ベラーが焦ったように顔を歪めていた。
「落ち着きなさい。でないと……脳と魂を焼かれるか、この装置が大きく損傷して船は墜落してしまう……集中して」
ところが、ベラーのその表情が、パウの不安に追い打ちをかけた。
――パウの乱れにつられるようにして、装置が纏う魔法陣がばちばちと音を立てた。大きく震え、その振動に今にも割れてしまいそうなほどだった。
同時にパウを苛む頭痛も、頭を砕こうとするように激しくなる。
「む……無理です!」
激しい光を放つ魔法陣から、恐怖のあまり、パウは目が離せなくなってしまった。
目をそらした瞬間、爆発する。そんな不安が渦巻いて、硬直させる。
「無理です師匠! こ、こんな……」
手に負えない。船は間もなく、翼を失った鳥のごとく、落ちるに違いない――。
――唐突に、目の前が暗くなった。何も見えない。
悲鳴を上げて、パウは全てを投げ出そうとしたが。
「落ち着きなさい。ほら、集中して……まずは息を整えた方がいい」
暗くなったのは、目が潰れたからではなかった。
ベラーが手で、パウの目を覆ったためだった。眼鏡を奪い、代わりに手を被せていた。
「吸って……吐いて……」
震えながらも、パウは囁かれる指示に従う。たったそれだけで、少し頭痛が遠のいた。目を覆う手が、額にも触れているためだろうか。
だが全て終わったわけではない。今の状況では、下手に干渉を放棄することも、墜落に繋がりかねない。
「集中しなさい」
声が聞こえる。
ベラーは暴れ狂いだしそうな装置を見据えていた。
「大丈夫、装置の様子は私が見ているから……君はやるべきことを、やりなさい」
――再び、魔法の構造、その奥へ泳ぎ出す。切れ目を作って、その先へ。
「そう……問題ないよ……ああやりすぎるな、そこは慎重に」
魔法陣は明滅し続けている。その光の具合を見て、ベラーは指示を出す。
パウの呼吸はすっかり落ち着いていた。ゆっくり、落ち着いて核へと近づいていく。
「……これは? これは……大丈夫ですか?」
「大丈夫、進みなさい。安定しているよ」
やがてパウの意識は、小さな球体にたどり着いた。
魔力でそれを包み触れてみる。間違いない、この装置の核となる魔法である。
これを、ほど良い具合に傷つけなくてはいけない。
けれどもそれは案外簡単だった――この程度でいい、そう、核に触れた瞬間、わかったのである。
鍵を開けるように、核の魔法に小さな切れ目をいれた。構造を、乱す。
――装置の魔法陣が、光を失う。消えることはなかったものの、まるで光の残滓しかないような白色を湛えていた。
同時に、パウの意識も暗闇に呑み込まれようとしたが。
「――パウ、パウ。よくやったね」
ベラーの呼びかけにより、沈みかけていた意識は浮上する。
気付けばパウは、床に座り込んでしまっていた。ひどい倦怠感と消耗感が、全身にのしかかっている。今の自分に残っている魔力も、もうほとんどなかった。随分と使ってしまったらしい。
見上げれば、なりをひそめたようなあの装置があった。魔法陣の異変から、ようやく自分が成功したのだとパウは気付く。
成功した。船は緩やかに墜落する。
これでミラーカのもとに行ける。
そしてこの船から出て……。
「立てるかい、パウ」
ベラーは、床に座り込み、倒れそうになっていたパウを隣で支えていた。パウは返事をせず、ただ立ち上がろうとするが、なかなか立てなかった。頭痛が完全に引いたわけではない、身体も、まるで熱を出したかのようにだるく、足下もおぼつかない。
「……ミラーカのところへ」
だがやがて、しっかりと立って。
「案内、しろ。ミラーカのところへ、行かないと」
そして船から脱出するのだ。
この船でやるべきことはまだたくさんある。グレゴを利用しようとする者達、恐ろしい思想を持つ者達を止めること、あの『光神蟲』の存在……そして、ベラーについても。
だがいまは、ミラーカと再会して、安全を得ること。それが優先するべきことだった。
パウは一人で歩き出した。ひとまずは、この部屋を出なくてはならない。船に乗っている者達が異変に気付くのは、意外にも早い可能性がある。きっとどこか別の場所で、船の調子を管理しているだろうから。翼の不具合、浮力低下及び高度低下に気付けば、この場所を調べにくるに違いない。
ベラーは扉を目指すパウの背を眺めていた。
彼にはきっと、いま、青い蝶が見えているのだろうと悟っていた。
――言われなくとも、このあとはミラーカがいるであろう場所に向かうつもりだった。
とにかくプラシドの手元にあるのは『遠き日の霜』としても不利益である。
だから立ち上がって。故障させた装置を、一瞥して。
「いい具合に壊してくれたね……直すのに時間はかかるだろうね」
パウを追って、歩き出す。
「……一方で、直すのに時間はかからない。完璧だよ、お前は」
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