百鬼行

カヤテ・グレンデルがグレンデーラ北方で剣を振るう事になった背景は実に単純な理由からであった。


そも、先のマニトゥー大使暗殺の疑念を解消する事が出来なかったという一言に尽きる。命からがら領都に辿り着いたミトリアーレとカヤテはグレンデル公に全てを説明し、以降は公が釈明の窓口に立つ事になるが、責めるロボクとマニトゥーに対し、血の付いたロボクの剣という証拠があると主張した。


ロボクはそれを捏造と主張し、マニトゥーは保留。しかし最終的には強硬なロボクに引きすられる形でクサビナを責め立てた。


各国の思惑として、ロボクはクサビナ憎しの感情と、なるべく南の土地を手に入れたいという欲が絡まりあい、結果としてミトリアーレを会談の場で嵌め責める口実を手に入れようとしたと考えられる。


一方のマニトゥーは大使が殺害された以上国家として引き下がることはできず、朧げながらロボクの犯行とは理解しつつもロボクについた方が旨味があると判断したと考えられる。


クサビナ首脳はロボクがクサビナの土地に足を踏み入れるのであれば攻め返し、侵略しようと考えていたが、そこにファブニル公のグレンデルを蹴落とそうとの思惑が介在し揉め事を起こした責を負う形で対応を一手に担うこととなっていた。クサビナは大国だ。国を挙げて自国の1地域を奪い返し逆に攻め込む事など造作も無い。


グレンデーラに辿り着いたカヤテは公女を一人になっても守りきった功績で元々内々定していた青鈴軍の副長に着くことになる。


無事に帰国してから3ヶ月弱を経てとうとう戦端が開かれる事になった。


全軍の指揮は青鈴軍の将であるマトウダ・グレンデルが行い、その直下に1万の手勢、2人の副長がそれぞれ5千率いる形だ。


カヤテが副長に着いて直ぐの戦争であったが、以前にも軍を率いた経験はある。衒いはない。


数日掛けてロボクとの国境線に陣取り、夕刻軍議を行うこととなった。


「では、始める。ロボク勢は如何程か。」


本陣に張られた天幕の中で3人の将官が木製の机を囲む。

辺りは日が落ち、蠟燭の灯りが揺蕩っていた。


始めに口を開いたのはマトウダ・グレンデル。白髪が混ざり灰色となった頭髪を頭部で結いたっぷりとした髭を蓄えた老齢の男だ。腰には大きな剣を佩いている。上下の装いは銀色の甲冑に青の腰布を巻いている。背にはもう一本剣を負っている。皺が寄った顔つきではあるが、鷹のように眼光は鋭く量の多い眉が存在感を主張している。


この男は現公爵の叔父に当たり、68の人生の大半を戦場で過ごして来た強者である。


「狼らの報告によれば、数は4万。内精鋭は1万。殆どが寄せ集めでしょう。」


カヤテが答える。その表情は苦々しい。


「カヤテ卿、如何かしました?些か元気がありませんね。」


3人目は細面の狐目の男。顎にかかる程度の黒の髪を前で分けた29になる副長、ネス・グレンである。装いはマトウダと同じ甲冑であるが、腰布を巻かず、また剣の他に錫杖を携えている。ネスはグレンデルの傍流の血筋であるが、その血は薄い。しかし強力な風の行法を行使し、また剣や指揮の腕も冴える事から2年前より副長に就任している。


「雑兵とは言え勢いに乗れば精鋭と影響は大差はありません。それにこの差です。」


「ふむ。ま、何れにせよ我らに残された道は闘う事のみよ。10人殺して死ぬか、100人殺して死ぬか。肝心なのはそれだけよ。」


「然りですよ。殺せばいいのです。1人が2人斬り殺せばこの戦は分けます。簡単じゃないですか。」


そんな武闘派にも程がある発言を首脳の2人が発する。

2人とも本気で実行しようと考えていない事は認識しているが、忸怩たる思いが産まれるのも事実だ。

そもそもグレンデル一族は好戦的で、選択肢があれば大抵闘うことに傾く気質を持っている。


「冗談はその辺りで。私としては敵の突撃を用兵術で凌ぎつつ補給線に打撃を与えるのが好ましいと考えますが。」


「味気ないの。おぬしももっと熱くならんか。そもそも倍の数を幾ら敵より精強とて凌ぎ切れるか?」


「数度は耐え切れても延々とは持ちませんね。ならば此方が消耗する前に痛手を与えた方が良いのでは?僕が先鋒を担いますよ?」


「ネス殿!この土地を守るのが我らの任であるはず!最期まで敗れる想定はするべきではない!」


「そんなにすぐ怒らないで下さいよ。分かっていますよ。・・・ロボクは作物の育たない不毛な北の地に土地を持ち、降雨も少なく最北のランジューの様に交易が盛んな訳でもない。我らがクサビナの土地を何時でも欲している。僕はね、この戦争で負けても民に害は及ばないと思うんですよ。欲しているのは実りの多い土地でしょう。荒らすようなことはしないと思うんですよね。」


「その考えは甘いと言わざるを得ない。私はロボク麾下の傭兵と闘ったが、下劣な者共だった。ロボクの首脳がどう考えようと、手足が碌でもなければ被害を被るのは民だ。」


カヤテは鉄鬼の団のルシンドラを思い出していた。

賊が見栄えのいい鎧を着ただけの下衆であった。


「二人とも。熱くなるな。我らに出来ることは民を避難させ、我等が土地を守るべく抗うことのみ。諸侯勢はマニトゥーを抑えることは出来ようが、増援までは期待できん。明日が開戦となろうがロボクはまず雑兵を当てて来るだろう。勢いづいているはずだ。まずは受ける。固く守り突撃を被害なく受け止めよ。そして纏まる前にすぐさま押し返す。雑兵共が崩れれば精鋭が出てくるだろう。それも受け止め、押し返すしかない。この兵力差で軍を割いて奇策に走っても効果は薄いだろう。なるべく持ち堪え、民を逃す。これが我らに出来る最善手よ。」


この戦で自分は死ぬだろう。男に媚び諂ってまで生き永らえたいとも思わない。

未練はある。ミトリアーレの役に立てず、姫を窮地から救うことが出来ないこと。


知らず強く歯を噛み締めていた。

カヤテは考える。

あの男だったら。

ここにシンカがいたのなら。

兵達を傷つけること無く敵を追い返してしまうのではないか。

そんな事を考えてしまうのだ。

考えても意味はない。彼はいない。


春の終わりにカヤテは大切な主と自分と、二つの命を流れの薬師に救われた。


騒動が落ち着いた時には薬師は姿を消していた。

礼の1つも言えぬまま行方は知れず。


不思議な男だった。

そして、不思議な感覚だった。


貴族に安易に諂わず、自身の尊厳を保ち、しかし貴族を尊重する。

知識は膨大で、他者を守る力を持ち、その意思も併せ持つ。


カヤテにはシンカという人間が、とても気高く尊敬に足る人物として写っていた。


しかし、彼に恩を返す事は出来ないだろう。


つらつらと考えているうちに軍議は終わった。


直属の部下との軍議を終えると夜半となっていた。

この時期は夜と昼が大体同じ位の長さだが、遠く東の空が黄昏ており何処か切なさを帯びている。まるで自分という命の陽が傾いているかのように感じてしまう。


将官用に宛てがわれた天幕の中で寝台に腰掛け、カヤテは燭台に灯る火を眺めた。


危機は今までに何度も経験してきた。

死を恐れてはいない。しかし脳裏にミトリアーレの顔が浮かび、こびり付き、離れない。


公爵家の跡取りとなるべく育ってきたミトリアーレ。彼女は飛び抜けた才の持ち主ではなかったが、努力を怠らず着実に成長し、大領主としての能力を蓄えていた。カヤテはその姿を間近で見てきた。直向きな努力の姿勢を同じ女として尊敬していた。幼いながらも挫けぬあり方に臣下として忠誠を誓っていた。何より妹の様に思い愛していた。


ミトリアーレはこの戦の如何によっては戦犯として裁かれるだろう。


華奢な身体が風に揺れる姿を幻視する。顔は赤黒くはれあがり、糞尿を垂れ流して、首を吊られて風に揺れる。


「うぅあああああああああああっ!」


剣を抜き、銀の燭台を叩き切った。

揺らめく灯火が消え、天幕の中が闇に覆われた。

幻視したミトリアーレの姿に対し焦燥感と怒りを抱く。その光景が現実にならない様最大限努力するしかない。


首一つとなってもロボクを退けなければならない。

カヤテは瞑想を始める。

危険な賭けだ。


どれ程時が流れたか。小鳥の鳴き声で朝だと認識を出来た。

一睡もしていないが疲労は溜まっていない。

それどころか内に溜め込んだ経が荒れ狂い、不用意な行動が大きな破壊に繋がるほどの力で満ち溢れている。

黒い髪が身体が発する微量の蒸気で首筋に張り付き鬱陶しい。

手勢5000を纏めると平原南西に展開、雁行の陣を敷く。南東に展開したネス勢と最南部に展開したマトウダ勢と合わせて鶴翼の陣を展開した形となる。

前衛には大盾による密集陣形を組ませ後衛は風行兵による風流の準備を行わせる。

前方に土煙が上がっている。軍勢が迫って来ている。

土煙を破り敵の前衛が闇から這い出る鬼の様にわらわらと溢れ出てきた。

杜撰な装備に整わぬ隊列。


組し易し。

然れど数が多い。


敵の鎧がきしめく音と大地を踏みしめる足音で可聴域いっぱいとなる。大地は振動し、草木が揺さ振られている。


カヤテの経験したことがない大規模な戦が幕を開けた。


背後から無数の弓なりの音が聴こえる。

引きつけた敵に対し、マトウダ勢が矢を射掛けている。

遥か頭上を放たれた矢が覆う。澄みきった雲一つない青空が矢で翳る。


ロボク精鋭からも応射がある。

隣に立つ禿頭の大男に視線をやる。

カヤテの副官である。

視線の意味を理解した大男が吼える。


「風行兵前隊!風行風流陣!仰角四半角!距離!十!三、二、一、行え!」


50人の風行兵が行法を発する。

風が渦巻く。目には見えない大気が蠢き、強い流れとなって前線に張り巡る。

敵方から飛来する矢がうねりに捕まり、勢いを殺されてパラパラと落ちて来る。その矢には既に殺傷能力はない。

敵方も同様に風の行法を展開し矢を防ぐが、防いだのは精鋭のみであった。民兵達は守られる事なく倒れ伏していく。ロボクは民を犠牲にし、兵を守るか。


「風行兵後隊!風行風流陣!仰角四半角!距離!十!三、二、一、行え!」


大きくひび割れた声で副官が指示を出している。

前隊の発動していた風行法が解ける頃には後隊の技が起こっている。矢が降り注ぐことはない。

攻め寄せるロボク民兵はちぐはぐな装いであった。殆どのものは甲冑など着込んではおらず、武器もまちまちで、ろくな装備が与えられていないことは明白であった。

そこに目掛けて矢が降り注ぎ、多くの死傷者を出していた。

矢の降り注ぐ不気味な風切り音に、風の渦巻く音、そして兵が地を踏み締める地鳴りと雄叫び。

4つの音が混ざり合い、騒音となって平地を支配する。


緊迫感にカヤテの肌が粟立ち、ピリピリとした目に見えぬ空気の感触を彼女に伝えていた。


やがてロボクの民兵が迫り、青鈴軍と激突する。

金属がぶつかり合う音で耳が飽和し、何処か剥離された世界に突如として放り込まれたような、何処か浮ついた感覚を催す。


カヤテにとっての戦争が始まったのだ。


自身が興奮しているのが分かる。

敵兵にぶつかられた力をうまく逃すため全部隊が一時後退する。矛先を上手く萎やすと即座に全軍は攻撃に移った。剣の技術は比べるべくも無い。ロボクの民兵は青鈴軍の前線を食い破る事無く次々と斬り伏せられていった。


ロボク精鋭から飛来する矢は依然として風流陣に防がれており、また兵達もはやる事なく堅実に守り、敵の突破を許さない。


趨勢を見遣る事半刻、突撃により伸び切っていたロボク民兵の陣形が味方の鶴翼の陣にあわせて、密集をはじめた。


頃合いであった。


「ウルク。来てくれ。」


背後に控えていた副官の女剣士を呼び寄せる。

彼女はグレンデル一族では無いがカヤテは信を置いている。。


「グレンデルに赫兵のカヤテありと知らしめる時だ!我らの愛する土地が心なき者共に踏みしめられるとしても、この私が少しでもその数を減らしてくれる!」


既にカヤテの全身は豪雨に晒されたが如く汗で濡れそぼっている。

昨夜の内から練り続けた、膨大な量の経がカヤテの体から溢れ出んと渦巻いている。 それを制御するはカヤテの理性ただ一つだ。少しの気の緩み一つで恐ろしい程に密度が高まった経は暴れ出し、カヤテの身体を爆散させ、周囲を巻き込んで甚大な被害を齎すだろう。


類稀なる集中力、強靭な意志、明確なる理性がそれを押さえつけているのだ。常人には再現できない能力であった。


息を荒げ、最早全身の力を使って経を抑えている。


時は今。


「角持ち。カヤテ様が行される。」


副官のウルクが指示を出すと角笛を持つ兵士が一際大きく吹き鳴らし、その響きが戦の音で満たされた平地を駆け抜けた。


青鈴軍の前衛兵達が盾を掲げる。


吹き抜けた風がカヤテの黒髪を緩くたなびかせていた。


火行 火岸花。


数年前クサビナ王国と西国のラクサス王国が争った際に敵味方共に震え上がらせ、カヤテを赫兵と呼ばせるに至った行法である。


「身体を頼むぞ」


「はい。」


返事を聴くとカヤテは大きく足を開いて地を踏み、両手を前に突き出し、両手の人差し指と親指で三角を形作る。

その指の隙間から起点を定め、全神経を傾ける。

そして右手を横に薙いだ。

始めに、ロボク民兵の中央に白い小さな光点が産まれた。

光点の周囲から急激に熱が奪われ、大地が凍り、民兵たちは崩れ落ちる。

光点はその大きさを増し、白かった色は大きさが増すとともに色が付き、黄色から橙色、そこから赤に変わり、やがて毒々しい暗赤色の巨大な球となった。


マトウダが控える本陣から角笛の音が鳴り響く。

頃合いだ。


「赫け!」


言葉と共に赤黒い光球が弾けた。

中より吹き出た白炎が荒れ狂い周囲に降りかかった。その効果範囲は半径2町にも及ぶ。

白炎に接触したロボク民兵は火達磨となり、瞬く間に全身を炭化させ、風と共に灰となって空へ散っていく。

熱風がカヤテの元まで届き、肌をチリチリと焼いてから過ぎ去っていった。


体から力が抜け、ふらついたところをウルクに支えられる。

片膝を付き、息を荒げながら戦場に目をやった。

密集していた敵兵の中核はぽっかりと空き、砂の一部が溶けてテラテラと硬質な輝きを放っていた。

たった一撃で千を超える人間の命が失われ、塵ひとつ残さず焼滅してしまった。自国の民が死ぬか、よその兵士が死ぬの違いだ。カヤテはそう考えている。形見一つ残さず死んだ彼らにも家族がいるだろう。悲しむ人間がいるだろう。


だからなんだ。カヤテはそう考える。他国に攻め入り他国の民の土地を、財を、命を、家族を奪うのだ。然るべき覚悟を持って臨むべきである。情けは無用と考えていた。


ロボク民兵は行使された行法の大きさに狼狽え突撃力を失っていた。3万という大軍勢に対し千という数字は一見微細には見えるが、与えた衝撃はそれ以上であった。


グレンデル兵はマトウダの号令のもと陣形を維持したまま北上し、攻勢に出始めた。たった四半刻で敵兵は崩れ、半刻もすれば背を向ける者さえ出始める。

だが、それをただ座したままで見過ごすロボクの精鋭ではない。


彼等の魂胆ははなから分かりきっていた。雑兵で威力偵察を行い出るものがでた所で精鋭をぶつける魂胆は目に見えていたが、単純であるだけに抗する術はなかった。奇策を弄そうにも森の多いロボクとクサビナの間では潜む場所は森しかなく、森にひそめば魍魎に襲われる。手勢は敵の半分で増援もない。


グレンデル勢は正面から相対する以外に道はなかったのである。


戦闘の開始より2刻、民兵の悲鳴が其処彼処で響き渡る中、後方に控えていた敵精鋭が動き出した。精鋭1万が動く事で逃げ惑っていた民兵は勢いを取り戻し精鋭と共に再度グレンデル勢にぶつかった。


対してグレンデル側は角笛による指示の元密集陣形を組み攻撃を受けた。

互いの行兵は互いに行法を飛ばし合い牽制を行う。弓兵は散発的に敵後方に矢を射かけていたがそれも敵行兵に阻まれていた。


暫く体と経を整えていたカヤテであったがこの段になり立ち上がると指揮を禿頭の副官サルバに任せると最早敵味方が入り混じる前線に飛び込んでいった。

青鈴軍は押されている。7割が寄せ集めだとしても数の差を覆すのは難しい。


ここでカヤテに求められるのは一騎当千の力を見せつけ少しでも敵の意気を挫くことであった。


戦場の真っ只中に躍り出ると、すぐさま目に付く兵士を斬り伏せ始める。

右手の剣で敵を斬り、左手から紅蓮の熱波を放射状に撒き散らし、次々と敵を屠っていった。途中幾つかの兜首を挙げるもジリジリと溜まる疲労に動きは次第に鈍くなる。個人が幾ら人を斬ろうともこれは戦である。大勢には影響を与えることは叶わず、カヤテの動きが悪くなるのと比例しジリジリとグレンデル勢も押されていった。


見上げると砂埃越しに青い空が見えた。雲一つ無い空だ。


雄大に広がる空に対し自分のなんと矮小なことか。


ミトリアーレを守ると意気込んでこの体たらく。既に肩で息をし、呼吸の度に喉がひりつく。

幸い未だ怪我はないが全身に血を浴び、握る剣が血で滑る。

握力が尽きれば自らの手から武器はすり抜けていくだろう。


己はなんと非力な存在なのだろう。後方から火行が飛び、敵の後詰に着弾する。


時間の感覚が無い。あれからどれ程だったのか。


後方からカヤテの頭上を越えて飛んでいく弓が次々と敵行兵に突き立っていく。

どうやら味方の行兵が敵の行兵の行法を破った様だ。

しかし最早その業績も意味はなさないだろう。今更大勢は変わらない。


駆け寄ってきた黒い鎧の兵士を切り捨てる。

少しでも道連れが多いに越したことは無いだろう。

左手で火行を扱うのを辞め、丹田に経を集め始める。


最期の技、火行 槍鶏頭。


丹田ごと経を火行に利用し自身の身体ごと周囲を吹き飛ばす技だ。

爆発の瞬間、破裂した身体が槍鶏頭の様に見える事から付いた名称である。当然行使者が生きながらえることは無い。


名のありそうな男が槍を構えて近付いてくる。弱った自分なら打ち取れると考えたのか。その程度の者に幾ら疲れていようとも遅れを取るつもりは無い。

突き出された穂先を剣の持ち手で弾き、返す刃で首を刎ねた。


敵の槍兵が周囲をかこんでいる。流石にこれを突破するには無傷とはいかないだろう。


顎を上げ、遠くを見ようと思った。


黒く犇めく敵の兵士。赤茶色の大地。暗い森に青い空。


思えばあまり風景を見ては来なかった。


戦の最中でなければ少しは感動を覚えた雄大な景色だったのかもしれない。

余裕の無い此れ迄だったとカヤテは思った。

遠く、森と大地の狭間。せり上がった赤茶の土手の上に人影が見えた。

濃緑の傘を被った人影であった。

思わず刮目した。額から流れた汗が目に入ることすら厭わず凝視した。


その隙を突いて迫った敵を斬り伏せ、再度視線を向けた先に人影は無かった。


幻だったのだろうか?


そこまで彼を求めていて、幻を見たのだろうか?


「おおおおおおおおっ!」


突き出された槍を交わし左手で掴み、引き寄せると正眼に剣を突き出し敵の顔面に刃を突き立てる。


奪い取った槍を振るい、1人の手を打ち武器を落とし、1人を切り伏せる。


左の槍を振り回して1人の腕を砕いたところで異変に気付いた。


西の森から次々と鳥が舞い立っていた。


それは青い空を黒く覆うほどで、常ならざる事が起きている証であった。


「引け!引けっ!」


気付くとそう叫んでいた。

しかし戦場の真っ只中で女が1人叫んだところで聞き取れるものなどいはしない。

溜めていた経を突破のために利用し、急ぎ自陣近くまで駆け戻った。

混戦状態であったが、ぎりぎりのところで陣形は崩れていなかった。

角持ちを捜し視線を彷徨わせる向こうで、西の森が動いているのが目に付いた。


森が動くはずが無い。では何だ?・・・木が倒れている。


こちらに向かって木が倒れている!


サルバと脇に控える角持ちを見つけ出すと駆け寄った。


「カヤテ様、ご無事でしたか!」


「軍を引かせろ!今直ぐに!」


「な、それでは・・」


「黙れ!取り返しが付かなくなるぞ!」


カヤテの剣幕にたじろぐサルバを押しのけ角持ちに直接指示を出した。

直様鳴り響く角笛の根に対しカヤテ麾下の兵が鏑矢の陣を築き、後退を始めた。

呼応する様に経験豊富なマトウダ勢はカヤテ勢の後退による穴が開かぬ様すぐさま魚鱗の陣を築き後退を始めた。

残るネス勢のみ呼応せず留まって敵左翼の攻撃を凌いでいた。

カヤテの耳に戦の物とは全く異なる轟音が届く。

軍隊の進撃や後退時の地鳴りとは異なる、明確に何らかの異常と思われる地鳴りが西の森から聴こえていた。それは重たく地の底から響くような怒濤の足音であった。

何かが来る。

以前の巨大な蟲よりも更に凶悪なものだと確信できた。

後退しながら西の森の暗がりに目を向け、闇の中を見透そうと目を凝らした。

平原との境目の大人3人で漸く手が回りそうな数本の大木が続け様に軋みながら倒れ始める。

その木々の脇から茶の肌をした二足歩行の魍魎が姿を現す。


遠目である為正確な大きさは分からないが、木々との対比から10尺は優に超える事が分かった。

頭部には二本の捻じくれた角が生え、まるで獣の牛の様な面をしていた。


それが、次から次へと森から湧き出して来た。


ボオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオッ

それらが戦場の音全てを塗りつぶす様な雄叫びを上げて駆け出した。


脳髄を犯される様な鬼達の雄叫びと地響きが合わさり可聴限界を超えてしまう。


そうこうしているうちに鬼達はロボク勢の横っ腹に突撃し枯れ葉の様に兵士を吹き散らしながら怒濤の勢いで反対側へと突き進んでいく。


数にして300前後であったが、その存在感たるや直撃を受けたロボク勢だけではなくグレンデル勢までもを慄かせる勢いだった。

よく見れば鬼達は手当たり次第に周囲の兵士を捕まえては食らっていた。


カヤテ勢とマトウダ勢に被害は無かったか、鬼の出現後から後退を始めたネス勢は三分の一ほどが鬼行に巻き込まれ蹴散らされていた。


ロボク勢は元々の最前線に15000の民兵と精鋭兵の混合部隊を残し、残る20000を魍魎の殲滅に当てがった。


しかし鬼一体を倒すまでに数十の兵が失われ、その勢いに当てられロボク兵は次第に統率を失っていく。ネス勢は鬼行により500程を失ったものの、兵を取り纏めて後退に成功していた。


鬼達は引いていくロボク兵に追いすがり兵達を引き裂き、押し潰し、文字通り血の雨を降らせていた。


これを勝機と見たマトウダが未だ接敵しているロボクの前衛を押し返すべく角笛を吹かせ進撃を始めた。


浮足立ち、また半数以上が雑兵であったロボク前衛は僅か一刻で半壊し東の森へと散り散りになって逃げ込んでいった。


カヤテ達は深追いはせず、戦場を未だ彷徨う鬼を行法の支援を受けつつ仕留め、全ての敵が戦場から駆逐されることとなった。


ロボク勢本体を追い掛けて行った鬼を避け、東の森に入ったロボク前衛は森の濃い血の臭いを撒き散らして魍魎を引き寄せ、さらなる惨劇を巻き起こすのだろう。ロボク本体も全ての鬼を駆逐するまでに多くを失うだろう。鬼行の直前に行兵を失った事が大きな痛手となった。


死屍累々の戦場に留まれば屍を喰らうべく現れた魍魎に襲われてしまう。


マトウダの号令のもと全軍は数里後退し野営の運びとなった。


引き上げる直前、戦場の向こうに菅笠を被った人影が佇んでいた。


その姿を認めたカヤテは心臓に激しい痛痒を感じ、鎧の上から胸元を強く押さえた。

人影は傘の鍔を左手で摘むと身を翻して森へ消えていった。


魍魎に襲われぬ程開けた平地まで退却した後、陣を引き野営となった。


カヤテは考える。百鬼行とシンカと思われる人影は無関係では無いだろう。


助けてくれたという事なのだろう。

あの人影が本当に彼だったのかも定かでは無い。

一度の会話すら無く、彼の意図がグレンデルへの助成だったのかも定かでは無かった。

だが、彼が別人であり、またグレンデルを救う意図は無かったという可能性がある事が分かっていながらも、カヤテにはシンカがグレンデルの、いや、カヤテの為にあの場であれを起こしたのだと言う確信があった。


カヤテは今まで誰かを護り、誰かを支える為に生きて来た。護られる必要も支えられる必要も感じて来なかった。


疲労が身体中に回り、寝不足で目眩すら感じていた。

彼の顔を見たかった。礼を述べてもてなしたかった。

顔を見てどうする?礼を述べてどうする?


其処まで考える事は出来なかった。

薬師の姿を脳裏に描きながらカヤテは自身の寝台の上で意識を失った。

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