夢
冬籠りの支度を始めた。
木を切り倒しカヤテに水分を除かせて薪を作る。
また炭小屋で炭を作り冬の間の燃料を蓄える。
猪を狩って塩漬け肉や腸詰めを作り、山鳥や鹿を共同の燻製炉で燻製にする。
山林檎を皆で集め、半分は蔵で冷やし、半分は絞った後に酵母を入れて林檎酒造りを始めた。
同時に樽一つ分の麦酒も作り始めた。
ナウラがこっそり蔵に忍び込むのを阻止する日々が始まった。
果実や茸、根菜、芋、木ノ実等を集め終わる頃、気温は著しく低下し始め八咫山蚕のハナと大角家守のミネの動きが鈍くなり始めた。
枯れ草、枯葉を集めて家のすぐ隣の罔舎に溜め込み彼等が冬眠出来るように整えた。
畑仕事に心血を注ぐヒン家の穀物と余った肉を交換して冬籠りの支度を終えると季節は冬中月の半ばに差し掛かっていた。
罔舎の中で巨大なミネとハナが到頭活動を停止して長い眠りに入るとシンカは烏骨鶏をそこに放ち、世話をし始めた。
冬籠りの準備の間に4人とは結婚式をどうするべきか散々話し合った。
まず里の雪が溶け次第白山脈の麓、リュギル東の結晶堂に向かいカヤテとの式を挙げる。
結晶堂は積雪があるとより美しく輝く為、冬が開け次第直ぐの実施となった。
カヤテの実家とオスカルに駄目元で招待状を送り、リュギルにはリンブが日取りの為に向かってくれた。
リンレイと結晶堂で式を挙げたクウルがカヤテの衣装を縫ってくれるらしい。
次にエンディラに向かいナウラと式を挙げる。
ナウラはあまり気が進まない様であったが、ある種のけじめは必要だ。
ヴィダードの様にある日突然連れ去られても困る。
ナウラの周囲の人物の性格は分かりかねるが、最悪大量の食料を供して身柄を手に入れれば良いとも考えていた。
エンディラの結婚は男が女の家に結納品として食料を納めるのだという。
嫁は自身の婚礼衣装を自ら繕って着飾り、男に貰った装飾品と共に着飾る。
ナウラは衣装を用意し、まず染物を始めたが猛烈な匂いにバラカが家に暫く入らなくなった。
その後はイーヴァルンに向かう。
ヴィダードは藤の花が咲く夏中月に式を挙げたがっている。
行程を調整して夏中月の頭にはイーヴァルンに赴けるようにしなければならない。
イーヴァルンの婚礼衣装は純白の薄布と薄緑の生地縫い合わせたもので、これはイーヴァルンで養殖している薄絹蚕から取れる絹糸と、婚礼場の薄葉山藤の葉から抽出した染料で染めた同素材の生地で織ったものでなければならないという事で、ヴィダードを無性に気に入ったカイナがイーヴァルンに興味がある里の者数名と共に事前の告知と衣装用意の為に向かって行った。
しかしながらそれ以外に必要なものをヴィダードが何も分かっていなかった為、シンカは端正を籠めて弓を数張り造る事とし、里の楽器職人に頼み琴系の楽器を幾らか用意する事にした。
イーヴァルンでの挙式が終われば今度はユタの鈴紀社だが、その前にシンカはジャバールの里がある鉛山に向かい、土の遺跡探索を行おうと考えていた。
遺跡探索を終えれば張高山の鈴紀社に赴きユタとの挙式をあげる。
此処までを夏霜月までに終える予定だ。
リンファとはゆっくりと失われた時を埋めていた。
冬支度を軒並み終えて挙式の計画を立て終わる頃には頻繁に触れ合う程度には関係も改善されていた。
リンファと先に縁を結んでいた4人の仲だが、案の定ヴィダードは未だ心を開いていない。話しかけられれば一言返す程度だ。逆にユタは弟妹達の世話をして来た面倒見の良いリンファによく懐き、毎日の様に手合わせをさせていた。
それに着いて行くカヤテとも良く話している。
ナウラは表面上は普段と変わりないがリンファにはあまり冗談を言わないのでまだまだと言ったところだった。
ある朝、シンカは旅支度を整えて家を出た。
目標は
5体の魍魎を倒し体内から珠を取り出して指輪に嵌め込むのだ。
百歳鯰と大爪蛟は容易く倒すことが出来る。
里を出て南下したシンカは里の生活排水を浄化する池へと向かい、それを下流へ辿る。
臭気などは分解されたものの、豊富な養分を含む水は生物を寄せる。
川は軈て他の支流と合わさり太くなっていく。ある程度下るとその川は沼へ流れ込んだ。
睡蓮の葉が水面に浮かび水中が窺えない。
とても危険な沼だ。畔に立つ事すら危ぶまれる。
近くに生えていた梓の枝を折り沼の水に浸す。
引き上げた枝から垂れる水は僅かに粘性を帯びている。
この沼に百歳鯰が生息している事は分かっている。
問題はそれ以外にも危険な魍魎がうようよと生息している事だ。
シンカは離れた樹上で羽を休めている茶山鳩を石飛礫を弾いて撃ち落とし、足を蔦て括ると梓の枝に吊るした。
それを沼に釣りの様に垂らす。
途端細長い魍魎が鳩に群がりあっという間に鳩を覆い尽くした。
金眼八目鰻。1匹の脅威度は低いが大量のこれにまとわりつかれれば一瞬で血を吸い取られ牛や馬でも耐える事はできない。
重さに体が流れる前に枝を手放す。
暫く水面を鰻の体が騒がせていたが、やがて静かになり水面は赤く染まった。
お陰で血の匂いを沼中央の鯰が嗅ぎ取ってくれるだろうが気分の良い光景ではない。
と、背後から巨大な影が迫りシンカに襲い掛かった。
無論シンカは気付いていた。
さっと飛び退くと勢いあまり丸腹鬼は大きな水飛沫を上げて沼に落ちた。
途端に大量の金眼八目鰻が集り、鬼の全身に吸い付いて血を吸い始めた。
醜悪な光景だった。
丸腹鬼は絶叫を上げ踠いていたが、徐々に動きが鈍くなり軈て沼に浮かんで動かなくなった。
そんな鬼の動きには頓着せず鰻たちは全身に太い体毛の様に吸い付いて暴れていた。
沼の中央の睡蓮の葉が大きく水面で揺れる。数箇所から此方に近づく様に葉が揺れた。
突如水面から大きな鯰が顔を出し、引き千切られた鬼の肉を飲み込んだ。
それが百歳鯰である事を確認するとシンカは両手を握り合わせた。
水面から氷柱が突き出て鯰を串刺しにした。
貫かれたまま暴れる鯰ごと氷柱を岸に向けて伸ばす。頭部を脳ごと凍らせてしまうと直ぐに動かなくなった。
地面に鯰を落とすと素早く短剣で腹を割き、内臓を全て体から出すと浮き袋の間から黒い珠が粘液と共に転がり落ちた。
一見黒い珠だが日に透かすと深い緑に輝いた。
シンカは次に更に川を辿って山を下った。
蛇の類は水辺に生息する事が多い。大爪蛟もその基本から逸れる事はない。
浅いものの徐々に広くなりつつある川沿いを歩いて行く。
大爪蛟は5丈もの体長を持つに至る大蛇であるが、なんと前脚を持ち長く鋭い爪を持つ。
毒性は無いが凶暴である。
大爪蛟が生息している場所は直ぐにわかる。木の幹に模様の様に爪痕が残るのだ。
熊や豹の爪研ぎとは明確にその痕跡は異なる。
日が傾いて来た頃シンカは空を見つけた。周囲の樹々の幹の至る所に幾何学的な曲線が描かれている。
強化した耳を澄ませると何かが擦れる音が聞こえる。
既にシンカの存在は気付かれている。
魍魎の居所を察知するとシンカは両手を突き出して一角を飛ばした。鋭い音も共に重たい音を立てて蛇が地に落ちた。
苦しみうねる其れの頭を翅で落とし腹の下半分程度をぶつ切りにした。
蛇の場合珠は腎臓内に存在する。腎臓を摘出し、中から珠を拾い出した。
澄んだ翡翠色の美しい珠だった。大きさも程よい。
そこからは日が暮れるまで白山脈の4合目付近を南下していった。
日が暮れる頃、シンカは花楡の巨木が群生する森へと辿り着いた。
大人3人で漸く抱え切れる太さまで育った花楡の森手前で体を休めることにした。
日が沈み夜が更ける。
充分な装備が無ければこの季節の山は気候だけで容易に人の命を奪う。
山歩きで噴き出た汗を手拭いで拭って匂いを落とす。
指輪の腕部分を何の材質で作るかぼゆやりと考えていた。
砥木で作るのは自分らしくて良いと思うが細かい細工が難しく、また胡麻斑粘這蟲の乾燥粉末が掛かれば粉々に砕けてしまう。
金属が良いのだろう。
貴族などは希少な金属を好んで金や白金で誂える事が多いという。
貴族と同じというのもつまらないだろう。
此処での採取を終えれば山頂へ向かう事となる。
その途中に
ナウラやヴィダード、ユタはあまり実感を持てないだろうがカヤテの眼球が転がり出る程の物を作ってやろうと1人にやついていた。
深夜が過ぎて徐々に朝へと向かって行く。
まだ暗い中、シンカは立ち上がり花楡の森へと踏み入った。
此処での目標は木枯鍬形である。
木枯鍬形は幼児程の大きさの蟲で、身体の3分の1を独特な形状の鋏が占める。
外殻は強固で千剣流で言えば割波では傷付けることもできない。カヤテの割波でも傷程度は付けられても害を与えるまでは難しいだろう。
花楡の巨木の合間を縫って歩いているとそれを見つけた。
幹にしがみつき樹液を唇舌で舐めとる二体の木枯鍬形だ。
鍬形は大小含めて数多く存在するが、この木枯鍬形の名の由来は一度餌場と決めた木が枯れるまで執着する為で、縄張り意識が非常に高い。
今もシンカの姿を認めて鋏を振り上げ威嚇している。
この鋏に挟まれれば鉄甲冑もひしゃげてしまう。
大きい個体にシンカは一角を打ち込んだ。
一度物にしがみつかれれば馬に引かれても離れないこの蟲だが、雷の一撃でその活動を終え、ぼとりと枯れ葉の積もった地面の上に仰向けにひっくり返った。
知識さえあればどうとでもなる。それが森だ。
腹の胸部外角を剥がし中腸内から珠を取り出す。
胡桃色の珠だ。
枝葉の隙間から僅かに挿す星空の灯りに掲げて見れば、綺麗に澄んだ美しい珠である事を確認できた。
3つ目の珠を採集したシンカは明け方まで岩陰で身体を休め、日の出と同時に登山を開始した。
残る2体の魍魎はとても危険な種である。
更に気を引き締めて登山を開始した。
4合目から山を登り、翌日には8合目まで到達した。
頭上を覆う屋根の様な森は鳴りを潜め高山地帯にたどり着く。
膝丈もない下草と剥き出しの岩肌が続く中を1人黙々と歩いていた。
一部残雪が残る中滑らない様岩肌に足を置く様に気を付けて見晴らしのいい景色を見渡しながら歩いた。
時折吹き付ける風が外套の裾を靡かせ、身体の熱を奪って去って行く。
照り付ける直射から笠で目を庇いながら進む先を見上げる。
昨日にでも雪が降ったのか、山の頂は白く染まっていた。
離れたところで雷鳥が地面を突いている。蝗でも食べているのだろう。
少し下の険しい崖沿いを弓角山羊の群れが渡って行く。
歩んでいると緩くシンカを追いかける様に風が吹いた。
口布越しに僅かに甘い匂いが香った。シンカは急ぎ懐から小瓶を出すとそれを煽った。
苦い飲み薬だ。
暫く進みシンカは膝から崩れ落ちる様にその場に倒れた。
目の前の岩沙参の薄青紫色の垂れた花から小さな蜘蛛が這い出て去って行く。
軈て風に乗って何かが近付いてきた。
微かな羽音が近付いて来る。
そして到頭シンカの身体にそれは止まった。
瞬間シンカは感雷を身体に纏い、背に止まった魍魎を焼いた。
立ち上がり魍魎の正体を見下ろす。
銀色の翅に白い紋が入った大きな蝶だ。
広げられたままぴくりとも動かない翅は小柄な女性程もある。
その翅が風に吹かれて震えていた。
銀紋蝶は痺れ毒の鱗粉を飛ばして風下の獲物の動きを止め、動けず横たわる獲物の血液を吸い取る。
鱗粉に気付かずに命を落とす森渡りも数年に1人出る。
シンカが先程飲み干した薬は銀紋蝶の痺れ毒を中和する物だった。
シンカは演技で倒れ、警戒心の強い銀紋蝶を罠にかけて殺したという事だ。
遺骸の腹を割き、珠を取り出す。
ユタの瞳と同じ鳶色の珠だった。
この珠を見ていればユタの目付きの悪い視線を思い出す。
ふ、と頬が緩んだ。
4つ目の珠を洗浄してから仕舞い、シンカはそのまま此処で休む事にした。
痺れ毒は現在も中和し続けている状態だが下手に動き中和前の毒が身体に回ってしまっても危ない。
銀紋蝶の遺骸を土行で埋めてしまいシンカは一息つく。
恋い求め、妻に迎える女に対し珠を嵌めた指輪を贈るのが森渡りの求婚の作法だが、5つ同時に贈る男は初めてだろう。
女は指輪を受け取り指に嵌める。そして数日後に揃いの稲穂を模った指輪を男に贈り、違いに嵌め合う。
シンカが5人と結婚するのであれば5つの指輪を嵌めなければならないのだ。
因みにリンレイは全て左の薬指に嵌めている。
女は婚約状態であれば宝石の付いた指輪を嵌め、結婚していれば2つを嵌めているということになる。
半刻経って薬効が切れ、鱗粉の影響がない事を確認するとシンカは再び歩き始めた。正午を少し過ぎたものの日は依然高い。
高原を南下し谷に辿り着く。
谷底には青く輝く小さな池が横たわっている。
谷を下ると崖の隙間に横穴が現れた。
僅かだが人が出入りした形跡がある。
一族の誰かだろう。
中へ入りじめついた横穴を下って行く。穴が崩れないよう所々土行で補強されている。
壁際に長灯石が備え付けられている。
シンカはそれを手に取ると壁に一度ぶつけ、灯をともした。
奥へ進むと青白い岩塊が目に留まった。
黝簾石だ。
黝簾石は光の種類によって色が変わる。
長灯石の灯りの元では紫色がかっているが、陽の光の下では美しい群青色に輝く。
採掘した鉱石によっては珠の色が褪せてしまうほど美しく輝く。
また高度もそこまで硬い訳ではない。
シンカは鉱石の青みが薄く透明度が高い部分を探した。
経を練りその部分に手を当てると粘土をちぎる様に子供の頭程の量をこそぎ取った。
更にそれを圧縮し中の気体を抜き、形を丸く形成し直し細かな亀裂などをなくしていった。
最終的に大きさはシンカの拳程の大きさまで縮んだ。
最後に長灯石で照らし確認して懐にしまった。
後は家に帰り加工するだけだ。
この日はまだ歩けたがこの鉱脈で休む事とした。
入り口を閉じてしまえば気を張らずに休む事が出来るからだ。
干し肉と乾麺麭を水で流し込み外套にくるまって眠りに就いた。
そうして、それは起こった。
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