出城陥落

次々と撃ち放たれる巨石を森渡り達は3部隊に分けていた部隊を更に半分に分けて交代で凌いでいた。


「この程度で討ち取れる我等ではないぞ!皆!よく岩を見て対処せよ!」


リンブが声を上げて部隊を鼓舞する。

事実、次々と飛来する巨石を彼等は些細な失敗1つなく防ぎきっていた。


「リン家!放て!ハン家!用意!キュウ家!練経!」


リンブの合図に皆が従う中、シンカは戦況を俯瞰し思慮を続けていた。

戦略の事は分からない。しかし黄迫軍の強気な力押しに違和感を感じていた。


別働隊が存在する事は北の隘路に潜伏しているスイセンの報告から分かっている。


「味方が押されているぞ!」


カヤテが叫ぶ。


「予定より持ち堪えている。問題は無いはずだが?」


「だが!一族の兵が血を流している中、私は高みの見物なのだぞ!?」


血が出るのでは無いかという程カヤテは拳を握り、流麗だが鋭い眼差しで眼下を見据えている。


「分かっているのか?カヤテの彼処での役割は終わった。カヤテ・グレンデルとしてできる事はない。その溜めに溜めた経を放つ事でどれ程の害を一族に与えるのか」


「…分かっている」


この場で赫兵の技を使えばケツァル王城を害したのがグレンデル一族であると示す事になる。

それは中立する諸侯を瞬時に敵に変えてしまう悪手である。


不気味に口を閉ざした赤鋼軍を動かすに足る術でもある。

そうなればエケベルもグレンデーラも一月の内に陥落する事となる。


「カヤテ。お前にできる事はもう多くない。だが出来る事もある。カヤテにはもう華やかな表舞台に立つ事は出来ない。しかし森渡りとして剣を振る事なら」


カヤテは逡巡すら無く上げていた仮面を被った。


「グレンデルに戻りたいと思う事は未だにある」


カヤテが心から流す涙を表すように仮面は涙を流している。


「しかし、私はもう森渡りだ。それで十分」


強い意志が感じられた。


「出城は今日、陥ちる。日が落ちる前に青鈴軍は退く。兵を救うなら殿に立ち撤退の補助をするのが良いだろう」


カヤテは強く頷く。


「十分だ!」


「……十分って、4万の敵軍を抑えるんでしょ?十分っていうか、重症?頭が」


リンファがぼそりと突っ込んだ。


「……ひひひひひひ、けっけっけっけっけけけっ」


ユタが気色の悪い笑い声を上げて舌舐めずりする。

にやつきに三日月型に細められた眦の中で鳶色の瞳が怪しく輝いていた。


「えっ?!なにっ?!」


ユタの余りの不気味さにリンファは両腕をさすった。


「落下傘を身に付けろ。此処から滑空して防壁に着地する。誤って敵軍の中に降下するなよ。流石に救えん」


「シンカ。良く意味がわからないのですが、その布切れを身に纏って何をどうするのですか?」


「飛び降りる」


「馬鹿ですか?シンカ。知っていますか?この世の中には階段という文明の」


「煩いわねぇ。ナウラの身体が重いから怖いんでしょぉ?」


「…ヴィー。聖人君子として名高い私をもってしても今の発言は許し難いものがあります」


この期に及んでナウラとヴィダードが口論を始めた。


「本当の事でしょぉ?だってナウラはヴィーの2」


「泣かす」


ナウラとヴィダードが四つ手に組み合い格闘を始めた。


「2人とも早くせんか!」


いそいそと落下傘を首に巻き付けてカヤテが吠える。


「いや…これ、どう突っ込めば良いのよ?首に巻いたら首が絞まって死ぬでしょ?」


両手足と腰に綱を括り付けたシンカは額に手を当てて天を仰いだ。

ユタは正しく落下傘を身に付けながらも抜き払った剣を舐めて悦に浸っている。


「ユタ!何をしている!切れ味が鈍るぞ!」


説教を垂れている横でナウラが見様見真似で落下傘を身に付け、ヴィダードはシンカの背に張り付いた。


「ヴィー。私の悪口を言っておいて自分はそれですか」


「早い者勝ちよぉ?」


「………」


ナウラは無言で右脚にしがみ付き、目敏いユタが直ぐに左にしがみ付いた。


「ユタ。今貴女の剣が私の頬を掠めました。剣くらい鞘に収めなさい」


「げげげげげっ、くけけっ」


下劣な笑い声で答える。

言葉を話して欲しいとシンカは切に願った。


「ならば私は前だっ!」


「いや、布が保たないから。なんなの?頭湧いてんじゃないのっ!?」


リンファの叫びに答えるものは誰も居なかった。

行法を使い巨石を退ける同胞達が死んだ魚のような眼でシンカ達を見ていた。


「お前達、いい加減にしろ。戦だぞ」


シンカは4人を振りほどき、小走りに駆けて塔の狭間から身を躍らせた。


遥か眼下では矢が飛び交い兵士達が斬りむすんでいる。

身体に風感じ落下し始めたその時、急に身体に急激な負荷が掛かった。

背にヴィダードが、左脚にユタがしがみ付き、シンカは態勢を崩して真っ逆さまに落下を始めた。


「ば、馬鹿かっ!?」


錐揉みに回転しながら落下するシンカに2人は藤壺の様にしがみ付き離れなかった。


2人の重さと重心に慣れると直ぐに両手足を広げて布で風を受ける。


「左脚が重いっ!ユタ!降りろ!」


「ひひっ」


話にならない。

因みに降りれば墜落死する。


飛び栗鼠の飛膜を模した布が風を受けて膨らみはためく。


そのまま滑空して防壁に急速に近づいて行く。

背中のヴィダードが両手を突き出すシンカの周囲を風が渦巻き、矢を弾き飛ばす。


防壁に近付くと手脚を大きく広げ風を受けて速度を緩める。


ユタが飛び降りて受け身を取って着地するとすぐさま空丸を抜き払い、目前の敵兵を斬り払った。


「ほはっ!」


嫗を象った面を付け、振り子の構えで周囲を威圧する。

シンカはヴィダードを乗せたまま身体を丸め着地する。

死んだ青鈴兵の剣を拾い上げる。


「………」


「………」


「…いや、降りろよ」


ヴィダードは分かっていたのか声をかけるとするりと降りた。

いきなり飛来した鎌鼬を拾った剣で斬り裂き霧散させる。

戦場の至るところで鳴り響く爆音でシンカの内臓がびりびりと震えていた。

シンカの背後に自分の顔を彫り込んだ面を付けたリンファが着地する。


「2人は?」


「怒ってたわよ。急にそんな道具渡されても使い熟せる訳ないって。走って来るみたい」


近くに炎弾が着弾し、防壁が抉られて破片が散った。


「……やるか」


シンカはリンファに向けて手を伸ばす。


「ん」


リンファは伸ばされた手に瓢箪を渡す。

中には並々と水が入っており重みに腕が沈む。


「ヴィー、援護」


「はあい」


ヴィダードが張った強力な風の目の背後で矢と法から守られてシンカは瓢箪の中身を煽る。

大量の水を胃袋に収める。

身体を仰け反らせ、シンカは両手を握りあわせた。


くの字に折ったシンカの口腔から目を疑う量の水が怒涛の勢いで吐き出される。


反動で後退するシンカの背をリンファが手で支える。


胃袋で増幅された水分はシンカの経を纏いながら吐き出され、地に落ちて更に増幅する。

城壁を覆う様に膨大な量の水が瞬時に現れたのだ。


シンカを支えていたリンファが大きく手を広げる。

そして眼前で叩き合わせる様に握る。

立ち上がった膨大な量の水が明確な意思を持って敵兵士達を押し流した。


シンカの水行法・大潮にリンファの水行法・水龍。


そして水流を行うリンファの横でシンカは両手を握る。

水に飲まれて流される兵士の鎧や剥き出しの肌に何かがぶつかり出す。

その勢いは徐々に強くなり終ぞそれは水に飲まれた兵士を射抜いた。


水行法・氷魚群ひおむら。水中に鋭い氷の刃を無数に作り出し殺傷する行法である。

その威力は行使者に近い程強い。


「くっ、ぅぅぅぅっ、はああああっ!」


リンファが急速に経を練り両手を握りあわせた。

戦場に広がる水流がうねり、束ねられ、渦を描いて収束する。


リンファの握り合わされた指が己の力に軋む。

数百の兵を飲み込んだ水流が蜷局を巻く。

水行法・水密蕾すいみつらいである。


リンファが一際濃い経を体から発し、それが水に触れると激しくうねる水面を伝って広がり覆う。

そして蜷局を巻いた水龍が急速に縮んだ。


力を使い果たしたかのように意思を持っていた水龍が力を失い、大地に水が広がって乾いた地面を泥濘ませた。


氷魚群と水密蕾で命を失った無数の兵士が水流から解き放たれて転がった。

皮膚や鎧に孔を穿たれ、手足や鎧は圧にひしゃげた無残な遺体だ。


おおよそ人の死に様として見れば報いようのない悲惨極まりない死に様であったが、シンカもリンファもそれを気にすることはない。


同胞の為、味方の為に敵を如何に多く殺すかが問われている。

味方の為に敵を殺すのだ。彼等は後悔をしない。多くを殺した事に心痛めもしない。


戦争というものにより善悪や様々な価値基準が麻痺しているという事もあるが、彼らにとって同胞の為に刃を振るう事は正義であった。


「狼狽えるな!大技はそう放てん!敵は此方より少ない!」


敵陣営から兵を鼓舞する声が聞こえる。

シンカは両手を突き出した。

黄色い稲妻が濡れた大地に降り注ぎ、周辺の兵士を感電死させた。


しかし敵は雲霞の如く押し寄せシンカとリンファの法の痕跡もすぐに覆い隠されてしまう。

登り来る敵兵を1人、2人と斬り捨てるとカヤテとナウラが走ってやって来た。


「置いていくやつがあるか!馬鹿者!」


「シンカ。怒りますよ」


「…もう怒っているだろうが…」


シンカは剣を構え直す。5台の衝車と3台の轒轀車ふんおんしゃ、10台の雲梯車が間近まで迫っていた。


「我が祖国に踏み入る狼藉者を根絶やしにしてくれん!陽花っ!」


カヤテは両手を高々と掲げる。

その手の先に巨大な火球が現れる。


「業火滅却!」


カヤテの手振りで放たれたそれは緩やかな放物線を描いて衝車にぶつかった。


閃光が走った。

この日一番の轟音と共に数十人の兵士を搭載した衝車を消滅させ、周囲の兵や雲梯車までを吹き飛ばした。


「ナウラ」


一声かけてシンカは防壁に片膝をついてしゃがむ。

ナウラも時間差無く同じ姿勢を取った。

2人の経は防壁を伝い、大地を侵す。

そして大地が捲れ上がる。

土行法・柏手が衝車を挟み潰した。


「来るぞ!皆用意はいいか!?」


カヤテが朱音を振り翳し叫ぶ。間近に迫った衝車の渡し橋が落ちて防壁への道を作った。

次の瞬間中で待機していた敵兵が駆け出してきた。


リンファが背に背負っていた短槍2本を両手に構え、両手其々で回転させ構えた。

強く左足を踏み込み気合の声を上げる。


迫る先頭の敵の喉を左の槍で突き脊椎を破壊すると右の槍を大きく振るい次の兵の頭部を激しく打ち据える。


3人目を左の三段突きで膝、腹、喉を突いて屠ると更に右槍で4人目の鎧、肩の隙間に穂先を引っ掛けて渡し橋から落とす。


落ちた兵士は地面にぶつかり首を折って動かなくなった。


「これが天下の黄迫軍?思ったより…」


「油断するなリンファ。狙撃手がいる。気を付けろ。此方を集中的に狙う行兵隊も居るようだ」


飛来した矢を素手でシンカは掴み取り声をかける。


「シンカ!次が来る!私が行くぞ!」


カヤテが防壁上を駆けて近付く衝車の前に立ち塞がる。


「次は僕だよっ!」


左方に躙り寄る衝車にはユタが駆ける。


「ヴィー、ユタの援護を。ナウラは俺と」


素早く散開し壁に近寄る轒轀車に向け破砕された防壁の破片を投げつける。


破片は見る見る体積を増し人の頭4つ分まで大きくなると轒轀車の屋根に直撃した。

土行法・垂木折りで轒轀車1台を破壊するとナウラに別の破片を投げて渡す。


受け取ったナウラは其れを握力で粉砕し、そのまま投げつけた。

シンカは投げられる破片が自身の隣を通過する際に経を多量に含んだ息を吐きかける。

シンカの経を浴びた破片は大きさを増して砲弾のように敵に降り注いだ。


「…揺れますよ」


「うん」


ナウラが地に手を着く。

防壁から巨大な岩の槍が突き出て間近に迫る衝車に突き刺さる。

衝車はそのまま背後に倒れ兵士達の絶叫が響いた。


もう1台の衝車が接壁し渡し橋が落とされた。

待機していた黄迫軍兵士達の姿が眼前に現れる。

シンカは手を握り合せ雄叫びを上げて迫る黄色がかった金属の鎧を纏う兵士に向けて白糸を吹き出した。


駆け寄る黄迫兵の首を狙い素早く吹き付ける。

時間を掛ければ鎧を着込んだ胴体でも切断出来るが、今は素早くあらねばならない。


眼下では衝車に吸い込まれるように次々と兵士が入り込んでいく。


「…もう持たんぞ、どうするのだカヤテ……」


シンカは呟き剣を握り直す。

シンカの呟きは耳をつんざく騒音に掻き消され、ナウラにすら届かなかった。

この戦争で死ぬ名も知れぬ兵士の様にそれは散っていった。




槍を操りリンファは素早く駆け寄る兵士を突き殺していた。

その技は蠟梅蟷螂の様に早く、精鋭の黄迫兵に受けられる者は1人としていなかった。


リンファは森渡りに於いても槍の名手として名が通っていた。

槍だけで争えばシンカにすら勝る。

5人の母とヨウロに仕込まれた戦闘能力はカヤテと遜色無い。


リンファがこの戦争に参じているのは一重にシンカの存在に拠る。

シンカと二度と離れない。それが火の中水の中であれ。剣の中ならば容易いものだとすら考えていた。


シンカが戦争に参じると言うのならその側で槍を振るうだけだ。

リンファにはフレスヴェルへの憎しみもどうでもいいものだった。


「…あら?」


仮面の穴から見える視界に精悍な1人の男が姿を見せた。

体格はシンカと同程度。白い肌に黒い髪、黄土色の瞳。典型的な血の交雑が進んだアガド人の容貌である。


「女性がそれ程の腕を。素晴らしい。」


「……」


「如何して顔を隠している?怪我でもしているのか?」


煩い男だと思った。


「僕の名はゲルト・ラドレック。王剣流徳位ウルド・ラドレックの孫だ」


「……」


リンファとゲルトという男を囲んで兵士達は様子を伺っている。


「僕は祖父の徳位を引き継ぐ。君には僕の勇名の礎となってもらうよ」


リンファは左の槍を腰高水平にやや開いて構え、右の槍を垂直に体の横で立てる。


「王剣仁位、ゲルト・ラドレック!」


「春槍、望槍、罰槍流徳位、リンファ」


リンファの目前でゲルトが体を落として直剣を構えた。


「徳位だと?確かにお前は強いが、位を偽るのは恥だぞ」


リンファは答えない。左の槍を手首で上下させて穂先を一定間隔で足元に打ち付けた。


リンファが一流以上に鍛えた3つの流派。

春槍流は速さと手数、そして時に強さを用いる流派である。

望槍流は槍の穂先と石突き両方を用いて攻撃する変幻自在な流派である。

そして最後の罰槍流。人の世では失伝したこの流派は2槍を基に絡め手や認識外からの攻撃を主とする特異な流派であった。


戦場の喧騒に紛れながらも穂先が渡し橋を叩く鈍い音が続く。


対し王剣流のゲルトは防御と反撃を主体とした流派。深く沈み待つ事こそがその本質である。


だが、ゲルトは焦燥していた。

焦りが心中より湧きたち人知れず両手で持つ剣を握り直す。

原因を考えようとして大きく息を吐く。他の事に気を向けられるほど易い相手では無い。


壁下から見えた強大な行法。そして冴え渡る2槍の技。

仮面を剥げば名のある武人である事が知れるだろう。


体にひたりと合う黒い衣服のお陰でその豊満さも見て取れる。

なんとなしに良い女ではないかと思えた。

打ちのめし鹵獲して手篭めにするのも悪くないだろう。


そんな事を考えた。


そうして足を踏み出した。


緊張による汗が滴り落ち片目を閉じる。

敵の動きを見逃すまいと左目は開けている。

そして再び右目を開くとゲルトの胸には槍が生えていた。


「かっ……何…」


リンファは答えない。

リンファの使った技は罰槍流・啄木鳥だった。


春槍流の啄木鳥の構えとは全く関連は無い。

啄木鳥が木を突く様に地を打ち据えて相手を苛立たせ、焦燥感を煽る技であった。


「ごめん、ちょっと弱すぎ」


崩れ落ちるゲルトを尻目にリンファは歩を進める。

黄迫兵が後ずさる。


「尻尾巻いて引き返すなら止めはしないけど…10や20であたしを抜けると思わないでよね」


「狼狽えるな!たかが女1人に怖気付くな!」


指揮官が吠えると兵士達の後ろづさりが止まる。


「煩いわね」


リンファは右の槍を足元に突き立てて空いた手を腰の革袋に突っ込む。

取り出したのは一握りの砂だ。


それを顔の前まで持ってくると、蒲公英の綿毛を吹く様に息を吹きかけた。

吹かれた砂は舞い上がり、最初の一握りのからは想像できない量が辺りへ舞い散った。


「あんたらの顔なんて見たくも無いのよ」


両手を突き出すと強い風が吹き始め、黄迫兵達は痛みを覚える程の砂嵐に襲われた。


「がっ!?」


「ぶっ……ご…」


「ぎ、ああああああああっ!?」


視野の効かない中で1人づつ兵士の喉が貫かれて行く。


「馬鹿なっ!?何故女はこの砂嵐の中で動ける?!固まれ!密集して砂嵐が治まるのを待て!」


盾持ちが進み出て衝車の入り口を守る。


「馬鹿ね。あたしの砂よ?あんた達はあたしの体内にいるのと同じ」


リンファは目を瞑っていた。

瞑りながらも開けているのと遜色無い動きで進む。


2槍の石突きを合わせて回し、長い一本にすると啄木鳥の構えを取る。


春槍流奥義・串打ち

然るべき足運び、腰の捻り、突き出しから放たれた其れは鋼鉄製の分厚い盾と鎧を見事貫いて盾持ちを仕留める。


「これ、髪に砂が入り込んでお手入れが大変なのよね」


「ぐあああああっ!?」


2人目を串打ちで仕留める。

黄迫軍からは砂嵐の中のリンファの位置は確認できず、彼女が居るであろう方向に矢を打てど、弓の向きから射出方向とその軌道を読んだリンファには放つ前から避けられていた。


「馬鹿な!馬鹿なああああ!ファブニル一族の俺が!こんな所で!」


盾持ちを全て討たれ、指揮官が剣を振りかぶって駆け出す。

リンファは長い間合いから槍を僅かに動かして指揮官の足首を打った。


「ってっ!?」


足首を破砕された男は体勢を崩し渡し橋から落下すると頭部を強かに地に打ち付けて生き絶えた。


経を練り、貯め終えたリンファは防壁に手を着く。

土行法・大駄津

城壁から巨大な岩槍が突き出て衝車に直撃した。


衝車は穿たれながら押されて倒れ、周囲の兵士を巻き添えにした。雲梯車も1台巻き添えにする。


しかしリンファの前には複数台の衝車がにじり寄ってくる姿が見えていた。


「…厳しいわねぇ」


そう独りごちてリンファは槍を分割した。




リンファが衝車を破壊した頃、カヤテは1台の衝車を業火で焼き尽くし、接壁した1台の渡し橋の前で立ち塞がっていた。


「ふんっ!はああっ!喰らえ!」


2人を斬り捨て大きな火球を右手の上に作り上げ放った。

圧倒的な速さで飛び敵に迫ったそれは着弾前に破裂し十数名を一度に殺傷した。

しかし水に浸した皮を被せられた衝車は延焼することなく次から次へと兵士を吐き出す。


左方で兵達の歓声が上がる。

ちらと目を向けると細い水条が衝車を斜めに切断して破壊していた。

シンカの白糸だ。


「負けていられんな!…はぁっ!ふっ!」


赤く輝き始めた朱音は防御に回された剣ごと敵を斬り捨てる。


法を行い終わり荒れた体内の経を束ねて血流に乗せて循環させ、更に増幅させる。

それを徐々に丹田へ集め法を行える状態に整え直す。

そうして練られた経をカヤテは両腕に収束させた。


「赤穂!」


右手を振るい渡し橋の中央に炎の壁を作る。

残る経をその炎に干渉させ正面に火炎を叩きつけた。

火行法・赤噴怒により後続の黄迫兵が火達磨になりのたうち回った挙句落下していく。


「残虐とは思う。然れどそれは自業自得だ。死にたくなくば此処から往ね!」


彼等はグレンデーラを目指し西進し、領都を落とせば略奪の限りを尽くすだろう。


生まれ育った己の街が火に飲まれる様を見るくらいなら、カヤテは此処で幾らでも、どんな手を使ってでも敵を殺す。


幼い頃、初めて戦場に立った時、部隊を任されてから、カヤテは様々な理想を抱き剣を振ってきた。


そのほぼ全ての道筋が断たれたが、今胸に滾る郷土への愛だけは尽きることなく燃えたぎっている。


敵に対する憎しみにその業火は火勢をいや増し、内から溢れる様に火行を迸らせていた。


「…引かぬと言うなら……全てを焼き尽くすだけだ…。煉獄!」


カヤテが見下ろす前方の平地の様子が変わる。

シンカとリンファが泥濘ませた平地が見る間に乾きひび割れていく。

そして一面に火が湧き起こる。

その火種はカヤテの経だ。


カヤテが開戦直後から侵食させていた経を燃料に一面に火が起こる。

眼下は阿鼻叫喚の有り様となった。

身体に炎が燃え移り多くの兵士が絶叫しながら息絶えていく。

戦場に人の焼ける異臭が漂った。


「こうまでしても兵を引かんのか、ファブニルは…人の皮を被った悪霊め…」


呟きながら、自分も人の事は言えないが、とカヤテは付け足す。


「…おい、あんた……」


カヤテにエリヤスが恐る恐るという様子で声をかける。


「なんだ、エリヤスか。まだ此処で持ち堪えるのか?どの道この出城で彼奴らを引かせる事は出来ぬぞ」


「……まさか、本当に…?」


話しながらカヤテに向けて飛来した矢を剣で打ち払う。

此方を狙う煩わしい狙撃手が何処かにいる。


「…ああ、そういうことか」


カヤテは己の顔を覆う仮面をずらして素顔をエリヤスに見せ、すぐに隠す。


「…なんと!…矢張り……貴女は……このグレンデルの危機に、貴女を見捨てた我等の元に舞い戻って下さるとは、なんたる……」


歯を食いしばり声もなく男泣くエリヤスの肩をカヤテは叩く。


「うむ。まあ死んだ事になっているのでな。…それで?私もこの後の作戦は知っている」


「なるべく自然にこの出城を捨てる為には決壊際まで此処で戦わねば敵に疑われたかねませんので…」


「そうか。お前なら無難にやるだろうが、引き際を見誤れば死ななくて良い兵を死なせる事になる。頼むぞ」


「無論です!」


敵陣から放たれる巨石は止まる事なく森渡り達が陣取る北の塔に飛び打ち返されている。

此方が飛ばすスイ家によって火栗化された岩は未だ着弾と共に敵兵を木端の様に巻き上げ腹に響く爆音を上げている。


カヤテが奮迅する間にも防壁への矢、法による波状攻撃はその勢いを増し青鈴兵の被害を増やしていた。


出城の内部に控えていた虫の仮面を着ける森渡りの医療部隊が活発に動き始め、負傷者の手当てを始めている。


しかし自身が致命傷と感じた兵は治療を待つ事なく吶喊を行う。


カヤテの右手で戦っていた兵士の1人が強力な鎌鼬により身体を上下に分かたれる。

彼は血走った目で狭間に取り付き、腕の力だけで這い上がると腸を零しながら防壁の向こうへ転がり落ちた。


「グレンデルに栄光あれぇぇぇぇ!」


叫ぶと彼は爆散し轒轀車を巻き込んで赤い花を咲かせた。

大地に飛び散った経混じりの血液が含まれた経を燃料にちろちろと燃え、兵士に少し遅れてその灯火が尽きる。


その様を見た脚を失い失血で青白い顔をした男が歯をくいしばる。


「…母ちゃん……街は俺が守るよ…」


その青鈴兵も片脚だけで防壁を飛び降り、身体に幾本も矢を受けながら落下し槍鶏頭を行なって散り散りになった。


カヤテは怒りに吠え、眼前に手当たり次第に炎弾を放つ。

砦の至る所で散発的に槍鶏頭の音と赤い血飛沫が繰り返されていた。


そんな自己犠牲も敵兵の数に飲み込まれ、衝車が次々と防壁に迫り寄る。


次から次へと防壁に敵兵が乗り込み、飲み尽さんと溢れかえる。


その時、高らかに角笛が吹き鳴らされる。

撤退の合図だった。


「お前ら!此処で熱くなるな!次は三塔で迎え撃つ!退け!出城は放棄しろ!」


落とした食べ物が蟻に覆われるように防壁に黄迫軍が溢れてる。


エリヤスが周囲の兵の尻を叩きながら躍りかかる敵を食い止めていた。カヤテも1人でも多くの兵を逃がす為、蝗害の如く押し寄せる敵兵を斬りながら後退していった。


森渡り達は素早く最後尾から撤退している。シンカはユタとナウラを先に撤退させてリンファと共に最後方で武器を振るっていた。


2人はシンカが敵に身を晒し、その背後からリンファが槍で援護する態勢を取っており、筆舌に尽きる芸術的な連携を行なっていた。


シンカが振った腕の隙間からリンファが槍を突き出し、槍が引かれればシンカが剣を振るう。

お互いの動き、癖、考えが手に取るように分かるから出来る芸当だった。


カヤテは何は自分も、と考えながら塔までの距離を確認する。


スイ家の者が5人で宙に土を集め、巨大な岩石を作るとそれを投擲した。放たれたそれは門を開けようとする兵士達を押し潰し門を塞いだ。


5人はそのまま溶けるように地中に沈んで姿を消した。


猛禽の仮面を付けたテン家の者が30ほど集まり、一同に大きく背を逸らして息を吸い込む。

そして口腔から赤く輝く粘液が吐き出され、近くに迫っていた兵士諸共焼き尽くし、大地に赤い池を作り出す。


「急げ!背後を振り返るな!味方の矢の射程まで全力で走れ!」


エリヤスが叫ぶ。


その背後に目付きの怪しい赤毛の女が迫っている様をカヤテは目に映した。


女は背後からエリヤスに素早く寄り、脇腹に短剣を突き立てた。


「かっ…」


体内に押し込まれた異物の分、エリヤスは短く息を吐き崩れ落ちる。


膝立ちになったエリヤスの首筋に向け女は剣を振るう。

距離が遠くカヤテには間に合わない。


「エリヤス様!」


エリヤスの部下が駆け寄り彼を守らんと迫る。

1人の攻撃を素早く潜って躱すと鎧の上から針のような短剣を突き立てる。


鎧通しスティレットだ。


右の鎧通しで貫かれた兵士はそのまま事切れる。

2人目の女に向けて左の短剣が振られる。

剣を立てて防御した女だが、反撃しようと腕を動かした瞬間両手首が地面に落ちた。


「…ラビ……」


エリヤスが呻く。


「邪魔するなよ、雑魚が!」


剣士を剥き出しにして凶悪な表情を作った女は両手を突き出す。


風が起こりエリヤスとラビが飲み込まれる寸前、一塊の暴風が周囲の砂や幕営を巻き込みながら通り抜け、風行法・大振り蜻蛉で2人を守った。


「何すんだてめえ!…あ?」


女は叫んだ後首を傾げた。

その目線の先には簡素な面を被ったヴィダードが立っていた。


「同族…?いや、あたしらより薄い色だ」


ヴィダードの髪を見て首をかしげる。

女はファブニル一族の暗部、鬼火を率いるオードラ・ファブルだろう。


オードラはユタ並みに目付きが悪いが邪悪さが表情から見受けられた。

オードラの背後に彼女と同じ、黒い衣類に黄色く染めた皮鎧を身に付けた集団が駆け寄る。


その数5人。

皆グレンデル領内で破壊活動を行った過去があり似顔絵が出回っている。


オードラ・ファブル率いる鬼火の腕利き達であった。


刈り上げた短髪の大男がカルキルス・ファブル。オードラの弟である。


かなりの小柄で猫背だが端正な顔つきの男がピラン。


7尺もの背丈に細い手足。目の下に隈があり唇がひび割れた不健康そうな女がエルニアナ。


長髪で顔が隠れた小太りの男がカリキュラ。


豊かな赤毛を纏めた可憐で美しい少女がマルギッテ。


駆け寄ったカヤテはヴィダードの横に並ぶ。


「おいそこの!エリヤスを運べ!シンカ!リンファ!助太刀を頼む!」


「僕もやるよっ!」


カヤテの呼び掛けにユタが己より質量のあるナウラを引き摺って現れる。


「私もですか。拒否権は無い様ですね」


ヴィダードが無言で短剣を抜く。


「げっげっげっげっ、ひゅっ」


ユタが嫗の面の口から舌を垂らす。


「貴方達の所為でもう旦那様に長い事抱いて貰ってないの。腹が立っているから死んでもらうわぁ」


ヴィダードの血走った目が仮面の目元から見えた。


「…えっ?!ユタ?何その気持ち悪い感じ。鳥肌!」


突っ込みながらもリンファが2槍を構える。


「其奴らは我等の害にしかならない。やるぞ」


カヤテの言葉にシンカが甲高く喉を鳴らす。

了承の意だ。

蜂面のジュガが青鈴兵を引き連れて駆けてきてエリヤスの容態を確認する。


「お、いけるいける。そっちの女の腕も拾っておいて」


兵士に指示を出すジュガの言葉を聞いてオードラの顔が歪む。


「はああ?お前巫山戯るなよ?何あたしの獲物生かそうとしてんだよ!?」


「煩いな。生かすとか殺すとか、どうでも良いよ。僕は人の傷が治る生命の神秘を見たいだけだから。じゃあシンカさん、後よろしくです」


背を向けるジュガにオードラが懐から短剣を投げつけた。

カヤテとヴィダードが撃ち落とすが、1本を逃しそれがジュガの背に迫る。


しかしジュガは振り返る事なく短剣を2本の指で挟みとりそのまま去っていった。


「……舐めやがって!?」


剣を抜き去るとカヤテに躍り掛かった。


「ふんっ!」


上段からの振り下ろしでそれを防ぐ。


「ひひひひっカヤテまたうんちしてる…」


「喧しい!」


鍔迫り合ったオードラの顔が歪む。


「…カヤテだと?」


「……戦いに集中せねばすぐさま死ぬぞ!3爪!」


みぎからの薙ぎ、逆袈裟、竹割。

俊速の3撃を放つ。

オードラは大きく下がってそれを躱す。


「やるよあんた達!」


叫んだオードラに異形の女、エルニアナが動く。その細く長い腕で長剣を振りかぶり鞭の様に腕を振るった。

ヴィダードが受けられる威力では無い。


狙われたヴィダードは身体を沈めて躱すと懐に潜り込もうとする。

しかしエルニアナの長すぎる足の間から影が躍り出てヴィダードに迫った。


子供程に小柄な男、ピランだった。

ピランは短剣をヴィダードの首目掛けて突き付けた。


だがそれを容易に受けるヴィダードでは無い。右手で持つ短剣で逸らし、そのまま3合ピランと打ち合う。


そしてエルニアナの横薙ぎを大きく下がって躱しつつ両手を突き出す。

エルニアナとピランは素早く散開して月鎚を避ける。


その間カヤテが対峙したのはオードラであった。

オードラは常人には対応できぬ俊足にて間合いを詰め、下卑た笑みと共に迫る。


迎え撃つカヤテの横薙ぎを身体を丸めつつ潜って躱すと両手に剣を持ち交差させる様に斬りつけてきた。


カヤテはそれを受けんと交差点に朱音を差し入れた。

その様子を見てオードラはにたりと笑う。


「なにっ!?」


しかし受け止めたカヤテを見て驚愕の声を上げた。


「その技、知っているぞ」


鈴剣流の亜流、二剣の刃折りである。

相手の武器に適切な攻撃を加える事により刃を断つ技であるが、オードラの振るった剣は鋼の類い。

カヤテの朱音を断つ事は出来なかった。


カヤテはオードラの予備動作から技を見切り、己の剣であれば受ける事に問題は無いと判断して受けていた。

夕陽が赤い剣身を輝かせている。


「はっ!」


強い気合と共に鍔迫り合ったオードラを押し退けて追撃の一手を振るう。右足で速く深く踏み込み振りかぶらない最速の一撃を繰り出した。


「こいつっ!この女ぁ!」


オードラは力を流して一撃を避けながらもカヤテの皮鎧に覆われた下腹部をねっとりとした視線で見遣る。


オードラ・ファブルはグレンデルの一都市に潜伏し分家の子女を1年にかけて複数人攫い、女は子宮を、男は精巣を喰らうという凄惨な事件を引き起こした。


挙句寝ぐらを見つけ踏み込んだ騎士達を壊滅させ逃亡。姿を消していた。


「これ程の手練れ、そうはいない。あんた、カヤテ・グレンデルだね…。あんたの子宮はさぞ美味そうだ。どうせ剣ばかりで男を受け入れた経験は無いんだろう?処女の子宮は歯応えがあるし、あんたみたいな強い経の持ち主の子宮は味が濃くて美味いんだ」


「なんと悍ましい。だが残念だな。カヤテ・グレンデルという人間はもう存在しない。それに私は、なんと!結婚もしている!」


皮手袋を外したカヤテの左手で2つの指輪が輝いていた。


「…舐めやがって…!」


再び2人は衝突し斬り結ぶ。


様子を伺っていたリンファが2人の騒動に紛れて法を行った。

足元の砂が小さく振動し始める。

気付いた小太りのカリキュラが動く。


カリキュラが持つ武器は手斧であった。

それを両手に構え、2槍のリンファに迫る。

7間の距離を一息に詰めようとして足元が爆発した。


いや、爆発したように見えただけで、実際は砂が立ち上がりカリギュラを飲み込んだのだ。


「砂程度……何っ?!」


抜け出そうとした足が砂に囚われる。


リンファの得意とする法は先の水がそうであった様に操作だ。

生み出す事は得意では無いが、己の経を纏ったものを動かす事に非常に長ける。


リンファは風も、水も、土や砂、炎を自在に動かす事に秀でていた。


「ふぅぅぅぅ、可哀想だけど、終わりよ!」


リンファの声と共にカリギュラが絶叫した。

囚われていた右足を抱えてのたうち回る。


「カル!カリギュラの脚を斬り落とせ!」


カヤテと切り結んでいたオードラが叫ぶ。

カリギュラの足には小さな砂の針が潜り込んでいた。


砂を針状に変成し、敵の体内に潜り込ませる。

砂の針は血管に流され身体中の血管を傷付け最後には心臓に傷を与える。

そこまで砂の針が辿り着けば終わりだ。心臓は全身に血液を巡らせるために強く動く。些細な傷が命取りとなる

法の名は土行法・龍砂という


オードラの指示は的確であった。

正体不明の法に対しなんらかの直感を働かせたのだろうとカヤテは考えていた。


ナウラと見合っていたカルキルスが走る。

カリギュラを仕留めようと動いていたリンファに向けて苦し紛れの手斧が放たれる。


リンファは2振りの手斧を槍の銅金で弾くがその隙にカルキリスはカリギュラの右脚を切断し、襟首を掴んで後方に放り投げるとリンファに打ちかかった。


徐々に集まってくる敵兵をナウラとユタが相手取る。

ユタが巨大な水球を作り出し地面に叩きつけ大きな音と、足元から衝撃が伝わる。


シンカの意識が僅かに逸れた瞬間、正面のマルギッテの姿が消えた。

周囲の戦闘を目くらましにシンカの視線から逃れたのだ。


そして数瞬後にはシンカの背後に回り込んでいた。


逆手で振られた短剣がシンカの側頭部に迫る。


だがそれがシンカを傷付ける事はなかった。

シンカは腕を立ててマルギッテの腕振りを止めていた。


指2本分の隙間を開けて短剣は動きを止める。

そのまま手首を取ろうとするシンカを避けて距離を取ろうとするマルギッテに向けて振り返り様の蹴り上げを放つ。


両腕を交差させて防いだマルギッテだったが彼女は吹き飛ばされた。


「…っ!?…なに?!…強い…」


目を見開くマルギッテに対しシンカは両手を組むと口腔を膨らませる。


異音と共に水条がが吐き出され、地に穴を穿つ。

シンカは首を振り上げた。


マルギッテはそれを転がって躱した。

背後の黄迫兵十数名が切断されて物言わぬ肉塊へと変じた。

その様子を見たマルギッテは顔を赤くする。


「す、凄いっ!」


「死ね」


シンカの握り合わせと共にユタが撒き散らした水が凍り付く。

氷柱として伸びたそれが勢い良く射出された。

マルギッテはそれを転がりながら回避していく。


「…速いな」


呟きながらシンカは経を散布する。


シンカとマルギッテの戦闘が始まると見合っていたヴィダードとエルニアナ、ピランの3人が動いた。


ヴィダードは背の弓を取り弦に指を添える。矢は番られていない。


小柄に見合った素早さで動いていたピランにそれは向けられていた。

ヴィダードの引いた弦が弾かれる。


無色透明の光矢が放たれる。

ヴィダードは通常中空に生成され放たれる技だがヴィダードは弓を媒介にしなければ行えない。

その代わりに威力は通常の光矢と隔絶する。

放たれれば終わりだ。


だがピランに矢が当たる事はなかった。

エルニアナの長い脚が小柄なピランを蹴たぐり飛ばしていた。


「エルナ!?」


代わりにエルニアナの脹脛の肉が抉られ膝をつく。そのエルニアナに向け転がったピランが声を上げる。


ヴィダードが弦を引く。目には見えぬ矢が番られた。


「辞めろ!」


ピランは体を起こして駆けると膝を着くエルニアナの前に立ち庇った。

ヴィダードの光矢が放たれる。


しかしまたしても光矢がピランの身体を捉える事はなかった。


「……どうしてぇ?」


狙いは逸れてピランの頭髪を幾らか散らしながらも遥か先に飛び去り消えた。


戦場であるにも関わらず己の手を見つめ、数瞬後に脇腹を抑えた。


その手に血が付くことなど無かった。怪我などしていないにも関わらず脇腹が痛み、直ぐにその違和感も消え失せた。


その様子を見ていたシンカには何が起こったか朧げに理解ができた。


光矢と女を庇う男。

ヴィダードはその光景に嘗ての自分を投影してしまったのだろう。


戦場で有るまじき事ではあったが、シンカは嬉しくも感じていた。


他人などどうでもよかったヴィダードが人らしさを身につけている事に他ならないのだ。


「ヴィー」


シンカは身じろぎせずに手を握り合わせ、氷の大蛇でマルギッテを追尾しながら声をかける。


「その2人を殺してはならない」


シンカはヴィダードに芽生えた人らしさの芽を摘みたくなかった。


2人の遣り取りを聞いていたカヤテだがシンカの判断に反論する事は無かった。


カヤテは多くの民や兵士の命を奪ったオードラさえ殺せればそれで良かった。


領内で凶悪犯として指名手配されていたのはオードラと此処には居ないエクア・ファブルとベルコーサという男女のみであった。


ヴィダードの様子に違和感を覚えていたが先ず目の前のオードラとの戦闘に意識を集中する。


オードラは舞うような動きで剣を振る。

足捌き、剣捌き、体捌きを駆使した剣舞でカヤテを押し、鈴剣流奥義・旋斬りでカヤテを襲う。

不規則な剣舞をカヤテは目で見切り隙を伺う。


「はあっ!ふっ!割波!」


流れるような剣戟に予備動作を混ぜ込み岩断ちが放たれた。


故にオードラはそれを岩断ちと判断する事が出来なかった。




リンファが相手取るカルキルスは千剣流と鈴剣流を扱う手練れであった。

リンファが扱う武器が通常の長物よりも取り回しやすい短槍であろうとも懐に入られれば不利となる。


リンファは左の槍の素貧すっぴんで連撃を放ち足止めし、右の槍の厚塗あつぬりで隙を伺う。


カルキルスは堅実な手でリンファの攻撃を捌いていた。

しかしその表情は苦々しい。


短槍とは言え槍を片手で扱い続ける驚異的な膂力と体力に加え正確な突きの技術と素早さ。

まるで潜り込めず焦っていた。


しかし焦りを抱いているのはリンファも同じ事であった。


これは撤退戦。撤退する側の此方が遅れれば遅れるほど敵に囲まれ不利となる。

青鈴軍の撤退は進み、殿であるシンカ達の引き上げ時でもあった。

しかしその撤退はオードラ隊に足止めされている状況であった。


リンファは強く右足を踏み込む。掬い上げるように厚塗を振るう。

カルキルスは下がって回避する。


リンファは勢いのまま身体を右足を軸として回転させる。

その際に口を窄めて息を吹き出した。

強風が吹かれて砂埃が湧き立つ。


「……っ」


カルキルスは視界が塞がれることを恐れて更に後退する。

リンファが狙った状況だった。


「…これ、目が充血するのよね…」


厚塗を地に刺してリンファは右腕を振るった。

強く閉じていた右眼を見開く。仮面から溢れる豊かな髪が揺れる。


火行法・熱視線


見開かれたリンファの右眼から紅い光線が迸った。

ヴィダードの光矢とその速度は同程度ある。


つまり、行われてからの回避は至難ということだ。


カルキルスは砂煙を挟んだ向こうにおり視認はできていなかった。

しかしリンファには経による感知がある。


その位置は手に取るように分かっていた。

瞬きの間に駆け抜けた赤い光線はカルキルスの左の肺を穿っていた。


「……づっ!?」


カルキルスは呻く。

それは致命傷だった。




黄迫兵を防ぎ止めるナウラの心中には焦りが生まれていた。


隣では何も考えていないであろうユタが素早く兵の合間を駆け、敵を斬り捨てている。

シンカ達が相対した敵に予想以上の時間を取られていた。


「……きききき、ひっ?」


薄気味悪い笑い声を上げていたユタの動きが止まりナウラは視線を送る。

白激アクア。ヴィルマ王城でユタが破り逃走したラクサス人の女だった。


「…その気色の悪い笑い声と変な剣。覚えてる」


アクアは短く声をあげる。


「師匠の敵?」


三十数人のシメーリア人を引き連れたアクアにユタが尋ねる。


「……ううん。よく考えたら師匠はどうでもよかった。生きる為。ついてない」


「僕はついてると思うよ?ひひひっ、今度は楽しませてよねっ!」


言葉が終わるや否やユタは空丸を右手に突撃した。


「やだ。私、貴女嫌い」


アクアはユタの振り下ろしを擦り落として凌ぎ、すれ違いざまに背後を斬りつけた。

ユタはそれを背後に剣を回して防ぎ人格を疑うような狂笑を上げその場で前方捻り回転で飛び上がる。


ユタが蹴上げた砂が小さな刃を象りアクアに迫る。

4つの砂の刃を右に飛んで躱し躱しきれぬ2つを剣で弾く。

弾かれた刃は崩れ散る。


正面を向き合って再度対峙する。


「もうほんと、やだ。なんでこいつ居るの?」


アクアは表情を僅かに曇らせてぼやいた。


「姐さん!そんな気色の悪い女ぁ俺らでたたんじまいますよ!」


「任せてください!」


率いるアクアの部下達が口々に騒ぎ立てる。


「貴方達の相手は私です」


ナウラは髭面の男に駆け寄り斧を振り落とした。


「あ?女如きが俺にっ」


男は剣を立ててナウラの斧を防ごうとした。

だが実際は頭頂から股間まで断ち割られてばらばらに倒れ臥す事となった。


「よくも…なんだっけ?名前忘れた」


アクアの冷たい反応を他所に、次々とナウラはラクサス人の傭兵崩れを屠っていく。


ユタは涎を滴らせながら周囲に靄を発生させる。


「なに?やめて」


アクアは両手を突き出して風を起こし靄を払う。

ユタは行法が阻止された事を察知し不規則な足捌きでアクアに肉薄した。


刹那の間ユタとアクアの視線が交わる。

袈裟に斬りおろしたユタの剣をアクアは受けようとして剣を立てる。


「…なに?」


影抜きだ。

ユタは失伝した鈴剣流の奥義を放っていた。

しかしアクアはそれを察知して体を開いて寸でそれを躱した。


「ひひひひっ、ひひっ、楽しいよ凄く!」


「全然楽しくない。くたばれ」


影抜きを躱したアクアは素早く剣を鞘に収め、再度抜きながら切り上げた。


王剣流奥義川登。その剣速は岩断ちに勝る。

隙を突いた一撃であった。




水行法・氷蛇尾ひさびでマルギッテを追い回していたシンカは法が途切れると即座に低威力の一角を放った。


一角はヴィダードの前のエルニアナとピランの意識を奪った。


それと同時にカヤテの剣がオードラの命を奪わんと閃く。

しかしオードラの肩口に刃が潜り込む直前、胸に穴を開けたカルキルスが彼女を突き飛ばした。

カヤテの朱音は割り込んだカルキルスの首を一撃で落とす。


「カル!?お前!よくも!」


斬りかかろうとするオードラに向けてヴィダードが光矢を放つ。

オードラは察知して後退して躱すと憎々しげにカヤテを睨みつけて次々と迫る黄迫兵の中に消えていった。


マルギッテは氷蛇尾から解放されて直ぐにシンカに迫った。


「顔見せて?顔。顔も良ければ私貴方に嫁いであげる」


マルギッテは最早武器を捨てて無手にてシンカに迫る。

ヴィダードが眦が裂ける程目を剥き瞬時に目を血走らせた。


「私のシンカ様に寄るな雌豚っ!」


「シンカ様とおっしゃるんですね?ご尊顔をっ」


ヴィダードが光矢を連射し追い立てるが巧みにマルギッテは躱していく。

ヴィダードが射出する直前の動作を見切り射線に身体を置かないことで回避しているのだ。


「潮時だ。引くぞ。ナウラ、ユタ、撤収しろ」


白激アクアの川登を掌の汗を媒介に生成した氷塊で受け止めたユタと駒の様に回転して3人の巨漢を吹き飛ばしたナウラに声をかける。


いよいよ堤が決壊するかの様に黄迫軍が防壁を超え雪崩て出城内部に溢れ始めた。


「…いいもん。こんな女、絶対結婚出来ないから。それどころか一生蜘蛛の巣張った独り身女」


「僕、結婚してるよ?」


「嘘だっ!?」


革手袋を外し指輪を自慢するユタの襟をナウラが掴み、来た時とは逆の立場でユタが引き摺られる。


「どういう事っ!?あんな頭のおかしな女に女としても負けてるのっ!?」


「アクアさんアクアさん、多分胸の有り無しでは…」


余計な事を言いラクサス人の傭兵が股間を抑えて蹲る側でシンカ達は戦場に背を向ける。


「最後。やるぞリンファ」


再度瓢箪を投げられ、中の水を口に含むと宙に吐き出す。

経を練り、直ぐ様行法に充てがう事で膨大な量の水を吐き出し続ける。

黄迫軍の頭上を覆う様に厚い水膜が展開する。

シンカの顔が赤らみ顳顬に血管が浮き出た。


吐き出された水膜にリンファが経を混ぜ込み自身の配下に置くと操り出す。

強烈な勢いで水の天幕を叩きつけ、強い水流として敵を押し流した。

リンファが水流を操る横でシンカは再度手を握る。


「ぐ、く…く、うぅ…」


膝下程度の水深となった水流から無数の棘が無作為に突き出る。

水行法・棘珊瑚が敵を傷付けながら足止めの役割を果たす。


「無茶し過ぎよ。臓器が老化するからやめなさい。あんたに先立たれたら困るのよ」


脂汗を流し肩で息をするシンカにリンファは声をかける。


「後で薬を飲む」


「だとしても見ていて気分のいいものじゃないのよ」


そんな会話をしつつ青鈴軍を殿として守りきった2人が北の塔に向かっていく。足止めされた黄迫軍はそれを見送る事しか出来なかった。




エケベル平原のやや南にて雨月旅団を率い参戦したアシャは黄迫軍と足並みを揃えて出城攻めを行った。


青鈴軍の未知の兵器や激しい抵抗に苦戦はしたものの、雨月旅団の被害は最小限に抑えられた。

というのも投擲された爆発する巨石は明確に黄迫軍を狙っていた事と、出城を攻略し士気を保ちたい黄迫軍が出城攻略戦の最前線に立った為、必然的に雨月旅団や諸侯勢の被害が減じたのだ。


戦に慣れたアシャからしても異様な光景の戦場であった。


一度に数十人を吹き飛ばす投石、こちらの投石を跳ね返す手管、洪水の様な行法。

たった数千で数万の軍勢を半日凌ぐ強兵。

恐ろしい敵だった。


このままでは勝つことはできない。

アシャはそう悟った。


特に恐ろしいのは最前線で戦う黒づくめの仮面の者達だ。

一人一人が名付き足る武力を持った恐ろしい相手だった。

その中でも災害級の行法を行った狐面の男と女の仮面を付けた2人組、そして狼の面を付けた男の行法は見たことのない程強力であった。

彼等の手振りをアシャは防壁の下から見ていた。

烈火のエリヤスなど目ではない程の実力であった。


出城を黄迫軍が超えて後を追った先で黒づくめの者達は様々な強力な行法を扱い黄迫軍の追撃から青鈴軍を守った。

そして最後の水行法で黄迫軍の心を折った。


出城を落としたにも関わらず陣を張った黄迫軍の士気は低迷していた。


次の三塔砦攻略戦はより困難を極めるだろう事は明白だった。


しかしそれでもアシャは己の夢の為に退くことは出来なかった。


アシャ率いる雨月旅団は出城の隅に陣取り怪我の手当てや食事を行なっていた。

中心部には黄迫軍の首脳と貴族達が陣取り、ルーザースからの援軍とはいえ身分の無い傭兵が端に追いやられた形だった。


とは言え貴族と場を同じくしても碌な結果にはならないだろう。


「漸く此処まで辿り着いたか。良い様にやられているな?」


「聞いていた青鈴軍の印象と違うねえ。平原で会戦を挑んでくるとばかり思ってたよ」


スプンタとクシャラが会話を始める。

アシャはその会話を剣に付着した血と油を拭いながら聞いていた。


戦闘前の撹乱といい彼等が話す様に過去の青鈴軍の戦争実績と明らかに戦略、戦術が異なる。

実際に直近である4年前のロボクとの戦争では劣勢にも関わらず会戦を挑んだ。


これが全てオスカル・ガレの手腕と言うことなのだろう。


「だがあの仮面の行兵達、何者だ?」


「奴らに関しては私達でできることはないね。天下の黄迫軍に期待するしかないよ」


そう。仮面の行兵だ。

強力な行法を操り武力も名付きを上回る。

恐らく黄迫軍の投石を弾き返したのも彼等だろう。出城を落として北の塔を狙った連投も一旦収束したが、塔は依然として欠ける事すらなく佇立していた。


三塔の砦は絶妙な距離に建てられ相互の連携を可能とし、その高さより一方的に矢や行法を降らせる。


出城攻略戦の死傷者数は未だ算出されてはいないが、継戦不能な将兵は7000から10000と予想できた。


三塔はその性質上同時に攻略しなければ敵の背後からの攻撃を許す事になる。

加えて本陣である要塞化されたエケベルをも相手取らなければならない事を考えればかなりの被害が予想できた。


雨月旅団の大半を失い裸の王ならぬ裸の領主となっても仕方がない。

切れ者であるゼンマ・ファブニルがどの様な策を取るかが焦点であった。

そんな事を考えていると陣中が俄かに騒がしくなる。


「…なんだ?」


磨いたばかりの剣を手に立ち上がる。

騒ぎの中心に足を運ぶと春先に雨月旅団に入団したばかりの白激アクアが数を減らした部下と共に武装を整えて歩んでくるところだった。


「…どうした?」


脇目も振らずにこちらへ向かってきたアクアにアシャは尋ねた。


「…私、抜ける」


「あん?」


「あいつらがいるなんて聞いてない」


あいつらとは誰の事か、アシャは咄嗟に理解できなかった。


「誰の事だ?」


「敵にあの薬師達がいるなんて、聞いてない。たった100人足らずでガジュマ王城を落とした。私抜ける」


「ガジュマ?薬師?なんの事だ。勝手なことはが許さん」


「契約違反。相手は青鈴軍って言ってた。薬師がいるなんて聞いてない」


「薬師?なんの事だ!士気が乱れる様な言動は慎めアクア!」


「冗談じゃない。ありえない。あの仮面の奴ら。あの老婆の面の女、確かにガジュマで戦った。あんな変態、仮面被ってても間違えない。あいつがいるって事は絶対あの時の薬師達。これは敵を偽った貴方が契約違反。私は抜ける」


アクアは白激アクアとして名の轟く有名なラクサスの武人であった。

現在領土を拡大するヴィティアに各地で連敗を喫しているラクサスを見限り、自身を慕う配下と共にルーザースに流れて来た。


アシャは酒場で管を巻く彼女達を雨月旅団に引き込んだのだった。


ガジュマ王城が陥落したと言う噂は耳に入っていたが、100人足らずの者達に落とされたと言う話は眉唾物であった。


だがアクアが警戒する薬師が仮面の者達である事はわかった。


「…あの者達の正体を知っているのか!?」


「……知らない。ガジュマの王城に居たら急に襲って来た。誰かを捕らえられて、助けに来た…?……そんなどうでもいい事聞かないで。私はもう行く」


仮にあの黒尽くめ達がガジュマを落としたのだとすれば、それはグレンデルによってガジュマが落とされたということになる。


それはつまり、現在繰り広げられているヴィティアのラクサス侵攻はグレンデルの協力の元に行われたと取ることができた。


ラクサスが滅びるのが早まれば黄迫軍や己らがグレンデルを落とす前にヴィティアがケツァルの背後を突く形となる。


危険な状況である。


アシャは宗主の元で暗躍を続けて来た。

その集大成、終着点を目の前にして現れた謎の者達の実力に戦慄していた。

その正体のきっかけをアクアは持っている。


「おい、待てよ!俺らを見捨てるのかよ!」


ハウルトがアクアに絡むんだ。


「見捨てる?隠して契約したのはそっち。これまでの分違約金が欲しいくらい。でもそこまでは言わない。感謝して欲しい」


「は?ふざけんな!」


アクアに掴みかかろうとしたハウルトだったがあっさりその手を掴まれ脚を払われて地面に転がった。

白激アクアはクサビナと幾度も鉾を交えたラクサスの出身だ。

剣の腕だけであればアシャよりも立つだろう。

ハウルトに敵う相手では無い。


ハウルトはアクアに懸想していた。男として去られたく無いのだろう。

背を向け再び歩き出したアクア一行を棄て置く事は出来ない。

アシャは剣を抜いた。


「スプンタ、クシャラ。手勢を率いて脱走を阻止しろ」


「お前ら!囲め!逃すなよ!」


「多少手荒でも構わないけど殺さないでよ!」


アシャの命で2人は即座に部下を集めてアクアを包囲した。


「本気?貴方達だってこの戦から早く抜けた方がいい。あいつらと敵対すべきじゃ無い」


アクアと彼女に従う数十のラクサス人が囲まれて剣を抜いた。

生暖かい夜風に吹かれて緊迫感が辺りに蔓延した。


陣の隅に追いやられた事、陣から抜けでようとするアクアを追った事。


それらが雨月旅団を救った。


網膜を焼き尽くす様な閃光が辺りを覆い尽くした。


音は聞こえなかった。あまりの衝撃に脳が音を認識する余裕がなかったのだ。


閃光に目を焼かれ、身体に衝撃を受けて吹き飛ばされた。


地面に打ち付けられ呻きながら何かが通り過ぎるのを地に張り付いて待った。


耳に水が入った時のように辺りの音がくぐもって聞こえていた。


何度も至る所で大きな爆発が起き地面が揺れ、爆風が頭上を通り過ぎていった。


時間の感覚を失い周囲を伏せながら見る。

近くの者に負傷した様子は無い。アシャと同様に背を丸めて伏していた。


どれ程時間が経ったか、耳が唐突に聞こえる様になった。


何かが爆発する音がアシャの耳を突き刺す。

その合間に人の絶叫、悲鳴が合いの手の様に響く。


襲撃を受けているのだ。


アシャは体を起こす。


「スプンタ!クシャラ!ハウルト!」


「大将!」


「無事だ!」


「クシャラ!返事をしろ!クシャラ!…クシャラ!」


スプンタとハウルトは直ぐに返事を返すがクシャラの声が聞こえない。アシャはクシャラを探した。


程なくしてクシャラを発見した。

クシャラは倒れ、頭から多量の血を流していた。


「おいお前!直ぐに連隊長の手当てをしろ!」


近くの兵士の襟を掴み指示を出す。


「スプンタ!ハウルト!兵を纏め襲撃に備えろ!」


未だに黄迫軍の中央部では爆発が続いており時折迸る閃光に巻き上げられた人の影が投射された。


「何が起きている…?」


アシャは周囲の様子を伺う。

雨月旅団は爆発の中心地から離れているためか隊列の整いが早い。


加えて直前にアクアを包囲しようとしていた為に隊列を陣形を組む土壌が整っていた。


被害の中心にありながらも精鋭だけあり黄迫軍は兵を纏めつつある。


対し諸侯軍は散り散りになり逃げ惑っていた。

しかしその中でも何人かの貴族は兵に檄を飛ばして軍を纏めようと奮闘している。


「…だから言った。貴方に何が起きたか分かる?私には分からない。だからこんな奴らの相手はしたく無いの」


「……」


今度こそ背を向けて闇の中に消えていくアクア。


追う事は出来なかった。それよりも今は早く防備を固めて敵襲に備える。


雨月旅団は幾らかの損失はあったものの、スプンタとハウルトの指揮のもと三塔に向けて兵を取りまとめる事が出来た。


未だに散発的に爆発は続いていたがその勢いは落ち着きを見せていた。


生暖かい風が不快な臭いを押し流し、漂っていた濃い煙を晴らす。


多量の湿度を含んだ夏の風が肌を撫でた。


風は徐々に強くなる。


「……?」


馬蹄の響きも兵の雄叫びも聞こえては来ない。

風が更に強くなるだけだ。


「……!密集陣形!長槍隊槍を立てろ!盾持ちは頭上を覆え!風行兵隊は風流陣!土行兵隊は天幕を!急げ!」


アシャの指示の元スプンタ、ハウルトの号令で兵達が動く。


その時、降り始めの雨のように何かが音を立てて降り注いだ。


矢であった。


「来たぞ!長槍と盾を掲げろ!矢で倒れた者がいれば直ぐに代われ!」


本来であれば矢が届く距離では無い。


強風が途切れる事なく吹き付け、その風に乗って南北の塔から雨霰の様に矢が射られた。


矢に対する防衛措置を取ることができなかった軍勢の者は次々と倒れ、地に伏していった。


青鈴軍の一斉掃射は一刻もの間続き、大勢の被害者を生み出した後にぱたりと止まった。


軈て夜が明けて日が昇り出城を朝日が照らし出すと、そこには草原の様に地面から矢が生えた景色と無数の兵士の死体、大きな多数の陥没孔が出来上がっていた。


前日の夕刻の景色とがらりと趣を変え、同じ場所である事を疑う光景が広がっていた。


対グレンデル軍の被害は一夜で1万にものぼった。

凄まじい被害であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る