その道は自らの手で選び取られた


「っ!?」


シンカは暗闇の中で身体を起こした。

心臓が激しく脈打ち真冬にも関わらず大量の汗を全身から吹き出していた。


荒い息を吐き額の汗を袖で拭う。

首筋から未だにだらだらと汗が流れ落ちていた。


夢の内容は覚えていた。

嫌な夢だった。それは正しく悪夢であった。


シンカは布切れで汗を拭いつつ立ち上がり、水差しから水を呷った。

そして直ぐに部屋を出て妻達の部屋を順に回る。異変は無い。


息子のシンリも含めて異常は感じられなかった。

シンカは思い悩んだ。


暫し直立したまま思案に耽ると衣類を着込んで家を出た。

時刻は日付が変わって一刻程だろう。


里は冷え切り、吐く息は白く輝いていた。


アギが音も無く擦り寄ってきてシンカの肩に飛び乗り、首元を豊かな尾で覆ってくれた。

頭を掻いてやり歩き始める。


長い階段を降りてシンカが目指したのは書館であった。

森渡り達が3000年に渡って書籍を溜め続けて来た建物だ。

書簡は千穴壁の中腹に存在している。


見張りなどは無い。

長灯石の灯りだけが照らし出す無人の横穴にシンカは戸を開けて入り込んだ。


書館の中は無音でシンカの歩く足音と衣擦れの音だけが耳に届いた。


視線の先には両側を崖の様に本棚が立ち並び、隙間なく書籍が差し込まれている。


それが奥まで続く。


膨大な量の書籍が此処には詰め込まれている。


シンカは夢の内容を思い返す。


最後に現れた女は何処かで見た覚えがある。

しかし記憶には無い。

特異な見かけだ。


髪の長い美しい童女。

髪の長さは身の丈の倍程で引き摺っていた。

一度でも見かけていたらシンカの記に場所や日時まで残っているだろう。


ならば架空の人物か、或いは。


精霊だ。


長い髪は亜麻色、肌の白さから考えてウバルド人だろう。

ウバルド人で思い出せるのは友人のシドリと王女である暁明のダーラ。


そして夢で出会った欅のカリオピ。


シンカには確信があった。

恐らくあの童女は欅の精霊だ。


シンカが時間を問わず書館に向かったのは強烈な不安感が自信を苛んでいたからであった。


あの夢を放置する事に危機感を覚えていたのだ。

あの夢が何を指すのかシンカには判らない。

だから書館に来た。


シンカの記憶では夢について書かれた書物が幾らかあった筈だ。


膨大な量の書籍が収められた書館。

書籍は分野毎に分類されている。


途中で以前納めたイーヴァルンとエンディラの民に関する自身の書籍を見つけ、背表紙を撫でる。

シンカが記したものだからなのか、既に幾らか読まれた形跡があった。


シンカは再び足を進める。

大まかな分野は歴史、生物、生活、文化等と分けられており、その内の生物に関する書籍を纏めた書架にいる。

生物は人間、精霊の民、魍魎に分けられ、シンカは人間関連の分類書籍を探しに向かう。


分類は更に細分化される。

人体、経等の分野の本がひしめく中に夢に関する書籍はあった。

あまり読まれないのかシンカの3倍ほどの背丈の位置に20冊程が並んでいた。


シンカは梯子を用意して壁にかけると登って書籍に近付く。


どれが当たりかわからない。

計23冊を一度に取り、肩に担いで梯子を降りた。


書館の中は冷えた。アギの体温だけは暖かく、シンカはもう一度アギの頭を撫でた。


読書を行える机に近寄り書籍を下ろした。

本を置く時に無人の書館に重たい音が響き、消えていった。


胃の腑が締め付けられる様な緊張を覚えていた。

幾つかの夢に関する書籍は台だけで無関係だと断じて除外する。


一冊づつ後は確認していくしか無い。

表紙を開き目次を確認する。


一冊目は夢料理。

遠い地域の食べてみたい料理について夢想する下らない内容だった。


怒りを堪えて一冊目を傍に除ける。

誰だ書いたのは。

どう考えても分類が異なる。


二冊目は夢を見る日と見ない日。

食生活や就寝時間による夢見を研究した書籍だった。

これも除ける。


三冊目は二冊目を書いた者の子孫が記した続編。

更に細かく実験を行い、夢を見る条件を確認している。


四冊目は夢占い。

些か胡散臭い台だが、記した人物に覚えがあった。

著者はコウホウ。

500年前の人物で奇人として名が残っている。

コウホウは夢に関する研究を行い、ある日突然朝起きると髪が真っ白に変化していたという逸話を持つ。


シンカは表紙を開く。

項目を確認してこの本が当たりであることを瞬時に悟った。


シンカが確認したいのは先程見た夢にどの様な意味があるのかだ。

早速シンカは書籍に目を通し始めた。


夢には3種類が存在する。

それは肉体の夢、心の夢、そして未知の夢。

この3つだ。


肉の夢は単純明快で、肉体の異変などを夢に見る。

例えば腕が身体の下敷になっており、血が止まっていて、痛みを感じているから腕を怪我する夢を見る。

尿意を我慢しており、放尿する夢を見る、などだ。


続いて心の夢。

これも単純だ。

己の欲求や不安を夢として見る。

家族を失うのが怖いから家族が死んでしまう夢を見る。

女を抱きたいから女の夢を見る。


だがそれ以外に前の2つとは異質な3つ目の夢が存在する。

それは或いは予知夢と呼べる物なのかもしれない。


この予知夢に関して、書籍は幾つかの例を示していた。


シンカはまず蜂の夢に目を止めた。

シンカが見た悪夢に始めに登場したのは大きな禍々しい雀蜂であった。


大きく危険な蜂の夢は難敵や危険の象徴とされる。


シンカは一瞬にして鳥肌が全身に立った。

笠山の襲撃前やベルガナ・スライ戦線前にも、3色の役前や山渡りの襲撃前にも見なかった夢を今この時に見た意味。


それは戦争など瑣末に思える災厄の訪れを指し示すのでは無いかと思えたのだ。


次にシンカが目に止めたのは白い服に関する夢だ。

夢の中、暗い森の中で焚き火をして集っていた人物達は皆白い衣類を纏い、顔を隠していた。


書籍には白い服を自身がどの様に感じたかが重要と記載されている。

それと、誰が着ていたかだ。

自身か、家族を含む他人か。


シンカの場合、他人だ。

そして白い服について感じた印象は圧倒的な不気味さだ。

シンカには夢の中の集団が来ていた服は死装束の様に感じられた。


そしてこれらが合わさった場合の夢の意味は、死だ。

着ていた者の死。


シンカは脳の芯が恐怖で凍りつく様な感覚を感じていたら。

鳥肌が収まらない。


そして次の内容に移る。

シンカが次に注目したのは人が居なくなる夢だ。


夢に登場した白い服を着た顔の見えない人々。

知っている者も知らない者も大勢いた。

そしてその最たる者が妻達だった。


シンカには分かった。

顔が見えなくとも背格好や雰囲気で分かったのだ。

あそこには妻達がいた。


人が居なくなる夢が暗示するもの。

シンカは書籍の文章を読んで目を掌で覆った。


居なくなった人物の死。


もういい。


書籍を閉じたくなる衝動が生まれた。

だがシンカは堪えた。

何故自分がそんな夢を見たのか。

そこには意味がある筈だった。


次にシンカが目に止めたのは流れ星の夢だ。

流れ星の夢には大まかに3種の暗示を示している。

一つ目が突然の変化について前触れしているという。

誰かと一緒に見ていればその人物との関係性に変化が起こる事を暗示する。


赤い流れ星は恋愛に関する変化と書籍には書かれていた。

しかしシンカにはその内容を楽観的に捉えることはできなかった。

その夢はどうしようもなくシンカに嫌な印象を与えていた。

赤い流星はまさしく白山脈に落ちた物だ。


次の項目にシンカは目を止める。


大きな流れ星は突然の病気や事故等の災厄に見舞われる夢。


最後にシンカが注目したのは人が高いところから降りてくる夢だ。

これは自分自身の死を暗示するという。


書籍にはこの夢を見た戦士が近い未来にて死亡した実例も記載されていた。


高い建物から降りてくる場合、山から降りてくる場合、天から降りてくる場合があると言う。


シンカの場合は天だ。

加えて降りて来たのは精霊。

それは正しく天からの御告げであった。


「……欅の精霊が俺に御告げをしたのか?」


シンカは長灯石の灯りで出来た自身の影を見詰めながら呟いた。

アギが鼻をひくつかせて髭が首筋に触れた。


書籍の最後の項目を読む。


予知夢は必ず未来に起こる出来事を見せるものでは無い。

危険を知らせるものであり、その危険を回避する余地は存在する。

そう締め括られていた。

夢など不確かなものだ。

シンカはそう思っている。


しかし夢の中で、そして起きてからも纏わり付く嫌な気配は決して無視をしていいものでは無い。そう思えたのだ。

気付けば時間が大分過ぎていた。


シンカは本を閉じると椅子の背に寄りかがり、足を組んで思索を始めた。


この夢に現実的な意味があるとすれば、それは正しく家族の死だ。


白装束を纏い、闇に消えたナウラ達。


そして大きな雀蜂と大きな赤い彗星。

赤い彗星で思い付くものはたった一つ。

霧の王だ。

今正にクウハンが探索に向かっている。


その夢をシンカが見る事にどんな意味があるのか。

勇者とは何なのか。

一つ確かな事がある。


行かなければならない。


目を背けていた。

家族と共に居たかった。

霧の王と戦って勝てる勝算などありはしない。

それは鬼羆の時もそうだった。


運が良かっただけだ。


シンカはふと視線を上げた。

誰かが立っていた気がしたのだ。

深い皺の刻まれた見窄らしい身なりの老婆が立っていた気がしたのだ。


シンカは唐突に頭痛に襲われる。

痛みに頭を押さえ、強く目を閉じた。

目前が白くなり、一瞬景色を垣間見た。

シンカが妻達に背を向けて1人背を向けて、竹林の合間に消えて行く光景だった。


リンファが赤子を抱き、カヤテの腹は大きかった。

雪は残りつつも地表が見えていた。

春先だ。

それも今年。間違いない。


しかし何故そんな光景を幻視するのか。

時間がないという事なのか。

何故今なのか。


一瞬幻視した光景の中でシンカは1人だった。

何故1人なのか。大勢で行くべきではないのか。

或いはただのシンカの妄想なのか。


時間が無い。既に雪は止んだ。

だがシンカの心は決まらない。

数千人分の変質した経を蓄え変異した曼荼羅龍と、隕石を食らった霧の森の王。


人が倒せるものとは思えない。

クウハンの連絡は無い。

この寒さの中でもじっとりとシンカは汗をかいていた。


恐れだ。

災厄の主に対する恐怖と、死に対する恐怖。それと家族を失う事に対する恐怖。


シンカは長い事呻吟していた。

物音でシンカははっと視線を上げた。


長考の結果いつの間にか日が上っていたのか、闇に包まれ長灯石の橙色の光で照らし出されていた不気味な空間が、周囲が明るんだのと合わせて彩られていた。

書架の向こうで長身の女が2人立っていた。


1人は滑らかな直毛、1人はふわふわとした柔らかそうな髪の毛。


それが朝日に照らされて輝いていた。

神々しさすら感じられた。


シンカの目尻には涙が浮かんでいた。シンカが感じた三つの恐怖。


三つの内、シンカは一つだけを選んだ。


残り二つは瑣末なものとして捨てた。


選んだ無視する事ができない恐怖の名は家族を失う恐怖。


瑣末なものとして捨てた恐怖の名は災厄に対する恐怖。

それと自身の死に対する恐怖だった。


朝起きたら姿を消していた亭主を探しに来たのだろう。

この後文句を言われるのだろう。


全てが愛おしい。

きっと何も無駄な事などない。

これまでの全ての経験が、全ての道筋が何らかの意味を持っている。


無駄な人間などいない。無駄な人生などない。無駄な時間などないのだ。


2人の顔を見てシンカは何となしにそんな事を考えた。


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