宴の後


久しぶりに雪が止んだ日から半月が経った。

晴れる日もあれば吹雪く日もあり、天候は読めない。

山の天気は変わりやすい。森渡りをしても先を読めるのは精々が一刻だ。


そんな中でも晴れる日の割合が徐々に増し、ゴール北の流氷が延々と伸び切った頃、シンカ達はリン家の宴に誘われた。


騒々しい事になるのは間違い無い。


シンカは六弦琴を持ち出して弦を張り直した。ヴィダードは歌う気満々で声の調子を整え、ナウラは踊る気満々で靴を選び、ユタは食べる気満々で最近嵌っている自分の食器を懐に収めていた。

ちなみに食器はシンカが作ってあげた物だ。


夕刻家を出る。リンファは赤子を抱いて、カヤテは大きい腹を守りながら。

ナウラは頭に4つの樽を曲芸の様に乗せて細い崖に刻まれた道を歩んだ。


黄昏時の西日が周囲の積雪を茜色に染め上げ、輝かせている。


美しい里だと改めて思う。

この景色を守っていきたい。

家族が棲まうこの里を何時迄も。

そんな感傷を心に抱いていた。


リン家に辿り着く。

戸を叩き断り無く開く。


外からある程度把握できていたが中は酷い状態であった。

戸を開けて一番、クウルが足元に纏わり付くリンマに拳骨を落とし、盛大な鳴き声が響き渡った。


「やだああああああああああああああっ!ぼくもぶどう酒飲むうううああああああああああああああっ!んああああああああああああああああっ!」


「あんたに葡萄酒は12年早いのよ!そんなもんは1人で眼鬼を倒せる様になってから言いなさいっ!」


「やだああああああああああああああああああああっ!」


喚き拳骨を再度喰らう。


別の場所では大きな回転する独楽に乗っかり一緒に回ろうとする年少の数人が周辺の椅子を薙ぎ倒しリンブの妻アレタに首根っこを掴み上げられて吠えられている。


里の外から来た嫁だが馴染んでいて良い。


「宴じゃ宴じゃあ!」


シャラの長男のリンラが小さな炎弾を飛ばし破裂させてはしゃいでいる。

既に酔っている。


「うたげじゃうたげじゃあ!」


リンラを真似してリンミが更に小さな炎弾を放つ。

それがシンカの顔へと飛来する。


「あっ」


それが常人なら鼻が吹き飛ぶくらいの出来事へと発展したであろうが、森渡りにとっては道端の犬の糞を避ける程度の労力で解決が可能だ。

シンカは小さく水噴を行い着弾する前に消化した。


「この家はどうしてこうなんじゃ。うるさくて敵わん!」


珍しくリクゲンが顔を出しておりぷりぷり怒るが幼い孫に纏わりつかれて険しい表情が直ぐに情けない弛んだものへと変わる。


「あっ!兄さん!」


宴の支度を手伝っている様子の無いリンドウが爪を磨きながら現れる。


「げっ、リンドウ!」


リンファが顔を顰めた。


「兄さぁん、私に会いに来てくれたの?」


やけに露出度が高い。

前屈みになり豊かな胸の谷間を見せ付けながらシンカに擦り寄ってきた。

シンカの腕を取ろうとするとリンドウの眼前一寸に突如白眼の血走った空色の目が現れる。


「何の用ぉ?貴女はシンカ様の半径1里に近付いてはならないのよぉ?」


「いや!それ里にも居られないじゃんっ!兄さぁん、お義姉さんがぁ、私の事意地悪するの」


「ヴィー。…………めっ!」


「なんでぇ!?どおしてわたくしがっ!?」


理由などその方が面白そうだからに決まっている。


ヴィダードは奇声を上げてシンカに飛びかかり絡み付いた。じっとしがみつきすんすんと鼻を鳴らす。


「な、何してるんですか!?兄さんの香りは全部私のものよ!?」


リンドウがシンカに絡み付く。


「ちげーよ!」


リンファがヴィダードとリンドウの頭を鷲掴みにして引き剥がしにかかった。

子供はカヤテに抱かれている。


「何を言われようとこの権利はヴィーのものよぉ!ほほほほほほほほ!」


顔の皮膚が引っ張られて異相を象りながらの哄笑は見る人が見れば悍ましく感じただろうが、シンカは短く笑った。


「ヴィー。その辺でやめた方が良いですよ。貴女の身体は硬くて細い。シンカが可哀想です」


「わたくしは丸太じゃないわぁっ!?」


ヴィダードが牙を剥く。シンカにしがみついたまま。

シンカの顔の皮膚が引っ張られて伸びている。


「兄さん、今夜私の部屋に来てくれる?」


「行かん」


「なんでえええええええええええ!?」


絶対諦めない、と半泣きで叫びリンドウが走り去っていく。

途中で食事を運ぶリンブにぶつかり、汁物が飛散してリンブが絶叫した。


家族に加え親類達も集まり始め、リン家の広い食堂が埋まり始める。

父リンレイが分家の家長と挨拶をしている。


シンカもリンレイの元を訪れ挨拶をすると、騒ぎが起こってもなるべく迷惑がかからない隅の方に陣取った。


ナウラがヴィダードとユタを引き摺って母や兄弟達の手伝いに向かう。

リンファとカヤテは乳飲児と妊婦なので留守番だ。


卓に次々と料理が運ばれ始め、皆が席に着く。

家長となっているリンブが挨拶をし、乾杯の音頭を取った。


酒飲み達が一息に杯を空にし、おかわりに立ち上がる。

シンカとナウラも当然席を立つ。


ユタは頬を食べ物でぱんぱんに膨らませ、気に入ったものを皿に確保し始めている。

齧歯類そのままだ。


リンドが曼徳琳で巧みに陽気な曲を奏で始めた。彼は本当に音楽が好きだ。


妻のゼタも極西の国スコラナで同じ趣味が高じて連れ帰った女だ。

有名な女吟遊詩人だったらしく、納得のいく美しさだ。


今もリンドに併せて横笛を吹いている姿は絵になっており、酒場の男どもが憧れる様が目に見える様だったが、しかしシンカの目には自分の妻の方が輝いて見えた。


楽器の演奏もヴィダードの方が優れている様に見えた。

贔屓目なのだろうか。

そんな事を考える。それもしあわせの証なのだろうととぼんやりと考えた。


宴は続き、皆に酔いが回る。


シンカは戦争での話しを乞われて出来事をぼそぼそと話していたが次第に皆に酔いが回り、騒々しさが増し会話すら困難になる。


女の体を触り反撃されて意識を失う男、壁際で小便をする男、隣の男を激しく叩き始める女、卓上で嘔吐する男。夫にしなだれかかりにゃんにゃん恥ずかしく甘える女。

様々だ。


酒の席は人の駄目な所が良く出る。


「そうだ兄さん!何か演奏してよ!」


妹のリンカがそんな事を口にする。

それに何人かの兄弟が続けた。


シンカは乞われるがままに皆の前に出る。


リンドに口風琴を借り口周りに固定し、小さな椅子に浅く腰掛けて太鼓を鳴らす踏板に右足を置く。

左手は六弦琴の首で弦を押さえ、右手は弦をかき鳴らす為に添える。


始めに動いたのは頬だった。

口風琴に息を吹き込み軽快な旋律を吹き鳴らす。

たっぷりと8小節。そこから右足を踏み込む。

太く腹に響く音が人がのんびりと歩く程度の間隔で鳴り響く。

此方も8小節。

軽快な旋律に身体が疼く様な深い太鼓。


そこから太鼓を踏み鳴らす速度を倍に上げる。

六弦琴の伴奏を添える。


「なにこれーっ!」


リンゼイが椅子を跳ね飛ばして立ち上がり陽気にその場で踊り出した。


「愉快な気分だ!元気になる!」


リンブが右腕に3歳児を抱き抱え、左手に杯を握ったまま立ち上がりリンゼイに続く。


リンブの妻アレタががくがくと揺れる長男の首を見て背後から痛烈に頭を叩こうとするが、リンブは一瞥もせずそれを避けて踊り続けた。


美麗さのかけらも無い踊りだが、しかし楽しそうであった。

シンカは演奏に集中しながらもその様子を見て嬉しくなる。


2人に続き10歳前後の年若い兄弟や甥、姪達がわちゃわちゃと踊り出す。

シンカは旋律はそのままに太鼓を4拍子と8拍子で使い分け、伴奏に強弱を付けて緩急を演出した。


また太鼓の合間に六弦琴の本体を指先で叩き拍子に奥行きを持たせた。


「兄さん、器用だなぁ」


曲自体は単調だ。同じ旋律を僅かな演奏法の変更で表現していた。


子供たちに誘われて兄姉や親も席を立ち曲に合わせて踊り始める。


卓に身体がぶつかり酒が溢れ、文句を言う為顔を向けた者も腕を取られて席を立たされて踊りに誘われた。


ユタも思うがままに調子外れな奇妙な踊りを踊っていた。鼻を垂らした小さな男の子がそれを指差して笑っている。


ナウラは流石のもので、優雅に腕を振りながら拍子に合わせて腰を振り艶美な踊りを踊っていた。

年若い弟達が彼女に釘付けになっていた。


ヴィダードは左右に揺れながら旋律を鼻歌でなぞり、リンファは子を拍子に併せてあやしている。


カヤテは座ったまま壁に背を預け、何人かの妊婦仲間と温かい麦茶を啜りながら騒ぎを楽しそうに見ていた。


騒ぎは次第に加速していく。

酔いが回り頬を赤らめたカイナがリンレイの袖を引きしけ込んでいくのを視界の隅に認めてシンカはまた1人兄弟が増えるのかとぼんやり考えた。


演奏は楽しい。限りなく無心でいられる。

不安も何もかもが忘れられる。

宴の盛り上がりが最高潮に達する。


シンカが演奏を終えると別の兄弟達が別の曲を演奏し始める。


楽しかった。


シンカは演奏で疲れてしまった体を癒すべくカヤテの隣に腰掛ける。


「其方は本当に器用だな」


カヤテは腹を撫でながらそう口にした。


「…そうだな」


「ああ、そうだ。其方の器用さのお陰で私はこうして人並みの幸せを得られた。感謝している。私のせいで其方も苦しんだ筈だ。これからは其方がもっと幸せになれる様に私が。……いや、私達がお前の事を幸せにする番だ」


シンカは首を振る。


「それは違う」


短く告げた言葉にカヤテは眉を困らせる。


「俺はお前達のお陰で既に幸せだ。それにお互いに、皆でより幸せになるんだ」




酒に酔ってふらふらと自宅に帰る。

長灯石が照らす、崖に刻まれた細い道を6人で辿る。


肌に切りつける様な冷風が吹き付ける。

リンファは太々しく眠るシンリを抱き抱え、カヤテは腹を守る。


ヴィダードは甲斐甲斐しくふらつくシンカを支え、ユタは能天気に鼻歌を歌いながら残っている雪を蹴飛ばしていた。


ナウラは崖から顔を突き出し汚らしい行為に及んでいた。


「楽しかったわね」


赤子を抱いたリンファが微笑みながら言葉にする。


「うん」


「あんたは吐かないでよ?」


「もんだいない」


呂律が回っていなかった。


家路を辿り帰宅する。

身重のカヤテに身体を清めさせて寝かしつける。

リンファはシンリを赤子用の寝台に寝かせるとそのまま就寝した。


シンカは床に倒れて寝始めたナウラの足首を掴んで引き摺ると彼女の部屋に引っ張り込み、吊し上げて寝台に寝かせた。

まるで魚を調理する為に俎板に放る様な仕草だった。


上着を脱がせて厚手の毛布を掛けてやるとふらつきながら居間に戻り、椅子に腰掛けた。

ヴィダードがすかさず汲んだ水を手渡してくれる。

礼を告げて一息に煽った。

僅かなむかつきが済んだ水に押し流されていった。


ユタはいつの間にか姿を消していた。

既に寝ただろう。


「ヴィー。ユタがきちんと毛布を掛けているか見ておいてくれ」


「はあい」


「おやすみ」


粘度の高い接吻をたっぷりかましてヴィダードが背を向ける。

ヴィダードが去る後ろ姿を見送り席を立つ。


宴の楽しさが未だに心の中に陽気な篝火を灯している様で、シンカは良い気分のまま部屋に向かい、寝支度を整えて目を閉じた。




そこは暗い森の中だった。

シンカは当て所なく彷徨っていた。


森の中は視界が効かなかった。暗く、辺りを見通す事が出来ない。

森渡りの視力を持ってしても、木立の合間に何かを見出す事は出来なかった。


耳元で突如大きな羽音が聞こえた。

驚き慌てて腕を振り回す。


振り返り音の源を探す。

何かが腕に張り付いた。

痛みを感じた。


それがシンカには見えた。

大きな雀蜂だった。

その禍々しさに慌てて振り払う。


雀蜂は再び大きな羽音を鳴らして森の闇の中に消えていった。

刺されてはいなかった。


シンカは再び闇の中を張り出した根や転がる岩に蹴っ躓きながらも彷徨った。

ふと、森の奥がぼんやりと明るんで見える事に気付いた。

シンカはゆっくりと気配を殺して明かりの元に近寄っていった。


太い樹の傍から光源を覗き込む。

そこには無数の人影があった。

白い外套を羽織り、頭巾を深く被っており顔は見えなかった。


しかし僅かに見える肌の色から様々な人種である事は伺えた。

皆一様に膝を抱え、俯いていた。


シンカには何故か皆に見覚えがある様な気がした。

篝火の中に見慣れた姿を見つけ、シンカは驚いた。


思わず身を乗り出すと足元の枯れ枝を踏み付けてしまい、乾いた音が辺りに響いた。


顔の見え無い白装束の人々は一斉に此方に顔を向けた。

一瞬にして篝火が掻き消え、シンカは何も見る事が出来なくなってしまった。


だが見紛う筈がない。

顔が見えなくとも分かる。


一斉に此方を向いた人々の中には妻達がいた。


「ナウラ!カヤテ!」


シンカは闇の中で妻の名を叫んだ。

返事は無い。声は森の中に吸い込まれていき、反響することすらなかった。


「ヴィー!リンファ!ユタ!」


やはり返事は無い。

ただ虚しく声は消えていった。


シンカは首を振り闇の中を再び歩き出した。

何も見えない。躓き転び、身体を様々な何かにぶつけ、当て所なく彷徨った。


ふと唐突に森が途切れる。ぽっかりと木々の無い森の中の広場。

星々が瞬いていた。


その中に一際大きく禍々しい赤い星が輝いていた。


それは次第に大きくなり、赤い尾を引いてシンカの左手にゆっくりと落ちて行った。


シンカはぼんやりと空を見つめていた。


それは唐突に現れた。


見上げた空に人影が立っていた。

始めは豆粒程度の大きさだった人影は、何無い空をあたかも階段を降りるかの様にゆっくりと降って来た。


ゆっくりと人影は大きくなる。

一段づつ階段を降りてくる。


それは童女であった。

自身の身体の倍は長い亜麻色の髪を引き摺り、童女は空から降りていた。


長い時間が経つ。

シンカはただその様子を見ていた。


童女は漸く地に降り立つとあどけなくも美しい顔を上げ、シンカを見つめた。


彼女は何も語らなかった。

だがその瞳には幾重もの感情が積層している様に思えた。


だがいくら待てど彼女は口を開く事はなかった。



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