青鈴に参じよ

長老宅へリクファと赴いてから3日後シンカは戸を叩かれる音で目を覚ました。


隣で眠るカヤテの白い尻を無意識に撫でながら大きく欠伸をする。

前日の晩はカヤテと求め合った為寝不足だった。

カヤテは未だ性に疎い。シンカが敗北感を得るのはまだまだ先の事になるだろう。


艶やかな黒髪を一房掬い匂いを嗅ぐとシンカは立ち上がった。

玄関に向かい声を掛ける。


「なんだ?着替えてくる。少し待て。」


「長老の所で集会だ。十指と六頭に招集があった。お前も有っただろ?」


シャハンの声が扉の向こうから聞こえてくる。

他にも複数、8人ほどの気配を感じ取れる。


シンカの家は長老の棲まう横穴の途中、1番近い位置にある。


因みにシャハンの言う十指とは里で最も腕の立つ10人の戦士に与えられた称号で、六頭とは思慮深く智謀に長けた6人に与えられる称号である。


集会はこれに五老を含めた21人で行われるが、シンカは里を出ていた為一度しか参加した事はない。


部屋に戻ると衣服を着込み、寝癖を撫で付けて支度を終える。


「カヤテ。少し出てくる。朝食は俺抜きで取ってくれ。」


「・・・見るなぁ。」


寝惚けながら背を向けて丸まったカヤテに薄い掛け布をかけてやり部屋を出た。


家を出るとシャハンとヨウロ、父のリンレイ、それに久し振りに顔を見るセキレイ、コクリ、トウリュウが立っていた。

リンレイは六頭、セキレイ、コクリ、トウリュウは十指である。


「やあシンカ。お早う。」


「ああ。お早う。」


声を掛けてきたリンレイに挨拶を返し、残る5人にも声を掛ける。


「しかし先に行けばいいものを。何故6人も待っている?」


首を傾げる。


「お前の長老嫌いは札付きだ。逃げるかもしれん。リンレイもシンカには甘いからな。」


シャハンが答える。


「甘くは無いよ。シンカは好きで十指になった訳では無いからね。義務も果たしているし僕が言えることなど何も無いと言うだけさ。」


涼やかな表情でリンレイは返した。


「里で1番力がある此奴を選ばん訳にはいかんだろ。」


ヨウロが溜息を吐きながらぼやいた。


「しかし最後に会った時よりも経が濃くなっているな?」


疑問を浮かべたのは40手前の小柄な女、トウリュウだ。


「酒を飲みながら練経し、酩酊寸前まで蓄積するといいぞ。」


「はあ!?」


驚愕の声を数人が上げた。


「お前!?馬鹿か?!一歩間違えば周囲諸共爆散するぞ!?」


50を超えた白髪混じりの男コクリが吠える。


「理屈は分かる。でも危険すぎる。」


トウリュウもコクリに賛同した。

酒で散り散りになりそうな精神力で経を練り散漫な集中力でそれを丹田に蓄積させたり全身に流すと素面時の技術向上に大いに役立つのだ。


ナウラ達には教えていない。危険性は重々承知していた。


話を切り上げて長老の横穴へ向かう。

今日の世話役フウレンに挨拶して中に入る。

先日シンカがリクファ達と訪れた間に向かうと長老4人を含め死んだテンキを除く全員が集う事となった。


五老のリクゲン、トウマン、エンホウ、ウンハ、アンジ。


十指のシンカ、ヨウロ、シャハン、エンリ、スイセン、コクリ、クウハン、セキレイ、トウリュウ。


六頭のリンレイ、ガンケン、ランマ、ゲンドウ、コウセイ、ハンネ。


総勢20名である。


世話役のフウレンとソウセン、リクイが全員に冷えた茶を配り終えるとトウマンが早速口火を切った。


「これだけ此処に人が集まるのは久し振りだのぉ。特にシンカは11年ぶりじゃて。」


トウマンの言葉に乗り数人がシンカを揶揄ってくる。


「ここ数年、大陸、特に中央の情勢が危うい。小競り合い程度は数年おきに起こっているが、ここまでひりつくのは儂が生きている中では初めてじゃて。里の今後を見据えて確と話し合い、方針を決めていきたい。」


先日は腰痛で寝込んでいたと言う薄毛を伸ばし後頭部で纏めた老人、アンジが続く。


「まずは先のラクサス事変で他界したテンキ、ナンカン、キュウカ、ヒンブ、ガイルに黙祷を捧げたい。皆、黙祷。」


リクゲンの言葉に全員が顔の前で親指を下に両手で円を作る。

この円は輪廻を表し、死者が不自由なく次の生を精霊に与え賜る事を願う仕草となる。


シンカは死んだ5人の顔や彼等との思い出を脳裏に浮かべ彼等の平穏を祈った。

思い出がいくつも過ぎっていった。


「辞め。・・・先ず、欠けてしまった十指の1人を選びたい。十指よ。推薦を。」


長老手前に座った者達が1人づつ十指に相応しい者達を推薦していく。


その中でシンカはセンヒを推薦した。

センヒはヨウロにも推薦されていた。

ベルガナ・ヴィティア戦線でのセンヒは視野に欠ける所があったが、ラクサス事変でのセンヒは最も苛烈なシンカの隊にあって充分な視野てシンカを支援してくれていた。


ガンレイとジュリの世話を任せる事で人を従えて闘う経験も積ませることができた。若く経験値はやや不足気味だが先も長い。


十指に選ばれても不足するところは無いと判断した。


「センリの長女のセンヒか。今年でいくつじゃったか?」


「24じゃないか?」


リクゲンにヨウロが答える。


「センヒか。確かにこの前はシンカの下で良く闘ってたな。いいんじゃないか?ヨウキも最近かなりの力を付けてきているが里にあまり帰って来んからな。」


シンカと配置が接していたクウハンが相槌を打つ。


「では新しい十指は9人中3人が支持したセンヒとする。・・・リクイ!鳥を飛ばしセンヒを呼ぶのじゃ。」


指示を受けたリクイがリクゲンの従罔の小鷹を受け取り伝言を紙に記して放った。


「これで全員が揃うのぉ。11年ぶりじゃ。のぉシンカ。」


エンホウがにやつきながらシンカに声を掛ける。


「お前は17の春に一度出たきりだからな。」


30中盤の長身の男セキレイが顎を掻きながら口に出す。


「俺はどうせなるなら六頭が良かった。俺は人を従える器ではないからな。」


「何を馬鹿な事を・・・お前が従える女達との連携、並々ならぬ物があったぞ!」


シンカにクウハンが被せる。


「従えてなどいない。伴侶だ。妻と心が通じていないなどあり得ない事だ。シャハンと一緒にするな。」


「ぐおぉっ!?急に俺にっ!飛び火も良いところだ!」


シャハンは浮気を繰り返しており妻との関係は冷え切っている。


スイセン、エンリ、トウリュウ3人の女達が軽蔑の視線を送っており、シャハンは首を縮めた。


「それにしてもシンカ。お前が伴侶にした女連中は一体どうやって集めたんだ?里中で噂になってるぞ?1人はあの赫兵だろ?」


シンカに矛先を移すためか、或いは好色なシャハンらしい純粋な興味なのかシンカに話題が向けられる。


「俺の話題などどうでもいいだろう。」


むっつりと答えるとリンレイが微かに笑った。


「私も興味がある。里の者の事は皆大体知っている。知らないのは余り帰ってこない者くらいだからね。」


トウリュウが悪戯っぽい笑みを浮かべて口にする。


「エンディラの民はナウラという。ランジューで死にかけている所を拾って弟子にした。最初はその気は無かったが懐かれたから責任を取ることにした。イーヴァルンの民は7年前にイーヴァルンで出会って戦闘になった。勝ったら執着されて数年追いかけられたので責任を取ることにした。カヤテは恐らくこの後の議題にも関わる話になるが、政争に巻き込まれている所を何度か助けているうちに想い合う事になった。シメーリア人の女はユタという。ランジュー出身だ。しつこく弟子入りを志願されたのでな。連れ歩いて彼女の復讐を手伝って責任を取る事にした。」


「責任責任ってあんたねぇ。」


スイセンが呆れた表情で首を振った。


「勿論大切にするつもりだが、手を出す気など毛頭無かったと言いたいだけだ。迫られたのだ。薬まで盛られたのだぞ。」


シンカは顔を顰めた。


「お前に薬を盛る事が出来るとはなかなかだな!」


コクリが目を輝かせながら口にする。

暫く雑談を続けていると戸を開けて人がやって来た。


釣り布を捲り顔を出したのはセンヒだ。


「お呼びに預かりましたセンリの子、センヒです。私に如何様でしょうか?」


センヒの声には緊張が見られる。


「うむ。ラクサスで逝ってしまったテンイに変わる十指としてシンカとヨウロがお前を推薦し、クウハンがそれに同意した。他の者も嫌はない。センヒ。お主が同意するのであれば十指の1人とし里の同胞を導く者として従事してもらいたいが。」


偉そうにリクゲンが言葉にした。

センヒはシンカを凝視する。

それにシンカは頷いた。


彼女は次にヨウロを見遣る。

ヨウロも同じく首肯する。

センヒは目尻に涙を浮かべて強く歯を噛み合わせた。


「・・・謹んで承ります!」


何がそんなに嬉しいのかシンカには分からないが本人が喜んでいるので良いだろう。


「爺い。もう1人推薦すれば俺は十指から外れられるか?」


五老を見遣って尋ねる。


「いやいや、そう言う問題発言辞めてくれる?お前より腕が立つ戦士居ないんだからさ。ね?」


ウンハが狡い笑顔で下手に出て来る。


「俺も辞めたい。十指とか、俺には足枷だ。爺い何とかしろ。」


ジュハンが続く。


「黙れ色惚け!儂の孫にちょっかい出しおって!次に半径10歩以内に近寄ったら毒殺してくれるわ!」


トウマンが吠える。

五老への態度を責める者はいない。


その様子を見てセンヒは愕然とした表情を浮かべている。


実際里の方針は合議で決められているが、近い歳の者も含まれる十指や六頭に比べ五老が絶対的な存在だと思っている同胞は多い。


実際は唯の老いぼれだ。

シンカは緊張するセンヒの肩から力を抜くために意図的に言葉を発し、シャハンがそれに乗っかったと言う形だ。


促され空いた末席にセンヒが腰を下ろすと緩んでいた空気が引き締まった。


「テンキに変わる新たな十指が選ばれた所で改めて里のこれからについて話し合いたい。我等五老からは先のラクサスでの騒動と、薬師組合を経由しシンカより伝のあったヴィティアでの騒動について言及したい。シンカ。説明を頼む。」


ウンキが先と変わり覇気のある口調で話しを始めた。

五老は元々十指或いは六頭を務めていた者である。

若い時分は里の為に活躍していた者達だった。


「恐らく山渡りと始めて交戦したのは俺達になるのだろう。事の起こりは2年前の夏下月、旧ヴィティア王都スライ北部、長峰山脈西端部、笠山での出来事となる。油断していた俺は山渡りの罠にはまり8人の山渡りに妻達と共に囲まれる事となった。手練れであったが辛くも撃退する事に成功し、数人の尋問を行なった。」


ぼそりとヨウロがお前の尋問はおかしいと呟く。


「山渡りは我等の知識を求めると共に質を得る事で我等を戦力にする企みであった。」


「其処までは昨年ヨウロから話されている。」


エンホウが相槌を打つ。


「当時話し振りからして、それは個々人やある種の過激派の暴走では無く、山渡りの総意であると俺は認識した。」


「ふむ。その直後に起こったベルガナ・ヴィティア戦線に山渡りの関与はあったという事だったと思うが、ベルガナが我等と敵対行動を取っているという事でいいのか?」


リクゲンがシンカに視線を向けて尋ねる。


「当時は概ねその認識で良い。ベルガナ軍がスライを包囲した時、一般薬師の身柄を守る為、俺は女王サルマが拠点としていたウルマの領主館邸に潜入し、直接女王に問うた。其処で判ったのは森渡りの身柄を得ようとした者がルドガー・レジェノと言う者である事だった。」


「何者だ?その男は?」


エンホウが尋ねる。


「ルドガー・レジェノは元ロボクの下級貴族だが、非常に狡猾な男でロボクの首脳陣に籍を置いていた。俺はこの男とクサビナのロボク戦線の折にアゾク大要塞で出会った。奴は赤鋼軍に捕らえられた筈だが、何故か処されずサルマと共にウルマに居た。アゾク大要塞攻略以前より山渡りと協力関係にあり逃げ延びたと考えられる。」


長々と話しシンカは茶を呷った。


「お前がクサビナ軍に同道していたと言う話はちらと聞いた。何故戦に加わった?」


リクゲンがシンカに問う。


「その話はまた後でしたい。大陸中央部の情勢に関する話だ。・・・恐らく、森渡りの身柄を得たいと考えたのはこのルドガーと山渡りの頭領であるラングという男の両案であると俺は考えている。ルドガーはアゾクで俺とナウラを見て山渡りとは別の存在がいる事を認識した。山渡りは一族の地位を得たいと考えルドガーに付き従っており、更なる知識、戦力を得ようと考えているものと思われる。」


「成る程。否定する程それ以外の情報も無いし、あり得る話ね。でもルドガーという男が何故森渡りに執着したのかが分からない。」


スイセンが尋ねる。他の数人が同意する。


「推測になる。エンリ。ラクサスの玉座の間で俺が落雷で殺した男、あれがルドガーだ。」


「ああ!あの豆苗野郎か!」


エンリは覚えていたようだ。


「どうもルドガーはナウラに好意を持っていた様だ。」


「・・・ああ。そう。うん。そうだな。」


エンリは当時を思い出しながら相槌を打つ。


「下らねえ!」


そして叫んだ。


「まあ女の尻を追いかけていた事も有るだろうがあれであの男はかなり頭が切れる。山渡りと同じ目論見も持っていた事だろう。・・・所で第二次ベルガナ・ヴィティア戦線だが、俺はラクサスからエラム太湖を目指している最中にその原因を知る事となった。落ち延びるベルガナ女王サルマと偶然出会ったのだ。」


なんと奇遇な、と六頭の1人ガンケンが呟く。


「サルマにはシルアと言う山渡りが付き従っていた。シルアとは以前から誼があり、敵ではあるものの信頼出来た。情報と引き換えに助ける事とした。アゾクで捕縛されたルドガーは山渡りの助けを借りてベルガナに逃れた。ベルガナで登用されたルドガーは山渡りの知識と戦力を用い内戦後期のベルガナで立身する事となる。女王サルマは才女であるが、ルドガーと山渡りの力を使い内乱の早期終結と雷撃的なヴィティアの制圧を終えた後にルドガーの裏切りに遭う。だが予想外の事態が2つ起きた。まず、1つ目を話す前に山渡りの里が2つに分かれている事を説明しておきたい。1つが天海山山麓、1つが白雲山脈山麓。頭領のラングは天海山出身、シルアは白雲山脈出身となる。1つ目の予想外の事態はつまり、白雲山脈の山渡りがラングやルドガーから離反しサルマに着いた事だ。しかしそれでもサルマの天運はシルアと共に尽きようとしていた。丁度其処に俺が居合わせてしまった事が2つ目の予想外の事態だ。俺はシルアに味方をした。あ、ちょっとお茶をくれ。薬罐ごとでいい。」


ソウセンから薬罐を受け取り自分の湯呑みに注ぎ水行法で冷やして一気に呷る。

更にもう一杯注ぐと隣のシャハンとリンレイにも注ぎ足した。


「どうしそのシルアに味方をしたんだい?」


リンレイが茶を啜りながら尋ねる。


「シルアの事は知ってた。生真面目で誠実な女だ。恩を仇で返す人間では無い。それに早晩サルマがルドガーに裏切られる事は分かっていた。森渡りにとって、ルドガーではなくサルマに味方をする方が利になると考えた。サルマはルドガーに諭され森渡りに手を出したが、ルドガーとは違いシルアが寝返る程の人望が有った。恩を売るべきだと考えた。」


「そのサルマが危機を脱し、第二次ベルガナ・ヴィティア戦線はサルマの勝利で終わった。・・シンカ。私は君の選択は正しかったと思うよ。最も間違っていたとしてもその場に居なかった者は皆何かを言う権利は無いと思うけどね。」


小皺が目立つがそれでも美しさを失っていない女、ハンネが口を開く。


「有難う。その後、エンリも見たように戦いに敗れたルドガーは天海山の山渡りと共に今度はラクサスに逃れ、其処で我等に手を出すに至った。最後は推測だがそれ以外の選択肢は無いだろう。」


「里に帰ってこないと思ったら波乱だらけだね、君は。」


呆れたように笑うハンネは中年にも関わらず魅力に溢れている。

自分の妻達にもこの様に年を取って欲しいとシンカは考えていた。


「予想するに、ルドガーという男を討ち取ったとはいえ、天海山の山渡りは我等を諦めないだろうな。対抗手段を考えるべきだろう。白雲山脈の山渡りは本当に敵対しないのか?」


尋ねるのは六頭のゲンドウだ。


「それは俺には判らん。警戒はするべきだろう。だが、シルアは森渡りと敵対する時に力では及ばないから敵対するべきでは無いと反対したそうだ。シルアが制御できる者達は敵対しないものと俺は考える。サルマを守る間、敢えて力を見せつけたしな。」


「僕達に何方の里かなんて区別つけられはしない。警戒は常にするべきだろう。ベルガナ、ヴィティア、メルセテ、スコラナ、マルカ辺りからは撤退して近付くべきでは無いと思うな。」


リンレイが述べる。

その案にシンカを含め殆どの者が頷いた。


「では皆にはその様に沙汰を出そう。良いな?」


エンホウの言葉に皆首肯した。

センヒはまだ緊張しているようだった。


「所でクウハンよ。ラクサスではどの様な手口で皆は攫われたか確認しておるか?逝ったナンカンもリンファも相当の手練れ。山渡りに劣るとは思えん。」


トウマンが首を捻りながら尋ねる。

シンカはエンホウの梅干し顔を真似ようと試行錯誤しつつ耳を傾ける。


「それは全員に確認してある。確かに皆油断はしていた様だがモールイド人の女に隙を突かれたと言う話だ。」


クウハンの言葉を聞きはっとセンヒが顔を上げてシンカを見、直ぐに顔を伏せた。


「どうしたセンヒよ。何かあるか?・・ん?どうしたシンカ、顔を顰めて。腹でも痛いか?」


エンホウに尋ねられる。

シンカの顔を見て数人がセンヒ同様顔を伏せた。

顔真似は本人には伝わらないと言うことか。


「ガジュマ城内でシンカと私は山渡りと交戦しました。山渡りは皆モールイド人でしたが特に強い者とシンカが交戦しています。悔しいですが一対一で闘えば私では勝てないでしょう。」


気を取直したセンヒが話す。


「成る程のう。仕留めたのか、シンカ?」


アンジが険しい表情で尋ねる。


「いや。逃した。確かに中々の手練れだった。イリアと呼ばれていた。リンファ、ハンバ、三馬鹿と腕は同程度だろう。逆恨みをされている。皆も注意が必要だろう。」


「何故仕留めなかった!女だからと手心を加えたか?!」


エンリが怒りに歯を剥き出しにして怒鳴った。


「あの時点での俺達の目標はガジュマからの退避だった。深追いするべきでは無いと判断した。」


シンカは冷静に答える。

エンリとて本当はシンカに対し怒りたい訳では無い。

イリアは間接的にナンカンを殺した仇だ。気持ちは分かる。


「エンリ。シンカは正しいと思う。シンカに怒りをぶつけるべきじゃ無いよ。」


六頭の優男コウセイがシンカを庇った。


「エンリさん。シンカとカヤテとユタ、ヴィダードでイリアの小隊を複数人倒していました。かなりの混戦でした。」


センヒがシンカを庇う様に話す。


「イリアを含め女を3人取り逃がした。残りはダニエラ、ツィポラと呼ばれていたが大した腕では無い。気を付けろ。イリアは相当腕が立つ。経を身体強化に使える様だった。無意識だとは思うが。」


「ああ・・そう言えばそんな感じがしましたね。」


センヒの言葉を最後に皆が暫く黙り込んだ。

八半刻の更に半分程刻が流れてエンリが小さく俯きながらすまない、と口にした。

シンカは無言で首肯した。


そのやり取りを皮切りに話題が変わる。


「二つ目の議題じゃ。昨年薬師組合のゴール支部を経由してゴール在住のセキホ宛の文が届いた。アケルエントのペルポリスに根を下ろしていたサンケイがらであった。」


アンジが述べながら文を取り出した。

シンカがペルポリスを訪れた時にはサンケイの匂いは感じられなかった。

文を出してすぐに旅立ったのだろう。


「昨年伺ったお話ですか・・昨年は今の半数も此処には人が居ませんでしたからね。」


ランマが丁寧な言葉遣いで思い出す様に左横を見ながら口にする。


「内容はペルポリスの欅の大樹が彼の国の霊媒師カリオピに御告げを行なったと言うものだ。」


去年話しを聞いたのであろうゲンドウが概要を伝える。


「霊媒師カリオピ・・・巫女姫カリオピ、欅のカリオピか。ペルポリスの欅の精霊ともなれば大層なもんなんだろ?」


ヨウロが脚を組み直し茶を飲み干す。

話しながらシンカに手を突き出した。

シンカは無言で薬罐をシャハンの隣のヨウロに手渡した。


「リクイ。酒はあるか?」


「お。俺にも頼むわ。」


世話役のリクイに酒を要求したシンカにシャハンが続く。


「儂も貰おうかのぉ。」


続いたウンハをエンホウが孫の手で殴る。


「辞めんか阿保爺いが!お前は持病で酒禁止じゃろがい!」


「ふ、巫山戯るなぁ!儂の血管が脆くなってるの知ってるじゃろ馬鹿爺い!今の衝撃で頭の中で切れたらどうするつもりじゃ!」


困った顔で様子を伺っているリクイに手信号で酒を持つ様指示を出した。

センヒの呆れた視線には気付かないふりだ。


「第一次ベルガナ・ヴィティア戦線の最中、此処から南に20日の位置に彗星が落ちた。それに関する御告げだ。内容を要約すると、霧に育てられた魍魎が彗星を喰らう。同時に東の豊かな土地、恐らくクサビナだろうな。そこで内乱が起き、血と精が川に流れ、河口の魍魎が目覚めるというものだ。その魍魎は万の兵でも倒せず倒せるのは縦山に住まう影の一族、その若き男のみと。」


ゲンドウが続ける。

言わんとする事は分かる。


まず王種が隕石を喰らい身体を硬質化させる。

続いてクサビナの内乱が恐らくイブル川沿岸で勃発し、大量の死者が出る。大量の血液が川に流れ、同時に血中の経包も撒かれる。


河口で長く眠りについていた魍魎、これは恐らく爬の龍だろう。

水棲が可能で白山脈まで辿り着けるとなれば選択肢は一つだ。


大量の経包を摂取した龍は3000年前の異変同様進化し、手がつけられなくなる。

その龍が向かう先が彗星を食らった王種であり、その王種が更に龍を喰らい手がつけられなくなる。


そういう事なのだろう。

皆一同にその結論に達した。


「しかし個別に退治すれば良いんじゃ無いのか?」


ヨウロが口に出す。


「そう思って今年の春にクウハンを筆頭に40名の討伐隊を派遣したんじゃが、霧の森すら見つからんかった。」


「その通りだ。箒星も食べられた形跡は無かった。」


リクゲンの言葉にクウハンが同調した。

同行したのかスイセンが頷いている。


「俺たち一族の存在が予言されているのか。・・しかし若き男か。誰だ?」


「若き、という事はシンカでも無いって事だろ?」


シャハンとヨウロが議論する。


「里で最も腕が立つのはシンカだ。だがお前ももう若くは無い。」


「ああ。もう29だ。若いという事であれば20かそこらだろう?」


「誰?センヒ・・は女だし・・リンメイ・・も女。分からないわね。シンカじゃ倒せない訳?」


口々に皆が口を開く。

シンカはリクイが持ってきた葡萄酒を三口程飲むと口を開いた。


「サンケイは何処に行った?」


「それが消息を絶っておる。はじめの文以来一度も連絡はない。」


問いにリクゲンが答えた。

シンカは談合に向かう際に布袋を持ち込んでいた。


徐にその中から見せるべき物を取り出す。

それは黒く、人の頭程の大きさの珠だった。

長老達の背後、壁に設けられた棚に飾られる幾つもの巨大な珠、そのどれよりも大きかった。


黒く輝く其れは光を当てて覗き込めば群青色に見える。


「そ、それは!?」


一同が驚愕の表情を浮かべて食い入る様にシンカの手元に視線を向けた。

これを見せた事があるヨウロとセンヒでさえあまりの大きさに唾を嚥下し喉を鳴らした。


「グリューネの街レニ。その西南の森で小山の様な鬼羆と遭遇し、それを倒した。」


「グリューネ?!彼処は余り森が深くない!一体何故?!」


「その大きさの珠・・何人で倒したのだ?!」


ゲンドウとセキレイが大層な剣幕で唾を飛ばしながら尋ねてくる。


「まずこの鬼羆だが、ナウラとヴィダードの3人で相手取る事となった。」


「霧の森の主を3人で・・?シンカ。それはとても危ない事だ。もうやらないで欲しい。」


父リンレイがシンカの目を真っ直ぐ覗き込み真剣な表情、口調で告げた。

それに対してシンカは首を振る。


「突発的な遭遇だった。相手は熊。逃げられはしない。俺は霧の森の主を王種と呼ぶことにしたのだが、奴は流蜻蜓の翅でも体毛を斬る事が出来なかった。巨体の為俺の黄滝も一角も、効果は薄かった。特に気になったのは、奴が人語を解し、話した事だった。」


「馬鹿な!?」


皆の意見を代弁する様に六頭のコウセイが張り裂けんだ。


「熊の声帯では発生など出来るはずがない!」


六頭のランマが続く。


「いえ、あり得なくは無い筈よ。人間の様に話す事は出来なくても熊は吠えたり、鳴いたりする事はできる。もし私が熊で、知能が有り、人間と意思疎通を図りたいと思えば自分の出せる音を工夫して人語に近付けるという事は不可能では無いと思うの。」


言い終わるとハンネは葡萄酒を口に含んだ。


「王種の鬼羆は経を身体強化に扱っていた。最もあの巨体を経の操作無しで支えられるとも思えないが。」


「高度な知能が有ったと、そういう事じゃな?」


リクゲンの言葉にシンカは頷く。


「幸いナウラの火行法・息吹が体毛と表皮を焼く事が出来た。お陰で刃を通す事が出来、退治が叶ったという訳だ。鬼羆の巣には一本の砥木が生えていた。砥木は鬼羆の親を養分として育ち、森の中層でも育つ事が出来た様だった。その砥木が若いうちから寄生した宿り木が霧を吐いていた。」


「珍しい事象だな。親熊は余程長く生き体内に経を溜め込んだ個体だったのだろう。地脈腺でも無い所に霧の森が出来るという事実は周知せねばならんだろう。」


ガンケンが険しい表情で告げる。


ペルポリスの欅の根元の様に大地の経が噴き出す場所を森渡りは抑えている。

近くを旅する時は必ず寄る様にし、霧を吐く植物があればそれを根絶する。


地震などの天変地異で多少位置が変わる事はあるが、その影響も重篤とは言えない。


しかし強力な個体の死体から霧の森が生まれ得ると言うのなら、今まで通りの対処では後手に回る可能性がある。


「シンカ。お前が里を出てから新たな地脈腺が9カ所見つかり、内3カ所でお前が言う所の王種が発見されてきた。書館で地脈腺の位置は確認しておけ。それとお前も霧の森について書に追記しておけ。」


「分かった。」


ゲンドウに了承の意を伝えた。


「さて。此処からはこれからの方針について話したい。」


葡萄酒のおかわりを注いだシンカとシャハンを睨みながらエンホウが口を開く。


「始めに言った通り昨今大陸中央の情勢がきな臭いのは儂らより各地を旅するお主らの方が肌身で感じ取れている筈。何が起きている?分かるものはいるか?」


エンホウが続け、それを受けて皆が顔を見合わせる。


「クサビナが内乱まで後一手だ。特にファブニルが過激な言動を繰り返し諸侯を煽っている。昨年の秋上月にクサビナ王家がラクサスての派兵要請をグレンデルに出したが、これをグレンデルが断った事が原因だ。王都を魍魎に襲撃され大きな被害が出て王家の権威が弱まっている時の事だ。因みに巷でどんな噂が囁かれていると思う?なあシンカよ。」


クウハンが血走った目で杯を呷るシンカを見た。


「昨年の春よりクサビナには寄り付いていないから分からんな。」


シンカは答える。


「昨年の春ね。成る程?確かケツァルが襲われたのも昨年の春だったな?」


「回りくどい聞き方をするな。隠し事はせん。」


「お前の嫁の1人と同姓同名のカヤテ・グレンデルが冤罪で処された事に怒りグレンデルが反目しているという噂だ。市井では同情的な声が大多数を占める。所がだ。お前と共にラクサスにはグレンデル一族の!赫兵と同じ法を使う!カヤテという名の女が現れて!まあ戦力的には大分助かったが説明をせんか!」


クウハンは興奮して自身が持つ湯呑みを握り潰した。空だったのか中身は溢れなかった。


「シンカ。僕も聞きたいな。何があったんだい?どうもこのクサビナの騒動は君のお嫁さんの1人が密に関わっている気がしている。僕達は山渡りがラクサスという権力に擦り寄って敵対している以上、この大陸中央の情勢に無関係では居られない。今までの様に里で悠長に構えている訳にはいかないと思うんだ。」


柔らかくリンレイが口に出した。

何と無く自分のせいで戦争が起こると言われている様な気がしてシンカは気分が悪くなった。

特に隠しているわけではなかった。

話す必要が有るのなら話すべきなのだろう。


「俺も最近の中央の情勢には疎い。昨年の春の事までしか答えられん。・・・事の起こりは森暦192年の春下月、マニトゥーで起きた大使暗殺事件に端を為す。」


ウンハが手振りでソウセンに書記を依頼している。

ソウセンが慌ててシンカの言葉を写し始めた。


「183年にクサビナが包囲網を打ち破って以来、ロボクとクサビナは休戦協定を結び、毎年マニトゥーで休戦協定延長の調停式を行って来た。調停式は隔年でファブニル家とグレンデル家が交互でクサビナの大使を務め、192年はグレンデルが担当する年だった。此処迄は皆が知っている事実だろう。その年、ミトリアーレ・グレンデルが大使となったが、これは王家からの指定だったとカヤテは言っていた。ミトリアーレはたった1人の直系だ。グレンデルはミトリアーレを国外へ赴かせたくはなかった。」


一度言葉を切っても誰も言葉を挟まない。シンカは酒で唇を湿らせ再び言葉を発する。


「カヤテ・グレンデルは次期当主ミトリアーレの従姉妹だ。実の姉妹の様に育っている。当然、カヤテは大使であるミトリアーレの護衛としてマニトゥーに赴き王都のカランビット、その王城に滞在した。其処でマニトゥー大使が暗殺され、その下手人と遭遇。下手人と戦闘になり殺害した。だがカヤテは濡れ衣を着せられた。凶器を携えミトリアーレを連れて出奔した。俺も見たが、凶器にはロボクの刻印が刻まれていた。俺も、その時は愚かだと思った。」


「土行法・血脈で被害者の血液と凶器に付着した血液が同一か、別物か確認出来る。凶器にロボクの刻印があればロボクの手の者が殺害した動かぬ証拠となるが。」


クウハンが口を開いた。

彼の言う通りで、当時はミトリアーレもカヤテも同じ発想を持っていた。


「恐らく陰謀はミトリアーレが大使に指定された時から既に始まっていたのだろう。因みにミトリアーレを大使に指定する旨の書を記載したのは、フランクラ・ベックナートだったそうだ。」


皆は考え込み言葉を挟まない。

シャハンだけが暢気に葡萄酒を継ぎ足している。


「ミトリアーレを連れてカヤテはマニトゥーを逃れた。グレンデーラへの近い道のりを辿るべく進路を西に取り、ロボクに入国。その後南下した。其処で彼女らはロボクの鉄鬼の団に追われる事となる。その頃俺は北イブル川支流東の齢の森に潜っていた。」


「近いな。」


「そうだ。霧雨が降っていたのを良く覚えている。俺は森から出た所で鉄鬼の団と戦闘を行う青鈴軍の小隊を目にする事となった。青鈴軍は其処で鉄鬼の団を打ち倒したが、1人しか生き残らなかった。それが俺とカヤテの出会いだ。」


シンカは手に持っていた珠をクウハンに投げた。

受け取ったクウハンはそれをリクゲンに手渡す。

リクゲンは桐製の小物入れから木札を取り出し、何かを書き始める。


「俺はカヤテに薬を請われた。気が向いたのでカヤテとミトリアーレをグレンデーラまで護衛する事にした。追手は有ったが、撃退し無事に2人をグレンデーラまで連れ帰った。それが全ての発端だろう。・・・そして、その年の夏中月、休戦協定の棄却と、グレンデルの濡れ衣を盾にロボクが4万を率いて侵攻を開始。マニトゥーも大使暗殺に対する復讐を名目にロボクに同調した。」


「それは覚えてる。俺はその時カランビットに居たんだぜ!ま、直ぐ負けてたが。」


シャハンが目元を酔いで僅かに赤ながら話す。


「マニトゥーの侵攻に対するのは北部諸侯だ。王家は赤鋼軍を出したな。しかもファブニルが黄迫軍まで増援に送ったのに対してロボクはグレンデルだけで対応する事になったな。何か嫁さんから聞いてるか?」


ヨウロがシンカに尋ねる。

シンカは首肯し口を開く。


「マニトゥーに対抗するだけで余力は無い旨の書がフランクラから送られて来たそうだ。勢力はロボクが4万、青鈴軍が2万だ。流石の青鈴軍も会戦で倍数の勢力を破るのは難しい。カヤテは死を覚悟していたそうだ。」


「確か鬼が青鈴軍に味方したとかなんとか・・・おい、まさか。」


ヨウロが口を半開きにしてシンカを凝視した。


「その時俺はナウラをランジューで拾って弟子にし、南下していた。戦争を弟子に教えるべく遠目から見物しようと思っていたが、カヤテが戦っているのを見つけて気が変わった。牛鬼の群れをぶつける事にした。」


「成る程!確かにロボク軍の鎧は黒く青鈴軍は銀だ。牛鬼ならロボクに一目散に突っ込んで行くだろうな!話を聞いた時はそんな都合のいい事がと思ったが、成る程。成る程な。」


ヨウロが納得して何度も頷く。同じような仕草をする者が何人もいた。


「クサビナ宰相は何で自国の領土が敵に取られるような事をしたんだい?」


エンリがシャハンから小樽を奪い、自分の湯呑みに葡萄酒を注ぐと一気に飲み干した。

その樽をヨウロが更に奪い自分の湯呑みに注ぐ。


「恐らく宰相は初めからそのつもりだったのだと思うよ。土地を奪われたグレンデルに助力しロボクを追い払う事でグレンデルの力を削ぐと同時に王家に傅かせる。そんな目的があったんじゃ無いかな?シンカが邪魔をしなければその目的は達したんじゃないかい?」


リンレイがエンリの疑問に答える。

リンレイはエンリが納得して頷くのを見ると背後を振り返ってリクイを呼びエンホウ秘蔵の白葡萄酒の樽を用意させた。

シンカを始め殆どの者がリンレイに向けて湯呑みや杯を突き出した。


「わ、儂の秘蔵!リンレイ!貴様あああああ!」


いの一番に杯に白葡萄酒を注いでもらうと直ぐに飲み干し、再度杯を差し出す。

甘みが強いラクサスの白葡萄から作られたものだった。

甘く、癖がなくとても美味い。


「俺とナウラはその後グレンデーラに入り暫く過ごしていたが、カヤテに見つかり参戦を請われる事になった。悩んだが、参戦する事にした。クサビナのロボク侵攻だ。アゾクで待ち構えるロボク勢の参謀に先に話したルドガーがいた。ルドガーはクサビナ軍が陣取る位置を予測し、恐らく山渡りが存在を教えたであろうジャバール産黒色火薬で罠を張っていた。俺はそれに気付くことが出来、カヤテに教えた。カヤテは罠を利用し反撃する手立てを考え、それを総大将のエメリックに伝えた。クサビナ軍は大勝することが出来た。それが192年の顛末だ。・・・補足をすると、この時エメリックは自分の王位を後押しさせるために全ての功績を自分の物とした。今クサビナで王家に対し不満が募っていると言うのならそれも原因の一つだろうな。当然、口には出さずともグレンデルも王家への不信感をこの一連の騒動で根強く持っつに至った。」


エンホウが涙目で樽に残った最後の一杯を自分の湯呑みに注いだ。


「194年春上月、グレンデーラに赤鋼軍の大隊がやって来たそうだ。名目はカヤテの捕縛だった。罪状は皆も知っている通り、マニトゥー大使を殺害して悪戯に国難を呼び寄せたという事だ。その報を俺が知ったのはルーザースのヘンレクだった。俺はカヤテを救い憎きフレスヴェルを誅するべく単身白亜城に乗り込んだ。」


「ん?」


「え?」


「は?」


何人かが疑問の声を上げて奇抜な者を見るかの如くシンカを見た。


「勿論正面からだ。潜入したりなどしていない。堂々とでなければ意味がないからな。」


「・・・んん?」


「えーっと?」


「んー、ん。うん?」


皆がまるで、こいつは何を言っているんだ?とでも言うような視線で見てくる。


「私、シンカが何を言っているのかよく分からないわ。」


ハンネが眉を寄せて言う。


「ケツァル王城に正面から1人?」


スイセンが尋ね、シンカは頷いた。

隣でリンレイが頭を抱える。


センヒがぼそりとこいつ頭おかしいと呟いた。


「顔は隠していたぞ!」


「そう言う問題じゃないぞ!馬鹿か!?」


シンカは腹を立てて腕を組んだまま黙り込んだ。

ぼそぼそとしばらくの間皆がシンカをちらちらと見ながら囁き合ってあっていた。

何故生きている?分からん。というような内容だ。


暫くしてヨウロが頭を書きながら短く謝罪をし、先を促した。


悪いと思っていない事は明白だったがシンカは口を開いた。


「カヤテ処刑の数日前にケツァルに着き、顔は隠したが正面から乗り込んだ。数度の戦闘を繰り返し玉座の間まで辿り着き、国王と第一王子を前に問答を行った。その結果、カヤテはエメリックに陥れられていた事が判った。冤罪である証明などは端から考えていなかったが、国王は其れを理解した様で重く捉えていた。国の最有力貴族を謀った事を理由にエメリックは廃嫡された。その足でカヤテを脱獄させ、近衛兵を撃滅しケツァルから脱出しようとしたが、追撃が掛かった。数百に囲まれて死を覚悟したが、ナウラ達の助けで隙が生まれた。同時に国王はグレンデルを敵に回す事を恐れてカヤテを生かす事に決めた。其の報が齎された。しかし、俺を許す事は出来ないと。」


当たり前だ、という風に皆が顔を作っていた。


「其処で俺は黒箆鹿を王都に呼び寄せた。」


「まあいいんじゃねえか?フレスヴェルの小悪霊にそこまで危害を加えるとは、胸がすくぜ。」


シャハンがへらへらと述べる。


「然り。我等を悪戯に害した彼の一族が落ちぶれる様が見られるとは。それに俺はシンカが誤った選択をしたとは思えない。」


ガンケンが続く。


「そこで黒箆鹿を呼ぶことにした・・ってね。魍魎を呼び寄せようなんて発想、なかなか出てこないわよ。」


スイセンが深い溜息を吐く。


「生き延びるためだ。その混乱で王家の修正筋書は更なる是正を要する事となった。カヤテの罪が冤罪であった事を知った国王はカヤテを秘密裏にケツァルから逃し、表面上は断罪したと報じてカヤテを一族に返す事で剣を納めさせる計画だったが、魍魎が王都を襲った為全てが後手に回った。気づいた頃には処刑日は過ぎ、今更後に引けなくなった。カヤテが生きているという証拠を用意出来ず行方も知れない。何も出来んさ。・・・兎角、黒箆鹿を前にしたザミア・ファブニルの顔は笑えたな。俺よりも優先すべき敵を得たケツァル兵を尻目に王都から脱した。広大で豊かな畑地を蹴散らしながら王都に向かう追加の2頭を見た時は思わず笑いそうになったわ。」


「シンカ。あまり人の死を笑うのは良くないよ。」


シンカを諭すリンレイに顔を向ける。


「あの時ばかりは俺はそうは思えなかった。俺は街中で人々がカヤテをどう思っているのか聞いた。あれ程民の為にと腐心し!身を削って来た人間を奴等は醜い顔で売国奴と罵っていた!・・・流石、ケツァルに棲まう者共と思ったよ。齢10にしてカヤテは戦場に立ち、ラクサスやロボクから身を呈して民を守って来た。その最期があの様な惨めなものであって良いはずがない!」


シンカの怒気に皆が口を噤んだ。


「・・すまん。」


皆が悪い訳ではない。

シンカは直ぐに怒りを収め、謝罪した。


「兎角、今のクサビナの情勢の殆どにシンカが関わっていたことが分かった。シンカの単身で齎した被害と黒箆鹿の被害で王家の威信が地に落ちた。混乱により乱れた人心を取り持つ為、王家はカヤテを処したと触れを出した。ザミアやエメリックなどの首をいくつか飛ばし責任の所在を有耶無耶にしようとしたが、人心の離散は防げなかった。」


コウセイがそう纏めた。


「シンカ。何故王家はカヤテを貶めたのだと思う?」


ランマが尋ねる。


「才を恐れたのだと思う。それにあの頃のカヤテは俺から見ても空恐ろしいものがあった。彼女は自己の欲求が薄く、捨身で他者を助けようと常々考えていた。親しければ見えてくる物もあるが、エメリックからすれば気味が悪かったのかもしれんな。」


リンレイの疑問にシンカは答えた。


「エメリック、ルドガー、それに恐らくグレンデルを憎むファブニル。マニトゥーもひょっとしたら噛んでいたのかもね。そんな彼等の陰謀をシンカが1人で覆してしまったということか。それで、五老。僕達はこれからどうして行く?」


リンレイの言葉に5人の老人を始め、集った者達は考え込んだ。

そんな中シンカはまたしても口を開く。


「俺は1人でグレンデルに味方する。妻の実家だからな。」


何人かがぽかんと口を開ける。


「・・確かに。」


ヨウロが呟いた。


「息子がそうするなら、僕もグレンデルに付くよ。カヤテちゃんは我が家の嫁、つまり娘だからね。リン一族にも声をかけてみよう。クサビナ王家と戦えるとなれば希望者は多いだろうね。」


リンレイが何時もの穏やかな調子で言う。

シンカは父への感謝の気持ちでいっぱいだった。


「選択をするならグレンデル以外無いじゃろ。問題は我等が参戦するかどうかじゃ。」


「然り。これまで傍観者に徹していた我等よ。里を上げて何処ぞに味方するべきか。儂には分からぬ。」


否定的な発言をするのはトウマンとエンホウだ。


「参戦したい奴がグレンデルに付くってのじゃ駄目なのか?俺はやるぜ。」


シャハンが言う。

顔は半笑いだがその目は稍血走っている。


「あたしもやる。山渡りが何処かの国に付いてあたし達に吹っ掛ける気ならこっちだって何処かの味方になっておいた方がいい!グレンデルならあたし達の事を大事にするんじゃ無いのか?」


「俺も賛成だな。白兵戦に参加ともなれば危ういかも知れんが、参戦の仕方はそれだけにとどまらん。諜報活動でも何でもやりようはある。」


エンリ、ヨウロも参戦に乗り気の発言を行った。


「儂らは年老いて森にも出られなければ戦う事も出来ん。何かを言う資格は無いじゃろう。お主らで決めよ。」


「儂は戦う。フレスヴェルとの戦、何度夢に見た事か!老いたが、そこらの雑兵供にはまだまだ劣らぬわ!」


「儂もまだ戦える。足手纏いになれば自爆でもしてやるわい。」


アンジにリクゲンとウンハが答えた。

2人の好戦的な老人は普段の巫山戯た調子を潜めて薄ら寒い不気味な笑みを浮かべていた。


一同は決を取った。

自ら辞退した3人の老人以外皆が参戦に手を挙げたのだった。


「ではシンカ。グレンデル一族との繋ぎはお主に任せる。各一族の家長を集め話を通し、希望者を募れ。対象年齢は15以上。参戦希望者は其々家長が取り纏め、現地での体制も家長を頭とする。各家長はスイセン、セキレイ、コクリが均等に統括し、更にその頭をクウハンとすると。ヨウロは里の守りを一任する。ガンケン、ハンネはグレンデルが我等と対等の関係を望めばグレンデーラに赴き現地で情報の統括、方針の策定をせよ。リンレイには更にその頭を任せる。同時に息子を支えよ。」


皆が左手を上げ、額の前で笠を摘む仕草を取る。無声での了承の合図である。


「冬季は準備期間とし、行動は雪解けからとする。良いか?」


再度皆が合図を送る。


「そういえば。リン家は春にシンカの結婚式に参列するので行動は三月程遅れると思う。承知頂きたい。」


リンレイの言葉を最後に談合は終わった。


皆と軽く話して別れ、シンカは家に戻った。

扉を開くと食器を洗っていたナウラと目が合った。


「おや。朝帰りですか。4人も妻を持つ身で随分とお盛んなご様子。敬服致します。」


下らない事を言うナウラに近寄り口付けする。


「・・酒、葡萄酒ですか?午前様で飲酒とはまた。・・・随分と香りの良い葡萄酒の様ですね。私を差し置き許されるとお思いですか?」


肩を揺するナウラを無視して各部屋に籠る3人を呼び寄せた。

のそのそと集まる残る3人が居間の食卓や長椅子にかけるととシンカは談合の結果を話す事にした。


「先程まで里の方針を決める談合に参加していたのだが、今、大陸中央部、具体的に言えばクサビナの情勢が悪化しているという議題が出た。近々内乱が起こるという見立てだ。」


ここまで簡潔に話すとカヤテが苦悶の表情を浮かべた。


「まず、カヤテに悪い話だ。戦はグレンデルと王家との間で行われるだろう。」


「何故だ!」


カヤテの反応は反射的になされたものと思われた。


「カヤテが家の者に愛されていたからだ。お前を助け出す為に俺が取った行動で王家の威信が地に落ちた。その回復の為、王家はグレンデルに派兵要請を行った。だが、それをグレンデルは断った。王家は忠臣に見限られたと諸侯は考え、王家の求心力は更に弱まった。そしてそれに託けファブニルはグレンデルに謀反の兆し有りと騒ぎ立てている。」


「己れ、金亡蛇きんぼうへび供め!」


カヤテは怒りに声を荒げ卓を強く殴った。


「こうなるのは俺とカヤテが出会った時から決まっていたのだ。王家はお前達を疎みミトリアーレを罠にかけた。初めて出逢ったあの時から。お前と俺が出逢わなければ或いは別の道があったのやも知れんが・・俺としては・・・そちらの方が良かったとは思って貰いたくはない・・・」


「その様なこと、思うものか!其方とあの時出逢っていなければ、私もミト様も人としての尊厳を奪われるか、とっくに命を失っていた!お前はいつだって私と私の一族を救ってくれた!これが最良だった!間違いなど無い!」


カヤテの強い言葉にシンカは目を閉じて感じ入った。


カヤテならそう言ってくれると信じていた。それでもシンカは恐ろしかったのだ。


「カヤテ。次は良い話だ。」


「なんだ、勿体ぶって。これだけ悪い話の後だ。覆す様な大層な話だろうな!?」


気が立っているカヤテに向かい合う。


「我等森渡りはグレンデル一族に助成する。」


その後のカヤテの反応は彼女の名誉の為に伏せる。


シンカは4人と供に今後についての話し合いを行った。ヴィダード、ユタは一二もなくシンカに着いて戦う意思を表した。

ヴィダードはシンカが闘うと言えばそれに付き従うだけだ。

ユタはぶれることなく自身の戦闘能力を更に高めるという欲求に従った。


自惚れでなければシンカの為にという思いも幾分かはあるのだろう。


極僅かな表情の変化で浮かない顔をしたのはナウラだった。

暫く考え込んだ末にナウラは口を開いた。


「私はカヤテの一族が身を守るべく闘う分に於いては協力したいと思います。ですが、反撃し他所を攻める場合は助力出来ません。」


それがナウラの結論だった。


結論から言えば森渡り達の参戦希望者は700に及んだ。

クサビナ及びその近隣諸国に根を張り過ごす一族の者や、森渡りに教えを受け、町や村で生活する現地の情報提供者は概算で3600人。


今日、グレンデルは知らぬ間に大陸西と中央全ての国の合計よりも多く、正規兵よりも武力のある影働きを味方に付けたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る