下り坂を駆ける様に

シンカ一向がアケルエント王都ペルポリスに到着したのは初夏の夕暮れのことであった。


血濡れた装備を清掃し、壊れた装備を修繕して進路を東にとっていたが、長く弟子として共にいたユタと深い関係になったことはシンカに少なからぬ変化を与えた。


もう弟子は取らない。


まず1人優秀な弟子を育てることができた事が大きい。

同時にユタという不良弟子を取ってしまった事も少なくない理由の1つだ。


女4人の中に男を1人入れても碌な結果にはならないだろうし、4人の伴侶の中に別の女を入れても碌な事にはならないだろう。


4人は自分と共にいたいと言ってくれている。

結婚をしたいと。有難いことだ。


どんな環境でも養う甲斐性は有るつもりだ。多少の贅沢もさせてあげることができる。


ペルポリスの街門前には街へ入ろうとする人々の列が出来ていた。

軽武装の兵士が検問を行なっている。

シンカ達5人は無言で列の最後尾に並んだ。

様子を伺い周囲の会話に耳を澄ませる。


「珍しいな検問なんて。何があったか知ってるか?」


「いや?ペルポリスは何度も出入りしてるが、初めてだなぁ。」


戦争を控えているのなら間諜の入りを防ぐ為取り締まるのもわかるが、兵士達の装備は荒事を前提としたものでは無かったし、戦争前特有の街自体の緊張感も感じられない。


妙な雰囲気だった。

少し前に派手な見た目の男がいた。

身形が派手なのではない。

顔立ちが派手だったのだ。


若い女が好みそうな甘い顔立ち。身体もよく鍛えられている。


列が進みシンカの番が近づく。


「貴方はアガド人とシメーリア人の混血ですね。お手数おかけ致しますがご同行頂けるでしょうか?」


兵士の1人が慇懃に告げた。

告げられたのはシンカでは無く前の見目の良い男だった。


「俺か?」


困惑した様子で腰の剣に手を当て、兵士に囲まれている事を思い出したのか手を離した。

その身のこなしは手練れでは有るが、シンカ達が今まで打ち倒して来た名付き達と比べれば一歩は劣る。


「はい。丁重にお連れする様にと申し使っております。」


男の身形ははっきり言って貧相と言わざるを得なかった。


剣は鋼の良質なものであるのが分かるが、衣類は損傷激しい皮鎧身1つであった。

何故アケルエント兵に丁重に扱われるのか想像もつかない。


軈て男は数人の兵士に連れられて消え、シンカ達も問題無く入門することが叶った。




クサビナ王都ケツァル、王城の王の居室で談合が行われていた。

部屋の主の国王ラムダール8世、その次男ロドルファス、宰相のフランクラ、将軍のグリシュナクのたった4人の談合だ。

ロドルファスが長男のエメリックが失脚し次期国王となる事が内定した事を考えるとこの4人が事実上広大で圧倒的な国力を誇るクサビナ王国の中核である。


「フランクラ。まだ王都襲撃の実行犯を捉えられてはいないのか。その出自だけでも分かりはしないのか?」


尋ねたラムダール8世の皺は以前より深く皆には感じられた。

心労によるものだろう。


先の賊による王都襲撃はクサビナ王家に対し諸侯が付け入る隙を与えた。

特に血族が殺害された貴族の一派は王政への疑問を投げかけ徒党を組んで更なる利権を求めるべく蠢動を始めた。


それを掣肘するべく別派閥が動き始め、王城内は宛ら魑魅魍魎の魔窟と化していた。


全てエメリックが引き起こした事態だった。

エメリックは公的には魍魎退治による重症に端を成し病に倒れていると報じられてはいたが、実際は大貴族を陥れようとし失敗した責を取らせていた。


国主として相応しくないとラムダールが判断した事もあるが、グレンデルに対し彼等を謀った者を除く事で謝意を示したと言う意味合いもあった。


しかしグレンデルは紫書記官のトクサを始め血族を全て領都へ引き上げることで王政への不信を示し続けていた。


「実は出自についてヴァルプルガーが目星を付けて御座います。」


風が吹けば折れそうな矮躯から嗄れた声を出しフランクラが答える。

フランクラの答えにラムダールは身を乗り出しロドルファスは柔和な表情をひくつかせた。

グリシュナクは目を閉じ直立したまま微動だにしなかった。


「爺。勿体ぶらずに教えてくれ。」


狐男は王政府にとって怨敵だ。

だが第2王子にとっては分からない。

彼は狐男の騒動によって王位を確定的なものへとしていたからだ。


「・・・申し上げにくいのですが、建国前陛下のご先祖が虜囚とし拷問にかけて知識を奪ったと言う一族がいた様です。」


フランクラが口に出し難そうに告げる。

5月前の大騒動以降あの優秀なヴァルプルガーですら足取りを掴めていなかった狐男の出自について漸くわかった情報は、しかし歴史の闇の片鱗しか見出せないものであった。


「・・長い歴史だ。その様なことがあっても不思議ではないが1000年も前の事を覚えているとは。」


ラムダールの言う通りだとすればその執着心は並々ならぬものだ。


「森渡りと言う一族との事です。お聞き覚えはお有りでしょうか?」


見回すが誰も首を縦に降ることはなかった。


「私はその場にいなかったから伝聞程度だけど、ケツァルに住まう醜き者だったかな?」


王城の、況してや兵士に囲まれた王族の前での口上としては最低最悪の物だ。

狐男は何に頼らずとも王城から脱出できる確信があったと言う事だ。


「森渡り。聞いたことが無い。グリシュナク、そちはどうじゃ?」


巌の様に立ち尽くしていたグリシュナクが眼を開く。

歴戦の戦士らしい鋭い眼光が国王を射抜いた。


「・・・ありませぬ。が、我らが領都バラドゥーラにて時折類稀なる高品質な薬剤が旅の薬師より売られる事があるようで、それを元に作りかたを模倣しようにもまるで材料がわからない・・・などと言う事があるようです。その薬は今にも死にかけている者の命を保つ事が出来るとか。」


「そのような薬、王都で売られた事はありませんな。」


グリシュナクにフランクラが返す。


「まあ良い。引き続きヴァルプルガーにはその森渡りとやらを調べさせるのだ。」


「承りましてございます。」


返事を聞きラムダール8世は深い溜息を吐いて豪奢な椅子の背もたれに身を預けた。

彼は齢60を超えた老人だ。既に老化と心労により身体を壊し、老い先の短さを自覚していた。


ラムダール、戴冠前の名リベルタスは30の時分に王位を継いだ。

父王もそうであったがその治世は戦争に溢れていた。

外患より国を守るべく心を砕いて来た。


しかし貴族達は己の更なる利権を追い求め水面下で暗躍する。


フランクラに支えられこの歳まで保って来た。

クサビナは大国だ。

一度内乱が起これば豊富な資源、人民を持って枯れ尽きるまで内乱は続くだろう。


これまで保たれて来た均衡が崩れようとする気配をリベルタスは感じていた。

国を破らぬ為にどうすべきか。


それを考える時では既にない気がしていた。

国が割れるならどうすべきか。


口に出すべきは1つだった。


グレンデルを味方に付けよ。その一言だった。

だがリベルタスはそれを口にする事は出来なかった。


一貴族に肩入れせぬ政治を長年行って来た。況してやそれは自分の治世だけの話ではない。

建国以来王は国内の均衡を保つべく苦心して来た。連綿と、である。


その伝統や観念を打ち破る発言を行う事ができなかった。


「西のヴィティア戦線、報告によれば一息ついたとの事ですな。」


「女王に反旗を翻した旧ヴィティアの残党とベルガナの反乱軍は王都も奪い返され砦に篭っているのかい?情け無いね。」


「女王の直轄軍はそれだけ練度も高く諸将の結束も強いと言う事のようです。」


フランクラは報告を続ける。


「今ラクサスは西に気を取られているみたいだね。女王サルマはそれ程の傑物なのかい?」


「はい。王弟のサロメとの中も良好。サロメと全軍を指揮したリーチェという女も婚約状態とか。」


「成る程ね。ラクサスは慌てているだろうね。」


「我が国を責める余裕はありますまい。聞くところによると傭兵など様々な人材を囲い込んでいるようですな。」


「一時凌ぎにもならないだろうに。愚かな国だ。如何にクサビナが豊かとは言えラクサスも決して貧しい国ではない。一体何故我が国の領土を欲するのかな?」


その問いに答えられる者はいなかった。

だがもしシンカがこの言葉に答えるなら、血に染み付いた郷愁の念と答えるだろう。

ラクサスの民には嘗て遠い昔に今のクサビナで過ごしていた記録など残ってはいない。


「陛下。依然ラクサスの辺境は間諜と思わしき者どもの密入国が相次いでおります。ここは今一度グレンデルの忠誠を確かめる為にも青鈴軍を国境付近に派遣させると同時にラクサスへ武力威脅としては。」


「・・・・・ロドルファス。どう思う。」


リベルタスは長考した後に次男へ問い掛けた。


「先の騒動でグレンデルは王家への忠誠を無くした事でしょう。しかし、王都襲撃で諸侯から侮られ始めている王家に未だグレンデルが従う様子を彼らに見せ付けねばなりません。」


ロドルファスの主張に誤りはない。だがその論理には1つ抜け落ちた要素があった。

感情である。

彼はグレンデル一族の感情を考慮していなかった。


フランクラはそれに気づいていた。だが口に出すことが出来なかった。

今はグレンデルを刺激するべきではないと言うことが出来なかったのだ。


それはロドルファスが述べた通り此処で手を打たなければ王家の求心力が著しく落ちるがゆえでもあったし、次期国王としての発言を求められたロドルファスを立てたからでもあった。


グリシュナクは決定に従うべく目を閉じて佇み、リベルタスはこれまでの国策を覆す決断ができず、皆が1つずつ釦を掛け違えた。




青の都グレンデーラに国王からの書状を携えた使者が訪れたのはその15日後であった。

書状を使者より受け取った後、当主のコンドールは娘のミトリアーレを始め主要人物が執務室へと集められていた。


「ぬけぬけと派兵の要請とは。御当主様。あの使者は僕が斬っておきます。」


早々に口火を切ったのは青鈴軍副将のネス・グレンであった。


「お止しなさい。あんな小者を斬っても何も変わりません。」


冷たい声音でミトリアーレが諭した。

端から冗談であったのか、ネスは微笑するだけで口を閉じた。


カヤテを失ってからミトリアーレは変わった。

硬く冷たく変わった。

親族や自領の民に対しして変わるところはないが、王家に対し強い猜疑心と不信感を持つに至っていた。


そしてそれは程度の差こそあれ一門の間に変わりはなかった。

カヤテの一族内での印象は概ね努力家の才女という所である。


滅私し民を守るその気迫は同じ一門内でも敬意を集めていた。

特に次期当主ミトリアーレへの親愛は側からみて分かるほどで、ミトリアーレが実の姉の様に慕っている事も周知の事実であった。


一門にとってカヤテは誇りでもあった。


ロボクとの合戦を始めとしたグレンデル冷遇を良く思う人間は誰一人としていなかったが、カヤテの投獄以降は殆どの者が程度の差こそあれ不信感を抱いていた。


「あんな要望、受け入れなければいけないのぉ?」


間延びしているが強い嫌悪感を滲ませダフネが話す。

今やカヤテの跡を継いで青鈴軍副将の立場にある。


その後ろで浅黒い肌の外国人がダフネの袖を引いて諌めた。


「もう良い。私の結論は出ている。」


コンドールは厳しい表情で口を開く。


「カヤテを失い青鈴軍は混乱している。マトウダ、ネス、ダフネ。そうだな?」


「兵たちにとって赫兵カヤテは正に光でありました。兵たちの中にはカヤテはグレンデルを守る精霊の化身とまで考える者もいます。少なからぬ影響に悩まされております。」


代表してマトウダが答えた。

内心ダフネは自身を不甲斐なく思っていた。

自身に力があれば将にその様なことは言わせなかったのだろう。

しかし仕方なくもある。


「しかし何故王家はここまで我らを・・」


コンドールの弟、カヤテの父であるカネラが呟く。


「発言を宜しいでしょうか?」


ダフネの背後に控える外国人が口を開いた。


「オスカル殿。勿論構わない。」


コンドールはオスカル・ガレに敬意を払い言葉を促す。


「グレンデル一族は他国にも名高い誉ある一族。王都を魍魎に踏み荒らされ求心力を失った王家は、未だ一目置かれる皆様方を意のままに動かす事で皆様方が未だ王家に忠誠を誓っている所を見せ付けたいのでしょう。」


オスカルはシンカの手紙を携え、家族を連れてグレンデーラへ入った。


城前で兵士にシャーニ・グレンへの目通りを願った所待たされる事も無く面会が叶った。


シャーニは若い女であったが強者である事はすぐに分かった。

オスカルはシャーニにシンカから預かった文を渡した。


正直なところ、シンカがグレンデル一族に伝手を持っている事も疑問ではあったがすぐ様彼女の上長である赫兵に引き合わされた時は驚いたものであった。


引き合わされたカヤテはシンカがどうしているか根掘り葉掘り訪ねてきた。

オスカルは答えられる事は答え、預かっていた手紙を渡した。


大切そうに手紙を懐に仕舞うカヤテ・グレンデルの様子を見てオスカルは思わずにやけそうになるのを堪えたものだ。


以来引き立てられてカヤテ亡き今はダフネ・グレンデルの下で軍務を行なっていた。


「私はこの王命、断ろうと思っている。王命により今青鈴軍は乱れている。青鈴軍副将交替を理由に兵が乱れ、軍を動かせないと。王政はどう出ると思う?」


「或いは打倒グレンデルを掲げるやもしれませんな。」


答えたのはマトウダだ。


「ファブニルのうらなり供は嬉々として黄迫軍を差し向けてくるやもしれません。」


カネラが口を挟む。


「北部諸侯は先のロボク戦線で不満が溜まっていると聞きます。書を認め味方に付けては如何でしょう?」


シャーニが告げる。

シャーニはシンカが認めたようにやはり武力だけでは無く知略も兼ね揃えている。


「ふむ。我等が声を上げれば恐らく同調する者は多いだろう。しかし決して弓引くわけではない。匙加減が難しい。」


眉間に深い皺を寄せながらコンドールが答えた。

非常に危うい局面であるとオスカルは感じた。

既に一年以上この一族に世話になっているが、その名声に違わぬ質実剛健さを持つものの、謀略には酷く疎かった。


シンカがオスカルを紹介したのはカヤテを守って欲しいという思いが有ったからなのだろう。

オスカルは戦術、戦略には優れている自負があるが、謀略には疎い。


自ら謀略の果てに失脚し亡命している程である。


だが、分かる事はある。

恐らくクサビナでこの後動乱が始まるだろう。

根拠がある訳ではない。強いて言えば空気だろう。


動乱前に坂道を転がり落ちるように悪化する情勢とその前特有の独特な感覚だ。


グリューネで体験してそれを乗り越えたからこそ分かる事であった。


グレンデルが派兵しなければ。例え体良く断ったとしても王家が抱くグレンデルへの不興は根深いものとなるだろう。


同時に諸侯は徐々に王家を見限り始める。

老齢だという現国王に舵を取り纏め上げる体力は残っていない筈だ。


だが。


オスカルは考える。


平和に暮らすのも良い。妻が2人増え今や幸せの絶頂である。

それでも思うのだ。名を成したいと。



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