予言

空に輝く赤い星が大きくなりつつある。

シンカ達森渡りの他にもそれに気付く者は幾許か存在していた。

霊媒師と呼ばれる者達である。


彼等は多感で常人とは異なる感覚を持ち、あらゆる物に力を見出すことが出来ると言われていた。

特に大陸西の国々では東に比べその地位は高く、時には国家の重職を冠する事もある。


その彼等はある頃合いから赤き箒星という言葉を口にする様になった。

霊媒師としての名高さはさて置き、あらゆる者がその言葉を口にした。

時には悪戯に市中で騒ぎ立て処刑される者も有ったが、余りに多くの霊媒師がそれを話した為、西の国々はそれぞれその言葉に対して注意を払っていた。


その最中、ヴィティア戦線の合間に赤い箒星が東の白山脈に落ちた。

山中であった為人的被害は出なかったが何か悪い兆しでは無いかと力ある霊媒師達は日々何某かの兆しを感じ取ろうと注意を払っていた。


その日、別々の2つの国で同時に2人の霊媒師がそれを予言した。


1人目の霊媒師はコブシの大管領ホウセン一族が抱える70の老婆で、チトといった。


チトは都の北、足で1日程に位置するコブシ式の霊殿で日々祈りを捧げていた。

山の麓に建立された二又雷殿は遥か昔に雷が落ちたという大きな紫色の水晶を御神体とし、その水晶に宿るとされる雷の精霊を称え祀っていた。


絢爛では無いが、楚々とした趣の霊殿は敷地内に足を踏み入れるだけで清冽な空気を感じさせた。


敷地内を清らかな小川が流れているが、決して川の冷気などではない。

何か人智を超える物を感じさせる霊殿であった。


この二又雷殿はコブシの霊殿の中でもかなり古くから存在する霊殿で、国内でも3つの指に入るほど名高い。


その霊殿で老霊媒師チトは日々祈りを捧げていた。

その様子を見習い霊媒師キホは後ろから見守っていた。


朝昼晩と身を清め2刻もの間柊の枝で身体を打ちながら祈祷を続ける。

そんな生活をチトは一年近く続けている。


キホはうら若い女の身ながら王剣流を修めていたが、幼い頃より木々を始め自然の中や時には古い人工物にまで何か息吹や気配を感じることがあった。


あれは3年前の事だっただろうか。

コブシの王剣流分社、その周囲に広がる竹林で剣を振っていた時、それは聞こえた。

男の声で、確かに


「赤い夜這い星が東に降るなぁ」


というのを聞いたのだった。

キホは王剣流の礼位を持つ。

笹葉の落ち葉が敷き詰められたこの竹林で人の気配を感じ取れない筈がなかった。

声の方向に歩いて行くと、とても古い錆びた剣が突き立っているのを見つけた。

それしか無かった。


人の姿は愚か、気配も痕跡も無かった。

キホはその剣を抜くと持ち帰って研ぎ師に磨がせた。

錆びを落とし刃を研ぎ直すと立派な白緑鋼の剣が現れた。


キホの元にホウセン一族からの使いが来るまでそう時間は空かなかった。

以来キホはチトの元で霊媒師としての経験を積んでいた。


その日もチトは何時もと同じく身を清め、柊の枝で身体を打ちつつ紫の人の心を吸い込むかの様に輝く、先が二又に別れた大きな水晶に祈りを捧げていた。

チトは穏やかな老女で、仕来りには厳しくはあるが何も知らぬキホにも親切に接する出来た性根の者であった。


キホは彼女を好いていた。

周りの者達もそうだ。

謙虚で、直向きだった。


「・・・お」


午前の祈りも終わりにさしかかろうという時、チトが小さく嗄れた声を上げた。

何時もならただ枝葉を身体に打ち付ける音だけが鳴り響くそこに声が響いたのだ。

キホは何事かと目を開けた。

チトは手を止め正面の一点を呆けた様に見つめていた。


「・・・・ぎ、イああああああああああああああっ!?ヒッ!?ケ、ケ、けけ、ん・・・うィィイ・・・・」


絶叫であった。

頭を抱え、獣の様に吠えながらチトとは板の間を転がった。


「チト様!」


キホは慌て駆け寄った。

のたうち回るチトを抑え、様子を見ようとして手が滑り汚れているのに気付いた。

手に血が付いていた。

慌てて様子を見るとチトは目と耳、鼻から血を滴らせていた。

思わずキホは身を仰け反らせた。


「な、何が・・」


体が固まり動かなかった。

その時、突如のたうち回っていたチトが硬直し動きを止めた。

見ると目は血を流しながらも白目を剥き、だらし無く開いた口からは泡が吹かれていた。


「・・喰、ライテ・・禍ツ・・・・生マレリ・・滅セ・・無クバ・・・其レ、則チ・・人ノ・・・・・終リノ・・・・始まり也。」


無機質で何処か人の言葉とは感じられなかった。

だが最後の言葉にだけ明確な感情が載っていた。

キホは最後の一節だけが妙に頭に残ってしまった。


切れ切れで抽象的で意味のよく分からない言葉だった。

だが、何かが始まるのだ。


絶叫を聞きつけたのか数人の人の足音が廊下を伝って響いている。

床板が軋んでいた。

キホは顔を上げ、水晶の方向をちらと見た。

そこには堂々と紫色の水晶が鎮座しており、他には何も見受けられない。


先程は厳しい顔つきの男の姿が確かに見えたのだが。


チトは身体を弛緩させて身動き1つ取らなかった。

胸は上下しておらず、明らかに生き絶えていた。

その隣にキホも身を沈めた。激しい頭痛に意識を保てなかった。


最後に見た景色は赤く滲んでいた。

恐らく自分も目鼻から血を流しているのだろう。




2人目はアケルエントのうら若い霊媒師であった。

アケルエントの王城はその中央を巨木が貫いている。

森渡り達が見ればその太さは砥木に匹敵すると驚く程で、茂る葉も若々しく健康であることがわかる。


数千年の時を過ごした欅だ。

その根元には僅かではあるが経の脈が湧き出ている。それがこの気が本来の寿命を超えて聳え続ける所以であった。


アケルエントの王都ペルポリス、その中心に立つ王城は3つの層で構成されている。

特に重要なのは二層以上で、王族達はこの層に住み、謁見間は足を踏み入れれば正面に欅の幹を伺うことが出来る。玉座は欅を背にして据えられ、大樹に見守られる様に王がかける。


そして三層目は霊殿となっている。

霊殿は普段は霊媒師や巫女、王族の出入りしか行われない。静かに聳え立つ梢に日々祈りが捧げられている。

人々は大きく聳える大樹を城の前の広場から拝む。


アケルエントの霊媒師、カリオピは幼い頃から感受性が豊かで、他人には見えない様々な物事を感じ取ることができた。

カリオピは精霊の囁きから災害や不作等を知り得る事が出来た。

霊媒師達は大なり小なり似た様な事を出来るが、カリオピに類する者は存在しないと言われていた。


精霊が好むとされる清らかで正しい生活を行い、欅へと幼少の頃から祈りを捧げてきた。

カリオピは国の宝とされ、国王であるウィシュターに娘同様に愛され、王女ダーラとは姉妹の様に育ってきた。


赤い星の囁きはカリオピにもあった。

何度も。

彼等は何処か怯えているとカリオピには感じられていた。

精霊とは会話は出来ない。

彼等は何時も一方的に囁き消えていく。

人の姿を取るのは力がある精霊の証である。恐らく姿を現わすのも、言葉を紡ぐのも彼等にとっては大変に労力を要する事なのだとカリオピは考えていた。


だから、それらを行うという事は人々、或いは彼等が好む霊媒師を思い態々労して言葉を伝えてくれている。

そう解釈していた。

大変ありがたい事だと。


カリオピは20になったばかりの清らかな乙女だ。

霊媒師はその全てが女性であり、その純潔を失うと精霊の声を聞くこと、姿を見る事ができなくなる。

カリオピも大切に守られてこれまで過ごしてきた。

その日、コブシでチトという老霊媒師に異変が起こったのと丁度時を同じくしてそれはカリオピにも起こった。


王城の三層で欅に祈りを捧げていたカリオピが目を開けるとそこには童女が佇んでいた。


欅に片手を付き、済んだ微笑みを浮かべていた。

白い肌、灰色の瞳。栗毛は長く足元まで垂れている。


ウバルド人の容姿であった。

だが人では無いとカリオピにはすぐに分かった。


「あまり時間は無いの。」


童女が口を開いた。涼やかであどけない声音であったが、その口調は凛然としており聞き取りやすかった。


「欅、様?」


「貴女の為よ。別雷は失敗した。大事な人を死なせたと悲しんでいる。私はそうはなりたく無い。」


何を言っているのか理解できなかった。

カリオピはあまりの事に動く事ができなかった。瞬き1つ。アケルエントは乾燥した気候で、今日は汗などかくような気温でもなかったが、全身が汗で濡れそぼっていた。

頭の奥がじわりと痛む。


「赤き夜這い星が東の長い縦山に落ちました。霧に育てられし罔象が其れを喰らいて更に悪しきものへと姿を変えます。」


カリオピはその言葉を覚えようと必死だった。

欅の精が態々姿を取って自分の前に現れた。干魃や噴火、洪水等、これまでふと囁かれていた様な事態とは格の違う何かぎ起きようとしているのだ。


「東の豊かな地で争いが起きます。其れを止めなさい。さもなくば流れた血と精気は川へと流れ、河の口に沈みて眠る罔象が目覚めて其れを取り込みます。その罔象を屠りなさい。河口の罔象は血と精を得、万の兵でも退治は出来ないでしょう。其れが出来るのは縦山の山腹に住まいし影に潜む一族、その若き男だけでしょう。」


カリオピの知らぬ数々の言葉やあまりの内容にうまく頭が回らなかった。

欅の精はカリオピの様子を備に伺っている様だった。


「その、男の方は・・」


「5日後、この街を訪れるでしょう。茶の髪に貴女より白い肌。見れば一目で分かります。河口の罔象を殺せなければ、それはその後に縦山を訪れ、霧に育てられし罔象と争います。争えば河口の罔象は敗れ、それが取り込んだ血と精は霧の罔象の糧となります。そうなれば、止める事は出来ないでしょう。」


茶の髪とはシメーリア人の特徴だ。しかしカリオピよりも白い肌となるとアガド人となる。

混血という事だろう。


5日にペルポリスを訪れるアガド人とシメーリア人の混血。

ウバルド人主体のこの国では見つけ易いだろう。

それにしても頭が痛い。

気付くと鼻に違和感があった。

何かが滴っている。頭もかなり痛い。


「時間です。貴女達の終わりが始まります。止めなさい。争いを。出来なければ河口の龍を。男に請いて。」


カリオピの意識は頭痛で朦朧としていた。


「欅、さ・・ま」


「貴女を愛しています。貴女が死なぬ様に。」


カリオピは堪えきれず身体から力を失い倒れ込んだ。不思議と体に痛みは無かった。

何か柔らかい物に包まれている気がした。

見れば体の下に沢山の欅の葉が敷き詰められていた。


手に持っていた盆を取り落とし、落ちたそれがけたたましい音を立てた。


「カリオピ様!?」


巫女が慌てて駆ける足音を耳にしながら彼女は意識を失った。


カリオピが目覚めた時寝台の脇には王女ダーラがかけていた。


「・・・良かった。目覚めたのね。」


槍術を修めた気の強いダーラであるが、目尻を拭うのを見て申し訳のない気持ちとなる。


しかし一瞬自分が何故横になっているのか理解できずカリオピは口籠った。


「どうしたのカリオピ。貴女、霊殿で倒れているところを見つかったのだけれど。」


霊殿という言葉で童女の姿が脳裏に蘇った。

頭に稲妻が走ったかの様に頭痛が起こり、咄嗟に頭を抱えた。


「カリオピ!?」


慌てるダーラを手で押さえ、カリオピは首を振った。頭痛は直ぐに止んでいた。


「私の前に欅様が姿をお見せになりました。」


「なっ?!」


ダーラは口を開き暫く驚きに体を凝らせた。


「父上を呼んでくるわ。少し待っていて。」


身を翻すと早足で部屋を出て行った。

あの時の事を思い返す。

あれは、欅の精が自分の前に現れた事は現実だったのか。


欅の精は自身が現れ対話する事でカリオピの負担になる事が分かっており話を急いでいたのだ。

欅に愛されていると考えるとカリオピは高揚した気分となった。


自分の祈りが通じていた。とても嬉しく感じた。

暫くするとダーラと国王のウィシュターが現れ、侍女が用意した椅子にかけた。


「カリオピ。大丈夫なのか?2日も意識が戻らなかったのだぞ?」


「陛下。お気遣いありがとうございます。2日、ですか。間に合った様ですね。」


侍女に白湯を渡され、カリオピは一口煽った。

ダーラが葡萄の皮を一粒剥き、手渡した。


「早速で悪いのだが、欅様からお告げがあったと聞いたが。」


カリオピは頷く。


「はい。解釈はお任せさせていただき、私はそのまま言葉をお伝え致します。・・・赤き夜這い星が東の長い縦山に落ちました。霧に育てられし罔象が其れを喰らいて更に悪しきものへと姿を変えます。東の豊かな地で争いが起きます。其れを止めなさい。さもなくば流れた血と精気は川へと流れ、河の口に沈みて眠る罔象が目覚めて其れを取り込みます。その罔象を屠りなさい。河口の罔象は血と精を得、万の兵でも退治は出来ないでしょう。其れが出来るのは縦山の山腹に住まいし影に潜む一族、その若き男だけでしょう。」


朗々と覚えていた言葉を紡いだ。

其れを聞きウィシュターは腕を組んだ。


「赤き夜這い星はこの前の箒星の事だな。あれは東に降った。長き縦山とはリュギルやオスラク東の白山脈の事だろう。霧に育てられし罔象。分からぬな。罔象とはなんだ?霧は何を表している?」


「お父様。私にも分かりません。学士のペトロスに調べさせましょう。薬師のサンケイにも何か知らないか確認を取りましょう。」


「そうだな。おい、ペトロスとサンケイを登城させよ。」


背後の侍女が1人、頭を垂れて部屋を出て行った。


「・・・東の豊かな地。これはクサビナで間違い無いだろう。クサビナで大きな争いが起こる。・・・違和感があるな。」


ウィシュターが豊かな髭を扱きながら考え込む。


「違和感?・・もしかして。クサビナ国内で争い、戦があるという事は他国との争いでは無いのではないでしょうか?あの国は強大で鎧袖一触で隣国の侵攻を跳ね返します。ならば内乱では?」


「おお!流石我が娘よ!賢いな。そうかもしれぬ。だがクサビナでは長らく内乱など起こっていない。」


「あの、陛下。其れが起こるからこそのお告げなのでは・・?」


カリオピが声を掛けるとウィシュターは唸って眉間に皺を寄せた。


「流れた血と精気が罔象を目覚めさせる・・・罔象とはなんだ?悪霊か?魍魎か?」


「人に屠ることが出来るという事は悪霊ではないのでは?」


「ふむ。他国の戦を止める事は国王たる俺にも難しい。隣国なら兎も角、間にいくつも国を挟んでもいる。」


「影に潜む一族・・知っていますかお父様?」


「白山脈山腹になど人が住めるものか?・・しかし、若者1人にどうにか出来るとは思えぬのだが。もしその様な者が居るのであれば俺やダーラは元より大陸中のどの名付きよりも力があるはずだ。そんな者であれば名を聞いていてもおかしくないのだろうがな。」


「手合わせしてみたいですね。」


武に自信を持って親娘がそんな話を始めた。


「陛下、ダーラ様。その者は5日後にこの街を訪れると。私が2日寝込んでいたのでしたら明々後日に。茶の髪と私よりも白い肌。アガド人とシメーリア人の混血かと。欅様は見ればすぐに分かる・・・と。」


「聞いたか!すぐに手配しろ!・・・しかし、すぐに分かるとはどういう事だ?」


その時3人はこの答えを出すことができなかった。

それは結局致命的な過ちへと繋がることになる。




学士のペトロスは国王ウィシュターに遣わされた使者に連れられ急ぎ登城していた。昼下がりの事だった。


気候は乾燥しているものの日差しは強い。

顳顬から流れる汗を感じながら葉団扇で女官に煽がれながら籐の椅子に座り、街を見下ろしていた。


ペトロスの横にはシメーリア人の中年男性、薬師のサンケイが立つ。

彼は市井の薬師ではあるが王家の信任厚く、既に10年以上王族達の病や怪我を見ていた。

宮廷医師の位を授けると国王に言われどもそれを断り続ける奇特な男としてペトロスには映っていた。


ペトロスは貴族の家に生まれ、国の歴史に興味を持ち、歴史書等を読み漁って長年編纂を繰り返して来たアケルエント一博識な人間であると自負していたが、このサンケイも歴史はさて置き様々な事に造詣が深く一目を置いた存在であった。


2人は揃い、王に向かって跪き頭を垂れた。

王の横には王女ダーラが腕を組み、柱に寄り掛かって立っている。


「来たか。」


何か考え込む表情のウィシュターが重々しく口を開く。


「サンケイには治療をしてもらったが、目覚めたカリオピが欅の精からお告げがあったと述べた。この国きっての知者である2人に内容を伝え、良く吟味したい。聞いたまま伝える。・・・赤き夜這い星が東の長い縦山に落ちました。霧に育てられし罔象が其れを喰らいて更に悪しきものへと姿を変えます。東の豊かな地で争いが起きます。其れを止めなさい。さもなくば流れた血と精気は川へと流れ、河の口に沈みて眠る罔象が目覚めて其れを取り込みます。その罔象を屠りなさい。河口の罔象は血と精を得、万の兵でも退治は出来ないでしょう。其れが出来るのは縦山の山腹に住まいし影に潜む一族、その若き男だけでしょう・・・との事だ。」


ペトロスが聞く限りではあまり難しい言葉が使われているわけではない様に聞こえた。


「どう思う?」


問われ考える。

ふと横を見るとサンケイの表情が非常に険しく見受けられた。


一先ずペトロスは自分の考えを述べる。


「先日の箒星が東の白山脈に落ちたという事でしょう。アケルエント建国以前に使われていた罔象という言葉は、魍魎の事を指します。」


「矢張りそうか。」


ペトロスの言葉にウィシュターは頷く。


「サンケイ。箒星を喰らう魍魎等存在するのか?」


ウィシュターは続いてサンカイに問うた。


「おります。種は10では収まりませぬ。」


「・・・サンケイ。その方、顔色が悪いな。如何した?」


問われたサンケイは暫し瞑目した。

隣から、サンケイのかく大量の汗が見て取れた。


「・・これが事実であれば、欅様がお告げをするのも最もな話で御座います。」


サンケイは苦悶の表情で言葉を紡いだ。


「霧が立ち込める森では人の手に負えぬ魍魎が生まれると聞いたことがありまする。」


なんとも信じ難い話だった。

まるで童話や御伽噺。

ペトロスにはその様に感じられた。


「私も一度、霧に育てられた蟲を見た事があります。小山の様な団子虫でした。奴が歩いた後は草一本残りません。これは、ただ事では無いのです。」


「・・・サンケイ。貴方からそんな話を聞くのは初めてね。隠していたの?」


ダーラが口を開く。


「お伝えしても俄かには信じ難いでしょう。私にはカリオピ様のお言葉が、その霧だと思えてなりません。」


「・・・分かったわ。」


ダーラは意を示したが、表情は面の様に無表情であった。

怒っているのだとペトロスには分かった。


「サンケイよ。して河口の罔象とはなんだ?血と精を得るとは?何を表すのだ?」


「私はこの節の罔象は文字通り河口、水中に棲む魍魎と考えました。であれば、爬か魚。しかし魚であれば白山脈の霧の主とは出会えませぬ。」


「であれば爬か。大きな蛙か?」


「蛙や山椒魚は海には住めませぬ。恐らくこの魍魎、龍でしょう。」


「!?」


ペトロスは龍と聞いて息を飲んだ。

確かに龍であれば万の軍勢を率いて尚退治できぬのも分からなくない話だ。


「龍・・か。・・まて。御告げだと霧の魍魎は河口の魍魎を喰らうのだったな?・・そうか。豊かな国は恐らくクサビナ。クサビナを富ませるイブル川の河口から白山脈までは翼が無ければたどり着くことは出来ぬな。成る程。サンケイの言う通り龍と見て良いだろう。」


「はい。・・血と精、これは血と経と言う事でしょう。・・まずい。これは、本当にまずい。」


「・・・」


様子のおかしいサンケイをダーラがじっと見つめていた。

王の前であるにも関わらず何やらぶつぶつと呟いてすらいるサンケイ。

ペトロスはその独り言に耳をすませた。


「・・誰だ、誰なら倒せる?・・・ああ、駄目だ。彼奴がいなければ。だが失踪して9年。見つかるとは思えない・・」


「サンケイ。貴方本当にどうしたの?何を隠しているの?」


サンケイは黙した。

それは肯定であった。


「気に食わないわね。」


「・・・申し訳ありませぬが、私はお暇を頂き、この件について独自に動かせて頂きたい。」


「勝手な事を!アケルエントに逆らうと言うの!?」


ダーラが激昂した。

ペトロスは一連の流れに未だについていけていなかった。

御告げも、サンケイの言葉も。


「私はただの薬師です。何時如何なる時でも自由に動けるように宮仕えをお断りさせていただいておりました。」


「な・・・この、国一大事に!?」


「国では御座いません。世界です。」


言うとまたも黙した。黙し、硬く目を瞑っだ。


「よせ、ダーラ。サンケイはこれまでよく俺に仕えてくれた。サンケイが居なければお前の母はお前を産む5年前に疫病で死していただろうし、お前も死産で終わっていただろう。」


「父上!ですが!」


「お前は分かっていない。薬師や商人を国に留め置く事は出来ない。それに、もう十分彼はこの国に尽くしたぞ?」


そうして十余年アケルエントにて人々を癒し続けた1人の男が国を去った。


ペトロスには理解ができなかった。

宮仕えを断り名誉も地位も捨てて国を去ったサンケイ。

彼はこの国でなんのために根を張り人を癒し続けたのか。

地位も名誉も今以上に得たいと考えるペトロスには何も分からなかった。


だが一つだけ分かることもある。

これから何かが始まろうとしているのだ。



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