その足は砕け、立つに難い

時を同じくして宗主と呼ばれる男は王剣流徳位のウルド・ラドレックと連れ立って森を進んでいた。


不気味な出で立ちであった。


黒い外套を羽織り、頭巾を目深に被っている。その下からは黒い仮面の顎が垣間見えではいたが肌は僅かにも露出していない。


人種が微塵も想像できなかった。

分かるのは男であると言うことだけ。

仮面でくぐもった声からは年齢も推察出来ない。


対してウルドは編笠を被り歳の割に平然と足場の悪い森を進んでいた。


「流石に軍が通った後。魍魎の姿も無く歩きやすいわい」


「……直に死体に群がる魍魎で溢れる」


呑気な口調のウルドに宗主は短く答える。


2人はファブニーラからグレンデーラを目指している最中であった。


遠くより遠雷の様に轟音が届く。戦端が切り開かれた事が分かる。


音も無く森を歩きグレンデーラを目指した。

樹々は紅葉しまるで輝く様であった。

一方で鮮やかな紅葉は血に濡れたようでもあった。


落ち葉を踏んで音を出す事を避けて滑る様に進んでいった。

そうして宗主は出会った。出会した。


森の影から滲み出る様に現れた人影と。


「………狐…………」


その男は狐面を被っていた。


「ほっほ!此れは面妖な!」


ウルドが想像に背嚢を落として外套を肩に掛ける。

クサビナの王都ケツァルを襲った狐男の噂。


「知っているぞ。ウルド・ラドレック。この様な場所でいったいなにを?」


狐面の横に涙を流す女の面を付けた黒髪の女が現れる。


「3つの名高い軍が相見える地。これほど愉快な場はそうあるまい?」


ウルドが応えた。

女の右手が剣の柄を握る。

手袋と柄が擦れる鈍い音が鳴る。


「…愉快…だと?」


女の経が高まる。凄まじい量だ。


「人の生き死にを……お前は道楽とでも言うのか!?」


女は仮面を毟り取り投げ捨て剣を抜いた。

赤い刃の剣であった。


その外見は黒髪に抜ける様な白い肌。

端正で怜悧な顔に意志の強そうな翡翠色の瞳が輝いている。

かなり高貴な出自のグレンデル一族の女だ。


「……顔を出せ、ヨウキ。姿や声は隠せても俺の鼻は誤魔化せん」


「………シンカ………俺の邪魔をするな。グレンデルを滅ぼす。それが必要だ」


ヨウキは頭巾と仮面を取る。

その下からは茶色の髪に白い肌の男が現れる。


「其れはさせん。お前は昔から自分の思い通りにするべくこそこそと動き回るのが得意だったが今度は何を企んでいる?」


「今は知る必要は無い。里を出て放浪していたお前にとやかく言われる筋合いはない」


「いや、俺には口を出す権利がある。里の誰に無くとも俺には」


「世迷いごとを。里を捨てたお前と交わす言葉など無い。其処を退けシンカ」


「いや、退かん。お前は己がしている事を認識すべきだ。森渡りはグレンデルに着いて戦っている」


「…な……?!」


ヨウキは唖然として立ち尽くした。


「お前は知らないだろうな。ベルガナが、ラクサスが我らにその悪しき手を伸ばし同胞の命が失われている事を。お前の姉も、妹も、弟も。叔父も、叔母も、姪も、甥も。グレンデーラで戦っているのだぞ?」


「……っ………」


「ガジュマで俺とお前の兄がわりのテンキは戦死した。ナンカンもキョウカもヒンブもガイムも死んだ。山渡りが我等を拐いその知識を得んとしたからだ」


「や、山……渡り……だと?………俺は……知らないぞ……」


テンキの顔がヨウキの脳裏に浮かぶ。穏やかな男だった。狩で怪我をして手当てをしてもらった記憶が蘇る。


その真偽は確認する必要があるが、ヨウキにとって何よりも為さなければならないのはグレンデルを滅ぼす事であった。


「グレンデルに味方し戦い、ウラジロの軍に同胞が嬲られた。カイナンが犠牲となった。このグレンデーラでの戦いでもっと死ぬだろう」


シンカの言葉にヨウキは暫し硬直していた。


「其処を退けシンカ。我等の未来の為、グレンデルは滅びねばならん。我等は何時迄も山奥に篭り傍観者でいる訳にはいかない!それは滅びへの道だ!」


「分からぬ奴だ。最早我等は歩み始めた。その一歩目が此度の参戦だ」


「その様な事!3000年黙し続けて来た森渡りが!?あり得るものか!お前の口八丁に騙されるおれでは無いぞ!」


シンカは剣を抜いたヨウキを見遣る。

彼の剣はシンカと同じ翅。


「今わかった。グレンデルをこの様な窮地に追いやったのはお前だな」


シンカは目前の親友を見据える。


親が森に飲まれた時も、厳しい修行に挫けそうになった時も、いつでもヨウキは側にいた。

共に苦しみを分かち合って来た。


里を人一倍愛する男だった。

彼が何を見て、何を感じて今に至ったかは分からない。


一つ分かることは彼をこのまま進ませてはならないと言うことだ。


「先程から大人しく聞いていれば、何故グレンデルが滅びねばならない!?世迷いごとを!叩き斬ってくれる!」


カヤテが怒りに経を荒げ、倒木の構えを取った。


シンカは考える。

例え親友であろうと家族に危害を加える可能性があるならば、斬らなければならない。


「愚かな…何故分からない。人から与えられた物に何の意味がある?己で勝ち取った物以外に愛着など持てぬ」


「最早語る言葉は無い!俺は行く!俺の前に立つのならば、お前であろうと斬る他に道は無い!お前1人の命と里の未来。天秤にかければその傾きは自ずと知れる!」


「同胞はどうするのだ?我等は今、グレンデル の目となり耳となり戦っているのだぞ?」


「お前の言葉は信じぬ」


ヨウキという男は少年時代より腕よりも政治や計略に重きを置いていた。

腕はシンカの知る限りでは些か同年代に劣っていた。


だがどれ程の修練を積んだのか、その腕は予断を許さない事が構え一つで伝わってくる。


かつて心を通わせ合っていた親友とは語り合う事すら出来ないほどその道を違っていた。


「お前は間違っている。ヨウキ」


「お前は里を捨てた。お前の言葉は響かん。シンカ」


シンカは傷付き里を出た。

長く放浪しようやく癒えた頃里に戻った。

それは極めて個人的な都合であった。

その代償が今親友との間に深い溝を作っていた。


「いいだろう。俺の家族を守る為にも、お前を斬るぞ」


「のうのうとふらついていたお前に俺を斬れるものか。昔の俺と思うなよ」


シンカの脳裏に並んで釣り糸を垂らした記憶が去来した。


「我が故郷を侵す者、何人たりとも許さん!千剣流徳位!カヤテ!」


「ほっほっほ。やはりのぉ。王剣流徳位ウルド・ラドレック」


2人が名乗りを上げた。


倒木の構えを取るカヤテに対しウルドは右足を前に体を沈め、右手の剣を体の前に斜めに立てた。

左弦月の構えである。


断続的に響く轟音が緊張を煽る。

ひりつく空気に4人全員が背にじっとりと汗をかいていた。


シンカとヨウキ、カヤテとウルドが互いを正面に構えあっていた。




始めに動いたのはシンカであった。

口腔が大きく膨らんだ。

吐き出された水は鋭い針となり放射状に散布された。


水行法・青薊である。


対しヨウキは風行法・空砲でシンカの青薊を吹き飛ばしつつ反撃を繰り出して来た。




ウルドは後退しながら巧みな剣捌きで無数の水針を撃ち落とし攻撃を防ぐ。

そこにカヤテが斬り込んだ。


「お前はっ!老害だ!」


強力な振り下ろしを小柄な老人は剣を斜めに立てて擦り落とす。


即座の横薙ぎをカヤテは潜り込んで躱し逆袈裟に剣を振り抜いた。


ウルドは優雅に身体を回転させつつ躱し、遠心力を使い再度同じ方向から剣を振るった。


「酷い言い草よのぉ。老い先短い老人の愉しを奪うべきでは無いのぅ」


防いだカヤテの朱音に老人の剣が不気味に絡む。




ヨウキの空砲を飛んで躱したシンカは近くの大木に四つ足でしがみ付くとそのままぬるぬるとした動きで這い登り枝に乗ると枝を蹴ってヨウキに踊りかかった。


「相変わらず気色の悪い動きを!」


ヨウキは2人で倒した流蜻蜓の翅を構える。

シンカは中空で両手を握り合わせた。

水行法・鉄砲水がヨウキを襲う。


ヨウキは背を大き逸らしながら空気を吸い込み吐き出した。


「っ」


シンカの吐き出す鉄砲水を風の糸が斬り裂く。

風行法・銀線である。

風行法の中でも取得難易度の高い銀線が繰り出された事にシンカは驚く。


吐き出された銀線に身体が経ち割られる直前、白糸が銀線にぶつかり2つが相殺された。


「!?」


高速で迫る細い風条に落下しながら寸分違わず細い水条をぶつけるシンカの技術の高さが際立った。


ヨウキは防がれたことを察知すると即座に後退し地に手を着く。

大地が隆起しヨウキを守る為に迫り出すと同時にシンカに向けて鋭く尖る。




ウルドはカヤテの剣を絡めとるべく老練の動きで朱音に剣を絡ませた。

だが次の瞬間朱音から炎が吹き出しウルドは距離を取った。


「ほおぉぉ、初めて見るのぉ。それが炎剣とやらかい」


炎剣の難易度の高さは常時発動させる点にある経を均一に武器へと流し込みそこで発火させる。

また同時に炎から武器や身体を守る必要もある。

大陸中でこれを扱えるのはカヤテとウルクだけと認知されていた。


斬り結ぶ時間が長引けば長引く程ウルドは不利となる。


鈦鉄製の剣を扱うウルドは深く腰を落とす。

剣で防ぐ事が不利になるならばそれ以外の方法で防げば良い。


踏み込んだ大地がめくれる程ので勢いでカヤテが動いた。

ウルドはカヤテの動きを見切り、更に沈み込むと剣を突き出す。


その鋒は振り下ろさんとするカヤテの拳を捉えていた。

カヤテは動きを止めて即座に脚を引き、今度は別方向から横薙ぎにかかる。


しかし今度は肘の軌道にウルドの剣が添えられている。


「ほっほ、千剣流の動きは分かりやすいわい。慌ただしく動くものが剣術では無い。涅槃寂静。清らかなる湖面を泳ぐ白鳥の如く。細波を立てる必要はありはせん」


「その減らず口、いつ迄叩けるか見ものだな。ねはんなんだか知らぬが、枯れ枝が折れず燃えずいつまで持つか試させてもらおう。お前は邪悪だ!ウルド・ラドレック!」


カヤテが再び動く。




ヨウキが作り出した岩壁が不気味に蠢いた。

幾何学的な配置で突起が現れ爆発的な勢いで突き出した。


土行法・黄緑珊瑚である。


シンカは岩戸を立ち上げて防ぐ。

だが蛇の様に黄緑珊瑚は岩戸を躱しシンカに迫った。


「……ふん……」


鼻息一つ。迫り来る土蛇を際で躱し斬り払う。


前転しながら己が作り出した岩戸に飛び乗ると大量の水を口腔から吐き出した。それはすぐに凍り付き氷の槍を数多に作りながらヨウキに迫った。


土の蛇は元を断たれて力を失い地に落ちた。

ヨウキは顳顬に血管を浮き立たせながら両手を握り経を練る。


そしめ地に手を着いて巨大な岩壁を起こした。

土行法・塗壁である。


氷の槍は塗壁を貫けず塗壁の周囲に花弁の様にたまった。

今度は塗壁から鋭い棘が無数に突き出る。

土行法・山嵐である。


シンカは飛び上がって回避する。

松毬を警戒したシンカは宙で手を組む。

口腔から勢い良く扇状に水が吹き出され、土の針を切断する。


放出された水はその場で飛び散り周囲に散布される。

シンカは腕を突き出した。


「里の未来だ何だは知らぬが、今尚戦う同胞を…そしてお前の血族を省みぬお前に!里の未来を語る事能わん!」


シンカの十指より鮮やかな黄色の稲妻が迸る。

ヨウキは手が突き出された瞬間に地に経を送り込み塗壁を更に伸ばして黄滝を防いだ。


「…黙れ。…これでは埒が明かない。…っ!」


ヨウキは懐から笛を取り出し息を吹き込んだ。

その音はシンカの耳には届かない。


「…犬笛か…本当に堕ちたな」


シンカの鼻が森の中から近づいて来る獣臭を捉える。

現れたのは黒地に白い斑点の大型狼、白紋狼であった。

着地したシンカは軽蔑の眼差しをヨウキに向けた。




カヤテはウルドに猛烈な速度で斬りかかった。

常人であれば剣ごと経ち割られる豪剣である。


ウルドは枯れ枝の様な腕で剣を振るい真っ向から打ち合う。

まともに打ち合えるとは思えない。だがウルドは躊躇わず脚を踏み出す。


剣が触れ合う刹那、ウルドは剣を引いた。

打ち合う前提で力を込めていたカヤテの体勢が僅かに崩れた。


ウルドはその間隙を突いた。


カヤテの喉元に滑らせる様に剣を突き込んだ。

老練な剣士の熟達した一撃であった。


「猪口才な!」


それは千剣流らしい手立てであった。強引に腕を振り懐に入ったウルドを殴り飛ばしたのだ。


「っ!?…なんと風情の無い」


ウルドは口内に流れ出た血を吐き出す。

一緒に歯が吐き出された。


「風情?戦いに風情などを求めているのか?」


カヤテは訊ねる。


「美しい死、醜い死。人の死に方は様々。戦いの中には人の刹那の輝きが宿る。儂は其れが見たい!死の間際の輝きが見たいのよ。だが足りない。数多の死を見てきたが、儂の満足に足る死の輝きは未だに見られん」


ウルドはその瞳を炯々と輝かせた。


「訳が分からん。戦いとは須く醜きもの。尊き死はあれど、人の死に様を観る為に戦争を起こすなど、最早悪霊に取り憑かれたと言われても過言では無い」


「お前さんには分からんさ。この渇きが儂から全てを奪ってゆく。今までで1番輝いたのは妻を殺した時だったか。美しかった。刺した儂を見る表情。気付けば泣きながら射精しておったのぉ」


「……やはりお前は邪悪だ」


「儂が望む物をお主が持ち得るか、試させて貰おうかのぉ。諸行無常、世は将に色は匂へど散りぬるを。儂にお主の輝きを見せて給れ」


ウルドはその痩身を折り曲げ目を閉じ、八相に構えた。

カヤテの知識に無い構えであった。


その実その構えはウルド・ラドレックが独自に編み出した構えであった。

構えの名は盛者必衰の構え。


カヤテは考える。

ウルド・ラドレックは狂人であるが、その剣技はまごう事なき絶技。


カヤテの剣を受ける事なくそれを制する。

多くの人間を斬って来たのだろう。


ならば、と脚を踏み出す。

カヤテはこの様な場で止まることは出来ない。

今尚命を散らす同胞を滅びから救う為、夫と共に争わなければならない。


己の我儘の為に付き合わせた夫、そしてその一族の為に目の前の邪悪な老人に敗れるわけにはいかなかった。


ウルドは目を閉じている。だがカヤテが訝しむ事はない。

夫の一族は目も、耳さえも使えなくとも戦うことが出来るのだ。


この名高い王剣流最強の剣士がその技術を使えてもおかしくは無い。


一歩を踏み出す。ウルドが僅かに動いた。カヤテの動きに合わせてその腕を後の先にて狙う腹積りだろう。


カヤテは即座に剣を振った。

それはウルドの身体に届く間合いでは無かった。

だが剣は空振らない。ウルドの伸ばされた剣に当たる。


「づ?!」


激しい手への衝撃にウルドは呻く。

ウルドの身体を狙い合わせられるのなら初めから身体を狙わなければ良い。


剣自体を狙う。其れがカヤテの策であった。

いや、策と呼べる程高尚な物ではない。


だがウルドが高説を垂れた様に戦いは刹那のもの。

ウルドはカヤテと斬り結ぶ事を嫌った。


其れはウルドがカヤテの豪剣を耐え切る程の握力を持たなかった事に由来する。


老人であれば当然の事だ。そしてウルドはその差を経験に基く立ち回りで補った。


カヤテの些末な、たった一撃が戦いの趨勢を形付けた。


ウルドは強撃により握力を失ったのだ。


しかし老人は武器を取り落とさなかった。摺り足で素早く後退し両の掌を、腕を痺れさせつつも構えを取った。


盛者必衰の構え。

敵の動きを耳で正確に感知し後の先にて反撃する。

カヤテは再び動いた。


強く下草を踏み込む音でウルドはその速度を推し量る。


「!?」


だが予想に反して間近に迫るカヤテの気配を感じ取りウルドは剣を振るった。


予想には反したが、其れでも尚千剣流剣士を葬るべく後の先を取る事ができる滑らかで無駄の無い剣の動きであった。


今度はカヤテによる腕潰しの一撃では無い。本気の一撃であると気配で察知する事が出来た。


王剣流徳位のウルドには最小の動作により天才的な千剣流剣士の後の先を取る技術があった。


だが。


「なっ!?」


その剣は空を斬った。

ウルドは思わず目を開けた。

喉元を狙ったウルドの剣が通り過ぎたすぐ先に美しく黒髪を靡かせる女剣士の姿があった。


カヤテの策は単純であった。

先ずウルドの腕を潰す。その成功如何はどちらでも良かった。


奇策に走った後は全力の一撃と誰しもが判断するだろう。


同じ手を食う剣士であれば既にこの場に立てていないし、今尚この場に立つのであれば同じ手に対する対策は当然行う。


カヤテは別の奇策を取った。

目を瞑り耳と気配を当てにするのなら、その二つを乖離させれば良い。


音を元にその速さ、距離を測るならその予測を掻き乱す。

カヤテは経を飛ばして己の気配をウルドに感知させたのだ。


シンカに教授された無手の技法であった。

ウルドはカヤテの飛ばした経を斬った。

カヤテの振るう炎纏し朱音はウルドの左肩口から皮膚を破り、鎖骨を断ち割り、肺と肋を斬り裂いて袈裟に抜けた。


「……なん、と……」


老人は倒れなかった。足元に大量の血を流し、更に喀血により足元に大きな赤い水溜りを形作った。


木漏れ日が差し込みウルドの姿を映し出していた。


「……おおぉ……ここにあったか……」


最後に一言そう残し、ウルド・ラドレックはその生涯を終えた。


前のめりに倒れ、己の血溜まりに沈んだ。




塗壁の上に飛び乗ったヨウキは白紋狼の背後で経を練っていた。

シンカが白紋狼を狙えばヨウキが、シンカがヨウキを狙えば白紋狼が隙を突くだらう。


身体を僅かに沈ませて経を練っていた。

その時、背後から凄まじい速さで迫る気配をシンカは感じ取った。


重さは4貫程度。四つ足の獣。


その獣はシンカの肩に飛び乗ると白紋狼に向けて駆けた。


黒い滑らかな体毛に2本の尾。尾裂き黒狐のアギであった。


連れて来た覚えは無かった。アギは里に居るはずだった。


アギが駆ける先の白紋狼は大型の狼だ。

狼種の中では3番目の大きさを誇る。


ヨウキが呼び出した白紋狼は体高1丈半、体長は尾を含めて3丈。


対しアギは体高が1尺、体長は2尺しか無い。

そのアギが猛烈な速度で怖気付く事なく白紋狼に突進した。


歯を剥き出しにして白紋狼が唸る。


だがアギは止まる事なく白紋狼に迫り来る、大きなアギトによる噛みつきを躱すと喉元に喰らい付いた。


シンカは即座に行法を行う。

断続的に水蜘蛛針を吐き出しヨウロに駆けた。

ヨウロは岩戸で其れを受ける。


白紋狼は血を垂れ流しながらも首を振り、アギを振り払おうとするが食らい付いたアギは離れない。


シンカは肉薄した。翅を左から右に薙ぎ躱されると更に一歩踏み込み右から左に。後退されれば更に踏み込み袈裟、横薙ぎ、3連突き、怒涛の剣、旋風斬り、翅による五駿を流れる様に行った。


ヨウキは後退しながら其れらを辛うじて捌いていく。


「何故だ!?何故分からない!っ!くっ!お前は里を大切に思わないのか!?」


苦しげな表情でヨウキはシンカの五駿を捌き切った。

続け様に村雨突き、3連の波割、再度の怒涛の剣、翅による松毬で更にヨウキを追い込む。


「お前がグレンデルを陥れた事自体俺は如何とも思わん。だが今はどうだ!お前は!今!同胞を攻撃しようとしている!現実を見ろ!お前は昔から自分の計画が頓挫する事に過剰な反応をするきらいがあった!落ち着いて周囲を見よ!」


シンカは全てを凌ぎ反撃しようとするヨウキに雷光石火を放った。




格闘を続けるアギと白紋狼であったが白紋狼の首からの出血は増し、動きが鈍くなり始めた。小さなアギは無傷であった。


軈て白紋狼は大地にどうと横たわった。


「レレン!?よくも、よくもおおおおおおお!」


驚くべき事に雷光石火を転がって回避したヨウキが白紋狼の名を呼んで絶叫した。


「…だから言ったのだ。戦闘に魍魎とは言え友人を利用する等、堕ちたものだと」


「お前が言うな!」


ヨウキは喉を絞り甲高い音を鳴らした。


「まだ続けるのか…俺とてお前の従罔は見知っている。もう辞めろ」


だがヨウキに呼ばれて其れは現れた。

大きな鷹だ。山笠鷹。山々の山頂付近に群れて生息する。大きく獰猛である。


「エリザ!その狐を殺せ!レレンの仇だ!」


アギは上空で羽ばたく山笠鷹に向けて牙を剥き威嚇し毛を逆立てている。


「アギ!もうよせ!不毛だ!お前を失いたく無い!」


シンカは叫ぶが同時にヨウキと鷹が同時に動いた。

体勢低く羽根を構えてシンカに迫るヨウキと圧倒的な速さでアギに向けて滑空する鷹。




ヨウキの鋭い斬撃をシンカは飛んで躱す。回転しつつ天誅4連撃をヨウキに向けて放った。着地の隙をなくす為に両手を組み合わせて水噴を行う。


「糞っ!」


ヨウキは水流に吹き飛ばされながらも地に手を着いて直ぐに岩戸を起こした。


直後シンカの一角が岩戸に突き刺さり、一部を崩して霧散した。




山笠鷹は人間には到底実現出来ない速度で滑空し地にぶつかる直前で翼と尾羽を膨らませ、その巨大な脚でアギを掴みにかかった。


アギは寸で躱す。鷹はすぐ様飛翔すると再度の滑空を敢行した。

鷹と狐では狐がその捕食対象である。


だがアギはただの狐では無い。大陸東、夜の最強の狩人と言われる尾裂黒狐である。


彼等は時に狐の天敵、梟すら仕留める事もある。

2度目の滑空を行った鷹をアギは見据える。そして突き出された脚を躱すと広げられた翼にしがみついた。


悲鳴を上げ激しく羽ばたく鷹だったがアギは矢張り噛み付き離れなかった。


上空に飛び立ち鷹は暫く暴れるが、軈て翼の傷が広がり飛ぶ力を弱め、到頭落下し木の枝に当たった後に地に落ちた。


直ぐに立ち上がるが傷付いた翼はだらりと下がり血に濡れている。




背後でカヤテがウルドを斬り捨てた。

50年もの間大陸中にその名を轟かせていた王剣流最強の男の命が到頭尽きたのだ。


そしてシンカも翅で岩戸を斬り、戦陣突破で岩片を撒き散らしながらヨウキに迫った。


ヨウキは岩塊を躱しており一手対応が遅れた。

シンカの伸ばした左手がヨウキの喉を掴み、血管を抑える事によりヨウキは白目を剥いて意識を失った。


決着であった。




「……なんだこの男は!シンカ!其方の知り合いなのか!?」


カヤテは興奮冷めやらぬままシンカに詰め寄った。


「うん。俺の親友、森渡りのヨウキだ。ヨウロの甥で同い年」


「何なのだこの男は?!グレンデルを滅ぼす等と!」


シンカは荒ぶるカヤテの肩に手を置き、肩を揉み解した。


「カヤテは直ぐにでもこの男を殺したいだろうが、事情を確認したい。暫し待ってくれ。その前に死にかけの魍魎を治療したい」


シンカは横たわり弱々しく呼吸する白紋狼のレレンに近寄ると治癒を開始した。


ずたずたの喉元、血管を粉薬を振りかけて再生させ、破れた喉を癒した。


アギはその間レレンの頭に前足を乗せて顎をそらしていた。


大量の血を失い危険な状態は続いている。

しかし狼に対して輸血は出来ない。せめてもと鉄分補給用の丸薬を複数水と共に狼の口に流し込んだ。

そして蹲る山笠鷹の翼を治療する。


鷹は治療を施したシンカに頭を擦り付けた。


其れを見たアギが歯を剥き出して唸った。アギに敗れた鷹は大きな翼を広げながらも後ろ図去り嘴を開いて威嚇の声を上げた。


レレンもエリザも見知った魍魎である。死なせる気は無かった。


シンカはヨウキの元に戻ると経の放出を抑制する丸薬を飲ませ、土行法で拘束した後に赤辛子の種を乾燥させて粉末状に擦った気付け薬を顔に投げ付けた。


粉末を吸い込みヨウキは激しく咳き込み刺激に目を充血させ涙を流しながら目覚めた。


「何のつもりだ…俺を殺さなくても良いのか?」


えずきながらもヨウキはそう言葉にした。


「話せ。お前は何を為そうとしていた?」


シンカの問いにヨウキはちらと2体の魍魎に目を向けた。

手当てされている事を確認し息を吐いた。


「心配するくらいなら戦闘に呼ぶな」


「………」


しかしその言葉はそのままシンカにも跳ね返る。

ナウラやヴィダードが戦争で死ねば、シンカは決して消えず、癒えない深い傷を心に負うと共に後悔に心を焼かれ狂っていくだろう。


「話せ」


シンカの言葉にヨウキは暫く黙った後、重い口を開いた。


「お前が里から消えて3年、今から8年前になるか。俺も里を出て諸国を回り始めた。というか、お前は何故里を出て戻らなかった?」


ヨウキは真面目だがよく話が飛ぶ癖がある。そして思い込みが激しい。


「リンファに振られたからだ。今はもうよりを戻したがな。早く話せ」


ヨウキはすっとぼけた表情で暫く固まった。


「……は?……振られただけで何年も里に帰らなかったのか?!」


「黙れ。このままセンテツに引き渡すぞ」


三馬鹿の1人センテツはヨウキの未開の純潔を狙う生物の理に反した男だ。

ヨウキは震え上がった。


「様々な国を巡った。都心も、辺境も。皆心狭く、己が生きるのに必死だ。様悪しく争い、人の富を奪いあう。時には命を。俺は思った。この様な低俗な輩が世に蔓延り、他者を思い遣る心がある我等が何故、山奥に隠れすまなければならないのか」


「其れは我等に余裕があるからだ。例え森に隠れ住もうと我等は豊かだ。衣食住足りて礼節を知る。生き物は己の欠落を争う為に足掻く。尤も、其れでも尚人間が醜い事は否定できないが」


「そうだ。人は醜い。だがその醜さを我等ならば正す事が出来る筈だ。俺はファブニルを唆しグレンデルを滅ぼし、その功を持ってクサビナの一地方を得ようと考えた。同胞を呼び寄せ兵を集め、徐々に周辺の諸侯を併呑し、軈てはクサビナ王朝を打倒し、我等による新たな国を、かつてのファルド王朝を再建する。此度の戦争はその足掛かりと考えた。我等になら!出来るはずだ!」


シンカは苔むした倒木に腰掛け深く息を吐いた。


「グレンデルに遺恨があるわけでは無い。ただ単にグレンデルを憎むファブニルが操り易かった。野望を持つ各地の権力、武力を持つ者を集め、金を集めて兵を募り、クサビナに内乱を起こさせた。事を起こしたのは4年前の春。兼ねてよりフランクラ・ベックナートに薬物を用いた暗示を行っており、グレンデルの次期当主ミトリアーレを調停の大使に据える事に成功した。同時にフランクラとシカダレス、ロボクのルドガーと共謀しマニトゥーの大使を暗殺、これをミトリアーレに罪を着せ断じる事によりグレンデルの弱体化を図った。ルドガーめ。あの口だけの男は失敗ったがな」


「……何故ミト様を狙った」


カヤテの目は据わっていた。怒りが手にとる様に分かる。シンカはカヤテの手を握った。


「ミトリアーレは次期当主。ミトリアーレを謀殺されコンドールを始めとしたグレンデル一族が黙っている筈がない。挙兵は必至だろう。だがロボクにはアゾク大要塞があった。さしものグレンデル一族もあのロボク国王の怨念の塊りの要塞は抜けない筈だった。そして力衰えたグレンデルに向けてロボクが挙兵。退けられる筈がなかった。だがグレンデルは退けてしまった」


カヤテが明るい笑顔でシンカの顔を見つめた。

手が強く握られる。


「だが、其れでも良かった。ロボク、マニトゥーに攻め込まれたクサビナは国としての体面を守る為反攻する必要があった。位置的にグレンデルはアゾクを擁するロボクに当たる事になる。ロボク攻略は失敗しその責をグレンデルに問う。その手筈だった。だがアゾクは攻略されロボクは属国化してしまった。グレンデルに功を与えない事により不満を抱かせ、内乱の目とする事はできた。しかし弱かった」


「…そこでカヤテを処する事にしたのか」


シンカはぎりと歯を噛み締める。無論、怒りによるものだ。


「…いや、其れは俺の策ではない。カヤテ・グレンデルの処刑がこの様な大火となるなど俺には想像出来なかった。俺にとって良い方向には転がったが、こればかりは如何にも気色悪い。何か怨念じみた悪意を感じる」


シンカは肌が泡立つのを感じた。


カヤテがミトリアーレを大切にしている事は巷ではあまり知られていない事実だった。加えてミトリアーレが実の姉の如くカヤテを慕っている事は一族の中核人物が知り得る程度であった。


エメリック第一王子がカヤテの才を恐れたのは間違いない事実だろう。


だが其れだけで大貴族の子女、軍幹部を処刑出来るとも思えない。


何らかの悪意が絡み付いている様に感じられた。

そしてヨウキの自白という形で内乱までの陰謀が語られる中でその異質さが浮き彫りになったのであった。


「…ヨウキ。グレンデルへの謀略について俺はどうこう言うつもりはない。その役目は別の者が担うだろう。だが1つ聞かせろ。お前は山渡りを使ったのか?」


「…………。ああ。奴等を諜報として使っていた。山渡りは俺が森渡りである事どころか人種、名前すら知らん。森渡りについて話したことも無い。…本当なのか?テンキさんが、他の子らが死んだと言うのは…」


「…事実だ。テンキの替わりにセンヒが十指となった」


「…俺の、せいなのか…?」


「知らぬ。だが無関係とは言えんだろうな。山渡りは我等から知識を吸い出し、尚且つ人質を取り戦に利用しようと考えていた。何の戦争だ?…この戦争のだろうな」


ヨウキは深く項垂れた。


「…………俺がしようとした事は、同胞にとって害だったのか……」


カヤテが朱音を抜く。


「シンカ。この男を殺す。良いな?」


「………。俺に止める資格は無い」


カヤテはヨウキの元まで歩み寄り赤い刃をヨウキに突き付ける。


「……やってくれ……」


項垂れ強く目を閉じヨウキは苦悶の表情を浮かべていた。

良かれと思って行って来た事が同胞の死に繋がっていたのだ。


シンカであれば殺して貰いたいと思うだろう。

そんなヨウキを見てカヤテは剣を鞘に収めた。


「苦しめ。汝が引き起こした戦争で今尚汝の同胞は死んでいる。その罪に苦しみながらこれから失われる命を救え」


カヤテの言葉を聞いてシンカは土行法からヨウキを解放し、解毒薬を投げた。


「森渡りは誰かに導かれずとも自らの足で道無き道を進む。何故我等が森に籠るのか考えろ。我等は権力を捨て自由を望んだのだ。国など同胞の誰一人として望んでいない。その上で未来を見据えて信頼が出来、背を預けるに足る相手としてグレンデルを選んだのだ。お前は俺の言葉を嘘と断じたが、見てくるがいい」


そう言うとシンカは装備を整えて身を翻した。

それにカヤテが続く。


アギは森に消えていった。


後には背を丸めて蹲るヨウキと手当てされた魍魎、血溜まりに沈む老人の遺体が残された。


「…良かったのか?」


シンカは森を駆けながらカヤテに訊ねる。


「良くは無い。だがあの男は良心の呵責に耐えられんだろう。我が一族に対しては何とも感じていないだろうが、同胞に対してはそうではない。あの男は必ず後悔に心を焼かれる。其れに、シンカの友人をこの手にかけたくはなかった。笑ってくれ、私は一族の復讐より男からの体面を取ったのだ」


カヤテは自重気味に告げたが、シンカはその言葉を何処か嬉しく感じてしまった。


「ヨウキは…真面目な男だった。……何故、こんな……」


とても親しかった。親を失った時、泣けなかったシンカの変わりにヨウキは泣いてくれた。

リンファと恋人になった時、我が事の様に喜んでくれた。

共にヨウロに槍稽古で扱かれ、スイセンに傷の手当てをしてもらい、テンキと釣りをした。


「………」


カヤテが駆けるシンカの肩を掴み、その足を無理に留めた。


シンカの頸に手を伸ばし、頭を胸に押し付けた。

そうしてやっと、シンカは自分が泣いている事に気付いた。

ああ、俺は親友を失うのだ。と。

そう気付いたのだった。


「どんなに誰かを想ったとしても。その為に誰かを傷付け陥れても良い理由にはならない」


カヤテは自分に言い聞かせる様に口に出した。


「人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。…カヤテ、お前は立派だ。俺であれば同胞を陥れた者を許す事は出来なかっただろう」


「高尚な理由など無いよ。ただ私は…周りの者が死ぬのも、人を斬るのにも慣れすぎただけだ」


遠くの爆音が何処か物悲しく耳に響いた。



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