黒い絨毯

翌未明、宿で支度を終えて待機していると建物に人が入る気配を感じる。

床の軋みの音から大柄な男と判断する。金属のぶつかる音から全身鎧とわかる。

足音に対し、片足を踏み出した時のみ余分な金属音が聞こえることから腰に剣をはいている事がわかった。抜いてはいない。人数は1人。

感覚は鋭敏である。問題無い。


数階分の階段を登る足音と部屋までの足音の後扉が叩かれた。

匂いでサルバであると確認できた。

隣のナウラは腰の短剣に手を伸ばしている。

弟子の感覚も問題無い。


「どうぞ」


ナウラが声をかけると扉が開いた。


「シンカ殿、数日ぶりだ。迎えに来たぞ。」


扉を閉めるとサルバは口を開いた。


「シンカでいい。人前では角が立つだろう。我らもそれなりの応対をするつもりだ。」


「頼んだ身としてはいえ申し訳ないが、気遣い痛み入る。」


「して?」


「うむ。其方達はカヤテ様専属の薬師として近くに控えて貰うこととする。兎馬を用意しよう。」


「不要だ。食事は分けて貰えるのか?」


「問題無い。天幕は2人用でいいか?」


「問題無い。我らは何をすれば?」


「ロボクをよく知る薬師としてあらゆる会議でカヤテ様の背後に控え、気になる点があればカヤテ様に耳打ちを頼みたい。良いか?」


「笠を被ったままでも良いならば。」


「問題無いだろう。カヤテ様には伝えておく。」


「後は」


「取り敢えずは。もう出られるか?」


問われるとシンカは頭巾と口当てを着け、笠を被った。

焦げ茶の瞳と眉間のみが露出する。

ナウラも同じく最後の装備を身に纏う。

彼女は漆黒の瞳だけが唯一空気に触れている部位となる。

木の皮を巻いた背嚢を背負うとサルバに目を向けた。


「怪しい風体だなあ。では、いいな?」


返事は頷くだけとした。

宿を出る。部屋自体は昨精算を行い引き払う旨を伝えていた。

上客だったのだろう。責任者の男が未明にも関わらず控えており頭を下げられた。


街を北に向けて歩む。人気は無く閑寂としていたが、冬を目前に控えた空気にヒリヒリとした緊張感が漂っていた。


門を出ると街から少し離れた位置で闇の中大量の松明が焚かれ、忙しそうにそれぞれが動き回っていた。シンカは街から出ると複雑に絡まり合った自身に対する危機感の内一つがすっと消えたのを感じた。


根拠も何も無い何とも言い難い感覚だが、シンカはこれを信じている。

青鈴軍に加わると直ぐにカヤテの元に案内された。

数人の人間に取り囲まれ、見た事がある銀色の鎧に袖無し青い外套を羽織った出で立ちであった。

左腕を背後に回し右手を開いて腹部に当て、頭を俯かせながら右膝を折った。


クサビナでの貴人に対する礼である。


「薬師よ。よくぞ召喚に応じた。我らはこれより赤鋼軍と諸侯軍と合流し、ロボク王国のアゾク要塞を攻撃する。森やロボクに詳しい其の方等に意見を聞きたく考えている。意見があれば忌憚無く述べよ。直答を許す。」


「は。シンカと申します。お引立て誠に有り難く、付きましては我らの力尽き果てるまで尽力を誓わせて頂きたく存じます。」


口布に加え、僅かに声音を変えることにより声を元のものから乖離させている。声だけを聞いてシンカであると判断できる人間は居ないだろう。


「まず、グレンデーラより北に10里で赤鋼軍と合流する。その後更に10里先の国境でランドルフ・モルドバル伯率いる諸侯勢と合流する。何か懸念はあるか?」


「人の数が多ければ多い程魍魎は襲う事を躊躇います。しかし蟲だけは数に関係無く襲って来ます。蜂や蟻の巣近辺を避ければ被害は無いでしょう。」


「場所は分かるか。」


「2箇所ほどは。此処から北に6里程、街道から半里の位置に赤目鎧蟻の巣が。この近辺は急いで通り抜けた方が宜しい。次に赤鋼軍との合流地点近辺に八咫火蜂の巣が。」


騒めきが起こった。

驚愕の声、恐怖の声だ。


「幸いにして八咫火蜂は縄張りが狭く、ただ通過するだけであれば被害は出ないかと。しかし合流をこの近辺で行うのは知識を得た今賢くありますまい。」


八咫火蜂は凶悪な魍魎だ。

巨大な赤い蜂だ。尻から毒を飛ばし獲物を鈍らせる。毒が付着した箇所は火傷のように爛れ、一般的には治す術が無い。

攻撃的で気付かずに近くを通った商隊が全滅する事がよくある。


「うむ。では伝令を出し合流位置を北に1里ずらすよう伝えよ。薬師、他にはあるか?」


「ロボクに危険な箇所があるかは先行して確認をさせて頂ければと。」


「まて!」


突如女の声で静止が掛かった。

カヤテの右手に立っていた女騎士がいきり立って怒声を上げていた。


「カヤテ様!薬師風情の言を誠と考え策を立てるのですか!この者が我々を陥れ無いという確証は無い筈!剰え軍から抜け出るとの事!我らに不利になる様話しをし、逃げ出すのかも知れません!」


女の考えは間違ってはいない。シンカが青鈴軍を陥れようと考えて発言をし、それをカヤテが信じてしまえば取り返しの付かない事になる。


とは理解しつつも望まずに此処に来ているシンカにとって、その言いは癪にさわる物であった。

だがシンカが口を開く事は無かった。


明らかにカヤテが怒りを堪えていたからだ。


「シャーニ。シャーニ・グレン。」


シンカを扱き下ろす女騎士の名を呼び、口を閉じさせた。


「お前の言う事は私とて認識している。だからこそ此の者を呼んでいる。私が、呼んでいるのだ。此の意味が分かるか?」


「は・・しかし此の者は平民で・・・」


「平民だと何なのだ?その平民より知識が無い私やお前はどうして魍魎から兵を守れば良い?此の者の言う通りにせず被害にあった場合お前は如何に責任を取る?」


「恐れながら、私は無条件で信じるのは危険だと申したのです!」


「平民を侮辱する発言があったがな。で、どうするのだ?」


「私が責任を於い処罰を、死して償います。」


「巫山戯るな!お前一人の命で賄える被害ではない!下手をすればグレンデルの滅亡の危機だ!グレンデル一族郎党老若男女皆処刑せねば国中より兵を差し向けられる!分からぬきさまでは無いであろう!」


「それは信じて被害にあった場合でも同じでしょう!」


「私が信じている。言うつもりは無いがその根拠も有る。心配は分かるがこれについてはとやかく言わせん。」


言い切ったものである。


「では、一つだけお願いがあります。問題の地点に斥候を出しても森に飲まれるのがおちでしょう。此の者に兵を付けて兵の目で確認をさせるのです。」


「ふむ。・・・薬師よ。問題ないか?」


「あります。我々は街道を先行するつもりはありません。森を行きます。その兵士は我々に着いて来る事は出来るのでしょうか?素人が呼び寄せる魍魎から守っていてはロボクに先行するどころか鎧蟻の巣にも辿り付けないでしょう。」


「・・・それは確かにそうでしょうね。では私が着いて行きます。」


カヤテは顔を顰めていたが、他の者も似た様な懸念を抱いているのであれば落とし所はこの辺りだろうと考えて居るものと見え、長考の後に首肯するのだった。


シンカはこのシャーニという女の体調に意識を向けて居た。

カヤテに諫言するにあたり体温変化や鼓動の変化が穏やかに感じられた。

或いはシンカを周囲に受け入れさせる為の芝居である可能性もある。


シンカはいざとなれば置いて行けばいいと軽い気持ちで了承し、直ちに出立するべく匂いの少ない保存食を受け取って、ナウラと余計な一人を連れ夜明け前の畑地を抜けて森へ分け入って行った。




グレンデーラより青鈴軍が発って二日後の事であった。


夕刻外壁の東門を閉じる準備を衛兵が行っていると沈みかけの夕日を正面にして旅人がグレンデーラに近寄って来た。


たった一人で。


目深に被った外套の頭巾から細い顎が見て取れる。白く、そして細い顎だ。

その白さはアガド人の白さを上回る。

皮膚の下が透けて見えるのでは、と懸念される程白かった。


唇は薄く形が良く、色合いも肌に引きずられる様に薄桃色で、血が通っているのか疑わしい程であった。

鼻梁は高く細く鋭利だった。


肩幅や背丈から女であると衛兵達は判断した。とびきり華奢な女だ。しかし身長は5尺半はある。

門に近づく女に対し、兵が一人立ちはだかる。


「グレンデーラに如何用か。顔を見せよ。」


旅人は無言で頭巾を取った。

何と無しに兵達には予想できていたが驚く程整った顔立ちであった。


頭巾の下には金細工かと思う程美しい緩い巻き毛の金髪が隠れていた。朝日に照らされる麦畑から豊穣を司る精霊が人の形を取ってやって来たと言われても信じそうだと、兵士達は皆考えた。

こんな髪の色を衛兵達は皆見た事も聞いた事も無かった。


しかし無条件に町へ入れるにはその目が余りに異様であり、立ち塞がった一人は後ずさりながらも剣に手を伸ばしていた。


女の目は流麗で切れ長な目であった。瞳は晴天の青空の様に薄く澄んでいた。

しかし目に灯る意思は妖艶であり何処か怪しい雰囲気を漂わせていた。


兵士には妻子が居た。凡庸だが幸福な日々を送れていると考えていた。

直感で、今の自分の幸せを失わずに居る為には此の女に深く関わってはならないと感じていた。

近くに居た同僚の中にも何人か同じ様に感じたものが居た様で、冷え始めた気温の中額にじんわりと脂汗が滲んでいた。


「人探しの旅をしております。街に入っても宜しい?」


何を考えているのか全く分からない瞳を僅かに細め、口元に笑みを浮かべた。

爬の蛇の類いがもしも嗤う事が出来たとすれば此の様に嗤うのではないかと兵士は思った。


それ程までに女は胡散臭かった。


精霊の化身かと思われる程の美貌であった。だがそれを帳消しにし、且つ美貌の印象を悪く煮詰めさせる程に女は不吉であった。


「お前、な、名前は?」


「イーヴァルンのヴィダードと申します。」


「イーヴァルン?」


「貴男方でいう所の村の名前よぉ。」


鈴を転がす様な耳に心地のいい声音だ。

口調も柔らかく丁寧だった。

だが、どうしても兵士は此の女の視界から早く逃れたかった。


「故郷でヴィダードとは愛という意味合いを持ちます。・・・ですのに、貴方はどうしてそんなにも私を恐れるのでしょお?」


気付くと兵士の目と鼻の先に女の顔があった。


「お、恐れてなどっ」


「風が教えてくれます。どうしてでしょお?貴男方にとって私は魅力的では無いのでしょうか?里でも、貴男方の村や街でもそうでした。ねえ、兵隊さん?」


ヴィダードという女は兵士より背が低かった。6尺程の背丈である兵士の鼻先に頭頂部がある。

しかし気付けば耳元に囁かれていた。更に近寄り、爪先立っていた。


「と・・・通れ。グレンデーラでは悪行を働けば厳しい処罰が下る。心せよ。」


なんとか絞り出す様に告げ女が通り過ぎるのを見送った。

女の背が見えなくなると兵士は体から力を抜いた。抜く事が出来た。

全身が緊張による脂汗でしとどに濡れそぼっていた。

今日は職務終わりに酒は飲まずに足早に家へと帰り妻と子を腕に抱こうと誓った。


イーヴァルンのヴィダードはグレンデーラに入ると真っ直ぐに薬の卸問屋へ向かった。

店の男は頭巾を被ったままのヴィダードに対し胡散臭げな眼差しを送るが特に何も言う事は無く応じた。


「今此の街に腕の良い薬師は居ますか?」


店の男は妙な質問と感じた様で訝しげな表情を浮かべる。


「なんだ?うちを通さず直接買おうってか?」


「いいえぇ。薬師の知り合いを探して居るのです。怪我に使えばたちどころに治る様な薬を作れる薬師です。」


店の男は顎を撫でながら一つの小瓶を眺めた。


「知っている様ですねぇ。」


にたりと頭巾の奥で嗤う口元を目に留め男は後ずさった。

ヴィダードは可憐にころころと嗤う。


「その薬師はまだ此の街にいるのかしらぁ?」


「・・・あ、ああ・・・」


「あらあらぁ!漸く足取りを掴めたわぁ!ありがとうね、おじ様。」


ぬっと男の元に顔が突き出された。頭巾の中の瞳と目が合った。

男はその時あらゆる可能性を考え、なるべく此の女と関わり合いにならずに済む方法を取った。


「ま、まだ此の街にいるかはわからんっ!その者が薬を最後に売りに来たのは10日も前だ!二日前に青鈴軍が出立した時に多くの薬師が従軍した!その者が今も尚街にいるか従軍しロボクへ向かっているかは俺には・・・」


「ふうん?そうですか。情報をありがとうございますねぇ。」


女は微笑むと踵を返して店を去った。

男は汗だくで息を吐きながら探し求められている北方出身と思わしき薬師に同情した。


ヴィーダは口元の笑みを堪える事が出来ないまま街を歩んだ。宿を取り、その後どうするか考える事に決めた。


「あなた様ぁ。漸く近くまで来られました。はやく私を抱きとめて下さいねぇ。あなた様のヴィーはずっとずっとお会いできるのを楽しみにしておりましたぁ。」



ロボク王国の王都モルンパーチ、その一角に有る王城で謁見が行われていた。

枯れ木の様に朽ちつつある国王ユリウス3世に二人の男が謁見を行っていた。


一人は40代後半のかさかさとした見た目の痩せた男。宰相のマリク・ケンネルだ。


もう一人は20中程の美麗な優男で、名はルドガー・レジェノと言った。若き宰相参謀である。


王城の謁見の間は絢爛で、贅が尽くされていたが、何処か寒々しい印象があった。


ユリウス3世は80を過ぎた老人であったが、老人故の偏屈さを身につけた上にクサビナ王国に対して妄執を抱いていた。


叶う見込みが微塵も無い大国に対する執念は人心を失うのに一役以上の効果を持ち、諸侯はとうに国王を見限っていた。


ユリウス3世は幼い頃に父王に着いて訪れたクサビナの富んだ、麦の黄金色に輝く大地を此の歳まで忘れる事が出来なかった。

美しく輝く清流イブル川流域に築かれた強大な王国。

青く浮かび上がるグレンデーラ、黄色く豊かなファブニーラ、そして白亜の王都ケツァル。


対して自国の見窄らしく貧しい事。

幼心でユリウス3世は自国を恥じた。

王子という立場でなんとか豊かな国に変えようと腐心した20年。


しかし痩せ衰えた土地は黄金色に変わる事は無かった。

父が他界し、王位を継承してからその劣等感は豊かな土地を手に入れる事に執心する様になる。


そして10年前。

ユリウス3世は老いてからようやっと産まれた一人息子を戦争で失った。

息子に軍を指揮させ、クサビナの土地を切り取らせ、華々しい継承を行わせる予定だった。万全を期した行軍だった。


しかし息子達は赤と青の軍勢の前に破れ、産まれたばかりの孫を残し多くの物を失った。その中には諸侯の忠誠心も含まれていた。


ユリウス3世は朽ち果てるだけだった。

そこにこの宰相マリクが策を持って来た。完全な策に思えた。いや、完全だった。


精強と名高い鉄鬼の団が壊滅するまでは。

ミトリアーレを捕える事が出来なかったがまだ可能性はあった。グレンデルを憎むファブニル一族と、グレンデル一族の強い影響力を懸念するクサビナ宰相と通じグレンデル領を切り取る策は万全に思われた。


だが結果はお粗末な物で、魍魎に蹂躙されたった一度の機会は失われた。

そして今や精強な兵がアゾク要塞へと迫っているという。


「陛下。アゾクは屈強な要塞で御座います。然しものクサビナ軍とは言え容易に落とす事は出来ないでしょう。西のラクサスと結べば・・・」


「ラクサスは・・動かぬ・・。」


ユリウスが援助を求めたラクサス王国は使者を持て成したものの手ぶらで城から追い出したと言う。

ユリウスは既に絶望していた。

国王はそれ以降口を開く事は無かった。

マリクとルドガーは場を辞してマリクに宛てがわれている部屋に赴いた。

人気の無い閑散とした城内であった。


「陛下は最早当てには出来ぬ。我が身は自身で守るしか無いのぉ。」


マリクは椅子に掛けて呟いた。


「然しもの諸侯も自らの土地が危機に瀕しているともなれば協力を惜しまないでしょう。」


王軍は既に先の戦で壊滅しその数は5千を下回っている。諸侯は力を結集し無ければ土地や権益を失い、最悪処刑を待つ身となる。大国相手に降伏は意味を成さない。

ルドガーは時間を掛けて諸侯と面識を持ち、そうした認識を植え付けて行った。

恐らくクサビナは諸侯の命などに価値は見いださないだろう。

クサビナは豊かな国だ。大陸の中央に位置し、資源が豊富で交通の要所でもあり、豊かな大地に発達した農産業まで持っている。

ロボクの痩せた土地など必要としていない。


何故此処まで格差の有る大国に執心し度重なる攻勢を仕掛けるのかルドガーには理解が出来なかった。


「ルドガーよ。アゾクは落ちるであろうか?」


「幾らクサビナと言えど、アゾクに1万の兵が籠れば容易には落とせないでしょう。私が赴き指揮を取ります。鉄鬼の団残党を私の護衛に付けて頂けるでしょうか?後は王軍5千、諸侯勢5千。これを私の自由に動かせる様手配は可能ですか?」


宰相マリクは自身の参謀を信頼していた。

彼の献策は常にマリクを助けて来た。


「なんとかしよう。なんとか防いでくれ。」


「必ずや」


草臥れた宰相の部屋を出たルドガーは一人考える。

ルドガーはロボクの弱小貴族の3男として生を受けた。

弱小国の弱小貴族の3男。ロボクでその立場であれば、普通ならそこいらの農夫と変わらない将来が待っている。

だがルドガーは聡い子供であった。良い見目と頭を駆使し、人に好かれ非常に巧みに立ち回り、始めはその賢さを求めた周辺貴族の婿という立場を手に入れた。


だがルドガーの肥大した自尊心は弱小国の中堅貴族の跡取りという立場を良しとはしなかった。

知識を取り込み美しい相貌に牙を隠して来た。

始めに牙に掛かったのは自らの妻であった。15の折に婿に入った先の妻は能力も見た目も自身に見合っていないと考えていた。


3年の忍耐の上、計画的に事故に遭わせた。レジェノ家の跡取りとして宮廷に出入りするうちに作られた人柄で味方を増やし、やがてより高貴な人々との付き合いを得られる様になると、とうとう宰相と面識を持ちその信頼を勝ち取るに至った。


先のマニトゥー大使暗殺から端をなす一連の騒動はルドガーの入れ知恵であった。

策が破られた事を知った時は衝撃を受けた。

如何に自分が狭い世界で生きて来たのかを思い知った。


ルドガーは未だに、自分はより高みへ登る事が出来ると考えている。




森歴192年秋下月、先の戦線に対する反攻としてクサビナ王国は軍事遠征を開始。第一王子エメリック・ヘンリク・グリーソン及び将軍グリシュナク・バラドゥアがそれぞれ3万を率いる二方面作戦を展開する。


第一王子率いる赤鋼軍1万はロボク王国を攻めるべく進軍しグレンデルより北11里地点にてカヤテ・グレンデル率いる青鈴軍5千と合流、ロボク王国国境にてランドルフ・モルドバル伯率いる諸侯勢1万5千と合流し国境より北に5里のアゾク要塞へ進撃した。


ロボクへ侵入したクサビナ軍は点在する村や町を制圧したものの略奪行為は行わず、クサビナ第一王子の統率力と、そのクサビナ軍の練度、精度の高さを世に知らしめる事となった。


「世に聞くアゾク要塞。此れ程とはな。ユリウス3世のクサビナに対する憎しみを感じるようだ。」


アゾクを目前にした下月末日、軍議の場でエメリック王子はぼやいた。

カヤテも同様のものを感じていた。


要塞から5里の位置に陣を張り、攻城兵器を作成させつつ日夜要塞攻略の為の論議を交わしていた。

アゾク要塞は小高い岩山を削り出し、更にその表層を金属で覆った正しく山の様な要塞で、壁は雲梯が届く高さには無い。要塞までの道も大岩が転がる荒れ地やがれ場があり衝車を近付ける事すら出来ないだろう。


50丈近い高さがあると目測できる金属の壁を突破するのは容易ではない。

只攻めるだけでは全滅は必死であるという意見は首脳3人の中で一致していた。投石機の作成に集中するという結論だけ出てこの日の軍議は終了した。

天幕に戻ると入り口前にシャーニが立っていた。


「カヤテ様。薬師が戻りました。」


「何!?何処だ!」


「呼んで参ります。」


急ぎ足で遠ざかるシャーニを見遣ると付き添いの兵士にカヤテ配下の幹部を呼び寄せる様指示を出す。

やがて幹部がシャーニを除いて全員集まる。

皆陣を張ってから数日間する事も無く待機しており、会戦を心待ちにしていた。


連隊長がシャーニを除いた2人、それぞれの副官が3人、カヤテの副官が2人である。


「お嬢、漸く出陣なの?待ち遠しくて実は今夜様子見に行こうかと思ってたのよねぇ。」


まず怪しい発言をしたのは結婚適齢期をそこそこに超した女、ダフネ・グレンデルである。此の中でカヤテの次に身分が高い。半年前に命を落としたナツネ・グレンデルの姉である。


「斥候に出ていた薬師が戻った。今シャーニが呼びに行っている。」


「あぁ・・成る程ね。それにしてもシャーニちゃん、随分とあの薬師に心を許したものねぇ。先行した15日の間に何があったのかしらねぇ。」


シャーニは先行する前と後では薬師への態度が正反対になっていた。

立場上仕方が無いとは言え、平民に対して差別意識がある彼女だが、途中の村で酔い潰れるまで飲み明かしたとかなんとか。

非常に腹立たしい事である。


「何も無いだろう。森で一体何をすると言うのだ。」


「何って、ねえ?」


シャーニの副官であるデリク・グレンがにやにやと笑い、サルバが気まずげに頭を掻く以外に反応する者は居なかった。


雑談をしていると天幕の外よりシャーニの声が掛かった。

短く、入れと指示を出すとシャーニに続き笠を被った二人の薬師が姿を見せた。


相変わらず目以外を確認する事が出来ない怪しい出で立ちである。

しかし、焦げ茶の瞳でシンカである事はカヤテには分かった。


「戻ったか。怪我は無いか?」


シンカとは20日ぶりの顔合わせとなる。アゾクに一番近い村で合流したのはシャーニのみであった。

そのせいかその身が無事であるか確認をしてしまった。


「ご心配痛み入ります。壮健であります。」


当然の応対ではあるが、敬語を使われると距離を置かれた様で寂しさが内より湧き出てしまう。

目も合うことが無い。カヤテの胸は鷲掴みにされた様に痛んだ。


「で、其の方は此れまで何処にいた。」


「さしものグレンデル軍とは言えアゾク要塞の威容に攻めあぐねるだろうと手立てはないか闇に乗じ探っておりました。」


「へえ、気が効くのねぇ。」


「何か分かったか?」


揶揄するダフネに興味を見せるサルバ。

カヤテもシンカが手ぶらで戻るとは考えていない。


「まず、荒地が広がるアゾク近辺に魍魎は少なく、先のロボク戦の様な偶発的な魍魎襲撃は期待できますまい。今必死に作っている投石機も堅牢で投石対策を入念に施した要塞壁には効果は発揮しないかと。」


「シンカ。お前は何が言いたいの?アゾクは抜けないから撤退しろとでも?そんな事をすれば中央は我らに叛意有りと判断します。」


苛立たしげにシャーニが問うた。

シャーニの言う通り引くことは出来ない。


使いたくは無いが、グレンデル一族秘伝の攻城兵器を持ち出すべきだろうか。


だがあれの情報は漏洩させたく無い。


「この近辺、夜に飛び回る魍魎が居るのはご存知でしょうや?」


「そんなものが。危ないのか?」


不安に思い尋ねるが、シンカはあっさりと首を振った。


「蟲喰蝙蝠という翼を広げても1尺に届かない飛行する獣で、ごく小型の蟲を夜陰に紛れて捕食する。ただそれだけの魍魎ですが、この辺りは特に多い。糞を調べて辿ったところアゾクが作られた禿山にある割れ目に生息しておりました。」


今まで無言で木彫の馬を彫っていたランバート・グレンデーラが目を剥いてシンカを凝視した。

左手の中で馬は真っ二つに折れている。

ランバートは戦と名のつくもの以外に興味を見出さない戦狂いだ。

だが統率力や判断力には優れている為連隊長を任せている。

シャーニ、ダフネ、ランバートがカヤテ麾下の連隊長である。


「割れ目を通り抜けると要塞内部のロボク軍が手を付けていない山間に出ます。剥き出しの岩肌を降れば、軈て兵が犇く構造部に迄辿り着きましょう。」


「それしか無いっ!行くわよぉ!」


ダフネが叫んで槍を掲げた。


「ダフネ様。一人で何処に行く気ですか。そもそも聴いた話、多くの兵が通れるとは思えねぇ。少数で行っても寄って集って挽肉にされるのがおちだ!小鳥の糞程度の希望はあるがそれだけだ。」


ダフネの副官であるグラハム・グレンデーラが吐き捨てた。

相変わらず口が悪い。


「しかし希望はあるか。カヤテ様、全軍による総攻撃と同時に行動すればなんとかならないかい?」


脇に控えていた女戦士が口を開いた。

この糸目の女戦士ウルクはカヤテが幼少の頃よりずっと護衛を担っており、今は副官となっている。


半周り程歳上の彼女をカヤテは姉の様に慕っている。


「仰る通り、敵に見つからない様考慮するのであれば20が精々でしょう。」


自分に出来る事は此処までとばかりにシンカは口を噤んだ。

彼は旅の薬師で、確かに森や魍魎には詳しいが軍事の専門家では無い。

後は我々で考えるべきだろう。

結論が出ないまま会議を終えるとその日は就寝した。


翌日の軍議で威力偵察を行う事が決定した。

実行は5日後だ。


部隊は先鋒を諸侯勢とし、その後ろで青鈴軍が行法での補佐及び投石機の有効性の確認。赤鋼群は後詰めと言う形である。

実質的な目的は雲梯の必要な長さの実測と投石機による要塞壁強度の確認である。


度重なる軍議ではいくつもの案が出ていた。

攻城櫓による接触、土嚢の累積、地下道の掘削。

しかしどの策も無駄な犠牲を払うか時間を要して雪が降り、引き返す羽目になる事が予想された。


こうした背景の元威力偵察は決行された。


開戦と共に青鈴軍要する投石機による巨大な岩石の投擲が始まる。対しアゾクも同じく投石を開始する。

青鈴軍は風行兵により岩石の落下地点を調整しこれを悉く回避。一方のアゾクは金属で覆った岩肌がこれを弾いた。


度重なる投石は人的被害を殆ど出す事なく継続される。

攻城にあたる諸侯勢は衝角や雲梯を運びながらの進撃であったが、車輪を用いて転がす衝角は荒地に動かす事ができず直ぐに下げることとなった。

諸侯勢が矢の射程に入ると行兵が風流陣を展開し矢を防ぐ。


時折要塞壁から散発的に火行の炎弾が打ち出されるが、それだけである。


行兵は余り配備されていないと考えられる。

しかしこちらからの行法は高い壁の前に効果をなしていない。

当然、矢も届かない。

そうこうしているうちに要塞壁に先陣が取り付き雲梯を立てかけ始める。


アゾク側は油や岩石を落として対抗する。

始めの一つは火行兵が焼き落とし、次に続いた二つは岩で破壊される。


しかしそれ以降は弾幕を張り続々と雲梯が立てかけられて行く。

戦場から土行兵を求める指示が飛ぶ。

立てかけられた雲梯は10丈も壁上に足りていなかった。


盾兵に護衛され、風行兵に護られた土行兵が壁下に辿り着く。

行兵が地に手をつくと周辺の大地が盛り上がり、徐々に雲梯が迫り出されて行く。

数人の行兵が交互にそれを行うととうとう要塞壁上に雲梯が届く。


土行兵が壁際の土を盛り上げている頃、岩山に掘られた坑道に諸侯勢が集っていた。


坑道には分厚い金属の扉が取り付けられており、破城槌を運ぶべく奮戦していたが、特火点からの行法や矢の掃射で思う様に進めていなかった。低い位置にある特火点は土行兵が地を隆起させて塞いでいたが、高い位置までは手が回っていなかった。


戦闘開始から3刻、破城槌は4台破壊され、雲梯は10台以上を失っていた。

しかし土行兵は要塞壁近辺を地均しし、衝角や攻城櫓用の搬送路を確保していた。


要塞壁際には諸侯兵の死体が積み重なっていた。

岩に頭を割られるか、矢が突き立つか。或いは雲梯を登りきりその先で斬り殺されたかであったが、死んでいる点に変わりはない。


時折青鈴軍の炎弾一斉射撃もさして効果は見せず、依然としてアゾク要塞はその強固さを示し続けていた。


ランドルフ・モルドバルは門前に散らばる死体を積み上げて塹壕戦を行うべく指示を出してはいたが、上手く運んでいなかった。


軈て夕刻となり、攻撃を取り止めたクサビナ軍は自陣に撤退を開始した。


シンカはすべての様を岩山の頂で眺めていた。ナウラはカヤテに預けており、ただ一人強い風に吹かれながら戦場を、そして砦の内部の様子を高所から見下ろしていた。


夕刻になりクサビナが撤退すると夕闇に溶け込む様に身を潜め、砦の外に続く岩の割れ目に身を滑り込ませた。


蝙蝠の住処は糞や体臭で異様な匂いを発している。

呼吸を抑えて糞が付着しない様気を付けながら抜け、要塞の外に出る。

ここの所シンカは正体の分からぬ焦燥感に突き動かされていた。


しかし要塞の近辺に伏兵が潜んでいる形跡も、罠が仕掛けられている形跡もなければ援軍が向かっている気配も無かった。


夜襲に関しても、カヤテは当然ながらエメリック王子やランドルフ伯も斥候を立てて警戒しており、シンカが出る幕の無い状態であった。


見た所本日の被害は千程度で、戦略的には想定の範囲内だろう。

ランドルフ伯以下の諸侯としては次期国王と目されるエメリック王子の前で手柄を立てるべく奮戦していたにも関わらずこの程度の被害で済んでいるのは、一重に青鈴軍行兵の練度の高さ故だろう。


諸侯勢とは異なりカヤテは一兵も失う事なくグレンデルの力を見せ付けたという事だ。

今日のアゾクの動きを見る限り、ロボクは要塞に立て籠もって守り切り、冬を待ってクサビナが撤退するまで粘る積りなのだろう。

其れを察知したクサビナ軍は陣を寄せて更にアゾクに迫るだろう。


実際遠目から見る限りクサビナ軍はアゾクから2里の位置に留まっていた。

その近辺に陣を張り直すのだろう。

シンカは岩山を降り荒地に出ると、森を目指した。

森は人間同士の諍いの気配を感じ、浅層から魍魎の気配が消えていた。ただ、それよりも奥からのじっとりとした伺う様な気配も感じられる。


夜になれば鬼が。それも大型の鬼が屍を求めて出て来るやもしれない。陽が落ちかけた、ほぼ闇と変わりない視界の中シンカは森を移動して行く。

移動された本陣に近付いてくると歩哨の目を掻い潜るため木陰に潜んで様子を伺った。


そこで初めて違和感の正体に気付いた。


森に慣れたシンカであればその痕跡を元にどの様な魍魎がどの程度生息しているかが分かる。

具体的に述べれば、アゾク周辺の土地は貂が多く生息している。


劔貂という黒い獣である。体は2尺程で小型。警戒心は強いが獰猛で人が襲われる事も稀にある。雑食であり主に小型の蟲を捕食する。


この辺りにはこの劔貂の体毛や糞の痕跡が多く存在しているが、シンカが今潜んでいる近辺はひと月以上前の痕跡が残るのだけで新しい物は残っていないのだ。


アゾク要から程近い森であれば今朝残された糞が存在した。

昨日迄クサビナ軍が陣を張っていた近辺であれば10日程前であった。

後者は近隣にクサビナ軍がやって来て陣を敷いた為、警戒心が強い貂が巣を移動させた為だと考えられた。


しかし、今陣を張っている位置であれば如何だろうか?

杓子定規に考えれば、今朝の行軍時に逃げ出している筈で、当然今朝までの痕跡が残る筈である。


「・・・」


じっとりと汗ばむのがわかった。

この辺りで貂が巣を変える何かが一月前に起こったのだ。


では何が起こった?


分からない。シンカには分からなかった。

四半刻考えたものの答えは出なかった。


念の為クサビナ軍が陣を張っている周辺の森全てを探索したが状況は同じであった。

何かがあるのだ。だがその原因が分からない。

探索を行った為既に日は完全に落ち、陣営には松明が焚かれて煌々と輝いていた。

原因が分からない。

どいうことか考えた。


森で原因を探しているが、分からない。

森に原因がない?

地面を調べていたシンカは徐ろに立ち上がると本陣に向け駆け出した。

森に原因が無いのであれば森以外に原因がある。

つまりこの土地だ。


一月も前に今クサビナ軍が陣を張った大地に何か、貂を避けさせる出来事が行われたのだ。

貂は犬や狼と系列を同じくする。

匂いに敏感な魍魎でもある。

森から躍り出たシンカは駆けて陣に近付き、口当てを取って顔が土に汚れる事を厭わず匂いを嗅いだ。

何か、匂いがする。だが何かわからない。


短剣を抜き地面を掘り返す。少し掘ると匂いが強くなった。硫黄の匂いだ。

シンカの勘がこれであると訴えた。

少し掘ると周辺の赤茶けた土とは明らかに異なる黒い砂状の物体が目に付く。


「こ、これは!」


思わず声が出た。

シンカはこれと同じものを以前一度目にしたことがある。


東方の長大な白山脈を越えて、それよりも更に東。

雲を貫く険しい峰々がある。青金山脈と呼ばれるそこは、名前の通り鉛を多く含む山々である。

青金山脈には鉛の毒を物ともしない灰色の肌を持つ精霊の民が山脈地下に坑道を掘り、巨大な国を作って暮らしている。


彼等は自らをジャバールの民と呼ぶ。


シンカは以前一度だけ青金山脈を訪れた際、ジャバールの民と面識を持ち、そこで暫くの間過ごした。

そこで彼等が山を掘る為に用いる黒い砂を目にした。


黒色火薬と、彼等は其れをそう呼んだ。

今シンカが目にする黒い砂は、見た目も匂いも正しく黒色火薬であった。


シンカは再び立ち上がると猛然と走り出した。

伝令と名乗り青鈴軍陣地に転がり込むとカヤテの天幕に近寄った。

歩哨にカヤテを呼ぶ様伝える。幸い面識のある歩哨であり、また緊迫感が伝播し慌てた様子で取次がなされた。


調度、彼女達は軍議を行なっていた。

カヤテの背後には笠を被ったナウラの姿もある。


「如何した。随分と慌てた様子だが。其の方にしては珍しい。」


「悠長な事を言っている場合ではありませぬ!この場所には罠が張られております。急ぎこの地から退くか、今すぐこの地全てに水を撒きなされ。でなければ多くの兵を失う事になりますが如何!」


「どういう事だ。話が見えぬ。」


「誰か、今すぐ自らの足元を3寸でもいいから掘り返して頂きたい。」

言うと今迄口を開いた所を見たことが無い暗い雰囲気で長身の男が剣を抜き、地に突き立てて地面を掘った。

やはり赤茶の大地に黒い砂が混じっている。


「其の黒い砂を摘み、机の上に置いて火をつけて頂きたい。」


長身の男、ランバート・グレンデーラは無言のままシンカの指示を実行した。

たった一摘みの黒い砂は一瞬だが激しく燃え上がった。


「これは?」


何時もにこやかな表情のシャーニ・グレンの副官が尋ねる。


「これは黒色火薬と言います。」


「何っ!?」


カヤテが声をあげた。

どうやら黒色火薬の存在を知っている様だった。

他にもダフネ・グレンデル、ランバート・グレンデーラ、シャーニ・グレンの幹部筆頭も同じく驚きの様相を見せていた。


「これは青鈴軍の上層部だけが知る機密情報となるが、我等は黒色火薬の製法を入手し、密かに火龍箭と言う兵器を開発し、これを今回秘密裏に携えていた。

私は黒色火薬なる物を直接目にした事は無かったが、話に聞く特徴と一致している。これは非常に危険なものだ。だがこれが・・・いや、まて。シンカ!何故これが我等の足元にあると分かった!何故だ!これだけ広い陣地に我等を狙って・・・待て。待て待て待て待て待て!そう言う事なのかっ!」


カヤテは目を剥き、天幕の中を見回した。


「お嬢、一体どう言う事なのよ!分かる様に説明してくれる?」


大柄な女、ダフネ・グレンデルが問い詰める。

「我々青鈴軍、諸侯勢、そして王子率いる赤鋼軍の足元全てにこの黒色火薬が敷きつめられていると言うのだ!火を放たれれば壊滅するぞ!早く撤退の準備を始めよ!」


その時シンカの脳裏に一つの妙案が浮かんだ。


「カヤテ様、出立の準備の他に一つ、妙案が御座います。」


「・・・なんだ」


カヤテは余程シンカの事を信頼しているのだろう。直ぐにシンカの瞳に自らの翡翠色の瞳を向けた。

「私は薬師であり、戦や軍には詳しくありませぬ。なのでお聞きしたいのですが、今日のアゾクとの戦い後、何故クサビナ軍は陣をアゾクに寄せたのでしょうか?」


「本日の戦、アゾク側は積極的な交戦意思を持っていないと感じたからだ。ランバート伯が進言し、王子と私が同意して陣を寄せた。次回以降はより素早くアゾクを攻めるためだ。」


「何故この位置に陣を?」


「近過ぎず、遠くもない位置だからだ。夜、敵が門を開けて攻め寄せてもこの位置なら態勢を整えることができる。」


「敵がこの黒色火薬に火を付けるなら、私は今夜だと考えています。戦が一旦終わり、疲労が溜まった兵士は気を抜く。斥候さえ立てておけばと皆思う。」


「その通りだろう。私でもそうする。・・・反撃か!」


「火薬に火を点けるだけで罠が終わりな訳は無いですね。繰り出されたアゾク兵を返り討ちにする訳ですね。」


シャーニが同調する。


「然り。同時に暢気に成果を待っている頭が良い軍師様の顔を直接見に行くと言うのも、夜襲で人が掃けた時分であれば可能なのではと愚考いたしますが如何。」


「私が行くゾッ」


ダフネが背負っていた短槍を振り回した。

隣に居た副官のグラハム・グレンデーラが身を屈めて躱し、舌打ちをした。

「恐らく夜襲撃退後は会戦となろう。敵の首脳を抑えれば被害も減る。私は無理だが・・ランバート、ウルク。精鋭20人を率いてシンカに道案内をさせろ。」

「いやだぁぁぁぁっ、私が行くぅっ!お嬢、何でっ」


「そんなだからだ。」


「ダフネ様、いい歳して騒ぐしか出来ないなら地面の上で槍を振り回してる方が周りの為なのでは?」


「大人しくするからぁ」


「・・・後で根に持たれそうだ。薬師の忠言に耳を傾けると約束するならば。」


「勿論よぉ。」


「・・・。他には?」


カヤテが見回すとシャーニが手を挙げた。


「私も同行致します。」


「ならん。連隊長が二人も抜けるなど。何かあったら何とする!」


「これは危険な賭けです。まかり間違えば潜入組は全滅でしょう。だからこそ私が行きます。私はこの中で一番器用です。」


「確かに鈴剣流、王剣流何方も礼位を持つお前は器用だと言うことは認めるが。」


「夜襲の件、これは箔が欲しい王子が対応するでしょう。攻城は引き続きランドルフ伯が。であれば青鈴軍も引き続き攻城戦の補佐的な位置付けとなる筈。カヤテ様とランバート殿が居られれば問題は無いかと思われます。」


「分かった。では直ちに支度をしシンカと供にアゾクに潜入せよ。」


「は。」


ダフネがにたりと笑った。

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