成就


打ち合い初めて早一刻。

カヤテと王剣流剣士3人との闘いは終始カヤテが押していた。


度重なるカヤテの強烈な剣戟にクロード、ヘルガー、ヤニスは握力を奪われ更には青白く輝く炎剣と打ち合う事で剣身は加熱され持ち手からそれを握る籠手まで熱されて熱傷を負っていた。

その上で尚、3人は巧みに衝撃を流して防ぎ続けていた。


周囲を取り囲む3人へ向けてカヤテはまるで剣舞の様に乱れなく豪剣を打ち込んでいく。

彼らは受ければ受ける程不利になる事を理解してはいても、退く事は許されなかった。誰か1人が退けば猛攻を受けて残りがすぐに沈められる事が明白だったからだ。


それと同時に3人はひたすら凌ぎカヤテが疲労して剣戟が鈍るのを待っていた。

しかしそれは見込違いであった。


一刻打ち合い、その合計たるや5千合にも及んだ。

それ程の間休み無く打ち合うなど通常考え難い。


これは2つの理由で実現していた。

1つは剣。カヤテが振るう朱音は特殊な鉱石で作られ、また衝撃が持ち手や腕に伝わり難い構造となっていた。

1つは経。シンカに経を肉体に作用させる術を教わり心肺機能と筋力を底上げしていたのだ。


剣の消耗を気にせず良く力付くの闘いを可能とし、またその影響を肉体が受けることも無い。

カヤテは未だに余裕を持っていたのだ。


しかしそれでも尚王剣流剣士3人を打ち倒す事は出来ていなかった。

奥義や行法を行う隙は与えられなかった。


カヤテは直後自分の闘いを後悔する事となった。

4人に囲まれたシンカは直前まで危なげなく戦っていたが、囲みを突破する為に使った奥義の後立て直す前に追撃を食らったのだ。

全てを防ぐ事適わずシンカの残る右腕が重たい音とともに切り飛ばされた。


直後、クチェという男の剣がシンカの左脇から突き立てられ反対側に抜けた。

外套の下で避けているなどと言う甘い考えをカヤテは持たない。

凶器から滴り落ちる血液、肉を貫く鈍い音、その全てがシンカが害され、致命傷を負った事を表していた。


位置的にも間違いなく。

即死である。


「おのれっ!下衆ども!」


自爆してでもこの者達を殺す。

カヤテは歯を剥き出し攻撃を更に苛烈なものとした。




ナウラとヴィダードは終始お互いを支援しながら敵を圧倒していた。

ウゴとニコラが槍の間合いでナウラに攻撃を仕掛け、後方からギョームとキリアンが行法を行う。

足元から突き出た石筍をナウラは躱し、それを斧で砕いて敵へ飛ばす。

ウゴとニコラは直撃を避け、すかさずキリアンが鎌鼬を飛ばす。


ヴィダードが冷颪で風の刃を打ち消し更に突風で槍使い2人を吹き飛ばす。

伏してヴィダードの起こした突風を躱したギョームが躍り出てナウラへ斬りかかった。


突きを斧の柄で逸らしたナウラに対し返した槍の反対側、薙槍の刀刃で足元を狙う。

望槍流の動きに慣れないナウラではあるが、それを理解したヴィダードが短剣で攻撃を止める。


ナウラは斧をギョームへ向けて斧を振るうが退がって躱された。

その時には飛ばされた後に体勢を立て直したウゴとニコラが左右を挟むようにナウラへ迫る。ナウラは右のニコラに向けて赤く輝く熔岩球を吐き出した。

赤釣瓶だ。

躱したニコラに向けてヴィダードが両手を突き出す。

危険と見てニコラが咄嗟に身体を投げ出した。

直後衝撃音と共に石床ぎ丸く陥没した。

左から迫ったウゴはナウラに奥義を繰り出す。

春槍流奥義、五駿。瞬きの隙に5度の突きが放たれる。

ナウラはそれを引きながら斧の柄で捌き、返す刀槍を狙って薙ぎ払った。

ニコラの斧が曲げられたのを見ていたウゴは後退して躱した。


その時、ナウラとヴィダードの右手、カヤテの向こうで苦闘していたシンカの腕が切り落とされ、シンカの身体が刃に貫かれた。


「ナウラ」


「分かっています。」


ナウラとヴィダードの間に最早会話は不要であった。


にやつく男達に向けヴィダードが手をかざす。

風行法 雪喰み。

強い暖風が吹き付ける。そこにナウラが息を吐いた。

火行法 秋霧。

火の粉を伴う熱波がヴィダードの雪喰みに後押しされ凄まじい勢いで叩きつけられた。


「くあっ?!」


「っつ!?」


秋霧はナウラがカヤテに教わった行法であった。

発生は早いが致命傷には程遠い。

しかし大きな隙を作るには十分であった。




「づ、ああっ!?」


クチェ・アイスは絶叫を上げた。

何が起きたか瞬時には理解出来なかった。剣を握っていた左手が強烈な痛みを覚えていた。

見遣れば五本の指の内小指を除く4本があらぬ方向に曲がっていた。

クチェは剣の柄から手を離す。

信じられない。握り潰されたのだ。

しかし誰に?


見れば竹割にされた筈のシンカの左腕は血に濡れているものの怪我をしている様子も無い。


「死ね!」


キールがシンカの首を刎ねんと剣を振った。

ヒーロ、ユーリがそれに続く。


初めに動いたキールの身体が魚が跳ねるように幾度も揺れた。

シンカが吐き出した水蜘蛛針が風に吹かれた紙切れの様にキールの身体を揺さ振り全身を穿った。

最後は識別出来なくなる程頭部を粉砕され湿った音を立てて地に伏した。

ユーリとヒーロも棒立ちになっていた訳ではない。


シンカに2人で攻めかかったが両足で確と地を踏みしめたシンカの、無手の左手に防がれたのだ。

剣を素手で萎されたのだ。


キールを殺し終えたシンカは身体に紫電を纏わりつかせる。

危険を感じ、2人は大きく引き下がった。


「キール!?」


「糞っ!糞っ!?」


「ユーリ!キールが!」


「僕達は確かに彼奴の左腕と右脚を潰した筈だ!それに、あの剣。矢張り身体を貫いている!不死身なのか!?」


三つ子は長年、母親の胎内より時間を共にしていた兄弟を失い激しく狼狽していた。

シンカは胸に剣を串刺しにしたままうっそりと嗤った。


「・・胸を確実に貫いた。心臓も、肺も。何故立って居られる?手も足も。何故だ?」


クチェが疑問を口にしながら転がっている剣を拾う。

シンカも悠々と転がっている自分の右腕を拾い上げた。その手には未だ翅が握られている。


「如何してこんな事に・・。僕達はただ自由に生きたかっただけだ!」


シンカの頬が大きく膨らむ。


「来るぞ!」


3人が体勢を低める。

シンカは足元に水条を吐き出した。


床石を切断しながら白糸はユーリに走る。

避けようとしたユーリだったが、シンカは首の振りを早め仕留めに掛かる。


咄嗟にユーリは剣を構えて防ごうとしたが、剣は断ち割られ、後を追ってユーリの股間から頭頂まで一直線に水線が駆ける。


「嘘?」


一言を残し、ユーリは割られた薪の様に左右に分かれ、その断面を晒した。

転がる剣を拾いクチェが右手で構える。潰れた左手は手持ち無沙汰にぶらりと下げられていた。


「・・ユーリ・・・如何してこんなに酷い事を僕等にするんだ!」


目と歯を剥き出しにしてヒーロが吼える。

何を言っているのか良く分からない。鼻で笑った。


「どう見ても身体の中心を穿っている。本当に人間か?鬼では無いのか?」


「脚も腕も普通に使えてる。・・・こんなの可笑しい・・」


「血は間違い無く出ていた。・・まさか、あれ程の傷を治せるのか?・・・そう考えれば確かに・・途中まで左腕も右脚も使っていなかった。あれは治療していたのか。」


クチェの読みは正しい。

シンカは外套の内側に常日頃から薬を仕込んでいた。

4人の攻撃を躱し、防ぎながら治療を行った。


戦陣突破を使ったのは布石であった。

奥義を使う時には既に必要分の経を練り終えていた。

シンカは敢えて隙を見せたのだ。


思惑通り敵はシンカの命を奪うべく心臓を狙ってきた。

脇から貫かれた剣の軌道にある臓器は体内の水分を凍らせて氷柱を作り出し、臓器を剣の殺傷範囲から避けていた。


シンカが貫かれたのは皮膚と筋肉だけだったのだ。

その軌道すらも巧みに体位を調整して導いていた。


だが敵にはそうは映らない。


「死ねええええええっ!」


駆け寄るの剣を潜り避け左手を胸に押し当てた。

ヒーロの背が小さく丸く破れ、心臓と脊椎の一部が湿った音を立てて石床に落ちた。

まだ体から切り離された事を理解していない心臓は三度程脈動し動きを止めた。


「か・・・死にた・・・・」


「死ね。」


ヒーロの身体を激しく蹴り付け、様子を伺うクチェに飛ばした。

クチェは這い蹲ってそれを躱すがその隙にシンカは行法を行なっていた。身体をくの字に折って口腔から息を経と共に吐き出す。


経は唾液中の水分を増幅させつつそれを氷結させた。

ゆっくりと吐かれた経は氷柱となりまるで庇から伸びる氷柱の様にシンカの口から垂れ下がった。

それをへし折って手に取ると短槍の如く肩に担ぎ狙いを定めた。


「・・・!」


投げられた氷槍を斬り払わんとクチェが無事な手で曲剣を構える。

シンカは床を蹴り柱を更に蹴って高く跳ね上がると左に担いだ氷槍を投げ付けた。


「・・・糞。春槍流まで。」


クチェの剣は弾かれて飛んでいき、身体を氷の槍で太い柱に縫い止められた。


カヤテは刺し貫かれて尚動き続けるシンカを見て瞠目した。

魍魎の蟲などは首だけとなって尚動き続けることがあると言うが、将にその類かと疑ってしまう。

一度疑ったものの肌を重ねた暖かみ、伝わる心音を思い起こせばあり得ぬ話。


見れば腕や脚すら治癒している。

だが危うかった事に変わりはないだろう。

何か一つでも釦を掛け違えていれば、シンカの命は無かったであろう。


加勢できなかった自分が情けなかった。

であれば、これ以上情けない姿は見せられない。

相手は武器を取り落とした女を囲んで袋叩きにする屑達だ。


カヤテは右方のヘルガーに改めて強烈な縦斬りを放つ。


「ぐぅぅ、く!」


次いで左方のクロードに横薙ぎの一撃を放つ。


「ぬ、ぅぅぅ!」


その薙は同時に火行法の導入でもある。


「山茶火ぁ!」


拳大の火球が大量に浮き出る。


「不味いな。」


ヤニスが呟く。刹那の後火球が一斉に疾った。

ヤニスを狙い無数の火球が立て続けに疾る。


舌打ちをしながら後退し、始めの3発を躱すが4つ目から王剣流奥義中洲を用いて捌いて行く。

残る2人、右のヘルガーと左のクロードは行法を起こした僅かな隙を見逃さなかった。右のヘルガーが素早く迫り上段から斬り落とす。

やや遅れながらもクロードが合わせて胴を薙いだ。


カヤテはヘルガーの斬り落としを剣で打ち返した。

クロードは片頬をひくりと釣り上げて嗤った。

クロードの横薙ぎがカヤテに直撃するその瞬間、カヤテはするりと老武人の懐に背中から滑り込み、肘を差し入れて振るわれた腕に押し当てた。


「何と!?」


慌てて距離を取ろうとするクロードであったが時は遅い。


「割波!」


振り返りざまに放たれた奥義が老武人に放たれた。


千剣流奥義の雷光石火、岩断ち、波割はその効果が一見似通っている。

豪剣により対象を断ち切るという効果だ。足運びと体捌き、幾度も振るわれた剣筋は剣の最大加速時、加速位置にて通常では考えられない物をもあっさり斬り断つ。


岩断ちは硬質な対象を切断する為に用いられる技だ。替わりに斬り方に気を使う為剣速はさして早くは無い。


雷光石火は目にも留まらぬ速さで対象全てを断ち切る。替わりに予備動作が大きく止めるのに労を要さない。しかし一度放たれれば回避は難しい。


割波は予備動作が少なく発生が速い。剣速も速いが、しかし威力は小さい。

急所に受ければ致命的だが防げば問題は無い。


クロードは剣を立てて奥義を防ごうとした。


この時クロードは失念していた。

自分が闘っている相手がどの様な人物か。

今まで何を成してきたか。


赫兵カヤテは齢9つにして初陣し、数年後には2つ名まで冠する闘いの申し子だ。

天才だ。

そして才に胡座をかくことなく弛まず努力をして来た。


加えて今や数千年に渡り体系立てられた体術をも取り入れ、他流派の技すら体得しつつある。


赫兵カヤテの割波は板金鎧とその中身すら両断する。

振るわれた剣はクロードの剣を斬り割った。


「ぬぉっ!?」


咄嗟に身を仰け反らせて回避を試みたクロードであったが避け切るには不十分であった。

身に纏っていた石喰魚の鱗鎧が袈裟に斬られて鱗が弾け飛ぶ。

刹那の後に肉を斬られて出来た傷口から血液が散り床を揺らした。


「・・・流石・・・見事!」


老武人はどうと床に倒れ込んだ。


「はあああああああああああああっ!」


気合いを入れたカヤテはヘルガーに向き直る。

一撃、二撃、三撃と立て続けに斬り落としを放つ。

中洲で受け流すヘルガーであったがカヤテは叫びながら攻撃を続けた。


怒濤の剣。

カヤテの怒濤の剣は一息の間に7度、都合80合にも及んだ。

加えてその刃は青い炎に包まれていた。

防ごうとしたヘルガーとの剣戟により激しく連続した金属音が発生した。


「ぐ、お、おおおおおっ!?」


ヘルガーは呻いた。

ヘルガーの鎧は削られ、剣は徐々に打たれて曲がっていった。


「おっ・・・・」


たった20合でヘルガーの剣は弾き飛ばされ、瞬時にしてほぼ同時に具足と籠手に護られた手足を斬り断たれて騒々しい音を立てて石床に沈んだ。


「・・お、俺の手が・・・足が!?これじゃもう剣が・・!?・・・・糞がああああああああああっ!」


「お前の爪先には血が付いていた。ユタの顔をその具足で蹴り付けたのだろう?お前の剣には血が付いていた。ユタの背を背後から斬ったのだろう?お前の様な卑劣な男に手足は要らぬ。」


呆然とするヘルガーを尻目にカヤテはヤニスに向き直った。

ヤニスはカヤテの山茶火を防いでいたが、身に纏う赤毛暴れ牛の皮鎧は所々焦げ付いていた。

右方ではシンカが三つ子全員を討ち取っている。


「護岸のヤニス。お前は部下を好き放題させ過ぎた。纏め束ねるも長の務め。部下の責は上長の責。幾らお前の腕が立とうと関係無い。自由にやって来たつけ、税の納め時、皺寄せだ。・・千剣流徳位、カヤテ。」


「・・王剣仁位、ヤニス。小娘に説かれる道理など存在しない!」


「この歳だが、粗方の事は経験した。死別も、苦労も、危機も、挫折も。ふふ。経験していないのは出産と自らの死だろうな。」


ヤニスは無言で油断なく剣を構える。

脚は八の字につま先を開き、どっしりと腰を落としている。剣は正眼。青堅鋼の剣を両手で握りしめて鋭い視線を送っている。


油断の無い構えだがシンカに森渡りとしての手解きを受けたカヤテにはヤニスの心境を推し量ることが出来ていた。

滝の様に流れる汗は激しい挙動のものだけでは無い。

視線のふらつきは不安を表し、微かに震える脚は興奮では無く恐怖を物語っている。

眼力強く相手の目を覗き込めば明らかな怯えの影を読み取ることが出来た。


カヤテは左足を前に、踵を開いてやや前傾に姿勢を取る。

剣は右手を前とし左手に添える。

攻撃的な構えだ。

名は倒木の構え。

まるで倒れる直前の木々の如く前傾で張り詰めている事から付けられている。


そして右足を蹴り、直ぐ様左脚も地を蹴った。

瞬き程度の僅かな時間でカヤテは10尺の距離を動いていた。

姿勢は万全。


「雷光石火!」


ヤニスはカヤテの奥義を遮ることが出来なかった。

仁位の千剣流剣士が放つ雷光石火であれば何らかの対策を取る余裕はあっただろう。

だが徳位の、いやカヤテの雷光石火は防げなかった。


袈裟に斬り落とされた朱音はヤニスの剣を鮮やかに断ち、そのままヤニスの頭を右の顳顬から左の口角までを流れる様に走り抜け、到頭命を奪った。一刻半もの長い剣舞であった。




ヴィダードの目が怪しく光った。

炯々と不気味に輝くその目は一見何処を見ているのか分からない。


ヴィダードは表面上落ち着いて見えてはいたが、その内心は首を落とされた大蛇の如く暴れのたくっていた。


自分の仲間、それもお導きが降ったユタを嬲り犯そうとした男達を前にイーヴァルンの民として正しく怒りを覚えていた。


因みにヴィダードはユタがシンカに導かれていると勘違いしている。


そしてそれ以上に、自身の伴侶を傷付けられた事に常人には到底再現や共感不可能な程度の怒りを抱いていた。


一方ナウラは性格の違いか、怒りの度合いはヴィダードよりも低くはあった。

代わりに不安を多く抱えていた。

シンカに死んでほしくない。彼がいなくなれば。

ナウラは根底でシンカに寄り掛かり自身の心の一部を半ば預けている部分があった。


シンカが刺し貫かれた時、初めは驚いた2人ではあったが、呼吸が行われている事と脈拍が続いている事をいち早く察知し、平静を保ったまま戦闘を続けることが出来た。


ヴィダードが本来得意とする戦術は超長距離からの狙撃による一撃必殺である。接近戦等を行う時点で一手下手を打っていると考えても良い。

しかし、だからと言って近距離では戦う手立てが無いと言うわけではない。

ヴィダードは興味を持つ対象が極めて少なく、それらに対しては頗る無感情ではあるが、その琴線に触れる出来事があれば只管に、直向きに、ひた道に思い続ける。

それは善かれ悪しかれである。


一度愛せば脇目も振らず、自身よりも相手に重きをおく。

一度憎めば如何なる手段を用いてもその命を奪うだろう。

粘り強く、執念深く。時間を掛けてでも。


ウゴ達4人は初め其れには気付いていなかった。

ただの疲労としか考えていなかった。

彼等とて決して弱者ではない。

高々1刻半斬り合った程度で息を切らせることはない。

だが気付かぬ内に身体には負荷が掛けられていた。


風行法 五重陸甲

それがヴィダードが行使していた法であった。

周囲の空気を圧し徐々に敵へ掛かる負荷を高めていた。

とても残酷な法であった。


闘い続ける内に彼等は呼吸を乱し、胸を押さえ、痛む関節に苦しんでいた。

ナウラが主となり闘い、ヴィダードが真綿で首を絞めるように徐々に、気付かぬ内に攻撃を行っていた。


側から見ればナウラが主となり攻め、ヴィダードが支援する形に見えていただろう。

だが現実は逆だった。

ナウラがヴィダードが行法を行う為の支援を行っていたのだった。


そして到頭止めを刺すべくヴィダードが両手を突き出す。

その目には渦巻く激情、赫怒が湧き出し、溢れ出でるかのようであった。


風行法 薄気離。

苦しみながら様子を伺っていた4人は咄嗟に転がりヴィダードの行法から逃れようとした。

ギョームは土壁を作り出して風の刃を防ごうとした。

まず、ギョームが破裂した。

彼の鍛え上げられた肉体はその硬い筋肉をまるで役立てる事なく文字通り爆散した。

赤い肉片の雨が周囲に降り注いだ。


ナウラは地に手をついて天幕を起こすと2人の体を赤い雨から庇った。


「ぐぅぅぅぅぅおおお、ああああっ!?ああああああああああっ!?どぅ、ぎいいいいいいいいいぃぃぃぃっ!」


耳障りで醜悪な絶叫を上げてニコラがのたうち回った。全身の穴、それこそ毛穴からも血を流し、悪霊に祟られた、鬼もかくやと言う有様であった。


数年前、アケルエントの高名な行法学者がある研究を行った。

彼は水行法と風行法を扱うことが出来る優秀な宮廷行法師であった。

彼は行法を用いて水中に潜る実験を行った。

エラム大湖に潜り、その水深を確かめようとしたのだ。


結果は彼の死亡で終わった。

彼の死に様は口から血を吐き、胸を掻き毟り、顔は鬱血していた。

今まさにウゴとキリアンに起こっている症状であった。

この病は深水病と名付けられた。


実際今キリアンが苦しんでいる症状はそれが数十倍も悪化したものだった。

薄気離は行法の起点から一定の距離、球状の空気を完全に消失させる技である。


直撃すればギョームの様に体の気体、液体が吸い出され爆散することになる。

一方で五重陸甲での負荷は深水中で身体にかかる負荷と同程度の物であった。

そこへ急激にその負荷を軽く、寧ろ反転させたことにより体が不調をきたした。


ニコラは法に程近かった為致命的な損傷を体が負っていたのだった。

逃れようのない残虐な一手であった。


転げ回る男を見てナウラは無様で醜いと感じた。

人間は醜い。


里を出てそれは実体験としてナウラの中に積み上げられていった。

だからこそそんな中に輝く数少ない善良で魅力的な人物達の存在はかけがえが無いのだ。

彼等を失ってはならない。


「汝等!・・ぐぅ、我らに、何を・・」


顔色悪く息を荒げ立ち続けようと懸命に気力を振り絞るウゴ。


「息が・・・毒か?」


片膝をつき胸を押さえ脂汗をかくキリアン。

その時右方で強力な行法が行使された。

シンカが串刺しのまま三つ子を立て続けに屠っていた。

一体何がどうなって串刺しのまま呼吸も脈拍も続けているのか全く理解できなかったが、動きに鈍りはない。


最後に斬られた右腕も接続が終わり流血も無い。

不気味すぎる。どう考えても人間業ではない。

ともあれ、それはナウラに取って悪いことでは無い。


長く共にいられると言うことなのだから。


「仮に毒だとしてもユタを囲んで嬲った貴方方が何を言えるものでしょうか?」


何かを答えようとしたキリアンだったが、その前にヴィダードの矢が喉仏に突き刺さり目から光が消えた。


「俺達が・・・護岸騎士団の主力である俺達が・・・たったの4人・・・に・・。・・・辞めろ・・・そんな事をすれば・・・。」


ナウラが振りかぶった斧が瓜を割るかの様にウゴの頭を軽々と割った。

ナウラは振られた斧が石床にぶつかる前に留めると斧を振るって刃から血糊を飛ばした。

ナウラとヴィダードは背後に控えていたシラーとファラに武器を向ける。

カヤテもそれに続いた。


「待て。私達はお前達とやりあう気は無い。」


「仲間を傷付けた貴女達を許す気にはなれません。」


シラーが武器を置いて両手を上げた。

しかしナウラは斧を構えたままじりじりと間合いを詰めた。


「ヴィダード。貴女なら分かるでしょ?私達は彼女に危害を加えて無いわ。」


「止めなかったのなら同じ事でしょお?」


「やるしか無いの?」


「流石に無駄死にだぞ・・」


躙り寄る3人だったがふらりとシンカが歩み寄り遮った。


「八つ当たりはよせ。」


「シンカ!ご無事ですか!?」


「何処をどう見れば無事に見えるのだ?」


シンカに駆け寄る。

全身自身が流した血に染まり、多くの血を失っているはずだ。


「貴方は実は渦虫の生まれ変わりだったりするのでしょうか?」


「おい。」


身体に剣を刺したままの会話は違和感がある。

シンカが懐から取り出した薬剤の小瓶を煽る。増血薬だろう。

腕や脚は既に傷が塞がっている。


「一体どうなっているのですか?これなら幾らでも他所の女に手を出せる訳ですね。」


「何を言っているのか分からない。解説してくれるか?」


「貴方を刺しても問題無い訳ですから。」


「全然冗談になっていないのだが。俺は何かお前を怒らせる様な事をしたか?」


身体に刺さる剣の柄に手をやる。

ナウラはそっとシンカの頬をさすった。


「抜きます。」


ヴィダードが傷口に布を当てる。

ナウラは剣を引き抜いた。

シンカは呻き声一つ上げない。

刺し傷からは僅かな血しか流れなかった。血管をそれている様だ。


「ナウラ。」


「ええ。」


ヴィダードに薬を渡す。

それを衣類を肌蹴させて傷口に塗り込めた。直ぐに治るだろう。

漸くナウラは人心地ついた。

次はユタの番だ。




血を大分失ったのか視界が霞む。

だが立っている。

努力、経験、才能、幸運。闘いを命運づける要素は多々あれど、最後は意志の強さが物を言う。

4人全員を相手取り負け得ぬ事ははなから確信していた。


自分が傷付く事は構わない。

だが伴侶や弟子が傷付く事は恐ろしい。


一人で森を歩んでいた時と比べて自分は弱くなった。

弱みが増えた。気に留め気を使い守る相手が増えた。

それは弱さだ。

だが今更捨て去る事は出来ない。


嘗てのカヤテの様に立場や身分、居場所が異なれば守ることすらできない。

守る為に態々敵地に踏み入れなければならない。

カヤテが居なければその様な危険はそもそも犯さなかっただろう。


ユタの様に一人居なくなれば、やはり守る事は出来ない。守りたくとも側に居なければどうする事も出来ない。


襤褸布の様に横たわるユタを見て複雑な怒りが湧く。

彼女を傷付けた者への怒り。自分に何も言わずに一人で愚かな真似をした事への怒り。


自分は頼りないのだろうか?信頼し、重荷の片棒を預けるには相応しく無いのだろうか?

しゃがみ込み、くしゃくしゃに乱れ絡まる髪をかき上げて頭を撫でた。

ぬるりと手が汚れる。

腫れた瞼、痣の付いた頬、血の滲む眼球。それらが痛々しく映る。


「・・ごめん・・ね・・」


掠れた声が微かに耳に届く。


「許す。」


ユタの腫れて塞がった瞼から涙が溢れ、石床に染みた。

頭を撫でる。手には経を纏わり付かせている。

頭蓋内の出血は確認できない。背に手を当て脊椎の様子を確認するが此方も損傷は無い。

体を仰向けにし、外套、小袖を肌蹴る。具足で蹴られ、体の至る所が内出血し、肋骨も左右合わせて5本が折れている。


ユタの裸を初めて見た。

白い肌に浮き上がる筋肉に薄っすらと乗った脂肪。そこにどす黒い痣が出来ている。

痛々しい。

臓器も損傷している。


肋骨の骨折は湿布で、内臓の損傷は内服薬と薬鍼で修復を図る。

体の様子を確認する。

背の十字の深い切り傷の他に両腕が骨折している。

左手に至っては踏み付けられたのか指があらぬ方向に曲がっていた。


「痛むぞ」


腕を伸ばし、此処にも湿布を貼る。


「うああっ!?」


痛みに声を上げた。

腕を固定し、指の治療に掛かる。

丁寧に伸ばして湿布を巻きつけた。

避けた爪の間に軟膏を塗り、剥がれかけた爪の間に軟膏を塗り手当をする。


「腹はまだ痛むか?そろそろ治癒する筈だが。」


「・・もう、痛く、ないよ・・・」


「うん。」


時間を置いて様子を確認し、鍼を抜き体を返して強力な傷薬を背中の傷に塗り込めた。

何年も前にミトリアーレの矢傷やナウラの切傷に使ったものだ。

ナウラが俯せのユタの髪を梳かし、体に着いた汚れを拭い落としていた。

念の為増血薬を飲ませて様子を伺う。

全ての処置は終わった。これで人心地つける。


見渡せば白い石造りの荘厳な霊殿は血濡れ、貧相な汁物の様に無残に刻まれた遺体が転がっていた。

弱肉強食の世界だ。

彼等は多くの者を殺してきた筈だ。

今度は自分達が殺される番となったに過ぎない。

そしていずれはシンカ達も同じ道を辿るだろう。


自分はそれでいい。

だが妻達は何としてでも守りたい。

敵の中で未だ息があるのは2人だけ。

クチェとクロードだけだ。

クチェは氷の槍で体を縫いとめられている。

クロードは袈裟懸けに体を斬られ、床に仰向けに転がり荒い息を吐いていた。


「いや、見事。見事じゃの。・・・男3人で囲んで小娘に傷一つ付けられぬか・・・」


「クロード殿。私が貴方と同じ年齢であれば一対一で勝てたかも怪しいぞ。・・その歳で大した手業だった。」


悔しそうに顔を歪ませているが、その眼光は穏やかだった。

闘いを求め、闘いの中に死に場所を求めた老将はその本願を遂げることとなった。

況してや相手は元とは言え名高いグレンデル一族の最たる手練れ、赫兵カヤテだ。

彼の本願を遂げるに当たりこれ以上の相手は存在しなかったであろう。


「・・クサビナに敗れ続けた我が武道であったが・・国を出て尚クサビナの者に敗れ、幕まで引かれるとは・・。因果なものだ。」


クロードの胸が荒く上下している。

会話も苦痛であろうに大した気迫であった。


「私は最早グレンデルの者では無い。家から切られ、あの人に救われた、あの人の妻だ。貴方は森渡りのカヤテに討ち取られたのだ。」


カヤテが言うとクロードは毒気でも抜かれたかの様な安らかな顔つきとなった。

ラクサス出身者が持つ根深いクサビナへの妬み嫉みからまるで解放されたかの様な表情であった。


「・・そう言えば、儂の妻は、今何をしているのだろうか・・・?」


クロードはそのまま二度と動く事は無かった。


治療が進み血が止まったユタがふらりと立ち上がった。

ナウラがユタを支えて立たせた。

薬の副作用で今にも気絶せん程の睡魔に襲われているだろう。

肌の感覚が鋭敏化し、寒気や関節痛に始まり微熱も出ている筈だ。

常人であれば起き上がる事さえ困難だっただろう。


だが、立った。それは執念だったのだろう。

憎む相手を捨て置けぬが故の妄執だ。


その目は憎しみに濁り、ただ一心に張り付けにされたクチェを睨みつけている。

憎しみは何も生まぬ、などと考えるシンカでは無い。


親や親しい者を殺され、心中に生じた憎しみを捨て去る事は死と同義だ。

目を背けその感情から逃げるもいい。それは憎しみに潰されず、新たな生を歩む事と同じ。

だが一度その感情を抱いたのならば、無理にそれを捨てるのは心の死である。


亡き者はそれを望まぬ、等とのたまう者は殺してしまえばいい。

殺されても許すのならばその言葉の責を死して取れば良い。


だからシンカはユタを止めないし、思うようにすれば良いと考えていた。


ユタは磔にされているクチェの前までのろのろとナウラに支えられて歩み寄った。


「この日が来るのを何時も、夢みてたよ・・。」


「・・夢が叶った気分はどうだ。」


クチェの腹に剣が突き刺される。

泣き笑いを浮かべたユタが突き刺したのだった。


「殺された皆んなが良くやったって、僕の事を褒めてくれてる。そんな気がするよ。」


「っ、死人は何も思わない。何も語らない。それはお前の自己満足に過ぎない。」


更に一度。


「殺された皆んなの分だけお前を刺す。これは僕の自己満足だよ。」


「お前も、この過酷な世界に狂わされた1人・・か。・・ぐっ、いや、俺が・・狂わせた・・か・・」


ユタは何度もクチェの腹に剣を突き込んだ。

だが殺してしまわぬ様急所は避けて甚振っていた。


「何様のつもりだ!お前に人をどうこう言う権利は無い!お前は滓だ。滓は黙って苦しみ抜いて死ね。」


ユタのの体からは熱気が立ち上り、薬の副作用か、或いは興奮かで滲み出た汗が全身から滴っていた。

行なっている行為のせいか、何処か不健康そうに見えた。

健康的な魅力を持つユタには不釣り合いに見えた。


「如何して僕の家族を殺した!?言えっ!?」


剣を何度も突き立てながらユタは叫ぶ。


「・・・、生きる為に決まってるだろ。着いた国は負けて、俺たちは国へ帰る路銀さえ失っていた。可哀想だとは思うが仕方がない。目に付いた商人を襲った。それだけだ。お前の家人もそうだ。殺さなければ捕まって裁かれていた。部下達も不満が溜まっていた。女を抱かせて好きにさせなければ暴発していただろう。」


クチェの腹は既に血濡れていない箇所は無かった。

だが彼は弱音を吐く事はなかった。顔は苦痛に歪み、脂汗をかいていた。

刺されると時折苦悶の声を上げたが、命乞いや制止を願う事は一切無かった。

この男は残忍で冷酷ではあるがこの男なりの美学があるのだと、シンカは荒れ狂うユタを見ながら考えていた。


「そんなの勝手すぎる!」


ユタが目を向いて吠えた。折角治療をしたのに唇を歯で噛みきったのか、口角から血が滴っていた。


「勝手だ。知ってるよ。俺たちはそうやって生きてきた。何も知らず何も出来ない奴等。哀れだと思ったよ。・・・お前も哀れだと思った。だから彼処から連れ出して剣を学ばせた。俺を殺したいと思っていれば暫くは生きられるだろうと。・・・子供が死ぬのを見るのだけは、辛い。」


熱に浮かされた様に猛っていたユタがその言葉を聞いて手を止めた。

奇妙な物を見たかの様に惚けた表情を浮かべた。


「そう思う心があるなら如何して殺したんだ。」


クチェは目を閉じると荒い息を繰り返した。

顔は青白く、手足は微かに震えていた。血液を失い体温が下がっているのだろう。


「・・お前にだって、もう分かるだろう?・・・生きるのは、楽ではない。」


「奪わなければ奪われる。貴方はよくそう言っていたね。」


ユタは大きくふらついてナウラに抑えられた。


「お前の親から奪っていなければ俺はとっくにランジューでのたれ死んでいたよ。・・それに、俺とて・・・故郷で、畑耕しながら・・・シーズ・・・・・」


クチェは誰かの名を呼んで生き絶えた。

女の名だった。かつて彼が失った者の名だろうか。

クチェが生き絶えた今、それを知る事はできない。


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