白波を見つめて


ヴィダードはファラと向かいあって立っていた。


「ヴィダード。風の噂で里を出たと聞いたわ。何があったの?」


ファラはヴィダードに話しかけたものの、返答が有るとは思っていない様子だった。


「私、導かれたのよぉ。」


「お・・・ん!?」


ファラは始め、正常な返答がヴィダードからなされた事に稍驚き、その後返答の内容に驚愕した。


「あ、あんたが、お導き!?根暗、残忍の代名詞のあんたが!?」


「うふ。そうよぉ。私、今幸せよぉ。」


「・・・負けた・・・」


ファラはがっくりと項垂れた。

随分と酷い内容の言葉も散見されたがヴィダードは気にも留めなかった。


「確か、あんたらの一族は生涯1人の相手しか伴侶にしないんだったな?」


横で話を聞いていたシラーが口を挟む。


「ええ。そうよ。あ、ところであんたの相手は誰よ?一緒にいないわけ?」


「そこのシンカ様よぉ。シンカ様が私の旦那様なの。」


言うとファラはまるで自らの母親の性別が実は男であったと告白されたかの様な表情をした。


「成る程。良い伴侶だな。強く、思慮深い。森渡りの中でも取分け強い。私も一度シンカには抱かれた事がある。あの男の子供が欲しくてなぁ。残念ながら子は孕めなかったが。」


「うううううううあああああああああああああああああああああああっ!?ああああああああああああああああああああ!んああああああああああああああああああああああああ!」


頭を掻きむしって居るところを背後からやってきたナウラに叩かれた。


「何を騒々しい。ここは敵地ですよ。」


「こ、この女!こここの女、ヴィーのあなた様と、か、か、体の関係があると!」


「!?・・・・・ですが、随分と昔の事なのでしょう?」


ヴィダードの発言に珍しくナウラが突っ込まない。

さしものナウラも動揺を隠せて居なかった。


「よく覚えてないけど、7年くらい前か・・・」


「でしたら私達に何かを言う権利は無いでしょう。」


「許せなっ!・・・く、ぁ・・・」


ヴィダードは絞め落とされて白目を剥いた。


「ヴィダードと一緒に居られるなんてあんた達物好きね。シラーもヴィダードを挑発するのは辞めなさい。ヴィダードは普通じゃないの。」


「挑発したつもりは無いんだけどね。」


崩れ落ちるヴィダードの脈を確かめながらナウラは2人の精霊の民を見上げた。


「私もシンカに導かれています。夫にはあまり近寄られたくはありません。昔に関係があったと言うのであれば尚更。申し訳ありませんが。」


「貴女、エンディラの?」


「エンディラか、また随分と遠くから来たもんだね。」


「エンディラからダゴタ迄はクサビナからグリューネと同じ程度の距離しか無いのではありませんか?」


「エンディラは大陸東の精霊の民が住まう地では取り分け僻地って聞くからね。障害が多いんだよ。シャハラの森とか鉛大山の裾野とか。」


「シャハラの森を障害なんて私の一族に言えば、ヴィダードみたいなのが集団で襲ってくるわよ。ねえ、ヴィダードのこと。あんなだけど頼むわよ。あれでも同胞なの。」


「勿論です。」


言われるまでもなくヴィダードは大切な家族だ。


「それにしてもあの男。本当に人間なの?実は鬼だと言われても驚かないわよ?」


ファラが稍呆れた様子でシンカを見遣る。


「昔私も手合わせしたが、手も足も出なかった。でもまさか腕がくっつくなんてね。」


心配ばかりかける夫だとナウラは溜息をそっとついた。

そして思い出した様に僅かな笑みを浮かべた。




クチェが生き絶えたのを見届けるや否やユタはクチェの首を刎ねた。

万に一つも殺し損ねない様念には念を入れたのだ。

そして剣を振り切るとそのまま勢いに体を振り回され、体を傾げさせた。

しかしユタが床に体をぶつけてしまうことはなかった。

シンカが其れを支えたのだ。


「・・・ごめんね、シンカ。」


ユタの顔から険が幾らか取れている様にシンカには見受けられた。


「謝罪は既に受け入れた。其れは俺達の望む台詞ではないな。」


ユタの息は荒い。

薬の副作用に加え、積年の恨みを晴らし緊張の糸が切れて指先一つ動かす気力も失われている様だった。

一度目を閉じ、何かを考え込んだ様だった。


「・・・ありがとうっ、ほんとにありがとね?・・みんなに助けて貰って、ぼくほんとに・・・・」


泣いていた。

潮騒が耳に届く荘厳な白き霊殿でユタは涙を流した。


「辛かったよ・・・。許せなくてっ、みんなの仇取らなきゃって、ずっと剣を振って!僕、馬鹿だからっ、上手いやり方なんて分からなくて!」


「苦しかったな。」


横抱きにユタの体を抱きながら頭を撫でた。


「お前のその想いの強さ、強い信念。尊敬に値する。」


それはシンカの嘘偽りなきユタへの感情だった。

強さに対する貪欲な姿勢を側で見守って来た。

ユタは決して憎しみだけに囚われた盲目的な人間ではない。


仲間の危機には我が事の様に真剣になり、感情を共にして来た。

子供を好き、貧しい村では自身の食料を分け与えた。

剣を握らなければその気質は穏やかで、シンカは彼女との何気ない会話に癒されて来た。

本来の彼女は心優しく人好きのする穏やかな女だった。


シンカの言葉を聞いてユタは可憐に笑い、そして目を閉じた。


「・・眠りましたか。」


「・・・うん。」


「私は家族を殺されたことがないのでユタの気持ちには寄り添う事が出来ませんが・・貴方達を失う事を考えると、その苦しみは測り知れないのだと分かります。」


ナウラは額に張り付いたユタの髪を指先で整えながら沈痛な様相で言葉を紡いだ。


「私も何人も親族や部下を失って来た。ユタの気持ちはよく分かる。しかし、私には残されたものがあった。命を賭して亡くなった者達への復讐をする事は出来なかったのだ。それは恐れだ。これ以上失わんとして自分を守って来たのだ。だがユタには残されたものが無かった。全てを復讐に捧げた。幸せになる努力をせずに暗い感情に身を委ねるのは或いは逃避だったのかもしれない。しかしその為に費やした時間や労力、努力はまごう事なきユタの強さだ。」


カヤテは剣の血糊を拭いながら思い出すように口にした。

その瞳は目の前の物ではなく過去の情景を映しているのかもしれない。


「私は私が死んだ時、私を想ってくれる人達に復讐などして欲しくはない。やって、やられて、やり返して。私は自分の大切なものを守る為ならいつまでだって戦い続ける。それが、グレンデルとしての誇りだ。私はそうして育って来たのだ。だが、私が死んだ時にはもう終わりにしてほしい。私の事を偶に思い偲んで私の話で花を咲かせてくれればそれで十分だ。」


カヤテは光を失った剣を眺めながら思いを語った。

その脳裏には失って来た大切なもの達の顔が浮かんでいるのだろう。


「・・さて。ヴィーを起こしてここを出よう。悪いが俺も今回は長く持ちそうにない。ナウラ。ユタを背負ってくれるか?街に潜伏し療養する。」


「貴女達はどうするのですか?」


ナウラがシラーとファラに問うた。

「こうなっちまったからね。この国を出てまた何処かで傭兵として食い扶持稼ぐか・・・」


「成る程。それならグレンデーラに行くといいぞ。貴女達の様な手練れなら私の一族は快く受け入れるだろう。」


カヤテが簡単に文を認め、それを手渡す。


「暫くはそれでもいいわね。・・じゃ、また何処かで。ヴィダード、元気でね。・・・あー、私もお導き相手探そうかしら。」


2人は神殿の柱間から抜け出て消えていった。


ナウラがユタを背負い、シンカは肩をカヤテに担がれる。

柱間から外に出ると白濱に打ち寄せるやや薄い瑠璃色の美しい風景を見ることができた。

白と青の対比が美しい。この街の建物は砂浜に合わせて壁の色は白く、屋根は海の色と合わせて瑠璃色で彩られている。


落ち着いて観光が出来ていないのが残念だった。

そんな美しい浜を尻目に一行は足早く霊殿から去って行った。


其処には足跡1つ残っておらず、その後この惨劇を目にした団員達が下手人を探そうとしたが、終ぞ見つけ出す事は叶わなかった。


首脳陣、即ち強者達を失った護岸騎士団は数ヶ月後には消滅する事となった。


力に驕り大陸西北で名を成した騎士団はその傲慢さ故に滅びた。

彼等の名は1人たりとも歴史書には残らなかった。

猛威を振るえど歴史の中では所詮は一傭兵団に過ぎないと言う事だ。


だが歴史の波に揺られ一瞬で沈んでしまった木の葉であれど、其処には物語がある。

彼等は多くの者を生かし、同時に多くの者を殺した。


ユタの家族は歴史書には僅かに団の名しか記されない瑣末な傭兵団の、名も残らぬ男達に殺され消えて行った。


歴史とはそういうものだ。

名を成し枝葉を広げるのは極一部。それを支える根は垣間見ることさえできない。

国が争い人が死ぬ。人を殺す事が商売となる。

荒れた国では治安が維持できず、無辜の民は川の流れに押し流される砂つぶの様に沢山消えていく。目に見えぬ所で。


それを戦争を起こす者は分かっていないのだ。

砂つぶが百粒か、一万粒か。彼等は其処に興味は無い。

利益が得られればそれで良いのだ。




数日後、体をすっかり回復させたシンカとユタが白浜を歩いていた。

エシナの外れ、崖に囲まれた入江だった。

日差しが目に眩しい白い砂浜で目の冴える様な瑠璃色の穏やかな波を見ながらゆっくりと歩いていた。


「・・・景色って、こんなに綺麗だったんだね。」


いつものように小さな声でぼそりとユタが口に出した。


「今まで幾度も絶景や神秘的な光景を見てきたはずだが。」


弟子達にそれらの光景を見せようと、意図的に心掛けてきたシンカはやや落ち込み、日差しに照らされる頸を掻いた。


「ご、ごめんね?僕、いっぱいいっぱいで・・・。」


「責めているわけでは無い。ただ、それが視野が狭まっているという事だ。お前はそれで敗れた。」


「分かってる。」


崖に開いた大きな穴を潜り、陽の光を避けて乾いた砂の上に腰かけた。


今は干潮だが何れ潮が満ちればここも海の中に沈んでしまう。

シンカがぼんやり穴の上部にこびりつき、潮が満ちるのを待つ小さな海蟲の類を眺めていると、ユタも隣に腰かけて砂の上に置き去りにされた貝殻を拾い上げ、繁々と眺め始めた。


「これ、何?貝?」


拳守り付きの刺突用細剣のような見た目の貝殻は北の海には確かに生息していない。

港町出身のユタだが、これは初めて目にしたようだった。


「貝だ。だが名は知らん。我らは海の知識には疎い。精々が海岸線沿いに生息する魍魎までだ。」


「ふうん。海渡りっているの?」


「いる。ただし彼等は自らの事をそう称してはいない。」


「なんて言うの?」


「島人と名乗っている。海沿い、海の上に家を建て、潮の流れや季節とともに船で漕ぎ出し、別の環境の良い島、沿岸に移り住む。らしい。」


「シンカでも知らない事、あるんだね。」


「知らない事の方が多い。」


「そんな事言ったら僕はどうなっちゃうの?」


「お前は酷すぎる。」


ユタはシンカの言葉が聞こえなかったかの如く小さく鼻歌を歌い始めた。

復讐を遂げたが学ぶ気は端から無いようだ。


ユタは集めた3つの貝殻を掌で転がしながら瑠璃色の波を暫く眺めていた。

膝を抱え、焦点の定まらぬ視線で遠くを眺めていた。

昔の事を思い返しているのかもしれない。


ユタと旅をするようになって1年を過ぎていた。

何時も何かに興味を向けているナウラやシンカに常に執着するヴィダードと異なり、ユタはこうして大人しくじっとしている事が多い。


今のように2人きりになる事も有ったが、ユタが持つ穏やかな空気感をシンカは好んでいた。

無言で隣り合っていても全く苦にはならなかった。


「これからどうする?」


2人で座り始めてだいぶ経ってから漸くシンカは口にした。

ユタは貫頭衣の裾から伸びる長い足を意味もなく摩りながらシンカを見た。


「ずっと考えてたけど。」


そう言葉を切ってユタはシンカの肩に頭を乗せた。


「・・いっしょにいたいな。」


そうして気持ちを告げたのだった。


「強いとかそういうのもあるけど、君の優しい所が凄く好き。」


「俺もあれからしっかり考えた。俺は気がきくわけでは無いから聞くしかないが、もう気は済んだのか?心残りは無いか?」


シンカが問うとユタは拗ねたように唇を尖らせた。


「ひどいよ。僕にだってやりたい事はあるよっ。心残りなんて幾らでもあるよっ。」


「うん?」


「僕だって普通の女の子みたいに好きな人といっしょにいたいし、結ばれてその人の子供をいっしょに育てたい。いっしょに楽しい事して、美味しいご飯食べて。・・・・ねえ。」


続けようとするのをシンカは遮った。

そこから先はユタから言わせるべきでは無いだろう。

気持ちの整理がつくのを待っていて、シンカは以前ナウラとヴィダードを傷付けた。

だからこそ、シンカはユタがシンカたちの前から消えてから彼女とのあり方について後悔や迷いが残らぬようにしかと考えていた。


1番に現れたのは、彼女が消えた寂しさだった。

弟子としてか、友人としてか、それとも女としてか。


追いかけエシナにたどり着くまでの数日、そして彼女を看病する数日で真剣に考えた。

自分の心と向き合って確認したのだ。自分の気持ちを。


ユタとの出会いを思い出す。

鈴紀社麓の泉で出会い一晩飲み明かした。

美しい女だが、深入りするべきではない重い女だと思った。

力を求め、その為の手段をもとめ、執着していた。

家族の復讐の為であった。


2年後再開して付き纏われた。そして弟子にした。

実技には真剣だが座学や調合では直ぐに居眠りをした。

共に過ごす中で、可愛い女だと思った。


彼女が自分達の元を離れる気配を感じ、それが実現するのを厭い真剣に話をした。

手紙を置いて居なくなり、喪失感を覚えた。

再び顔を見たいと強く思った。

彼女を誰の手にも渡したく無いと思ったのだ。


襤褸雑巾の様に打ち捨てられたユタを目にしたシンカの怒りたるや、当然ではあるがヴィダードが石像へと姿を変えた時や、カヤテの処刑の報を聞いた時と同様の目の前が赤く染まる程激しいものであった。

愛しているのだ。


当たり前だ。1年毎日顔を合わせているのだ。

嫌いならとうに別れている。だがそれが弟子への情愛なのか、友への友愛なのか、女への親愛なのか分かっていなかった。


だがこの時分かったのだ。

この時シンカは間違いなくユタへの独占欲を感じていた。

そんな事をつらつらと思い返していた。


「お前の事が好きだ。」


この女に関わるとろくな事がないと初めに考えたのを思い出した。

予感は正しかった。

ユタの為に左腕を割られ、右脚を半ば断たれ、右腕を切断され、胸を穿たれたのだから。

逆に言えば、その程度ユタの為なら厭わないと言うことだ。


ナウラ達3人にはユタを受け入れたいと言う事を話している。

3人ともそうなる事は分かっていた様でヴィダードを除き大した反応は無かった。


「・・・こんなに嬉しいと思った事、初めてかもしれないよ。」


「俺程度でそう思って貰えて嬉しい。」


ユタの頬に手を当てた。

しっとりとした肌と僅かな産毛が手に心地よかった。

ユタの目を見た。

相変わらずの強烈な三白眼であったがそれが彼女の魅力の1つだ。

見た目が攻撃的でもこの女の素が穏やかで心優しい事をシンカは良く知っている。


「・・こんな事、聞くの、僕らしくなくて恥ずかしいけど・・・僕の何処がいいの?」


2度3度と触れあう様な接吻を繰り返した後にユタが恥ずかしそうな様子で尋ねた。

目元が赤らんでいる。

ユタが恥じらっている表情は初めて見た。

頬も耳も赤らんではいないが目元が僅かに赤らむ様だ。


「掴み心地の良さそうな小振りで張りの良さそうな尻と長い脚。」


「ひどい!体だけじゃないか!僕だって女なんだからね!」


「尻と足は4人の中で一番だが。」


「嬉しいけどそう言う事じゃないよっ」


唇を尖らせるユタにもう一度接吻をする。


「お前の好ましい所はこの前も伝えた。お前の穏やかさ、心の優しさを尊敬している。尻と足は冗談だが、女として魅力的なのは事実だ。」


深く口付けを交わし、ユタをそっと白い砂浜に押し倒した。

人気は無い。漣の音と海鳥の鳴き声だけが耳に届く。

貫頭衣の脇から手を差し入れる。胸布をずらしてシンカの手に丁度収まる形の良い乳房を優しく掴んだ。

首にしがみ付き一心不乱にシンカの口を吸うユタを愛しく思いそれに応えながら、シンカは心だけでなく彼女の身体も自分の物とした。


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