丸樹砦の攻防

ベルガナ軍に襲撃を受けた夜からシンカ達は森に潜み状況の把握に努めていた。


そもそもヴィティアの軍は練度が低く、ベルガナとまともに戦えるべくもなかった。


森渡り達はヴィティア軍には早々に見切りをつけていた。


戦闘が勃発し軍が瓦解するのを切っ掛けにして離脱しようと企んでいたのだ。


だが、ベルガナの策略により森渡りは散り散りになり、合流の機会を逸してしまった。


猛禽が鬱蒼とした森の中に舞い降り、シンカの腕に止まった。

ヨウロの従罔、斑尾鷹だ。


鷹の脚には小さな筒が取り付けられており、そこから文を取り出した。


「なんと?」


ナウラが鷹に鼠を与えながら尋ねた。


「残党と共にポルテに籠もったヨウロ達は脱出する事も出来ずにいるようだ。このままポルテが落とされればヨウロ達も砦と生死を共にすることとなるだろう。それは防がなければならない。一方のソウハ達はあまり心配せずとも良いだろう。ベルガナはこの後ヴィティアを統治する。無益な殺生を行い人民の反感を買う行いは避けるだろう。」


「ジュナや若い女薬師が何人か居たはずです。ウルマを占領している第1師団は近隣の町村で略奪を行なった様ですので、楽観は出来ないのではないでしょうか?」


「薬師を襲う事は考え辛いがな。言う通りだとは思う。」


身動きの取れない他の森渡り達に代わり、シンカ達は暗躍する山渡りを仕留めてきた。

現在ポルテでは戦死した貴族達に代わり叩き上げの軍人が指揮をとる事でなんとか持ちこたえている。


ヨウロの話では紛れ込んだ山渡りがその指揮官を暗殺しようとしたのを防いだと言う事であった。

一方のシンカ達は一度森に逃れ薬師達を避難させた後に森へ再び潜っていた。


魍魎の気配が薄い朽ちた遺跡の中で4人は顔をつき合わせていた。


「お前達は興味ないかもしれんが、ヨウロ、ソウハ、ジュナは同胞だ。彼等を見捨てると言う選択肢は俺には無い。お前達は俺の弟子であり森渡りと言う事になるが、戦争を無理強いするつもりは俺には無い。」

「この間は中々の手練れと鎬を削れたよ。ありがとうシンカ。この調子で名付きと遭遇したら僕に回してよね。」


「ヴィーは貴方様と離れる気は無いわぁ。人間風情と戦うのに躊躇する程男に現を抜かしているつもりも無いものぉ。」


ユタはともかくとしてヴィダードは元々人間に対して排他的な種族である。


ナウラも人には良い思いを抱いていないし、シンカもそこに変わりはない。


「私はシンカと共に歩み、美しい景色も醜い有様も全て記憶します。そして貴方との間に授かる子に全てを伝えるつもりです。」


ナウラに自身の出自を加味し、尊重された発言をされて嬉しく思う。

自然と頬は緩む。


「では3人の協力が有るものとしてこれからの取るべき手段を考える。」


苔生した遺跡の壁面を中型の蜈蚣が這っていく。


「まずポルテの同胞と合流するのが良いと考えますが。」


「うん。その為の下地は整っている。」


「あの蟲は本当に・・」


「うん。説明した通りだ。山下蚯蚓。主な食糧は土だ。あまりの大きさにあらゆる物を飲み込むがあれの消化器官は土中の養分は消化出来ても何かを溶かす能力は無い。」


「糞と一緒に出て来るのでしょうか?」


「糞というより泥に近い。後は地表近くで排出されるのを願うばかりだな。」


「内部で圧迫されて死ぬ可能性は?」


「無論、有る。あの道はヴィティアの人間があまり通らない道だ。そういう曰くには必ず意味がある。悪霊だ何だと人々が騒ぐのには必ず理由がある。教訓にしておけ。兵士達に態々知らせてやる義理もない。あの兵士達が山下蚯蚓に飲まれて消えた事実はこれからの計画に大いに役立つ。」


「分かっています。分かって。」


ナウラは目の前で相対した敵を葬る事に躊躇は無いが、敵意を向けられていないものの死には心を揺さぶられる様であった。


「ヴィー。報告を。」


態々シンカにぴたりと張り付きながら首だけ直角に折り曲げてヴィダードがシンカを見た。


ここ数日単独でポルテ近郊を張らせていた反動が出ているらしい。


ヴィダードの表情は頰が赤らみ、心なしか息も荒い。

発情しているらしいが迷惑きわまりなかった。


「ポルテを囲むベルガナ軍に動きは?」


「・・砦を囲んでいたベルガナ軍は半数をウルマ方面に割いたみたいねぇ。」


「大規模なヴィティア軍が潜んでいると判断したのでしょう。」


「・・想定通りだね。シンカとナウラはやっぱり頭がいいね。」


「山渡りを放置しておけば何れ原因を突き止めてベルガナ軍に報告したでしょう。」


「後1人の居場所が掴めないが、仲間の所在を確認するので手一杯で兵の失踪について調べている余裕は無いだろう。」


「疑問だけど、倒した山渡りは殺さなくて良かったの?洞穴で土行法で拘束してるけど、それでメイちゃんが殺されたら・・・。それに僕は闘うのは好きでも決して殺す事が好きなわけじゃないけど、ヴィーを傷付けた彼奴らを許す気にはなれないよ・・」


「リンメイは俺の親族の中では極めて優秀な戦士だ。経の気配を見逃しはしない。ヴィーの事は俺も恨みに思っているが・・。あれらは直接ヴィーを狙ったわけでもない。殺すのはヨウロ達と合流してからでも遅くはあるまい。」


「・・うん。でもさ、肝心のヴィーが全く気にしてないのが何だかなあ。」


「私、山渡りのお陰でシンカ様と心の奥深くで結ばれる事が出来たから恨んでなんていないわぁ。」

「本人が半分感謝しているのですから我々が憎むのは筋違いでしょう。」


ナウラは無表情で額に手を当てている。

半ば呆れていた。


「何れにせよこれでポルテの囲みが薄くなったと言う訳だな。ポルテに潜入するぞ。」


「ふふ。腕がなるね。」


「ユタ。恐らく戦闘に巻き込まれるだろう。俺の指示には従ってもらう。突出するなよ。」


「・・僕言う事聞くよ?シンカのお陰で前よりも強くなれてる。言う事聞けばもっと強くなれるもん。シンカは間違った事言わないもんね。」


「ユタも盲目的になってきましたね。シンカのような男を女誑しと言うのですね。」


「人聞きが悪いな。女誑しとは女を騙す男のことだぞ。」


「おや。これは失礼しました。」


「僕もよく分からないけど、シンカは胸の辺りから良い匂いがするんだよね。ずっと嗅ぎたくなる匂い。」


「甘い匂いがしますね。」


「どう言うことだ?森を渡る為に匂いには気を付けている筈だが。」


「特に闘った後はくらくらするくらい匂いが出てるよ。」


「成る程。獣の中には異性を惹きつける分泌物を出す種も存在する。その匂いは同種の雌しか嗅ぎとることが出来ない。人だけ特別な生き物と考えるのは傲慢だ。男から女を寄せる何らかの分泌物が出ていたとしてもおかしくは無いな。」


「戦う人って、男や女に限らず顔付きが洗練されるから、それ以外の人から見れば魅力的に映るんだよきっと。僕は鈴紀社に10になる前から居たけど、鍛える男の顔立ちは好きだったな。でも彼等は命のやり取りをして居ないせいかこんなにいい匂いはしないんだ。」


「俺も30が近づいている。この戦の片が付いたら9年ぶりに里に戻って所帯を持つか。」


「ヴィーも到頭貴方様のお嫁さんねぇ。」


「ヴィー。貴女はもう少し瞬きをした方がいいと思います。」


「ナウラはもう少し女らしい表情をした方がいいと思うわぁ。」


「そう言うヴィーも私からすれば少々、いえ、大分気色の悪い表情をしていると思いますが。」


「き、気色!?言っていい事と悪い事があるんじゃないのお?!貴方様!何とかこの牝豚に言って下さい!」


「同意だな。瞬きをせずに俺の顔を凝視するのをやめて欲しい。」


「ヴィーは貴方様に捨てられるのぉ?お願いよぉ。捨てられる位ならその手で絞め殺された方がいいわぁ。」


「煩い。行くぞ。」


「分かりました。ヴィー。悪口を言って申し訳ありませんでした。まあ、本当に思っている事ですが。」


「ナウラ、ヴィーに意地悪するのやめようよ。確かにヴィーは怖いけど・・」


「ああああああああああああああああっ!?」


「置いて行くぞ。ここは森の中だ。大声を出すな。」



2日後の夜間、シンカ達一行はポルテの砦付近まで潜んで近付いていた。

ベルガナ軍は2,000程に数を減らしてはいたが、煌々と松明が焚かれヴィティア軍の些細な動きにも気付ける様に油断なく砦を包囲していた。


ポルテは山脈を背にし、麓に丸太を組んで作られた砦の壁が三重に張り巡らされている。

丸太には多数の矢が刺さり戦闘の激しさを見せつけていた。


大地はがれ場が目立ち、攻城兵器を扱いきれていない様子も見て取れる。

砦からの投石が直撃したのかいくつかの雲梯や破城槌が破壊されてぽつりと両軍の合間に取り残されている。


ヴィティア軍は決死の反撃を行なっているのか、矢や行法に倒れたベルガナ兵の死体が散らばっている。

今は夏だ。このまま死体を放置すれば疫病となる。


「う・・」


嗅覚が鋭敏なヴィダードがふらついてシンカにもたれかかった。


「ヴィティア兵も必死だ。彼等は敗れれば虐殺される事が分かっている。」


「捕虜にはしないのですか?」


「死にたくないのであれば早期に降伏するべきであった。立て籠もる者達は降る事を良しとしなかったのだ。ここまでお互いに犠牲が出れば後戻りは出来ん。」


「そもそもなぜベルガナはヴィティアに侵攻したのですか?」


「どうやらベルガナは国内が安定しているらしい。反面常にベルガナを苦しめて来たメルセテは内乱で外に目を向けられない状況らしい。新女王とやらはその内に地盤を固めるべくヴィティアを得ようとしたのだろうな。」


「悍ましいですね。」


「うん。ヴィティアや俺たちから見ればそうだ。だが女王のサルマは自国を富ませる事を考えた愛国者のはずだ。メルセテの脅威から脱却し民に平穏な日々を与えるべく腐心している筈だ。」


「魍魎も人間も変わりないのですね。生きる為に何かを犠牲にするのですね。」


「ナウラとて肉を好んで食すだろう。好みの物を食べる為に生き物を殺す。彼等は何の罪も犯していない。それに耐えられない者はヴィーの様に菜食主義者となる。」


「・・ヴィーの場合、生き物を殺したくないんじゃなくて、肉が身体に合わないだけだけどね。」


ぼそりとユタが訂正した。


ベルガナ軍の斥候に鉢合わせない様に周囲の気配を探りつつ、月光の下砦に近寄った。逆茂木の合間を縫って砦の一重目の壁にたどり着く。


壁の上に松明を持った歩哨が佇んでいる。

土を盛り固めた土台の上に森から切り出された太い丸太が並び壁をなしている。

大の大人6人分の高さがあり、先端は削られて尖っている。

一行は明かりに照らされぬ様砦を回り込み刺さった矢や枝の跡を足掛かりに1つ目の壁を登り切った。


歩哨に見つかる前に1つ目の壁を飛び降りた。


1つ目と2つ目の壁の間は兵士達が剣を研ぎ直したり盾や弩の調子を確認したりと物々しい雰囲気を醸し出している。人の視線を避けて篝火の少ない場所を抜けて開け放たれた2つ目の門を抜ける。


この区画は投石機が設置されて今も尚行兵が土行で岩を地面から作り出しそれを兵士達が運んでいた。


中年のドルソ人指揮官が周囲に指示を飛ばしている。


「いいか!ベルガナ兵の数が減ったからと油断するな!敵は必ず仕掛けてくる!戦の支度を怠るな!」


何故そう判断出来るのかシンカには分からないが、真実であれば時間が少ない。


この砦と共に心中するわけにはいかない。慌ただしく動き回る兵達はシンカ一行を見咎める事はない。


次の門を抜けると多数の天幕が張られた砦の中央に辿り着いた。


天幕は8人を収容する大型のもので、数百も立ち並ぶそれらは柵で囲まれた要人達の物を除き全て形が同じで、同郷の薬師たちが寝泊まりする天幕を形で判別する事は難しい。


だが目を凝らせば鷹が止まっている天幕が東の中央に確認できた。


「キッ、キッ。」


高い音で音を鳴らし鷹の止まる天幕に近づいていった。

首を折り曲げて自身の背に嘴を突っ込んだ状態で目を閉じていた鷹が一度目を開けたが、近づいて来たのが見知ったシンカであった為、再び目を閉じだ。


「入るぞ、ヨウロ。」


入口の布を避けて中に入る。

簡易寝台に掛けた森渡り達が此方を見ている。

ヨウロとその弟子のロラン、そしてセンヒだ。


「シンカ。それと弟子達も怪我はない様だな。鷹の文では聞いていたが良かった。」


「うん。其方も3人とも無事の様だ。安心した。」


「リンメイはどうした?」


「後で説明する。俺のヤカを付けた。万に一つも無いはずだ。」


ロランが立ち上がって水を杯に注いだ。

シンカ達は背嚢を降ろして笠と外套を外す。

ナウラ達が水を飲み終わると自身の背嚢に腰掛ける。


「初めに何が起きたか、教えて欲しい。」


早々にシンカはヨウロを問いただした。


「初めか。何故第1軍が瓦解する事になったかだな。俺達も軍の後部を行軍していたから直接みたわけではないが、第1軍がマルンに近づいた時敵の師団が背を向けてベルガナ方面へ向かって行く所を斥候が確認したという話だった。」


「それを追ったということでしょうか?」


ナウラがヨウロに相槌を打つ。


「ああ。ヴィティアは幸か不幸か戦争とは程遠い国だったからな。確かに軍は背後からの攻めに弱い。そんな背後を不用意に晒す程ベルガナは考え無しではない。ヴィティア軍はベルガナ軍に追い縋り1と半里を追った。」


「愚かな。隊列も伸び、格好の餌食ではないですか。」


「ああ。専門外の俺でも分かる。だがヴィティアの将校には分からんかった。恐らくベルガナの首脳はヴィティアが吊られることも分かってたんだろうなぁ。」


「確かに危険な策よね。ヴィティア軍が釣られていなければベルガナは籠城戦を前に軍を割ることになっていたものね。抑えの隊を残してマルンを包囲していればヴィティアがマルンを攻め切れなくとも出兵しているベルガナの兵糧が先に尽きるのは目に見えているものね。」


ヴィティアの第1軍が釣られずにすぐさまマルンを包囲していればセンヒの言う通りの結末を迎え、ベルガナはワイリーに引くこととなっただろう。


「隊列が伸びた第1軍の横合いを森に潜ませていた伏兵が襲った。路は細いからな。俺たち薬師や荷駄隊も追従せざるを得なかった。森に魍魎からの犠牲を覚悟でベルガナは兵を置いていた。ま、1里半も周囲の確認なしに突き進めば伏兵も何もない。脇で魍魎と切り結んでいようが気付けんよ。」


「滅ぶべくして滅ぶ弱い国って事ですね。」


ロランが軽い調子で告げた。

シンカ達にとってもこの地をヴィティアが治めようがベルガナが治めようがどうでも良い事だ。

グレンデルがロボクに狙われていた時の様に失いたく無いと思う誰かがヴィティア軍にいるわけでもない。


傾向を見るにベルガナは民草を害する意図も薄い様に見受けられた。


1部略奪が行われた町村もある様だが規律を犯した者の仕業だろう。


「で、シンカ。お前達はどうだった?」


「似た様な者です。初めベルガナがどういうつもりで居たかは分かりませんが、ヴィティアはマルンから矢が届く範囲に位置どりました。結果むざむざ矢を射られて兵達は錯乱し、森には伏兵も置かれており挟撃までされました。」


ヨウロにナウラが答える。


「伏兵か。第1軍が囮に釣られずにマルンに攻めかかっていれば案外直ぐにマルンはおちたかもな。」


「恐らくは。当時ワイリーにベルガナの第3師団が常駐し、第1軍がマルンにて立てこもって居た様です。第2軍が伏兵や囮として動いて居たと見るべきでしょう。とすれば早々にマルンを囲んでしまい、伏兵や囮を別個撃破すればかなり優位な態勢に持ち込めたのではないでしょうか?」


ナウラの意見にシンカも同意する。但し、それを考えられるほどの将校はヴィティアには存在しないのだ。


「俺達は薬師を連れて森に逃れ、途中でポルテに逃れる部隊に吸収された。俺達だけなら森に潜んでやり過ごせたんだがなぁ。」


「仕方ないですよ師匠。僕達スライの薬師と仲良くやってたじゃないですか。見捨てられませんよ。」


「まあそうだな。」


シンカとて同じ立場の薬師を見捨てる気にはなれない。

最悪の事態ともなれば考えるが、自分に余裕があるうちは様々な柵を捨てて行きたくはない。

柵を捨てると言うことは人をやめると言うことだ。


魍魎に近付いていくと言うことなのだ。


「王都の様子は?」


「王都もここと同じ様に囲まれています。鼠一匹逃さない厳重な包囲網ですね。ベルガナ軍は坑道を掘り進めている様ですが、スライの行兵が地面を固めており進めて居ない様です。」


「此処も同じよ。土行兵は苦労するわよね。」


一息つくと背嚢を漁って食糧を取り出した。ナウラやヴィダード達も遅い夕食を取り始めた。


「山渡りの話になるが。」


食べながらシンカは口を開く。


「此方にも現れたぞ。どうやら指揮官を狙って居た様だったな。」


「吐かせたのか?」


「いや。俺達は只の薬師でなければならない。大立ち回りは出来ない。殴り倒して兵士に突き出した。この砦は指揮官のラッセル連隊長はヴィティア軍に於いて数少ない実戦経験豊富な指揮官だ。彼を暗殺すればこのポルテは落ちたも同然だからな。フェニク将軍は1番始めの戦闘で呆気なく討ち取られているしな。」


ラッセルとはシンカ達が砦に侵入した際に兵達に指示を飛ばしていた中年の男の事だろう。

第2軍の指揮官アドル オールドーも馬上で全身に矢が突き立って死している。


「俺たちの方は7人を捉えてある。森の中の朽ちた遺跡に拘束してリンメイに見張らせている。」


「ヤカを付けたとは言え1人で大丈夫なのか?」


「必要な情報は得た。逃げるなら勝手に逃げれば良い。7人居ようとリンメイが逃げに徹すれば逃げ切れるだろう。」


「何か喋ったか?」


「喋りはしなかったが、反応を見れば分かることもある。」


「反応?」


「隠したい事を此方が口に出せば心拍や体温に影響があるだろう。外見的にも焦点や発汗などを見れば何が真実か概ね分かる。」


「お前っ、言わんとする事は分かる。理屈もな。だが限度があるだろうが。気持ち悪いな。」


「奴らもそう言って居たな。化物か・・とな。7人も居れば真実を探り当てるなど容易い。」


「お前に嘘はつかない。今決めた。」


木の実を食べて胃を膨らませ終わると干し肉を齧る。

既に自分の干し肉を食べ終わり悲しげに眉尻を下げたユタに自分の残りを放った。


それだけで目が輝くユタ。


「前にヴィダードが負傷した部隊とは別の部隊の様で、特に森渡りに対する害意は抱いて居なかったが、返り討ちにした影響で警戒はされているらしい。奴等山渡りがベルガナと協力関係にある事は間違いない。だが何故協力しているのか事情を知る者は捕獲した者の中には居ない。」


「矢張りか。ラッセルを暗殺しに来た時点で確信はしていたが。」


「奴等の任はヴィティア国内での工作活動だ。敵首脳の暗殺や施設の破壊工作。だが指揮系統はベルガナには無く、存在も周知していない。」


「配下に置いているわけでは無く同盟しているのか、秘密部隊なのか。」


「他に山渡りはいないのかしら?それで全部とは考えて居ないわよね?」


少し喧の篭った口調でセンヒが口を挟む。


「うん。奴等の部隊は10人。其方で暗殺を企み捕獲された者が2名。此方で森をうろついて居たのが7名。1人足らん。」


「無能ね。私だったら既に見つけられているわ。」


「やめろセンヒ。シンカがお前に何をしたと言うんだ。」


「無能で済まなかった。・・これは奴等の長である女から探り出した情報だが、近々もう2部隊がヴィティアに潜り込んでくるらしい。詳細は兎も角として、山渡りはもっと早くにベルガナがスライを囲むと予定していた様であっだ。つまり、山渡りはベルガナのかなり上層部から情報を入手出来る状態であると言う事だ。」


シンカが述べるとヨウロは顎に手を当てて考え込む。


「成る程な。今回の侵攻は稲妻のように早く鋭い物だった。事前にきな臭い動きも見られなかったと言うのにここまで深く潜り込んでいると言う事は計画の中枢にあったと考えた方が筋が通る。」


「だが、今はスライを囲んだまま直に一月が経つ。予定外の状況である証と考えている。今の状況を打破するために新たに山渡りが2部隊派遣されたのだろう。」


「その2部隊、どうするつもりなの?」


「私とシンカは森渡りに干渉してこない様であれば捨て置こうと考えています。」


「甘いんじゃないの?もし貴方達が言うように山渡り達が森渡りの知識や戦力を欲しているのであれば数を削っておいた方がいいんじゃないの?」


「今はまだ幸いと言うべきか被害が出ていません。殺生は控えたいと私は考えています。シンカがやれと言うのなら厭は有りませんが。」


「仲間が殺されても同じ事が言えるの?あの時殺しておけばって思うわよ。きっとね。私なら殺す。」


センヒの言う事は間違っていない。山渡りが森渡りを狙っている事は分かっている。


戦争が終われば山渡り達は動き出すだろう。

それでもシンカぎ山渡りを殺さないのはナウラの心情を慮ったが故だ。

害意を抱かれていない相手をナウラは害したく無かったのだ。

甘いとも言える。


だがそれは失ってはならない感情だ。


「センヒ。無闇矢鱈と噛み付くな。だが俺も同感だ。生かしておくのは天に向けて唾を吐く行為に思えてならない。」


「ならお前達が殺せ。場所は伝える。」


「そうですよね。貴方の現地での判断を苦労していない者がとやかく言うのは間違っていますね。ね、師匠。判断は僕達に委ねられたのでこの話は後程にしましょう。」


「うむ・・そうだな。ここポルテの戦況についてだが、5000で取り囲んでいた兵がここ2、3日で半数に減った。シンカの工作のお陰だ。」


「思惑通り山下蚯蚓による被害をヴィティアの遊撃部隊のものと見誤った様だな。それを調査する山渡りも捕獲した。」


「ラッセルは今夜夜半から明朝未明に掛けて襲撃が有るものと踏んでいる。あると思うか?」


「戦には詳しくない。分からないが、数が減れば気が緩む。そこを叩こうと考えるのは無い話ではなさそうだが。」


「ベルガナの最後の部隊が引き上げたのが今日の正午。未明に襲撃があると踏んだラッセルはさすがと言うべきかしら。抜かりないわね。」


「いつこの砦を抜け出すかだな。」


「僕達だけならいつでも抜け出せました。でも他の薬師も連れてとなると・・」


「人数は何人だ?」


「7人よ。」


7人の戦闘技術を持たない薬師達。

気配を殺して砦から抜け出す事も、乱戦の中を切り抜けて逃れる事も難しそうだ。


「・・・やれやれ。」


「土行で地面に穴を掘る事は矢張り難しいのでしょうか?」


「ヴィティアの土行兵が経の感知を熱心にしてるから、直ぐに捕まるわね。」


「門には近づけんだろう。穴を掘るか壁を破るかしか無い。」


「ただ穴を開けるだけなら俺が出来る。ナウラ、赤釣瓶で壁に穴は開けられるか?」


「壁が丸太なので壁が炎上するでしょう。大分目立ちますが?」


「そんな事は分かっている。丸く焼けないか聞いたのだ。」


「紙に火を当てて丸く焼けますか?全て焼けるに決まっておりますが。」


「お前になら出来るかと思ったのだが。」


「・・巫山戯ていますね?」


ナウラが苛立たしげな様子を見せたので冗談は辞めて考える。


「ベルガナの攻撃を受けている間に穴を掘り進めるのがいいのでは無いだろうか?」


「おお!確かに籠城戦の最中なら行兵の意識は外に向く。侵攻の最中に掘り進めれば。」


「それには砦が落ちてしまえば意味が無い。土行が使えるのは?」


「俺たちの中にはいないな。俺は風行、ロランも同じく。センヒが風、水、火。」


「ではナウラにやらせよう。此方は俺が風、水、土。ナウラが火、土。ヴィダードが風、ユタが水だ。」


「僕、そんなに強い水行法は使えないよ・・」


腹が満ちてうたた寝していたユタがはっと目を覚まして答えた。話はきちんと聞いているらしい。


「ここから外に向けて地下を掘ればいいのですか?」


「掘るというより土を凝縮して岩に変えて欲しい。崩落しないように。人が屈む程度の高さだ。」


「距離と方向は如何致しますか?」


「東の森手前まで。必ず火を灯し、火が消えたら直ぐに引きあげろ。」


「分かりました。4刻頂きたいです。」


「砦が持ちこたえられるかどうかだな。砦の兵数は?」


「1200だな。内負傷による戦力外が400。」


「今までは砦の外の遊撃部隊を考慮して5000の兵全軍が攻めてきていたわけじゃ無い。複数いる敵指揮官が連携出来ていない傾向もあったわ。でも今回は違う。全力で来る。保っても半日。」


「そうだろうなぁ。敵指揮官はポルテを陥落せしめる戦功を己だけの手にしたい筈だ。半日も保たんだろうな。」


「僕達も防衛に協力してナウラさんが逃げ道を作る時間を少しでも稼ぐべきでしょうね。」


「止む無しか。ナウラ。頼むぞ。ヴィー。ナウラを任せる。支援してやれ。」


ヴィダードは矢を扱う。本数に限りがあるので防衛戦には向かない。

シンカ達は幾らか小さい打ち合わせを終えると身体を休める事とした。


ヨウロ達の天幕に空いた寝台が5つある。

内4つを使って身体を休めた。

ヨウロの弟子ロランが念の為周囲を警戒し、幾許か時間が経った。


シンカは身体を横たえ休ませながら半睡眠半覚醒状態で思考していた。

天幕の外は戦支度もある程度終えたのか物音は少なくなり代わりに緊張を孕んでひりついた静寂に包まれていた。

夜の帳とそれが混ざり合い不気味な空気を醸し出している。


砦は決して広く無い。

消えようとする命の灯火を少しでも長く保とうと兵士達は決意を固め、緊張に手脚を震えさせているだろう。


恐らく殆どの命が失われる。

分かっていて尚抗うのだ。


シンカ達が幾ら身を粉にして闘ってもこの結末は変わらないだろう。


7人の薬師を救う為にこれから自分達は10倍20倍の敵兵を殺める。

その事実に苦悩は確実に存在した。


だが雑多な敵兵よりも身近な薬師達の方を救いたいという気持ちに変わりはなかった。


7人にはこの戦で森渡り達が殺めた数以上の人を救ってもらう。

そう心の中に落とし込むしか無い。


微睡んでいると烏の鳴き声が聞こえてきた。南から北に向けて声が移動していく。


烏が鳴いた。明け方が近い。


それから一刻程だろうか。

遠くで誰かが張り叫ぶ声が耳に届いた。

始まった。


声に続き太鼓が鳴らされ続いて空気に敵兵士達の叫び声が充満した。地面が兵士の怒涛に揺れ、敵が動き出した事を知らせた。


僅かに遅れて砦の中で銅鑼が打ち鳴らされた。

シンカ達も起き上がり武器を身に付ける。背囊はそのまま天幕に。外套と傘を纏って一人一人視線を交わした。


「ナウラ。頼んだぞ。気負うな。間に合わなければ途中に穴を開けて這い上がればいい。身体を壊す程無理はするな。」


「はい。分かっています。」


「ヴィー。ナウラを頼んだぞ。」


「それよりも貴方様が無事に戻って来ることが先決よぉ。知らない薬師の為に命を失うなんて馬鹿げてるわぁ。」


「うん。」


応えるとヴィダードが接吻を求めた。

それにも応えて、鼻を摘む。


ナウラの小振りな頭を撫でてヨウロを見遣る。


「流れ矢なんぞに当たるは森渡りの名折れだそ。我々は森で朽ちてこそ。人間なんぞに命をくれてやるな。」


「誰に言ってるの?センリの娘センヒを侮らないことね。」


「僕も未熟ですが雑兵に命をくれてやる程甘くは無いですよ。」


「・・ひ、ひひひ・・。」


ユタが剣を撫でながら舌なめずりをしている。

慌しく配備に着く為に兵士達が駆け回っている。

練度の低さを感じさせる動きだ。


その中を菅笠に全身を覆い隠す外套を纏った男女5人が悠然とした歩調で第1の門へ向けて歩んでいく。


「放てえ!」


三台の投石機が指揮官ラッセルの声に合わせて稼働し高くに大きな岩を放った。

唸りを上げて巨石が砦の外へと飛び、直ぐに視界から消えていく。


「設置急げ!第2射!用意!放て!」


慌しく作業を進める兵士達の合間を抜け、第1門にたどり着く。


「なんだ薬師ども!?ここは手前らの来る場所じゃねーぞ!すっこんでろ!」


人相の悪い中年がシンカ達を怒鳴りつける。


「スペンス殿。我々は行法を扱えます。砦を守るのに協力させて頂く。」


だらりと脂ぎった長髪を垂らしたドルソ人の男にヨウロは言い切る。


「勝手な真似すんな!手前らは大人しく怪我人の治療でもしてろ!防衛に加わった姿が見られたら生き残る術はねえぜ。」


「お気遣い有難うございます。ですが、参加しなければ確実に生き残れると言うわけでもありますまい?」


「はっ!俺は止めたぞ!・・・簡単に死ぬなよ。」


背を向けてスペンスは去っていく。


「スペンス殿はああ見えて心優しい方だ。騙すのは心苦しいが・・」


門前で怒鳴り散らすスペンスを横目に砦の脇の階段を左右に別れて登る。


シンカは東側、ユタと2人だ。

砦壁ではヴィティア兵士達が矢を番えて迫るベルガナ兵を見据えていた。


「放てええええ!」


西側の階段を登った先でスペンスが濁声で張り叫んだ。

ヴィティア兵達が一斉に短弓を掲げて矢を撃ち放った。


眼下で攻め寄る皮鎧を着込んだ兵士達が倒れていく。

背後から巨石が打ち上げられ、頭上を通過してベルガナの兵達の元に落ちる。

地響きと共に絶叫が上がる。


「風行兵!防げ!」


ヴィティアの行兵数十人が両手を掲げる。

青鈴軍とは比較にならない薄い風の壁だ。


ベルガナ側から打ち上げられた矢が防がれるが完璧な防御では無い。何人か弓兵が矢に当たり倒れる。シンカの元にも1本の矢が飛来する。


それを素手で掴み取り、死んだ弓兵の弓を拾って打ち返した。


眼下で騎乗した男の鼻面にそれが刺さる。


「シンカ、僕も降りて戦うよ!ぐひひっ!」

「待て。下に降りるのは第1門が破られてからだ。今降りても雑兵に囲まれて四半刻も保たんぞ。手練れと戦いたくば第1門が破られるまで待て。」


目前の行兵に突き刺さりそうになった矢を掴み取りながらユタを抑える。


「うん!僕、言う事聞くよ!うへひっ!」


ユタの三白眼が嬉しげに細められる。

眼下の敵兵が壁に到達する。梯子がかけられベルガナ兵がそれを登り始めるが、ヴィティア兵は矢や岩を落とす事により梯子に取り付いた敵を殺していく。


ベルガナの本陣からゆったりとした速度で雲梯が20、衝車が5台掛け声とともに近付いてくる。


「火行兵!射程に入り次第雲梯を破壊しろ!」


まずは雲梯が来る。雲梯から乗り込む兵士に此方が対応している隙に衝車が寄り切って門を破るのだ。


幸いがれ場が広がっている為進みは遅い。


「ユタ。」


「何?・・・あっ」


ユタが経を練り始める。

シンカも死んだ兵士が落とした矢筒を拾い、続け様に射放つ。


「いいよっ」

背後でぱん、と手の合わさる音が鳴る。

空気中から数多の水滴が凝結し、超局地的な雨となって壁に取り付くベルガナ兵の頭上に降り注ぐ。


それはただの水である。雨と同じく痛みすら感じない。


シンカは弓を頭上に放り投げ両手を握り合わせた。

ユタが生み出した水滴は形を変えて細く尖り、勢い良く降り注いだ。


男達の断末魔が眼下一帯至る所で上がった。


敵兵後方から分厚い盾を構えた部隊が横に帯状に広がって進んでくる。


密集陣形だ。


頭上から爪先まで三層の金属製の盾で覆われ、じりじりと進み出す。

後方から何度目になるか分からない投石が行われる。


宙でゆっくりと回転しながら落ちた巨岩が衝車の一台を押し潰した。


「残り2台だ!雲梯が辿り着く前に火達磨にしろ!」


怒号、絶叫、雄叫び、歓声。


数千の兵士達がそれぞれ上げるそれらの声の中でスペンスの指示が飛ぶ。


先頭の雲梯にヴィティア兵の炎弾が集中する。

1台が炎に包まれ周囲のベルガナ兵が散っていった。


2台3台と立て続けに雲梯を破壊せしめる。


スペンスの指示は的確で今迄の指揮系統が確立していないベルガナ軍が攻め落とすことが出来なかった理由を垣間見る事が出来た。わらわらと駆け寄り梯子を壁に立て掛ける敵をユタと協力して殺傷範囲の広い行法で削っていく。西側中央ではセンヒが仁王立ちし、掌を合わせて虚空から太い水流、水行法 鉄砲水を乱発し、兵を押し流すとともに足元を半ば沼地へと変えていた。


それでもなお攻め寄る兵達に向け右手を振るう。

黄色く輝く幾筋もの閃光が台地に触れると撒き散らされた水を通して一帯の敵を殺傷する。


北側は山に隣接して降り、岩場を登って壁へと辿り着く前に兵達が矢で狙い撃つため防御は手薄だが攻め寄せる事すら出来ていない。


ヨウロはスペンスの隣、門の脇西側で月鎚で敵兵を潰し、ロランがヨウロの隙を上手く補って矢を射ながら自分達を風行法で守っていた。


徐々に迫る雲梯に砦の兵士達は気押されつつある。


飛び交う巨岩も1度に精々10人程度のベルガナ兵しか薙ぎ倒せない。


じわじわと矢を防ぎ、時折巨岩に潰されながらも進みつつあった密集陣形の盾が割れる。


割れた隙間から炎弾が真っ直ぐに飛び砦壁の丸太に激しい爆音と共に着弾し武者走りを揺らした。


「糞っ駄目だ狙うな!雲梯に集中しろ!」


炎弾程度で森から切り出した丸太は倒れはしなかったが、一部炎上している箇所も見受けられる。

兵士も数人吹き飛ばされて内側へ落下していった。


ヴィティア兵達は火行法を撃ち込まれた焦りからベルガナ火行兵に狙いを定め、矢や行法を撃ち込んだが既に盾は組まれ、亀の甲羅のように攻撃から守った。


ユタは水玉を撃ち梯子を破壊して回りながらきょろきょろと戦場の様子を伺っている。


シンカは矢で指揮官を狙い撃ち指揮系統の破壊を狙っていた。



開戦から一刻が経過する。


ヴィティア側は水際でベルガナ軍を食い止めていた。


一刻を過ぎた辺りで戦場の流れが変わった。

壁面に取りつこうと奮闘する雑兵とがれ場をゆっくりと進む雲梯、衝車はそのままに、飛来する矢と行法が明らかにシンカやユタ、ヨウロ、センヒ、そしてスペンスを狙い始めた。


「弾幕で顔を出せん。不味いか。」


「ひひっ物足りないよ。僕物足りないよ!雑兵なんてどうでもいいよ!名付きはいないの!?」


「恐らくいる。第1門を破るまで前線には出てこないだろう。」


数度の爆発が間近で起こる。隣で梯子を登ろうとするベルガナ兵に剣を振るっていた兵士数名が吹き飛んでいったら。


「早く第1門壊してよ!」


「真逆の趣旨になっているぞ。」


経を練り終わる。


外壁天端から顔を出す。


密集陣形の盾の隙間から4発シンカに向けて炎弾が撃たれた。


左をちらと伺うとヨウロ、ロラン、スペンスへも途切れる事なく行法が撃たれ、反撃の隙も無いようだ。


門付近ではベルガナ兵は梯子を登り切り、そこでヴィティア兵と切り結ぶほど押し込められている。


シンカは撃たれた炎弾2発を屈んで交わし、壁面に着弾した衝撃を堪えて両手を組んだ。口腔から噴出された白糸が戦場を横薙ぎにする。


シンカは白糸をベルガナ軍中央を位置取る密集陣形に向けた。


シンカの水行法は彼らが掲げる金属の分厚い盾を紙のように引き裂いてその後ろに隠れる盾兵と行兵をも上半身と下半身に引き裂き一網打尽にした。


ヴィティアの投石機から放たれる巨岩が衝車に命中した。


「衝車後一台だぞ!近寄らせるな!・・お?」


スペンスの肩に矢が2本突き立った。


「巫山戯るな糞っ!雲梯来るぞ!砦に一歩も踏み入れさせずに斬り捨てろ!」


等々押し進められる雲梯が壁面に接し、折り畳まれていた梯子が延ばされる。


梯子を伝って次々と兵士が駆け上がる。ロランが弓を2射し、矢が尽きて剣を抜いた。


構えは正眼右足前。千剣流だ。


梯子を駆け上がる兵士を次々に切り捨てて行く。

シンカとユタが防ぐ門の東側にも雲梯は迫る。


散発的に飛び交う行法に隣の弓兵が餌食になる。


「・・えへ。見つけた。」


にたりとユタが笑った。


最後の衝車の屋根の下に体格の良い中年の男が見える。

身に纏う雰囲気で強者であることが分かる。


「待てよ。この門はいずれ破られる。その時始めに乗り込んで来るのはあの男だ。」


「大丈夫だよ?僕、我慢できるよぉ。もう少しだけなら・・えへへへ。手が震えるよ。どうしよう。」


シンカの正面に梯子が掛けられる。

死んだヴィティア兵の槍を拾い上げると顔を覗かせたベルガナ兵の首を突いて落とした。

「人数足りねぇぞラッセル!兵回せ!おいてめぇ!ラッセルに伝えて来い!」

スペンスが槍を振り回していた兵士を捕まえて伝令に赴かせる。


ヴィティア兵達は懸命に梯子からの兵士を倒すべく槍や剣を振るっている。


到頭シンカのいる第1門東側にも2台の雲梯が到達し、梯子が掛かる。


「ユタ。」


「うん。」


ユタも拾った剣を手に雲梯の前に立ち、次々と伝って来る兵士を斬り伏せ始めた。


雲梯は半数以上を潰していたが、後10台も残っている。


経を練り終えたヨウロが月鎚を雲梯に撃ち込んだ。

梯子を渡る兵士と共に雲梯が1台破壊された。


雲梯に意識が集中することにより梯子からの到達を次々と許す事となる。


武者走りでの斬り合いが到頭始まった。


センヒは矢を射かけられ、また左右からベルガナ兵に斬りかかられて防ぐ事に手一杯で行法を放てず押し込められている。


意図的に狙われていた。


ヨウロに続きシンカも経を必要分練り終わる。

盛り土を押し固めた武者走りに手を着く。


土に流し込んだ経は雲梯の1台が立つ周辺地面にまで広がりシンカの意思を反映する。


厚さ2尺程。岩盤が雲梯を挟むように浮き出し、畳み潰した。


ユタが侵入を防ぐ横で3人の火行兵が炎弾を続け様に撃ち込み、雲梯が炎上する。


ヨウロの付近に雲梯が2台接し、兵士達が乗り込む。ヨウロも到頭行法に専念することができなくなり剣を抜いて左右から迫る敵と斬り結び始めた。


「門を破れ!」


シンカの右手下方から野太い声が響く。

衝車が到頭門にたどり着き、破城槌が数人により大きく引かれる。


鋭い金属の先端が砦の唯一の入り口、第1門の丸太で組まれた門を突いた。

シンカの立つ武者走りまで衝撃が伝わる。


開戦し2刻が経過している。早すぎる。


西側の行兵が2台の雲梯を焼き尽くすがベルガナ行兵に狙われて1人は針鼠のように身体に矢を受けて絶命した。


2人目は飛来した鎌鼬に動脈を斬られ首を抑えて転がる。残り1人はセンヒに守られているが、センヒが梯子から登ってきた兵士の首を斬っている間に腹を剣で突かれ、その場に崩れ落ちた。


衝車は屋根に金属の板を張り合わせており火行法程度では破壊出来ない。

シンカも行法を扱う余裕は既になかった。


破城槌が再度大きく引かれる。


綱を離された鉄の錐が門に突き刺さる。

乾いた破砕音が激しい剣戟の音を縫って耳に届いた。


門は穴が開いている。もう保たないだろう。


「ユタ。退くぞ。ッキッキキキキッ」


槍を突き出して来た敵兵の胸部に掌底を当てる。

敵は緩やかに空中を舞ってベルガナ兵の中に沈んでいった。


転がるベルガナ製の槍を手に脇から駆け寄る兵士2人を串刺しにすると壁の上から飛び退った。着地の衝撃を足の裏、膝で殺し、吸収し切れなかった分を転がる事で肩と背で賄う。


直ぐ後にユタが同じ様に飛び降り転がった。


「退け!退け!退けえ!第2門まで退けええ!」


剣を振りかざしながらスペンスが吼えた。


ヴィティア兵はベルガナ兵と斬り結びながら壁から退いていく。


ヨウロ、ロランも敵を斬り伏せながら後退する。

センヒはその場で飛び降り、盛り土に剣を突き立てて一度勢いを殺してから着地する。

門にもう一度破城槌が叩き付けられ大きな音が一帯に響く。


兵達に先んじてシンカは第2門まで退く。


第1門を守っていた兵士達がわらわらと駆け寄ってくる。追い縋ったベルガナ兵に何人か斬り伏せられる。


「退けっ!遅えぞ!呆け供!」


スペンスが兵達の最後尾に位置取って後退しながら攻撃を防いでいる。


「弓兵構えろ!味方が逃げ切った所で撃つ!用意しておけ!」


ラッセルが張り叫んで弓兵を纏める。

先程まで守っていた第1門が到頭破られた。


破砕音と共に木片が周囲に散って行く。

最後尾にいたスペンスが1人を斬り伏せると第2門へと駆けた。


「おいラッセル!なんで増援よこさなかった糞が!」


「馬鹿か。もう兵は殆ど残っていない。ここに居るだけだぞ。」


「・・そうかよ。」


800の兵士は半数に数を減らしていた。


破られた門からベルガナ兵がわらわらと湧き出してくる。


「シンカ。怪我はないか?」


「うん。返り血も浴びぬよう気をつけている。」


「お前・・返り血って・・」


ヨウロ、ロランも怪我は無い。

センヒも同様だ。


「貴方の女はきちんと仕事をして居るの?」


「ナウラはエンディラの民だ。行法に対する親和性は我らよりも高い。」


「だといいけど。」


「シンカ!もういいよね!?もう、もう僕我慢出来ない!」


ユタが目を血走らせ、涎を滴らせていた。


「おい、お前の弟子大丈夫なのか?」


「ユタは剣狂いでな。俺も恥ずかしいからやめて欲しい。」


「もう1人のヴィダードという女も様子がおかしかったわよね。貴方の見る目、大丈夫?」


「勝手に寄って来た。」


「そう言うのを引き寄せる分泌物でも出してるんじゃない?」


「怖い事を言うな。これ以上増えれば制御できなくなる。」


雄叫びと共にベルガナ兵が駆け寄ってくる。


「撃て!」


ラッセルの号令と共に100人の弓兵が矢を射かけた。

ベルガナ兵がばたばたと倒れて行くが、後から押し寄せる兵士達は止まる事なく迫って来た。


「第2射放て!」


「おいお前ら!分かってんだろうな!?ただで命くれてやるつもりは俺はねえぞ!お前らはどうだ!?」


「道連れだ!」


スペンスに兵士の誰かが吠え返した。


「そうだ!道連れだ!」


ヴィティア兵達がスペンスに感化されて一斉に雄叫びをあげる。


「迎え打て!」


剣を翳し、その切っ先を迫るベルガナ兵に向けた。


スペンスを筆頭に剣を構えた男達がベルガナ兵の突撃を受け止めた。


最前線がぶつかり合い血が飛び人が倒れる。


「スペンス隊の脇から敵兵を挟撃する!行け!」


ラッセルが続いて指示を飛ばし、弓を構えた兵士達が剣に武器を持ち替え動き出した。


スペンスは王剣流の技を使い敵の攻撃を凌いでいた。


敵味方が入り乱れるのを森渡り達はやや後方から様子を伺っていた。


敵味方が入り乱れる戦場でぽっかりと隙間が空いている箇所がある。


その中央には長い槍を構えた大柄のドルソ人が近寄るヴィティア兵を次々に血祭りにあげていた。


「いいぞ。」


声を掛けるとユタは放たれた矢の様に駆け出した。


鈴剣流を収めるユタはとても器用だ。

柔軟で臨機に富む。


行法の扱いこそ一般行兵程度であるが、シンカから多様な流派の動きや技を習得し出会った頃よりも飛躍的な成長を遂げた。


ユタが持つ能力の中で特筆するべきものは勘だ。

その鋭さはシンカですら及ばない。野生の動物の様に寝食の抑えが効かない代わりに持つ能力であった。


鈴剣流の腕は徳位への昇位条件をまだまたしていないが、それを補うに余りある勘と器用さは徳位を得た人類最高峰の剣豪と渡り合っても遜色ないだろう。


ユタの武に対する執着が何処から来るのかシンカは伺ったことは無い。


決して殺しを好む訳ではない。

執着は何らかの原因や理由があるのだと予想していた。


敵味方入り乱れる戦場を踊る様に駆け抜け、槍を持つ大柄な男に迫って行く。


シンカは放置されている槍を3本、それと弓と矢筒を取って物見櫓に登った。

ユタは瞬く間に男に迫り、飛び跳ねて頭部へ斬りかかる。

男はそれを槍の柄で防ぎ、流れる様に放たれた蹴りを腕で防いだ。

ユタは脚をそのまま蹴り出すことにより男から距離を取った。


「薬師か?」


「ひひっ、そうだよ。」


「鈴剣流を収める薬師?面白い。しかも、シメーリア人か。目付きは悪いが見目も大層麗しい。ここで死ぬ必要は無いだろう。俺に降れ。」


ユタを横合いからベルガナ兵が襲う。

だが危なげなく1人、2人と斬り捨てる。


「そういうのは土が付いた後だよ。ひひひひひっ。」


男が腰を落とし大上段に構える。

望槍流槍術士だ。


「ふむ。望槍流仁位、イバノ・ペローメ」


「鈴剣流仁位、ユタ。」


イバノ・ペローメ。聞き覚えがある。


望槍流を収め諸国を放浪し、傭兵となって戦争があれば参じ、俸禄を得てはまた放浪するという。


今では配下を持ち傭兵団として活動する。

ユタの望み通り異名を持つ。

枝切りイバノ。


望槍流槍術の特徴は大きく張った穂先の槍である。

春槍流が速度と手数を武器とし、失伝した罰槍流が2槍による攻防一体の力押しを武器にした中で、望槍流は特徴的な穂先による変則的な槍術に重きをおく。


突きに加え斬りは勿論、摺り込み、巻き落としの様な武器自体への技や手足への攻撃を主体とする。


シンカはイバノの事を知る訳では無い。だが風の噂では停滞する者の手足を切り落とし力を削いでから止めのを指すことから、樹々の枝葉を落とすことに例え枝切りという名が付いたという。

ユタが握る剣とイバノの槍とでは長さに倍の差がある。


武器を取ればユタが不利となる。


戦場の中央でぽっかりと空いた空間で2人、男と女が見合っている。


周囲は意図的に2人を避け、血で血を洗う攻防を繰り広げている。


先に動いたのはユタであった。


身体をゆっくりと前傾させ到頭慣性に従い倒れたユタは倒れきる前に膝を落とし、直進した。迎え撃つ様にイバノが上段から一突き頭部を狙う。ユタはそれを首を傾けるだけで躱す。低い姿勢から制動し剣を首目掛けて突き上げる。


シンカは物見櫓の上からそれを見ていた。ユタが戦う位置より少し離れて彼女に狙いを定め弓を引く兵士がいた。


シンカはその男目掛けて矢を射た。緩く弧を描き射られた矢はシンカの狙いと寸分違わず首に突き刺さった。


ユタの突きは槍の柄で防がれる。

ユタは難無く槍兵の懐にまで入り込む。


懐内に入りこまれることを槍兵は嫌う。槍という武器は剣に比べ攻撃範囲が広い代わりに懐での攻撃手段に欠ける。


だが。イバノは槍を振るった。


槍を回転させ懐のユタに向けて石突き振るった。

身体を引いて躱したユタだがイバノは身体を回転させ間髪入れず槍の穂先がユタに迫る。


身を低くして避けたユタだがイバノは直ぐに穂先で突く。


大きく跳ねて後退したユタは両手を握り合わせた。


水行法 雨四光


浮かび上がった無数の水滴が陽光を反射させイバノの視界を奪った。


ユタは駆けながら再度両手を握る。


宙に浮いていた水滴が勢い良くイバノに向けて飛ぶ。


水行法 時雨礫。


強い雨脚は痛みはあれど怪我をする程の威力は無い。


ユタは大きく宙へ跳んだ。イバノの頭上を通過し首を狩るべく剣を振るう。


鈴剣流の奥義天誅である。


ユタの動きにイバノは気付かない。いや、気付けない。


雨四光に目を潰され、時雨礫に残る感覚を混乱させられたイバノに気付くことは出来ない。


だがユタの剣は止まった。止められた。

イバノにユタの位置を知る術は無かったはずだ。

ならば手段は一つ。


望槍流の奥義、岩戸だ。

望槍流は千剣流の様に積極的に攻め掛かる事も、王剣流の様に防御に秀でている訳でも無い。


無論鈴剣流の様に奇抜でも無い。

秀でる流派では無いのだ。


だが替わりに安定している。

手数の多い春槍流や鈴剣流にも追随し、千剣流や罰槍流にも押し切られず、王剣流にも通ずる攻撃を放てる。


その様に編み出された流派だった。


奥義岩戸は岩の様に動じず攻撃を防ぐ技だ。


その術理は敵の思考を読み、力量を読み、必要最低限の力を込めて適宜技を防ぐ事である。


過不足なく攻撃を防ぐ事で敵の連撃にも遅れる事なく、強力な一撃にも対応する。


王剣流の応剣と通ずる技である。


応剣は技の軌道を目視し直撃をなやして避け余力を残して防御する。


岩戸は空気を読む技だ。応剣の様に衝撃を受け流すほどの技術では無いが、五感だけでなく経験に裏打ちされた第六感を持って攻撃を防ぐ。


つまりユタの天誅は読まれていたのだ。


目潰しし、五感を潰し、鈴剣流の奥義天誅を放つことを読まれていたのだ。


ユタが飛び上がる軌道、奥義の軌道まで。

イバノは石突きで攻撃を防ぐとそのまま突いた。

宙のユタは石突きを避ける事は出来なかった。


替わりに左手を突き出される石突きに添える事で身体を逸らし攻撃を躱す。

イバノは石突きを振り上げ、槍を手元で回転させると突きを繰り出した。


狙うのは着地したばかりのユタの足だ。

ユタはそれを後転して躱す。


「ひひひひひひっ強いね!あはっ興奮して濡れて来ちゃったよ!・・でもシンカだったらもう負けてるかな・・やっぱり君には降れないよ。僕は強い男の子供を産みたいな。ひひっひひひひ。でもね、勘違いしないで。君は強いよ。油断すれば僕も負けちゃうよ。」


金属鎧を身に纏った巨漢がユタの背後に迫っていた。

だがユタが振り返る事はない。気付いているのだ。


背後からユタを羽交締めにしようと迫っていた男に槍が降った。

文字通り頭から。兜を貫通し股間から突き出て地面に槍が刺さる。地面に槍が刺さると口金の手前の木製部分が弾け飛んだ。

帯電していた紫電が台地に吸い込まれていく。


「なっ・・・」


驚いた声をイバノは上げたが背後を振り返る事はない。

振り返ればユタが隙をつくからだ。


イバノが気付くとユタが目前に迫っていた。

イバノは先程驚きに声を発した。そしてその反動で息を吸い込んだ瞬間に動いたのだ。


筋肉は呼吸時に弛緩する。


ユタはシンカの放った春槍流奥義落雷を陽動にしたのだ。


ユタは足の裏全てを地に着け膝から力を抜いて剣を振る。


素早く、小刻みに。瞬く間に数撃をイバノの体のいたるところへ向けて振った。


千鳥の舞だ。


イバノは遅れながらも下がり、技を放って対抗する。


千鳥の舞を見切り、そこへ突きを放って防ぐ。

イバノはユタの最後の攻撃を防ぐと反撃に転じた。


鋭く腕を伸ばし突いた。


「何っ!?」


またもやユタが懐に入り込んでいた。

予備動作は無かった。

慌てて槍を立てユタの斬撃を防いだ。


「づあっ!?」


ぱたた、と乾いた大地に血が滴る。

火山灰由来の赤土が僅かに煙を立てた。

イバノは確かにユタの攻撃を防いでいた。

正確には剣撃を防ぐ位置に槍の銅金を置いていた。

だが実際にはユタに斬られて左目から頬骨、耳の下までを斬り裂かれていた。


「なんだ?何故・・」


イバノは混乱していたがそれでも仁位。槍でユタを追い立てて距離を取った。

イバノの危機と見て戦闘中の兵士数名、恐らくはイバノの部下がユタに寄ろうとするのを弓で狙撃していった。


ヴィダード程の精度は持たないが、ヴィティアの粗悪な弓と矢であっても1町程度の距離を外す事はない。


1人矢を斬り払う手練れがシンカを認めたが弓の代わりに槍を持ち、雷を纏わり付かせた後に投擲した。


相手は防ぐ気配すら見せずに命を失った。


ユタは油断なく剣を構えている。

右手に持つ剣を頭上やや前方に掲げ、前に出した左脚と後ろに開いた左脚とに交互に体重を載せ換え、小刻みに動いている。


鈴剣流の振り子の構えだ。


先程ユタがイバノを斬った技は失伝した鈴剣流奥義をシンカが伝えた物で、影抜きという。


斬りかかる時、相手の防御を身体を動かしながら躱して斬りつける技で、相手からはまるで防御を透過したかの様に感じる。


「楽しいね。一対一の命の取り合い。こんな世の中だもん。強くなくちゃ生きてもいけない。弱いと死ぬんだよ。何の意味も無いんだよ。」


「・・同意するが、お前は狂っている。何故ずっと笑っている?」


「君との戦いは僕を強くする。全身全霊の強者と戦って、その技と知識と経験を僕は吸い取る。斬り合えば斬り合う程僕は強くなる。だから嬉しいし、楽しい。君は楽しくないの?」


「・・・」


イバノは明らかに気圧されていた。


継ぎ足でユタに迫る。ユタが後ろ足から前足に体重を変えようとした瞬間に中段からの突きを放つ。ユタは高く掲げていた剣を下ろし捌く。続け様の腿を狙う一撃も前に身体を出しながら捌く。

そして激しく動かしていた身体を急に止め、また素早く動き出すという奇妙な動きを繰り返し始めた。


ユタの狙いの読みにくい陽動や軌道を複雑に変える剣撃をイバノは的確に読み、手足を狙った突きや武器を巻き取る巻き技を放ち拮抗した戦いを続けていた。


片目を失ったイバノであるが、気配に敏いのかユタとはこれまで通り斬り結んでいた。


だが突如奇妙な動きを見せる。明らかに隙となる間でユタに斬りかかったのだ。


周囲で見ていたものは何が起こったのか分からなかっただろう。


先程からユタが見せていた静と動を切り分けた動きは鈴剣流の高弟が身に付ける技法で、急動急止を繰り返す事で見るものに錯覚を引き起こさせる物であった。


イバノは実際のユタの停止時間よりも長く動きが停止している様に感じ、動いてしまったのだ。


「あ?」


突いた拍子にするりと懐に潜られ、イバノが気付いた時には右の眼窩に剣が突き立っていた。


鈴剣流逆戸斬り。この場合突きであるが。


逆戸斬りは人間の目の仕組みを利用した奥義だ。

小刻みに動く事で目は錯覚を起こす。

一定の間隔で動き続けていたユタが長く留まっているようにイバノには見えたのだ。

その上で死角を突いた。

また人間の目には盲点がある。両目であれば左右の目で盲点を補い合うがイバノは生憎隻眼だった。


右目の盲点をユタは突いた。真っ直ぐに突き出された剣と腕をイバノは視認することが出来なかったのだ。


ユタは初めから影抜きで片目を潰し、振り子の構えと時続の舞で敵の認識を錯乱させ、最後に逆戸斬りでとどめを刺すつもりで全てを計算していたのだ。


怪しげな表情も言動も全て積み重ねた計算から目を背けさせる擬態に過ぎない。


ユタは強者に対し勝利を収める事ができたが、一方で戦況は悪化の一途を辿っている。


敵の数は2500に対しヴィティアは800。

今まで持ちこたえていたのはベルガナが脚を引っ張りあっていたからにすぎない。


城や砦を攻めるなら4倍の兵力が必要というが条件は満たしている。


シンカが物見櫓から降りるとユタが駆け戻ってきた。


「満足したか?」


「うん。今日はもういいかな・・」


ヴィティア軍は徐々に圧されてじりじりと後退しつつある。


「じきに3刻。後1刻だ。」


ヨウロ、ロラン、センヒの3人はヴィティア兵に混じって乱戦の中で戦っている。


シンカは荷車の上に立つと弓を構える。


「ユタ。ナウラの様子を伺ってこい。」


「うん。」


戦場の様子を確認すると、ヨウロとロランは2人で1組となり上手く敵を退けている。


だがセンヒはやや突出しており雑兵に囲まれて危うい場面も見受けられる。

シンカはセンヒの援護を行うべく彼女に群がる兵に向けて矢を射始めた。


シンカが周囲の大気に馴染ませている経が異変を感じ取った。


見ると外壁の上に2名の男、2名の女が立っていた。

男女1名ずつが経を練っている。

もう1人の男はシンカを弓で狙っていた。


シンカは気付かない振りをしながら矢を番え戦場に向ける。男が矢を射た。緩い山なりに矢は放たれ、シンカに向けて迫る。避けなければ見事に首を射抜くだろう。


恐らく相手は傭兵。4人とも強者だ。

シンカは身体を落としてぎりぎりで躱すと素早く射返した。


弦を限界まで引いた。角度も付けず早く強力な一矢を放つ。


センヒを狙っていた男の風行師が咄嗟に手を突き出して渦巻く気流の壁を作り出した。風行法 渦乱気。


だがシンカの矢は押し流される事なく風行法の壁を突き抜けた。

狙いは外れたが深く肩に突き立った。


女が剣を抜いて壁を降りた。こちらに向かうつもりだろう。

シンカはセンヒの背後から迫る兵士に矢を射掛けると荷車から飛び降りた。


足の裏から地面に経流し始める。

経を練っていた女の火行兵が遠方で右手を振るった。高く打ち上がった火球が頭上で幾つにも割れて分散しながらシンカに落ちる。


火行法 火山砲弾だ。

手を下に向けるとシンカの脇が隆起し土が岩に変化する。

岩の柱が頭上で傘を広げる。

天幕は降り注ぐ灼熱の雨を防ぎきる。


矢を番え、限界まで引く。

破裂音と共に矢が放たれ風行兵に向かう。

彼は両手を突き出し自身の前に強い気流を作り出した。


大断ち風だ。

その程度を予測していないシンカではない。

大断ち風も読んでいた。


軌道は額目掛けて撃っていた。気流で矢の高度は落ちたがそれでも風行法を抜け、行兵の下腹に矢矧まで深々と突き刺さった。

シンカの手元で弓の弦が切れていた。耐えられなかったらしい。


女行兵が右手を振るう。今度は頭上ではなく直接火山砲弾を撃った。

土行法で壁を作れば視界が塞がり、後手に回る可能性がある。

それは避けたかった。


女剣士がヴィティア兵を斬り伏せながらこちらへ迫っている。半分程距離を詰めている。

足裏から地面へ浸透させていた経を一気に作用させる。先の防衛時にも使った大技、土行法 拍手。


岩盤が捲れ上がり女剣士を挟もうとする。

彼女は地へ身を投げて辛うじて躱す。避けられるとは思わなかった。


捲れ上がった岩盤は割れた火散弾を幾らか受ける。放射状に広がる性質上シンカには当たらず脇を駆け抜け背後で地面にめり込んだ。


女剣士が立ち上がった時、シンカは既に灰色の短弓を構えていた。

砥木の弓だ。


女剣士が動きを止めて両手を挙げた。


降参か。

腕の立つ傭兵らしい判断だ。

鏃を残る3人に向けると無傷の女火行兵が手を挙げていた。


撃てば確実に殺せる。暫し様子を伺っていると女剣士が戦場を引き返していき、壁まで辿り着くと怪我人2人を支えて去っていった。


シンカは鏃を再び戦場に向ける。

2人がかりでセンヒと切り結ぶベルガナ兵にその矢を射た。

空気を裂いて飛んだ矢は皮兜を貫通し背後の兵士の鎧と身体を更に貫通すると3人目の骨盤に刺さってその男を地面に縫い止めた。

初めの男は勢いに頭を引きちぎられて木っ端のように回転していた。


矢が尽きた。


戦場では槍で周囲の兵を突き殺していたラッセルに向けて4、5名の弓兵が狙いをつけていた。


「撃て!」


隊長格の1人が号令を出した。

1人のヴィティア兵がラッセルの前に飛び出し三本の矢を受け、絶命した。


「これまでか。」


第2射を番えた弓兵達に向けラッセルが駆ける。


「撃て!」


再度の掃射。

ラッセルは駆けながら致命的な一撃を防ぎ、腿、肩から矢を生やしながらも突き進む。


「次だ!撃て!」


次の矢を体に受けラッセルの足が止まる。


「ぐ・・・」


しかしそれでも闘志を衰えさせず一歩づつ前に進んだ。既に体から10本以上の矢を生やしていた。


「撃て!撃て!射殺せ!」


第4射が放たれるとラッセルは呻きを上げてどうと倒れ伏した。


シンカはどうするべきか考える。

砥木の矢は使いたくない。

使ったとしても高が知れている。

悩んでいるとユタが駆けて来た。


「行法使ったの?手練れ?」


「うん。勝てぬと見て潔く退いていった。」


「ナウラ、もうすぐ掘り終わるよ。」


「速いな。引上げどきだ。」


口の端で蝙蝠の声音を発する。

センヒ、ヨウロ、ロランが気付いて引上げ始める。


センヒに追い縋る兵士を拾った槍を投げ付けて散らす。


乱戦の中剣を振るうスペンスが見えた。


スペンスの腹に槍が突き立てられた所だった。


スペンスは吠えながら槍の柄を斬り払うと手傷を負わされた兵士を斬り殺す。


だがその背に向け2人のベルガナ兵が槍を突き出していた。


「おおおおおおおっ!」


吠え声を上げてその槍も柄を斬り払うと振り返って2人を葬った。


「ただでは死なんと言ったろうが!ってぇな糞野郎!」


囲まれ背後から肩を斬られると振り返ってその男を斬り殺した。


「やれ!槍で突き殺せ!」


ベルガナの隊長格が指示を出すと四方から槍兵がスペンスを突く。


「あああああああ!己れ!己れ己れ!己れっ!」


スペンスは自身に刺さっていた槍を引き抜くと隊長格へ投擲した。

槍は見事に隊長格の心臓へと突き刺さった。


「ぐっへっへっ。馬鹿め。」


スペンスは笑うとふっと力を失いふらついた。

だが体に刺さった槍が邪魔となり地に伏せることは無かった。


見事な立ち往生だった。


戦場を縫って戻ってきた3人と合流すると足早に天幕へ向かった。


「俺は薬師達を連れて来る。2人程で先行していてくれ。」


「血とその匂いを落とさないとならんだろう。全員の外套を渡してくれ。俺が血を落としておく。」


4人の外套を預かる。


天幕に戻り中へ踏み入るとシンカの姿を認めたナウラが駆け寄ってきた。


「シンカ。お怪我はありませんか?」


「うん。問題無い。」


「ユタは大丈夫ですか?貴女の血の臭いはしませんが。」


「うん。・・打撲も無いよ。」


「貴方様ぁ、ヴィーは寂しかったです。接吻を下さい。」


ヴィダードを無視して荷から根菜の乾燥粉末を取り出して4人の外套の血の染みに塗り込めて経を練る。


口から勢いよく水を噴き出し素早く流すと血は綺麗に落ちていた。


「ナウラ、ヴィー、ユタ。荷をまとめて先行、穴の先の安全を確保してくれ。」


「分かりました。」


3人は外套を纏い背嚢を背負うと地下へと続く穴へ潜り込んでいった。


センヒ、ロランもシンカから外套を受け取り装備を整える。


シンカも装備を整えているとヨウロが7人の薬師を連れて戻ってきた。


「この穴が砦の外まで続いているんですか?」


「そうだ。ラッセル殿もスペンス殿も討ち死にした。敵が押し寄せるのは時間の問題だ。急げ!」


薬師達が次々と穴へ降りていく。


第2門の方から雄叫びが聞こえる。複数の雄叫びだ。

到頭瓦解したのだろう。


「センヒ、ロラン、ヨウロ。行ってくれ。追っ手が掛からぬ様殿に立って穴を崩す。」


「それがいいわね。頼んだわよ。」


「シンカさん、お願いします。」


センヒ、ロランが穴へと降りる。


「何とか生き延びたか。老体には堪える。行くぞ。」


ヨウロに続きシンカも穴を降りた。

降りてすぐ壁に手を当て頭上の丸い入り口を塞いだ。


ナウラは等間隔に空気穴を開けたのか、横穴は頭上から小さな明かりが漏れて薄ぼんやりと見渡すことができる。


先の方で時折明かりがちらつくのは薬師達が通って明かりが遮られたからだろう。


背を屈めて小走りできる程度の高さがある。

そこをヨウロに続き駆けた。

時折立ち止まって壁に手を当て横穴を埋めていった。


時間にして四半刻かそのくらいで横穴を抜け、森の中に出た。

森の空気は最後に吸ってから半日程度しか経っていなかったが、新鮮で甘く感じられた。


「ああ・・砦が・・・」


誰かが声を漏らした。

四半刻前まで自身が身を委ねていた木造の砦から火の手が上がり、どす黒い煙が立ち上っていた。


「行こう。」


ヨウロの低い声に促され一行は人目を避け、森の中を静々と進んでいった。


様々な者の様々な思いを宿したそれが、願わくば火の手と共に荼毘に付される事をシンカは祈った。

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