心の試練

「大丈夫か?」


呻く仲間の額から滲み出る汗を拭い、サンドラは声を掛けた。

仲間のテオは先の戦争で負傷し寝込んでいた。


腹部を射られた矢が貫通していたが、奇跡的に背骨を外れ、臓器も傷つく事は無かった。

もう1人の負傷者、仲間のディミトリは肩を射抜かれキッサに包帯を巻かれている。


「矢が身体を貫通したのだぞ。大丈夫な訳があるか!」


テオは大きな声を出し傷に障ったのか顔を顰める。


「あれは何者だ?砦は陥ちたがあれが死んだとは到底思えんぞ」


ディミトリが唸る様に問う。サンドラも同意見だった。


「灰色の弓を取り出した時、あれは駄目だと直ぐに分かったわ。少しでも手を挙げて意思表示するのが遅れていれば私は死んでいたと思う。」


「お前達は見てないのか?」


ディミトリが青褪めた顔色で口を開く。


「俺は見たぞ。引き上げる時。門の間から見えた。・・2人貫通して3人目を地面に縫い止めていた。1人目の頭は吹き飛んでいた。」


「・・・」


「本当に、何者なのかな?名付きで該当しそうな人いたっけ?」


キッサが回想するように左上に視線を向けた。


サンドラ達は傭兵としてポルテ攻略戦に参戦していた。そこで薬師の風体をした手練れを倒すべく攻撃を仕掛けて手痛い反撃を受けたのだった。


「笠を被った薬師達・・5人とも各国の名付きと遜色の無い力量だったわね。私達各国を渡り歩いてるけど見た事も聞いた事もないわ。」


「ああ。鈴剣流の女薬師と水行法を使う薬師は1人を俺達全員で相手取ってやっと五分だな。」


「でも私達が戦った薬師は・・・」


キッサがが言葉を濁す。言葉の続きは口に出さなくとも分かる。

有利な条件での始まりだった。鈴剣流薬師、顔は見えなかったが恐らく背格好から女と思われるが、其れと弓を扱った薬師を混戦の中で奇襲を仕掛けた。


サンドラ達に気付いた様子は無かったのに反撃を喰らっていた。


思い返すだけで鳥肌が立つ。

サンドラが突如仕掛けられた大規模な土行法を躱せたのは奇跡だ。

運が良かったに過ぎない。攻防一体のあの土行法を仕掛けられ、運良く躱せた時にサンドラの心は綺麗に折れた。


そしてその判断は間違っていなかったと今でも思っている。

あの男は敵に回してはならない。


「なあ、金にも余裕がある。怪我もしてしまったし、テオが歩けるようになったら菅笠の薬師について調べて見ないか?」


ディミトリが提案する。

キッサに巻いてもらった新しい包帯の上をそっと撫でている。


「薬師は森に入って薬材を採取する都合でか、苔色、土色の衣類を身に纏うそうですからね。」


「俺は一度蓑を着込んだ男を見た事があるぞ。」


「私もその時一緒に居たわね。三度笠を被っていたかしら?」


「苔色の菅笠と外套か。外套も全身を覆っていて近付いても恐らく口元しか見えないだろうな。」


「あまり目立つ風体じゃ無いけどよく考えればあまり見ないよね。」


戦闘を行う薬師。擬態しているだけなのだろうか?


だが各村や町に入る際は薬師組合への照会が成されるはず。それは商人や職人も変わりない。


登録名簿は月に一度更新されて全国の支店は其れを共有し、町の衛兵に配布する。


衛兵達はその名簿を参照し人々の出入りを管理するのだ。


何れにせよ何処かの戦争に参加し、彼らの様な規格外の相手をさせられるぽっくりと命を落とすわけにはいかない。


普段から傭兵として戦争に参加する際は敵や味方の指揮官の情報や名付きが参戦するかも事前調査する。


今回は調査不足だったと言う事だ。


「でも話せば分かる相手みたいで良かったよね。降参の意思を表したら見逃してくれたわけだから。」


「そうだな。先に仕掛けたのは仕事とは言えこちらだ。2度目は無いと思った方がいい。」


サンドラ達は暫く弓使いの薬師の技について議論していた。


鳥が1羽、彼等が休む天幕の上から飛び立つ。

誰もそれには気付かなかった。



苔生した古い遺跡にシンカ達は訪れていた。

ポルテから脱出し薬師を村に送り届けてからシンカ達は山渡り達を拘束している遺跡へと向かったのだ。

遺跡に到着するとリンメイがシンカ達を出迎えた。


「シンカ。ナウラ達もヨウロ達も無事みたい。良かった。」


「うん。変わりはないか?」


「大丈夫だよ。」


変わりが無いことを確認すると森渡り達は遺跡へ踏み入った。


石組みの朽ちかけた通路を進むと両手両足を壁に飲み込まれた男女7人の姿が見受けられる。


「食事は?」


「食べさせてるよ。7人もいると大変だよ。」


ヨウロの問いにリンメイが答える。

因みに排泄は1人づつ連れて行わせている。


「こんな事をして許されると思ってるのか!?」


ナウラが連行した太った男が怒鳴った。


「止めなさいサブリ。」


「煩いっ!こんなに少ない食事で痩せちゃったらどうするつもりなんだっ!」


「お前は1年くらいこのままの方がいいな。」


隣の長身の男が馬鹿にした声音で吐き捨てた。


「お前こそ骨と皮だけだから女1人に負けるんだろ!」


「多少食ったところでお前を正面から吹き飛ばす相手に勝てる様になるとは思えん。」


ヨウロは腕を組んで深く考え込んだ。


「残念だがお前らに良い食事を与える事は出来ない。お前らは此処で今から殺す。」


「・・部下達は助けてもらえない?」


女が口を開く。


「お前らの仲間が此奴らを狙ったと聞いた。どう思う?」


「私は知らないわ。別の部隊よ。その部隊は既に壊滅させられたと聴いたわ。」


「いや、1人逃した。」


シンカが答える。


「お前達の壊滅した仲間は何故我等を狙った?」


「知らないわ。知らされてないもの。」


「真実だな。」


女の顔を覗き込んで言葉が真実か否か判断した。

シンカの判定から逃れられないとよく知る女は顔を僅かに歪めた。


「お前達を見逃せば次に会う時は我等を狙う駒となっている可能性がある。そうだな?」


「・・・否定はしないわ。」


「みすみす敵の数を減らせる機会を見逃す我等では無い。」


「その通りね。なので私達は私達が切ることができる唯一の手札を切ります。」


「ふむ。言ってみろ。」


「貴方方森渡りに帰依します。」


女は動かぬ体を最大限に動かし頭を下げた。


「ほう。此れは意外だな。シンカ、センヒ、ナウラ。どう思う?」


「私は殺すべきだと思うわ。嘘はシンカが何も言わない以上ついていないんでしょうけど。寝首をかかれて後悔したく無いわね。」


「私はシンカの言う通りにします。ですが個人の極めて感情的な意見を述べさせて貰えば、降伏した敵、即ち捕虜を殺す事は人道に反するのではと愚考します。」


感情的と言いながら感情のかけらも感じさせない表情と口調でナウラは言い切った。

ロランは兎も角ヴィダードとユタに微塵も気を払わないヨウロの発言も若干気になる。


「シンカは?」


「俺は元々生かして返すつもりだった。ヴィーを殺しかけた風行師の身柄と交換と言うのも面白いが。」


「巫山戯るなよ。真面目に答えろ。」


「真面目だが?あの男はヴィーの命を奪う寸前までに追い遣った。手と足は奪えた様だが、足りるものか。何れは必ず見つけ出して殺すつもりだった。此奴らからすれば安い代償だろう。2人を逃してその男を連れて来させる。逃げれば残った者を殺す。連れて来れば帰依したと認める。良い判断材料だと思うが?」


「・・・」


ヨウロはシンカの目を見て押し黙った。

ヨウロはシンカの目の中に煮え滾る溶岩の様な熱量の怒りを見たのだ。


ヨウロは思い出した。誰よりも山渡りを憎んでいるのはこの男だと言うことを。


「辞めておこう。それに言ったはずだ。俺は判断をお前とセンヒに任せると。」


「・・・帰依すると言うのなら里に連れて行こう。生かして。だが条件がある。」


「本気なのヨウロ!?」


「ああ。疲れたんだよ。殺し疲れた。」


「・・・私は知らないわよ。此奴らに私の家族が殺されたらヨウロとシンカ、あんた達必ず殺すから。」


センヒの言う事は間違っていない。彼女は若い。優秀で正しい。


だが経験が足りない。ヨウロとシンカは疲れていた。


襲われるから殺す。殺して恨まれて恐れられて。


帰依したいと言われその言葉が嘘では無いのなら信じたかったのだ。


可能性を考慮すれば、ここで命を奪っておくべきだと言う事は痛いほどわかっていた。


「それでいい。センヒ。・・で、条件だが。解放して一晩シンカと過ごしてもらう。ナウラ。飲めるか?」


ナウラがヨウロの顔を凝視した。

捕虜を殺すべきでは無いと言ったナウラだ。

7人の中にシンカを1人置くことによりシンカを害して逃げるか大人しくしているか判断するつもりなのだ。


山渡り達が害意を持った時、シンカなら返り討ちにできる筈という判断もある。

だがナウラにとっては受け入れ難い提案でもある。


ヨウロはナウラがシンカを愛している事を察知していた。


綺麗事を述べるだけの覚悟があるか試したのだ。


ナウラはシンカの顔を見つめた。


「・・・問題ありません。」


「あんた達師弟はどうかしているわね。」


怒ったセンヒは背を向けて遺跡から出て行った。


「次の村で待つ。」


ヨウロもロランを連れて遺跡を出ていった。


「シンカ。」


「うん。」


じっと見つめられる。


「また後程。」


話を聞いていなかったせいでよく理解出来ていないヴィダードを引きずってナウラも遺跡を出て行く。


シンカは床に手を突き土行法 練土を行う。

山渡り達の手足を飲み込み硬化していた壁が土に変わり、拘束が解かれる。


「助かったわ。」


隊長格の女が膝を摩りながら口を開いた。


「どうして私達を生かす気になったの?」


「話していた通りだ。殺したい相手だけ殺せば良い。・・怪我を見せろ。治療してやる。」


山渡り達の中で最も重傷なのは左目を失った男だ。

こう見るとユタは目を狙う戦い方をしているように見える。


「弟子達が悪いな。未熟で荒々しい戦い方しか出来ん。」


「み、未熟・・ね。まあ戦争だからこういう可能性は考えていたけど。」


全員の治療を行い武器を返却した。

武器は痕跡を消すために全て回収してあった。


「ああ。これは罠なのね?」


隊長格の女はレミと言うらしい。

レミは湿布を巻かれた腕と武器を見つめながら口に出した。


「7対1という状況下で私達が貴方に牙を剥くかどうか貴方達は確かめている。」


「レミ様。しかしそれではこの男を囮にして見捨てたと言う事では?」


ニルスと呼ばれる男が尋ねる。


「シンカさんは私達を捕らえた3人の女性の師だとの事。1人で私達を相手どれるんじゃないかしら?それにシンカさんは森渡り達の中でも発言権があった。捨て石にするなら彼では無いはずよ。」


その予測は間違っていない。

彼らにとって受け入れ難い事実を立ち所に正と断じられる彼女は頭となる資質があったのだろう。


シンカにも葛藤がないわけでは無い。

彼らを殺しておくべきと言う考えは未だに持っている。


しかし、これは教育だ。


未熟で心優しいナウラへの教育だった。

自身の優しさが自身を傷付かせる可能性がある事を示したのだ。


聡いナウラは理解しただろう。


同時に言葉にした通り殺しを疎う気持ちも確かにあった。


ヴィダードが傷付けられあわや死の危険すらあった事は事実だが、捕らえてある彼らは何も知らない。


無実なのだ。


シンカは此れからも多くの敵を殺すだろう。

避けられるのであれば避けたい。それは確かな思いだった。


「・・・少なくとも俺から危害を加える気は無い。身構えなくてもいい。腹を満たして一晩休みここを出る。」


「分かった。世話になる。」


「何故帰依する事にした?里に家族は居ないのか?」


保存食を分け与えて食事を取る。

特にすることもないのでレミと会話する事にした。


「私とウジン、カラ、モリスには居ないわ。他も配偶者は居ないわね。親兄弟は居るけど数も多いし問題は少ないと皆で考えたの。少しリンメイさんと話たけど私は何かの利益の為に戦争に参画させる里より同朋を守る為に死力を尽くしている貴方達の里の方に共感を持てた。」


「我等の自由奔放ぶりは確かに自慢の出来る長所だと思うが。」


「所で聞きにくいのだが、カラとモリス、キリルは。我々の残り3人の仲間は・・・」


「名前は分からぬが男2人はポルテで指揮官の暗殺を企んでいた処を捉えヴィティアに引き渡したそうだ。残り1人は何処かに紛れ込んでいるのだろう。見つかっていない。」


「分かった。情報に感謝します。」


「うん。」


「レミ様」


若い男がレミに声をかける。確かニルスという名前だったはずだ。


「どうした?」


「失った目が・・治りました・・」


シンカの持つ軟膏を左目を失った男に塗布していた。

時間が経ち眼球が再生したのだろう。


「目を・・再生?まさか・・」


「赤土の連中はこれ程の相手に襲いかかったのか・・・」


「技術力が我々とは隔絶している・・」


「矢張り帰依したのは正解だったか・・」


「おいしい食べ物もたくさんあるかもしれないね」


山渡り達がざわめいている。


「美しい娘と結婚できるだろうか?」


「俺は胸が大きい方がいい。」


「私は美丈夫と結婚したいわね。」


都合のいいことばかりを述べている。

彼らの処遇は長老が決めるだろう。

10年単位で里を出る事は出来ないはずだ。

今頃ヨウロが里へ向けて鳥を飛ばし彼らを連行する人員を手配している頃だろう。


結局その日、山渡り達が約束を違える事はなかった。



森の中を薬師達を滞在させている村まで歩いて向かう。

夜の森は昼よりも魍魎の濃い気配に包まれている。


ナウラを含む7人の森渡り達のは精鋭兵ですらも怯え蹲る程の濃い森の中を白昼の街中を歩く様に気負いなく進んでいた。


だがよく意識を凝らせば衣摺れ一つ立てずに幽鬼のように滑るように進んでいることがわかる。


暗闇の中でも障害物や足元の異物を識別し枝葉の一つすら踏まぬよう意識が払われている。


ナウラは考える。

自分の行いが正しいか否か。


山渡りの中に自分の敬愛する師を、自分の親愛する夫を置いてきた事を。


ナウラは初めて戦争を目にした1年前からその行為を受け入れる事が出来ていなかった。


害意を抱く相手と戦い葬る事に躊躇いはない。

だが無抵抗の相手を殺す事は受け入れられなかった。


森渡り達の懸念も理解できる。大枠としての山渡りは森渡りを狙っている事は確かで、現に自分も命を落としかけている。


だが今捕らえている山渡り達はそれとは無関係で自分達に害意も無かった。

シンカに助命を嘆願し受け入れてもらったのはナウラだった。


ヨウロとシンカは敵を助ける事がどういう事か、最も身近で大切な人間を置き去りにする事で学ばせようとしたのだろう。


だから今でもこうしてナウラは思い悩んでいる。


山渡り達がシンカを殺し落ち延びたとしたらと。

ナウラの謂わば我儘の責任をシンカが取ったのだ。


シンカはあの時目で自分は大丈夫だとナウラに告げた。


ナウラが抱く争いを厭う気持ちをシンカは大切にしている。

それはナウラに十全と伝わっていた。


父と母を失い里での居場所を失ったナウラにとって、シンカは全てだ。


父であり兄であり師である。そして何より愛する伴侶、夫である。


時折頭を撫でる手に深い愛情を感じる。里での生きる事に必死だった生活と比べれば色鮮やかな毎日だった。


それを自分の自我の為に失う可能性がある。


十分伝わった。


もしかしたらシンカやヨウロはそうして何かを失ってきたのかもしれない。


失う前に危険性を認識しろという事だ。

十分、身に染みて理解できた。


村に向けて進む内に森が浅くなってくる。

魍魎は小型になり危険性も薄まる。


その段になってセンヒという女の森渡りが声を掛けてきた。


この女をナウラはあまり好かない。伴侶に対する攻撃的な発言を行う相手を好くことが出来る者は多くないだろう。


「貴女はシンカとどういう関係なの?」


意図がわからない質問だった。


「弟子ですが。同時に伴侶でもあります。」


ナウラとシンカの間に隠さなければならないような物事は存在しない。


「あの男、弟子を手篭めにしたの?」


矢張り攻撃的だ。ヨウロは歪んだ育てられ方をしてシンカに対し歪な感情を持っていると言っていた。


「いいえ。逆です。振り向いてくれないのでヴィーと共謀して酒と薬で潰して押し倒しました。」


これはナウラにとって自慢だった。

あの万年長耳豆兎の様に気を張っている男に薬を盛って意思を曲げて押し倒す事など早々出来ることではない。


「そ、そう。」


「ええ。結果、責任を取って貰えましたのでやって良かったです。」


センヒはひくりと口元を痙攣させた。


「私の伯母があれの義理の母なのよね。血は繋がってないけど。」


「そうですか。確か5人母が居ると聞きました。」


「私達は狭い里の中に籠るから血が濃くなり易い。だから男が外の女を何人も連れてきて娶る事は寧ろ推奨されてるけど、あれの叔父は里の女5人を娶り大顰蹙を買ったわ。でも貴女もヴィダードもユタも外の人間だし誰も反対はしないでしょうね。」


「・・申し訳有りません。シンカの事をあれと呼ぶのをやめて貰えるでしょうか?あれと呼びたいのであれば私には話し掛けないで貰えるでしょうか?不愉快ですので。」


「・・・分かったわ。ごめんなさい。どうも・・ね。」


「何かシンカが貴女にしたのでしょうか?あまり社交的な人ではないので考え難いですが。」


「・・・いいえ。分かっては居るのよ。八つ当たりだってね。私はセン家の唯一の直系で、父はそういう事を気にする人だったから何時も・・。シンカに会ったことは無かったから。シンカは18の時に里を出て戻ってこなかったから知らなかったのよ。あれは天才ね。」


センヒは溜息をついた。

疲れた様な、何処か気の抜けた様な顔だった。


「私は里に行った事もありません。森渡りはヨウロとセンヒ、ロランしか知りません。」


「この前のポルテでの戦い。私は自分の事で手一杯だったけど。シンカは違った。戦っているのを見て分かった。返り血一滴浴びないなんて・・」


「そうなのですか。偶に死に掛けているので森渡りとしては普通なのかと思っていました。」


「偶に死に掛ける?」


「ええ。私は狩幡で死に掛けている所を拾われたのですが、三尺具足数百に囲まれて死に体でした。」


「何人で戦ったの?」


「1人です。」


「ん?」


「私も血を失って意識が朦朧としていました。シンカが1人で波の様に押し寄せる黒い虫を追い払っていました。」


「無理よ。あれは災害よ?あり得ない。あり得ないわよ1人なんてっ」


「無理であれば私は今頃此処に立っていないでしょう。多くの教えを受けた今だからこそ分かりますが、あればシンカもギリギリだったのでしょう。無理な行法で臓器を損傷していたのではないでしょうか?」


あの夜の光景は今でも瞼の裏側にこびり付き目を閉じれば思い返す事ができる。

命を賭して自分の身を守ってくれた人を嫌いになろう筈も無く、こうして未だに共に居る。


まさかあの時は導かれるとは思わなかったが。


「貴女は、そんな偉大な師の元で修練を積んで。心が重くならないの?追いつかなきゃならない。全てを受け継がなきゃならない。期待に応えなきゃならない。そんな風に思わないの?」


センヒは答えを得たいのかもしれない。ナウラはそう思った。


彼女がどんな教育を受けてきたのかは知らないが同情はしない。歪むのも折れるのもその者の資質だ。


「思う事もありますが、重くは感じません。何故なら私は好きで弟子入りしたからです。学ぶのは楽しいです。旅をし、新しい経験を積む事も。訓練は辛いですが、必要な事と心得ています。殺し合いは好みませんが必要である事も分かっています。何より愛する男と常に共に居られる今の状況が幸福であると私は分かっています。」


「・・表情一つ変えずに惚気るのね。」


表情が変わらないとよく言われるがナウラではあるが、ナウラ自身にその自覚は無い。

肌の色で分かりにくいかもしれないが頰が火照って居る自覚もあるし、自分では少しだけ笑っているつもりだ。


シンカなら分かってくれる。


表情を読み取って、俺もだ。と言ってくれるだろう。


「成る程。・・男・・ね。私もそろそろ身を固めないと・・か。」


「男を見つけるならまずは私の様に穏やかで慈愛深くなるべきでしょう。貴女は少し攻撃的です。そのままでは顔目当ての糞野郎にしか見向きされないのでは?」


「・・・っ」


頬がひくついた。体温が上がっている。図星を突かれて怒り半分、恥半分といったところか。


「成る程。経験がありましたか。これは失礼しました。」


「あんたら、そっくりな師弟ね。本当、人を苛立たせるのが上手い。」


「おや。有難うございます。似た者夫婦という事ですね。側からもそう見えますか。嬉しい限りです。」


「褒めてないわよ。本当。」


「私からの助言ですが、もう少し笑って見ては?固すぎる様に見えます。」


「あんたに言われたく無いわねっ。本当にあんたにだけは言われたく無い!」


「そうですか。これは余計なことを。」


センヒはこめかみを片手で押さえて揉み込んだ。


生理痛だろうか?いや、血液の匂いはしない。などどセンヒの体調を推し量る。


「貴女、歳いくつ?」


「18ですが。何か関係が?」


「じゅ、18?見えない。これだから東の者は。」


「因みにヴィーは43です。」


「私の倍?嘘。」


センヒはユタに腕を掴まれながら歩くヴィダードを凝視した。


「でもそれなら貴女より先にシンカは死ぬわよ?いいの?」


「良くありませんが仕方がないでしょう。今更止めることは出来ません。衰えたシンカの粗相を処理する覚悟もできています。」


ナウラがつげるとセンヒは顔を蹙めた。想像したくもないという事だろう。


「シンカが80まで生きてもエンディラの民なら後60程度は生きるんじゃないの?別の男と結婚するのかしら?」


「エンディラの民は生涯に1人の伴侶しか持ちません。伴侶の死後は子供と過ごせば寂しさも薄れるでしょう。貴女に伴侶はいないのですか?」


「そうね。やっぱりこの性格のせいかしら。前の男もろくでなしだったし・・」


この夜ナウラとセンヒは親睦を深めることが出来たのだった。



数日後隣国ラクサスに滞在していた森渡りが15人派遣され、山渡り達を連れて里へ向かっていった。


虜囚である事も忘れて生き生きとした様子の者が数名見受けられた。

中にはシンカの義理の母の親族もおり、シンカを無理矢理引きずって行こうとしたが痺れ針を撃ち込まれて撃退された。


スライの仲間達を救出する仕事が残っている。

シンカ達8人はスライを目指して進み始めた。


ヴィティア国内を制圧して回るベルガナ第2師団の中隊を避け第1師団の本拠地が置かれるウルマ近郊に2日で辿り着く。


そこから先はスライから広がる路という路に検問が敷かれ徹底的に封鎖を行なっていた。

矢張り幾らかは魍魎からの被害も発生しており、散らばった人の手足や血の染み込んだ砂地などを時折見る事もある。


森を進みベルガナ軍の目を盗んでスライの手前まで到達するのに更に2日を要した。


森の際からスライの石壁を8人で見上げる。

スライの南側だけは壁は無く、湖が広がっている。


シンカとヴィダードが2人で湖畔を歩いた湖だ。

湖の辺りは今や逆茂木や杭列が並びベルガナ兵の進行を抑えるべく準備が整えられている。


ベルガナ軍は今は威力偵察程度の戦いしか仕掛けていないのか台地に転がる死体は少ない。

しかし夜な夜な獣や鬼が死体を漁っているのか損傷具合は酷いものだった。


「どうしたものか。」


「軍隊蟻でも引っ張ってくるか?」


「この辺りにいるのか?」


「火喰蟻の巣が西の森中層にあったぞ。」


「シンカお前・・そんなのに襲わせたら膨大な数の死人が出るぞ。」


「戦争を仕掛けたんだからそのくらいの犠牲があっても然るべきだろう?」


「いやいや、火喰蟻は惨すぎる。」


「少し前に盗賊団に八咫火蜂を仕掛けたぞ。」


「・・・」


火喰蟻の案は惨すぎるという事で却下となった。


「笠で渡るか?」


「行きは良いが、帰りに薬師達を逃せないだろう。」


シンカ達が被る菅笠は編み込む際にある芋を摩り下ろし析出させた粉末を練り込んでいるため水を弾く。鍔が広く水を弾くこの笠は30貫程度の物を載せても水に浮く。


つまり巨漢でなければ笠に乗って水を渡る事が出来るのだ。

しかし今回は行きは良くても帰りに一般薬師を連れる事が出来ない。


「地中を土行で掘り進めるのもポルテ同様難しいだろうな。」


「そうね。私も無理だと思う。」


「攻め入るベルガナ兵と共にスライに踏み入るか?」


「そもそもスライで略奪行為は行われるのでしょうか?」


「行われない可能性はあるが行われる可能性もある。その危険性を無視する事は出来ない。」


ナウラの疑問にシンカは答えた。


興奮した兵士が指揮官の思惑を離れた行動をとる事は容易に考えられる。


「湖から侵入して中の仲間と合流し、ひとところにに立てこもるというのは如何かしら?」


「いいんじゃないか?何処か建物の地下に潜伏するというのはありかもしれん。」


センヒの案にヨウロが賛成する。


「良い考えだと思う。多少の略奪は行っても火の海にする気は無いだろう。釜蒸しにされる恐れは少ないだろう。」


シンカも賛成すると意思決定を行う3人全員が賛同した形となる。

各々森で木から枝を切り落とすと櫂を削り出す。


シンカの弟子3人もその程度の工作は行うことができる。


意外にも最も得意とするのはヴィダードである。

彼女は手先が器用だ。ユタも鈴剣流を収めているだけあって手先が器用で櫂を枝から削り出すだけで無く裁縫などの飲み込みも早い。

ナウラは器用では無いが努力で習得する。


櫂をそれぞれが作ると夜陰に紛れ笠を舟に湖へと漕ぎ出した。


蒸し暑く虫の鳴き声に満ちた夜の事だった。

戦争の趨勢が定まりかけた時期にシンカたちはその最終局面となるスライに静かに忍び、紛れ込んだのだった。

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