故郷は白山の中に

シンカと4人の伴侶はいつも通りの怠惰な生活を送った。

午前中は体を鍛え、昼食を取ると経を至る所に放出して練経の速度や濃縮の訓練をする。

ナウラがカヤテとヴィダードとユタに知識を披露しているのを横で眺め、自身の書を書き上げるべく思い付きを記帳し、考察を繰り返す。


ナウラの立ち姿から骨格を読み取り骨格図を書いているとナウラが僅かに目を細めて嫌がった。


カヤテは真面目に学んでいたが、相変わらずヴィダードとユタは興味を示していない。

但し、2人にも差はある。

ヴィダードは話を聞いていなくても必要な部分は本能か何かで察知し最低限蓄えている。

ユタは駄目だ。本当に、駄目だ。


今も食用茸と毒茸の見極め方と種類についてナウラに教わっているが、眠気のあまり両目が寄っている。

一方のヴィダードは何処を見ているか分からないが、恐らくなんだかんだ毒茸を見分けるのだろう。


夕方になれば食事をし、時に酒を飲み時に部屋でゆっくりと過ごし時に伴侶達其々と蜜月の時を過ごした。


その日、シンカは一人で蜂蜜色の石橋、その手摺に腰掛けて星空を見上げていた。

秋中月は夜半でも暑いが川面を通り抜ける微風が幾分か暑さを払ってくれる。

加えて川の周囲は幾分か気温も低く心地よかった。


せせらぎの音に耳を傾けていると里を出た時の事を思い出す。

近くにリンファがいるだけに尚更感傷的になっていた。

甘い汁の出る茎を口に咥え、脚をふらつかせていた。


「お前、本当に暢気だな。いつになったら里に帰るんだ?!」


橋の親柱の横に立ったヨウロが顰め面で空を見上げるシンカに問うた。


「・・・」


シンカは黙り夜空を見上げたまま黙り込んだ。


「そんなに里に帰るのが嫌か?」


ヨウロの言葉にシンカはなんと答えて良いか分からなかった。

伴侶が出来て過去の傷を乗り越えられたと思っていた。

情け無い自分が嫌だった。


「何があった?何故お前は里を出た?それほどの事があったのか?」


「個人的な問題だ。側から見れば些細な話だ。」


「分からん。お前程の男がそうも里を拒むなど・・・」


「買い被りだ。俺はただの人間だ。些細な事で悩み、苦しむ。」


自分の悩みは矮小だと分かっている。故に話し出す事が出来なかった。


「言えよ。お前、俺はお前の槍の師だろ?もう腕は抜かされちまったが。」


歩み寄ったヨウロは欄干に肘を着いて川面を見つめた。


シンカは迷った。

随分と悩み、漸く口に出す。


「・・・俺は里で寝取られ腑抜け野郎とでも言われて馬鹿にされてるのではないか?」


「・・・・は?」


ヨウロは酸欠の沼鮒ぬまぶなの様な間抜け面で暫しシンカを見詰めた。


「いや、お前、・・・え?んー、ああ、そう言う事?か?・・・あー・・・成る程。分かった。」


ぶつぶつ呟くと一人で何かを結論付けた。


「何があったか大体分かった。取り敢えずお前のそう言う話しは里の誰も知らん。お前が里に帰って馬鹿にされる事は無い。安心しろ。」


気休めなのか真実なのか。少なくともヨウロが嘘を付いていない事はわかった。

シンカは肩からどっと力が抜けるのを感じた。


「・・なら、帰るかな・・・」


呟いたシンカの隣でヨウロが息を吐き胸を撫で下ろしていた。


「だがヨウロ。もしも嘘だったらお前がスライでミレイちゃんとやらに渡した贈り物を全てキュウルとヨウルに伝える。」


キュウルはヨウロの妻でヨウルは娘である。


「ばっ!?お前、何故それを?!いかんぞ!それだけはいかん!」


騒ぎ立てるヨウロの横で漸くシンカは里に帰る事を決定した。


3日後、一同は旅支度を整え早朝にエリンドゥイラを出発して進路を北東に取った。

15日かけてガルクルト領内に到達すると其処から東に歩を進めた。

5日後ガルクルトの王都ゴール近郊を通過しその3日後には白山脈の北側裾野に到達した。


この辺りはかつてアガド人の都市が広がっていた為古い遺跡が多い。

森の下敷きになり苔生した三千年前の遺跡で夜を過ごしながら更に東を目指した。


この頃には1人2人と菅笠の薬師達が集い始め、徐々に里帰りの人数が増えていった。


此処からは慎重になる必要がある。

痕跡を残しそうになるユタとカヤテの尻を叩きつつ裾野を進み、軈て険しくなった道無き山を登って行った。


白山脈は夏でも山頂から8合目にかけて雪が残る。

険しい道中ではあるが、鍛えた一同は余力を残して進んでいた。


7合目に辿り着くと巧妙に隠された岩肌の穴を潜り洞窟を進む。洞窟の先は広葉樹林となっており再び森を進む。


ゴール近郊から此処までで10日が掛かっていた。

森を抜けるとすぐに岩場が眼前に現れる。


清水が流れ落ちる段差を登っていくと先は台地になっている。

台地の外周部は竹林となっており、そこへ一行は足を踏み入れた。

聳える竹の壁に好奇心が旺盛なカヤテとナウラは目を輝かせて周囲を伺っていた。


「グレンデルの人間もイーヴァルンの民もエンディラの民も。この里に足を踏み入れるのは初めてだろうな。」


ヨウロがしみじみとした様子で言葉を発した。

暫く竹林を進み抜けると視界が開けた。長閑な里が広がっていた。


砦柵に近寄り、それをゆっくりと撫でた。

乾燥してささくれ立ったそれの感触を愛おしむ様に撫でる。


「懐かしいか?」


尋ねるヨウロに頷きだけで返事をした。

今までシンカは大陸の至る所を旅して来た。

だが、森渡りの里よりも穏やかな場所はどこにもなかった。


紅葉樹で色とりどりに彩られた山を背後に、せせらぐ小川の周りで女達が談笑している。

子供は数人の大人の元広場で体を動かし、東屋では読み書きや知識を教わっている。

どの人々も苔色の衣類を身に纏い、生活を送っていた。


「これが・・・。子供の学舎。皆に学ぶ機会があるのか・・」


カヤテが呟く。

一行を目に止めた子供達が訓練を辞めて此方に駆け寄ってくる。


兄ちゃん、姉貴、父さん


呼び名は様々だが、無事に帰った戦士の家族達だ。


14程の少年が8歳程の子供を連れてリンファの前に立った。


「姉さん。危険な目にあったって聞いたよ。」


「ただいま、リンホウ。リンスウも。元気だった?」


「俺たちは変わらないよ。」


「リンホウか。大きくなったな。」


「あ?誰?・・え」


少年リンホウはシンカの顔を見て固まった。

シンカが里を出た時、家族で3番目に年若かった幼子が背も5尺半弱まで伸び、腕や脚にもしなやかな筋肉を付けて眼前に立っていた。


「シンカ兄さん?・・うおっ!」


リンホウは8歳の子リンスウを置いて走り去っていった。

シンカはリンスウの前に屈み込むと目を合わせた。


「初めましてだな。シンカだ。俺の事は知っているか?」


黙って頷くリンスウにシンカは懐から飴玉を取り出して与えた。


「今日は夕飯は一緒になると思う。宜しくな。誰の子だ?」


「シャラ母さんだよ。」


「そうか。じゃあ水行と槍が得意になりそうだな。」


頭を撫でるとリンスウは小鼻を膨らませ、興奮した様子で頷き、走り去っていった。


「お前!シンカ?!帰って来たのか!」


大人達まで駆け寄ってくる。


「シンカ。直ぐに長老達の所へ行け。」


「俺の息子をお前に師事させたい。」


「あんた私の娘と結婚しなさい。」


「私の娘とシンカは結婚するのよ。あんたの娘、まだ這い這いしかできないじゃない。」


「あんたの娘はあんたに似て不細工だから無理よ。」


途端に騒動が巻き起こった。


「長老の所にはいかない。」


「何言ってる!?爺さん達がどれ程怒っていたか!」


「俺は悪事を働いた覚えはない。用があるなら爺いどもが家に来いと伝えろ。」


「こっ、こいつ、なんて傍若無人なんだ・・」


「傍若無人は爺い供だ。歳をとり糧を得られなくなったのなら謙虚にするべきだ。弟子ももう取らん。」


「なにっ!?お前、それは損失だぞ!皆が許さないはずだ!」


「弟子に誰を取るかは俺が自分で決める。誰かに指示されるいわれはない。あんたらもそうして来た筈だ。うちによこしても俺は何もしないからな。それに結婚もしない。伴侶は既に得た。」


「うわっ、美人が4人も!?」


「1人目付きが悪いな。」


「俺はイーヴァルンの民の身体じゃ勃たないな。」


「エンディラの民!すごい身体だ。不味いな。勃って来た。」


「あれはグレンデル一族か?目の色が薄いな。かなり高貴な出身では・・・」


「俺、あのイーヴァルンの女の人怖くて駄目だわ。」


「俺も。」


「俺も俺も。」


「俺は踏まれたい。」


人混みを掻き分けて家に向かう。

シンカの家は2つある。両親から残された、今や誰も住まぬ家。

もう1つは10年を過ごした養父の家。


本当の家。


リンファと共に4人の女を引き連れてそちらを目指した。


森渡りの家は横穴式住居だ。

巨大な岸壁の岩肌をくり抜き住居としている。

だが採光用の穴を多く設けたそこは明るく清潔で居心地が良い。

夏は涼しく冬は暖かいのだ。


とうとうシンカは11年振りに懐かしい家の扉の前に立つ事となった。

四角く岩をくりぬいた扉には厚い木の扉が付いている。

窓には石英を薄く切り嵌められている。


「シンカ。素敵な家です。シンカのような暗い人がこの様な、外観だけで皆が明るいと分かる家で育ったとは。私は自分の不明さを恥じています。」


「ナウラ、それは言い過ぎだぞ。シンカが誠実な男に育った理由が分かるというものだぞ!」


「恥ずかしいから止めろ。」


遣り取りを背にリンファが扉を開いた。

中から喧騒が聴こえる。


「本当なんだって!母さん!」


「あんた前もそんな嘘ついたじゃないの。」


「僕も飴もらったよ!」


「ええっ?そんなどこで拾ったか分からないもの早く捨てなさい!」


「やだああああああああっ」


「あら、それラクサスの名産品じゃない?」


「スウ!俺に寄越せ!」


「やだっ!僕がシンカ兄ちゃんに貰ったんだ!」


「嘘付け!シンカ兄ちゃんはお前の事なんか知らないよ!」


「知ってるもん!くりんくりん頭の暗い人だよ!」


騒動の中にリンファが踏み込んでいく。

ナウラ達を待たせ、シンカも後に続いた。


「お母さん、帰ったよ。」


「俺も帰ったぞ。」


「あらっ!」


騒いでいた家族達の視線がこちらに集まる。


「あんたっ!随分男らしくなったじゃない!というよりもう30よね?老けたわね!」


「どこほっつき歩いてたのよ!変な女に捕まってた訳じゃないでしょうね!」


「シンカ。伴侶にするならお義母さんみたいないい女を見つけなさい。で、どうなの?」


29にもなって母達に揉みくちゃにされる。


「辞めてくれ・・おい!誰だ今股間触ったのは!気持ち悪い!辞めろ!」


「シンカ。随分と遊んだみたいね。子供は作ってないの?」


「カイナ!正気か!?義理とはいえ息子だぞ!?」


シンカが到頭経を練り始めると5人の母と弟妹達が離れていった。


「大人になったね、シンカ。お帰り。」


始めに笑いながらシンカを強く抱きとめたのは養父リンレイの2人目の妻、センコウ。

大らかで気さくな母。


「3年程前に弟子を取った。連れて来ている。」


「あら。弟妹達の面倒も見ずに一丁前に。それで?冬は里にいるんでしょう?少しはゆっくりしなさい。」


言葉がきついのは1番目の母リクファ。リンファの実母である。


「冬籠りはするつもりだ。元気だったか?」


「ええ。皆んな変わりはないわよ。」


「そうか。良かった。」


「シンカさん。今29ですよね?伴侶はどうするつもりなの?弟子を取ったとはいえ、子供も作らないと。」


物腰が柔らかい5番目の母シャラ。

シンカとは9しか歳が離れていない。


「伴侶は見つけて来た。今外に待たせている弟子がそうだ。」


「まあ!それならリンファちゃん、残念だったわね。」


残念とはどういう事だろうか。

今更自分に興味があるとも思えない。

リンファはシンカへの魅力を失い恋人関係を終わらせた。


再開してからも復縁を臭わせることはなかった。

シンカの知っているリンファの性格であれば、なんの引っかかりもなく復縁を迫るだろう。


何時も強気で堂々とし、シンカを振り回して来たリンファだ。


「あんた女の子を外に待たせてる訳?早く中に案内しなさい!リンホウ!リンスウ!リンナ!リンツ!お姉ちゃんとお兄ちゃん達呼んで来なさい!今日は宴会よ!」


「おっ!」


「やった!」


「お母さん私葡萄の果汁が飲みたーい!」


ばたばたと子供達が家から駆け出ていく。

3番目の母クウルは気性が激しく言葉数が多い。


「シンカ。お嫁さん早く連れて来て。お姉さんが根掘り葉掘り恥ずかしい事聞いてあげるから。」


この下品な母が4番目の母カイナ。

見掛けは最も美しく、シンカと同年代にしか見えない。


昔からシンカや他の男子を揶揄う性悪女である。

子供達と入れ替わりにナウラ達4人が入ってくる。

カヤテが目に見える程に緊張している。


「はっ、母君!お初にお目にかかる!元グレンデル一族のカヤテと言う!今は身分を失ったがそれでもシンカを好いている。結婚の許可を頂きたい!」


「ふうん?・・・ん?赫兵?」


「まあ。元気な娘ね。」


「何でもいいけどちょっと声が大きいわね。」


「なんだか初心そうな娘ね。シンカはこういう子が好みなの?」


「健康そうでいいじゃないですか。」


「おい。言いたい放題だな。」


奥から4、5歳の子供が3人駆け出て来て居間を横切っていった。


「あんた達走るなって言ってるでしょ!拳骨するよ!」


クウルが目を釣り上げて怒鳴りつけた。


「僕、ユタって言います。」


隙を突いてユタが口を開いた。まず敬語が使えた事に驚いた。

そして鈴剣流らしい間と空気を読んだ素晴らしい間隙への一撃だった。


「どうしてこんなに目付きが悪いのかしら?もしかして私睨まれてる?」


「確かに目付きは悪いかも知れないけどそれ以外は穏やかそうな娘さんじゃないか。」


「この子も良く鍛えてるわね。元気な子を産むんじゃない?」


「感じるわ。この娘、変態よ。」


「脚が凄く長くて羨ましいわ。シンカさんったら。」


「おい・・初対面だぞ!?あんたらの人品が疑われる様な受け答えするなよ!」


シンカが吠えても5人の母はぺちゃくちゃと意見を言い合っており聞く耳を持たない。


「はいはい。次は?」


面倒臭そうに遮るリクファによってシンカの反論は潰されてしまった。


「ヴィダードよぉ。よろしくお願いしますねぇ。」


「えっ」


「シンカ大丈夫なの?この子。」


「えっ、なんか怖い。」


「シンカさん、お母さん心配です。」


「気骨がありそうね。」


案の定と言うべきかヴィダードの評価は芳しくない。

カイナの評価だけよくわからない。変人同士通ずるところがあるのかもしれない。


「ヴィダードはイーヴァルンの民だ。彼らの文化には独特のものがあり、俺が捨てると此奴は死ぬらしい。俺が死ぬまでは面倒を見ようと思う。」


「あんた、普通の女は見つけられなかったの?」


「何だろうとシンカが決めた事をとやかく言うつもりはないよ。お互いを尊重して仲良くね。」


「そうね。シンカさんなら大丈夫かしらね。」


すうっと血ばりし始めていたヴィダードの目の赤みが引いて行った。


「最後になります。ナウラと申します。3年程前に狩幡で行き倒れているところを拾われ弟子になりました。シンカには大変お世話になっております。」


「あら!しっかりした娘ね。」


「いいんじゃない?」


「いい奥さんになりそうですね。」


「面白くないわ。」


「料理を教えてあげる。覚えていきなさい。」


これも案の定と言うべきかナウラの評価は高い。

しれっとした顔をしているが右の掌に隠された左拳が相当硬く握られている。

随分と緊張している様だ。


「じゃあ今日は私達で持て成すから生家の方に荷物を置いて旅の垢を落として来なさい。」


「皆さん何か食べたいものはありますか?」


先ほど走り去った子供達がまた駆けてきて口々に自分の好物を告げる。

だが素気無くクウルにあしらわれてすごすごと引き下がっていった。


「ヴィーは肉や油で体調を崩すから脂の少ない料理も作ってくれ。虫は辞めろよ。カイナ。」


「嫌ねえ。そんな意地悪少ししか考えてないわよ?」


「考えるな阿保。」


「そういえば今は家族全員里にいるわね。子供達も所帯持ちが7人、婚いだのが4人か。凄い人数になるわね。全く。帰るなら帰るで知らせなさいよ馬鹿息子。」


「すまん。」


「いいわよ。もたもたするんじゃないわよ。」


クウルの声を背に実家を後にした。


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