始まりの街へ

女を連れて足早に森を抜ける。




子を殺され怒り狂った牛頭ごずの群れが通った跡は、さながら土砂崩れの跡の様だ。




牛頭の色覚は白と黒のみしか存在しない。


一頭の怒り狂った牛頭は群れを丸ごと感化し、集団で子供の血の臭いを追った。


臭いの先は開けた平地が続き、其処では人間が戦争を行っていた。


牛頭たちには白く視界に映る大地の元、黒い鎧のロボク勢がくっきりと目に付いた。


先の鬼行のあらましは詰まる所その程度の話であった。




しかし、人間が牛頭の色覚について知識を持つ事はない。


無教養な民草はグレンデルに鬼が味方したと考えるだろう。


その後を政治家共がどう調理しようがシンカには関係も興味もない話だった。




シンカの後ろを歩くナウラは大分森渡りに慣れたものの気配を殺す術は一族の子供にすら劣る。生態系が狂ったこの場所から一刻も早く立ち去るべく歩んだ。


シンカが戦を目にしたのは生まれて二度目だった。


一度目も森の中からそれを眺めていた。


一度目も二度目も、どちらの戦も無感動に眺めていた。


終わってから思い返し、一つの感想に辿り着く。


自分にとって、戦争は無意味。


その一言に尽きた。


如何な題目を、正論を、正義を掲げようと、其処にあるのは所詮人殺しにしか感じられないのだ。


それは少人数での切った張ったとは異なると考えていた。


盗賊の殺しであろうと、民衆の一揆であろうと、其処にはそれぞれの生活や生き死にが大抵は掛かっている。しかし、宗教の弾圧と戦争は生きる為に必要な行為とは思えなかった。


今回の戦にしても、大方豊穣の地を手にしたいロボクが自国に正当性をもたせた上でグレンデルを責め、土地を手に入れようとしたに過ぎないのだろう。


数万もの兵を動員するくらいならその兵達で森を切り開いた方がよほど死傷者も少なく済むだろう。




要は、水の低きに就く如し、という事だ。森を切り開く労力を惜しみ、既に開かれた土地を奪い取ろうとした。愚かなことだ。




ナウラは戦を見て何を感じたのだろう。




願わくば、その醜さに気付き、奪う事の虚しさを学んでくれればと思う。醜い行いのもと手にした物に、一体どれほどの価値があるのだろう。


労せず手にした物に愛着なぞ持てよう筈も無し。




厚い苔を踏みしだき、罔象道を避けて森を南下していく。風はまだ東から西に吹いている。早めに風上から抜け出なければ。




巧妙に魍魎の気配を読み取り、クサビナ領土に潜り込む頃にはすっかり日も傾いていた。


野営の準備は行わない。岩と同化し、木々に身を委ねるだけだ。




臭いを消す山蘭の葉を脇や股間を中心に擦り付け臭いを消していく。


ナウラも最近は慣れたもので、背を向けていると自分で持っていた山蘭の葉で臭いを消して寝支度を整える。


彼女を弟子に取って直に二月となる。干し肉を噛みちぎりながら陽が落ちるのを待った。




「ナウラ」




「はい」




教養の座学は何時も短い呼び掛けと答えから始まる。




「国家とは何か分かるか?」




「余り分かりませんが、人の巨大な集まりでしょうか?」




「間違いではない。付け足すなら国境線で区切られた領土内に於いて政治により治められる共同体と言ったところだろう。彼らは何故国家を作る?」




「分かりません。私達精霊の民が作る村では駄目なのでしょうか?」




「人口、規模の問題だ。家族単位では家長が家内を纏めて方向性を定めている。それが何十人となれば長を立てて村を作り、村に含まれる範疇を守らねばならない。人間の様にその数が100を超えれば町を作る。お前達だってそうだ。例えば近くに村があるとして、お前の家族はそこには交わらずに一つの家族だけで生活していくか?」




「難しいです。それに可能だとしても大きな流れに身を任せたいと思うでしょう」




「そういうことだ。町が集まり、それを領主が束ねる。その領主を束ねるのが国であり、王である。人が集団生活を送るには規則が必要だ。全てを法で縛り、束ね、国王から下々の民まで全てに利益を与えるべく導く。それが、国家だ。そして、何れは人口が増え、土地や資源が足りなくなる。土地や資源が無ければ人は生きていけない。お前達精霊の民とてそこに変わりはない。生きる為に必要な何かを安易に近くから奪い取ろうとする行為こそが、戦争だ。飽く迄俺の解釈だがな」




「必要の無い犠牲を強いる……今日死んだ兵士は無意味な死だったという事ですか?」




「少なくともグレンデル兵について言えば、必要は無かったかもしれないが、意味はあったのではなかろうか?彼らは、彼らの家族を守って死んだのだから」




シンカは干し肉を齧り終えると座りの良い位置を探し、やがてそれを見つけると目を閉じた。




「辛気臭い話は止めだ。ナウラ。お前は里に恋人は居なかったのか?」




「突然何を。そんなの、いませんよ」




「そんなのとはなんだ。大事な事ではないか。反応も過剰だ。言葉も崩れたな。心拍数も上がった。さてはおぼこ娘か」




ナウラは流麗な眼差しをシンカに向けた。




「先生の洞察力を私に向けないで下さい。我らエンディラの民は一生を添い遂げる相手にのみ身を預けます。その時が来れば、互いが添い遂げる相手だという事が分かるのです。あと、女に面と向かってその様に尋ねる気が知れません」




さらりと嫌味を織り交ぜるナウラである。当初は恩を感じてか仰々しかった態度であるが、最近は幾分か気安くなりつつある。恩を売り付けたつもりは無いので気安くなる事はシンカにとって悪い事ではなかった。




「その時とはなんだ?相手に好意を持った瞬間という事か?」




「いいえ。ただの好意ではありません。勿論好意に根ざすものではありますが。我らは心のみならず身体までもが生涯1人の異性にのみしか開かないのです。この事を我らは御導きと呼びますが、御導き前のエンディラの民は異性に性的な興味を持ちません。また、お導き後は自分の導かれた相手以外の異性に触れられる事を厭うのです」




「なんと……一体どういう現象だ。エンディラの民に人間と著しく異なる器官があるというのか?それとも土地から影響される経の作用だろうか。全く想像がつかない。この娘の腹を割ってみれば何か分かるだろうか」




「先生。腹を割るとは。私を殺す気ですか?」




「いや、そうでは無いが気になる。少しだけ駄目だろうか?優しくする」




「少しでも多くでも死ぬのでは……?腹を割る時点で優しさの欠片も存在しない気がしているのは私だけなのでしょうか?」




「………・。えっ?」




「えっ?」




ナウラは切れ長の目を見開いてシンカから身体を遠ざける様に仰け反った。




「冗談はさて置き、例えば俺がエンディラの民だったとしてナウラが御導きで俺を生涯の伴侶に選んだとする。しかし俺は小便臭い小娘は好みでは無いからナウラではなく別のエンディラの民に対して御導きが下る。俺はそこで両思いになりナウラは1人。この場合はお前は一生独り身になるのか?流石にそれは酷ではないか?」




「先生は一々私を小馬鹿にしなければ気が済まない様ですね。それにしても勘に触る設定ですが、それは有り得ません。エンディラの民は必ず御導きの元で互いを伴侶に選ぶのです。只の一つとして例外は有りません」




ナウラの右眉が僅かに痙攣した。この仕草が苛立った時のものだとシンカは気付いていた。


同時に小鼻が少し膨らんでもいる。この仕草は少し楽しんでいる時のものである。


成る程、複雑な心境だ。




「という事は、ナウラはまだ恋愛をした事がないのか。つまらん生き方だな」




「喧しいです」




ナウラが答えた時、遠くで獣が遠吠えた。


恐らく戦場跡で狼が吼えているのだろう。


位置も風下で、危険は少ないと判断していた。


だがナウラは未だ慣れない。


身を縮め、必死に息を殺している。




「ナウラ。その呼吸法では息が続かん。身体の力も抜くのだ。気配を殺しきれていない。背の岩と同化する様に潜め。息は深くゆっくり鼻で吸い、口で吐く。ゆっくり、深くだ。この時に常日頃から口の中を清潔に保っておかなければ口臭で気付かれてしまう」




ナウラは此方を見て懇願する様に首を振る。


魍魎が寄るから話さないでほしいと言うことだろう。


魍魎はここには来ない。風の流れもないし、なにせ今日は大量の餌が戦場跡にある。


その夜もこれと言った出来事もなく更けていった。






朝日が昇り始めるとシンカ達は行動を開始した。


朝食に干した木の実を食べながら森を南に移動する。




目指すはクサビナ第三の都市グレンデーラだ。


そろそろ旅の垢をゆっくり落としたいという事もあるが、何よりクサビナの都市は栄えており過ごしていて楽しいと言う理由が大きい。女も垢抜けていて見目も会話も程良い。




初めて訪れた前回は騒動に巻き込まれた為ゆっくりと過ごす事が出来なかった。




「グレンデーラとはどの様な街なのでしょうか?」




「うん。グレンデーラはクサビナの二大貴族の一であるグレンデル一族が古くに作った街で、クサビナ3指に入る大陸屈指の大都市だ。グレンデル一族は古来より武力を尊ぶ嫌いがある。街も戦を想定し延焼しないように全てが岩を切り出して作られている。街をぐるりと取り囲む巨大な街壁も石材で作られている」




「木材が使われていないのですか」




「そうだ。後は見ての楽しみだな」




森を進む最中、何かの痕跡があれば立ち止まりナウラに説明を行った。


どこまで頭に詰め込めているのかは分からないが、シンカは痕跡を見つける度にそれが同じものであっても指差し口数少なめに教示した。




正午を回ると干し肉を齧り、足を休めた。始めは直ぐに肩で息をしていたナウラも今は配分を幾らか合わせてやれば付いてこられる様にまで鍛えられていた。




昼の休みを終えて2刻程シンカは立ち止まった。




「この足跡。三度目だ。わかるか?」




「この形、豚鬼とんきであっていますか?」




獣の猪に似た二爪の足跡だが、丸くはなくかかと部分が長い。豚鬼の特徴である。




「ああ。加えると足跡が通常より大きい。足跡も深い。かなり長く生きた体の大きい個体だ。しかもこの木の根元が濡れている。尿の匂いだ。どういう事か分かるか?」




「尿をしてからあまり時間が経っていないという事ですか」




「そうだ。折角だしこいつを狩り立てる。豚鬼の肉は重宝されるのだ」




足跡を辿り始める。音を立てず素早く柔らかい土や体を引っ掛けて折った小枝、踏みしだいた苔や下草の痕跡を辿り、四半刻もせずに木々の向こうに大柄な豚の顔を持つ鬼を認めた。




通常の豚鬼が大きくとも6尺には届かないのに対し、この個体は9尺はある。胸板も暑く腕はナウラの頭周りよりも太い。




「よし。あれを仕留めてこい」




「よし。では無いです。何もよくないですが」




「お前はエンディラの民だが、俺の教えを受ける決意をした時点で森渡りの一員でもある。高々鬼の一体や二体薬の調合をしながらでも倒さねばならない」




「死にますが?」




「奴は女の生肝を好んで食す。直ぐに殺されはしないだろう」




「生肝を喰われて生きて行ける気がしませんが」




「ぐちぐちと小うるさい女だ。なら見ていろ。鬼の、倒し方を」




鬼は基本的に人間と似た肉体構造をしている。しかし豚鬼は豚の名を冠する通り、見かけだけではなくその五覚も豚と類似している。


その目は6間も見通せず、しかし鼻は犬よりも効く。




シンカは風下に位置するよう調整し、素早く豚鬼の横合いから駆け寄る。


手には爬の牙を持ち、体勢低く近付くと肋骨の合間を狙い牙を突き立てそのまま心臓を穿った。




「次からはこうやるんだぞ」




「………これが、森で生きる為の力ですか」




ぼおと、シンカを見やりながらナウラは呟いた。




「惚れたか。抱いてやってもいいぞ」




「笑止」




「なんだ。まだ早かったか。………冗談はここまでにして。森で魍魎共を殺す時は血を浴びてはならない。匂いを追われる。他にも、極力触れる事も避ける。特定の魍魎にしか感じ取れない分泌物が付着する事がある。特に蟲や獣だな」




爬の牙を死骸から抜くと、こびり付いた血液を豚鬼の体で拭い、山蘭の葉で匂いも消し去る。


兎に角頑丈な緑鋼製の短刀で素早く豚鬼の腸を割き、更に心臓を切り開く。そこからは薄水色の美しく光を反射する親指の先程の珠が血にまみれて現れた。




「これは?」




ナウラは表情こそ変えないものの、興味津々という様子で鬼の腸を覗き込んだ。


本当に物怖じをしない娘だ。これは精霊の民というだけではなく彼女個人の資質が大きいだろう。


物事に対する好奇心。理解力に記憶力。それにシンカの冗談に対する切り返しの速さから頭の回転が早いこともわかる。


行法もある程度の適性がある。


良い弟子を得られたとシンカは考えていた。




問題があるとすれば、その大きな乳が戦闘の妨げになりかねないという所だろうか。




「これか。これは珠と呼ばれる宝珠だ。とても価値が高い。魍魎の体内で組成される。長く時を生きた個体程大きな珠を持つ。貴族の女性は自分の瞳と同じ色合いの珠を身に付ける事が社会的地位の象徴となる」




血に濡れた珠を手に血が付かないよう器用に短刀で取り出し、山蘭の葉で血と匂いを落としたそれをナウラに手渡す。


少しの間しげしげと手の上で転がしながら眺め、シンカに手渡した。




「美しいですが、私はあまり好きません」




「それはそうだ。だが、不思議な事に自分の瞳と全く同じ色合いの珠を見るとそうは思えなくなるものらしい」




「何か理由があるのでしょうか?」




「あるのだろうな。だがその知識は俺にも無い。ナウラの瞳は磨いた黒翡翠の様に美しい。その色の珠を持つ魍魎に心当たりがある。今度取ってやろう」




「魍魎を遊びの延長の様に狩るなど……以前は想像もしていませんでした。許されることなのでしょうか?」




「誰が許さないと言うのだ。貴族は地位という力を持ち、民に奉仕を強いる。人は数という力を持ち、精霊の民を虐げる。世界では、力という特権を用いて強者が弱者から搾取を行う。個々人から見ればそれは時に悪となり得るが、広い視野で漠然と眺めるのであれば、それは摂理だ。古来より、知能を持たぬ矮小な魍魎共の間ですらそれが摂理なのだ。であれば、我ら森渡りは知識という力を用いて森から搾取する。それもまた摂理。俺はそう思うが」




「こじ付けですね」




血の匂いに魍魎が集まる前にこの場から去るべく歩み始める。


暫し歩みながら顎に手を当てて考え込んでいたナウラだったが、じきにそう宣った。




「まあな。お前は真面目すぎる。清廉に生きるのもまあ良い。精霊の民、特にエンディラの民やイーヴァルンの民は窮屈な日々の何が楽しいというのだ。まるで修行僧では無いか。襲い来る魍魎を打ち倒すのは良い。生きる為森から搾取するのも良い。だが娯楽の為に魍魎を打ち倒すのは悪という事か?分からないでも無い。八百万の精霊を敬う気持ちも分かる。だが、その力の儘に奔放に殺戮を繰り返す魍魎共をその範疇に含める事は、俺には些か疑問に思えるな。取り敢えず、グレンデーラに着いたら酒を飲むぞ。俺がお前を大人の女にしてやる」




「酒は年に一度の祭りの折に大人達に振舞われるだけで飲んだ事は……」




余り表情に変化は無かったが興味はある様だった。


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