朝露ににほひそめたる秋山に

目が醒める。

透明な水晶を板状に切り出した窓から明かりが漏れる。


明かりが瞼を照らし眩しさに寝返りを打った。

時間をかけて目を開くと懐かしい自室が目に入った。

部屋着の麻衣を身に纏うと寝台から起き上がった。


家内の気配を探ると4人分の寝息が聞き取れた。

他には小型の獣の呼気、大型の蟲の微動。

不思議な感覚だった。


嘗ては荷物置き場程度にしか使っていなかった自室。

11年も里に戻らず、戻った時には伴侶を連れ、嘗ては使っていなかった家に住む。


家族を作る。


シンカ家が昨日からこの場所に生まれたのだ。

それがシンカに奇妙な感覚を持たせた。


悪い意味ではない。この1棟が自分のものでありこれから守っていかなければならない空間なのだと考えるとじわりと胸が温かくなった。


部屋を出ると厨房へ向かう。

昨日母達に数日分の食料を分けて貰っていたので人数分の食事を作り始めた。


苔豚の塩漬け肉を炒め、麵麭を軽く焼き色が付くまで炙ると薄く切った乾酪を載せる。

肉の匂いにつられてふらふらとユタが現れた。極めて人間味の薄い動きであった。


ユタは匂いの元を視線で追うとシンカとその手元を見て口を大きく開けた。


「・・・美味しそう・・」


ふらふらと近寄って来ると塩漬け肉を一切れ摘もうとするので手を叩いて阻止する。

ユタは大人しく諦めるとシンカの背中に張り付いて顔を擦り付けた。


「そろそろ本格的に式の事を考えなければならん。何か希望は無いのか?」


尋ねるとユタは背中で唸る。


「・・僕、去年シンカに助けてもらうまで何にも考えられなかったから・・・。何すれば良いのかも分かんないよ・・。」


復讐だけを望んでこれまでユタは全てを費やして来たのだ。だからこそこれからは様々な経験をさせ、生きる事を楽しんでもらいたかった。


「鈴紀社の女は結婚する時に何もしないのか?」


「あっ!」


尋ねるとユタは顔を上げてシンカに抱き着く力を強めた。


「サナとラビルが社でしてた!」


「鈴紀社特有の結婚式があるのか。興味深い。どの様な式なのだ?」


調理を進めながら尋ねる。


牛酪の匂いが家の中に漂い、3つの個室から匂いに誘われて蠢く気配を感じた。


鉄板の上で溶けた牛酪を伸ばして上に卵を落とす。

焼けた乾酪を乗せた麺麭に薄く切った赤茄子を乗せ、塩漬け肉と焼き終えた卵を乗せると寝室方面から3人の餓鬼が現れた。

朝の挨拶をしつつユタの言葉に耳を傾ける。


「えっとね、まずは・・ラビルがサナに贈り物したんだ。首飾りだったと思う。サナが受け取ったから結婚する事が決まったんだよ。・・僕は空丸を貰ったからもう結婚だね。」


男が女に贈り物をする文化は何処にでもある。

何らかの装飾品を贈ることが多いが森渡りは女の瞳と同じ色の珠を贈る。ナウラ以外には珠を贈っていない。


冬に入る前に集めなくてはならないだろう。


「その後は・・・えっと、ゲンジが何かサナの名前を聞いてたと思う。変だよね?知ってるのにどうして名前なんて聞いたのかな?」


恐らくそれは同族の婚姻を禁止しているからだろう。

血が濃くなれば先天的な病を持って生まれる可能性が高くなる。


それを避けるためで、リンジ・ガイネンは仲人役を行なったということだろう。


「後は・・・ラビルが家で占いしてたよ。いい結果が出るまで5回もやり直したって内緒で教えてくれた。」


「うん。それでいいのか・・?」


「それで、いい占い結果が出たからもう一回贈り物してた。サナが受け取ってお式の日を決めてたよ。8がつく日がいいからって、夏上月の8日目にしてたと思う。」


8という数字を縁起が良いとする地域は多い。

メルセテやコブシを始め、大陸東北部のダゴタやイーヴァルンも慶事を8と絡めることが多い。


鈴紀社はメルセテとコブシの特徴を半分づつ持っていた。


「それで最後にラビルとゲンジがまた贈り物持って、花で飾った馬車でサナの事迎えに行ってた。ちょっとしかお家離れてないのに可笑しいよね。僕笑っちゃった。」


「それを俺とユタで行う場合、鈴紀社から里まで馬車で向かう事になるのか?何回死んでもおかしく無いな。」


「そうだよね。崖の階段は馬車じゃ辛いよね。」


そういう問題では無い。

階段どころの騒ぎでは無い。が、そもそも現実的では無いので言っても仕方ないだろう。

方法は考えなければならない。


出来上がった食事を席で待つ皆の元に運び食事を始めた。


「ヴィーとユタは内容を掴めた。ナウラとカヤテはどうする?」


声をかけるとカヤテは唸り、ナウラは無機質な表情を天井に向けた。


「うむ。私はグレンデーラには戻れぬし、どうしたものか。」


「私は里には余り戻りたくありませんね。辛く厳しい気候の閉鎖的な里です。帰っても何もありません。」


ナウラは白髪を後頭部で1つに纏めてたっぷり具が乗った麺麭にかぶり付いた。


「美味です。朝にしては油が多いですが、赤茄子の酸味でそれも抑えられています。」


そう思いヴィダードの物だけ乾酪は載せていなかった。

当のヴィダードは何の反応もなく小さな口で少しづつ食べ進めている。

視線はシンカに固定されており煩く感じたが、それすら慣れている自分に気付きしみじみと成長を実感した。


「これからお前達に贈る指輪を作ろうと思うのだが、皆は何処の指に嵌めるのだ?」


「クサビナ人は中指だな。何方の手かは問わないが、利き手では無い方に嵌める事が多い。」


「イーヴァルンは人差し指ねぇ。ヴィーも貴方様から指輪を貰えるのぉ?」


ヴィダードが美しく微笑む。瞬きはして欲しいとシンカは思った。


「私の里でも親指です。」


「・・・ランジューの人も中指だと思う。シンカは?」


「里の者は薬指に嵌める。古ヴァルド王国では左の薬指の血管が心臓に直接繋がっていると考えられていた為だな。実際心臓に繋がっていない血管など無いわけだが。」


食事を終えると家の外の階段を登る足音が聞こえた。

ナウラに洗い物を任せて扉を開け、外に出た。

階段を登り此方に向かっていたのは1番目の母のリクファだった。


「昨日はありがとう。」


「いいわ。こんな日が来るとは私達も思ってなかったから。お祝い出来てこっちも嬉しかったわよ。」


階段を登り切ったリクファは一息吐く。

今年で47になるはずだが長い階段を登ってもさしたる息切れもない。


見かけも30後半程度に見える。

知識に基づき身体を鍛え、正しい食生活を送っているのだろう。


「それで、朝早くから何かあるのか?」


「そうね。長老・・父が呼んでるから行くわよ。顔くらい出しなさいな。」


リクファの言葉に顔を顰めた。


「爺い供はろくな話をしない。行く価値は無い。」


「私もそう思う。けど彼奴ら歳をとって階段の昇り降りが辛いらしいのよね。うだうだ言ってないで行くわよ。後、五老のアンジ様が腰痛で寝込んでいるわ。4人しか居ないから。」


袖を引かれて階段を登り始めるとヴィダードがするりとやって来て後ろに付き従った。


「ヴィダードちゃん、貴女歌が上手ね。イーヴァルンの民は皆そうなの?」


母とヴィダードが会話を始めたのを他所にシンカは懐かしい里の景色を眺めた。


山に遮られ里の中程までは影に覆われている。

眼下では既に鍛錬を始めている者も見受けられる。


「シンカ。貴方、式はどうするの?きちんとしなさいよ。言っておくけど、私達皆んな式には出るから。それが何処でもね。」


「エンディラでもか?」


「ええ。」


その台詞にぞっとした。

最低でも40の森渡りが大陸を結婚式の為だけに横断するのだ。


「ナンムを捕まえたから心配無いわよ。」


「ああ・・・」


ナンムはナン家の男で、鳥と心を通わせる特異な能力を持つ。

不思議そうな顔をするヴィダードにシンカは説明する。


「ナンムという30後半の男はどうも鳥が好む声質をしているらしく、口を開けば鳥を呼び寄せる。ナンムが叫ぶ事で集まる大山鷹は人を4人は運べるほど大きく力がある。だが落ちたらと思うと生きた心地がせんのだ。」


「襲われないのぉ?」


「ナンムが呼び寄せた鳥はな。」


会話をしていると階段を登り終えた。

扉横に立つ世話役のサンナに挨拶をして中に足を踏み入れた。


赤い細かい柄の絨毯の上をリクファ、ヴィダードと共に歩く。


両脇のいくつかの扉を無視して正面へ進む。

釣灯の中に収められたジャバール産の長灯石が柔らかい光を放っている。


長灯石は強い衝撃を与えると暫くの間灯を放つ石だが、よく蟲を集めるのでシンカは持ち歩いていない。


数十の釣灯がぶら下がる中を進み、突き当たりの釣布を避けて中に入った。


「お父様。シンカを連れて来ました。」


「・・・・。」


「・・・。」


リクファが声を掛けて、シンカとヴィダードは無言で布を潜り床に敷かれたふっくらと丸い大きな紫の詰め物に腰を下ろした。


「朝の挨拶くらいしたらどうだ。」


上座に座る4人の老人の内1人、左から2番目の白髪の総髪を頭頂で結った老人が口を開いた。


「俺は不機嫌だ。何故あんた達に呼び出されねばならない。用があるなら自分から訪ねて来い爺い。」


さしものヴィダードも驚いた様子で辛辣な言葉を発したシンカを見遣った。


「おほっ、この感じ、久しぶりじゃの。」


1番右手に座る目を覆う程の白眉に長い髭の老人トウマンが口を開いた。


「こんなにちっこい頃はきちんと敬語じゃったんだが・・いつから太々しくなったかいの?」


1番左の禿頭の干し梅の様な顔の老人エンホウが手振りも合わせて尋ねる。


「あれよ。お前さんの娘と結婚しろと強要した時じゃったかいな?」


右から2番目、隻眼に灰色の頭髪を撫で付けた老人ウンハが答える。


「あんたらがありもしない勝手な権限で嫁ぎ遅れた傲慢な熟女を十代の俺に当てがおうとするからだ。尊敬出来ぬ者に使う敬語などない。」


「儂の可愛いエンキを悪く言うかっ!?」


梅干し爺いのエンホウがかっと目を見開いて吠えた。


「そりゃ悪乗りした儂らも悪かったとは思うがのぉ。もちっと、ほら、威厳とかあるじゃろ?な?」


白長眉のトウマンが手をさすりながら下手に出てくる。


「煩い。爺い、何の用事だ。話さないなら帰るぞ。」


始めに嫌味を口にした髪を結っている老人、義理の祖父のリクゲンを睨み付けた。


「・・・そう怒るなぃ。ちと上から言ってみて感触掴もうとしただけぞ。」


リクゲンはシンカから視線を逸らし折れた。


「ゲン爺・・孫に睨まれて視線逸らしとる。威厳無いのぉ」


ウンハがリクゲンを揶揄う。シンカが舌打ちすると4人がびくりと震えた。


「その、怒らないで聞いて欲しいんじゃけど。」


「嫌だね。」


「ほらぁぁああ!だから儂嫌だったんだよねぇ。絶対怒るに決まってるじゃろがい!」


トウマンがエンホウにしがみ付いた。


「まだ何も話して無いじゃろ!しゃきっとせんか阿保んだら!儂が言う!シンカ。セン家とテン家から嫁を取れ。」


シンカが指で弾いた小さな石がエンホウの鼻に当り悶絶した。


老人達はシンカの苛立ちに怯えたがふとその隣を見て身体を硬直させた。


「え、ちょっと待って!何で短剣抜き払っちゃってるのぉ?!」


ヴィダードが短剣を握り締めてエンホウを凝視していた。


「怖っ!」


リクゲンとウンハは震え上がって視線を交わす。


「ねえシンカさん。もしかして隣の女子、お前の嫁とか言わないよね?儂ら、浮気の幇助的な奴で刺されたりしないよね?」


鼻をさすりながらエンホウがおどおどと尋ねた。


「ヴィダードとは結婚する。彼方の父君にも挨拶はしている。」


「もしかして儂ら、此処で死んじゃう系?後数年くらいで曾孫見られるっぽいからそこまでは健康にやっていきたいんじゃ。後生じゃあ!」


ウンハが手を擦り合わせてシンカを拝んだ。


「妻は自分で決める。人に指図は受けん。弟子ももう取らん。それが認められるなら許す。」


シンカの言葉、後半部を聞き4人の老人が目を剥いた。


「待つんじゃ!それはいかん!それだけはならんぞ!」


「そうじゃ!その女子の刃から逃れられても教育婆婆供に殺されるわい!」


「頼む!儂の軽い頭ならいくらでも下げる!それは勘弁して!」


「後生じゃあ!後生じゃあ!」


老人達が過剰に反応して騒々しくなる。

隣のリクファが経を纏わりつかせた拳で床を強く殴った。


大きな音に怯えて老人達は口を噤んだ。


「老人虐待じゃ!刃物ちらつかせたり罵ったり大きな音立てたり・・儂らだって必死なんじゃ!このままでは胃に穴が空くわい!今日だって日が昇る前からお前が帰ってきた事知った教育婆婆が5人も来たんじゃ!狂っとる!」


確かに狂っている。


多少哀れにも思うがシンカにその頭のおかしな婆婆の相手をさせられても困る。


「何故俺に拘る?」


素朴な疑問を老人にぶつけた。


「お前がまだ里に居た時にちょろっと教えた子供達が皆優秀に育ったからじゃろうのぉ。教育に優れとるっちゅう認識をされとるんじゃな。」


シンカの教育が優れているなら三白眼の阿呆弟子は一体何なんだとシンカは悩んだ。


結局は教師の腕では無い。本人のやる気だ。


「俺は他所で4人弟子を取った。引退する。」


「いかあああああんっ!」


ウンハが声を張り上げた。


「おい糞爺。あんた達は其々何人弟子を取った?言ってみろ。」


シンカが騒ぎ立てる老人達に強い口調で尋ねる。


「んー、儂2人。」


「儂は1人じゃの。」


「儂ぁ3人も取ったぞい!」


「儂は1人じゃ。」


リクゲン、トウマン、エンホウ、ウンハが順に答える。


「俺より少ない。爺い供が弟子にすれば良いな。ではこれで話しは終わりでいいか?」


立ち上がろうとするシンカにトウマンが飛びついた。


「分かった!殆ど諦める!じゃからテンイの息子のテンケイだけでも!」


「・・・テンケイ?確か俺が里を出る時には誰かに師事していなかったか?」


シンカは眉を顰める。


「・・此処だけの話なのだがのぉ。テンケイは10の時お前の再従兄弟のリンメイに剣でぼろ糞に負けてから家から出てこないらしいんじゃ。戦う前に大口叩いたのが恥ずかしかったらしくてのぉ。以来一歩も・・」


「リンメイは確か今年で17。テンケイも同い年ではなかったか?」


「そうじゃ。もう7年になるかの。」


「・・・」


シンカは脚にしがみつくトウマンを払い除けて背を向けた。


「糞おおおおおおおおおおおっ!」


トウマンが頭を抱えてのたうち回った。


「己れアン爺め!腰痛くんだりでこの苦悩から逃れおって!」


エンホウが歯を剥き出しにして怒鳴る。


「あ、シンカよ。3日後に十指を集めて談合を行う。お主も参加せよ。」


「うん。」


リクゲンに返事を返し長老宅を後にした。

家を出ると涼やかな風がシンカを撫でた。


ひたりと背後に付いてくるヴィダードが風に巻かれた麦穂色の髪を耳にかける。


サンナに会釈をして階段を下り始めた。


「相変わらずだな。糞爺い供。」


「薄暗い部屋に閉じこもってるから色々と腐るのよ。」


階段を下り自宅まで辿り着く。


「シンカ。式の事、しっかり考えなさいよ。私達で参加者は確認しておくからヴィダードちゃん達と相談しなさい。春先でいいのよね?」


リクファの言葉にヴィダードが尻を振って小躍りした。

嫁として認められた様で嬉しいのだろう。

それを見てリクファはふっと笑った。


「成る程ね。可愛いの?」


「・・・まあ。」


「全く。息子の惚気話しなんて気持ち悪いわ。私にはもう聞かせないでよ?・・・ねえ、1つだけ頼みがあるんだけど。」


呆れた表情を一転させてリクファは真剣な表情になりシンカを見詰めた。


「なんだ?」


「一度だけリンファと話をして欲しいの。それだけでいい。話した上でどんな結論を出しても構わない。どんなに怒っても、怒鳴ってもいい。だから目を背けないで最後まであの子の話しを聞いて、結論を出して欲しい。結論はどんなものでも構わない。」


「よく分からんが、分かった。」


じゃあね、と軽く手を振ってリクファは階段を下って行き、シンカの視野から消えて行った。


昨日のリンレイやリンブ、リンスイといい今日のリクファといい、どうもよく分からない。

何が言いたいのかシンカにはてんで分からなかった。


首を振ってシンカは家に戻っていった。


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