身のなる果てぞ悲しかりける



山渡り10名以上を瞬時に屠ったリンドウであったが更に増援が現れる。


目が充血し痛む。

凝視は目への負担が大きい。

薬で治癒できるとは言え戦闘中はそれも難しい。


「センバ、ナンボ、リンビン、私が抑えるから逃げなさい」


「お姉ちゃん!?」


「早く!」


リンドウが叫ぶと3人は背を向けて駆けていく。

山渡り数人がそれを追う。

リンドウは立ち塞がろうとするが10名がリンドウを牽制し、行かせてしまう。


数人であれば何とかできると信じるしかなかった。


「身を晒すな!目が光ったら物陰に隠れろ!」


岩戸が起こされ遮蔽物が多くなる。


「絶対に!許さない!」


リンドウの経が高まる。

右手を振った。

リンドウは炎の膜に包まれその姿が遮られる。

火行法・粘油波紋


全方位に粘質の炎を撒き散らす。

5人が火達磨になり酸欠で息絶える。


更に10人が炎を見て取り増援に駆け付ける。

リンドウは再び腕を振る。


火行法・火月連弾

頭上に巨大な火球が浮かび表面が不気味に蠢いた。

刹那の後、巨大な火球から小火球が立て続けに射出された。


近寄ろうとする山渡り達に向けて無数の火球が飛来する。

避けても次弾は既に迫っており、防いでも壁を破壊して山渡りを弾き飛ばす。


倒しても次から次へと増える敵をリンドウは葬って行く。

だがそれでも他勢に無勢。


鎌鼬がリンドウの左腕を斬り落とした。

リンドウは流れ出る血を増幅し射出した。


やり返し敵を殺すが右脇から槍が突き立てられた。


「勿体無いが、手に負えん。殺せ」


槍が引き抜かれる。槍が構えられ鋒が喉元に添えられる。


突如槍遣いが炎上した。

赤三柱、いや三柱どころでは無い。


無数の火柱が辺りに立った。

柱の合間からゆらりとリンドウにも劣らぬ美しい女が歩み出る。


やや歳を取ったシメーリア人の女だ。


「…私の……私の娘に!何をしているっ!?」


カイナの全身から荒ぶる経が噴き出て彼女の長髪を煽った。




セキムが同胞の合図を聞き取ったのは3人目の妻アグニアとの子供の襁褓おしめを変えている時だった。


「…な……?!」


里への山渡り襲撃。

直ぐに激しい戦闘音が聞こえ始めた。


セキムは恐れた。

己の死、3人の妻の死、何より子供の死を。


セキムの同年代である三馬鹿、リンファ、そしてシンカは皆優秀な戦闘力を持っていた。


しかしセキムはそうでは無い。

一般人から見れば腕は立つがそこまでだった。


真剣を構え合って戦うのも怖ければ魍魎と戦うのも怖かった。


セキムは昔から眉一つ変えずに巨大な魍魎に挑んで行くシンカに嫉妬していた。

それは徐々に歪んだ感情を抱かせるに容易であった。


強く美しいリンファに懸想し、嫉妬心と併せて落とそうと考えたこともあった。


再対してからも引き摺っていたが、子が産まれてそれも変わった。

子が1番となった。


セキムは3人の子に眠り薬を振りかけて寝かせると家の奥の倉庫に隠し、槍を取った。

手と足が震えていた。


妻達は森に出ていて留守であった。

森渡り達はクサビナの内乱の事後処理や河口の龍の調査、予言の終わりの魍魎の調査に加え、数日後に迫る嵐の為に更に人手が薄かった。


セキムは家から出る事が出来なかった。

それはセキムの臆病さもあったが、子を残して家を開けるわけにはいかないという理由も多分に含まれていた。


恐らくセキムと同じ理由で里の各地で戦う同胞に参戦できない者は多い筈だった。


セキムは緊張に身体を震わせながら入り口の戸脇に潜みその時を待った。


セキムの家は千穴壁の下部に位置する。

戸を蹴破る音と戦闘音が近付いてくる。

息を潜めてどれ程待ったか、複数人が駆けてきて扉の前に陣取った。


セキムは経を練らない。

経に敏感な者がいれば練経を察知されるからだ。


扉が蹴破られる駆け込む1人目の男の首筋をセキムは正確に突き刺した。


「かっ!?」


声を上げて昏倒する。

頸椎を破壊した手応えがあった。


「またか!やれっ!」


体勢が整う前に2人目を石突きで殴り倒す。


「させるか!」


2人を倒し最早セキムの身体に震えは無かった。


地に手を着く。岩戸が起こり山渡り3人が行った行法が家の中で弾けた。周囲の木製家具や陶器が壊れて破片を散らす。


直ぐに1人が駆け込んでくる。


岩戸を回り込んで来た瞬間に喉を突いた。

倒れるわけには行かない。この部屋を抜けられれば3人の幼子に辿り着かれる。


手足の震えは止まっていた。

死への恐ろしさは依然として消えない。

だがそれよりも恐ろしいものがある。家族を失う事だ。


己の子が拐かされ不幸な生を送る事だけは許す事は出来ない。

セキムの背に刃が突き立てられた。


直前で気付き致命傷からは逸らしたが、激痛が走る。


「ぐっああああああっ!」


叫びながらも腕を引き石突きで背を突き刺す男の顎骨を粉砕した。


のたうち回る敵を尻目に正面から斬り付ける敵の剣を穂先で払う。


だが今度は横合から頭部を斬り付けられ、セキムは勢いのまま倒れた。


頭部から大量の血が流れ出し身体を染めていく。

家に更に人が踏み込んでくる。


もう終わりだ。

自分は死ぬ。子供は拐われる。


「…うちの旦那に何してくれてるのよ?」


妻のセンシが入り口に逆行を浴びながら立っていた。


「………センシ……子供達を……」


力無く崩れ落ちた亭主を見て取りだらりと垂らした剣を握った腕を上げる。


センシの後にフウリとアグニアが現れる。


「へたれた亭主だがやる時はやる男だ。私はそれを知っている……許さんぞ」


「…………………死ねっ!」


言葉短く始めに動いたのはフウリであった。

ぼろぼろになった食卓を蹴って跳び、天井を蹴って鷹の如く山渡りに襲い掛かる。

鈴剣流奥義・鷹爪たかつめである。


山渡りはフウリの攻撃を防ごうと右脚を引き、剣を頭上で構えた。

フウリは天井を蹴ると腰溜めに剣を構える。


「まっ、まさかっ!?」


それが男の最期の言葉となった。

フウリは宙で技を鷹爪から雷光石火に変更して放ったのだ。


山渡りは胸のから上を竹割にされて仰向けに倒れた。

着地したフウリに向けて残る1人が剣を振るう。

それをアグニアが受けた。


「いいか、覚えておけ。我等はこの恨みを終生忘れない」


「あんたの伴侶と子供を殺しに山渡りの里まで行くわ。そっちが始めたんだから、良いわよね?」


「ま、それっ!?」


センシの一撃で首が落ち、血が未だ止まらぬ心臓の鼓動に合わせて切断面から溢れ出る。

少し遅れて2人の山渡りの身体が倒れた。


「フウリ!まだ息があるから再生させるわ!子供達を!アグニアは敵の侵入を防いで!」


センシの心を憎しみが覆う。

彼等が今しようとした事、今尚している事。

その報いを必ず受けさせる。与えて見せる。




その報をシンカが耳にしたのは里の西側での事であった。


疎らな雪に彩られた白山脈の7合目の山肌を遠目にしつつ雷鳥の足跡を探していた。


狩について来ていたユタは特に何をするでもなく暇そうにシンカの後を歩いていた。


そんな時だった。


経を五感の鋭敏化に使っていたシンカの耳にそれが聞こえた。


「なにっ!?」


森の中にも関わらずシンカは大きな声で驚愕を表した。


「どうしたの?」


小首を傾げる可憐なユタの仕草に今日だけは腹が立つ。

いや、ユタの耳には届かなかったのだろう。


「里が山渡りの襲撃に遭っている」


シンカの言葉にユタは喜ぶ。闘える事に喜ぶと。

シンカはそう予想していた。


だが違った。

ユタは三白眼を更に強めに眉間と額に深い皺を刻み、顳顬に青筋を立てた。


「……僕、許せないよ……。人の居場所に土足で乗り込んで、踏み荒らすなんて!絶対に許せない!」


「……行くぞ」


シンカは言うや否や駆け出した。

シンカにアギとユタが続く。


山路を転がる様に駆け下りた。

苔色の外套を棚引かせて獲物に向けて降下する隼の様に里へと向かう。


シンカの耳に里の者達の合図が届く。


死者の報告、応援要請。


心が引き裂かれんばかりの痛みを覚える。

里が奪われ、男は殺され女は犯され拐かされる。

子供達は奴隷として扱われ、新たに生まされた子供は幼少から洗脳されて育つだろう。


あってはならない事だ。


山渡りの卑劣さに腸が煮え繰り返る。

よく知る同胞が、幼少期を知る同胞が、長くを共に過ごした家族が、そして己の伴侶がその様な扱いをされる事など許容でき様筈がない。


シンカを呼ぶナウラの合図が耳に届く。


「キキキキキッ」


駆けながら返事を返す。

焦りが全身に回る。


頭の中は考えたくない想像に埋め尽くされる。

妻の誰かが死んでしまったとしたら。

その亡骸を見下ろす自分を想像する。


耐え難い苦痛だった。


憎い。

敵が憎い。


敵が何を望み森渡りを狙うかなど、最早どうでもいい。


必ず殺し尽くす。

惨たらしく、後悔させる。


美しい里を蹂躙する彼等を必ず滅ぼす。

里の千穴壁頂上の見張り台が視界に映る。

樹々を避けて水の流れの様に滑らかに迫り、崖の頂上から飛び降りた。




「現れましたね」


三度笠を脱ぎ聳え立つ壁を見上げていたイリアは小さく言葉にした。


「!?到頭!…イリア様、ガジュマでの仇を取りましょう!」


イリアにダニエラが声を大にして告げた。


「落ち着きなさい。奴は強敵です。私でも1人では勝てません。奴を倒す為に私達は訓練を重ねました。……おさらいです。敵は手練れ。接近されれば命はありません。風行法の雷系と水行法の水系を使います。他の行法が使える可能性を考慮します」


イリアは石階段を駆け下りる敵の姿を見上げ、三度笠を被った。


「イゾルダ。潜伏なさい。ヴラダ、タチアナ、アレサ、エカテリーナ、ゾヤ。予定通りに」


壁の頂上から山渡りを文字通り薙ぎ払い駆け下りてくる男の姿をじっと見つめる。


細い道で一対一で会合すれば瞬きの間も保たない。

秋の落ち葉の様に斬り殺された山渡りが崖から落ちて赤い花を咲かせる。


イリアは思い返す。

ガジュマでの出来事は脳裏にこびり付き離れない。


無残に殺される部下達。彼等の敵を取らねばならない。


槍の師であったドーナル。己を姉の如く慕ったクリス。

家族の居ない自分を頻繁に食事に呼んでくれたゴドウィン。


あの男を殺さなければならない。


敵を取る為に。そして何より、己の心の平穏の為に。


「来ます。展開」


焦げ茶の癖毛に白い肌。アガド人とシメーリア人の混血の男が階段を駆け下りる突撃して来た。


「は、速い!?」


「網!」


展開したヴラダ隊とアレサ隊が男の左右から網を投げ掛けた。

二重の網が男の頭上に広がる。

動きを止め中距離から仕留める。

男の頬が膨らむ。


「来ます!防御!」


男を囲む様に岩戸が円状に立ち上がる。

その時イリアの耳に異音が届いた。

何かが擦れる様な甲高い音であった。


イリアの視界端に何かが映る。

水だ。

その光景はゆっくりと映った。

水飛沫が岩を貫通していた。


「イリア様!」


水条が岩戸を逆袈裟に斬り裂く。

ユーリャが両手を広げてイリアを庇う。

イリアの目の前でユーリャの左手と首が落ちた。


岩戸が斜めにずれ落ちる。

視界の先で切り裂かれた網の間から男が飛び出した。


「次です!」


先程の水条にやられた数人が送れて倒れ伏す。


「行え!」


「遅れるな!」


ヴラダ、タチアナが部下に指示を出した。

20名の山渡りから雷撃が放たれる。


男の左右から。逃れる術は無い。

瞬きの間に雷撃は男に到達する。


「…嘘でしょ?!」


「効いてない?!」


「そんなっ!?」


男は両手を突き出していた。

風行法だ。


「…己で起こした雷で防ぎますか」


20人から行われる白雷を森渡りは球状に黄色の雷を帯電させ防いでいた。


「想定範囲内です。20拍子後にエカテリーナ隊より白雷を行います。練経を開始して下さい。エカテリーナ隊の発動を確認後ヴラダ隊は矢による遠距離攻撃に移行、次は更に20拍子後にアレサ隊による白雷です」


エカテリーナ隊が練経を始め、ゾヤ隊が矢を番え射る。

だが10の矢は男を捕らえる事はなかった。

男は8本の矢を回避し両手に2矢を掴んでいた。


「馬鹿なっ!?」


「化け物か?!」


以前山渡りの行法を球状に展開した雷が防いでいた。

仕草を行わずして行法を発しているのだ。


「…これ程とは……しかし、経は有限です。尽きるまで交代で攻め続けます。皆、気を抜かない様意識を引き締めてください」


総勢47名で1人の男を押し潰す復讐劇が幕を開けた。




森渡りの里にて暮らしていた山渡り数名が密かに、しかし焦った様子で会合していた。


3年半前、第一次ヴィティア・ベルガナ戦線の最中に森渡りに囚われ、命と引き換えに森渡りに帰化した者たちであった。


「…どうする?」


蟷螂の様な体型のウジンが小さく言葉を紡ぐ。


「…どうしてこんな事を……山渡りは……何を間違えたんだ?」


サブリは丸い身体を縮めて額に手を当てた。


「何方が勝っても山渡りの被害は甚大でしょうね」


ニルスが里の中央で繰り広げられる戦闘を遠目に伺いながら口に出した。


「俺達は行くぞ!」


所帯を持った5人が装備を整え立ち上がる。


「俺は最早この里の住人だ。森渡りだと思っている。死にゆく彼等が同胞であり、大切な者とまでは思えないが、妻や子を傷付けられる事だけは耐えられん!」


「レミ様。貴女達が嘗ての同胞に着くと言うのなら、心苦しいですが貴女達も敵です」


駆けていく。

彼等は間違いなく森渡りだ。

レミは素早く駆けていく5人の背を見てレミは思った。


「俺は森渡りを攻撃したいとも思わんが、山渡り、嘗ての同胞を殺す事も苦しい」


「僕もそうだな」


ウジンとサブリの会話を聴きながらレミは己の行く末を考えた。


レミには分からない。

自分が何をするべきなのか、何をするべきなのか。

多くの者がレミと同じ所感を抱くはずだ。


自分が何者なのかと言う疑問、存在意義は必ず人間が持ち得るものだ。


レミには無意に他里へ攻撃を仕掛ける山渡りにも、親族の居ない森渡りにも共感する事は出来なかった。


このまま此処で立ち尽くしていればどうなるのか。

山渡りが勝てばレミ達は処されるだろう。


森渡りが勝てば今までと変わりの無い生活が続くだろう。


思考を停止する事は楽だ。

判断を他人に任せて言うなりになっていればそこに責任は生じない。


その様な生き方も間違いでは無いだろう。


だが。


レミの目はそれを捉えた。捉えてしまった。


「……ああ……」


剣を佩く。


「レミ様?」


ニルスが疑問を顔に浮かべて装備を点検するレミを見遣る。


あの人がいる。あの人が戦っている。苦しんでいる。


それだけでいい。自分が闘う理由はそれだけで十分だ。


小川の畔で時を共にした憂げな表情の男。

寂しそうな彼の隣に立ちたいとそう思っていた。


無気力だった。

思えば山渡りとして生活し、里のために働いている時ですら惰性であった。


やれと言われるからやり、目的なく命を垂れ流してきた。


今だ。


その道は輝いて見えた。


私の生はこの人の為にあるのだと、疑う事なく受け入れることができた。


レミは駆けた。

青少年達を護ろうと懸命に戦う男の元へ。




ナウラは寄り集る三度笠と蓑を身に付けた山渡り達を斧を振るい牽制し合間を縫って近く者を口腔からの炎で火達磨に変えていた。


また背後から忍び寄る男に向けて斧を振るう。

屈んで躱した相手に向けて赤く輝く粘球を吐き出す。


「がああああああああああああっ!?」


向けた背から2人忍び寄る。

経は既に足元に広がっている。


瞬時に硬化した地表を強く踏みつける。

無手・畳返しにより岩に足を乗せていた2人が宙に跳ねあげられる。


ナウラは更に口腔から火粘弾を吐き出し打ち上げられた2人の頭部を炭化させた。


ナウラの耳には森渡り達の無念と怒り、悲しみが合図として届いていた。

辺りを飛び交う最早念にも近いそれらを聞き、感情に当てられて涙が溢れる。


これ程の怒りを自分が持つ事が出来るのかと斧を振りながら考えた。


悲しく、無念で、悔しい。

ナウラが漸く手に入れた己を受け入れてくれる故郷がいま蹂躙されているのだ。


シンカは里の皆は家族も同じと言っていた。

ならば自分にとっても同じ事。


既に友人と言える人も得始めていた。

書館で出会い知見を述べあった男女、罔舎の老人、川辺で会話する夫人達。


彼等が今、襲われている。

口惜しい。


「本当に醜いですね」


憎悪を抱く己の心が。そして他者を虐げ欲望を満たそうとする敵が。


近寄る山渡りの頭に向けて斧を横薙ぎにする。潜り込んで躱す敵を蹴り飛ばし即座に斧を回転させ上段から両手で振り下ろす。


「……っ、ぐぎいいいいあああああっ!?」


斧を受けた剣がひしゃげ、腕をへし折って剣ごと斧が肩口から減り込む。


動きの止まったナウラに向け全方位から6人が駆ける。

ナウラは斧を誰も居ない空間で振り払い血糊を飛ばす。

その動きを利用し軸足を利用して瞬時に回転を始めた。


打たれた水球を斬り散らし一角に向けて回転しながら突撃をかけた。


「受けるな!躱せ!」


2人が合図を受けて後退するが1人は急制動が間に合わず間合いに入った。


独楽の様に高速回転するナウラの一撃を剣を立て防ぎ弾く。

だが直ぐに次の刃が襲いくる。


二撃目も弾くが体勢を崩した山渡りは三撃目を防ぎ切れず首を飛ばされる。


「押し包め!防いで動きを止めろ!」


8人が迫る。


聞こえる。親しくなった里の薬剤庫を管理する女性が死んだ、その報告が蝙蝠の鳴き声を象り空を駆けた。


8人が後瞬き1度でナウラに凶刃を届かせる位置に迫る。


衣類の下でナウラの右腕が膨らむ。

普段はなだらかな二の腕が筋繊維を膨らませ盛り上がる。


涙が止まらない。理不尽に、喪失に黒翡翠色の瞳を湛える眼から涙が零れ落ちる。


「あああああああああああっ!」


斧を振る。

普段は石突きから2尺の位置を握る右手から斧の柄が擦り抜け、石突きぎりぎりを握り直す。


ナウラの間合いが伸びた。

雄叫びと共に4貫もの重さの斧が空気を斬り裂き鳶の鳴き声に似た風切り音を上げた。


山渡り達は間合いを乱され対応が遅れた。避ける事も防ぐ事も出来なかった。


ナウラに駆けた8人は倍数以上の肉塊へと返事八方に飛び散った。


柳斧流奥義・達磨落とし。

最早仁位の上位まで腕を上げたナウラの一撃であった。


包囲が解ける。

だが今まで包囲されていたが故に行われなかった遠距離からの攻撃が始まろうとしていた。


経を敏感に察知したナウラは斧の石突きを地に突き立てる。


斧を経由して大地に経が浸透して岩戸が行われる。

鎌鼬がそこに打つかり破片を飛ばす。


だが背後からナウラに向けて弓を引く山渡りの姿があった。


距離があり彼女はそれに気付いていなかった。

弓を引く山渡りは目を細めナウラの首に狙いを定めた。




歳若い森渡り達が里の北側に追い詰められていた。

10人に対して山渡りは30名で彼等を取り囲み自虐的な嘲笑を浮かべていた。


「ランバン!防いで!」


「駄目だ!もう持ち堪えられない!」


「…助けてお父さん!お母さん!怖いよ…」


「こんな糞どもにに拐かされる位なら爆死してやるわ!」


青少年達は懸命に戦っていたが軈て完全に包囲されてしまう。


「武器を捨てて投稿しろ!そうすれば命までは取らない!…命は、な」


人間は環境により幾らでもその人となりを変える。

投降を促した男は森渡りに対し優位に戦闘を進め、若い男女を追い詰めた事で嗜虐性を露わにしていたが、普段は妻と子を持つごく普通の男として暮らしていた。


戦いが男を魍魎へと変じさせていた。


剣を取り血を流す事で攻撃性を現す者は多い。しかし全員では無い。

冷静な者と変じる者の差は心の強度の差に他ならない。


そして山渡り達は心が弱かった。


虐げられる歴史を歩んできた彼等は強者という立場に立ち理性を失っていた。


怯える若い女を目にしてただでさえ気が立っていた男達は股間を滾らせ下卑た表情を浮かべる。


若い森渡り達は武器を手離さない。

武器を手離した先が彼等には見えていた。


女は犯され拐かされ、人質となる。

男は拷問を受けて心を折られ、駒とされる。

この戦いに於いてそれは親達に対する決定打となる。


「……諦めるな。争うのだ」


「憎しみを火種に心を奮わせよ」


嗄れた声が緊迫する両者の間に流れた。


2人の老人が森渡りを包囲する山渡りの背後に立っていた。


「死に損ないが。とっととくたばれ!」


男が1人、老人リクゲンに向けて駆け出した。

しかし間合いに入る前に鋭く突かれた槍に心臓を貫かれ息絶える。


「確かに死に損ないではあるが、……魑魅魍魎共に里を荒され黙ってくたばる程老いてはおらんわ!」


「然り。歳の数だけ汝等を道連れにしてくれようぞ」


隣のウンハが剣を抜き逆手に握り、地に四つん這いとなった。

老人の取った獣の様な構えに山渡り達は警戒する。


直後ウンハが爆ぜた。近くで剣を構えていた男に迫り爪を装備した左手で剣を掴む。


「死ねぇ!」


「や、やめろ!?」


無防備となった男の頭を逆手に持った剣で突き刺した。


「き、き、ぎ……」


崩れ落ちる前に男を蹴って次の敵に向けて跳ぶ。


「ひゃっひゃっひゃっ!肉塊にしてくれようぞ!例え此処で我が命が尽きようと、若人の為に費やせるなら無意では無いわい!」


「燥ぐなウン爺。儂は最初の孫の子を抱くまで死なんぞ」


山渡りの肉片を撒き散らすウンハに対しリクゲンは最小限の動きで敵の急所を攻めて命を奪っていく。


若い森渡り達も再び気力を奮い立たせて山渡り達に襲い掛かった。


だが直ぐに現れる増援に苦戦を強いられる。

ウンハは早20人を斬り殺し、肩で息をする。

歳であった。


「口惜しや。儂があと20も若ければ…」


「やれる事をやるだけよ。この小鬼共を森の肥しに」


リクゲンの腕にも疲労が溜まり次第に槍を重く感じ始めていた。


遠距離から矢が射掛けられる。


「誰ぞ天幕で防げぃ!」


大地が隆起する。

若く経験が足りないせいか起こりが遅い。

間に合わ無い分を槍で弾く。


「ぐっ!」


ウンハの肩に矢が刺さる。


「ウンハ……」


「今日は死ぬ日ぞ……良い言葉じゃ。己の守るべき者の為に己の全てを燃やし尽くす。子は宝。耄碌爺いの命1つで彼等を救えるのなら安いものよ」


射掛けられた矢をリクゲンは払い落とす。

隙間を縫ってウンハが地を駆ける。


敵弓隊の直前で剣を振り3人の弓を破壊する。

リクゲンは槍を地に刺し両手を握る。


「いくぞ!」


「応!」


水行法・大潮

地から水が染み出し瞬く間に膝上まで嵩を増す。

リクゲンは脚に経を回し高く飛び上がった。


四つ足で這い蹲るウンハの身体が眩く輝き白雷を纏う。

押し寄せる水波と纏う雷に山渡り達は絶叫を上げて飲み込まれる。


辺りの山渡り達を駆逐するも遠方の山渡りが向かってくる。


「きついのぉ」


ウンハがぼやいた。


「泣き言かい。雷獣ウンハの名が泣くぞ」


「何十年前の話しをしとる」


矢が射掛けられる。若者達が行った天幕に防がれる。

三度笠に蓑を纏う男達が展開しながら迫ってくる。


近寄る敵にリクゲンが槍を突く。

転じ左方から迫る男の膝に回転させた石突きをぶつけて砕く。


右方の敵の首を突き、腕を引くとともに倒れた膝を砕かれた男の頭蓋を砕く。


ウンハは肩の矢を抜き目前に迫る男に投擲する。

眼窩から矢尻を生やして男は息絶えた。


駆け寄る別の山渡りに向けウンハは飛び掛かる。

左手で首を掴み握り潰す。

崩れ落ちる前の身体を蹴り飛び込む様に剣を振るい次の山渡りを切断する。


一度は駆逐した敵がまた2人と若者達を取り囲み始める。


応戦するものの2人の老人と10人の若者には荷が重かった。


「っ!?あっ…」


青年の胸に矢が突き立つ。


「リクゲン様!?ハンレイがっ!」


「落ち着けい!慌てず治療せよ!」


若者達は既に満身創痍。捕縛されるか殺害されるか。このままでは2つの道しか残されていない。


リクゲンは両手を組み合わせる。

足元に広がる水気が再び増幅し森渡り達を囲む様に渦を巻きながら立ち起こる。

水行法・渦壁である。


リクゲンの行法を感知したウンハが山渡りを蹴り付けて渦を突き破り引いてきた。


「……ゲン爺。この状況を打開できる方は最早一つ」


「…………」


リクゲンは荒く肩で息をしながらウンハの言葉に耳を傾ける。

渦壁の外から濃密な経の気配を感じる。


リクゲンは渦の密度を上げ、回転を早めて山渡り達の行法を防いだ。


「…ゲン爺。里を頼む。皆を頼む。一度退き、態勢を整え奴らを駆逐するのだ」


ウンハは嗤う。

幾度も見た顔だ。


リクゲンとウンハが初めて顔を合わせたのは生後2ヶ月。記憶にすら無い。


この歳まで縁が続いてきた。


皆が同じだ。

皆が家族だ。


「……必ず!」


大量の発汗、激しい疲労。

リクゲンの身体が崩れ、膝をつく。


「アンバ!岩を!」


渦壁が崩れる。

青年アンバが地に手を着き岩戸を行う。

ウンハが飛び出す。


「我が命、里の為疾く駆けるもの也!」


ウンハに向けて鎌鼬が行われる。

ウンハは避けない。


鮮血が散る。ウンハの胸から流血が湧き出し衣類を染める。


だが彼は倒れない。

突き出した両手、獰猛な表情。

風行法・刺光


雷光を以て敵を穿つ行法だ。


だがウンハが用いた経は彼の全てだった。

急激な練経が血液を沸かし、肉を焦がす。


輝いた。

老化し萎縮して尚戦い続ける老人は己を燃やし輝く。


「…儂も、里を照らす光の一つ…と……」


老人の身体を突き破り無数の光線が迸る。

周囲数十の山渡りが光に貫かれ痙攣する。


「今だ!駆けよ!」


リクゲンの言葉に青年達が駆ける。

風が吹く。

ウンハの身体は灰となり崩れ落ちて風に散った。



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