埋もれ木の花咲くこともなかりしに

夏上月上旬。


日に日に暖かくなる季節、シンカは里のシン家にて気儘に過ごしていた。

穏やかな春であった。


戦争前の張り詰めた空気が霧散し一同緊張感など皆無の生活を送っていた。


ナウラは太古の遺跡とウルサンギア人についてシンカと共に書を記し始め、生真面目な会話に他の者を辟易とさせていた。


たまに思い出したかのように他の面々を無表情でおちょくり家内を瞬時に騒動の真っ只中に変えていた。


カヤテは数年に渡る血族の騒動に漸く蹴りが付き、心穏やかな日々を過ごしていた。


密かに己の亭主に甘える姿が度々目撃されていたが、それを指摘されると恥と感じているのか心を乱し遮二無二奇声を上げて喚き散らす。


素振り等の訓練は欠かす事は無いが、心のゆとりが出てきた分、趣味で集めている短剣の手入れをする時間や下手ながらも釣り糸を垂れる時間、出来の良い絵を描く時間が増えていた。


ヴィダードは愛も変わらず亭主に纏わり付くか、家の前の植物の手入れに余念が無かった。


春先の萌黄色の新芽達を一つ一つじっくりと眺め、まだ芽の出ぬ木を案じ、その植物にあった量の水を与えた。


ユタはこれまでと何も変わらず、食うか寝るか剣を振るかの生活を送っていた。


一度長老達の元に干し柿をねだりに行き、嫁の管理をシンカが問われる事となった。


3大欲求に忠実な様をシンカは牛の如くと評していた。

珍しくその発言を咎め、口論になる様が家内で見られた。


ゾナハンの寒さを引き摺っているのか、リンファは体調を崩していた。

食欲が減じ、寝込む日々が続いていた。

シンカはそれをよく看病し、大切に扱った。


シンカは里の周辺を度々確認して周り、危険な魍魎の痕跡を探った。

参戦後の里は人手が少なく、滞在している者が総出で確認を行う必要があった。


その日もシンカは千穴壁を登り切り、ユタと共に魍魎の痕跡を探すと共に薬の採集に向かった。


グレンデルの復興を終えて里に戻る者がちらほらと現れる中、里では例年通り、3000年の歴史を守る様に子供達は修行を行い、その後は遊び、大人達は皆が思い思いに家事を行っていた。


麗かな日差しの昼下がりであった。


里の入り口前の竹林を進む一団の姿があった。


三度笠と蓑を纏った彼等は眼をぎらぎらと輝かせ、里の入り口が見えると皆武器を構え経を練った。


大量の山渡りが森渡り襲撃の為に集い里に迫っていた。


その数は1500に上った。


殺意を滾らせ男を殺し、女を略取し犯して子供を拐い、戦力にするべく迫っていた。


知識を略奪し人質を取り彼等を利用する。

邪悪な計画の元その魔手を伸ばしていた。


彼等は戦前からこの為の計画を練っていた。


斥候として10人が様子を窺いつつ素早く森渡りの里に滑り込んだ。

人気は少なかった。


丁度通り掛かった野菜籠を持った女と目が合った。


「殺せ」


部隊長の言葉に1人が動く。

中年女に肉薄し剣を振りかぶった。

女は呆気に取られた表情で野菜籠を落とした。


背後から見守っていた男達は中年女の死を疑わなかった。


だがその視線の先の山渡りの蓑から血濡れた手が突き出た。

その手には未だ蠢く心臓が握られていた。


女は勢い良く腕を引き抜き返り血を浴びながら心臓を地に打ち付けた。


「キキキキキキックケェッケケェッ!」


奇声を上げた。

いや、奇声では無い。これは合図だ。

山渡り達はそあ悟った。


山渡りの正面に聳える無数の穴が空いた崖から一斉に森渡り達が現れた。

まるで外的に襲われた蜂の様に。


「殺せええええええええええええええええええええええええっ!ううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


部隊長が吠えた。

奇襲は失敗した。

しかし森渡りの絶対数は少ない。


その時分を狙ったのだ。

先ずは目前の中年女を殺すべく5人が殺到した。


残る5人は素早く里に入り込んで行った。

中年女1人と5人は激しい闘いを繰り広げた。

地は抉れ、山渡りの手足、臓物は撒き散らされる。

4人倒され漸く女は力尽きる。


虚な目で宙を見詰める女を見下ろして部隊長は嫌な汗を掻いている事を自覚した。


「……なんと言う……不味いぞ……これは不味い!女1人で我等を5人……手を出して良い相手だったのか…?!」


ふらつく男の元に呼び寄せた仲間が到着した。


「イーゴリ!何があった!?」


「……イルカイ…様……女…1人に……やられました……」


イーゴリと呼ばれた部隊長の肋骨は死際の女に剥がされ臓器が露出していた。


イルカイの視線の先に倒れる女は変哲の無い中年女だった。全身に斬り傷を負い、首から大量の血を流して事切れている。


その周りには5人の無残な山渡りの死体が転がっていた。


イーゴリは崩れ落ち息を止めた。


イルカイは背筋を震わせた。


「……この女が我等を6人返り討ちにしたのか…?」


たった1人の中年女に訓練を積み重ねた戦士が6人も討ち取られたのだ。


此方へ走り来る森渡り達の姿が見え始めていた。


既に蜂の巣は突かれた。




里の中心部で侵入者との激しい戦闘が始まった。

竹林から蟻の群れのように湧き出す山渡りに森渡りは個々に立ち向かう事となった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


眼を血走らせたヨウロが吠える。

森渡り達が一斉に手を着く。

土行法・大谷壁が迫り出し森渡り達が身を隠す壁を作り出した。


「許さん、許さんぞ!」


壁を超えヨウロは槍を片手に駆け出した。

飛び交う行法を避け、時に槍で撃ち落としヨウロは山渡りの集団に肉薄した。

その後に腕の立つ戦士達が続く。


「らぁっ!」


突き出る土槍を躱しヨウロは跳ぶ。

手振り無しで行法が発動する。

風行法・大空砲


着地点の山渡り数人が吹き飛ばされた。剣を振りかぶり迫る男の首を捕まえる。


ヨウロはそれを握り潰し反対から迫る男に槍を突き立てた。


ヨウロはそのまま掴んだ男の首を引きちぎった。放たれた矢を槍に突き刺した山渡りの身体で受け、次の敵に迫る。


ヨウロの殺し方は汚い。

たった4人目でヨウロの全身は血に染まっていた。


今この里にいる十指はヨウロのみであった。


そのヨウロも山渡りに包まれて指示を出す事叶わなかった。


六頭も皆里を出ており、五老も方々からの伝達を統括しきれず、またそれに対する人員も用意できず混乱の極みにあった。


森渡りは壮絶な抵抗を里の各地で繰り広げていたが、山渡の流入は防が事が出来なかった。


「大丈夫かリンファ?」


部屋からふらつきながら現れたリンファにカヤテが声を掛けた。


「……ごめん、きつい。お願いカヤテ、ナウラ、ヴィー。里を守って…」


「ああ、勿論だ!我が故郷を身を賭して守ってくれた森渡り達の為!加えて此処は私の第二の故郷だ!」


「無論です。夫の不在に家を護るのが女の役目」


「私とシンカ様の安寧の地を汚す不届き者は刻んで棄ててしまわないとねぇ?」


急ぎ装備を整えた3人が家を出て行く。リンファは家と隣接する納屋で野菜を食べ続ける八咫山蚕のハナを家まで引っ張り家を護る為に椅子にかけて槍を握った。


経が上手く練れなかった。気分も悪い。

しかし戦わないとならない。

抗うのだ。


家を出た3人の内ナウラが蝙蝠の声を真似て合図を送った。

届くかは分からないが送るだけ送った。


シン家の前から次々と村に侵入する山渡りの姿を窺うことが出来た。

大雨で崩れた堤から川が氾濫するように。


「……何故だ?」


走りながらカヤテが口にする。


「何故山渡りはそれ程森渡りに拘る?」


その腰からは既に朱音が抜かれ、赤い炎が纏わり付いている。


「分かりませんが、ファブニルとグレンデルの様な関係なのでは?」


ナウラも既に体内で経を練り上げいつでも扱える状態である。


「……よく分からんが納得できた。やる事は一つだ」


3人は合図を送りあい散会した。




「押し返せ!軟弱な蓑虫風情何するものぞ!」


「里を守れ!1人残らず生きて帰すな!」


「子供達は?!誰か避難を!」


激しい抵抗を森渡り達は繰り広げる。

正面突破は防いでいるが大きく迂回して里へ侵入する部隊を防げてはいなかった。


「敵の数が多い!周辺に合図は送ったか!?」


「送った!返事は無い!近くに仲間が居ない!」


「我等だけで防ぐしか無いか!」


「己れっ!己れ蓑虫!」


多くの山渡りを殺せど敵の侵入が尽きない。

1人が10人以上に囲まれ、対等以上に戦う壮絶な戦闘が続く。


方々で絶叫や血飛沫が上がる。

しかしいくら殺せど山渡りは次々に里へ侵入し、森渡りも1人また1人と激しい抵抗の末に倒れていた。


1500に及ぶ山渡りに対し、里の入り口から中心部にて敵対する森渡りは15歳以下のまだ戦闘経験の少ない若者を含めて200に届いていなかった。


森渡りの里はこの白山脈の中腹に移り住んで以来3000年の歴史の中で初めての危機を迎えていた。


今里を守る戦士が皆死に、子供を抑えられれば森渡りと言えど最早山渡りに抗する牙は抜かれたも同然となる。


以降は隷属の日々を送る事となるだろう。


まさに存亡をかけての抗戦であった。


それを理解していた森渡り達は文字通り命を賭し、肉を斬らせて骨を断つべく争っていた。




黒髪の美しいモールイド人が数十の部下を引き連れて悠然と森渡りの里を迂回して進んでいた。

皆女性で構成された部隊を引き連れイリアは悠々と森渡りの里を進んでいた。


「……現れませんね」


時折遭遇する森渡りと散発的に戦闘を行い犠牲と共に討ち取りながらも長閑であったであろう里を進む。


「イリア様。この里には居ないのかも知れません」


イリアの目的はたった1人だ。

大切な部下を無残に殺した森渡りの男を殺す。

その為に敵の戦闘内容を研究して部隊を整えた。


あの男は間違い無く森渡りの中で一二を争う手練れだろう。

奴を殺す事で同胞への貢献に繋がる事も事実であるが、イリアは森渡りの襲撃自体にはさしたる価値を見出していなかった。


「ダニエラ、ツィポラ、エカテリーナ、イソルダ、ヴラダ。警戒を怠らないでください。危険な相手です」


5人の部隊長に指示を出す。

一瞬の油断であの男は今イリアが連れる半数を殺しかねない。


激しい戦闘を繰り広げる里の中央にちらと視線を向け、イリアは更に踏み込んでいった。


もしあの男がここにいるのであれば見つけ出すまでも無く襲いかかって来るだろう。


イリアは内心の憎悪を顔には微塵も表す事なく森渡りの里を集団を引き連れ歩んだ。




小川で遊ぶ子供達がいた。

合図を聞きその中でも年長のセンバは顔を上げた。


「みんな急いで!武器持って!」


「なあに?てき?こわいよぉ」


「どうすればいいの?おかあさん!?おかあさんどこ?」


センバはたったの9歳だった。

更に幼年の子供達が恐怖に怯え出す。


「大丈夫!俺達が護るよ!ランカ!ナンボ!リンビン!…準備できた?!」


子供達の中でも比較的訓練を受けている3人に呼びかける。

口々に8歳、7歳の友人達が頷き返事をした。


「ランカ!他の子供達も集めて避難させて!」


その時センバは人の気配を捉えた。


「ナンボ!リンビン!」


ランカが小さな子供達を連れて小川を去って行く。

入れ替わりに三度笠を被り蓑を纏った男が現れる。


「よぉ坊主。お前達だけか?」


始めに声を掛けた男の背後から3人現れる。


「な、何?誰?!」


リンビンが怯えて背後ずさる。


「俺達の里になんの様だ!」


センバは懸命に勇気を奮い立たせて立ち塞がる。


「おいおい、足震えてるじゃねーか。虐めてやるなよ?」


「これからもっと虐めるのに何言ってやがる。ほら、とっとと捕まえて手足の一二本ぶった切って仲間の居場所吐かせるぞ」


男がセンバに手を伸ばす。

センバはその手を仰け反って躱した。


「あ?」


センバの身体が倒れる。

それに伴って足が跳ね上げられた。


「ぐあっ!?」


センバの靴底から飛び出た短剣が男の腹に突き刺さった。


「2人とも!」


海老反りになり手を地に着き回転しながら叫ぶ。

リンビンが大きく仰け反り胸を膨らませた。


「こんな子供が行法を?!」


「止めろ!」


リンビンを斬り伏せようと迫る男をセンバが止める。


「邪魔だ!」


大上段からの一撃をセンバは受け流す。


「何!?」


そして山渡りの胴を斬り払う。


「ぐああああっ!?」


リンビンが右腕を振るう。

身体がたたまれ口腔から小さいが火焔が吐き出された。


「防げ!」


1人が地に手を着く。

岩戸が立ち上がりリンビンの息吹を防いだ。


だがリンビンの狙いはそこには無かった。

高温の火炎は小川の水を蒸発させ周囲に湯気が立ち込める。


ナンボが手を握った。

水滴が中空に集り鋭く形を変える。

周囲一帯全てがナンボの殺傷範囲となった。


水行法・水蜘蛛針

最早壁で防ぐ事はできない。


「っ!?」


1人は声なく死亡した。

残る3人は全身に小さな穴を開けつつも未だ闘志衰えて居なかった。


センバが両手を突き出す。


「終わりだっ!」


手から放たれた稲妻が程走る。

3人の山渡りは感電し息絶えた。


「……やったっ!」


「そうだね。早く大人と合流しようよ」


「此処にいるとまたっ、…来たっ!」


絶叫や戦闘音を聞きつけて新手の山渡り達が現れる。


「…こいつらがやったのか?!」


「こんな子供が!?」


「許さん!嬲り殺しにしろ!斬殺してその死体を抵抗する森渡りに放り投げろ!」


山渡りはじりじりと展開して行く。

既に4人を殺されている彼等に慢心は無い。

3人の子供達は恐怖に顔を痙攣らせながらも経を練った。


1人の山渡りが飛び出す。

槍をセンバに向けて突き出した。

しかし槍の穂先がセンバに届く事はなかった。


その男の胸に赤い光線が突き刺さった。

木立の中から片目を充血させた女が現れた。


「…私の妹に手を出すつもり?………殺してやる!」


現れたリンドウは怒りに目を見開いた。

リンドウが両手を突き出す。


突風が駆け巡った。

強風に男達は耐えようと身を低める。


「死ねえええええええええええ!」


ぼうと右目が赤く光を宿す。

先の攻撃は熱視線。

これから放つ法はそれとは異なる。


火行法・凝視。

山渡りの1人はリンドウの右目から発せられる赤い光線がいとも容易く転がる岩を貫くのを見て恐怖した。


「…まさか」


山渡りの1人が喘ぐ様に呟く。


リンドウの首が振られる。

山渡り達の半数が身体を上下に分かたれて肉塊へと変じた。


頭部に集められた経の影響で頭髪が水中で揺られる水草のように揺蕩い、怜悧な美貌が怒りに歪められ見る者を恐怖させた。




修練場で修行を行なっていた10歳から14歳までの少年達は迫る山渡りと水際の撤退戦を繰り広げていた。


「このままじゃ保たないよリンホウ!」


「頑張れ!こんな奴らに負けるな!俺達で里を守るんだ!」


経験の少ない彼等は山渡り達とせいぜいが2対1程度の戦いしか行えない。


隣接されるのを避けて距離を取って行法を行い牽制を続けていた。

リンハとリンルイが声を掛け合う。


「押し返せ!」


「負けるな皆!」


口々に声を掛け合い士気を保つ。

迫り出した岩壁に炎弾が打つかり轟音を上げる。

岩の欠片が飛び散り頭上から降る。

度重なる炎弾に少年達は首を竦めた。


「撃ち返せ!寄られたら終わるぞ!」


「あいつら下手くそのくせに数が多い!」


少年達は追い詰められていた。

山渡り達はまずこの少年達を制圧し捕虜とする事に決め、戦力を集中させつつあった。


100名程度の少年少女達は必死に4倍5倍と膨れ上がる山渡りに闇雲に行法を放ち、辛うじて被害を避けていた。


歴戦の戦士が1人でも居れば指揮を取り導く事が可能であっただろう。

だが、皆何処かしらで山渡りに囲まれ戦闘を繰り広げておりその余力がある者など存在しなかった。




クサビナの内乱を誘発させたヨウキは戦後謹慎処分となり五老、六頭、十指による談合による処分結果を待つ身であった。


ヨウキはシンカ、リンファ、クウロウ、センテツ、サンカイ、セキムと同年として幼少期より修行を行なってきた。


幼少よりシンカの才能は突出しており、またリンファの腕にも劣ったヨウキは鬱屈した事もあった。


学力でも勝る事は出来なかった。


しかし人の個性は十人十色。

武術も行法も敵わないヨウキでもシンカに勝るものがあった。


盤戯では負け無しであったし、周囲を味方に付け自分の思う様に動かす事も出来た。


ヨウキはシンカに対する劣等感を抱えていたが、しかしその関係性は良好だった。


シンカがヨウキを親友であると思っていた様に、ヨウキもシンカをそう思っていた。


2人はリンファが嫉妬する程仲が良かった。

2人とも口数が多い方ではなかった為、半日2人無言で釣り糸を垂れたり、無言で盤面を挟んだりしていた。


里には子供も多い。

必然と虐めや時には暴力を振るわれる事もある。

シンカや自分。またその弟妹が対象となれば身体の大きな相手にも2人で立ち向かった。


ヨウキが作戦を練り、シンカが腕を振るった。

その関係はシンカがリンファと恋人関係となっても続いた。


シンカが十指になっても。


ヨウキは何れ六頭になり里を導くと考えていた。


ある日、突然シンカが消えた。

何の相談も無かったことにヨウキは失望した。

しかし良い機会だとも思った。


己の親友が里を出て大陸を巡り教養を深めると言うのなら己も劣らぬ様大陸を巡り、様々な価値観を知り知識を得て何かを為すべきだと考えたのだ。


書物の中の世界と目で見る世界は違う。

貧しい人々と富める特権階級。

道端に転がる死体と肥え太った貴族。

ヨウキは世界を醜いと感じた。

争う国々、搾取し合う人々。


それに比べ森渡りのなんと高潔で心穏やかな事か。

何故力も知識もある己らの一族が山の中に惨めに引き籠もり隠れ潜まなければならないのか。


ヨウキは考えた。

誤っていると。


ヨウキは旅の中で貧しい人々を守る為に多くの魍魎や賊と戦った。時には悪徳貴族の兵士とも。

里から出て以来ヨウキは戦いの腕を上げた。

十指に選ばれてもおかしく無い程に。


そうして誓った。

見窄らしく隠れ潜む一族を陽の光が当たる輝かしい場所に導く。


ヨウキの思考はいつしかその目的を達する事に凝り固まり始めた。

それが正しいのだと信じ込んだ。


各地で傭兵を集め、権力の中枢に近い人物と繋がり肥沃なクサビナのグレンデルに目を付けた。


彼等は武に尊ぶが搦手に弱い印象があった。

ヨウキの計画は順調な筈だった。


まさか自分が最も大切とする森渡りがグレンデルに付いているとは思わなかった。

酷く衝撃を受けた。


シンカの言葉を聞いても信じる事は出来なかったが、その目で見ては信じるほか無かった。


自分が起こした戦争が同胞の命を奪ったのだ。

茫然とした。


取り返しのつかない事をした。


六頭の元に出頭し懺悔した。

リンレイは暫く考えた後里に戻る様に諭した。


ヨウキはずっと考えていた。

森渡り達はヨウキを責めないだろう。

グレンデルを中心とした内乱はいずれは起こった事であるし、戦に参じたのは森渡り個々人の意思だ。


だがそれで気がすむ事はない。

誰もがヨウキに罪を問わないのであれば、自分自身で罪を問い、償うしか無い。

知らなかったでは済まされない。


謹慎中ヨウキは思考を重ねていた。

森渡りとは何か。自分達が求めるものは何か。


そして一つの結論に辿り着いた。

それは自由だ。

権力も財も不要。陽の当たる場所を捨てて森の中に自由を見出したのだ。


忘れていた。

自分達がどれ程自由であったか。


自由を脅かされるから森渡りは参戦した。

間違っていたのだ。権力が欲しければ森渡り達は自分の力で自由に求めるだろう。


財が欲しい森渡りは里を出て街に住み着くだろう。

己らは誰かに導かれる程弱くは無いのだ。


そんな事をつらつらと考えているヨウキの耳に合図が届く。


襲撃。山渡り。

それは因果だ。


ヨウキが使おうとした山渡りが己の手を離れ牙を剥いたのだ。

ヨウキは翅を取った。




じりじりと追い詰められる少年達の頭上を何かが飛び越えた。

飛び交う行法をうねり躱し山渡りに斬りかかる。


「ヨウキさん!」


誰かが名を呼ぶ。


ヨウキは立て続けに敵を斬り血飛沫を浴びる。

十指に劣らぬ技量で狂った様に暴れるヨウキを山渡り達は取り囲む。


それは雀蜂に集る蜜蜂を連想させた。


「つ、強い!?」


「こんな敵があと何人いるんだ?!」


「囲め!強かろうが1人だけ!」


ヨウキは翅を振るい突き出された槍衾を斬り払う。

シンカと2人で倒した流蜻蜓。


4枚の翅を2人でわけ、1枚は未熟ゆえ既に使い潰した。


穂先が斬られて短くなった槍衾の下に潜り込み脚を切断し敵中に突入した。


「見つけたり。これが我が贖罪、我が懺悔。血浴び腸巻きて若木を護る事こそ贖いの道」


竜巻の目の様に辺りを薙ぎ払い里を血に染める。


「これも我が愚策の皺寄せなのだろう…………我が愚かさと共に常世へ導こうぞ」


ヨウキは最早守る事を捨てていた。

ただ敵を殺す為身体を酷使していた。


「ヨウキに続け!」


「お前ら若いのは援護してろ!」


駆け付けた男達がヨウキに続き斬りかかる。


屍山血河の有様であった。




ヨウロを含む森渡りが奮戦する里の中央広場でもまた屍山血河の戦闘が繰り広げられていた。


「死ね!死ね!死ね滓共!」


素早く槍を片手で3度突き、左手で男の首を掴み振り回すヨウロは最早血に染まっていない部分は無い。


「ぐぅぅ…最早…これまでか…」


ヨウロと共に適中に潜り込み斧を振るっていたコウゲンが背を斬られ、怯んだ隙に胸に槍を突き立てられた。


「コウゲン!?」


ナンセイが声を上げる。


「さらばだ。……我等が美しき里に安寧あれ。……後は頼んだぞ」


コウゲンの身体が内側から弾け飛んだ。

鋭い風条が周囲に伸びて10人以上の山渡りの身体をずたずたに引き裂いて駆け抜け霧散した。


「お前達気張るぞ!俺達が皆倒れれば女子供が滓共の餌食となる!」


赤く濡れそぼったヨウロが声を掛ける。

その時だ。敵の中央上空に経が急速に集り空気を制御下に置いた。

直後人ごと大地が大きく陥没した。


「ああああああああああああああああああっ!?」


1人難を逃れたものの下半身は潰されて上半身だけとなった山渡りが血溜まりの中で叫ぶ。

風行法・月槌。


続き周囲に複数の白光球が浮かび上がる。

付近にいた山渡りが発火し絶叫を上げて炎上した。

火行法・蛍散灯。カヤテの法だ。


難を逃れた山渡りは黒髪を棚引かせたアガド人の女の姿を目に止めることとなった。


「…赫兵…だと…?」


「……狐面の男とは……森渡りの事であったか!」


カヤテは赤い剣の刃を立てて八相に構えていた。


「何故平穏に暮らす者が虐げられる?他人を足蹴にして得た富と名声。その脆さに何故気づかぬ!?」


カヤテの啖呵に男が返す。

土長のイルカイだ。


「山奥に隠れ潜み、長らく辛酸苦渋を舐めてきた!我等はメルセテに返り咲くのだ!」


カヤテに山渡りが迫る。


「はっ!」


その豪剣は受けた相手の剣を弾き頭をかち割る。


「敵は無勢!囲み殺せ!」


「ああああああああああああああっ!」


カヤテは鬨の声を上げる。

朱音が纏う炎が青から白に変じる。


「あれが世に聞く炎剣か…」


「打ち合うな!剣ごと斬られる!」


「敵の斬撃は躱せ!」


山渡りは警戒する。

固まった者達は再び上空からの法で押し潰されて絶命した。


ヴィダードは離れた樹上に潜み敵に無慈悲に行法を行なっていた。


何者にも他者の家を奪う権利はない。

愛する者と引き離す権利はない。


山渡りが子女を略取し質として男を戦わせる。


人間とは度し難い生き物だ。

ヴィダードはそう思う。


人も精霊の民も今手元にある大切な物を真綿に包む様に大切に扱えばそれだけで幸福に生きて行ける。

だが人はそれに気付かない。


人の欲は際限無い。己が既に幸福を手にしている事を認識していないのだ。


そうして失った後に気付くのだ。


人を呪わば穴二つ。

何かを奪おうと刃を振るうのであれば、己の命もまた刃に刈り取られる可能性がある事を理解しなければならない。


命を奪えば憎しみは残された者に蔓延し、連鎖を起こす。


しかし大抵奪う側に立つ者は興奮や優越感でそれを忘れてしまう。


イーヴァルンの民は簒奪者には容赦しない。

ヴィダード自身戦士として魍魎も迷い込んだ精霊の民も殺してきた。


シンカと共に旅をして多くの敵を殺して来た。

そこに何ら後悔は無い。


此度もそうだ。

何時もの様に殺すのだ。


だがヴィダードは何時も以上に怒りを湛えていた。

此処はお導き相手、シンカの故郷だ。

今戦い倒れて行く人々はシンカの同胞だ。

堪らなく憎かった。


ヴィダードは矢を番える。

この者達を殺すのだ。

シンカの為では無い。

自分の為でも無い。

この自分の第二の故郷の為、第二の同胞の為だ。


自分の居場所を汚される事はシンカを失う事の次に許し難い。


ヴィダードの矢は風に包まれ圧倒的な速さで射出される。

瓜でも割るかの様に山渡りの頭が弾け飛ぶ。一矢で数人。


この程度はイーヴァルンの民には容易い。

数十の矢を射終えた時、ヴィダードは自分への鋭い視線を感じ取る。


背筋が震えた。自分の伴侶以外に視線を向けられる事はヴィダードにとって悍ましい。

素早く太い幹の影に枝を伝って潜むと今までヴィダードの頭があった位置に矢が突き刺さった。


敵にも狙撃手が居るらしい。

ヴィダードは考える。


そのまま相手を生かしておけば罷り間違って伴侶が傷付けられるかもしれない。


仕留める必要があった。



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