這い寄る影



明け方の肌寒い空気に包まれ、森渡り達は里の中心部に集っていた。


皆が白の清楚な長衣に身を包み、頭髪を同じく白い円筒上の被り物の中に隠している。

これから肉体を出て精霊となり何かに宿ろうとする魂が、迷い未練を残して生者に纏わり付かない様に色の無い衣装を身に纏っているのだ。


被り物からは薄い布が垂れ顔を隠している。

死者と目が合うと引き込まれ、死に近づくという説に則り目が合わぬ様隠すと同時に大の大人が泣き顔を見られない様にする意味合いもあるのだろう。


里の中央広場には黒い衣類に身を包まれた遺体が並んでいる。


その胸には仮面が抱かれていた。

森渡りの歴史に永久に語り継がれる惨劇であった。


10歳未満の死者5名

10代の死者12名

20代の死者15名

30代の死者19名

40代の死者18名

50代の死者22名

60代の死者26名

70歳以上の死者29名

都合141名の死者となった。


里の森渡りの9分程度の比率である。

先の戦争による死者も合わせれば1割3分を超える。

大きすぎる被害であった。


生き残ったもの、慌てて駆けつけたものが集い死者を痛み荼毘に伏そうとしていた。


シンカは2度と目を開かぬヨウロとヨウキの元に寄りヨウキの遺体の胸に手を当てて深く首を垂れていた。


幼い頃槍を教わった師であった。


様々な思い出が脳裏を駆け抜けて行く。

厳しく修練場で指導された日々。膝を怪我し、背負われて家まで送られた一時。腕を擦り剥き手当てしてくれる髭面。


全てがシンカの中で鮮やかな光景と共に残っている。


里に帰らぬシンカを諭したエリンドゥイラの夜。あの一時が無ければシンカはリンファと依を戻せていなかっただろう。


胸に縋り付き肩を震わせて泣いた。


ヨウロの隣にはヨウキが横たわる。その隣にはレミが横たえられていた。

レミの元には数人の元山渡りが集い涙を流していた。


皆が悲しみに沈んでいた。


リンファは親しい友人を数人亡くし悲しみに暮れていた。


ナウラも交友を得た人間を3人ほど失い彼等に別れを告げている。


ヴィダードですら庭木について語り合う機会のあったら老人を弔い、山法師の枝を手折って胸の上に供えていた。


1人数を減らした五老が重たい声音で死者達の魂が無事に旅立ち、万物に宿る事を祈っていた。


巨大な櫓に親族達が遺体を運ぶ。

そして火が灯された。


光り輝く白い炎で匂いも残さず遺体が焼かれる。軈て死者の姿形が崩れると、後は燃えるままに全てが燃え尽きるのを待つ。


激しく燃える炎の揺らぎと白い煙が立ち昇る様子をシンカは呆然と見上げていた。


炎は昼を超え、夜が訪れても燃え続けた。

シンカは夜闇の中に赫く弔いの炎を見続けていた。


シンカだけでは無い。多くの森渡りが同じ様に炎を遠巻きに見詰めていた。

死した同胞の魂の安寧を祈り続けた。


暁光と共に朝が訪れる頃、炎は漸く燻る程度に収まる。


全てが燃え尽き火が消えると森渡り達は灰を携えて白山脈を登り、山頂に強く風が吹くとそれを撒いた。


風に乗り灰が時折陽光に煌きながら散っていった。

白山脈から強い山越えの風と共に舞い上がった死者の思いは大陸の何処へだって届くだろう。


親族達は撒くべき灰を撒き終わり、その一粒すら見えなくなっても佇み見送っていた。


先に煙と共に空へと登った魂が、身体に残った思いに捉われず精霊となれる様に祈った。


近しい親族を亡くさなかったシンカは灰を撒く事はなかったが、それでも延々と同道して交流のあった人々を見送った。


軈て森渡り達は山頂に背を向け里へと帰った。


襲撃から7日後、ジュコウがウンハが欠けた五老に選ばれると共に集会が開かれた。


各地に散っていた森渡り達も7割までが集結していた。


リクゲン、トウマン、エンホウ、アンジ、ジュコウが高台に立ち言葉を発する。


「皆!忘れるな!」


ジュコウが歯を剥き出して叫んだ。

老齢を経て尚奮戦し、傷付いた同胞を治癒するジュコウの姿は襲撃を受けた森渡りの皆の脳裏に焼き付いていた。


五老に選ばれたジュコウを否定する者はいなかった。


「千年前、我等は悪鬼の成り代りであるフレスヴェル一族に悪逆非道の限りを尽くされ報復した。如何なる立場の者であろうと我等はやられた事はやりかえす。決して捨て置くことはできぬ!」


幼年の子供達を守り戦ったリクゲンが吠える様に告げた。


「クウハン、シンカ、シャハン、スイセン、エンリを部隊長として雲海山を攻める!トウリュウ隊は既に里を出て斥候を務めている。セキレイ、コクリ、センヒは里に残り有事の際の防衛を担え!六頭はリンレイを頭とし参謀にハンネ、コウセイ。里の守りとしてガンケン、ランマが残る。ゲンドウはトウリュウと共に既に里を立っている。参戦希望者は家長取り纏めの上ハンネ、コウセイに連携せよ!」


エンホウの口より方針が伝えられる。

言葉を耳にした森渡り達は怒りを堪えながらその言葉を聴いていた。


「襲撃の折に十指副戦士長のヨウロが里を守り戦死した。代わりの者としてリンメイを十指の1人とする。リンメイはまだ若い。シンカに従い経験を積め。リンメイ!里の皆に一言を」


リクゲンに促され集団からリンメイが歩み出た。

リンメイは今年で19になる。シンカの17歳には劣るが若年での就任であった。


リンメイは気負うことなく壇上に立ち口を開いた。

彼女は堂々とした態度で思いを語った。

若いリンメイの力ある言葉に皆が心を同じくし拍手を送った。


次いでクウハンが高台に呼ばれて立った。

クウハンは理不尽を語り、恨みを語り、進むべき道を声高に説いた。

戦士長クウハンの言葉に皆が同調し口々に気持ちを言葉にする。


クウハンに続きシンカが高台に上がる。

シンカの壮絶な死闘を目にした者は多かった。50人に囲まれて何故生きているのか首をかしげる者もいた。

シンカは冷静になる事を説いた。

頭に血が登れば無必要な犠牲を出しかねないと。

里を守る為に死闘を繰り広げ、生き残った唯一の十指の言葉に皆は耳を傾けた。

怒り狂い戦い抜き、生き残ったシンカの言葉には説得力があった。


シンカに続きシャハンが語った。

シャハンは激しい憎悪、激しい怒りを表した。

全てを滅すべきだと語った。


その後スイセン、エンリと続き十指、六頭が言葉を告げた。

森渡り達は憎しみを渦巻かせて集会を終えた。

その日の午後、長老の集う横穴に役付きの16人が集った。

五老5人、六頭2人、十指9人である。


六頭のゲンドウ、十指のトウリュウは既にベルガナへ向かった。

また六頭のハンネ、コウセイ、ランマは参戦を希望した者の能力や十指との関係性を確認して編隊を行なっている。


皆、口を開く前から既に殺気立っており、シンカは自分達らしく無いと感じていた。しかしそれもやむを得ない。


「シンカ。お主の話では山渡りの里は2つあるのだったな?雲海山と白雲山脈で良いな?」


エンホウの問い掛けにシンカは無言で頷く。


「それぞれの戦力は分かるか?」


「……恐らく。今回の襲撃は数にして1500。護りに3割残すと考えれば450。戦えぬ者は戦士達の3倍、6000と言ったところだろう。白雲山脈の数はそれに劣る。戦士1500の戦えぬ者4500と見るべきだろう」


2つの里合わせて10000人を殺戮するとなると並々ならぬ労力が想定される。


シャハンとエンリは頭に血が上り全てを虐殺すると気炎を吐いている。


クウハン、センヒ、ジュコウ、エンホウも言葉にはしないが同調の傾向が垣間見える。


「一体それだけの人数とその分の家屋を如何にして山中に隠しているのだ?」


五老のトウマンが疑問を表す。


「2里共谷川沿いに集落を築いている様だ。土地は狭く災害に怯えている。だからこそベルガナへ取り入り地位を築こうとしたのだろう」


シンカは雲海山脈の草長シルアとの会話で推察できる内容を答えた。


「長老。疑問だけれど、雲海山脈の山渡りも滅ぼすのですか?どうも無関係な様に思えますが…」


リンレイが疑問を呈する。


「何を馬鹿な事を!片方を残す意味があるものか!」


シャハンがリンレイの言葉に食い付いた。


「シャハン、今はそう思うだろうね。でもそれ程の人数、ましてや非戦闘員を殺して僕達の心は耐えられるだろうか?僕にはそれが分からない。熱に浮かされて殺戮して、熱りが覚めてから心を病まないだろうか?」


シンカも同じ疑問を抱いていた。

ラングという頭目とイリアという女の前で全てを嬲り殺しにし、絶望させて殺したいという暗い復讐心は確かに存在する。だがそれをして良いのかという疑問が付き纏う。


道徳心の問題は捨て置いたとしても、耐えられる者と耐えられない者がいるのは間違い無いだろう。

自分が何方に該当するのかシンカには分からなかった。


戦闘員なら幾らでも殺せる。現に先の戦争では山を起こして万を超える兵士を葬った。

伝聞の数字でしか認識していない所為かも分からないが、さして心は痛まなかった。夢に見る事もない。


だが。


「私も疑問ね。もし白雲山脈の里が関係していないなら、同じ山渡りとは言えそれは無実の人間でしょ?後々敵対する可能性が有るとしても…」


スイセンが口を出す。


「白雲の山渡りは第二次ヴィティア・ベルガナ戦線にて袂を分けている。白雲の里を滅ぼすのは気乗りしません」


セキレイが口にする。

シンカもセキレイと同じ感情を持っていた。シンカはシルアの事を思い出していた。


白雲山脈の山渡りはサルマに付き従い彼女の為に命を賭した。

一本芯の通った武人達だ。


安い欲望に目を眩ませ、ルドガー・レジェノに付き従った天海山の山渡りと同一視したく無いと考えていた。


しかし白雲の山渡りがこの件に関与していないかは確認が必要だ。


「セキレイ!自分が何を言っているのか分かってるのか!?」


エンリが怒声を上げた。


「分かっています。我等は今狭門際に立っている。人と鬼、どちらで居るかの狭門際に」


「臆病者が!無残に里を蹂躙され人?鬼?巫山戯るな!今我等は鬼とならなければならない!そうだろう!?」


「黙れ!お前は何も考えていない!感情赴くまま戦いどうする!?その戦いで何人が死ぬ!?もう同胞が死んで行くのはうんざりだ!2つの里、10000の山渡りを滅ぼし尽くす事なぞ我等とて不可能だ!いつか必ず返ってくるぞ!何世代か後にそれは必ず我等に帰ってくるのだ!」


復讐はしたい。山渡りを苦しめたい。滅ぼしたい。しかしこれ以上同胞を失うことは辛い。

後顧の憂いも立つべきだ。しかし理不尽な殺戮も避けるべきだった。


ヨウキの死に顔が脳裏に浮かぶ。

ずたずたのヨウロの身体もだ。あれがまた起こる事だけは何としても避けなければならない。


連想をしてしまうのだ。地に転がる同胞の姿が妻達であったら、と。

伝達により妻達の死が知らされたら…と。


「落ち着けぃ。エンリ。此処は合議の場よ。どの様な意見とて責めるべきではない。セキレイ、お前の苦悩はよく分かるが、言い争ってなんとする。双方謝罪せよ」


五老の仲裁に2人は1度口を閉じた。


「…済まない」


「悪かったよ。納得はいかないが」


セキレイとエンリは謝罪を口にする。

セキレイとエンリ2人の気持ちはシンカにもよく分かる。


シンカは感情的には雲海山脈の山渡りは皆殺しにするべきだと考えていた。

白雲の里を含めて全てを殲滅し無に返してやりたい。


奴等の妄執も野望も未来も、その歩んで来た歴史も全てを無為にしたいと。


しかし理性的にはセキレイの言いが妥当である事も理解していた。


「……冷静に考えれば……。本当に白雲の山渡りが此度の件に関与していないのなら……其方には手を出すべきでは無いだろうのぉ」


五老のアンジがぼそりと口に出した。


「うむ。怒りはあるが、感情に任せてそれをしてしまえば…。……我等も魍魎の仲間入りよのう」


トウマンが続ける。


「はっ!耄碌して玉ぁ無くしたか」


シャハンが吐き捨てる。


「あたし達だけじゃ無い。里の皆は納得するのか?」


エンリが鋭い視線を五老に投げかける。

仮に白雲の山渡りを生かす事にこの合議で決まれば大々的な結集は許されないが、報復したい者達だけで襲撃を掛けることは自由だ。


しかしそうなれば集められる人数は大幅に減る。

人数が減れば山渡りを逃す事に繋がり、里の憂いへと繋がる。


「僕は白雲の里と交渉を行うべきだと考えている」


リンレイが口を開いた。無言で六頭のガンケン、十指のコクリが頷く。


「何を交渉する?」


クウハンが尋ねる。


「天海山の山渡りに襲撃は仕掛けるべきだ。彼等を生かせば必ずまた攻撃を仕掛けてくる。白雲の山渡りに此度の関与を確認するんだ。彼等は我等の報復を恐れるだろうね。恐らく彼等は袂を分けた山渡りを見捨てる筈だ。我々は白雲の山渡りに手を出さない事と引き換えに天海の山渡りへの報復を黙認させ、場合によっては強力をさせる」


「協力だと?」


「うん。逃げ延びた者や里に居なかった者は必ず白雲の山渡りの伝を得ようとするだろう。彼等を引き渡させる。攻撃や粛清に手を貸させる事は難しいだろう。でもそれ位なら…ね。我等と敵対する事との引き換えにしては安いものだよ」


納得のいく着地点だったのだろう。シャハンとエンリ以外の者は納得した様だった。


シンカも考えていた案だ。天海山の山渡りの身柄引き渡しは妥協できない。


近隣に土着している森渡りに監視を行わせれば悪意の連鎖の芽を摘めるだろう。


シンカはヨウロだったら何と言うか考えた。

脳裏に浮かべたヨウロは何も語ってはくれなかった。


シャハンとエンリの様に後先考えずにいきり立っていられるなら話は簡単だ。


だがシンカは十指として隊員の安全を守らなければならない。そしてそれ以上に家族を守らなければならないのだ。


ふつふつと腸を焦がす様な憎悪を身を任せるだけの、子供のままではいられないのだ。


何を為すべきなのか、何が許されるのか。

分からなかった。しかし冷静さを残しておかなければならない事は間違い無かった。


一同は2刻を消費して方針を決めていった。




すっかり陽が傾いた中、シンカは眉間に深い縦皺を寄せながら岩の階段を下っていた。


時間を掛けずに自宅に辿り着く。


ヴィダードが植樹した山法師が白く清楚に花を付けていた。


家で休めるのも数日ぶりだ。その上明日直ぐに出立しなければならない。


六頭達が編成した隊員と各々の能力も確認する必要がある。

あまり時間は無い。


家の扉を開けた。


「シンカ!到頭貢物の収めどきだねっ!」


ユタが訳の分からない事を捲し立てながら走って来た。


「まず俺は悪事を働いた覚えは無いし、婚姻の事を言っているのなら人の5倍どころの騒ぎでは無い重税を既に支払っている認識だが」


「それって僕が良い女ってこと?」


意図が伝わらなかった事は寂しいがユタの事は良い女だと思っているので否定はしなかった。


「シンカ。重税とは聞き捨てなりませんね。私が重たい女だとでも?」


「心も体もお」


「何か、私に、不満が?」


「ごめんなさい」


シンカは重たい気持ちがすっかり吹き飛ばされている事に気付いた。


堪らなく嬉しかった。これが家庭なのだとしみじみと感じることができた。


針の先程眉を寄せてぷりぷり怒るナウラを抱き寄せて愛情を示すと上着を脱ぐ。


直ぐに1番重い女が受け取ってそそくさと衣類掛けに吊るした。


犬の様に戻って来て期待した眼差しで見つめて来るので同じく腰を抱き寄せ抱き締めた。


「そうだ!それどころじゃ無いよ!リンファがね!」


ユタが興奮しながらシンカの袖を引いた。


「ユタ。落ち着いてください。本人が話すべきです」


シンカは不安を覚えながらユタに袖を惹かれてリンファの自室に向かった。

リンファの部屋の扉を開くと寝台に腰かけたリンファの背をカヤテが摩っていた。


「…すまない。亭主が帰って来たと言うのに迎えにも出ず」


「いや。どうした?」


匂いを嗅ぐ。僅かにすえた匂いが嗅ぎとれた。胃液の匂いだ。嘔吐したのだろう。


「シンカ…」


リンファが辛そうな表情を浮かべて名を呼んだ。


「あたし、あんたの子供、孕んだわよ」


「お?」


予想外の台詞に奇妙な声が漏れた。


「お、だって!」


ユタがシンカを揶揄って笑う。


成る程。最近の体調不良は悪阻だったと言うことか。


「うん。妊娠か。卵が精子と結合し子宮内に着床し胎盤を形成する現象、別称受精のことか。受精卵は40日以降は胎児と呼称され110日から190日間で胎動が始まる。195日以降からは胎児が急激に成長し280日程度で子宮の収縮が始まる。所謂産気くという状態だ。半刻に5、6回収縮する状態を陣痛と呼称するがその内膜が破れ羊水が排出される事を破水と呼称しいよいよ」


「もういいよそんなどうでもいい事!」


「ど、どうでも…」


「現実ちゃんと見なよ!」


ユタに怒られる。初めての経験であった。


「……孕んだ、か……」


「そうよ。あと半年と少しであんた父親よ」


「そうか」


「そうよ」


全てが吹き飛んでいた。

何もかも忘れて、告げられた言葉の意味を反芻した。


「そうかぁ…父親か…俺が、父親……」


「何よ!文句あるの?!」


リンファが強い語調で言葉を発した。

しかし強がったリンファの表情の奥に不安げな感情をシンカは読み取った。


僅かに寄せられた眉、下がった口角。

それは駄目だ。よく無い事だ。


シンカはリンファに近寄り頭を抱く。


「良くやった。まだ実感はないが、俺もお前のおかげで子を持てる訳か」


此方を見ているナウラに向けて犬歯を剥き出しにする。


「行きますよ、ヴィー、ユタ。カヤテも。シンカの動揺する姿を見る事が出来ましたので良しとしましょう」


「うむ。面白かったぞ。では後ほど」


さしものヴィダードも大人しく部屋から出て行きシンカはリンファと2人きりになった。

リンファは己の腹に大切そうに手を当てている。まだ膨らみは見られない。


「……そうかな?って思ってはいたの。暫く月のものは来てなかったし。でもあんたが帰ってこなかった時も心の問題で一月以上遅れた事もあったから…」


シンカはリンファの隣に腰掛けて手を握り話を聞いた。


「ゾナハンでか?」


「心当たりあるでしょ?」


「うん」


やはりまだ実感は湧かない。しかし子が出来る年齢としては決して遅くは無い。シンカももう直31になる。


「感想は?」


「嬉しくなって来た。お前と子供を抱いて川縁を散歩したい」


「それ、楽しそうね」


リンファは漸く笑顔を浮かべた。

シンカはリンファの厚めの妖艶な唇を見て興奮する。


自分の女に種を付けて孕ませた事に征服欲、支配欲が満たされていた。


暫くこれからの事を2人で話し温かな時間を過ごした。


しかし現実には捨て置けない問題も残っている。


「……明朝里を発つ。ナウラとカヤテを置いて行く」


「どうしてその2人を?」


「ナウラに争いは向かん。守るのは良いが攻める場には立ち合わせるべきではない」


「カヤテは?」


「あれはもう十分苦しんだ。それに何かの時の為にナウラと2人でお前を守って貰いたい」


「残りの2人は?」


「あの2人は拒否しても付いてくる聞き分けの無い奴らだ。だったら監視下に置いておく」


シンカの言葉を聞いてリンファは笑った。


「…絶対に油断なんかしないでよ?どんな事してでもいい。必ず帰ってきて。もうあたしを置いて行かないで」


どんな事の意味を履き違えない。

それは敵なら女子供、老人をも殺せという事だ。


「分かった」


「ヨウロさんとヨウキ、ガンネ、ハンミン、スイス。エンヨウとエンメイ、他にもたくさん……あたしの分も皆んなの仇を討って来て!この子が幸せに暮らす為にもあの魍魎共を駆逐して!」


興奮するリンファの肩に手を置き摩る。


「……言われなくとも。誰が、許すものか!」


ヴィダード、ユタと共に装備を整え仮眠を取るとナウラ、カヤテに見送られてシンカは旅立った。


200人の森渡りを連れて溶けるように森の闇へと染み込んでいった。




森渡り襲撃から8日後、シンカ、シャハン隊が出立した日の夜、ガルクルトの王都ゴールの夜陰に蠢く人影があった。


彼等5人は一見アガド人に見えた。

5人で食事をし、店の前で陽気に別れを告げて夜道を歩き、宿へ向かう。


少しして宿の窓から人影が抜け出した。

黒い衣類に身を包み軽装で宿から抜け出ると薄暗い路を選んで歩く。


ゴールの衛兵の巡回を躱し外壁を縄梯子を投げて超える。


彼は山渡りであった。


黒髪はそのままに白粉で肌を白く見せてアガド人に扮装したモールイド人であった。


5人の山渡りは森渡り襲撃戦の後方連絡要員としてゴールに待機した連絡の要であった。


商人や旅人に偽装し山渡り1500人がガルクルトから白山脈の森渡りの隠れ里を目指したが、10日経って何の連絡も届かず、連絡員達は撤退を決めた。


それぞれが近隣の村に控える連絡要員に伝令を行いそれを繰り返す。


その男は真東のドニト村まで休まず駆ける丸2日の行程を踏み出した。


街を囲む芋畑を尻目に駆けて四半刻。

男は急に足を止めた。


足音が聞こえた気がしたのだ。


辺りに意識を向ける。

直に森の合間の路に入る。

夜中に1人路を行くなど恐怖どころでは無い。

そんな不安が空耳となって聞こえたのだと男は判断して再び駆けた。


だが10歩も行かぬ内に再び足を止めた。

確かに聞こえたのだ。ひた、という足音が。


石の床を裸足で歩くような。

男はすぐに振り返り剣を抜いた。


視界の効く範囲には何も見当たらなかった。

まだ涼やかな夏前の夜。しかし男は全身にじっとりと汗を掻いていた。


再びひたりと音がした。ゴール方面。男の正面からだ。

ひたり、ひたり、かつっ。


闇の中きらぬるりと面長で鋭角的な竜の頭が現れた。


「で、でかい…」


その頭部は男よりも僅かに高い位置にあった。

鼻の先から尾の先まで2と半丈。

羽毛に覆われた二足の竜。

猶剥竜ゆうはくりゅうだ。


爬の中の竜、中でも獣脚竜の剥竜に類する竜は獰猛で知能が高く群れを作る種が多い。


「……お、俺は美味く無いぞ……そうだ!腹が減ってるのか?保存食をやろう!」


男は懐から干し肉を取り出して猶剥竜の鼻先にちらつかせた。

そして腕に食い付かれた。


「いああああああああああっ!?やめ、離っ!?」


逆手で剣を抜こうとするが竜が首を振る事で振り回されて武器を抜けない。

腕をくわえられて宙に吊るされ男は叫びながら涙を流した。


「無様ですねぇ」


闇の中きらねっとりとした声音が聞こえた。


「た、助けてくれ!」


夜の星明かりの中若い女が闇から浮き出るように現れた。

菅笠に外套を羽織っていた。

彼女の姿を認めた瞬間、男は己の生を諦めた。


「……やはり、失敗したのか………はははははっ」


腕が喰いちぎられぼとり身体が地面に落ちた。

がさがさと道の両脇の草木が揺れる。

5頭の小さな猶剥竜が現れた。


男を威嚇し牙を剥き掠れた咆哮をあげる。


「苦しんで死ね」


女が囁くと同時に子竜が一斉に男に襲い掛かった。

始めの1頭を残る腕で防ぐ。

噛み付かれ振り回された所に2頭目が脚に食い付く。

仰向けに倒れた男の腹に3頭目が食い付き服を毟る。

4頭目5頭目が剥き出しとなった腹に喰らい付いた。


「ああああああっ!?かっ、ぶ、ご、ああああああああっ!?」


獣ならば初めに喉笛に喰らいつき息の根を止める。

しかし竜達はそうしない。


「…ぎ、いいっ!?……だ、だすけ……」


「嫌よ」


短く断じられる。

腸を貪られ男は絶叫を上げ続ける。


「……おね、がい……ころ…して……」


「ふふふふっ、くっくっくっくっくっ、だから、嫌よ。苦しんで死ね」


男は苦痛に苦しみ軈て目から光を失った。

その様子を見ながら女はまるでは冗談に笑う様に、軽やかに笑い続けていた。




山渡りが森渡りの隠れ里を襲撃してから10日後の事だった。クサビナの東部諸侯が治める領地の一つ、フレキ村に2人の男が現れた。


男は三度笠と蓑を纏い、深い怪我を負っていた。


2人は夕刻に村に現れ宿を取る前に村の薬師組合を訪れた。

村の薬師組合は小さいが薬はそれなりに揃えられていた。

2人は高額な止血薬や増血薬、痛み止めを買い求めた。


組合の受け付け奥でちらりと2人を横目で見遣った人物に気付く事も無く2人は組合を去り宿を取った。


2人は薬でお互いを治療し、久方振りの食事に舌鼓を打ち、生きている事に安堵して就寝した。


その晩2人の男の内、若い男は夜中傷の痛みに目を覚ました。


枕元の水差しから水を飲み熱った傷口に意識を払う。

男はこれまでの事を思い返していた。


木材越しに隣の部屋に眠る同胞の魘される声が聞こえて来る。

あの恐怖を夢に見ているのか、傷の痛みに呻いているのか。


痛み止めの粉薬を水で流し込み寝台に横になった。


恐ろしい経験だった。

今こうして生き延びることができているのは奇跡としか考えられなかった。


襲撃が失敗し、薄暗い森の中で次々と命が奪われていった。

眠ることもできず彷徨う様に森を歩き、時に隠れ、猟犬の様に森を徘徊する森渡りから逃れた。


それはただ運が良かったにすぎない。偶々生き残った。

多くの同胞が森で朽ちた。気づいた時には男は隣室の男と2人きりになっていた。


何処からとも無く闇の中から染み出す様に現れる森渡りが今も背後から現れるかもしれない。

そんな恐怖が心の奥底に染み付いていまっていた。


男は慌てて寝台に潜り込み、傷に呻きながら毛布を被った。


隣の部屋の呻きも聞こえなくなっていた。


ろくに眠っていなかったせいですぐに男は意識を揺蕩わせた。


男が深い眠りに着くと、部屋の木製扉と三方枠の隙間から細い針金が滑り込んできた。

針金は1度直角に折れたもので、先端に小さな輪が作られている。


差し込まれた針金がくるりと回転し先端の輪が小さな閂の摘みを捉える。

摘みを持ち上げ、針金が回される。

ずるりと閂が外され、僅かな物音と共に扉が開かれた。


男が忍び込んでくる。シメーリア人の何処にでもいそうな中年だ。

その男は20年もフレキ村に居座り、薬を売り生計を立てていた。

時には病の村人を診察し、赤児を取り上げるのに協力し、村の人々から信頼されていた。


男は音も無く眠る山渡りに近付き、棍棒で眠りに着く山渡りの喉仏を殴り付けた。


「くあっ、ぅ、ご」


声を漏らし目を覚ました山渡りの口に布を当てて顔を近付ける。


「んおおおおっ、おおおおおおっ!?」


くぐもった声が漏れ聞こえるが魘されている程度にしか隣室には聞こえないだろう。


山渡りは突き付けられた短剣を目に留める。

それは差し込む月明かりに怪しく輝いていた。


「我等の里を襲い、生き延びられると思うたか?」


血の気が引いた。刃がゆっくりと迫る。

山渡りの男は必死に抵抗し腕を押さえる。

だがじわじわと刃は近付き、軈て先端が皮膚を裂く。


「んへっ、んへおおおおおおおお!?」


叫ぶ。

しかし声は当てられた布に阻まれ夜に吸い込まれていく。


結局、彼等からは逃げられないのだ。

男はそう悟った。


刃が体内に深く潜り込む。


「っ!?ぐふ、ふ、おおお…」


男は激しく痙攣した後に力尽きた。


山渡りを殺した中年の森渡りは短剣を無造作に捨ててその場を去った。


翌日の午後、宿屋の人間が部屋から出てこない客を案じ訪れると事切れた2人が見つかった。


しかしこの村で20年薬師を続けている中年の森渡りが疑われる事は終ぞなかった。


それから数日の間大陸各地で三度笠と蓑を纏った薬師が殺される事件が起こった。


しかしどの村、どの町でも犯人は捕まらず軈て事件も忘れ去られていった。




旧ラクサス王国、現在ベルガナの領土となったガジュマ。

2年前の森暦195年に焼け落ちた華美な城は、現在ベルガナ軍の手により修復が進められていた。


始めてベルガナ軍がガジュマ王城に足を踏み入れた時、其処はラクサス軍とベルガナ軍との間で激しい攻防が為されたわけでもないのにおどろおどろしい様相を呈していた。


血濡れた玉座に開いた穴。放置された兵士の腐敗した遺体。


そこかしこに乾き黒ずんだ血糊がこびり付き、ラクサス兵の遺体は転がるものの、敵対者の痕跡は戦闘痕しか見つけられないのだ。


遺体の廃棄、場内の清掃、崩落した設備の復旧が日々進められていた。


そんな中、嘗てラクサス王の居室であった部屋に女王のサルマが居座り、この日も遅くまで報告書の確認や指示書の作成に勤しんでいた。


急激に拡大した領土を収める事は困難を極めた。


ヴィティアもラクサスもその内政はお世辞にも良いものとは言えず、贈収賄や税の中抜きの横行は当たり前であり、特にラクサスに至っては重税により民は疲弊していた。


サルマの政策に反発する旧ラクサス貴族の粛清に軍備は嵩み、ベルガナから引き連れた文官と現地採用した文官の衝突等から安定した政治体制を整える事も先行きが見えない状況であった。


だがこれはサルマが始めた事だ。ベルガナを精強にし、メルセテに抗う術を得る。


大国クサビナも大国故にこれ以上の領土は求めていない。不可侵条約を結び、サウリィ王国までを統治下に置けば憂い無くメルセテへの軍備増強を行うことができる。


今は血で血を洗う内乱を繰り広げているが、これが統一されれば直ぐに外へと目を向けるのがメルセテだ。


ベルガナは過去に何度もメルセテから攻撃を受け、屈辱的な扱いを受けて来た。


これに抗うには国力を上げつつ強固な国境線の防衛体制を築くしかない。


既にベルガナの港町サンスリパンには海上要塞を築き上げ、海岸線にも強固な防壁を築いている。


後はバリクリンデ東に隙を見て要塞を築けば防衛は整う。

領土が安定すれば兵力の増強を行い一度メルセテに痛撃を与え、ベルガナ与しがたしの印象を与えられればと考えていた。


弟のサロメもその伴侶リーチェ将軍もよく働いてくれている。

この繁忙を乗り越えれば先も見えてくる。

そう思い睡眠時間を日々削って業務をこなしていた。


クサビナの内乱は予想外の形で決着したが、傍目からも野望著しいファブニルやバラドゥアでは無く質実剛健のグレンデルと公明正大のエリンドゥイルが生き延びた事もサルマの心持ちを軽くしていた。


今やベルガナはクサビナに次ぐ領土面積を誇るが、農地面積、作物の収穫量、路の本数を比べればそこには遥かな開きがある。メルセテやアケルエント、メルソリアも同様だ。


サルマは思考から意識を浮上させ椅子に凭れかかった。


サルマの動きにより空気が流れて燭台の炎が揺らめいた。

暫く不安げに揺れたそれはふっと唐突に消えてしまう。


既に夜は更けており、目や手首、背筋や腰の疲れも溜まっていた。


執務室に侍女は立たせていない。仕事の辞め時か暫し悩んだが、後1枚だけ税制度についての指示書を書き起こしてから就寝しようと机の上の燭台を手に取り、壁掛けの燭台から火を移し机上に置き、そのまま固まった。


蝋燭に照らされた男の顔が浮き上がっていた。

逆さまに。


「っ!?ひっ!?」


短く息を吸い小さな悲鳴を上げた。


「騒げば殺す」


男は低く告げた。


「……この様に突然訪れ無くとも、貴方が相手でしたら何時でも時間は作ります」


サルマはつんと顎を上げて答える。


その衣類はとっくに漏らした尿で濡れていたが堂々と振る舞った。


「今我等にその様なゆとりは無い。今すぐここにシルアを呼べ」


サルマは森渡りのシンカの言葉について思考を巡らしつつも小さな鐘を手に取り、シルアを呼ぶ為の合図を鳴らした。


サルマはもう一つの燭台を手に取り火を移す。

部屋が更に明るくなり、居室内に無数の人影が佇んでいるのを目にしてサルマは絶句した。


10人はいる。

彼等は皆、殺意と憎しみに塗れた視線をサルマに送っていた。


サルマは身体を凍らせた。


少しして廊下を駆ける足音が聞こえ、扉が叩かれる。

固まっていたサルマであったが、シンカに顎で促され入室の許可を与えた。


「なっ!?」


入室したシルアは戸を閉め振り返り声を上げた。


「如何なされましたか?」


扉の外からその声を聞き尋ねられる。


「…人払いを」


サルマは告げた。

最早何をしようと彼等が本気を出せば生きながらえる事はできない。

大人しく言う事を聞く。それが最善であると判断した。


扉の外から人が去ると、シルアはシンカの姿を見つけて大きく息を吐いた。


しかしシンカの方は旧知の間柄にも関わらず表情は怜悧で視線を緩める事はない。

余程のことだとサルマは考えた。


「ベルガナ女王サルマと山渡り草長のシルアに問う。嘘は肯定とみなす。覚悟して答えよ」


「分かりました」


サルマが返事をした。

シンカは天井の張りから垂らした縄に逆さまにぶら下がりながら口を開く。


「15日前、我等森渡りの隠れ里を山渡りが襲った。多くの被害が出た。奴等は女も子供も、老人も見境無く殺した」


サルマの目の前でシルアの顔が瞬時に蒼ざめた。


「我等は無関係だ!白雲山脈の我等は感知していない!本当だ!何も知らない!」


一瞬、何故此処までシルアが取り乱すのかサルマには分からなかった。


「スライで我等が襲われた時の様にお前が山渡りに指示を出したのか?」


シンカの瞳がサルマを射抜く。


「…まさか。貴方は恩人です。士官を袖にされたとはいえ故郷に魔手を伸ばそうなどと、厚顔無恥も良い所。誓って邪心は抱いておりません」


やっていない事はやっていない。取り乱す必要はない。サルマはそう考えていた。


「我等はこれより天海山に赴く。山は三日三晩燃え盛りそこに住うものどもは1人として生きながらえる事叶わんだろう」


その言葉で理解した。


彼等にとって天海山も白雲山脈も均しく山渡り。

彼等の里にどの程度の被害があったかは分からないが、根絶やしにしたいと考えているのだろう。


シルアは巻き込まれる事を恐れている。


加えてシルアは今選択を迫られている。

袂を分けた同胞を取り、森渡りと争うか。

己れらのみの安寧を選び嘗ての同胞を見捨てるか。


サルマからすれば答えはひとつだ。

ラング配下の天海山の山渡りはサルマの命を狙った敵である。


シルア自身サルマを守って戦った為部下に多くの犠牲を出している。

しかし簡単に割り切る事は出来ないだろう。


「お前達が関与していないと言うのなら、逃れ助けを求める同胞があれば我等に突き出せ。出来なければ、連携し我等を襲ったと見做す」


白雲の山渡りにとって厳しい条件だと言えるだろう。

傷付き助けを求めた同胞を斬り捨てなければならないのだ。


「…済まないシンカ。この結論は私だけで出す事はできない。今、我等白雲の山渡りはサルマ様の御温情をもって旧ラクサス領の一端に土地を頂き、移住を終えた所だ。急ぎ里長のウーヴェ様に了承を取り付ける!だから…」


「見張りを付ける。この条件が飲めぬ限り、我等はシルア、お前達も滅ぼす事になる」


「分かっている!必ず話をつける!だから穏便に頼む!」


「エンリ。部隊を率いシルアがその責務を果たすか監視しろ。納得いかぬ下らぬ要件を提示される様なら直ちに血祭りに上げろ」


森渡り達の中でも特に殺意を漲らせた女が鉄棍を強く握った。


「…どうか、穏便にお願いします。天海山の山渡りは私にとっては命を狙われた敵そのもの。同時にシンカ殿には命を救われた恩義もあります。可能な限りの支援は行いたいと思っています」


サルマも言葉を重ねた。

シルア達山渡りの協力を失えばサルマの野望は50年長引くだろう。


「あたし達はまだあんた達が関与してないと判断したわけじゃない。仮に関与して無かったとしても皆殺しにしたいと思ってるんだ。誠意見せな!」


森渡りからすればそうだろう。


「女王陛下。良く考えて下さいね。貴女からも強く、言付けをお願いするわ」


「では」


はさりと布の翻る音が続く。一斉に、まるで初めから何も無かったかの様にあっという間森渡り達は姿を消した。


天井に飛び上がり、窓から這い出、瞬き程度の間に皆が消えたのだ。


サルマは恐怖に暫し立ち尽くしていた。


「………なんと言う事を…!ラング!愚かにも程があるぞっ!」


シルアが顔を歪ませ苦悶の声を上げる。


「貴女達に居なくなられては困ります。私としては彼等の言う通りにして欲しいですが。…ウーヴェ殿にお伝え下さい。出来ればそんな事にはなって欲しくありませんが、森渡りと山渡り、どちらを取るか判断を迫られた時、私は生き延びられる可能性が高い森渡りを取らざるを得ないでしょう」


「サルマ様…分かっております。ああ、なんと言う事を…。………明朝出立します」


退出したシルアを見送りサルマは再び思考を巡らせる。


嘗て追い立てられ今にも命運尽きようとしていたサルマをシンカは嫌々ながらも助けた。


だった数人で10倍の山渡りを退け、時には忍び寄る暗殺の魔手からも守り通した。


その恩を忘れるサルマではない。

恩に報いると同時に恩を売る手立てはないかと考える。


「………服を着替えなくては」


彼等と敵対する道は閉さなくてはならない。

窓の外で蝙蝠が飛び交っているのか、小さな鳴き声が聞こえた。


この大陸は何時でも血が流れている。


戦争を引き起こしている自分が言えたことではないが、どうしようもない醜さ、悍ましさを感じた。


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