蠱毒

エケベル北に直線距離にして4里半、その森の中でシンカは太い枝に張り付く様にしがみつき、隘路にて野営を行う黄迫軍の様子を窺っていた。


全身を覆い尽くす黒い装備と狐の仮面は宵闇にシンカを沈み込ませていた。


黄迫軍は煌々と篝火を灯し鼠一匹見逃さぬ厳戒警備体制を敷いている。


此処に到着しシンカは周囲の地形や魍魎の生息状況を確認していた。奇襲に利用できそうな環境では無い。


周囲を調べ尽くし野営を行なっていることが窺えた。


「ギーッギギーッ」


「ギ、チチチッチッ、チッ」


シンカは此処に来て森渡りの伝達法の音を変えていた。

秋の虫の音に紛れるべく蝗の羽音で伝達を行い森渡り同士で伝達を行う。


一行は着かず離れず昨日から黄迫軍精鋭を追尾し隙を伺ったが彼等は微塵も警戒を解かなかった。


スイセン隊を追い払い尚、慢心の様子がない。

歩哨一人一人にすらである。

彼等を切り崩す為にどうするべきかシンカは思索を重ねた。


「ギ、ギギギッ」


そして到頭その道程に辿り着いた。

蠱毒作戦とそれは名付けられた。


シンカは200の森渡り達を4隊に分け、森の深層や山岳地帯に向かわせていた。


黄迫軍最精鋭の援軍速度は昨夜1日で把握できた。

合流地点の座標を送り、先程全隊から了承と可能の返答を得た。


シンカは此処で黄迫軍に張り付き明日の合流に向けて不測の事態に備える。


日中隊は敵の索敵部隊が森を先行する。森渡りは適度に痕跡を残しつつ敵に計画を察知されない様動く。


襲撃は明日の日没直後。食事時の最も気の緩む時分を狙う。


シンカと妻達は常時半数が起きて経を使わぬ五感を用いた全力の感知を行い夜を越した。


スイセンの話しを聞きシンカは1つの仮定を立てた。

スイセン隊は黄迫軍の索敵部隊を感知する為に森の中に感知の難しい薄い経の糸を張り敵の接近を確認していた。


森渡りの十指ですら意識を払わなければ感知の難しいものだった。

それを感知できる者がいると仮定したのだ。


或いは此方の小規模な練経ですら感知でき、居場所を特定できる。

その可能性を考慮した。


シンカは全員に一切の緊急時以外の練経を禁じ、五感により索敵を行う用指示を出した。

身体強化すら禁じてである。


肉体一つで森に潜む。森渡りにとっても恐ろしい試みであった。


幸いなことに行軍に寄り小中型の魍魎は森の奥へと姿を消していた。


黄迫軍は前日と同じ行軍速度で集合地点近隣にて野営の陣を張った。


エケベルまで直線にして2里、道なりに3里半の距離。明日の夕刻にはエケベルに辿り着く位置であった。


焚き火が焚かれ煙が上がり風に煽られて森にまで焚き火の匂いが漂った。


時は至れり。


それは太い木々が倒れる音から始まった。


野太い唸り声と等間隔に響き渡る足音と振動。


眼鬼だ。それも年月を経て知恵をつけ、丸甲犰狳まるこうきゅうよの甲羅を頭に被り兜とし、手には丸太を握り締めて武器としている。


体の大きさも一回り大きく7丈はある。

本来なら青白い筈の皮膚は薄橙色で、岩肌の様に厳つく硬さを伺えた。

多くの血肉を喰らい変異した個体だ。


黄迫軍陣地南東より現れた眼鬼の変異体の出現に僅かに遅れ、北東からも異様な魍魎が現れた。


巨体を支える太い二足、長大な翼、体表は艶やかな茶の鱗に覆われているが所々苔生しその生きた年数を窺わせる。


頭頂から長くしなやかな尾の先まで鋭い棘が続き攻撃性が垣間見える。


縦長の瞳孔に金の瞳、鋭い牙。炎暴竜だ。


黄昏の空を切り裂く様に耳障りな咆哮を上げながら巨体と堅固な体躯で木々を薙ぎ倒し進む。


次の異変は北と西から同時に現れた。

北から現れたのは狼だ。赤い目に灰色の体毛の毛足の長い狼だった。


だが大きさが桁違いだった。その大きさは体高が変異眼鬼の肩まであり体長はその倍。


その大きさにも関わらず木々の合間を滑る様に猛烈な勢いで駆け抜けていた。

山大狼である。


西から現れたのは蟲であった。

黒くぬめぬめと輝く甲殻はいく節にも別れ、夥しい数の足が見る者を怖気立たせる。口の巨大な鋏は木々を砕き全てを薙ぎ倒しながら進む。


泥犁蜈蚣ないりむかでである。


一体だけでも人の世に出現すれば災害並みの被害をもたらす魍魎であった。


それが同時に黄迫軍の陣地に向かった。

無論、偶発的な出来事ではない。


森渡り達は強力な魍魎が生息する地域、場所を把握している。

それらを引きずり出し、此処まで誘導したのだ。


異変を感じ取った黄迫軍は直様兵を纏めて迎撃態勢を取った。


南東で大きな音を立てるものに対してと北東から咆哮を上げるものに対しての2軍に分け待ち構えた。


一体であれば彼ら程の精鋭ほ多少の被害を被っても退治はできただろう。


そして待ち構える彼らの横っ腹に山大狼が噛み付いた。


「なにっ!?何だ!?」


指揮官であるウラジロが驚愕する。

騒音に紛れて巨狼の気配を感じ取れなかったのだ。

そしてその余りの大きさに二度と驚く。


「何が…」


喘ぐ様な掠れた声を漏らし唖然とした。

その僅かな乱れの隙を泥犁蜈蚣が突いた。

長大な体長に大質量にも関わらず関節の僅かな軋みの音のみで浮き足立った精鋭達に突撃して一息で10人を貪った。


其処へ眼鬼と炎暴竜がぶつかる。

半瞬間も保たず前線は崩れ去った。


阿鼻叫喚の坩堝と化していた。


「ははははっ!」


シンカは笑う。同朋を傷付けた敵を許すことはできない。


「今こそ我等の力を見せ付ける時ぞ」


シンカは一際高い木に登ると経を用いた尋常ならざる握力で太い枝を掴む。

枝を握り潰し、体を固定する。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


強化された心肺機能とヴィダードの音声拡張によって脳髄が痺れる程の咆哮がシンカから発せられた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」


4つの方角から呼応する様に男女の咆哮が響き複雑に絡み合う。


中心となる黄迫軍陣地ではこの危急時にも関わらず頭を抑えて蹲る者さえ出ている。


そして枝から爆ぜた。

半月が浮かぶ森をシンカ達は駆ける。


目標は銀鳴隊だ。

飛び立ち火球を吐き出した炎暴竜が突如として現れた竜巻に飲まれ落下する。

怒りに墜落した竜が煤を吐き出す。


中心で強力な行法を扱う一隊が居た。


「撃滅だ」


木々の合間を滑る様に抜けて道へ出る。


「油断するな。森渡り同士で殺し合う想定をしろ。行法は無振り、位階は徳位と思え」


風の様に陰ながら指示を出す。

広く膨らんだ道から次々と森渡り達が駆け出してくる。


一隊は百合の花を彫り込んだ仮面のシャラが、一隊は山法師の花を彫り込んだリンハン、一隊は串井守を象った仮面のセンヒ、酢漿草の葉を彫り込んだソウハ。其々に率いられた50人づつの森渡り達が闇に紛れて駆け出た。


「トウヒ殿!不届き者は私が!」


ウラジロが麾下の銀鳴隊を率いて駆ける。


「デジマ!ネズ!ラクウ!ハイマ!各隊率いて迎撃しろ!サビーナ!イブキ!ウィチア!ビャクシン!ツガール!クロマ!ハイネ!マキヌ!キカス!ヒムロ!俺に続け!そこの6人を相手する!油断するな!前回の殿より腕が立つぞ!」


シンカは呼ばれた名前と其々の反応を確認し各々の名を把握する。

此方は名を呼ぶことは無い。


「こそこそ這い回る蜚蠊共め。我等の宿願を目前にして邪魔立てする愚か者供。万死に値するぞ!」


流麗な見た目のウラジロが目を剥き凶相を浮かべる。


「はっ!この前と同じ様に返り討ちにしてくれる!」


ビャクシンと呼ばれた男が速度を上げる。剣を逆手に握り素早く駆けて来る。鈴剣流逆茂木の構えである。


勢いのままに飛び跳ねたビャクシンに向けてシンカは速度を上げる。


「な…?!」


シンカの速度を見て逆算し天誅でも放つつもりだったのだろう。

十全に受けられない体勢でビャクシンの前には既にシンカがいた。


宵闇に翅が煌めく。

翅は黄嶽銀製の鮮やかな黄色の胸当てごとビャクシンの胸は断ち割られた。

胸当て、皮膚、筋肉、肋骨、そして心臓迄が一撃で切断され彼は無様に地に落ちた。


「だから油断するなと!2人づつ固まれ!決して一人で相手取るな!」


シンカの前に女が2人立ち塞がる。サビーナとハイネと呼ばれていた者だ。


銀鳴隊の者が身につけるのであろう黄嶽銀の胸当て、胴鎧、腰垂、脚甲が闇に浮き上がっている。


「来るよ!」


サビーナが叫ぶ。

シンカから白い稲妻が放出された。

横っ跳びに躱しつつ側転時に地に手をついて土を隆起させ、シンカの一角を防ぐ。


「また来る!早い!」


今度はハイネが叫んだ。

シンカは手を握り口腔を膨らませる。

水蜘蛛針を連射した。

2人を無差別に狙うが巧みに躱していく。


「ウラジロ様!この狐野郎強すぎます!このままじゃ…!」


「ミサシ!イズネ!コズネ!シマム!アスナ!2人の援護に入れ!」


ウラジロは声を張りながら迫るカヤテの剣を受けた。

指示を受けて駆けてくる男女5人。

一度にシンカは7人を相手取る事となった。


「シンカ!?」


「狼狽えるな!エシナとは違い万全」


扇状にシンカを囲む銀鳴隊を見てナウラが悲痛な叫びを上げる。


それを制してシンカは身体を体を落とし右手に剣を、左手を握り構えた。


「先の連中らも強かったが倒した。7人もいればやれる」


シマムと呼ばれた男が言う。


「お前らは寄ってたかってスイセンとカイナンを斬り刻んだのだろうが、同じ様にいくと思うな。彼処で擂り潰されている黄迫軍同様汝等の遺体同様魍魎の餌に変えてくれる」


両手を握る。


「水行法だ!注意しろ!口から吐き出すぞ!」


「予備動作を見て回避して!」


シンカは首を振る。異音と共に吐き出された水条が左右に走る。


「躱せ!」


7人の内3人が屈み2人が飛ぶ。

1人は小さな金属の丸盾を構え、1人は剣を立てる。


「きゃああああっ!?」


「なっ」


「ぬ、ぐ、あああああっ!?」


三様の悲鳴が上がる。丸盾を構えたアスナは盾を斬り裂かれ腕を半ば迄断たれ、剣を構えたミサシは剣と共に首まで斬り落とされる。

威勢の良かったシマムは飛んでかわそうとしたが避けきれず左足首から下が切断されて蹲る。


「シマム!手当てを!」


声を張り上げながら屈んで躱したサビーナが低く駆ける。

僅かに遅れてイズネ、コズネが左右に分かれて迫った。

彼女らがシンカに届く前に身体が藤色に輝き始める。

身に纏った感雷が膨れ、3人はすんでで引き下がった。


「何でそんなに立て続けに!?」


ぎり、とサビーナが歯噛みする。

6人とシンカは再び見合う事となった。




リンファはツガール、クロマ、キカスと呼ばれた3人の男と向かい合っていた。


短槍2本を構えつつ鈴剣流の振り子の構えを取り小刻みに動き様子を伺っていた。

4体の魍魎の咆哮、騒音に兵士達の絶叫と雄叫びに包まれて仮面の目から鋭く3人を見据えている。


「おい、あいつ良い身体してるぞ!倒して連れ帰ろうぜ!」


「辞めろ!分かるだろ!相当の手練れだぞ!」


「……」


始めに動いたのはリンファだった。背後に回転しながら後退し着地と同時に左の素貧を地に刺し、それを支点に高く飛び上がった。前方に回転し右の厚塗を投擲した。


春槍流徳位を得る為の取得条件、奥義落雷である。

槍を放ち、リンファは素貧の石突き上に片脚でしゃがむ。


「避けろっ!」


進行上にいた無口な男キカスはぎりぎりで躱す。

リンファの動きをよく観察し、飛び上がった瞬間から回避に移っていた事が功を奏した。


だがキカスは衝撃と共に吹き飛ばされる。

着弾した投槍は風を纏っており地に刺さった瞬間にうねり蜷局を巻くその力を解放したのだ。


槍周辺は大きく抉れ、土が吹き飛ばされていた。

吹き飛ばされた土が自然に集まり槍に絡みつき、意思を持って槍を引き抜くとリンファの元まで運ぶ。


「全然駄目。弱いくせに下品だなんて。倒して連れ帰る?…なに?よく分からなかったわね」


再び地に立ちそう宣う。

大口を叩いたクロマの顳顬がひくついた。


「来ないならやっちゃうわよ?」


右手を開いて突き出す。

行法の行使は自分の頭の中で思い描いた法の印象を如何に正確に具現化するかがその威力や形状に影響する。


リンファの場合世間一般的な手振りは必要ないが、代わりに発動させる為に独特の仕草を取る。


リンファの足元がひび割れ、次の瞬間爆発的な勢いで3人に向けて覆いかぶさる様に向かう。

土行法・枝垂れ柳


柳の枝の様に広がり覆い被さろうとする土は進むにつれて硬度を増し槍として降り注いだ。


3人は散開して法の範囲から逃れる。


「まだまだ!」


突き出した右手を振り払う。

硬化した枝垂れ柳が途端に崩れて流れとなり蛇の様にのたくり中央のツガールに襲いかかる。


両脇のクロマとキカスがその隙に両脇から回り込み迫った。


「女が槍を2本も扱えるのかあ?」


クロマが鋭く槍を突き出す。リンファは素貧を合わせて逸らす。

僅かに遅れてキカスが走り寄る。それを厚塗りを大きく振って牽制した。


更に啄木鳥の構えから連続して突きを放つクロマの攻撃を一歩も引く事無く左手の素貧で迎撃する。


「この女っ!?」


左の槍でクロマの攻撃を捌き、右の槍でキカスを牽制し続け、そしてツガールを行法で追っていた。


「あんたらに割いてあげる時間が惜しいのよね。それに品が無いのよ」


クロマの攻撃が途切れる。

その隙は極僅かなものだった。

呼吸の僅かな隙を突きリンファは素貧を喉元に向けて右から左へと振る。


体勢を逸らしてクロマは避ける。

リンファは槍を振った勢いで身体を回転させ厚塗りをクロマに向けて振るった。

鋒を背後に小さく飛んで躱したクロマに向けて追うように更に回転しつつ距離を詰め、素貧を振る。


「くっ」


クロマは槍を掲げて銅金で受ける。

リンファは止まる事無く厚塗を流れのままに振るい、肩口から鎧を貫き深く体内に鋒を潜り込ませた。


「…かっ……」


背後から迫っていたキカスの剣を振り返る事無く交わし振り返り様に素貧を薙ぐ。


キカスは剣で受けてその威力に蹈鞴を踏んだ。


土の蛇はツガールを捉えられては居なかった。

すんででツガールは数度目の回避を試みる。


回避は成功した。しかし次の瞬土の蛇の背から無数の針が突き出た。


「ぐ、ああああああああああああああああっ!?」


土行法・棘背鰭

立て続けに2人を仕留めリンファはキカスを見遣る。


「大人しく自分の里で暮らす事が出来なかったの?豊かな国の豊かな里に生まれて、他所の人間を殺しに出てまで何が欲しいのあんた達は。身の回りの幸福に気付けない人は全て失って初めて後悔する。その時にはもう手遅れだけど」


口角から血の泡を吐き出しながらリンファを見ていたツガールの瞳からふっと光が消える。


「……」


「まだやる?」


残ったキカスに尋ねる。キカスは剣を構え直した。

直ぐに増援が送られてくる。

リンファは溜息を吐き再び短槍を構え直した。




残る銀鳴隊と相対したナウラ、ヴィダード、ユタの横合いを駆け抜けてカヤテが疾風の如く駆け抜ける。


「おおおおおおおっ!」


強い斬撃を大上段からウラジロに向けて放つ。

常人であれば剣ごと断ち割られたであろう一撃をウラジロはすり落として反撃する。


カヤテは一歩下がり回避すると縦横無尽に剣を振るう。


縦横無尽、変幻自在な剣舞を素早くウラジロの上下左右から連続して叩き込む。


カヤテの羽虫落としをウラジロは正確に見切って撃ち落とし戦陣突破を仕掛ける。出の早い斬撃と突進を併せた奥義をカヤテは剣一本で受ける。


否。受けるだけではない。

本来であれば相対者を吹き飛ばす戦陣突破にカヤテは真正面、脇構えから横薙ぎに一閃した。

カヤテの剛剣はウラジロの戦陣突破を押し留めるどころか弾き返すほどの威力であった。


「っ!?」


驚きを表情に表しウラジロは再度剣を構える。


そして突如ウラジロは両手を突き出した。


それは不可視であった。

何かが空を切る音と共に何かが近付くのをカヤテは感じ取った。


直感でカヤテは頭を下げる。

頭上を何かが通り過ぎていった。


風行法・春燕

鎌鼬の切断力と光矢の速度、杭打ちの出の速さを併せ持つ凶悪な行法であった。


「お前!グレンデルだな!?その薄汚い髪の色!」


「薄汚い心根の汝に何を言われようと響かぬわ」


広げた両腕、その掌から巨大な火球が生まれる。


「浄化されよ!紅差し!」


火球は其々左右に弧を描きながら撃ち出される。

赤い残像が虚空に残り、唇を象る。


ウラジロは片手を突き出す。

不可視の春燕が片方を断ち割り、右手の剣でもう一つを斬り割った。


割れた火球が地にぶつかり爆風を散らした。

ウラジロの長髪が煽られて靡く。


「イィィィィィヤッ!」


カヤテの岩経ちをウラジロは体を開いて避ける。

そして傍からカヤテの胴を薙ぐ。

カヤテは防御を間に合わせた。


ウラジロの連撃を朱音を合わせて弾いていく。

そして徐々に剣速を上げていく。


始めはウラジロが攻勢であったが手数が増すにつれて守勢に回っていく。


朱音の剣身がゆっくりと輝き始める。


「…それは……!?その技はっ!?」


ウラジロの顔が驚愕を象る。

剣戟の合間を縫ってウラジロは大きく下がる。


「此処で殺してやるっ!」


両手が突き出される。

目には何も見えない。カヤテは周囲に散布した己の経に意識を割く。

ウラジロを取り巻くように空気が渦巻いていた。


「何か来るぞっ!」


ウラジロの周囲から無数の風の刃が射出された。


「群燕だ!指向性有り!高殺傷度!全て撃ち落とせ!」


離れた所で戦うシンカが叫ぶ。


「旦那の期待値が高い。だが……万両千実!」


カヤテの体から火の粉が立ち上り輝く。

火の粉は輝きながら集い無数の小さな火球を形作る。

その見た目は宛ら万両の果実の如し。


「行け!」


右手を振るう。

一斉に前方へと走った夥しい数の指先程度の小さな火球がウラジロの周囲で爆発する。


目に見えぬ無数の刃を撃ち落としているのだ。


「小癪な!斬り刻んでくれる!」


ウラジロの経が高まる。ウラジロの近くで起こっていた爆発が徐々にカヤテへと近付く。


ウラジロが発する無数の不可視の刃が次々と出てカヤテが万両を生み出しぶつける速度を上回る。


「我が身は民の盾、民の刃!我は故郷を護りし壁!我等は民の前に立ち民より後に倒れること無し!傷を受けるは胸にのみ、決して引かず祖国を守る者也!」


カヤテの体からその姿を隠す程の燐光が立ち上り夜闇に赫く。


万両千実の生み出される速度が急激に上がる。

経とは、行法とは精神力に根ざす物である。

カヤテが何にも勝るのはその強靭な意志と精神力だ。


カヤテは傍から己を襲う銀鳴隊員を斬り捨てながら燐光纏い煌かせながら万両でウラジロを攻め立てる。


「己ええええええっ!」


豊かな赤毛を振り乱し争うウラジロを赤い波が襲った。

ウラジロの目前で大きな爆発が起こりそれを避けるべく大きく後退する。

仕切り直しである。


ウラジロはカヤテを待ち受けようと剣を構え直す。

しかしその目の前には既にカヤテが居た。

爆煙を潜り抜け既に体勢を整えていた。


「っ!」


「雷光石火!」


ウラジロはカヤテが技を放つ前に応じるべく剣の軌道に向け自分の剣を振る。


王剣流奥義・応剣。

その妙技を以ってカヤテの必殺の一撃を逸らし防ぐ。

防ごうとする。

類稀な体捌き、剣捌き、足捌き。


筋繊維一筋毎にまとわりつく経。袈裟懸けに放たれた其れはウラジロの剣を弾き右手首を切断し、そのまま肩口から脇にかけて切り払った。


「っ!?ぐ、く、く…」


カヤテは残心を取る。

ウラジロは背後に蹌踉めく。

その顔が凶悪に歪んだ。


ウラジロの両腕が倒れながらも突き出される。

右の腕の先は無く、血液が滴っている。


「死ねえええええええええええええええええええええええええええええええ!」


カヤテと倒れたウラジロの間に細く砂が蜷局を巻いて立ち上がった。


「まずっ」


カヤテは後退する。

細く立ち上る旋風が急激に膨らみ出した。

周囲の死体や岩、盾や鎧が吸い上げられる。跳ねて後退していたカヤテの体が泳ぐ。


大竜巻の風に囚われていた。


地から足が浮きカヤテは己の死を悟った。


ウラジロは自分も部下も全てを犠牲にしてカヤテ達を仕留めに掛ったのだ。


この手の現象として発生した行法は行使者を殺しても治ることはない。


終わりだった。


「ヴィー」


「はあい」


穏やかとも取れる平坦な声が聞こえた。

シンカに行法と経について鍛えられたカヤテにはヴィダードの堅く、しかし何処か柔らかさも併せ持つ経が周囲に充満するのを感じ取る事が出来た。


唐突に、何の脈絡も無くウラジロの行った大竜巻が霧散した。


「なんだと!?」


ウラジロは横たわりながら驚愕に眼を見開いた。

その目は憎しみに血走り醜悪に映る。


カヤテは落下し着地する。


「何が…?」


理解の範疇から外れていた。

ウラジロ・ファブニルは人の戦士の中において間違いなく10本の指に入る精強な兵士だ。


彼が独自で確立した大竜巻は対軍行法として国内外にて名高く、行法の行使により煽られる赤毛を以って赤髪のウラジロという二つ名が付いていた。


クサビナ国内で見れば彼を数える為の指数は3本にまで減る。


だが、それは人の中での話し。


人よりも更に行法と親和性の高いイーヴァルンの、その中で最も腕の立つヴィダードにしてみればウラジロの風などさしたる障害ではなかった。


逆巻きの大竜巻を起こし即座に鎮静化して見せたのだった。


「ウラジロ様!?」


「糞女!よくも!」


銀鳴隊十数名が行法を行使しながらカヤテとウラジロの間に割り入った。

仕切り直しである。


カヤテを囲む手練れ達を見遣る。

しかし恐れは無い。

カヤテの迅る気持ちはシンカの声とヴィダードの風に全て流されてしまった。


何処からか白粉花の香りが漂う。秋口の夜だ。花を開いているのだろう。

血に混じるその穏やかな匂いを嗅ぎ、カヤテは肩から力を抜く。


お前は1人では無い。

そう言われたと感じた。


自分はこの新しい家族に支えられているのだ。

誰一人として血は繋がっていない。


だが、血の繋がった親族の誰よりもカヤテを案じてくれている。




銀名隊4人と対峙するシンカは一早く遠方を此方に向けて駆ける十程度の集団を察知した。

位置は風下。匂いは感じ取れないが地の振動で分かることもある。


足音から人数は十余人。装備は軽装。従って正規兵では無い。騎馬ではない。しかし速度が速い。手練れである。

この騒ぎを聞き付けやってくる。

同胞からの伝達は無い。道では無く森を進んでいる。


位置的にシンカの背後に飛び出る筈。

であれば今対峙する敵を減らしておく必要がある。


「経を練ってる!注意して!」


サビーナが声を張り上げる。負傷したしまむとアスナは後退して自ら止血をしている。


「苔豚どもめ!よくも仲間を!」


喚くコズネの喉から赤い氷柱が伸びる。


「かっ……ぶ、ぶ…っ」


涙を流し喉を抑えコズネは跪く。


「兄さん!?」


イズネが駆け寄るがそのではコズネには届かなかった。

地から生え出た土槍がイズネを貫いていた。

彼女の足は地から離れて力無く揺れる。


「なんて事!?酷すぎる!」


ハイネが叫んだ。


「汝等は我等の同胞を斬り刻み弄んだ。俺は苦しませずに殺してやる。死にたく無ければ故郷に帰れ。刃を突き付ければ突き付け返されるは必至也。…同胞に手をかけた以上手遅れだがな」


その時後方の森から複数の人が躍り出てきた。

オードラだ。オードラ・ファブル。ファブニル暗部の鬼火を率いる女だ。


「お前らっ!弟の仇!」


歯をむき出しにして狂貌を向けてきた。


「シンカ!オードラとそこの2人は必ず仕留めてくれ!」


カヤテが指を指したのは凡庸な見た目だがねっとりとした目付きの女と中肉中背の神経質そうな男だ。


「エクア・ファブルとベルコーサ。凶悪犯だ!」


グレンデーラに滞在していた際にオードラを含めたこの3人の似顔絵を見た事がある。


健康な男女の臓器を食すオードラと女の四肢を切断し拷問を行うエクア、見目の良い男女の皮膚を剥いで自分の持ち物に貼り付けるベルコーサ。


その他10名だ。

シンカは前後を挟まれた形となる。

前方のサビーナとハイネ、後方の鬼火。


「鬼火!此奴は強力な水行法を使う!発動が早く威力が高いよ!」


「あんた等!此奴の相手しときな!あたしは弟の敵のカヤテを討つ!」


銀鳴隊と鬼火が同時に動く。

シンカは左目を閉じて経を集める。


目を開いた時正面に捉えていた男の頭が瞬時に凍り付いた。


リンレイの直系が扱う熱視線は火行法である。火行法を行えないシンカには当然扱えない。


しかし水行法に秀でるシンカは視線に経を走らせその延長線上にある凍らせる事で熱視線を再現した。

水行法・蔑視と名付けられた。


頭部を凍らされた鬼火隊員は一見見た目に変わりはなかったが勢いのまま倒れたそのまま動く事はなかった。


この蔑視の利点は発動を察知し辛く殺傷力が高い事であったが、殺傷範囲は白糸等と比べれば極端に狭く、氷雨と比べれば使用する経も多い。


突然倒れた仲間に動揺し飛び退った敵に対し、シンカは上空に水を吹き出し霧状の雨を降らせる。

その霧雨に即座に干渉し増幅、氷結させる。

水行法・雨垂れ百花


法の範囲にいた3名が突如発生した氷の梂に体を穿たれ地に伏した。


全員を殺傷すべく効果範囲に含んでいたが避けられた。

彼等は手練れだ。


此方を迂回し移動するオードラを尻目にシンカは再び口腔に経を集めて周囲に霧を吐き出し散布する。


「霧の中は奴の攻撃範囲だ!後退しろ!」


素早く輪を広げる敵を仮面の下から鋭く見据え、両手を握る。


「…針吹雪……」


微細な水滴が凍り付き鋭い針となる。

辺り一体に浮いたそれ等が身に見えぬ速さで散った。


「ぐ、あああああああっ!?」


「め、目がっ?!」


死にはしない。だが無数の針は浅く鬼火隊員に刺さり動きを止める。


そんな中味方を盾にシンカの法を凌いだ数名が縫い針の様に蛇行しながらシンカには迫る。


その中にはカヤテが危険視したエクア・ファブルとベルコーサも含まれている。


「奴は行兵だ!接近して畳め!」


先頭の男が正眼に剣を構える。

力を全身に凝縮し手足、身体の動きで爆発的な勢いの突きを放って来た。


王剣流奥義・目打ち突きだ。


僅かに遅れて別の男が中段に剣を構えながら迫り、シンカの頭部を狙い鋭い斬撃を放つ。


腰の砥木製の鞘から翅が引き抜かれる。突き出される剣に翅を当てがい突きを逸らす。


「ぐ、ああああああああっ!?ぐ、ぎ、ぎっ」


絶叫を上げた男はそのまま地に倒れて動かなくなる。武器越しに感雷を流し込んだのだ。


次なる攻撃をシンカは翅で払う。男の持つ剣が切断され、腕、首の順に斬り刻まれて物言わぬ骸と化す。


背後からハイネが放った鎌鼬を見ずに右に躱し、続くサビーナの堕龍をも避け切るとシンカに駆け寄っていた鬼火の男の袈裟斬りを屈んで紙一重で躱し、空いた左手を握り胸に当てる。


爆発と共に男は吹き飛ばされ、針吹雪にのたうち苦しむ1人を巻き込んで肉塊と化した。


「…何者だ!?黒尽くめ、狐の面…何処かで…」


ベルコーサが呟く。


背後に気配があった。

地面の土が細く紐状に浮き上がりしなる。

土行法・鞭毛が死角から迫ろうとしたエクアを弾き飛ばした。


「……」


「あいつ、背中に目でもついてるの?!」


シンカの挙動の虚をついて4人の鬼火が肉薄する。

シンカの四方から白鷺の構えで4人がシンカの胴を狙う。


技の隙を突いた老練の動きであった。


シンカは左手を斜め左前方に突き出す。そして身体を柔らかく回転させつつ左前方から突き出される剣の腹に添えた。

同時に右手を右後方に突き出し此れも剣の腹に添えた。


そして攻撃の流れを己から逸らし敵の体勢を崩し、残る2人にぶつける。全ての攻撃がシンカから逸れた。


無手・渦潮である。


そして一転、身体を激しく流れのままに回転させ4人の敵を巻き込み接触。

弾き飛ばした。4人が方々に吹き飛び転がる。


攻撃を凌いだシンカの背後からサビーナとハイネの鎌鼬が迫るが殺傷範囲から身体を退かして左手を振る。


「カッ」


ハイネが小さく息を吐いた。

ハイネの喉に小さな孔が開き、血が勢いよく孔から噴き出る。


「ハイネ!?」


サビーナが蹲ったハイネに駆け寄り傷を抑えた。

シンカの指弾は人体程度容易に貫く。


指弾を放ったシンカの死角から気配が素早く忍び寄る。

素早く喉を切り裂かんと震われる剣を翅で萎やす。

ベルコーサが神経質そうな表情のまま体勢崩さず再度細かく剣を振る。


その真逆から先程跳ね飛ばしたエクアが鉈を構えて迫る。


シンカは右の翅でベルコーサを相手取りつつ無手の左手でエクアの竹割を逸らす。

槍を構えた男が2人が正面から迫るが打突を巧みに身体を逸らして躱す。


更に背後から2人剣を構えて迫る。躱した槍の位置を調整して2人を牽制し身体に紫雷を纏わり付かせる。


「いかん!離れろ!」


ベルコーサとエクアは即座に後退、背後の2人も距離があった為退避が間に合ったが槍士2人は間に合わなかった。


山渡りのイリアの様に素早く槍を捨てていれば被害を免れたのだろうが、即座に己の武器を捨てられる者は早々いない。


「ぎっ!?」


「ああああああああっ?!」


激しく痙攣して地に倒れる。

その時シンカの頬が膨らんでいることに気付いた者は少なかった。


シンカの首が素早く振られる。

剣士2人の胸当ては切断され崩れ落ちる。

そしてエクア・ファブルは両手に持っていた短剣を取り落とし茫然とした表情で己の首を触る。手には鮮やかな血液が大量に付着した。


「……私、死ぬの……?」


6年前にグレンデーラで3人、その他都市で9人の女の四肢を奪った猟奇犯罪者は呆気なく戦場で首を失った。


「1人でこの人数を?!」


ベルコーサが唾を飛ばしながら吠える。

先に吹き飛ばした4人がじりじりと迫る。


シンカが動く。まっすぐ1人に肉薄する。

その動きは圧倒的だったが人間離れはしていない。

シンカは人間だ。経の力で神経伝達速度や筋力が上昇していても常軌を逸した程ではない。


突進された男はシンカの動きを捉えられていた。だが見失った。突然目前で消えたのだ。


当事者の目には見えていなかったが他の者には見えていた。歩法、姿勢、発経、死角、盲点の全てを利用し己を敵の目から眩ませこの間に斬り払う霞不知火だ。


男の右脇を低く抜けつつ脇腹を斬り、即座に反転し次の敵に向きなおる。

しかし止まる事はない。


「は、はやっ」


男がそう言葉を発した時にはシンカは剣ごと男の身体を袈裟に斬り払っていた。


「己ええええええっ!」


叫びながらも残る2人と共にベルコーサが迫る。

シンカが頬を膨らませたのを見て3人は剣を立てた。


連射される水蜘蛛針を3人は剣で凌ぐがベルコーサを除く2人は3発目以降を防ぎきれず被弾し最後は眉間を撃ち抜かれて死亡する。


ベルコーサは全てを弾きシンカまで後少しという所まで迫る。


その時、シンカの右目が周囲の篝火を怪しく反射した。


シンカの右目から一直線に空気中の水分が氷結しきらきらと篝火を反射させた。


ベルコーサは即座に飛びすさり剣を立てる。


だがシンカの行法を防ぐ事は出来なかった。水行法・蔑視は発した高濃度の経によりその位置を氷結させる行法だ。


逃れるためにはその斜線から外れるしかない。

ベルコーサは誤った。


皮剥ぎ猟奇殺人犯は心臓を氷結させられその命を終える事となった。




「ふぅ……」


敵と対峙していたリンファは仮面の下で溜息を吐く。

仮面で隠されていたがその下の表情は妖艶で、見るものが見れば劣情を催していただろう。


仮面を付けて尚、リンファは退廃的で妖艶な雰囲気を纏っていた。

しかしその仮面は返り血を浴びてぬるぬる篝火に輝いている。


周囲の雄叫びと絶叫。魍魎の立てる足音や咆哮、羽音、軋み。


混沌とした状況下でその姿はあまりにも異質だった。両の槍の穂先は余す事なく血塗れ、周囲には銀鳴隊の死体が無数に転がっていた。


「……これ程とは……何者なのだ、お前達は…」


満身創痍のキカスが喘ぐ様に問うた。


「さあねえ。…正直あたしはファブニルとかグレンデルとか、どうでもいいのよ。でもあんたらは同胞を傷付けた。どっちが先とかそんな事どうでも良い。あんたらが斬り刻んだ同胞にはあたしの友達も居た。戦争なんだから戦死するのは仕方ないと思う。でも、あんたらのあれは違う。出血量が多くなる様にしたんでしょ?あたし達の足取りが遅くなる様に。魍魎に襲われる様に。あたし達の本体に合流して、そこで襲われる様にしたんでしょ?賢いとは思うわよ?…でもあたし達が許す訳、無いわよね?」


シンカと協力して治療した同胞達は直ぐに死なぬ様に、しかし血を失い軈ては死ぬ様に念入りに傷付けられていた。


彼らが死ななかったのは皆が医療に関する知識を持っており己で致命傷を治癒できた為だ。


そして足が遅くなった同胞を追おうとする敵からスイセンとカイナンが命を賭して守った為だ。


結果的に死者は1人で済んだ。

カイナンはリンファにとって話したことのない縁戚であったが、敵とは言え同じ人間に対する所業とは思えず、決して許す気にはなれなかった。


「あたし達はあんたらを皆殺しにする様に言われてるの。でも安心しなさい。なるべく苦しまない様に殺してあげるから。復讐だとしてもね」


女面の瞳が赤く輝く。波打つ髪が風に揺られる。


「待て!」


キカスが言葉を発すると同時に赤い閃光が迸った。

リンファの右目から放たれた熱視線は正確にキカスの心臓を貫いた。


「………髪の毛にちょっと血がついちゃったわね…」


そろそろ撤退の時間だ。

槍の血を払い次の敵を探す為に戦場を見渡した。




銀鳴隊は負傷したウラジロを回収しカヤテと対峙していた。

だが彼等はカヤテの剣を二太刀も受ける事は出来ない。


カヤテの家族達も危なげなく戦っている。

シンカは言わずもがな、リンファも複数の手練れを相手に圧倒している。

ナウラ、ヴィダード、ユタも5倍以上の敵を3人で連携して相手取っている。


彼女らとの関係も長い。ナウラとは4年以上、ヴィダードとユタとは2年半の付き合いとなる。

彼女らがこの程度の敵に遅れを取る事はまずあり得ない。


戦闘においてかつての部下であったダフネやウルク、サルバ達よりも信頼がおける。


カヤテの元に憎しみを瞳に滾らせたオードラが矢の様に迫る。


臓物喰らいのオードラ。


カヤテがミトリアーレの護衛隊長と都市防衛隊長を兼任していた頃にグレンデーラで惨殺事件がグレンデーラで多発した。


比較的治安の良いグレンデーラであるが、それでも市民同士の争いや旅人との諍いは絶えない。

人が死ぬ事も良くある。


そんな中でもその遺体は特別だった。

女は下腹部を裂かれ、子宮を失っていた。

男は睾丸。何方も出血量から生きたままその部位を切除されている事が分かった。


加えて全身の皮を剥がれた男女の遺体まで廃屋から発見された。


市井の知識人、今から思えば彼等も森渡りだったのかもしれない者達の知恵も借りて犯人を見つけた。

それがオードラ・ファブルであった。


特徴的な頭髪から彼女らがファブニル一族の出身である事はすぐに分かった。

四肢を失った女を人質に取られ、カヤテは3人の犯罪者を取り逃すこととなった。そして逃亡する彼女らに数人の部下達を殺される結果となった。


カヤテは己の不甲斐なさに後悔した。思えばそれ以来ミトリアーレの安寧と共に、強くグレンデーラや領民の平穏無事に苦心する様になったのだろう。


弟を斬られ憎悪を滾らせるオードラを見て、戦いではなく無抵抗な人間を浴の為に殺す女でも肉親の死は堪えるのかと考える。なんとも自己中心的な話だ。


しかし、自分とてオードラとそう変わらないのでは無いかという葛藤も持ち合わせている。

自分が斬った兵士の家族にとって、あまり変わりはないのだろう。


だが振り返りはしない。カヤテが尊ぶ物は故郷と民と、血族、かつての主人、そして今の家族なのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」


女とは思えない唸りを上げてオードラが突進してくる。

早い。自覚があるかは分からないが経を全身に纏っている。


この女はこの場で討つ。

そう改めて誓いカヤテは剣を八相に構えた。


オードラ・ファブルはファブニル一族の一分家の出身である。

生家は豊かでも貧しくも無かった。

血は薄いが父親は血筋に拘る所があったが弟と2人不自由無く育った。


2人とも強力な行法を扱う事ができ、剣の才もあり若くして黄迫軍の部隊長を任されるに至った。

だが彼女を捻じ曲げる出来事が起こった。


若く才のあるオードラを妬んだ一族の者が徒党を組んで嬲り者にしたのだ。

強姦された挙句暴行され、彼女は子を産めない身体となった。


子を産めなくなったオードラを父は見限った。罵り勘当した。

悲嘆に暮れたオードラは元凶に復讐する事にした。

オードラは弟のカルキルスと共に彼等を殺害した。


その時殺害した者達の中にいた女の腑が溢れているのが見えた。


オードラにはそれが美しく見えたのだ。


オードラは女の腹を割って子宮を喰らった。その時彼女の身体に力が流れ込んだ気がした。


力のある臓器を喰らえば己の子宮も再生するのではないか。そんな事を考えたのだ。


以来彼女は生きたままの人間から支給や睾丸を切除し食す様になった。

力は増した。何は子を産める様になり父に再び認められる様になる。


そんな希望を抱いていた。

しかしオードラが幾ら手練れとはいえ死体があれば犯行は明るみとなる。

殺人犯であるオードラを捕らえるべく黄迫軍から兵が割かれた。


オードラとカルキルスは全てを撃退した。

ゼンマ・ファブニルはそんなオードラの罪を許すかわりに諜報・工作部隊である鬼火に配属させ、敵の領地での悪趣味な悪癖を黙認した。


当時まだ仮想敵に過ぎなかった同じクサビナのグレンデル一族のお膝元で事件を引き起こした事はゼンマの想定外であったが、ファブニルと関係は無いと突っ撥ねてその場を凌いでいた。


オードラに咎めはなかった。


オードラは敵領地でのファブニルの名を貶めるが、しかし優秀で任務を確実に熟す。鬼火の長となるのに2年しか掛からなかった。


彼女は敵や己の餌には容赦は無かったが、常に彼女と共にあったカルキルスの事だけは愛していた。

そのカルキルスがカヤテに討たれてオードラは狂った。


彼女はカヤテを殺す事しか頭に無かった。

黄迫軍の別働隊に合流したのはゼンマの指示であった。


そこでカヤテの仮面を認め戦場に躍り出たのだ。


オードラの眼前でカヤテは八相に構えていた。

まるで攻め入る隙が見当たらない。


散発敵にカヤテに斬りかかる味方の兵は攻撃を受けられ返す刃で素早く斬り伏せられている。


その過程でも微塵の隙も見られなかった。

だが知ったことか。


弟の敵だった。


カルキルスの死後、オードラの胸は射抜かれた様に痛み、胃の腑を握りしめられたかの様に苦悶に満ちていた。


低い体勢で突進した。

途中剣を地に添えて土塊を飛ばす。


カヤテは秋霧でそれを防ぐ。

だが行法を使わせる事には成功した。


再発動まで時間が稼げた。

直ぐに銀鳴隊がカヤテに斬りかかり返り討ちにされる。


その時分を狙っていた。


手振りと反撃により僅かな隙が生じる。


振った右手を柄に添え振り直す。その隙をオードラは突いた。


カヤテの喉元にオードラの直剣が伸びる。

その剣はぬらぬらと鈍く輝いていた。

毒だ。

オードラは掠らせるだけでカヤテを殺す事ができる。


カヤテは体を落として突きを交わす。

オードラはにやりと笑う。

空ぶった剣が横なぎにされる。


剣から水滴が飛ばされる。この毒は僅かな量が肌に付着しただけでも毛穴から体内に取り込まれ神経を犯す。

そんな猛毒がカヤテに飛ぶ。


「かっ!」


その一声で毒は跳ね返される。

全身から経を発し、それは物理的な衝撃を伴って毒の飛沫を弾き返したのだ。


「っ!?」


その飛沫はオードラに付着した。


「己っ!己ええええええええええ!カヤテエエエエエエエエエエエエエエ!」


直ぐにオードラの呼吸が乱れ、手足が震え始めた。

カヤテの朱音が闇夜に輝く。


「お前は無残に殺された者の家族に石で打たれて死ぬべきだが、しかしその剣の腕、研鑽は尊敬に値する。一想いに殺してやろう」


口角から泡を吹き始めたオードラの目に最後に映ったのは弧を描いて己に迫る灼熱した剣であった。




夜が深まり戦場は更なる混沌を見せていた。


泥犁蜈蚣に絡み付かれた炎暴竜が眼鬼の変異体の首筋に噛み付き、眼鬼は滅茶苦茶に暴れて逃れようとしている。


三体が暴れる度に多くの兵士が潰され薙ぎ払われていた。


黄迫軍を率いるトウヒ・ファブニルは懸命に魍魎撃退に向けて指揮を取っていた。


山大狼は全身に槍を生やし弱っていた。

命の灯火を燃やし尽くすかの様に吠え暴れまわっている。


周囲には膨大な数の黄迫兵が転がっている。


眼鬼が己に噛み付く炎暴竜の顎から逃れ、首を掴んで振り回した。

激しく叩きつけられ、頸椎を損傷した炎暴竜は動かなくなるが絡み付いていた泥犁蜈蚣と併せて多くの兵士が潰され命を失った。


いつくかの脚を失いながらも泥犁蜈蚣は炎暴竜から離れ今度は眼鬼に絡み付く。


眼鬼は泥犁蜈蚣の胴を掴み引きちぎる。

放り出された半分の体が数十の黄迫軍兵士を押し潰す。

千切られた半身はうねり脚を動かし続けた。


残された半身で眼鬼に絡み付き顎で噛み付いていた泥犁蜈蚣だったが頭部を眼鬼に激しく打ち据えられる。


銀鳴隊や黄迫軍と相対する森渡り達も奮戦を続けていた。


リンハンが熱視線で周囲をなぎ払い、負傷した敵を混乱に乗じてガンレイとジュリが襲う。敵の急所を斬り裂き命を奪う。


リンメイは1人で10人を相手取り多彩な剣技で素早く敵を減らしていく。


リンドウはリンツとリンゴに前衛をさせて中規模水行法を連発している。

龍を模った水流が敵をなぎ払う。

周囲に散った水気と土を練り合わせ黄迫軍の足元はぬかるみとなり、装備の重さで沈み消えていく。


ソウハとジュナが背中を預け合いソウハの風行法・杭弾幕で中近距離を退けジュナが棘珊瑚で中遠距離の敵を掃討する。


スイハとスイホは土中から敵の足元に出現し泥の着いた手で敵を触っては沈んでいく。

その泥は数巡後に爆発し、双子が触れた脚を吹き飛ばす。


センヒ、センテツは鋼糸の先に小さな鉄球を着けた武器を振り回し的確に敵の顔を潰し、赤三柱を連発して敵を更に混乱させている。


黄迫軍の精鋭は壊滅状態にあった。

1万の軍勢は半数以上を4頭の魍魎に潰され、銀鳴隊はウラジロが生き延びたものの壊滅。残る黄迫軍も隊列など整えようも無く散り散りになり夜の森へと消えて行った。


山大狼は全身から血を垂れ流しながらも脚を引きずり森へと逃げ帰っていく。

そんな様子を見てトウヒ・ファブニルは勝鬨を上げた。

残る兵士を鼓舞し、散った兵士達を集めるためだ。


そんなトウヒの背後に闇から滲み出る様に百合の花を掘り込んだ仮面の女が忍び寄っていた。


波打つ茶髪を靡かせ女は槍を振るう。


「トウヒ様!」


トウヒの副官が咄嗟に槍を受ける。


「何者だ!?貴様ら!この黄迫軍に楯突くなど!」


仮面の口から液体が広域に撒き散らされた。


「ぐっ、ああああああああああああああああっ!?熱いっ!?あついぃぃぃぃぃっ!?」


液体を被った副官の顔は瞬く間に溶けていった。


「なんっ…ぶ、あああああああっ?!」


仮面の女、シャラは更に水行法・酸雨を口腔から撒き散らす。

トウヒはなす術もなくそれを受けた。


酸雨はトウヒや周囲の兵達の頭上から降り注ぎ顔を溶かし脳まで酸は浸食し彼らの息の根を止めた。


「……こん……な………」


トウヒも例外無く頭髪、頭皮、頭蓋を溶かされ息絶えた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


戦場に脳髄を震わせるシンカの雄叫びが響く。

複数人がそれに呼応し叫ぶと余りの音に脳を揺らされた黄迫兵達は耳を抑え蹲る。


頭を失った黄迫軍は辛うじて残る眼鬼を倒そうと奮戦していたが、保っていた隊列を瓦解させ、更に少数の森渡りに蹂躙される事となった。


黄迫軍最精鋭は雑兵の様に逃げ惑い、夜が明ける頃には逃げ散ったか命を失ったかで陣地に立つ黄色の鎧を纏った者は1人として存在しなかった。


傷付き死に体の眼鬼も討伐され争いは漸く終わった。

6刻に渡る壮絶な戦闘であった。


東の空に日が昇り始め、炎が消えても周囲が見渡せる程度に空が明るみ始めた。

黒い煙が燃え残った幕舎から立ち上り風に吹かれていた。


様々な物が燃える異臭にシンカは顔を顰める。


「……引き上げるか………」


呟きを聞き取りシャラやリンハン、センヒ、ソウハが手信号を自部隊に送る。


その報が齎されたのはそんな時だった。


「…なに?ケツァルの赤鋼軍が出兵?……不味いな」


その伝令を聞き皆が仮面の下で不安そうな態度を取る。


「し、シンカ!?これは、本当なのか?!我等は逆賊となるのか?!」


カヤテがシンカに詰め寄る。

仮面で見えないがその表情は不安に彩られているのだろう。


「元から赤鋼軍は敵と想定していただろう。赤鋼軍2万。15000がグレンデーラへ北進。残る5000がエリンドゥイラを目指している……シャハンの報ではエリンドゥイルとバラドゥーラの戦線は膠着しているとの事だったから、其方もかたをつける算段か」


森から続きの伝言が虫のはおとを模して届けられる。


「グレンデルはエケベルを放棄。グレンデーラで赤鋼軍と黄迫軍を迎え撃つ。決戦だな」


「その前にエケベルからの撤退を無事に終えることが出来るのか?!」


「それは青鈴軍の力量次第だろうが、黄迫軍は既に半壊。我等はグレンデーラで合流だ」


シンカが手信号を送ると森渡り達200人は素早く森へ消えていった。


後には巨大な3体の魍魎の死骸と膨大な数の黄迫軍兵士の死体が残される。


軈て小型の魍魎がそれらを漁り、遅れて大型の魍魎が小型の魍魎を蹴散らしてそれを漁った。


その地は草木が異様な速度で育ったが、人や馬車に潰されて森へと化すことはなかった。

大量に経を摂取した魍魎達も強靭化した個体はあったが食物連鎖の果てに一体の獅子が変異体へと化したがそれも10年後に森渡りに殺されて焼き尽くされることになる。


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