悪霊の一手


森渡りの里ではまだ寒々しいが、眼下に広がる森の冠雪が落ち始め、落葉樹の茶の枝や常緑樹の濃い緑が見え始めた頃、鷹が1羽里に飛来した。


シンカは鷹が飛来するのをエンホウの自宅前で眺めていた。

ユタと2人でエンホウの横穴前に干されている干し柿を悪い顔で食べながらの事だった。


鷹が長老の横穴に向かうのを見てシンカは溜息を吐いた。


「・・始まるなぁ。」


「・・・?」


口の周りを干し柿の果肉で汚したユタは不思議そうに顔を柿から離した。


シンカはユタの口を吸い食べかすを舐めとった。

ユタは白い梅花の様な可憐な笑みを浮かべた。


鋭く鳶の鳴き声を模した合図が放たれた。召集の合図である。


シンカは吊るされた干し柿をまた一つ手に取った。

陽光が雪に反射し眩しい程の良い天気だった。


暫くすると長老宅から世話役のセンホンとカイバが走り出てくるのが見えた。


目的はシンカとシャハンの身柄であろう。

シンカは大人しくやってくるカイバの元へ向かった。


長老達の元へ向かうと案の定シンカは尻から2人目だった。


「遅いわっ!」


怒鳴りつけてくるエンホウだったが、己の大切に干していた干し柿が今も尚シンカの阿呆弟子に食われ続けている事を思えば可笑しさすら湧いてくる。


シンカに続き赤ら顔で千鳥足のシャハンがセンホンに引き摺られてやってくる。


臭気から昨日の夕刻より飲み続けていることが分かった。


「ケツァル近郊に住まうラン家の帰化筋から鷹が来た。クサビナ国王ラムダール8世が没したそうだ。」


「そんなどうでもいい事で呼んだのかよ糞爺!」


シャハンが怒りに歯を剥いた。


「どうでも良く無いわ!あれで今代のクサビナ王は慎重な治世を布く男であった。内乱が早まると見て良い。」


リクゲンが顔を赤く染め、血管を浮き上がらせながら叫んだ。


「そうだね。見込みでは赤鋼軍の挙兵は来年の可能性もあったけど、もう抑制するものは無くなったからね。」


リンレイが同調する。


この日森渡り達は旅装を整え始めた。

千年前に先祖を虐げたクサビナ王族に仇成す為に異様な剣幕で剣を研ぎ、冬の間に付いた贅肉を落とすべく過度の鍛錬を始めた。


一方のシン家、リン家は浮ついていた。


シンカの結婚式への参列者は50人に及ぶ。

リン本家から幼子含めて30人、分家から20人である。


鳥を呼ぶ為に叫ばせ続けられたナンムの声は枯れていた。


目指すはリュギル。白山脈麓の結晶堂である。


ナンムが呼び寄せたのは最も大きな身体を持つ鳥、大山鷹。

そのの両足に丈夫な籐の籠を脚に固定してそこに乗り込んだ。


この大山鷹はナンムにより馴致されており、人の指示を聞く。

従罔と言っても良いが、普段は縛られる事なく白山脈を飛び交っていた。


両脚に取り付けた籠に3人づつ乗り込むと鷹は飛翔した。

シンカ達は先に結晶堂に向かい、残りは後発となる。


シンカと同じ籠に乗ったユタが興奮で騒ぎ、籠が激しく揺れた。

ヴィダードは可能な限り接地面を増やすべくシンカに抱き着いていた。


邪な感情では無く恐れが多分に含まれているのだろう。震えていた。


シンカもナンムの鳥は得意では無い。3度ほど以前に乗った事があるが、己の力でどうにも出来ない環境というものが好ましくなかった。


強風を外套で避け、激しく揺られる事半日、渡り鳥では無い大山鷹は半分の距離を詰めて経由地点に着陸した。


そして翌日の夕刻にはリュギルの地方都市ケルレスカン近郊に到着した。

結晶堂はこの街に建立されている。


大山鷹に近くの森で取った獣の肉を与えて籠を外し、一行はケルレスカンを目指した。

ケルレスカンは切り立った崖の根元に広がる街で、街の高低差が激しい。

扇状の外壁は重厚で背後の崖と同じ岩石で作られている。


薬師として問題なく門を通過すると質素な作りの同じ岩石の街並みが所狭しと並んでいる。曲がりくねった細い登り坂を進み宿を確保するとその最奥の結晶堂を目指した。


結晶堂でリンブが行った予約を確認し当日の予定を再確認する。


予定は3日後だ。


宿で最後の支度を整えながら過ごしていると翌日にリンレイや母達と長男のリンブが到着し、その翌日に白い肌、青や緑系の瞳に黒髪の一団が到着した。


グレンデル一族であった。


坂の上から入門する彼等を見て考える。


この時期に10名のグレンデル一族がお忍びとは言えリュギルに入国ともなれば危険な騒動が起こる可能性も考えられたがシンカはそれに付いては特に述べなかった。


どうせ戦端は開かれるのだ。考えても仕方ない。


カヤテの親族からの列席者は彼女の父カネラ、再従姉妹のダフネ、叔父のガリア、従叔父のトクサ、従姉妹のエンジュ、元上司で叔祖父のマトウダ、それに元部下のシャーニ、ザルバ、ウルク、それにオスカル・ガレ。


そして驚く事に時期当主の従姉妹ミトリアーレが馬から降り立ったのだ。


「し、正気か・・?」


シンカは思わず言葉を漏らした。

この緊張を孕んだ時期に時期当主が出国するなど現実の事とは思えなかった。


当のミトリアーレは泣き喚きながらカヤテに抱き着いた。


「御免なさい!御免なさい!一族から捨てて御免なさいっ!」


激しく泣き噦りながら延々と謝罪を口にした。

カヤテはそんなミトリアーレを抱き止め背を撫でながら慈愛の眼差しで見つめていた。


「あんた!どうやってカヤテを助け出したのよぉ?」


間延びした懐かしい声音でダフネがシンカに尋ねた。馴れ馴れしく肩を抱かれ、それにヴィダードが過剰に反応して限界まで目を開いてダフネを凝視した。

そんなに瞼を開いて目の端が切れてしまわないか素っ頓狂な心配をするシンカである。


「カヤテの実家に追及の手が波及しない様に顔を隠したのだが?」


「細かい事はどうでもいいのよぉ。それで?教えなさいよぉ!」


「正面から乗り込んだ。」


「・・・・」


ダフネを始め話を聞いていた全員が呆然としてシンカを見つめる。


「カヤテが罪など犯していない事は分かりきっていた。無罪の者を救うのに腐肉鼠の様にこそつく必要はない。」


「・・・あんた、何人斬ったの?」


「分からん。100は超えたと思う。200は行っていない。」


ダフネは口を半開きにした。


「こっちとしては御礼を言う立場なんだけどさぁ。いいの?」


「国王だったか?王子だったか忘れたが同じ様なことを聞かれたな。アゾクで敵の策からカヤテが救った数と比較すれば微々たる数だろう?」


「・・・いやぁ、それもあんたの・・まあいいわ。後で細かく聞かせなさいよねぇ!」


そう言ってダフネはシンカの胸をど突いた。ヴィダードが到頭犬歯を剥き出しにした。


ダフネがシンカの前を譲ると初対面の中年男が進み出てきた。

背はシンカより少し高く、耳の形と鼻、顎の形がカヤテと似通っていた。


カヤテの父で間違い無いとシンカには分かった。

空気がひりついていた。


「始めまして。古ヴァルド王国の末裔、シンカ・シメル・ヴァルドと申します。この度カヤテ殿を伴侶に迎えるべく結婚披露宴を執り行わせて頂きます。御親族の皆様のご参加、誠に有り難く存じます。」


シンカはカヤテを貰う許可を取りはしない。

何があってもカヤテはシンカが娶る。


それにカヤテは既にグレンデル一族に紐付かない。


「・・・カネラ・グレンデル。カヤテの父だ。」


厳格そうな男だったら。

眉間には深い皺が寄り口は固く引き結ばれている。

カヤテの様な責任感の強い堅物が育つのも分かる話だ。


「お父上。此方はお近づきの印に。それと次期ご当主であらせられるミトリアーレ様にも。」


シンカはリンファに持たせていたひと振りの曲剣をカネラに捧げた。


砥木で作った鞘を赤の組紐で飾った簡素だが丁寧で確とした作りの鞘に、同じ色の組紐を巻いた柄。鍔は青鈴岩である。


カネラは躊躇ったがその場で剣を抜き払った。滑らかな音と共にゆっくりと先端に向けて剃る緑堅銀の刃が滑らかな音と共に現れた。


冬の間にシンカが里の鍛冶場で鍛造したものだ。

薄緑の刃ははっきりとカネラの顔を写しつつも妖艶に輝いていた。


剣に見入るカネラを見てシンカは内心にやついていた。


「貴方の戦い方をカヤテに聞いて私が打ちました。」


カネラの手が剣を振りたそうにもぞついたが首を振って鞘に収めた。

物では釣られないと言ったところか。


しかし周囲の者達はその剣の質が気になる様で、鞘に収まったそれを気にしている。


「・・・娘の命を救ってくれた事、礼を言う。」


誰かが捨てたものを拾っただけだ。そんな言葉をシンカは飲み込む。

これから良好な関係を築き上げようとしている者達に対し棘を隠す程度の分別は持ち合わせている。


「助けたいと思ったのは私の都合です。礼を頂く様な事をしたとは思っていませんが受けさせて頂きます。」


シンカの言葉を聞いてカネラはじっと何かを考え込んでいた。

そして徐に右手を差し出す。


出された手に対しシンカは己の手を差し出した。

2人の間で握手がなされる。

カネラの掌の筋肉が微動する。直後強烈な力でシンカの手を握り始めた。


「亡き妻の忘れ形見だっ!呉々も!娘を!泣かせる様な事が無い様!頼むぞ!」


強い力で歯を噛み締めていた。

掌に経を集め骨や筋肉を強化すれば痛みなど感じないだろう。

だがそれは無粋だ。

シンカは己の握力のみで握り返した。


「・・・随分と鍛えているな。私ではお前には勝てんだろう。娘を頼む。」


どういう納得の仕方なのかシンカには全く理解できなかったが兎に角カネラはカヤテをシンカに託す事を良しとした様だった。


これは宿の前での出来事だったが、その後はシンカが押さえていた部屋にグレンデル一族に宿泊して貰い、夕食時に会食という運びとなった。


出席者はミトリアーレとカネラ、マトウダ、ガリア、トクサ、エンジュの6名。


森渡りからは六頭としてリンレイ、十指としてシンカ。他にカヤテとリンブの4名である。

場所は大金を出して押さえた高級料理店の一室で、部屋の前に護衛としてリンファとダフネが立った。


「シンカの父、リンレイと申します。この度会食にお誘いしたのはシンカとお嬢様の結婚とは関係御座いません。」


運ばれた前菜を前にカネラはもたれていた焦げ茶色の背の高い椅子から身を起こす。


「エンジュ。オスカル殿とシャーニを呼んで来るのだ。」


声を掛けられたエンジュは一礼すると素早く場を辞した。

きな臭い匂いを嗅ぎ撮ったのだろう。


シンカ己用の食前酒と追加2名分の食事手配をしつつ、オスカルが重用されている事を内心で喜んでいた。


8半刻程でエンジュと呼ばれた2人が現れた。

オスカルが和かに微笑み軽い調子でシンカに手を振った。

全員が席に着くと再びリンレイが口を開く。


「私達は自らの事を森渡りと名乗っています。数千年もの間森を渡り歩き、国々の興亡を見守り続けてきました。その中で今クサビナ国内で起きている大小様々な事象が、約1000年前の状態と酷似していると考えています。」


「1000年・・・クサビナ王朝樹立前後という事か?」


リンレイにカネラが返す。


「当時、この国では王家や貴家を含め大小32の一族が小競り合いを繰り返し続け、大きく5つの同盟となっていました。その後の激しい戦乱は皆様にも伝わっておりましょうが、当時の細かな騒動は伝わってはおりますまい。間違い無くクサビナ全土及び周辺諸国を巻き込む大戦に発展すると私達一族は考えております。」


リンレイの言葉にカネラは目を閉じて返事を返さなかった。

ミトリアーレはオスカルとシャーニに視線を送り、2人は小さく頷いた。


「そして、恐れながら申し上げるとその渦の中心は貴家になる。そう考えています。・・・息子のシンカは伴侶の実家の危機に微力であろうと尽力すると一族の首脳会議で豪語しまして。私達としても貴家に助力させて頂く事に利が有る事から、諜報活動や遊撃部隊として同胞を戦地に送り込む方針で人選迄済ませ、すでにクサビナ各地へ向けて移動を始めている状況です。」


「・・・利、とは何でしょう?」


口を閉ざしていたミトリアーレが尋ねた。


「まず一番の理由として、私達がフレスヴェル一族に対して強い憎しみを抱いている事にあります。あれらは建国戦争の前後で私達一族を捕らえて拷問に掛けた史実が有ります。フレスヴェル一族に剣を向ける為にと牙を研ぐ者は多数おります。」


「我が一族は王家に刃を向けるつもりは毛頭有りませんが。」


ミトリアーレは硬い口調で言葉にする。左隣のカヤテが強く拳を握り締めた。

心中で応援し、一挙手一投足に一喜一憂しているに違いない。


「戦がファブニル一族との間だけで終わると言うのならそれでも良いでしょう。ですが王家は必ず何某かの難癖を付けて赤鋼軍を派遣するでしょう。グリューネの英雄オスカル殿。そうですよね?」


リンレイは鋭い眼光でリンレイを見ていたオスカルに話を振った。

この話はグレンデル一族内でも度々話し合われたに違いない。


彼等としては王家と敵対するという言葉を他人に話す訳にもいかないだろう。


「その可能性は高いでしょうね。」


オスカルは当たり障りのない言葉で同意した。

可能性の事を言えばファブニルの黄迫軍と時を見計らって挙兵する可能性も十二分にある。


「他に理由はあるのですか?」


ミトリアーレが尋ねる。


「近頃山渡りという者達が国家の後ろ盾の元我等に害を齎しています。独力で対抗する事に問題は有りませんが、どうせなら心許せる国や貴族の元に寄り添っても良いのでは、との考えで貴家を選ばせて頂きました。・・・実はシンカ経由でベルガナから士官の話も御座いましたが、私達は貴方方を選びたいと考える次第です。」


「ミト様!この話は真実です。ベルガナ女王サルマが私の目の前でシンカに士官の話を持ちかけていました!」


数人がその台詞に騒めく。


「女王直々に!?」


「ベルガナは急激に勢力を増している危険な国だ。」


「女王直々・・一体どのような経緯で・・?」


オスカルとシャーニが生暖かい目でシンカを見ていた。

失礼な目を向ける理由を小一時間問い詰めたいと考えた。


「無論、不要なら不要でも私達は結構です。しかしカヤテ嬢は実家の危機に何を捨て置いても駆け付けるでしょうし、私達にはそれを止める事は出来ません。カヤテ嬢がグレンデルで剣を振ると言うのなら息子もそれに付き従い、息子の弟子達もそれに続くでしょう。そして息子が戦うと言うのなら父である私も、彼の弟妹達もそれに続き、我が家が参じるのであれば一族全体も其れに続く。要は私達としてはそれだけの話なのです。」


「・・・正直に言うと、それは願ったり適ったりの話だ。我等は間諜を育ててはいない。しかしこの話は我々だけで結論を出す事ができない。当主の指示を仰がなければならないが前向きに考えたいと私は思っている。ミトリアーレ。其方はどう考えている?」


「シンカ殿の力量を私は目の前で見ております。皆様のように鍛えられ、森の知識が豊富な方のお力添えを頂けると言うことは望外の喜びです。・・私自身、嘗てカヤテにシンカ殿を部下にする様に勧めたこともありました。父には私からも前向きに伝えますので、同盟を結ぶ前提でグレンデーラに後日お越し頂けるでしょうか?」


「承りました。」


重要な話はここで漸く終わった。


「しかしお主達は随分と腕が立つようだ!シンカ殿に至っては儂が5人居ても勝てそうに無い!森渡りとはどれほどの力量なのだ?」


マトウダが重圧感のある声音で尋ねる。


「自慢になりますが、息子は3000年の歴史の中で最も才があると謳われています。力量としては私が平均程度とお考え下さい。」


「リンレイ殿が平均!?」


マトウダは口に運んだ蒸し小芋の乳酪和えを皿に落として愕然とした。


「シンちゃん、参戦する君の同胞は何名程度なの?」


目つきは鋭いがシンカ用の声音となったオスカルが尋ねる。


「700強だ。クサビナ各地で帰化している者は概算で3600。」


「3600の草の者と700の凄腕影働!?」


オスカルは両拳を卓に叩きつけて立ち上がった。


「オスちゃん煩い。静かにして。あとお願いだけど、同胞を正規兵に組み込まないでくれ。一般兵よりも腕は立つが、陽動、急襲、待ち伏せ。そう言う戦闘の方が我等は向いている。護衛なら多少は・・・俺は護衛がいいな!」


「・・・シンちゃんお酒飲みたいだけでしょ?」


そんな会食だった。




翌日の夕刻、シンカは嘗て苦楽を共にした数人と酒を嗜んでいた。


シンカ、ナウラ、ヴィダード、ユタ、リンファ達と、オスカル、シャーニ、サルバ、ウルクだ。

カヤテは明日の花嫁である為本日は既に就寝している。


ナウラとシャーニは楽しそうに談笑している。もっとも笑っているのはシャーニだけでナウラは表情に変わりがない。


「えっ!?オスちゃん侍女の2人娶ったのか?!」


褐色肌の中年が恥ずかしそうに頭を掻いた。


「マリアが男の子を去年産んで、シェラは今妊娠中なんだ。」


「あの2人はオスちゃんの事を慕ってて辛い逃避行について来たんだから当然だな。娶って無かったら俺は叱っていた。」


若く美しく気丈な2人の侍女を思い出した。もう3年も前の出来事になる。

鍛えていない身体で主人の子供を抱きながら森を歩いていた姿をつい先日の様に思い出す事ができた。


馬車を購入するまでとても辛かっただろう。

幸せになれて良かったと思うが、好色なオスカルなら捨て置かないだろうとも思っていた。


「じゃあオスちゃん。嫁も子も増えた訳だし次の戦でしっかり稼がないとな。でも欲張りすぎるなよ?何事も相応が1番だぞ。」


うんうん頷くオスカルだった。オスカルは一度失敗している。


「お前のお陰で俺とウルクは結婚したぞ!」


サルバが外見にそぐわぬだらけた笑みを浮かべた。


「俺が言わなくともお前達は両想いだった。何はくっ付いていた。」


その後暫くサルバの嫁、子供自慢が続いた。


「実はウルクは飯が美味いんだ!」


「・・そりゃ一人暮らしが長いんだから当たり前だろ?」


女傑のウルクが恥じらっている様が見られて

皆が幸せにしていてシンカは自分も嬉しい気持ちになる。


「それで、結局お前さんはナウラも娶るのか?」


散々惚気話を続けた後漸くサルバはシンカに話を振った。


「実は先方には言わなかったが此処に居る4人も娶る。」


皆特に反応を示さなかった。

グレンデル一族はクサビナ貴族に連なるだけあり一夫多妻に違和感は無いようだ。


「でも綺麗どころばかり集めたね。ナウラちゃんとヴィダードちゃんの事は良く知ってるけど他の子の事紹介してよ。」


「オスちゃんにだけは言われたくないな。」


シンカはナウラ以外の4人を紹介する。さしもの青鈴軍の面々もヴィダードの狂瞳には脂汗をかいている。


「・・・あれ?ヴィダードさん・・って、いつかグレンデーラで地面の匂い嗅ぎながら・・這ってなかっ・・た?」


ウルクが言いにくそうに口に出す。


「そんな事もあった気がするわぁ。シンカ様の匂いを追っていたからぁ。」


誰も何も返さなかった。

世の中には触れない方がいい事もある。

それを青鈴軍の面々は知っているのだ。


実際の所ウルクはグレンデーラを這い回るヴィダードを逮捕しようと部下を向かわせたが部下が恐れて姿を目に収めるだけで帰ってきてしまったのだ。


今度は自ら出向いた時には街を出ていたので手を引いたと言う顛末であった。


ユタは肉料理を齧りながらの挨拶でありシンカは相変わらず恥ずかしい想いだった。

リンファのまともさが目に沁みる。


この日は翌日が式である事もあり早い解散となった。


「今回は遠路遥々有り難く思う。明日もよろしく頼む。」


「シンちゃんの結婚式に招待されたって言ったらステラとアイリに私達の葬式よりも優先しろって言われたよ。」


「俺としては奥方の葬式を蹴ってまで来て欲しくないが。」


「大恩人だからね。」


そう思ってくれる友人が出来たことにシンカはじんわりと温かみを覚えた。


「私達もカヤテ様と、戦友の貴方やナウラの式ともあればこの程度の距離苦にはなりませんよ。」


シャーニが言う。シンカもナウラも同じ様に思うからこそグレンデルに参じるのだ。

好意はこうして巡っていくのかもしれない。




シンカがほろ酔い気分で宿へ向けた夜道を歩いている頃、1人の男が音も立てずにケツァル王城の白い廊下を駆けていた。


男は紫諜報官の部屋に辿り着き入室した。

部屋の主はヴァルプルガーだ。


ヴァルプルガーは陰鬱で険の強い表情で自席に座り地図を睨みつけていた。

音も無く滑り込んだ男に目もくれずに口を開く。


「どうした。黄迫軍が動いたか?」


男は返事をせずヴァルプルガーに近付き文を手渡した。

その手紙はグレンデーラから幾人もの諜報官が走って繋いだものであった。

男も丸一日駆け続けてこの場に立っている。


「クロミルから・・なにっ!?」


ヴァルプルガーは文を読み目を見開き叫んだ。

文には数日前にミトリアーレ・グレンデルを筆頭に人目を忍んでグレンデル一族の首脳陣がリュギルに入国したとの報告であった。


ミトリアーレ、カネラ、マトウダ。他数名。何も重職を担う者達だった。


「・・馬鹿な!これ程の礼を尽くせばリュギルは参戦するぞ!」


名高いグレンデル一族、その次期当主や青鈴軍の長、当主の弟達。

彼らがリュギルに頭を下げて援軍を請えばリュギル王国は動くだろう。


サンゴのガルクルトへの調略も間に合わないだろう。

そもそもガルクルトとリュギルをお互いに牽制させる事でクサビナの内乱に手出し出来ない状況へ持ち込もうという計略であった。


しかしリュギルが動くとなれば出方も変わる。


「下がれ。・・ジグサ。文を書く。ガルクルト、ゴールのサンゴへ。」


ガルクルトに急ぎ挙兵させる必要がある。

元々は国境付近で睨み合わせる程度の予定であった。

だがこうもなれば挙兵させるしかない。


大国クサビナの諜報官は大陸各地に潜み、アガド人が治める国ともなれば中枢にすら潜り込んでいる。

挙兵もリュギルが動くとなれば不可能ではないだろう。


反面、バラドゥーラに対しガルクルトの増援を期待出来なくなる。

これは痛手であった。バラドゥーラは東方でエリンドゥイルに止められるだろう。


ラクサスは国力が低下しベルガナを警戒してクサビナ内乱に割り込んでくる事はないだろう。

グレンデルに同調する北部諸侯の事を考えれば、彼らがアゾクを抑えていることからロボクへの増援も期待出来ない。マニトゥー、アゾルト公国も同様だ。


ルーザースからは青嵐のアシャ率いる国お抱えの傭兵団、雨月旅団の増援が有る。オスラクに対してはルーザースの残る国営軍が抑えとなる。


北方諸侯と此方に同調する諸侯が対峙する事から

グレンデル一族の一手により青鈴軍に対して黄迫軍と赤鋼軍、雨月旅団で当たらなければならなくなってしまったのだ。


悪霊の如き一手であった。


青鈴軍は2万、此方は6万。

グレンデーラに籠城される事を考えれば後2万は欲しかった。


クサビナでは国王が崩御しロドルファス第二王子が王位を継承した。


この時勢での崩御に王軍として挙兵する諸侯は減じるだろう。


頭が痛いどころか割れそうな自体が続く。

禁書庫へ何者かが侵入した痕跡が発見された。王族用の緊急脱出口を通っての侵入であった。


積雪期に抜け道の先の王立書館に入り浸る女が目撃されている。

聞き取りの結果2日から3日に1回の間隔でこの女は帰る姿を確認できなかったのだと言う。


女はエリンドゥイル一族の容姿であった。

エリンドゥイルと言えばケツァル内で奇妙な聞き込みを繰り返すエリンドゥイル一族の姿も散見された。その者達は2年前の狐男騒動についてとクサビナに伝わる伝承を確認していた。


ヴァルプルガーにはその者達がエリンドゥイル一族だとは考えられなかった。

肌、瞳、髪。三つの特徴のうち変化させられるのは髪だ。髪が別の色だったとすれば、選択肢はウバルド人一択だった。


何故遠く離れた大陸西の民族がケツァルに潜り込んでいるのか。

其処まではヴァルプルガーには分からない。


そんな彼らの姿もロドルファスがレムルバード5世として戴冠した、辺りが暖かくなった春下月辺りで目撃情報も消えた。


ラクサスからガジュマ襲撃に関する強い抗議も繰り返されている。

国王が殺害されたとの報告も得られていた。


ラクサスは国内の統率を失いベルガナに雪解けと同時に侵攻されていた。

既に国境を破られて地方都市をいくつか落とされているらしい。

状況は悪化している。


レムルバード5世の戴冠の儀に国内貴族はたったの4割しか謁見に訪れなかったのだ。

新国王は特に怒りを表面上示すことはなかったがその心中たるや察するに余りある。


ヴァルプルガーは文をサンゴ宛に認めると封蝋を施し控えるジグサに渡した。


坂道から転げ落ちていた鞠は到頭途切れた坂から放り出され、崖を真っ逆さまに落ち始めたのだ。

クサビナ始まって以来の内乱が目前に迫っていた。



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