夏の事であった。


シンカは南方の小王国、アガスタの首都、アガスの少し高級な酒場に訪れていた。シンカは強い酒を非常に好む。森では酒の匂いを虫や鬼が好む為少量でも飲酒は避ける。


シンカは良い効き目の薬や希少な薬を幾らでも作れる為、金には困ることがないので庶民が気後れする単価の高い酒場にも入り浸る事が出来た。


ひと財産築くつもりが無いので薬を大きな街で売った後は良い酒を飲んで良い宿に泊まり、時には金で女を買った。


冷えた麦芽酒を呷ると蒸留酒を給仕の妙齢の女に頼んだ。


春先は無理をして深くまで森に潜り多くの素材を採取した。暑くなり体臭を抑えるのが難しい夏は森には潜りにくい。よほど消臭に気を使うか北の森に潜るかしか選択肢がない。


森渡りの末裔であるシンカには為すべきことは一つを除き何も無い。


シンカの両親は彼が産まれて数年で森に飲まれた。彼の育ての親はシンカを自分の家族として育て、ついでに自分達の本当の子供をぽこぽここさえながら呑気に過ごしている。


森渡りの唯一の義務は一族の知識を子孫に残す事であった。


そういう意味でシンカは何処かで弟子を取るか、伴侶を見つけて子を成し、後継と為す必要があった。


しかしなかなか条件にそぐう人物には出会えない。


最悪妹弟子と致すしかないだろうか。


シンカが里を出たのは18の折。8年放浪の旅を続け、時折町に薬師として住み着き、何度か恋人を作ったりもしたがシンカの本分を理解してくれそうな女は1人も居なかった。春の終わりに出会ったカヤテという女は性根としてはあり得たが、身分の差や彼女自身の立ち位置から諦めていた。


必ずしも夫婦で森に入り知識を継承する必要はないが、彼女の立場は夫が年単位で不在になる状況を許さないだろう。


いい女だったが、どの道何処の馬の骨とも知れぬ相手と結ばれる事はあり得ない高貴な女だ。


蒸留酒独特の香りを楽しみながら次の予定に想いを巡らせる。

アガスタは暑い。その南はもっと暑い。

北だ。北に行こう。

至極下らない理由でシンカのランジュー行きが決まった。


ランジュー王国は大陸中央最北の国家である。


南は峻厳な山脈に、西と北は海に覆われている。

海からの魍魎の被害は凄まじく、釣られるように精強な兵が多い。


また、西南部の峻厳な山、張高山ちょうこうさんには鈴剣流りんけんりゅう剣術の総本山である鈴紀社りんきしゃという社が構えられ、日々鍛錬が行われている。


ランジューに入国するにはマニトゥー王国東部のアゾルト公国から北の山々を大きく回り込み東側から国境を越える必要がある。


しかし、森を避けて敷かれた入り組んだ街道を通れば、黒駿馬くろしゅんばでもアガスタから二月は掛かる。徒歩であれば半年は優に掛かる。


だがシンカは街道を行くつもりはない。

森を突っ切り、山を渡る。かといって峠を越えるとなると鬼の一種である禍鳥まがどりの巣を通過しなければならず、特殊な装備が必要となる。


それに禍鳥は単体は弱いが兎に角数が多く、おまけに目と耳がいい。排除して進むのもかなりの手間が掛かる。


だが、シンカは山渡りと交流し、情報の交換を行った際にランジューを隔てる長峰山脈の中腹にある北と南を繋ぐ洞窟の話を聞いていた。


そこを通れば一月でたどり着ける。


匂いの無い保存食を買い込むと2日後にはアガスタを去った。

街に寄らず、只管に森を直進し、7日でルーザースに無断入国し、更に7日でクサビナに入る。そこからまた7日かけてロボクに入国し、長峰山脈中央部の麓に到着した。


国家の動向には一切関わる事なく山岳地帯に踏み入り、何事も無く洞窟を抜けた。森渡りらしい至って平穏な旅だ。

それを乱されたのは洞窟を出て数日の事であった。


初めてのランジュー王国の空気は夏でもひんやりとしており、居心地がいい。

夏でも冷たい泉の水で長旅の汚れ、垢、匂いを落とし、いつのまにか湧いたしらみを薬で落とし、衣類の洗濯をしていた時だった。


気配を森の中からを感じ、下履き一丁で翅を掴んだ。

この辺りは魍魎の気配は無かった筈と内心首を傾げる。

魍魎の糞も足跡も見当たらなかった。

恐らく泉の水には何かしら魍魎が嫌う成分が含まれているのだろう。


森から現れたのは若い男女の一組であった。


「しつこい男!」


「なんと言われようが関係ない。いくら剣の腕が立とうとも女一人で森に入らせるわけにはいかん」


「ここには魍魎は出ないでしょ!それに君は僕より腕が立つの?」


「………」


どうやら痴話喧嘩のようだ。

シンカは洗濯を再開する事にした。

2人は直ぐにシンカに気付き、面倒なことにこちらに寄ってきた。


「何奴!此処で何をしている」


洗濯に決まっているが、余計な揚げ足を取れば怒りを買う。

苛つきを堪えて口を開いた。


「旅の薬師、シンカだ。泉で旅の汚れを落としていたが、不味かったか?」


「……こんな森の奥深くで怪しいやつめ」


男の方の背格好はシンカと同程度。太い眉に鷲鼻、エラの張った顔。白い肌に茶の短髪。一重の瞼に海老茶の瞳。短気そうな容姿だ。


装備は右腰に長剣、左腰にそれよりやや短い剣。灰色の胸元で合わせ、帯で留める形状の衣類に前垂と胴当てをつけている。


典型的な鈴剣流の装備だ。


女も着物の色こそ茶だが、似た装備をしている。


だが容姿は人の目を引くものだった。茶の髪を後頭部で玉結びにしており、長い前髪は七三で分けられ、緩く耳に掛けられている。顔立ちは美しく、顎が細く頭も小さい。目はやや垂れ目だが強烈な三白眼で非常に攻撃的な目付きをしている。とび色の瞳が油断なくシンカの様子を探っている。


腕も相当たつだろう。呼吸や立ち姿から分かる。


「俺は薬師だ。薬の材料は森でしか取れない。だがそう言う其の方達は?俺からすれば同じく怪しいのだが」


「無礼な!俺は鈴剣礼位リンジ・ハンネイぞ!鈴剣流徳位ガンジ・ハンネイの孫であり行く行くは徳位を継ぎ鈴剣流の頂点に立つ者!しかと心得よ!」


徳位は剣三派、槍二派各々の流派を極めた者の呼称である。

大層な名乗りであるが、実力重視の世界で頂点に立つにはやや力が劣るように思われる。


徳位は隣の女の方が近そうだ。


現に女は蔑んだ横目でリンジを見ている。


「………僕はユタ。鈴剣流の剣士だよ。所で薬師のシンカ。僕は此処に水浴びに来たけど、洗濯はいつ頃終わる?」


「後3枚。すぐに終わる。決して下心を持って覗き見はしないと誓おう」


「……そうして。でも覗いてもいいよ。そうすれば君と刃を合わせる理由ができる。君、腕も立ちそうだし」


可憐な見た目にそぐわぬ舌なめずりをした。

成る程。この女、剣狂いか。

余計な気苦労は負いたくない。


手早く洗濯を終えると絞った衣類を纏めて木々の枝にかけ、泉が見えない位置に向かった。

リンジはぴたりとシンカに張り付いて来る。

覗き見をするものと決めつけているようだ。


この男、どうやらユタに惚れているらしい。


「その剣。変わっているな。見せろ」


リンジをシンカはどうしても好きになれそうになかった。


「申し訳ないが断らせて貰う。大切な物を無闇に見せびらかすのは避けたい。其方もそうだろう?」


リンジは顔をしかめたが納得はしたようだった。

重たい沈黙が続いたが、シンカが乾いた衣類を身に纏っていると水浴びを終えたユタが現れた。


「……覗きに来なかったね」


「剣を振りにランジューに来た訳ではないからな」


「此処には?」


「避暑に。ここの夏はやや冷えるが過ごし易いな」


「なにそれ!王侯貴族でもそんな理由でこの国に来たりはしないし、寧ろ山に隔てられたこの国に来ることなんてなかなか出来ないのに!」


ユタはシンカの何を気に入ったのか矢鱈と話しかけてきた。

リンジはそれをあまり良く思っておらず、シンカを睨みつけているが自分にはどうにもできない。


「今までどんな国に行ったの?」


「極東以外は」


「極東か。じゃあ亜人や鬼人に会ったことは無いの?」


「その呼び方は彼らの侮辱に当たる。彼らは自分達の事を精霊の民と呼ぶ。彼らは大概行法に優れていて、経を精霊が与えたもうた森で生きる術と考えている。樹妖人じゅようじん岩土人いわどじん等とこちらでは呼ぶが、彼らは出自と名でしか呼び分けをしないし、その必要も持たない」


「詳しいね。会ったことはある?」


「ああ。彼等の琴線に触れなければ気の良い連中だ。だが大抵の人は彼らを亜人や鬼人と称し、初対面で反感を買ってしまう。それに彼らを下等なものと看做し誇りや所持するものを奪おうとする。彼等は気高く人よりも余程義理堅く情に厚い。真摯に向き合えばとても良い友になれるだろう」


「その話、聴けてよかった。彼等は腕は立つの?」


「その様な奴らが我らよりも秀でているとは思えんがな」


やはり精霊の友を見下す者は多い。

人は未知の存在を恐れ、嫌う。

人が覇権を争う大陸西と中央に精霊の民は少ない。

彼らが住まう大陸東との合間には縦に聳える白山脈が立ちはだかり往き来を阻んでいる。

あまり姿を見ぬ異形の者達を蔑む気持ちは分からなくはないが彼らとて感情があり生きている。折り合うことは無いだろう。


「彼らは森や山に住む。生まれによって得意な技は変わるが、女子供でもある程度の力がある。特に腕が立つ戦士達は流派の礼位以上の者がざらにいる」


「そうなんだ!やっぱり世界は広いなぁ!このまま山にこもってちゃ強くなれないかな?」


やはり根底にあるのは剣の事らしい。


「強くなってどうする?」


「鈴剣流の徳位を力で奪い取る。暫定で得るのも駄目。まずは剣を極めるつもりだよ」


「それから?」


「………。決まってないけど……旅もいいね」


徳位を持てるほどの腕前なら中層の魍魎なら大抵は倒せるだろう。一対一であれば。


森は一筋縄ではいかない。


リンジはユタが旅に出ると聞くと拳を握り締めた。

惚れている女が側を去るとなれば不甲斐ない気持ちにもなるのだろう。

何処へでも行けるシンカには分からない感情だ。


「シンカ。君、やしろに来ない?ひと勝負しようよ」


社とは鈴剣流の総本山の事だろう。

あまり魅力的な提案とは思えなかった。


「遠慮しておく。部外者が立ち入るべきではないだろう」


「何言ってるの?僕が良いって言うんだから良いんだよ。誰にも文句は言わせない。一晩くらいならいいでしょ?旅の話を聞かせるのが、一泊のお代だよ」


世界を見たいという20前の女に旅先の話をするのはやぶさかではない。

そういうことであれば構わなかった。


シンカはユタとリンジに連れられて張高山3合目にある鈴紀社に連れられて来ていた。

青緑に塗られ木製の門は重厚で、シンカを吸い込もうとするかの如く堂々とした口を開いていた。


カヤテと出会い諭され、世界の様々な物を見て回りたいと考えていたシンカにとって、青緑の門や、縞模様の岩から切り出した石材で組まれている山を囲む壁は、異国情緒溢れる見所のあるものだった。


足を止め、記憶に留めるべくじっと門扉もんぴや石壁を見上げるシンカをユタは微笑みながら、リンジは苛立たしげに、しかし咎めることなく見守っていてくれた。


7丈近くもある門を抜けると壁と同様の石材で敷き詰められた石畳の街が広がっていた。山の中の小さな町だ。街並みは縞の石材で作られた屋根に、真っ黒な石材で組まれた壁に青緑に塗られた木材の窓。こちらも美しい光景だった。


「シンカ。あまり広くはないけど寝泊まりは僕の屋敷で良いかな?」


ユタの言葉にリンジが目を剥いた。


「いかん!それはいかんぞ!未婚の娘が男を泊めるなぞ!」


「リンジ。いい加減にして。……そこっ、僕の家!ここ、ここだよ!」


周囲の家に比べてふた回りも大きい二階建ての家だった。

ユタは恐らく鈴剣流の高弟こうてい

そこそこの大きさの家にも納得がいく。


「おのれ薬師ぃ。俺もまだ入ったことがないというのに!」


何やら唸っているがシンカは聞こえないふりをした。

今までもたまにあったことだが、広い世界を持たない村や町の娘達はシンカのように若くしてあちこちを行き来する男に憧れのような物を持つ傾向がある。

今回も似たようなものと考えるが、そういった娘に懸想する男からの恨みを買うのもまた常だ。


ユタに通され上がった家は落ち着いた焦げ茶の木製家具で統一された質素なものだった。

年頃の女が好む愛らしいものは見当たらず、代わりに剣が幾つか飾られている。

高価そうな剣だ。


客室に通される。部屋は人が殆ど入らないようで僅かに埃っぽかった。


背嚢を置き、外套と笠と口布を取ると寝台に腰掛けた。

後数日は落ち着いて眠る事が出来ないものと考えていたが、これは思いの外僥倖ぎょうこうである。


どうお礼をしたものだろうか。旅の話を聴きたいと言う理由で留められたシンカだが、話だけでは宿賃にならない。

しかし金を渡しても受け取らないだろう。


シンカは背嚢から長峰山脈を抜けてから採取した薬剤を幾つか取り出し調合を始めた。一刻ほどして出来たどろどろした液を砂糖水で希釈すると陶製の小容器に入れた。

調薬を終え寝台に横になっているとユタが現れた。

食事が出来たとのことだった。


「こんなごはんで申し訳ないけど、できたよ」


そう言われて出された料理は見た目も匂いも素晴らしい数品目の魚料理だった。


「ランジューは海が近いから。生の魚は食べたことある?」


「魚を生で!?寄生虫は?」


「へんなのがつかないのを食べるんだよ」


「成る程。腹は下さないのか?」


「揚がってからあまり時間が経たなければ大丈夫。それより早速旅の話を聴きたいなっ」


食事に手をつけ始める。

生の魚肉はやや淡白ではあるが薬味とともに食べるとなんだか癖になる美味さがあった。


「今まで一番変わった食事は何だった?」


ユタが小首を傾げて尋ねる。

大層可憐な仕草だった。

出会ったときに見た強烈な三白眼はなりを潜め、彼女の愛らしさが前面に出ていた。


目自体は大きいが人よりやや瞳が小さい。

更にそれが緊張したりする事で半眼となり強烈な三白眼となるのだろう。


「そうだな。東西南北首都から離れた辺境に行けば行くほど虫を食べる量が増える気がする。一番驚いたのは火も通していない生の状態で食べるものなのだが、これが意外と至る所で食べられていた」


「な、何を生で食べるの?」


黄花蜂きはなばちの子だ。内側の巣と蜂の子と蜜を同時に食べるんだ」


「蜂の子って、あの白いぶにぶにした?」


「ああ。でも凄く甘くて美味い」


「そうかぁ。蜜だからね」


「うん。でも俺は普通に蜜だけ食べたいがな……」


ユタとの会話は弾んだ。彼女は好奇心旺盛で、気になることは何でも質問して来た。シンカはそれに応えることを楽しく思っていた。


「今まで出会った中で一番強かった人は?」


「王剣流徳位として名高いウルド・ラドレックかな。一見骨と皮だけの禿げた爺様だが。因みに剣を振るっているところを見た訳ではない。人間だと後は……俺がであった訳ではなく風聞ではあるが……ラクサスの黒風くろかぜルイヒと白激はくげきアクアという行兵が手練という話だ」


「名付きかぁ。いいな。僕も名付きになりたいよ」


「ルーザースには青嵐せいらんのアシャという槍使いがいる。あとは…ベルガナには二人の英雄がいる。二人合わせて双璧と呼ばれるが、岩壁のドラガンと鉄壁のアルモスという名だったか。西端の国の一つメルソリアの国王ビルガは失伝した柳斧流りゅうふりゅうの徳位を持つと言われている。そしてその王が最も信頼し、毎日の様に杯を交わす大将軍エルキドも千剣流の徳位程度の実力を持つと言われている」


「……国王と将軍。うーん」


「考えても戦に参加しない限り手合わせの機会は無いと思うが」


「うーん………他には?」


「メルソリア東のアケルエントにウィシュターとダーラの父娘の英雄譚えいゆうたんが残る。もちろんどちらも存命だ。あとは……メルセテの六霊将ろくれいしょうは有名か」


「それなら僕も知ってる。北山ほくさんのウル・ガンとヒル・ダン。東川とうせんのリウ・レイとコウ・ユウ。南海なんかいのガイ オウとトウ・リオだよね」


「あの国は自国内で血塗ろの内紛を既に10年は続けている。最も近寄りたく無い国だ。戦乱が長く続いているせいか、確かにあの国には名のある武人が多い」


「いいなぁ。僕もそんな英雄達の中で思う存分剣をふるって見たい」


「戦う事がそれ程良い事とは俺には思えぬ。此の様に自然に、魍魎に脅かされる中何故手を取るべき人同士で戦おうとするのか」


「うーん、難しい事は僕には分かんないよ。他には?」


「……難しい事?……他には………メルセテもそうだが、大陸西の北東コブシにも武人が多い。あの国も頻繁に内乱を行っているからな。先頃15年に及ぶ長き内乱が終わったが、中央の権力が衰退して豪族が国を割拠し凌ぎを削っている。内乱で特に名を上げたのがタンガ・アサク。軍略武勇共に優れる猛将だ。また傭兵出身で戦功にて伸し上がったドルゲ・ホルカ。この男は殆ど山賊と変わらない野蛮な行いをすると聞く。鬼聖ツネル・キッカ。転戦を重ね不敗の猛将だ。自ら戦陣にも立ち劣勢の中軍を纏めきった猛将で鬼が人の皮を被っている等という噂すらある。雲狼うんろうのケルク・アルゴ。この男は豪族の嫡男だ。それからクチェ・アイス」


「知ってる。クチェとケルクは僕の兄弟子。陰剣いんけんのクチェ。クチェが鈴紀社に居る時は一度も勝てなかった。今なら……どうかな。まだ厳しいかな。ケルクはなんだか大層な名前が付いたね。僕ケルクには負けた事無いよ」


ユタは三白眼でにたりと嗤った。


「二人は鈴剣流だったか」


「それで?東の方は?」


「うん。聖霊せいれいの民、サルカスのヤルフ。サルカスの民は見た目が熊と殆ど変わらないが、ヤルフは俺が出会った中で一番の土行の使い手で、鉄棍てっこんの扱いも素晴らしい。でも彼曰く自分より強い者は聖霊の民に20はいるらしい。次はミンダナのトトス・バティ。ミンダナの民は正に二足歩行する竜だ。こんな事彼等に言ったら殺されるから出会っても黙っていてくれよ?彼等も兎に角力が強く、素早い。トトスは爪と尻尾を使った格闘術に優れていた。それに口腔から強力な火行を使う。ダゴタのシラー。人の言う鬼人だ。大柄で自分と同じ大きさの大剣を振るう。因に女性だ」


「聞くからに強そうだね。その人達とは何処で闘える?」


「………いや、そんなにほいほい武器は抜かないが」


容姿の美しい女であるが、やはり頭の中は戦闘のことしかないのかもしれない。


「………後はイーヴァルンのヴィダード。人の言う樹妖人だ。彼女は………」


「彼女は?」


「いや、もういい。人間だと春先に出会った千剣流のカヤテ・グレンデルはかなりの使い手だったな。クサビナ三英傑の名は伊達ではない」


食事が無くなってくるとユタは上質の酒の甕を開けてくれた。


「グレンデル!一族は必ず幼少期に修行に出されるんだよね?千剣流。位は?」


シンカも旅の途中で手に入れた上質の乾酪を背嚢から引っ張り出し、摘みに添える。


「仁位だな。それも上位だと思うが」


「そうなんだ。僕とどっちが上かな?身分は高いの?」


「かなり高位のはずだ」


「偉いなぁ。この辺に強い人は居ない?あ、君でもいいよ」


「やだ」


夜も更け始めたが会話は一向に終わる気配がない。


「しんかは、こいびとは?どこかのまちできみをまってるおなのこはいる?」


「いないぃ。まちむすめもむらむすめもおれとはかちかんがなにもかもちがうからどうしてもあわないっ!けっこんけっこんいわれてもおれはていじゅーできないからだめだっ。いまはいっしょにたびできるむすめをさがそうとおもってるけどむずかしそうだなあ……」


「ぼくぼく!じまんだけどぼくけっこうつよいよ?いちおーじんいだからね。いまやしろでにばんめだからねぇ。えへへへ。げんじさまたおしてからとおもってたけどまだかてそうになくてにつまってたからたびにでてけいけんつまないとだめかな?」


「つよくつよくやかましいおんなだ!ちょっとはいろっぽいはなしないのか!」


「ううんっ、だかれるならじぶんよりつよいおとこだよ。だからまだこのとしになってもきむすめなんだよ!」


酷い会話である。年頃の娘が口にする会話ではない。

酒の甕が一つ空き、二つ目が出てくる。

甕を出す過程でユタは一度家具に足を引っ掛けて転びかけた。

シンカもふらつく足で借りた部屋に向かい、背嚢から取って置きの薫製肉を取り出し卓に添えた。


「ねぇねぇ。しんかはかなりうでがたつんじゃないかっておもってるの。きみみたいにぃ、……その、きんにくつくひとなかなかいないんだよ?」


「きんにく……きんにく……」


「ほそくもなくふとくもなくでもちからづよそうで。ほら!かたいよ!」


「ふと……かたい?あっ、おしっこここでしていい?」


「きみがぁ、ぼくのことまかしてたびにつれてってくれればいちばんいいとおもうんだよね」


「うぅ……おもい……のるな……」


「じゃあのってくれる?ぼく、つよいおとこにくびしめられながらむりやり……うっ……うぇぇっ」


そこから朝までの記憶はない。




瞼に落ちる光で目を覚ました。


隣に見目麗しい女が半裸で寝ている。

朝日に照らされ女の茶色い髪が明るく輝いている。

慌てて飛び起きると下履きは履いていた。

どうやら致してはいないらしい。危ない所だった。


ユタは確実に面倒な女だ。昨夜は長旅の疲れのせいか酒の回りが早くよく覚えていないが、どう考えてみても変質的な趣向を持っているし、1夜限りでも身体を重ねるべきではない。


昨夜状況に流されなかった自分を褒めたい。


さて、ユタが寝ているうちに此処を去るべきだ。

幸い荷物は余り広げていない。

手早く旅の準備を整えてしまうと昨日作った薬を腰高の戸棚の上にそっと置く。

部屋を出ると物音を立てぬよう家から出た。


異国情緒溢れる町を歩き、青緑色の門扉を通り抜けると昨日は三人で通った山道を下る。

針葉樹林に覆われた山道は既に日が高く登ってはいたものの涼やかで、重量のある荷物を背負ってはいてもあまり汗はかかなかった。

2合目付近で視界が開ける。立ち止まって目を凝らすと森と、うねる細い街道と、かなり先に小さく街が見える。


ランジューの首都、狩幡カルバンだ。


その先に見える濃い群青色の水平線。

海だ。海は陽光に煌めき輝いていた。


知らず口元が緩んでいた。

掟を守り自身を秘匿ひとくし、森を渡る。

それもいい。森は人の心とは異なり正直に応えてくれる。

だが人の街を巡り、様々な経験を積み次代に残す知識を増やすのもまた森渡りらしい生き方ではないだろうか?

シンカは遥か遠くの水平線を見つめながらそう考えた。




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