約束

喉元目掛けて伸ばされる太い腕を見て、シンカは躊躇わなかった。


2本目の翅を抜くと左腕の肘から先を切り落とし、水噴を吐き出す。

強烈な水流が鬼にぶつかる。

鬼は意にも返さなかったが、シンカは反動で背後に吹き飛ぶ。


口腔からの噴水を終え、直ぐにだくだくと流れ出る血液を氷結させ、止血を施す。


鬼は腿に食い込んだままの翅を抜き取り、放り捨てる。

とたん激しい流血が始まる。


しかしそれはシンカの求めていた量ではない。

全てを斬り裂く千剣流の奥義、雷光石火の上位技術、流星。


雷光石火を持ってしても斬ることが叶わない物を斬るために編み出された技術。


力が足りなかった。


今まで刃を阻んできた皮膚や筋肉は切断できたものの、シンカの技を持ってしても骨は半ばまでしか断つことができなかった。


シンカは傷口を長欠させて左腕に素早く止血を施す。

大丈夫。まだ戦える。


狙いの大腿静脈までは届かなかったものの、鬼の負った怪我は本来であれば重症である。


しかしこちらも腕を失った。

千剣流奥義・流星はもう放つ事はできない。


鬼はシンカの腕をこれ見よがしに貪り、残りを無造作に放り捨てる。


自分の腕が食われる様を見るのは奇妙な気分だ。

再生できなければ精神的な影響も大きいのだろう。


だが、腕の肉を食い千切り、残りを捨てる様子を見てもシンカには安堵しかない。

大切な指輪は食われず、革手袋の下で傷一つなく指に嵌っている。


シンカは2本目の翅を抜く。

左腕の断面から痛みが襲ってくる。

しかしそれも握りつぶされた時の痛みと比較すればましな部類だ。


右回りに動き始める。

鬼はシンカの動きに合わせて向き直るが、先程とは異なり近付いては来ない。


やはり脚は重傷。

踏み切る事は難しいに違いない。


依然として流血は激しいが失血死を期待するのは愚かだろう。

朱顔鋼鬼は憎々しげに黄ばんだ白眼を更に血走らせ、シンカが近づいて来るのをじっと待ち構えている。


お互いが理解している。

互いを倒さねば先に進む事は出来ない。


鬼は腰を落とした前傾を取り、脇を開きつつ両手を構えている。


テュテュリス人が収めたという馬、弓、素舞。

立技組技系の格闘技の構えなのだろう。

捕まえる事から始まる武術だろう。


無論、捕まれば左腕と同じ運命を辿る事になる。

考えなければならない。

最早一手もしくじる事は出来ない。


シンカは倒れる様に体勢を前傾に移行し、限界まで全身へ経を巡らせ、脚を動かす。その効率はかつて無い程に高く、脚の回転は常人には目視も難しい。


苔、下草、枯れ葉、土砂を撒き散らし駆ける。

片腕を失った為、腕を振る走法が難しい。残る右腕は翅を持ったまま背後で流れに任せている。


鬼は再び倒れた幹を拾い上げ、シンカに振るうべく構える。

直後、シンカは飛び上がる。


すんでの所で全てを薙ぎ払いながら足元を幹が通過していく。


中空でシンカは大きく息を吸いながら背を反らせた。

次いで体を折って口腔から大量の霧を吐き出す。


滞空している間に周囲は鯉霧に覆われる。


鬼はシンカが着地するであろう予測地点に折れた丸太を投げつける。


シンカは水噴を地に吐きつけて滞空時間を伸ばし、それを躱した。


分かっている。近付かなければ奴を倒す事は出来ない。

しかしあまりにも危険。


鬼もシンカが接近してくるのを待ち構えている。

失った右眼を庇い顔の左側を常時シンカに向ける様にしている。

身体も左脚を庇っている。


強撃を受けて手傷を負い、先程まであった強者故の驕りが見受けられない。


拳を握り構え、必ずシンカを正面に捉えようと、霧の中気配を探っている。シンカは動きを止めて巨木の一本に背を預け気配を散らす。


あの拳を受けて受け流す力が必要だ。


胸元に右手を当てる。

そこには父と母達に貰った手紙が入っている。


自分は孤独ではない。

この身には父と母達からの愛が注がれている。


最早全てを失ったと思い込み、彷徨い続けた空虚な自分では無い。


この霧はシンカの経により作られたもの。霧の中では全方位にシンカの経を感じる事となる。

即ち、シンカの気配を感じ続ける事となる。


己の存在を周囲に拡げていく。樹々や大地に同化するように意識する。


森渡りには初歩的な技術だ。己は土であり風であると暗示をかける。


するりと木陰から躍り出る。

物音は立たない。


シンカは鬼の斜め右後方から矢のように迫る。

だがあと僅かのところで鬼が振り向き様に右腕を薙ぎ払って来た。


読んでいる。

体勢は低く頭上を剛腕が通過する。


強く踏み込み右腕を突き出す。

掌が鬼の脇腹に押し当てられる。


「っ」


無手・掌雷


練り上げた経を掌から敵に打ち出す技。


緩やかで滑らかな動きに対しその効果は激しい。

本来であれば打ち込まれた敵は轟音と共に吹き飛ぶか、押し当てられた掌と反対側が破裂する。


しかし強力な技も敵の身体に経を浸透させられなければ意味はない。


鬼の傷ついた左脚が動く。

シンカは攻撃の失敗を悟るや否や地を蹴っていた。

血を撒き散らしながらシンカの膝があった位置を剛脚が通過する。


飛び上がったシンカは鬼の胴体を蹴り距離を取る。

蹴り足をあわや掴まれそうになるが掠める程度で終わる。


朱顔鋼鬼を如何にして屠るか思考する。


使えるも物は全て使う。

周囲の様子を伺う。

広範囲に渡り樹々が薙ぎ倒された周囲。

地は捲れ下草は残らず吹き飛ばされている。

肥沃な腐葉土が剥き出しになっている。


シンカが背負って来た背嚢もいつの間にか吹き飛ばされて破片が転がっている。


毒も薬も使うことは出来ない。


自分は敗れるのではないか。

そんな不安がシンカの胸中に去来する。


敵に攻撃は通らず、こちらは手負い。


それでもシンカは孤独では無い。

首元に下げられた珠に手を当てる。

ナウラ、ユタ、ヴィダードの経を感じ取る。


気力を振り絞る。

まだ戦える。まだ動ける。まだ生きている。


それなら、次の手を打てばいい。次だ。


既に霧は晴れている。


鬼は両の脚を大きく開いて巨木の如く立ち、シンカを見据えている。

そう。巨木だ。


この鬼の体格は鬼の中ではさして大きくは無いが、樹齢千を超える樹々の如き威圧を与えてくる。


それでも、首元から感じる経がシンカの心を支える。


予備動作無く体勢低く突進をかける。

鬼はシンカを捕まえようと両手を伸ばす。


接触する間際シンカは後ろへと跳ねた。

跳ねながら両手を突き出す。


風行法・一角


白雷光が鬼の左脚に突き刺さる。


「グオオ大オオオオオオオオォォォォォォォっ!」


大気や大地を震わせる咆哮が響き渡る。


黄昏時の仄暗い世界が震える。

耳道に経を充填し、音を遮断しているシンカだが、肌が震え内臓が揺さぶられる。


しかし鬼は倒れない。負傷した左脚を引きシンカから隠す。

左周りに素早く移動しても左脚を引いたまま体を開いてシンカに向き合って来る。


距離を取り続けるシンカに対し、鬼は足元の岩塊を拾い上げ投擲する。

腕の振りから軌道を予測して避ける。


轟音と共にシンカの頭程の岩が脇を通り過ぎて背後の離れた巨木にぶつかり、巨木を薙ぎ倒す。


鬼の体勢が投擲により流れる。

身体が斜めになった。


左脚を負傷しているが故に右足を大きく踏み出したが故の隙だ。


そしてシンカへと向けられている顔の側面には赤い氷花が咲いている。


シンカは投石を回避すると同時に動いていた。

その右手には背に斜め掛けていた短槍・素貧が構えられている。


「っ!」


春槍流奥義・落雷


地を踏み締め身体を大きく反らせる。

背筋、腹筋を使い鞭のように体をしならせる。

無駄無く力を腕に乗せ、全身の筋肉を意識的に動かして最効率で投擲を行う。


素貧が手を離れる瞬間紫雷を纏わせる。

瞬きする間も無く素貧は鬼の腹直筋と腹斜筋の境目に突き刺さる。


「ゴオオオオオオオオォォォォォォアアアアアッ!?」


しかし人間であれば槍が丸ごと貫通する威力の奥義でも、この鬼の前では僅かに突き刺さる程度であった。鬼が腕を振るう。

地面が破裂し土塊や小石が吹き飛ばされる。


「っ!?」


飛び散った石の一つがシンカの右脇腹に直撃する。

装備ごと脇腹が引きちぎられて血液が飛び散る。


血液は直ぐに凍りつき、刃となって鬼に向かう。

鬼は腕で顔を覆う。


シンカは左脚で着地すると地に手を着いた。


土行法・内獅子


土柱が突き出て鬼に向かう。


鬼は雷により多少の損傷があったのか動かない。

或いはさしたる害にはなり得ない。

そう考えたのかもしれない。


内獅子の土柱がぶつかる。


鬼にではない。横っ腹に浅く刺さった素貧にだ。


短槍・素貧の柄が鬼の頑強な身体と土柱のぶつかる衝撃に耐えられず乾いた音を立てて折れた。


心中でリンファに謝罪しつつシンカは後退し急ぎ脇腹を凍らせ止血した。


「ガアアアアアアッ!?ヴァアアアアアアアアアアアっ!」


素貧の柄は折れてしまったが、その鋒は深く鬼の体内に突き刺さ去っていた。


鬼は刃を抜き取ろうとしたが、血で滑りそれは叶わない。


残る左眼を充血させシンカを睨み付ける。

臓器は損傷させただろうが、致命傷には程遠い。


ここでシンカが倒れればこの鬼は姿を隠して傷を癒すだろう。


シンカは2本目の翅を抜く。

再び胸元に手をやり手紙の感触を確かめる。ついで首元の珠に触れ、妻達の経を感じ取る。


燃える様な痛みが左腕と脇腹から感じる。

痛みに脂汗が流れ、髪を額に張り付かせる。

首元から流れ落ちる汗が不快だった。


「っ!」


暫し両者睨み合っていたが先に動いたのはシンカだった。


右手に向けて体勢を低くして駆け始めた。

素早く駆けながら口腔を膨らませ、水蜘蛛針を噴き出す。


鬼が視界を遮り目を守る。

視界が遮られるやシンカは口を大きく開く。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


風行法を使い発した声を拡大し、振動で耳から脳を犯す。


前屈みになり耳を覆った鬼に向け、駆ける方向を変えて肉薄する。

狙うは先に傷付けた鬼の左腿。

大腿骨の切断だ。


「ふっ!」


駆けながら右手の翅を振るう。

駆ける力、上半身全ての筋肉を的確に動作させ、抜け様に翅を振り払う。


手には硬い感触。

半ばまで断ったものの、未だ切断には至っていなかった。

鬼が背を向けたままシンカに左手を伸ばす。


「っ!」


一閃。

鬼の右手首が宙を舞う。

流れ出た血液に即座に干渉し氷雨を行う。


三度後方に跳ねて距離を置く。

赤い弾幕をものともせずシンカに向き直る。

目が血走っている。


「コロスダケデハナマヤサシイ。ゼツボウヲ」


健全な右足で地を蹴りシンカに迫った。

最早負傷した脚を庇う事を辞めたのだろう。


右脚の膨らみを認めた時、シンカは考えた。

避けて躱し、逃げ回り削って行く事が正解なのか。


消耗はシンカの方が激しい。

止血ができていないとはいえ、鬼が力尽きるよりシンカが力尽きる方が早いだろう。


長引かせて苦しいのはシンカだ。


加えて擦れば死ぬ。

そんな鬼の途轍もない力を前にして何をするのが正解なのか。


半分以上断たれた左脚で更に鬼は進む。


地を踏み締める。

真っ直ぐに圧倒的な速さで迫る。


シンカの頭部へ向けられる右拳に向けて翅を振るった。

繊細な太刀筋で身体を直撃する位置から退避させつつ鬼の握られた拳に刃を添える。


全身に経を巡らせ肉体を強化しつつ力の流れを見極め衝撃を大地へと流す。


鬼が腕を振り切る。

予定よりも高い位置を。

シンカの右足下が爆発して地面が大きく陥没する。


「っ!」


2本目の翅がその役目を終えて罅割れる。

直ぐに3本目を抜きながら鬼の脇腹、流れ出る血液に手を触れる。


「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


絶叫。


例え表皮が雷の力を大きく削ごうとも、血液に直接雷を流せば減衰される事なく体内へと辿り着く。


幸いな事に鬼の臓器は皮膚とは異なり雷への耐性は無かったようである。


暴れて装備が剥がれ落ちつつある鬼の消炭色の皮膚に赤く樹形の傷が浮かぶ。感電による火傷である。


しかし鬼は依然として二足で立ち、シンカへ掴みかかる。

捕まるシンカではない。

左方へ飛び退る。


初めの力強さが幾分か薄れている。

シンカも相応の負傷をしている。そうでなくては困る。


3本目の翅を残る右手で構える。

右脚に重心を置き右脚は大きく斜め右後ろ。

翅を持った右手は左頭上に突き出す。

王剣流・山之辺の構え


鬼が動く。

正拳突き。

瞬きの間も無く間合いに入られる。


肉体に巡る経はそのまま。

山之辺の構えから腕を落とし正眼に。拳に合わせて突き出す。

左腕の筋肉が膨らんでいる。連撃が来ると見てとる。


「フッ!」


息を吐きながら右拳が突き出される。

翅を突き出し拳に添え、巧みに力を逸らす。

連撃の為威力は抑えられている。


大ぶりの一撃より受け流すのは容易い。

後に続く剛風を絶縁し、左の拳打に備える。


手首から先は失われている。

頭部を狙った手首での突き出しに翅の刃を添え、左側に逸らす。

三撃目が放たれる前にシンカは返す刃でシンカに晒された左脚の傷口に向けて剣を振るう。


「ふんっ!」


雷光石火。


右腕と全身の筋肉を強化して放たれた斬撃が、到頭鬼の左腿を切断した。


「オノレエエエエエエエエっ!」


地に倒れ伏した鬼が仰向けになりシンカに右手を伸ばす。

飛び上がり回避する。


その瞬間鬼がにたりと嗤った。

跳び上がったシンカに向け拾った石を投げ付ける。


「っ!?…ぐ…」


投げられた拳大の石飛礫がシンカの右膝に命中し膝から下を引き千切り背後の巨木にめり込んだ。


左脚だけで着地したシンカは大きく四度跳ねて後退し背を大木に預ける。夥しい流血を氷結させて止める。


「ゲッゲッゲッゲッ」


醜く嗤いながら鬼が身体を起こす。


そして直ぐに咳き込む。

口腔から咳と一緒に吐血する。


シンカが与えた雷撃は間違いなく鬼を追い詰めていた。

このまま捨て置いても鬼は死ぬのでは無いか。逃走しても問題ないのでは無いか。


シンカはそんな事を考え内心で首を振る。


確証はない。生き延び力を蓄えるかもしれない。


「更地の王め。お前の通った後には更地しかなく、何も生み出せず、ただ破壊を為すのみ。生きとし生けるもの全ての害悪よ。ここで滅びよ」


父母の手紙を胸に、妻達の経を首元に感じながら鬼を見据える。


右手の武器を見遣る。

鬼の太腿を断ち切った一撃により翅の刃が潰れていた。


シンカは直ぐに次の剣を抜く。左腰に佩いていたコンドールから下賜された青鈴岩の直剣だ。


右手で逆手に抜き、掌で回転させて順手に握り直した。


グレンデーラが守られた際にコンドール・グレンデーラが森渡りの何人かに謝礼として剣を贈った。


切れ味はシンカの持つ武器と比べ鋭くは無いが、青鈴岩は頑丈だ。


鬼が再び突進の構えを見せる。

直ぐにシンカは大地へと身を投げた。


しかしその手には剣は握られていなかった。

またもシンカを逃した鬼はそのまま大木に打つかる。


轟音と共に大木が倒れる。

そしてその背からは血濡れた青白い鋒が突き出ていた。


「ヨクモっ!?ヨクモオオオオオォォォォォォォッッ!?」


鬼が激しく吐血する。


青鈴岩の剣は鬼の力に一度だけ耐えた。

シンカは避ける前に剣の柄と大樹の幹を己の血液で氷結させ、鋒を鬼に向けていた。


シンカの力では貫けない皮膚や筋肉も、鬼の力では貫くことができた。


そしてそれだけの力に青鈴岩の剣は耐えることができたのだ。

一度だけは。


向き直った鬼の鳩尾に刃が刺さっている。

しかし柄は無い。

柄は折れて苔の上に転がっていた。


剣が…


その時シンカは腰にまだ剣を佩いている事に気付く。

シンカの剣ではない。


鬼の寝ぐらで見つけた実父の剣であった。

繋がっているのだ。


もしシンカの実父が鬼に殺されていなければ。


鞘から抜き放った細身の両刃剣。

その剣身は薄く白く発光していた。


希少金属白磁鉄と経巌鉄を混ぜ合わせて造られた、白鈍鋼の鋳塊を経脈で鍛えた薄明の剣と呼ばれる宝剣であった。


シンカは己の経を剣身に流し込む。


希少な剣だ。現在では白磁鉄が出土せず、また白鈍鋼の高度が青銅程度の硬度しか持たず、かつ一度経を流すと崩壊する特性を持つ為飾る位しか用途が無い。


しかし。


経を通した薄明の剣が眩く白い光を放つ。


この金属は経を通している間だけ何にも勝る硬度を持つ。


傷口が激しく痛む。


ユタを助けに向かった先で片手片脚で戦い続けた事を思い起こす。

あの時も辛かった。苦しい戦いだった。今と同じだ。


だから、できる。戦い続けられる。


左膝を緩く落とし右膝で薄明の剣を構えた。

対して朱顔鋼鬼は夥しい血液を切断された左腿から流しながら立ち上がる。


闘志は未だ衰えず、残る左眼は怒りに真っ赤に充血し、ふらつきながらもシンカを睨みつける。


シンカは大きく跳んで後退する。

鬼が着地するシンカに向けて片脚で地を蹴り付けて突進を仕掛ける。


水噴で落下位置を調整して回避する。  


脚が一本しかない鬼は突進を躱され地面を猛烈な勢いで転がっている。


その隙にシンカも片脚で跳ねて進み、森の奥に向かう。


「ホロボスッ、オレノ、カラダヲッ!コノヨウナッ!スベテヲコウヤヘトカエテヤルッ!」


突進の構えを見せる鬼に対し、シンカは片脚で跳ね上がり、捻り前転して木の幹を蹴って距離を取る。


視界が霞む。

傷口は氷結させて止血しているが、苦痛が薄れる訳ではない。


鬼が倒木を掴む。再び振るつもりか。

幾度も振られれば片脚では何れ避け損ねて挽肉にされるだろう。


しかし倒木を振ろうとした鬼が倒れる。片脚では最早倒木を振るう事は出来ないという事か。


いや、身体が慣れれば元通りとは言えなくとも振れる様になる筈だ。


シンカは樹々の合間を跳ねて進む。

鬼が身体を起す。


「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


咆哮。

肌が痺れる。

衝撃を気膜で絶縁し片脚だけで跳ね進む。

鬼が起き上がる。

鬼の右腿が膨らむ。

発達した大腿直筋と外側広筋が収縮されたことを見て取る。


「っ!」


浅く前のめりに飛び出した。

僅かに遅れて鬼が動く。


最早初めに着けていた遥か3000年前の装備は鬼の力や動きに耐えられず襤褸布が僅かに纏わりつくばかり。


振るわれる鬼の左腕が頭上を掠めていく。

シンカが地面と水平に飛び出していなければ頭を吹き飛ばされていただろう。


「ふっ!」


剣を振る。

振り抜き、鬼の脇を跳んだまま抜ける。


右腕で受身を取り地を転がる。数回もんどり打った後に飛び上がり、捻り前転を行って片脚で広葉樹の枝にぶら下がった。


視線の先で体勢を崩した鬼が立ち上がる所だった。

手に残るのは物を斬り裂いた感触。


片脚で立ち上がった鬼が己の右脇を押さえる。

どろりと臓器が溢れでた。


「ブオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォッッ!?」


しかしそれでも咆哮の威力は健在。

あまりの威力に肌は痛み、臓器が揺さぶられる。


その時、右手に握る薄明の剣の眩い白光が薄まり始める。

ゆっくりと光ば消えて行き、黄昏時の最後の陽射しが崩れ行く白鈍鋼の刃を薄ぼんやりと照らす。


川に晒した土塊の様に、さらさらと剣は崩れ落ちた。


しかし鬼は己の腸を引き摺りながらも枝を杖にシンカに向けて歩み寄っていた。


シンカは枝に引っ掛けていた脚を伸ばし木から落ちる。宙で回転し片脚で着地する。


身体が冷える。流血で体温が下がっているのだろう。

背嚢は壊され、激しい戦闘に吹き飛ばされている。中の薬は飛び散り、使う事は出来ないだろう。


仮に目の前の霧の王を倒したとしても…。


シンカは心中で首を振る。

約束したのだ。必ず帰ると。


女との約束を守らぬ男など、男にあらず。


握っていた剣の柄を投げ捨てる。


刃を失った柄が鈍い音を立てて森の下草の上に落ちた。

深く息を吸い気を落ち着かせる。


最後まで決して諦めない。

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