湖底の遺跡

それから更に3日後、身体から老廃物を取り除いた一行は未明にバリクリンデを発ち進路を東に取った。


春も半ばが過ぎ既にベルガナ、ヴィティア近隣は茹だるような暑さと湿度で通常であれば全身が濡れそぼるほどの発汗である。


体温を下げる紅薄荷の絞り汁を希釈し、無臭の酒精と混ぜ合わせた液で身体を吹けば体温も下がり発汗も治まる。


獣や蟲は避けられるが、近くの鬼からは逃れられないのが難点だ。


西進しシアス王国に入った後北へ方向を転じる。

王都カルンで入念な準備を行った後更に北、エラム大湖へ向かう。


シンカの気持ちは既にはやっていた。

ナウラも同じ様で、小鼻が僅かに膨らんで見えた。

常人には壁の染みの形を見極めている様にしか見えないだろうが。


ヴィダードは何をしようと、何処へ行こうと特に問題はない様で、軽い足取りで細くうねる木々の合間を抜けて行く。


ユタは笠と口当ての隙間から見える三白眼で周囲を警戒しているが、恐らく何も考えていないだろう。

彼女が何かを考えている時はすぐに分かる。

そんな時は必ず歯を噛み締め、剣を握る。

強い憎しみと殺意を感じた。


カヤテはまだ森になれず、物音一つに過敏に反応している。

実力はあるので森の知識を得て慣れてしまえば楽々と渡れる様になるだろう。


この日は夕刻に大鬼が三頭現れた。

獣道から逸れて動かずに様子を伺った。

大鬼は体高10尺程。角はなくやや赤みがかった肌をしている。

肉体的特徴は鍛え抜かれた人間の様で、胸板は厚く皮膚は鬼の中では硬い。

三体がシンカ達に気付かず去ってしまうのを待った。


隣でしゃがみ剣の柄を握るカヤテに小声で話しかける。


「奴らは肋骨の下の横腹の筋肉が薄い。そこを心臓目掛けて刃を突き立てれば容易く屠れる。」


「は、話すな!聞こえてしまう!」


脈打つカヤテの心音がシンカの耳にも良く届いている。


「奴等の耳はあまり良くない。この程度、この距離なら問題ない。」


「そ、そうか?・・・しかし、この前ケツァルからガジュマ迄の道すがらは大変だった。あんな思いは懲り懲りだ。」


「虱か。牢の寝台から貰ってきたのだろう。奴らは1日に10個卵を産む。」


「・・・止めろ。言うな。屈辱だ。赫兵カヤテは虱付き。私は穢れてしまった。」


「治してやっただろうが。安宿に泊まれば枕から虱が映る。枕の覆いを煮沸して洗う様な宿でなくてはな。」


こそこそと話していると大鬼が森の奥へと去っていった。

ばらばらに潜んでいた仲間達が無言で集まり歩み始めた。


日が沈むと大樹の根本に荷を置き交互に見張りを始める。

見張りは一度寝ると戦闘が始まらない限り眠気を捨て去らないユタから始まり、シンカ、ヴィダードの順となる。


この順はシンカが起きている限り碌に瞬きもせずに顔を見つめ続けるヴィダードの為の処置である。

後はナウラ、カヤテ。


10日森を東に進むと徐々に植生や魍魎の生態系に変化が見え始める。

気候も湿度が下がりベタつく様な不快感が収まる。

随分と久方振りに大陸西の更に西方に足を踏み入れることとなった。


シアス王国は複雑な気候の国家である。

山脈沿いは寒冷気候、ベルガナ近隣は熱帯気候、そして残る殆どは乾燥気候である。

王都カルン近隣は乾燥気候に当たる。

しかし、乾燥しているからと言って砂漠の様に森が無い訳ではない。


エラム大湖を含む豊富な水源で農業自体は営んでいるが、雨が少なく灌漑を行えていない地域は貧しい。

国境を越えて10日。大河を渡り豊かな王都カルンに辿り着いた。


「シンカ。早く身体を清めましょう。早く。」


すっかり旅慣れたナウラは宿を取るとすぐさま旅装を解いて風呂の為の道具一式を取り出した。


「ふふん。エンディラの民は苦労するのねぇ。イーヴァルンの民は一月や二月は身体など洗わなくても汚れないのよぉ?」


くだらないところでまたしてもヴィダードが張り合った。


「そうなのか?ヴィー腕を上げてくれ。」


シンカに頼まれたヴィダードは小首を傾げながら右腕を上げた。


「・・・・臭いが?」


シンカはヴィダードの脇の匂いの感想を率直に述べた。


「っ!?」


咄嗟にか、抉るような拳による打撃が繰り出された。


「っ、ぐっ、はっ!?」


至近距離からの一撃はシンカ自慢の外腹斜筋に直撃し、臓器にまで衝撃を伝えた。


「俺の左腎臓!」


もんどりうって苦しみに呻いた。


「今のはシンカが悪い!女に臭いなどと言ってはならん!第1身体を拭いたのも昨日の夕刻。一日中歩いていれば臭いなど!」


「私は嘘をついたヴィーが悪いと思います。可哀想に、シンカ。私が優しく癒して上げましょう。・・身体を清めてから。」


シンカは起き上がると荷を漁り乾燥した手拭いを取り出す。


「残念だが。」


勿体振り4人を見渡す。


「この国は風呂は無く沐浴だ。」


全員が口を半開きにして驚きを表す。

本来であればそれが一般的な身の清め方だ。

だが彼女達は風呂に慣れ過ぎたのだ。



灌漑用水路で身体を清めるという最悪の行水を行った一行は食事を取った。

全員がどんよりとした表情で食事もあまり進まないようだった。


「シンカ。提案があります。」


何時も美しく輝くナウラの黒翡翠色の瞳が光を失っている。

提案も下らない内容だろう。


「明日、この街を発ちましょう。」


案の定であった。

ヴィダードは自分の脇の匂いを確認しつつ首肯して同意を示した。


「ああ。てっきり何らかの風呂があると信じてここまで旅して来たからな。此処は王都では無いのか!?」


人目を忍んで行水する事になったカヤテは行政や文化に対し怒り始めて手がつけられなくなった。


「・・・ふふん、ふふふふん」


ユタは茹でた青菜に檸檬と橄欖油をかけた物を素っ頓狂な鼻歌を歌いながら貪っており会話に興味は無いらしい。


「良いが、今日中に急ぎ一月分の旅装を整えなければならんが良いのか?」


尋ねると3人が同時に頷いた。

酒は飲まずに食事を早めに切り上げると街に散開し支度を整えた。


直ぐに就寝すると翌朝早朝にカルンを出た。

森に入り5日、一行は到頭エラム大湖に到着した。

笠山の遺跡を確認してから1年が経っていた。


「此れは・・・凄いな。」


森を出て直ぐに広がる広大な湖を見てカヤテが目を細めた。


「シンカ。此れは海ではないのですか?向こう岸がありません。」


「海ではない。湖だ。」


エラム大湖に訪れるのはシンカは2度目だ。

1度目は雄大な景色に見惚れた。じっと見つめていれば何処までも続く空と水に吸い込まれ、溶けて消えてしまいそうに思える。


うねる夏の雲が湖面に移り、雲を染めていた。

この広大な景色を見て感性を刺激して感受性を高め情緒豊かになって欲しい。


「緑色だね。どうして?藻が生えてるから?」


此処の所勉強熱心な振りをしているユタが尋ねる。


「前にも説明した記憶があるが、これは光の加減で実際に青い訳ではない。

この辺り一帯の土砂は上流から砕けて流れて来た花崗岩で構成されている。その影響でより青く見える。」


「もっと分かりやすく教えてよ。」


「・・・」


「僕、難しい事分かんないよ・・」


「水が澄んでいて、水深が浅くて、砂や石が白いと青や緑に見える。見えるだけで実際は透明なのだ。藻や苔、岩石の色ではない。」


「ふーん。」


「・・・・」


ユタは何かに満足したのか脇の大きな岩に腰掛け干し肉を齧り始めた。

シンカは呆れて深い溜息をつくと気持ちを切り替えて湖を観察する。


湖は岸付近は浅瀬が続くが、中心は深い。カヤテ救出前に遊んだ湖とは異なり大型の魚も存在する。


特に危険なのが魚の沼影鯰と爬の岩飲山椒魚である。


浅瀬では背中が半分以上水上に出る程の巨体で、危険を察知するのは容易いが、中型の船程度一撃で沈める程の力を持つため、湖中央を潜って探索するのは自殺行為である。


「この辺りに遺跡などありますか?」


湖の水で手拭いを濡らし、上半身をはだけさせ身体を拭きながらナウラが尋ねる。


「あるにはあるが、笠山のウルク山遺跡とは似ても似つかない。この辺りにある遺跡は東に30年程前に森に飲まれた旧シアス王国の都市が一つ、北に数百年前に森に飲まれたアケルエントの都市が一つだ。当然、火山の只中にあったあの遺跡には遠く及ばぬ質だ。」


「そうなると、遺跡は湖の中にあるのでしょうか?」


「その可能性はあると思う。」


ナウラの意見に頷く。


「湖の中に遺跡が?なんの意味があるのだ?」


カヤテが下着で水に仰向けに浮かびながら問うた。

長く艶やかな髪が水中で広がっており、絵画のように美しく見えた。

やっている事は阿呆であるが。


「ウルク山遺跡は火山の中で数千年耐えて来た。エラム湖遺跡も水中にあって人が過ごせる環境なのではないだろうか?」


「ウルク山の遺跡とやらを見ていないから分からんが、水中の遺跡に入る事ができるならそれは得難い経験だな。」


ゆらゆら漂いながら大層凛々しい顔つきで言葉を発する。


「髪の毛が伸びて毛先が絡まるわぁ。貴方様?またヴィーの髪を切ってくださるかしらぁ?」


笠を取ったヴィダードが頭をぐりぐりとシンカの胸元に擦り付けて来た。

自分の興味ない話をされて疎外感を感じているらしくちょっかいを出している。


「とすると、何処かに湖底に続く地下への入り口があるという事なのでしょうか?」


話していると背後から気配を感じ取った。


「あらぁ?獣ねえ。」


シンカも濃い獣臭を嗅ぎ撮る。

現れたのは一頭の犬に似た四つ足の獣だ。

赤斑夜犴。夜行性で腐肉漁りを生業とする魍魎が昼只中に珍しい。


「ナウラ。傷付けずに追い払ってくれ。」


無言で動き出すナウラを尻目にシンカは思考を続ける。

ウルク山遺跡の入り口は隠されているわけではなかった。


秘境故の到達困難さはあるものの、堂々とした佇まいであった。

恐らく入り口は簡単に辿り着けるところにはない。


だが隠すような場所にも無いはずだ。

あまり湖から離れてもいないだろう。


「入り口は湖岸からそう離れていないはず。しかし今迄見つかったこともない。」


「私には分からんな!全く分からん!」


濡れた下着から桃色の乳頭が透けて見えていた。

それを観察しながら考え込む。


「ねえねえ、この湖って滝はないの?」


干し肉を食べ終わったユタが口を開いた。


「湖南にあるな。幅1町、高さ60間の大瀑布だ。」


「鈴紀社の裏手に細い滝が有るんだけど、その滝の裏に洞窟があるんだ。そこに開祖ヤカクの剣があってね。偶にそこで祈ったりするんだ。そんなのがあったりしないかな?」


「可能性は高いな。容易に侵入できんし、水を祀るのであれば滝などはうってつけだろう。我等の里も滝裏の洞窟を抜けぬと辿り着けんし、探る価値は大いにある。」


「ほんと?僕、役に立った?」


目付きは悪い物のにこやかな表情は可愛らしい。


「うん。珍しくな。どういう風の吹き回しだ?」


「剣っ!剣作ってくれる?」


「・・・」


無言で背を向け衣類を脱ぎ去り身体を清め始めた。

再度支度を整えると湖岸を南に歩んだ。


エラム湖には2つの川が流れ込んでいる。

北のアケルエントから流れ込むユフス川。

西のメルソリアから流れ込むチス川。

対して南から川は滝として流出し、その後メルセテに向けて大河として延々と続いている。


シンカ達は2日かけて湖を回り込み滝口へと辿り着いた。

絶景であった。


実のところ、この世界最大の滝、七龍滝をシンカは見た事がなかった。

以前のこの近隣を訪れた時は景色になど興味は持っていなかった。ふらふらと旅をしていただけだった。


初めてカヤテに出会った時、当て所ない旅の目的をカヤテの助言で得られた。


以来、感銘を受ける美しい景色を見え回る事にしていたが、此処はその中でも一見の価値がある景色であった。


七龍。

広大なエラム大湖から流れ落ちる水は一段滝を落ちた後、顎門に飲まれる様に渦を巻いていた。

それが7つ。

7頭の巨大な龍が口を開け、滝を余す事なく飲み込んでいる。

その様に見えた。


湖の岸沿いから見下ろしていたが、その轟音は会話など到底行えない程のもので、此処まで霧状に散った水飛沫が吹き上げ、肌を濡らしていた。

ナウラもカヤテも絶句して見つめていた。

景色など興味の無いヴィダードもユタも、じっと吸い込まれる様に7頭の龍の顎門に見入っていた。


たっぷり半刻も圧倒的な自然の流れを感じていたが、ヴィダードが寒さに震え始めたので周辺を探索する事にした。


2段の滝の内1段落ちた所には広大な滝壺が見受けられる。

崖沿いには歩ける様な道は一見見当たらないが、よくよく観察すればそれは積もった土砂で傾斜ができている様で、綺麗に除けば人1人が余裕を持って歩けそうにも見える。

「ふむ。」

滝壺を覗き込んで何かを探しているナウラの横で地に手をついた。

土中に経を浸透させ、堆積した土砂に干渉した。


例え重量や容量が多くとも同じ量の土砂の形状を変更し、槍状などに変えるよりは遥かに移動させる方が容易い。少なくともシンカにとっては。


土砂を全て滝壺に落とし終わるまで四半刻も掛からなかった。

5人は逸る気持ちを落ち着かせながら、ゆっくりとその道を歩み始めた。

いや、気が逸っているのは3人であろう。


滝の裏に入ると激しい水飛沫に外套が濡れる。

撥水性の外套に小さな水滴が無数に付き輝いて見えた。


滝の裏を半刻ほど進む。丁度中央付近にそれは現れた。

シンカの背の3倍程の高さ、2倍程の横幅の深い入り口が現れた。


「シンカ!やはり有りましたね!ユタ。見直しました。貴女に戦闘以外で助けられる日が来るとは思いませんでした。」


ナウラが興奮しながらさらりと毒を吐いた。

ユタは嬉しそうに微笑む。感性がよくわからない。


シンカは入り口で片膝をついて地面の様子を伺う。

笠山のウルク山遺跡と同じ材質の艶やかな床だ。

間違い無く唯の遺跡ではない。


「魍魎の痕跡が無い。極小型の蜘蛛の巣さえ無いとはな。」


「シンカ。蝙蝠の糞もありません。」


「蝙蝠は嫌よぉ。」


ヴィダードはシンカの行方を探す当て所のない旅の途中、蝙蝠に血を吸われたことがあるらしい。

その時に貧血になって以来蝙蝠を嫌っている。

そもそも滝に隠れ出入りしにくいこの洞穴に出入りを行う必要のある魍魎が住み着くはずもない。

だが蟲の痕跡が無いのは解せない。


「この石材、蟲を寄せ付けんのかもな。」


呟いてみるがその様な石材など知識はない。

黒光りする壁床を繁々と眺めた後闇に踏み入った。


遺跡内部は10歩も進めば殆どの明るさを失い見通しは悪かった。

だが障害物も無く闇を見通すことのできる目にはさしたる影響を与えなかった。


壁を調べる。照明無しで太古のウルサンギア人がここを出入りしていたとは思えない。等間隔に壁の両側、シンカの背より随分と高い位置に正方形の凹みが見受けられた。

翅を鞘ごと抜いて凹みを突いた。

鞘が触れた箇所の埃が擦れ落ちて輝きが垣間見えた。


「鏡?いや、硝子では無いな。」


「がらすとはなんだ?シンカ。」


「硝子とは砂の中に含まれるある成分を集め、熱して冷やすと出来る透明なものだ。綺麗に平らに均したそれに金属を蒸着させると歪みなくはっきりと映る鏡となる。これはうちの里で作る鏡以上に質が良いが、硝子も金属も使っていない。恐ろしく高い技術でこの壁面の壁を研磨加工したのか・・分からん。ヴィー。この凹みの埃を全て行法で払ってくれ。」


頼むとヴィダードは繊細な操作で鏡にこびり付いた埃を見事に落とした。

目に見える範囲の鏡はほんのりと出入り口の光を反射し奥へと反射しようとするが、光が弱くあまり効果はない。

この鏡は間違い無く採光用であろう。


ならば採光窓が何処かにあるはずだ。

入り口一番手前の鏡の角度を調べ、何処から光が当たれば向かいの次の鏡に光が反射するかを調べた。

そうしてシンカは怪しげな握り拳大の穴を見つけ出した。

穴は砂塵で半ば埋まっていた。

縁を調べると同じく磨かれており


「ヴィー。突風を送り込んで中に詰まっている砂塵を全て吹き出してくれ。」


ヴィダードはシンカに何かを頼まれるのが嬉しいのか、楽しそうに笑顔を浮かべながら行法を行った。


ヴィダードは孔に手を当て風咳を行った。

だがある程度の砂塵は吹き飛ばせたが、穴から光は差してこない。


「か、硬いわぁ・・。邪魔しないでよねえ。ヴィーの貴方様が頼ってくださってるのよお。」


顳顬に血管を浮き上がらせながら経を練る。


「ヴィー。歳なのですから力むと脳の血管が切れますよ。」


「ふんぬぁっ!」


ヴィダードは月鎚を水平方向に放った。

手先で繊細に経を操り、掌大の孔に圧縮した空気の塊を放ったのだ。


その手管は天才と呼んでも過言では無かった。

例えばシンカの行法は、効率的な運用の元無駄無く経を扱う事によりその威力を発揮している。


その行法は早く、練られた経は濃い。

カヤテは強靭な精神力で延々と経を練り続け、練られた膨大な量の経を元に大火力の行法を行う。


ヴィダードの場合は両者とは異なる。その都度、その法に合った最適の経を練り行使する。

その繊細な扱いは訓練でどうにか身につくものでは無い。

天性のものだ。


「凄いな。」


無駄無く使われる経を感じ、カヤテが感嘆の声を上げた。

半径2間の規模で扱っても人体程度容易に圧壊させる月鎚を掌の大きさに凝縮して放ったのだ。

その威力たるや金剛ですら破壊できる程だろう。

シンカの耳は洞窟の外から何かが破壊される音を聞き取った。


次の瞬間孔から強烈な閃光が発された。

原理は分からないが、長く伸びる穴の中で取り入れられた光が幾度も反射され、一筋に束ねられたのだろう。先程砂塵を払った鏡に反射し、頭上を縫うように奥へ続く。


一瞬で洞窟は明るく照らされた。

女達は惚けた表情で洞窟の天井を照らし出す灯りを見上げていた。

気付きにくかったが洞窟の壁面は群青色の色彩を持っていたようで、反射された光がやや青く色付いていた。


水中にいるかの様に錯覚する。

シンカは全員の横顔を見た。

未知の光景を一心不乱に見つめていた。

こうして感動や喜びを分かち合える。

孤独な旅と比べて今の自分は随分と恵まれているとしみじみと感じられた。


洞窟を進むと灯りが途切れる。

鏡を砂塵が覆っているからだ。

都度ヴィダードが除去し進むと階段に差し掛かった。

底の見えない深い階段が螺旋に続いていた。

翅を抜いたシンカを先頭に、2番目のヴィダードが時折風行を行いながら進む。

それはとても長い階段だった。

湖の底へと向かっている事は明白だった。


「シンカ。興奮します。この気持ちをなんと表現すればいいか。」


「ならもう少し顔に出しなさいな。」


「私の表情は生まれつきです。もっともこれのせいで親にはあまり好かれてはいませんでしたが。」


「その重たい話しは今必要あったのか?」


女達が後ろで話をする中シンカは考える。

随分と前の遺跡だ。何処かが崩れて浸水している可能性もあるし、ヴィダードが加減を誤ればそれが目の前で起こる可能性もある。

もし湖底に遺跡があるのならそこに掛かる力は相当なものだ。

ヴィダードに限って間違いは無いだろうが注意を損なわぬ様集中させた方が良い。


「ヴィー。」


「何ですかぁ?御用ですか?ヴィーはここにおりますよ。」


さっとヴィダードが近寄りシンカに張り付いた。

豪風が階段を駆け抜けて激しく空気を掻き立てた。


「おい!?慎重にやらぬか!」


「でもお、名前を呼ばれたからぁ。」


頭頂部をシンカの右腕に擦り付ける。

一体どのような効果が有るのか。以前からよく行うが聞くのは躊躇われていた。

碌でもない理由に違いない。


少しむっとして顔を覗き込む。

相変わらず吸い込まれそうな目をしている。

そこには信頼と愛情の二色の感情しか無い。


そんな気はもとより無いが、裏切れぬと改めて思った。

その信頼に応え続けなければならないのだ。

それが所帯を持つと言うことだ。


長い螺旋階段だった。

青く照らされる階段は一段づつが半尺しか無く、螺旋の半径も5間はあろう。

ゆっくりと一行は深くへ進んでいった。


ヴィダードが吹き散らした目の細かい砂塵が青い光に照らされ舞っている。

それらはゆったりと地上へ向けて緩やかに舞って行く。


微弱な風が奥から吹いているのだ。

換気のための風と思われた。


火を灯し空気の有る無しを確認する必要は無さそうだ。


「ユタ。シンカの筋肉で好きな部位は何処だ?」


「・・・うーん、そうだな、前腕筋かな。手を動かすたびに動く前腕筋群。たまらないよね。」


「おほほ!なかなかの嗜好だな。分かるぞ。しかし、私は広背筋を推すぞ。頼りになる、寄りかかれる男という感じがする!」


「カヤテは男の人に寄りかかりたいんだね。意外だな。何でも1人で出来そうに見える。」


「うむ。まあ粗方のことはな。ユタはどうなのだ?シンカとは深い仲では無いようだが、いい男がいるのか?」


「まさか!処女を捧げるならシンカって決めてるよ。・・・でも今はそういう事は。自分の事で悩みがあってね。」


「ふむ?」


階段を延々と降りて行く。

地上からの距離は8半里と言うところだ。

足音の反射で残りの距離を探ろうとするがまだ先は長いのか判然としなかった。


「ナウラ?貴女はお式の事は考えてるのぉ?」


「お式とは契りの式の事でしょうか?」


「多分そうよぉ。私の里では結びの式と言うけれどぉ。」


「あまり考えた事は有りませんでした。里に帰りたいと思った事は有りませんでしたから。」


「そうなのぉ?私は偶に恋しくなるわねぇ。」


「私はあの貧しく過酷な里にまた戻りたいとは思いません。家族も妹がいるだけ。私とは違い愛想の良い妹です。折り合いは良く有りませんでしたので顔を再び合わせたいとも思いません。」


「貴女、妹が居たの?」


「ええ。何か問題でも?」


「いえ、愛想の良い妹・・・。エンディラの民は皆貴女のように無表情、無愛想なのかと思ってたわぁ。」


「自分が無愛想である事は自覚して居ます。ですが、努力しても私の表情筋は動きませんでした。せめてと思い丁寧な口調を心がけて居ます。」


「えぇぇ。表情筋だけなのぉ?言葉に強弱くらい付けて言いなさいな。」


恐らくヴィダードの言いは会話を聞いていた全員が思った事だろう。


「強弱?感情豊かに話しているつもりですが。こんなにも悲しそうに話しているのが伝わらないと?」


「無表情に怒っているように感じるわぁ。そうで無いとは知っているけれど・・・」


ヴィダードが常識人に聞こえる会話だった。

一行は更に深くまで進んだ。地上から6半里程だろう。


「・・・ねえ、シンカ。シンカは3人の中の誰が一番好きなの?教えてよ。」


ユタが尋ねた瞬間、一同に緊張が走った。

先日突如として赤肌牛鬼と遭遇した時よりも鋭い空気感であった。

シンカは内心でユタに対し舌を打ちながらも口を開いた。


「優劣はつけられん。其々に良い所、悪い所、好ましい所がある。皆も俺に対して同じく思っているだろう。」


「ふむ。調子がいい事を言うな。誤魔化しているだけでは無いか。」


シンカは脂汗が出そうになる所を呼吸法で抑え、呼気、心拍まで完全に意思の支配下に置いた。


「そうですね。一度白黒はっきりとさせなければとは思っていました。」


「・・・」


ヴィダードが自信なさげに俯いたので愛らしく感じ頬を撫でた。

よく懐いた犬のようにシンカの掌に顔を擦り付けてくる。


鼻と額の油が手に付着する。


「1番など考えた事もない。お前達のような危険な女達にその様な順位を付けようものなら。考えるのも恐ろしい。首も心臓も2つずつ無ければならんだろうな。」


3人の喧嘩を想像してシンカの陰嚢は縮み上がった。


「その様な分別が私に無いと思うのか?失礼な男だ。・・・いや、今更だな。私は忘れぬぞ。不安に掻き立てられお前に助力を乞うた時無碍にされた事を。」


「カヤテ。それは貴女がシンカを支配下に置こうとした為ではないでしょうか?掟を考えれば止むを得ない事でしょう。それに結局は貴女に助力し命を救いました。それでも文句があるのですか。」


「むむ。それを言われると弱い。だがナウラとてシンカを酒と薬で酩酊させ貞操を辱めたと言うでは無いか。そこにはシンカの意思はないぞ。」


「・・目の前の私に目を向かせて差し上げただけです。シンカは満足した事でしょう。」


「破廉恥な!男は追われるよりも追う事を好むとサルバが言っていたぞ。現に私の所にシンカは来てくれた!」


緊張感のかけらもない女達にシンカは頭痛を覚えた。


遺跡に入り2刻。

漸くシンカの耳に自分達の足音が底から反響する音を拾った。

地上から実に四半里の深さであった。


「ねえねえ、カヤテからも頼んでよ。お願い。」


「む。それは・・。」


「どうして後から来たカヤテが僕よりも先に剣を作ってもらえるの?狡いよ。」


「それは貴女が不真面目だからです。」


「僕、眠くても我慢してるよ?」


「我慢すれば良いと思っているのでは一生柄さえも作っては貰えないでしょうね。」


「そんな!?僕何でもするから口添えしてよ!」


「そこで真面目に学ぶと安易に言わないお前の事が私は好きだぞ。」


女達が喋り散らかす間に漸く終わりが見えた。


「着いたようだ。少し大人しくしてくれ。」


螺旋階段を下りきると広い空間に出た。

作りは笠山の遺跡と同じだ。

広間の先に3つの扉。

中央が目的の部屋だろう。


念の為左右の部屋を探索する。

やはり控えの間もウルク山遺跡と同様の造りである。

最後に残した中央の戸をシンカとナウラで開いた。


やはりと言うべきか、そこは自然を敬愛していたというウルサンギア人が造った然るべき霊殿であると一目で感じ取ることが出来た。

拝殿と言うべきか、寝殿と言うべきなのかは分からない。


其処は正しくエラム太湖を配する場であった。

硝子の様に透明な石材を使っているのだろう。

拝殿は湖底より遥か頭上の湖面を拝むべく頭上は透明な構造物で形作られていた。

日が差し湖面の揺らぎを受けて深く青い群青の光が差し込んでいた。

其処は湖の下で湖の水を見上げる霊殿だった。


「・・・・・・」


絶句であった。


言葉が出ない。ただずっと見上げていた。

遠くで大きな影がゆったりと動いていた。


この湖の主、岩飲山椒魚だろう。


遥か頭上を川魚の群れが横切っていく。

湖底には沈んだ船の残骸が見て取れた。

藻類が生えて見た事も聞いた事もない奇妙な魍魎が数匹此方の様子を伺っている。


「綺麗だ・・・」


カヤテが思わずといった様子で言葉を零した。


「ミト様にお見せしたかった・・・」


ミトリアーレがこの光景を見る事は叶わないだろう。

クサビナから此処は遠い。

況してや彼女は跡取りだ。


「絵でも描いてみてはどうだ?」


言うとカヤテはもじもじと絵を描けない事の言い訳を始めた。

ものは試しである。例え下手でも再び会えた時にそれを見ればミトリアーレは喜ぶだろう。

カヤテの下手な絵を見て笑うだろう。


コブシで以前に求めた雁皮の紙が何枚か背嚢に入っている。

炭や手持ちの鉱石、薬剤で絵具を用意する事もできる。筆も有る。


「私は聖霊様への信仰心をあまり持ちませんが、この景色を見ると太古の民が聖霊様を信仰しようと思った気持ちもわかります。」


「ナウラ。それは間違いよぉ。聖霊様は居るのよぉ。」


ヴィダードが言うとナウラは微弱ながらも奇妙に表情を歪めた。


「何を行って居るのですか?貴女が信心深いとは思っていませんでしたが。」


「ナウラ。ヴィーの言う事は正しい。彼等は居る。」


「・・・・何を?」


シンカ迄が同調した為かナウラは暫しの間動きを止めた。


「彼等が何なのか、それは分からない。経が溜まった地や浸透した物に現れる何らかの効果なのかもしれん。それが何であれ彼等は居るのだ。」


「私自身見た事はないが、霊媒師と呼ばれる者たちは何かを感じているのは確かだな。そして彼等はお告げを聞き人々を導く。」


「・・・霊媒師。今まで訪れた街にも偶に居ましたが。」


「酒の飲み過ぎだ。もう少し街の者と話すのだな。」


「ぐ・・・」


カヤテに痛いところを突かれナウラが呻いた。


「国家の中枢には必ず彼等霊媒師が居る。グレンデルには居ないがな!」


何故か自慢そうに胸を逸らした。

恐らくグレンデルに霊媒師が居ないのは剣も触れぬ軟弱者と軽んじたからだろう。


周囲を見回す。

直径30間はあろう広い円形の部屋床にはびっしりと古代文字が刻まれている。

此処に書かれた何かによりまだ知らぬ知識が得られればと期待するが、解読が困難である事を考え硬く目を閉じて平手で顔を拭った。

左右の控えの間でそれぞれ身体を清め下着を変える。


旅装を解くと広間へと戻った。

周囲を見回す。

正面に祭壇がある。

祀るのは恐らく自然、精霊、罔象そのもの。


手帳を手にしたナウラが小走りで戻ってきた。

麻素材で厚手の生地の下で豊満な乳房が奔放に飛び跳ねていた。


ナウラの手帳は自分で仕留めた魍魎の皮を自分で鞣した物だ。

助言を求められはしたが1人で最後まで作り切っていた。

その手帳には魍魎の事、薬の事、そして遺跡に関する事が丁寧に細かく纏められている。

その緻密さはそのまま教本と出来るほどだ。


「お前が弟子を持ったならどの様な師となるのか。見てみたいものだ。」


「見れば良いのです。私の弟子は貴方との子です。貴方の子なら教え甲斐のある優秀な弟子になるでしょう。」


「子に過度な期待をかけてやるな。親として示してやるべき道理や道、術は在ろうが、自分の望みが我等の道と離れているというのなら進ませてやるのが親なのでは無いか?」


「そうかも知れませんが、その前に先ずは私を孕ませて下さい。話はそれからです。」


「何と卑猥な。臆面もなくその様な・・・・いや、顔が赤いな。自分で恥ずかしがってどうする。」


話していると残る3人がやってくる。

カヤテは紙と筆、画材を持ち、ヴィダードは拾ってあった樫の枝と短刀を持っている。矢を削り出すつもりなのだろう。

ユタは干し肉だ。


ナウラと2人広間の床に描かれた古代文字を見て回る。

熱中しているのかナウラの口は半開きだ。

普段一分の隙もなく冷徹で凍てついた湖面の様な表情が愛らしく見える。


文字の起点を探し出すと2人して解読にかかった。

一行はそこで悠長な日々を過ごした。

地下深くの空間は何故か埃少なく風の流れが僅かにあり過ごし易い環境であった。

頭上に巨大湖の澄んだ水を湛え四半里もの深さを通して煌めく陽光や揺蕩う月光を浴びながら思い思いに動いていた。


シンカとナウラは古代文字の解析、ヴィダードはその様子を伺いながら歌を口ずさんでいた。

カヤテは不慣れながらも絵を何枚か描き、飽きれば先日倒した一角蜥蜴の角を短剣に加工した。

ユタは行法の訓練に勤しんでいた。


湖底の風景に慣れた頃、訪れて丁度10日。

シンカとナウラは到頭全ての解読を終え、皆を集めた。


「敢えて途中で聞かなかったが、何かわかったのか?」


カヤテが興味深かそうに尋ねた。

それに向かいナウラが自慢げに胸を張った。

大きな乳房が主張される。

表情は殆ど変化が無いが小鼻が興奮に膨らみ口角が微細に上がっている。

その表情を見てカヤテは切れ長の瞳をその胸に向けた。


「私もシンカの手からはみ出す位はあるぞ?」


「なんの話ですか。」


早くも話が逸れ出したのでシンカは咳払いをして視線を集めた。


「疑うべくも無いが、矢張り此処は笠山のウルク山遺跡と同じくウルサンギアと呼ばれる人種が作り管理を行なっていたようだ。とすると此処も遅くとも9300年前には作られたと言うことだ。」


「ウルク山遺跡、火の遺跡の壁字はウルサンギアが治めた歴史について主に記載されていました。しかし今回のエラム湖遺跡、水の遺跡にはウルサンギアと自分達に着いてが書かれています。」


「自分達?」


自分の服の襟を伸ばして中を覗き込むユタを一瞥しカヤテが尋ねた。


「はい。この文字を書いたのは文脈からしてウルサンギア達古代の民ではなく別の民族です。白い肌、栗色の髪、灰の目。」


「ウバルド人か。1万も前から彼等はこの辺りに住んでいたのだな。」


「不思議はないでしょう。国家は有りませんでしたが。当時のウバルド人はウルサンギア人の特徴を書き記しました。曰く、背丈は個人差はあるものの5尺半程度。黒髪で強い巻き毛だった書かれています。そして特に特徴的だったのが、目です。彼等の目はヴィーの握り拳程の大きさでした。」


ヴィダードの骨格は華奢だ。

背こそ5尺半と女性にしては高めだが肩幅も手足の細さもその繊細さは際立っている。

手も小さくその握り拳は直径一寸半しか無いが、それでも一寸半だ。

眼にしては大きすぎる。


カヤテが小さく震えた。

腕が粟立っている。

巨大な眼の男を想像したのだろう。

だがそれは鬼などではない。その時代にはまだ鬼は存在していない。


言語や文化を失った彼等と比べるべくもない高度な文明を持っている。


「それは・・・人間なのか?精霊の民にはその様な種族は居ないのか?」


「私は自分の里の事しか知らないのです。」


「ヴィーは東の方は回ったけどぉ、見たことも聞いた事も無いわぁ。」


シンカも聞いた事がない。

いるのなら眼族とでも呼ばれていたのだろうか?


「魍魎が現れる前の事ですのでテュテュリス人による経の被害で起こった身体の異変とは考え難いと思います。彼等は明らかに現存する人類とは隔絶する身体的特徴を持っていたという事になります。」


「そんな人々が私達の先祖に文字や言葉、文化を与えたというのか?彼等は何処から来て何処へ行ったのだ?」


「直訳ですが彼等の出自を表すと思われる文脈がありました。・・・彼ハ天ツヨリ東雲割リテというものです。」


「東か。ヴィティア、ラクサス、クサビナ、ガルクルト。或いは白山脈以東か?」


「文明の発達具合から考えてウルサンギアが始めに現れて拠点を置いていたのはガルクルトと考えるのが妥当だろう。アガド人は元々ガルクルトで生活していたのだからな。最後の国もアガド人がガルクルトに築いていた。」


アガド人のカヤテは自慢げに顎を上げた。


「何故カヤテが誇らしげなのですか?その、頭の方は宜しいのでしょうか?」


「おい!言い過ぎだぞ!」


「シンカ。おかしくなった頭を治す薬は有るのですか?」


「症状によるな。カヤテの場合は難しい。」


「シンカ!?酷いぞ!私の事そんな風に思っていたのか?」


鼻を鳴らしてよく分からない流れで甘えようとするカヤテの腹直筋を突く。


見事な弾力だった。

カヤテはよく筋肉を揶揄われているが、決して女性らしさを失った体つきという訳では無い。

脚や腕、背や腹が筋張ってはいるがそれも魅力の1つだ。

乳房も尻も平均より稍大きく代謝の良い身体は暖かく触り心地が良い。


「ねえ、そろそろ僕、飽きたな。陽の光を浴びたいよ。」


「同感では有るが少し待て。」


詰まらなさそうに脚をばたつかせるユタを諭してシンカは自身の顳顬を揉み込んだ。


「他には分かったことはないのか?」


カヤテが尋ねる。


「はい。この遺跡近隣、エラム太湖周辺は多くの人が暮らす地域だった様です。高度な政治制度や法体系が確立され、今私たちが使う暦もこの頃できた様です。」


「む。何が凄いのかよく分からんぞ。我らクサビナは勿論、どの様な国家であっても王政による法は定められているし、暦も万民が利用している。」


「では1000年前のクサビナにはあったでしょうか?」


カヤテにナウラが尋ねる。

カヤテは眉間に皺を寄せて暫し考えた。


「・・・難しいな。ある程度の法はあったかも知れんが、今ほど整ってはいなかっただろう。」


「10000年以上前にそれが整っていたのです。様々なものは時の流れと共に少しづつ生み出されていきます。武器も防具も、行法もそうです。ですが、言葉、文字、数字といったありとあらゆる文化的な物がこの10000年前に完成している。私にはこれが異様な事に思えます。ウルサンギア。彼等は何者なのでしょうか?」


「・・・例えば彼等こそが、精霊・・?」


ぼそりとユタが呟く。

ユタの感性は鋭い。

面白い発想だと思う。だがその答えは誤りだろう。


精霊は今尚、有る。

シンカには分からないが至る所にあるのだ。


「ウルク山遺跡では太古の歴史を読み解いた。エラム湖遺跡では太古の文化。次はウバイド谷遺跡か?」


「ええ。すぐに向かいますか?」


ナウラは乗り気だ。


「む。折角西の方まで来たのだ。近隣の国々を巡ることは出来ないのか?」


あれ程迄に落ち込んでいたカヤテだったが今やすっかり各国の漫遊に乗り気であった。


「アケルエントの首都ペルポリスを訪れた後にメルソリアの首都アシルに向かいたいと思っていた。その後、コブシの山中で以前見つけた源泉の側に家を建てて冬を過ごしたい。」


「・・・遺跡には行かないのですか。」


「いいぞナウラ。私達はコブシ。ナウラは中央の遺跡。遺跡での結果は教えてくれ。」


「させませんよ。私はシンカの一番弟子で正妻。シンカの旅に私が居ないなどあり得ないことです。」


「ちょっとぉ。どうしてナウラが正妻なのぉ?私からすれば貴女達の愛など所詮数年程度よぉ。」


「・・ナウラが2年、カヤテが2年、ヴィーが8年。ヴィーも数年の範疇だよ?因みに僕は3年ね。」


「煩いわぁ。私が別格なのは間違いないわぁ。」


「ユタ。貴女は剣と結婚したいのだと思っていました。今からでも遅くはありません。鞘にしておきなさい。」


「あ!酷いよ!言ってる内容も冗談の質もどっちも酷い!」


4人で騒ぎ出す女達。

声が反響し頭痛を感じた。


「行くぞ。支度だ。」


それでもシンカにとっては大切な日々の1つだ。

剣を抜かずに心の赴くまま生きる。

大切な者達と共に歩き同じ楽しみを得る。


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