ファブニーラから東に直線距離で10日の森が開けた平地で鷲の旗印に赤銅色の装備を纏ったエリンドゥイル一族の軍と、牙虎の旗印に黒い装備を纏ったバラドゥーラ一族が熾烈な戦闘を繰り広げていた。


バラドゥア軍本陣で当主ユーロニモス・バラドゥアは戦局に顔を顰めていた。


「…解せん」


短い一言に次男のクヌートが戦盤から顔を上げる。


「確かに。この戦、エリンドゥイルには何の利も無い物です。そもそも彼等の家柄を考えれば此方についてもおかしく無い。王家がいくら軍を動かさないとは言え今のグレンデルが王家に反意を抱いているのは明確な事。其方方に着く理由が見当たりません。それに、この戦闘。断固として我等を進ませんとする意思が伝わって来ます」


最前線の兵士が斬り合い矢に行法が飛び交っている。


雄叫び、歓声、絶叫。


ありとあらゆる念が戦場の中央に色濃く渦巻いていた。


「ビョルン・エリンドゥイルにイグヴェイ・エリンドゥイル…。一体何を考えている?」


ユーロニモスの呟きは戦場の騒音の中に吸い込まれていった。




「到頭始まったわね……」


アウズンブル伯の領都ゾナハンの街で王女ダーラは川面を眺めて呟いた。


川面を死体が流れていく。


その装備は黄や青、赤ではなく赤銅、黒である。

青鈴軍、黄迫軍、赤鋼軍では無く別の部隊の様だった。


「この旗印、エリンドゥイルとバラドゥアの物でしょう」


ダーラの隣で佇むミキスが揺蕩う布切れから所持主を割り出す。


「サンケイの言葉通りならこの死体が龍…曼陀羅龍を目覚めさせるのよね…」


ダーラ達はサンケイを埋葬し、海の見える丘に墓を建てた。

アケルエントでは個人は埋葬後に地下で過ごすと考えられており、墓を持たない個人は悪霊となると伝えられている。


森渡りとやらの習慣は分からなかったが、ダーラ達はサンケイを悪霊にしない為に土葬とした。


「しかし分かりません。今回の内乱は赫兵の謀殺を端として王家に反感を抱いたグレンデルとそれを理由にグレンデルを追い落とそうとするファブニル、権勢が衰え国内にその影響力を見せ付ける必要のある王家。その三者の争いが先のロボク戦線にて不平不満の溜まった北方諸侯と更なる領土を求める中央諸侯まで波及したものの筈。王家に付き従うバラドゥーラが参戦するのは分かりますが、南方のエリンドゥイルが介入する理由が全く見えません」


「それに加えて如何して赤鋼軍は動かないのかしら?レムルバード5世は何を考えているの?…ミキスの言う通りエリンドゥイルも。話に聞く公明正大、忠義の臣であるエリンドゥイルなら1も2も無くグレンデルを攻めそうなものじゃない?」


「…私が聞く限り、近年のグレンデルは王家より苦難を強いられていました。北部諸侯もグレンデルよりはましにしろ何某かの苦難を強いられた結果が今の内乱です。このゾナハンとていつ戦火に苛まれるか…。この様な状況を作り出した王家に対しエリンドゥイルが見限ったとしても不思議はないと言えば無いですが…」


ミキスの主張は理解の出来るものだった。

しかしダーラには一抹の違和感が残った。


「エリンドゥイルとバラドゥアは睨み合って終わると思ってたけど、この調子じゃそう優しい状況じゃないみたいね」


「は」


短く頭を下げたミキスを尻目にダーラは川面に視線を戻す。

ゾナハンの町民が金目の物を死体からから剥ぎ取り、死体自体は埋葬するために舟を川に出している。


曇り空の雲間からさした夕日がイブル川の水面をきらきらと照らしていた。


曼陀羅龍の卵は見つからない。今もディミトリ達が交代で地下水脈に潜り捜索を続けている。


エッカルトはある日突然手を骨折して帰って来た。

理由は述べなかったが女絡みだろう。


人妻に手を出して夫にやられたのかもしれない。

いい気味だとは思ったが、御告げの何に彼が役立つかは分からない。


悠長に手を怪我して腹立たしい気持ちもあった。


しかしエッカルトは一般人からすればかなり腕が立つ部類だ。

相手が分かれば自分達の一行に加わって欲しいとも思う。


エッカルトとの相性は最悪だろうがあんな男がどう思おうとダーラには微塵の興味もない。


焦りだけが澱の様にダーラの心中に積もっていた。

毎晩サンケイの残した手帳を読み返しタナシスやミキスと考察を続ける。


そんな日々だった。


内乱が起こらなければとも考えたがこの調子では直に龍は現れるだろう。


ダーラの心中など露とも知らず、大河は蕩々と流れ続ける。


その流れをダーラは時に見立てた。


無情に蕩々と流れて行く。




三塔中心部の対グレンデル軍陣営の中心、幕舎の中でファブニル当主のシカダレスが声を上げた。


「何と!?グレンデルがエケベルから兵糧を引き揚げているだと?!」


「は。夜陰に乗じ大量の兵糧を運び出しておりました。恐らく昨晩が初めてでは無いでしょう」


「今晩夜襲を仕掛けよ!」


シカダレスは漸く見せたグレンデルの弱みにつけ込もうと声を大にした。


「父上。今の我等にはエケベルを迂回して敵兵站を攻撃する余力はありませぬ。当然敵も夜襲を警戒しているでしょう」


ゼンマが答える。


「しかし敵は何故この時期に引き上げるのでしょうか…」


ケルヴィン・スジルファル子爵が疑問を口に出す。


「黄迫軍最精鋭が近付いている事を察知したからだろう」


グネモ・ファブニルが答える。

ゼンマとケルヴィンが考えて込む様な仕草を取った。


トウヒが率いる黄迫軍最精鋭は予定ではグレンデルの狼の妨害を考慮した上で3日前にはエケベルを挟み込む位置に到達している筈であった。


3日は流石に遅過ぎる。


1日に1度出される伝令も昨日はこの本陣に来ることがなかった。

ゼンマは自分の知らぬ所で何かぎ起こっているのではと考えていた。


そしてその3日後、ゼンマの元に鬼火の隊員が駆け込んで来た。


「申し上げます。王都より赤鋼軍がグレンデーラとエリンドゥイラ北に向けて出陣致しました」


「何だと!?ついに動いたか!」


ゼンマは興奮に立ち上がる。


「グレンデルに向かう部隊は15000。指揮官はグリシュナク閣下で御座います。残る5000はバラドゥア軍の増援と思われます。率いるはウルリク・ヴィゾブニル様」


「これで…これで漸く!」


ゼンマは興奮に肌が泡立っていた。


「……ゼンマ様、つかぬ事をお伺いします。暫くオードラ隊長と連絡が取れませぬ。副長のベルコーサ様とも。何かご存知ではありませぬか?」


ゼンマの背筋に冷水でも流し込まれたかの様な悪寒が走った。


「…オードラには黄迫軍別部隊に合流し万全を期す様伝えてあったが…」


北に向かったオードラ、来たから合流予定のトウヒとウラジロ。

彼等からの連絡が須く途絶えている。


「…まさかっ!?…だが……己っ!己グレンデル!」


ゼンマは己の幕舎、騎乗の墨壺や筆立てを荒々しくかなぐり捨てた。


「…北の隘路に捜索隊を出せ。恐らく北の部隊は壊滅している。……ドウェイン!出陣の準備だ!エケベルを攻めるぞ!」


ゼンマは情勢の急変を当主に伝え、直ぐに軍を動かす。

エケベルから撤退するグレンデルを強襲し打撃を与えるためだ。




イグマエアは晴天下にて激しい戦闘を行なっていた。

エケベルを囲む二重の堀に逆茂木、防壁は高く厚い。


撤退中の青鈴軍からの先の出城や三塔に比べれば緩やかであった。


彼等の目的は撤退。エケベルを死守するつもりは無い。

対して連合軍は可及的速やかにエケベルを制圧し青鈴軍本隊を叩きグレンデーラに引き込まれる前に打撃を与える必要があった。


それを見越した青鈴軍は殿をエケベル内に配置して市街地戦にて連合軍を足止めするべく5度目となるエケベル青黄戦線の戦端が切り開かれた。


至る所に仕掛けられた爆発物がエケベルに侵入する兵士を巻き上げ、市街地での激しい戦闘へと変じた。


大隊長へと昇進したイグマエアは第一師団配下にてエケベル中央部を制圧するべく前線に立つ事となった。


「トリステ!オランシス!シング!ラドゥ!中隊率い市街地東を回り込み敵側面を叩け!エンドリ!カイリカ!エリエット!マディエンは西から!」


イグマエアは自身配下の600、3中隊を12隊に分け中隊長に昇進した部下に指揮させていた。


「レウコス、ミラビリス、クラシカ、カカールは俺に続け!さぁ生き残れば昇進だぞ!」


「大隊長!何であたしは昇進しないんですか!?」


叫んだ兵卒のディギータはシングに頭を叩かれてそのまま引き摺られて行った。


「お前、昇進させたらころっと死にそうだからさ……さあ行くぞ!」


前方には既に多数の死体が転がっている。

イグマエア大隊より先んじて進軍した第三強襲大隊である。


「大隊長!俺も到頭大隊長ですかね?」


冗談めかしてレウコスが笑う。


「不敬ですよ。イグマエア様に肩を並べようとは」


「その辺にしとけ……進め!」


家屋の窓から発射される炎弾に対し鋼の盾を掲げて前進を開始する。

激しい爆音が至る所で発生する。

イグマエアは前傾になりつつ腕を組み周囲に指示を飛ばす。


「耐えろ!住宅街まで進み混戦に持ち込め!敵は少数の筈だ!…糞、行法の威力が強すぎる…。盾を抜かれたら被害が広がる!複数人で維持しろ!」


「イグマエア様!大隊長がこれ程前線に居ては何かあった時!」


ミラビリスが引き留めようとするがそれを無視する。

イグマエアには机上の盤面を見て指示を出す様な器用な真似は出来ない。

つい先日まで10人を率いるだけだった人間だ。

泥臭いがこれがイグマエアの戦い方だ。


「ミラ、敵の指揮官は?」


「不明です!」


「レウコス!押し込め!空いた穴はすぐに塞げ!」


大きな火球が前衛の足元に着弾し数人が吹き飛ぶ。


「ああああああああああああっ!?」


「…足がっ!?俺の足がぁ!?」


「医療隊は何処だ?!糞ちびって蹲ってるのか?!ツベロ!お前んとこで塞げ!」


「此方で引き付けなければ回り込んだ別働隊に攻撃が向かいます!挫けず前へ!」


レウコスとミラビリスが兵を鼓舞して前に進む。


「クラシカ!弾幕を張り敵攻撃を緩和しろ!カカール!防御行法で前衛を支援!前衛がやられればお前らも全滅だ!」


此方の風行法が敵の潜む家屋にぶつかり敵の攻勢が緩む。

その隙にカカール中隊が風流陣を行う。


「前進!味方がやられても怯むな!進め!進めえ!」


近くに敵の炎弾が着弾する。

舗装路と共に数人の部下が上空に飛ばされて、回転しながら落ちる。


脚が捥げ、腹が破れ門前広間を赤く染めていく。

敷き詰められた床石の合間を鮮血がなぞりつつ広がっていく。


多少の被害を出しながらも漸く市街地へ辿り着いた。


「左右からの攻撃に備えて盾を展開!先ずは中心部の広場を制圧する!レウコス!中心地手前の尖塔を制圧しろ!制圧後はクラシカに引き継ぎ塔から中心地制圧を支援!クラシカ!ケーベンを連れて行け!」


「分かりやした。ちょっくら奴ら躾けてきますわ。ツベロ!ベティオ!シクロ!エキナ!尻に着きっぱなしの厠紙みたいにくっついてこいよ!行くぞ!」


「ナターレ、ゼロン、アッペン、プロト、オレア。レウコス隊に続くぞ」


カカール中隊が一斉に行法の弾幕を張りレウコス隊、クラシカ隊の援護をする。


100人の兵士達が通りを素早く駆けていく。


「ミラ!家屋を順に制圧しろ!カカール隊はミラビリス隊の援護!」


左前方の屋根からイグマエアに向けて炎弾が飛来する。


しかしカカール隊のユーリスが張った薄布がそれを防ぐ。

耳をつん裂くような爆音だけがイグマエアを襲う。


「お怪我は?!」


「無い!進むぞ!カカール!ユーリス小隊を連れて行く!ユーリス!周囲を警戒しつつクラシカ隊を追う!続け!」


イグマエアに10人が続く。

進み始めてすぐに家屋から炎弾が2発放たれる。


「家ごと押し潰せ!北北西方向屋根の上に行兵!防御だ!」


再び爆音に苛まれる。

行兵2人が堕龍で南西の家屋を押し潰す。

イグマエアは両手を突き出し屋根の上の青鈴兵に向けて鎌鼬を放つ。


風の刃は青鈴兵の左脚を斬り飛ばす。

体勢を崩した青鈴兵は転がり落ちて通りに墜落した。


「くっ、グレンデルに栄光あれええええええええ!」


倒れたまま敵は手を振るう。


「防げ!」


爆風と共に灼熱した肉片や骨片が吹き飛ぷ。

全て薄布に防がれ被害は無い。


「糞、何て奴等だ…。他の味方は何してる?!敵は窮鼠だ!油断してると1人で10人は持って行くぞ!連隊長に増援の要請をしろ!」


「大隊長!第三歩兵連隊長は青鈴兵に組み付かれて爆散しました!」


生真面目にユーリスが答える。


「本当か!?俺はまた昇進か?!」


「は。第三歩兵連隊麾下の大隊長は既に2人死亡しております。可能性は高いでしょう!」


「俺、大隊長でいいんだがなぁ。偉くなるとすぐ標的にされるからなぁ。兜の黄色い羽根、ちょっと抜いてくれない?青鈴兵、これ目掛けて襲ってきてるよね?」


「は。仰る通りかと!巻き添えはご勘弁下さい!」


イグマエアの兜は大隊長が着ける物で、頭頂に鮮やかな黄色の羽根があしらわれている。


「お前の兜と交換しよう」


「恐れながら、お断りさせて頂きます!身分詐称は軍規違反であります!」


「硬い。硬いぞユーリス!そこを何とか!」


巫山戯ている間に通りを5人の青鈴兵が横切る。

駆けながら巨大な炎弾を放ち反対の路地に駆け込んでいった。


5発の巨大な炎弾は2発をユーリス隊の薄布で防ぎ、残る3発をイグマエアの岩戸が防いだ。


その時街の東側に二つ目の太陽かと見紛う程の眩い明かりが起こる。


巨大な火球、火行法・写し陽だ。


南側の戦の音が一瞬止んだ。

直後耳をつん裂く爆音が駆け抜けた。

絶叫が東側から聞こえて来た。


「……写し陽……建国戦争時にグレンデルの大行兵、セルワル・グレンデルが行ったと伝承になっている……。使える者がいるのか…」


唖然として呟く。


「イグマエア様…南側の諸侯軍は……」


「分からん!だがこちらから増援は出せん!」


駆け寄って来たミラビリスにイグマエアは答える。

各師団の騎兵連隊と戦車連隊はエケベルを迂回し撤退する青鈴軍の尻を狙っている。


黄迫軍の歩兵連隊と諸侯軍、雨月旅団にてエケベルの制圧を進めているが、三軍とも連日の戦闘で既に襤褸雑巾の様に青鈴軍に打ちのめされている。

指揮は低かった。


エケベル中心に向かい周辺家屋を制圧しながら侵攻する。


「なかなか気概のある部隊だなぁ!」


低い女の声が聞こえた。


いつの間にか通りの真ん中に牙虎の面を付けた黒尽くめが立っていた。


体型で大柄な女だと分かる。

三塔砦を攻めた際に味方を吹き飛ばした女だ。


「ミラ!黒尽くめだ!手練れだぞ!扇状に包囲し牽制!行法を行わせるな!」


「は!グローサ!バンデリ!其々左右に展開!発動の早い行法で牽制!防御も怠らないで!」


「ユーリス!俺についてこい!家屋を回り込んで奴を背後から狙う!」


「お前!この前東塔を落とした指揮官だな!天下の黄迫軍の名が泣く腰抜けばかりで辟易してたんだ。あたしを楽しませてみろ!」


口上が終わると同時に女は爆ぜた。

鉄棍片手に低く走る。


「グローサ!フィシス小隊に伝令を送って此方に手を回させて!バンデリ!牽制して近寄らせないで!接近されたら終わりよ!」


「ミラ!持ち堪えろ!無理はするな!命あっての物種だぞ!」


素早く狭い路地に駆け込む。


「大隊長!小官が先導します!」


「煩い!俺の尻を見てろ!出しゃばるな!」


「は!尻のどの部分でしょうか!?」


「割れ目に決まってるだろ!」


路地を駆けて進み家屋の角を曲がる。

正面に青鈴兵が3人見えた。


「糞!撃退する!狭くて1人しか戦えん!ユーリス!右の家屋に入って背後に回り込め!」


イグマエアは正面から駆けてくる兵士に斬りかかる。

敵は千剣流。強い迎撃で弾き返される。


「雑兵がこの練度!…流石青鈴軍…」


激しい斬り合いが始まる。1人が左の家屋の窓を破り中へ飛び込んだ。


「ユーリス!そっちに1人行ったぞ!ウェル!援護しろ!」


背後でユーリスの部下ウェルが地に手を着く。

路地が鋭く隆起しイグマエアが斬り合っていた男が貫かれる。その背後にいた男は躱すが足が貫かれる。


体勢を崩した隙にイグマエアは駆け寄り首筋の鎧と兜の隙間に剣を突き立てた。


だが家屋の窓から矢が放たれる。

矢は立ち上がろうとしていたウェルの顳顬に突き立つ。


ウェルは勢いのまま壁にぶつかり崩れ落ちた。


直後木製の家屋を打ち破り青鈴兵が吹き飛ばされて来た。

その身体は鎧の上から袈裟に斬り払われ、血を流していた。


「……っ……かっ………く……」


敵は直ぐに息絶えた。


「……行くぞ、ユーリス」


「……は」


嫌になる。

敵を殺すのも味方が死ぬのもうんざりだ。

イグマエアは口にせずにそう考える。


しかし自分はこの時の為に入隊して以来ずっと俸禄を与えられて来たのだ。兵士としての俸禄は享受し、しかし戦は厭うなど筋が通らない。


ならばせめて部下を守る為に死力を尽くすしか無い。

それでもこうして欠けていく。


小隊長となり部下となったレウコス、ミラビリス、ケーベン、ディギータ、ファシクラ、ツベロ、オランシス 、シング、カイリカの9人の内、既にファシクラが戦死している。


家屋を回り込み牙虎面の女の背後に駆け出る。

ミラビリス隊は粘っていた。彼等の足元には5人の黄迫兵が倒れている。敵にやられたのだろう。


イグマエアは練っていた経を女の上空へ放つ。

経は周囲の空気に干渉し集め、凝縮し、イグマエアが両手を突き出すと共に下方へ空気の塊が打ち下ろされる。風行法・空錐である。


イグマエアは女の死角から行法を行った。

しかし女は振り返る事も、上空を確かめる事もなくそれを躱した。


石畳の一つが空錐により罅割れた。


「畳みかけなさい!味方に当たらない様気を付けて!」


全方位から行法が放たれる。しかし女は全身に目が付いているかの様に悉く躱された。


「どうなってる?!背中に目でも付いているのか?!」


イグマエアの疑問に女は笑う。


「十指が1人、このエンリがそんな児戯で捕らえられると思うなよ?」


エンリ。聞いた事がある名だ。

斜陽のエンリ。十数年前のクサビナ包囲戦線の折にガルクルトとの国境付近にて寒村を兵士の襲撃から守り切ったとされる女戦士の名だ。


その話からイグマエアは彼女を義に厚い人物と考えていた。


自分はその義に厚いと言われている相手と戦っている。自分達のしている事が義に反する行いであると突きつけられている気分になる。


いや、そうなのだろう。政治の事は分からない。だがグレンデルが悪事を行った話はとんと聞かないのだ。


イグマエアは人知れず奥歯を噛み締める。


「ミラ!ユーリス!法の密度を上げろ!」


エンリがイグマエアに向けて突進する。

ミラ中隊とユーリス小隊が法で動きを妨げようとする。


しかしエンリは土槍を飛び越え、空砲を避け、岩戸を打ち壊して進んだ。


「イグマエア様!?」


ミラビリスが叫ぶ。


気付けばイグマエアの目前で大柄な女が鉄棍を振り被っていた。

受け切れない。そう判断する。転がる様に躱す。

其処へユーリスが突きを放つ。喉元を狙った突きをエンリは首の動きだけで躱した。


「援護を!」


ユーリスは王剣流剣技で敵の強打を逸らしているが推されている。

しかし味方が援護で行法を放ってもするりと躱される。


イグマエアも直ぐに立ち上がり加わるがその刃はエンリの鉄棍に阻まれて届かない。

包囲網が崩れた。


「じゃ、そろそろあたしは行くぞ。じゃあな!」


エンリの周囲を囲う様に炎の膜が半球状に覆う。


「防御!」


岩戸が隆起する。イグマエアはユーリスと彼女の部下1人の腕を引っ掴んで岩戸の影に転がり込んだ。

エンリの姿が岩戸に隠れて見えなくなる。

直後爆音と振動がイグマエアを襲う。


火行法・赤卵破せきらんぱ


イグマエアはその名を知らないがその法はそう呼ばれていた。


岩戸の影に隠れていた殆どの者は難を逃れた。しかしユーリス隊の2名が吹き飛ばされる。


彼等はその衝撃で命を失ったのか身体が燃えても叫ぶ事はなかった。


「糞!なんで…」


なんでこれ程強い敵を相手にしなければならないのか。

言葉は続かなかった。

起き上がると既にエンリの姿は無かった。




その頃エケベル市街地西方ではアシャ率いる雨月旅団が青鈴軍の殿と戦闘を繰り広げていた。

抵抗は激しく此処まで損耗少なく進んで来た雨月旅団であったが苦戦を強いられていた。


「しかしファブニル一族の執念には恐れ入りますね」


「……」


スプンタの軽口に視線だけを返す。

直後頭上に経の気配を感じる。


「土行兵、天幕を」


石畳が大きく変形し茸の様に迫り上がる。

強い圧が加わり土行法・天幕が破壊されるが人的被害は無い。


「家屋の制圧は進んでいるか!?」


ハウルトが叫ぶ。


「恐れながら申し上げます!敵兵の姿が確認できません!」


「…撤退したか?…斥候を放て!罠かも知れん!連絡が取れない者が出た場合直ぐに報告せよ!」


アシャの指示に答えてスプンタとハウルトが配下を動かす。

クシャラは先日の出城爆破の負傷にて療養中である。


「申し上げます!この先に黒尽くめの男、恐らく老人が2人で道を塞いでおります!」


「なに?」


アシャはハウルトと護衛を引き連れその場を目指す。

馬に乗って通りを進むと確かに黒尽くめが2人立っていた。


垣間見える頭髪は茶にかなりの白髪が混ざっており、老人であると予測できたがその背筋は伸びており歳を感じさせなかった。


「何者だ!」


アシャは声を上げる。


「儂等の出自などどうでも良かろう?」


朱雀座に穴が開いた仮面を着けた総髪の老人が深い声音で答える。


「然り。主らと儂らはただの敵よ。名など不要」


大鰍座に穴が開いた仮面を着けた髪油で頭髪を背後に撫で付けた老人が続ける。


「何故2人で道を塞ぐ!高々老いぼれ2人で2万の軍勢を防げるとでも思うてか?!馬鹿にするな!」


アシャの怒声に2人の老人はほっほと嗤う。


「儂と一騎討ちをせんか?儂を倒せれば此処は大人しく退いてやるぞ?」


総髪の老人が薙刀を一振りし石突きを地に打ち付ける。

甲高い音が辺りに響く。


「面白れぇ!大将、俺がやる!高々爺い風情血祭りに上げてくれるわ!」


ハウルトが吠えて馬を降りる。側仕えに持たせていた槍を受け取る。


「待てハウルト。奴は手練れだ。相手の思惑に乗るな」


「大将、分かるだろ?こうまで虚仮にされて退けば部下の人心が離れる!老人の一騎討ちを受けなかった弱腰だってな!」


ハウルトは血の気が多いがその内容は正しかった。

受けざるを得なかった。


「春槍流礼位、ハウルト!」


「春槍望槍徳位、リクゲン」


リクゲンと名乗った老人は啄木鳥の構えを取り薙刀を一度しごいた。


対してハウルトは穂先を地面すれすれに向け左脚を大きく前に出す懺悔の構えを取った。

雨月旅団の兵士達が見守る中、2人はじりじりと爪先の動きだけで距離を詰めた。


優に十六半刻もかけ、距離を詰めた。

先に敵を間合いに捉えたのは体格の良いハウルトであった。


爪先をじりじりと動かしながら突如穂先を跳ね上げた。


予備動作の無い鋭い突きであった。

常人であれば一刺しで命を奪われるそれを老人、リクゲンは最小の動きで捌き即座に反撃する。


空を切り唸る様な一撃であった。

ハウルトは柄でその突きを捌く。


「っ!?」


だが捌き切れず左肩を裂かれて出血する。

老人の力とは思えなかった。

リクゲンは立て続けに三撃の突きを放ち、全てをハウルトの身体に掠らせた。

そして一際強く踏み込むと激しくハウルトの槍を突く。


「まっ!?」


そして素早く薙刀を頭上で振り、首筋へ向けて薙ぎ払った。

ハウルトの首はあっさりと刎ねられ、明後日の方向に転がった。


リクゲンは身体の左右で薙刀を回転させ血糊を払うと今度は右脚を前、薙刀を正眼に構える。


「次は誰だ?」


朱雀座に開いた画面の孔の内2つの内より見据えられ、雨月旅団員達は慄き一歩下がった。

ハウルトは雨月旅団に於いてアシャと同程度に腕は立つ。


「儂も久方振りにやるかいのぉ」


もう1人の老人は剣を抜く。

老人が振れるとは思えない厚い刃の両手剣だ。


「討ちとれ!ハウルトの仇を討つのだ!」


二十の兵士が雄叫びを上げて駆け出した。


「舐められた物よ。儂等が爺いだからと高々20で。目に物見せてくれるわ。のお?ゲンよ」


「然り。弱き者を痛ぶる趣味は無いが、降りかかる火の粉は払わねばならん。やるぞ、ウンハ。治療は任せよ」


きっ、と甲高い声でウンハと呼ばれた老人が牙を向いた。

地に伏し四肢を地に着く。

右手には長大な剣を持ったままだ。


「がああああああああああああああああっ!」


吠えた。

爆発的な勢いで獣の様に地を駆けた。


左手の指先に嵌められた爪で地を掻き更に推進力を得て戦闘を駆ける黄迫軍兵士に飛び掛かった。


不意を突かれた兵士は左の爪で喉を掻き切られる。


ウンハはその兵士の胸を蹴って飛び上がり、不潔な音を立てて痰を吐き出す。


吐き出された痰は膨張し広がって周辺の兵士を絡め取った。


「らぁ!」


落下しながらウンハは剣を振るい、身動きが取れない兵士を1人縦に斬り裂く。


「相変わらず汚らしい戦い方よのお。美しさが無いわい」


美しさすら見て取れる槍捌きでアシャの兵を突き殺していく。


「ゲン爺!膝がっ!膝が取れるっ!?」


「そりゃもう若く無いんじゃからそんな動きしとったら膝やら腰が死ぬのは自明じゃろがい」


巫山戯た老人2人だったがその力量は疑うべくも無い。


「っ、退け!本隊と共に進むぞ!」


瞬く間に半数を削られアシャは一度本隊の元まで引き返す。


しかし兵を進軍させた先には既に老人の痕跡は見当たらなかった。




エケベル南方を攻略するのはヴィゾブニル侯を筆頭とした諸侯軍であった。

激しい抵抗に諸侯軍の士気は見る見る挫かれ市街地入口付近で既に立ち往生していた。


ケルヴィン・スジルファル子爵はヴィゾブニル侯率いる主力部隊の前衛として配置され進まぬ行軍にやきもきしていた。


「…もう諸侯軍には体力が無い…何時迄ファブニルに付き合うつもりだ…。然りとて私だけが離脱すれば戦後に支障が出る。何と無意味な戦なのだ…」


ケルヴィンの目から見てファブニルのグレンデルに対する感情はまさに妄執。

部外者でしか無いケルヴィンからすれば憎しみすら抱くに足る。


ヴィゾブニル侯にしても同じ事だ。

余りの被害に何かを得る迄引くに退けなくなった。何かを得る迄引く事が出来なくなったのだ。


付き合わさせる此方はいい迷惑と考えていた。


しかし戦わなければならない事実だけは変える事は出来ない。


散発的に繰り出される強力な行法を防ぎつつにじり寄る様に前進する。

手練れの行兵が市街地に潜んでおり巧みに進軍をさまたげられていた。


「グラントル!矢尻の陣を敷け!側面の防御を厚く!進め!」


巨大な火球が上空に浮かぶ。


「……なんだ……あれは……」


太陽かと見紛う程煌々と輝くそれが前線へ飛ぶ。

大柄なグレンデル一族の女が3階建ての家屋の屋根の上で髪を靡かせ高笑いをしていた。


放たれた火球が着弾し最前線の諸侯軍を吹き飛ばした。

ホープニル子爵の軍勢である。

恐らく無事では済むまい。


「…あの女は?」


「ダフネ・グレンデルでしょう」


グラントルが答える。


「火矢のダフネか……あの家屋を崩して仕留めよう」


グラントルが直ぐに動く。


「ブレダン!隊を率いて東側から回り込み家屋を倒壊させろ!ダフネを仕留めてこい!此方で引き付けておく!ゴドフル!ダフネの立て篭もる建物に通り側から攻撃を仕掛けろ!」


二隊が動き出す。

ダフネ・グレンデルを討ち取る事ができれば味方の指揮は大いに上がるはずだ。高い屋根の上でダフネは槍を屋根に突き立てて身体を固定し、右手を振る。


上空に火球が5つ現れ降り注ぐ。

ゴドフル隊は懸命に防ぎ、兵を失いつつも近付いてダフネに攻撃を始めた。


その間にスジルファル軍は他の家屋を制圧しつつ市街地を侵攻し始めた。


ブレダンは隊員数十名を引き連れて屋根で火行法を放ち続けるダフネの背を目指して素早く進んだ。


ダフネが此方を振り向く事はない。

遮蔽物に身を隠しながら此方の射程圏内まで進み合図を送る。


進む間に練られた経で屋根と家屋へ向けて様々な土行法が放たれた。


ブレダン自体が放った岩御手杵いわおてぎねはダフネの背に迫った。


だが岩の巨大な槍がダフネを貫く前に岩の壁が立ち上がりそれを防いだ。


気付けば家屋はその見た目を変えていた。

まるで崖であった。

土行法は悪戯にそこに当たり砕け散った。


気付けば狼の面を付けた黒尽くめの男が佇んでいたのだ。


「あら?助かったわクウハン。お陰でまだ闘えるわねぇ?」


クウハンと呼ばれた男は無言で素早く家守の様に這い降りブレダン隊の前に立つ。


「……」


無言で両拳を握り顎の前で構えた。

身体は鈴剣流振り子の構えの様に揺れている。

拳には金属の刺付きの拳当てが嵌められている。


「…1人で50を…?……死兵か?」


呟いたブレダンの頭部は数舜後にはクウハンの拳によって破壊されていた。


クウハンは挙動を最小限に抑える事で攻撃を視認し辛く調整していた。

ブレダン隊は頭を失うや否や立て続けに5人が頭部を破壊されて命尽きる。


「狼面……駄目だっ!やられる!ひっ、ぶ……」


「何だ?!何なんだっ?!こ……」


「防げっ!固まって………う?」


一体に急に風が吹き始めた。

ブレダン隊の面々が見れば狼面の男が両手を突き出していた。


「っ!?退けえええええええええええええええ!」


1人が叫ぶが遅い。

風が渦巻きその範囲内を斬り刻む。

風行法・錐揉み赤乱花である。


瞬く間にブレダン隊は葬られる事になった。

ケルヴィンは強大な経の気配にブレダン隊の敗北を悟った。


依然としてダフネの火行法は猛威を奮っている。


「っ、ゴドルフ!ダフネ・グレンデルの攻撃を抑え続けるんだ!本隊はその隙に此処を通過!ダフネは捨て置け!」


言葉の通りダフネの攻撃はゴドルフ隊に阻まれ、追うに追えず残置される事となった。




イグマエアはエケベル中心地に漸く到達し敵勢力を撃滅するべく橋頭堡を築こうとしていた。


「押し返してくるぞ!レウコス!防備を固めろ!」


「奴ら、撤退戦にかける意気込みですかねこれ?侵攻戦並みだ」


この分では黄迫軍本隊が青鈴軍本隊に追いつく事は出来ないだろう。


これまでの事を考えればエケベルに不用意に踏み込むことも危険である。


故にイグマエア達は十分な支援無く侵攻し、こうして守っているのだ。


「ミラ。隊の被害は?」


防衛部隊を配置し終えたミラビリスが此方を振り向く。


「は。配置は終わりました。しかしイグマエア様の大隊のみで防衛は厳しいのでは…?何故本隊は増援をくれないのですか?!」


「どうも他の強襲大隊は軒並み甚大な被害を被り、大隊長や中隊長も多く殉職したらしい。伝令が言ってた」


「しかし…しかしそれでは…イグマエア様の御身が……」


「そんな大したもんじゃ無いと言ってるんだがなぁ」


イグマエアはファブニル一族の血を引いている。

しかし傍流もいいところでファブニーラの御岩に対する信仰心も無ければ、ファブニル当主に対する忠誠心も無い。


生まれ育ったのは村である。ファブニル領の中でも辺境に位置する貧しい村だった。


イグマエアの父母はそこらの民と同じく森を退ける為、生きる為に大地を耕した。夜は樹々の種を撒く猿どもを追い散らし、命をすり減らした。


次男であったイグマエアは貧しい村の為に兵士となった。


経の扱いや腕っ節は村の中でも飛び抜けていた。黄迫軍でやっていく自信はあった。


ミラビリスはイグマエアの乳兄妹であった。


イグマエアにとって自分の血族は偶々ファブニルの血を引く程度の村を取りまとめている一家に過ぎない認識だったが、比較的敬われていたという事実は村を出てから気付いたものだった。


イグマエアの兄、次期村長は傲慢な性格だった。

腕で負けているイグマエアの事は避けていたが、周囲の人間に対する当たりの強さは見るに耐えないものがあった。


イグマエアは兄から村人を守る役回りをしていた。

だからそれは必然だったのだろう。


幼い頃から気立ての良かったミラビリスをイグマエアが守る事になったのは。


美しく育ちつつあったミラビリスを兄は手篭めにしようとした。

僅かな悲鳴を聞き取り駆けつけ、納屋でミラビリスを押さえ付ける兄を半殺しにした。


気位の高い猫の様だったミラビリスは以来イグマエアの後を着いて回る様になった。


彼女は結局ファブニーラにも付いて行き、今はこのエケベルにも同道している。


一兵卒として入隊した。当時はクサビナ包囲戦が終結して1年も経っておらず、入隊は容易であった。

イグマエアとミラビリスの初陣はガルクルト貴族とバラドゥアの小競り合いに増援として赴いた折だった。


魍魎退治で戦った事は多々あれど、戦さ場の空気は腸を下に引かれる様な独特の緊張感があった。


しかし戦場の空気は肌で感じられたものの、剣すら抜く事なく終わった。


初めて人を斬ったのは4年前のクサビナ・ロボク戦線の折りだ。


ロボクに釣られて南下したマニトゥーと戦い、15人の兵卒と2人の部隊長を斬った。


それが手柄となり小隊長に就任したのだ。


自分は良い。だがミラビリスがこの道に足を踏み入れた事には罪悪感を持ち続けていた。


あの時、自分が彼女を助けなければと。

兄は美しいミラビリスを手放さなかっただろう。村で村長の妻として子を産み育て、病に倒れる迄生きただろうと。


しかしそんな想像も村が森に飲まれた為終わる事となった。

父も母も兄も。誰も助からなかった。


イグマエアとミラビリスしか残らなかったのだ。


攻撃が始まる。

火球が岩戸にぶつかり下腹まで震わせる轟音となって響く。


ずっと迷っている。

自分は何の為に生き、何を為して死んで行くのか。

己の意思など介在しない生であった。

惰性で人を斬り、流されるまま剣を振るう。


「イグマエア様!敵攻撃予想以上の激しさです!」


「壁を補強!持ち堪えろ!別働隊の到着まで何としても持ち堪えろ!レウコス!クラシカ隊に伝令!塔から敵を牽制!近づけさせるな!」


広場に侵入しようとする青鈴兵を矢や行法で狙撃させる。


「イグマエア様……出ました!黒尽くめです!」


ミラビリスが指差した方向に戟を構えた白髪まじりの黒尽くめが立っていた。

精巧な狸の面をしている。


他にも10人。

彼等は狸面の素早い手信号で動き始める。


「手練れだ!クラシカに伝令!黒尽くめを近寄らせるな!こちらからも法を放ち牽制!足を止めろ!レウコス!北から新手!対応しろ!カカール!南を警戒!ミラは西!遮蔽物に身を隠し攻撃を避けろ!敵の目的は足止めだ!此方の制圧が目的では無い!分隊の到着まで息んで耐えろ!糞漏らすなよ!」


叫んだ直後激しい砲火が始まった。

イグマエアは壁に隠れ、離れた塔を見上げる。

塔から行法が降り注ぎ青鈴兵を殺害している。

敵からの砲火が弱まる。


「良いぞ…」


一人呟く。


「大隊長!北からの攻撃激しいですがどうします?!」


「耐えてもらうしか無い!黒尽くめに注意しろ!出来れば捉えて画面引っ剥がして素性を問いたいが…」


「欲をかかんでください!」


此方に攻め寄る銀鎧に青い装飾の兵士達を水際で防ぐ。


「寄せ付けるな!何としてでも防げ!1人でも抜けられれば自爆されて穴が開くぞ!」


イグマエアは自身も青鈴兵を殺しながら叫んだ。

ケーベンは塔の上で狙いを定め、次々に矢を放っていた。


その矢は全て青鈴兵を的確に射抜いていた。

周囲の行兵達も懸命に法を放ち広場に乗り込まれるのを防いでいた。


矢を取り番え、構えて放つ。

隊長と思われる男の喉に矢が刺さる。


矢を取り番え、構えて放つ。

行兵の眉間を射抜く。


矢を取り番え、構えて放つ。

黒尽くめの肩に矢が刺さる。


ケーベンは手を止める。

これほどの距離が離れていてもその男と目が合ったのが分かった。


狸の面を付けた白髪まじりの男だ。

ケーベンは背筋を粟立てた。


矢を取り番え、構えて放つ。

男の胸を狙った矢は刺さる直前で掴み取られた。


代わりに巨大な火球が打ち出された。


「……ファシクラ……すまん…」


喘ぐ様に言葉にする事しか出来なかった。




クラシカ隊が詰めていた塔の上部が爆散した。

イグマエアはその光景を見上げていた。


「クラシカ隊の残存兵力を確認!頭上からの支援が減る!留意せよ!」


ケーベンやクラシカ、その他多くの行兵が死傷しただろう。


「大隊長!増援まだですかい?!」


「俺が聞きたいわ!何時迄母ちゃんのおっぱい吸ってる気分でいる!?自分で考えろ!」


「俺の母ちゃん馬鹿にするとは大隊長と言えども許しませんぜ!あと母ちゃん以外のおっぱいは大好きですわ」


「レウコス!イグマエア様に逆らうのですか!」


「……ちょっと武器向けんなよ冗談じゃん…やだ瞳孔開いてる…」


やりとりをしながらも戦闘は続く。


駆け寄ってくる敵兵の首を刈り取り経を練る。


「三方向からの圧迫は耐えられんか…止むを得ん!広場入り口まで撤退するぞ!レウコス!塔の中に残る部隊を吸収しろ!ミラ!強固な防衛線を築き撤退を支援!カカールはレウコスとミラの援護!急げ!」


イグマエアの指示を受け大隊が後退を始める。


「奴等馬鹿か?!撤退戦に力みすぎだろう!」


飛来した炎弾を回避してぼやく。

広場の西側入り口に向けて防戦しつつ移動する。

ミラビリス隊は部隊に被害が出ない様懸命に防戦していた。



レウコスは部下に指示を出しつつ塔へと急ぐ。

塔の上部は破砕されているが、崩れず残った場所から行兵が懸命に応戦している。


彼等を連れて撤退しなければ見捨てたことになる。

レウコスは味方を己の命の為だけに捨て去れる程落ちぶれてはいないと己について考えていた。


「ツベロ!隊を半分寄越せ!中を確認してくる!シクロ!エキナ!北を牽制!ベティオは支援だ!」


言うや否やレウコスは塔へ飛び込んだ。

螺旋状の階段を駆け上がり小窓から法を放つ黄迫兵に撤退する様怒鳴る様に声を掛けた。


塔の上部にはぽっかりと青空が広がり遺体の隣で数名が法を放っている。


「撤退するぞ!広場の西で防衛線を築き直す!撤退しろ!」


数名を引き連れ塔を下る。


「ツベロ!先に退け!シクロ隊、エキナ隊に合図を送れ!ミラビリス!此処は俺が受け持つ!微速後退してくれ!」


敵の包囲網が迫る。

その時狸面の男が頭上に巨大な火球を掲げた。

放物線を描いて上空に放たれたそれは突如猛烈な勢いで落下する。

火行法・赤鍛接あかたんせつ


落下地点が広範囲で爆発した。

ツベロ隊に直撃であった。ツベロ隊は半数が生き残り、防衛も何も無く駆け散った。

爆煙の中から兵士達が駆け抜けて逃げていく。


「うおおおおおおおおおおおおおっ!」


そして雄叫びと共に青鈴兵が現れた。


煙の中から湧き出る様に現れた複数の青鈴兵がエキナ隊とレウコスに襲い掛かった。

周囲が剣劇の音に包まれる。


「ツベロ!ツベロはいるか?!ツベロ隊は俺の指揮下に入れ!ツベロ!」


爆煙が晴れて周囲が目に入る。

多くの死体の中にツベロの物もあった。


「……。後退しろ!防ぎきれん!下がれ!」


レウコスは正面から斬りかかって来た敵と斬り結ぶ。

若い敵だ。しかし強い。

その剛剣はレウコスの手を痺れさせる。

しかしレウコスとて既に30年は戦場に身を置いた戦士である。

応剣で斬撃を受け流し機械を図る。


「らああああああああああああっ!」


竹割の一撃を斜めに剣を構えて弾き胴を薙いだ。

銀色の鎧の胴が斬り裂かれ、その裂け目から血が漏れ出す。


「……ぉ……エリヤス……さま……かたきを……」


敵兵は崩れ落ちる。

すかさずレウコスは喉元にとどめを刺す。


「ダン!?己!」


同じ歳程の男がレウコスの部下を1人斬り捨てて躍りかかって来た。


「がああああああああああああっ!」


獣の様な雄叫びと共に強烈な当たりでレウコスに斬りかかる。

上段からの連撃を後ろに下がりながら捌いた。

徐々に民家が近づいて来る。


「ああああああっ!エリヤス様、ラビ、ダン、俺に力をっ!」


若い男が突進する。

剣で打ち合うがそのまま勢いで民家の壁を突き破り屋内に縺れ合って転がり込んだ。


床に転がったまま隣に転がる敵に剣を打ち付ける。

しかし相手も横になったまま剣で防ぐ。


レウコスは素早く起き上がりそのまま力を込めた。擦れ合い、お互いが込めた力で震える2本の剣。

少しずつレウコスの剣が敵に近づいて行く。


「ああああああああっ!」


しかし男は気合いと共にレウコスの剣を大きく押し返し、その隙に転がって距離を取ると立ち上がった。


レウコスは男に斬りかかる。防がれるが敵を激しく壁に叩きつける。


鍔競り合い揉み合いになる。


家屋の中で暴れ回り互いに壁に幾度もぶつかる。


レウコスが7度目に壁に背中から打つかる。しかし直ぐに敵を蹴り付け距離を取ると直ぐに斬りかかる。


相手は剣で防ぐ。


しかし体制を崩しており十分な力は篭っていなかった。

剣は弾かれ男は袈裟に切り裂かれた。


「っ……ぁ……」


大きな音を立てて崩れ落ちた。

床に溜まった埃が舞い上がる。

日差しに照らされはっきりと一つ一つが見て取れた。


レウコスは留めを刺す為振りかぶり、斬りつける。


「っ、あ?」


レウコスが振るった剣は家屋の梁にめり込んでいた。


「っ」


横たわる敵が床と水平に剣を振るった。

レウコスの左足首が切断され、木板の床に転がった。


敵は倒れたレウコスの喉元に短剣を突き立てた。


「……ダン……仇、取ったぞ……」


そしてそのまま目から光を消した。口角から粘度の高い唾液混じりの血液が滴っていた。


見事な執念だった。


レウコスは喉元を抑える。次から次へと血が溢れ、止まる事はない。


身体が冷えて震えが止まらなくなる。目が掠れて目の前で息絶えた若い男の顔が滲んでいく。


早く家に帰って秘蔵の黒糖酒を温めて飲みたい。

最後にそんな事を思いレウコスの意識は途絶えた。




ミラビリス隊とレウコス隊の奮戦で致命的な打撃は避けて広場西入り口までイグマエア大隊は撤退した。


其処で厚い防衛線を築いた。


「何?……レウコスが?………そうか……」


防衛地点から北側の民家でレウコスの遺体が発見された。


ケーベンも死んだ。ツベロも死んだ。

彼等は善良だった。

軍規違反も無ければ略奪も行わない。


人を殺した者の定めを感じた。


精霊は人の行いを見ており、例え戦場であっても罪を侵した者を赦さない。


イグマエアにはその様に感じられた。


好き好んで戦争に参じてなどいない。

生きるために仕方のない事だ。敵の前で平和を説くなど自害に等しい。


もう嫌だ。

イグマエアは心中でそう慟哭した。


それでも身体は剣を握り振り払い、指示を出し続けている。

心が張り裂けそうだった。


仲間が死ぬのが辛い。人を殺すのが辛い。

死ぬことが怖い。


「ミラ!敵の手練れに備えて一部余力を残せ!」


叫びながら飛来する炎弾に空砲を当てて中空で爆破させる。

まさに死兵だ。


彼等は殿の筈だ。エケベルに残り本隊への追撃を遅延させる為の兵。

追撃する兵は士気が高まり易く勢いに乗っている。

その危険さは折り紙付きである。


彼等は敵の攻撃を凌ぎつつ後退するのが使命である筈だった。

だが彼等は最後の一兵まで奮戦し此方を食い止める。


その様な赤に染まった決死の覚悟が見受けられた。


その時だ。

此方を攻める青鈴軍の南より行法が放たれた敵を吹き飛ばした。


「…オランシス……シング……」


南側の分隊が間に合ったのだ。

敵は応戦しつつ北東方面に後退して態勢を立て直そうとしたが、その間も無く今度は北側からもう1分隊が襲撃を仕掛けた。


「挟撃が成功したぞ!押し返せ!」


此方の巻き返しにさしもの青鈴軍も東へ引き、敗走を始めた。

しかしイグマエアは追い討ちをかけず広場を占拠するだけに留めた。


敵が罠を仕掛けている可能性は大きい。

エケベル北側と南側の青鈴軍も中央の敗走に合わせて退却した。


雨月旅団も諸侯軍も同じく追い討ちをかける事は出来ず、殿に致命的な一撃を与える事ができなかった。


エケベル外周部を回り込んで本体に追い付こうとした騎兵連隊は水堀や逆茂木の除去に手間取り追撃の機会を逃す事となる。


青黄戦線と呼ばれるエケベルでの青鈴軍、黄迫軍との史上初となる険悪な二公同士の戦いは一先ず終わり、次なる舞台に場を移す。


イグマエアはエケベル領主館を出て暮れかけて紫に返じた空を見上げた。


羊雲が僅かに見て取れた。

秋の空は高い。吸い込まれそうな気分になる。


このまま吸い込んではくれまいか。そんな気分となる。


そんなイグマエアの腕をミラビリスが抱く。


「何処にも行かないでください」


いつも凜然としている彼女にしては珍しく表情は暗く、悲しみが見て取れた。


「何処にも行けはしないなぁ。行けるとしたら死後の国だ」


「何処かに消えていなくなってしまいそうな……そんな気がしました。それにイグマエア様は私が死なせはしません」


イグマエアには分かっている。ミラビリスは彼への好意か、将又愛なのか彼に付き従うのだと。


しかしいずれは殉職するであろう自分に何ができるのか。


気付かぬふりをしていた。


そして事あるごとに除隊する様話していた。


「レウコス、ファクシラ、ケーベン、ツベロ。4人も逝ってしまったな……。ウラジロ様率いる別働隊は壊滅。ウラジロ様自身も右腕を失われたそうだ。本隊も既に1万も残っていない。だが御当主様もゼンマ様も諦める気はない様だ。次の戦いでは全員死ぬかも知れん」


「………」


無言でミラビリスは腕を離した。

黄昏た街を歩いていると同隊の女性と話をしていたディギータがイグマエアに気付き駆け寄って来た。


「昇進しました?」


「……ああ。到頭連隊長になってしまった」


「いや、そっちはどうでもいいんです。あたしの話ですよ!」


「なんだ。そんなどうでもいい話か。一応小隊長に昇進だな」


「どうでも……えっ!?小隊長!?お給金幾ら上がりますか?!」


ディギータの至極どうでもよい話を聞いているうちに重たい気分が軽くなった。


それでもイグマエアは自分がしている事の正当性を見つける事は出来なかった。


人は必ず死ぬ。死ぬ迄に何を為したかが人生の価値とは言えど、無駄に散っていくこの死にイグマエアは価値を見出す事ができなかったり。


青鈴兵が羨ましい。

彼等は故郷や家族を守る為に散っていく。


歴とした尊い死だ。

ならば自分も、部下を守る為に死ぬのであればそれは尊い死になるのでは無いか。


漠然とそんな事を考えた。



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