夜道

ベルガナ王都ダルト、そこから西へ直線距離にして50里天海山の山腹にある山渡の里で談合が行われていた。

樹々の少ない禿げた里、その際奥、頭目の屋敷だった。

灯りは外に漏れぬ様注意が払われ、密会である事が窺われた。


人数は8人。

屋敷の主のラング以外皆姿を外套で隠していた。


「で、ラング。」


中央の男が口を開いた。

その声はまだ若い。

だが集う7人誰もが彼に敬意を払っていた。


「第二次ヴィティア戦線、ベルガナ軍の結束堅くヴィティア軍の戦況は芳しくありません。」


答えるラングの顔色は悪く脂汗を流していた。


「ルドガーという男、本当に使えるのか?お前達はサルマに着いた方が良かったのではないか?」


「いえ・・サルマは我らで操れる玉ではありません。ルドガーは欲の強い男。思考を誘導して反乱を起こす様仕向けましたが・・」


「サルマを取り逃がしたという報告は受けている。」


「はい。申し訳ありません。だった5人に精鋭数十名が返り討ちにされるとは思いも寄らず・・・」


「その精鋭の質が悪かったのではないですか?」


答えたのは別の若い男だった。

男は外套を外套の頭巾を浅く被っていた為その顔を垣間見る事ができる。

雪の様な白い肌に薄い黄緑色の瞳。僅かに垣間見える頭髪は赤毛。

アガド人のファブニル一族だ。

彼の言葉を聞きラングはコブシを強く握りしめた。


「ウラジロ。クサビナの方はどうなっている?胡散臭い情報を得ているが。」


「ええ。ケツァルの件ですね?・・情報が錯綜しています。血族のザミアは早々に王家に処刑され、潜らせていた一族の者も何人か死んでしまいましてね。」


「魍魎、黒箆鹿が王都に出没したと聞いた。」


「その通りです。私もその死体を見ました。数百の兵が犠牲になりました。これが王都では厳重な緘口令が敷かれた情報なのですが、どうやらその大きな鹿が現れる前に何者かが王城に押し入ったと。」


「どこの勢力だ?王都に侵入するとなれば相当の手練れだろう。」


男が問う。


「それこそ眉唾なのですが、賊は単身だったと。狐男と呼ばれていますね。」


「・・・」


答えたウラジロ・ファブニルに視線が集まる。


「あり得んの。」


口を開いたのは小柄な男だった。

声は掠れ袖から見える手は皺の寄った枯れ枝の様な手指だ。


「ケツァルの警備は厳しい。万が一隠れて忍び込む事ができるとしても押し入る事なぞ出来る筈も無し。」


「ええ。ですから私も眉唾だと申しました。ですが、魍魎に潰された遺体や破壊された器物の中には確かに切傷や行法により出来た痕跡も有りました。」


「何者かが黒箆鹿をケツァルに呼び込んだということか。・・・・。」


男が考え込む。

何を考えているか、隠された表情は伺い知る事ができない。


「クサビナ宰相のフランクラと組んで事を成したグレンデル潰しは此処に全て潰えたという事ですね。無益な労となりましたね。」


「そうでもない。」


ウラジロに中央の男が答える。


「宗主様。まだ何か手が?」


槍を脇に置き立膝を突いた男が尋ねる。


「不出来な第一王子の努力の結果、グレンデルは王家に不信感を持った。王家をまた突いてやれば対立へと持ち運べるやもしれん。」


「確かに。ですごフランクラはもう使えないでしょう。今回の件で王に目を付けられました。」


宗主と呼ばれた中央の男にウラジロが答える。


「いい。俺が動く。」


短く告げる宗主にウラジロはこうべを垂れた。


「ところで、中央と西での兵力集めは如何程か?」


老人が尋ねる。


「ルーザースでの俺の兵力は無視出来ないものになりつつある。俺に同調する貴族も少なからずいるだろう。」


先程の槍の男が答える。


「メルソリア、アケルエント、コブシ、シアス、スコラナ、マルケリア。多くを巡り規模は増した。小国の軍程度の兵力は得られた。」


別の男が淡々と述べる。


「・・・ふむ。」


「その後ロクアと誰か連絡は取れたのか?」


今まで無言で腕を組んでいた男が口を開く。


「ああ。あれにはヴィティア、ベルガナ、ラクサスで金策をさせていたが。持ち逃げする様なせせこましい男でもない。・・死んだか。使えんな。」


宗主の呟きにラングが身体を縮こませた。

そこで談合は終わりとなったのか、ラングを除く7人が立ち上がる。

皆音も無く動き屋敷を去っていった。


後には項垂れるラングだけが残されていた。

ラングは瓢箪に詰められた酒を煽った。


彼は山渡りの頭目だ。

戦士として最も優れ里の者に敬われていた。

大抵の名付きも打ち倒す事ができるだろう。

だが、あの宗主だけは別だ。まるで勝ち筋が見えない。


ラングは暫し惚けていた。

軈て屋敷の戸が開きモールイド人の老人が屋敷へ足を踏み入れた。

長老の1人だった。


「若。あの方々は・・」


「ああ。帰った。」


長老アトは座り込むラングの横に腰を下ろした。

屈む時の呻きが彼の歳を感じさせた。


「我らの悲願の為に、若には苦労をかけまする。」


「言うな爺。白雲が袂を分かち、戦士が数を減らそうと。我らの悲願のは必ずしや達して見せる。」


暗い天井を見上げていた。屋根に隠れ美しい星空は見えない。まるで自分達の様だと考えた。


「後は無い。」


そのまま天井を見上げ続けていた。

だがその身体からは強い悪意が立ち上っているかの様に見えた。




クサビナの紫諜報官ヴァルプルガーは自らが育て上げた優秀な間諜を使い国内から国外まで必要とするありとあらゆる情報を得、王族を護衛し、時には王家にとって障害となる者を暗殺する。

そうして国を守ってきた。


だがそれは国を愛する故の行動では無い。

全ては自分を救った宰相フランクラ・ベックナートの力になる為であった。


ヴァルプルガーは貴族の末弟であったが家は税の横領を行い取り潰された。

路頭に迷ったヴァルプルガーをフランクラは広い、腹心として育てた。

フランクラはクサビナを愛している。

国の為に力を尽くしている。


己の為では無く国の為に力を尽くす姿をヴァルプルガーは尊敬していた。

ならば大恩あるフランクラを支える。

その一心で諜報を担い、部下を育成してきた。


紫諜報官という立場は後付けのものでしか無い。

ヴァルプルガーは先のケツァルでの大騒動、カヤテ脱獄について調査を行っていた。


侵入者はたったの1人。

死傷者数は重軽傷含め500にも及んだ。

死傷者の大多数は大きな黒い鹿によるものであるが、人為的な被害も馬鹿にはならない。


特に数人の貴族子弟が死亡した事が大きく問題になり警備の不備などが問われていた。

逃亡したカヤテと狐男の足取りは早々に途絶え、その後の行方はまるで見通せていなかった。

ヴァルプルガーは王城の一角にある書室に訪れていた。


クサビナ建国以前からフレスヴェル一族により残された書籍が膨大な量残されている。

或いはそれは脚色過多と思われる英雄譚であったり荒唐無稽な神話の類であったが、書庫の再奥にはフランクラに特別に許可された禁書庫が存在した。


人目に触れさせる事が出来ない書物がそこには収められている。

ヴァルプルガーは一月をかけて禁書庫を漁っていた。

そして到頭それを見つけた。


「・・・・」


それは報告書の類いであった。

建国直前、今の王家の一族であるフレスヴェル家は一帯を平定しクサビナを興す以前にある民を騙し捕らえて情報を引き出す為に拷問にかけたと。


狐男は言ったという。

ケツァルに住まう醜き者共に迫害されたと。


実に1,000年以上も前の出来事だった。

狐男がこの一族の出自だと言うのであれば、それは根深い恨みである。


国王であるラムダール8世であろうとも無関係といっても過言では無いはずだ。

だからこそ狐男は王族を殺さなかったのだ。

彼等に責が無い事は国を、王族を憎んでいたとしても理解していたのだ。

極めて理知的であると言わざるを得ない。


カヤテ・グレンデルの証跡を辿ってもあのような男と機知であった痕跡は無い。

況してグレンデーラはかの一族の本拠地。情報収集も容易では無い。


ヴァルプルガーは書籍を読み進める。

凄惨な内容だ。

拷問を掛けた者の性別、年齢、体格を記し、拷問の内容と引き出した情報についてが淡々と記されている。


禁書庫に収めるに足る悍ましい書物であった。

ヴァルプルガーとて拷問に縁が無い訳では無い。

だが書を読む限りこの者たちは皆何の罪も無い無辜の民であった。


彼等はどうやら特異な知識を持っているらしく、当時のフレスヴェル一族達はそれを得ようと彼等を惨たらしく傷付けた様だった。


読み進めれば、確かに貴重な知識である。

魍魎の生態や各国の地理等それは多岐に渡った。

別の書籍に当時の一官吏が記した史書があった。

飾る事のない文面のその書は背表紙すら読めぬ程埃を被り片隅に積まれていた。


現在のクサビナ領土内等森の中含めて丸裸と言っても良いほどに彼等から血とともに知識を集め、フレスヴェルはクサビナを統一した。


だが最後に彼等は報復に合う。

当時の首脳陣は軒並み暗殺された様だった。

その死亡理由は多岐に渡る。


病、毒、致死傷。

しかし彼等は血筋を断絶する事は出来なかった。

無関係の女子供は殺さなかった。

無垢なる幼子をグレンデルが支えて、クサビナは拡大していくこととなる。

彼等は自らの名を森渡りと名乗った。


「・・・・」


森渡り。


聞いた事のない名称だ。

森や魍魎の知識を持つ者たち。

そこでヴァルプルガーは気付く。

先の黒い鹿。あれは意図的に呼び出されたのでは無いかと。


思考を巡らせ過去に想いを馳せる。


「・・・確か、ロボク兵に追われたカヤテは森に逃れ痕跡を絶ったのでは無かったか?・・倍数のロボク兵に鬼が襲い掛かりグレンデルは窮地を脱した。辻褄が合う。」


グレンデル、いやカヤテは狐男と接点があり救われて来たのだ。

たった1人で数百を死傷させる事ができる男だ。

ロボク戦線では数万の兵を退けた。


背が粟立っていた。

辛くも最悪は脱したとはいえエメリック第一王子とフランクラによるカヤテ失脚を間違いなくグレンデルは恨みに思っているだろう。


グレンデーラを張らせている部下からもカヤテの帰還の報は送られてこない。


王家に恨み不信感を持つ強大な一族に、これもまた王家を憎む亡霊の様な森の陰に潜む一族。

2つが合わされば国が割れる。

その可能性がある。


ヴァルプルガーは頭を人知れず抱えた。

グレンデル一族がファブニル一族よりも力を持つ現状は今に始まったことではない。

数百年と続くことだ。それをファブニルが妬むのもまた変わらぬ事。


フランクラがファブニルと同調し二公の力を均等に保とうと心砕く事は間違いではない。だが偏った状態で安定していた事も事実だ。


近年急にフランクラはその事実に危機感を抱き始めた。

思い返せばその事実が不自然に感じられた。

その心の変遷に人為的なものを感じた。

燭台の灯りを見つめてヴァルプルガーは考え込む。


フランクラを張る必要がある。脅されたとは考えにくいが誰かに思考誘導、或いは洗脳された可能性がある。

洗脳と考えてヴァルプルガーは1人小さく笑ってしまった。


毎日の様にフランクラと顔を合わせる自分の目を欺き彼を洗脳するなどあり得ない。

しかし膨れ上がった水の泡は微風一吹きで割れるだろう。


「止めなければ。森渡りとやらを探し出さねば。」


ヴァルプルガーは足早に禁書庫を去っていった。

閉ざされたそこは再びその胎にゆっくりと砂塵を積もらせるだろう。

触れてはならぬ忌まわしい記憶を隠す様に。




長い螺旋階段を登りきり地上へと戻ったシンカ達一向は大きく湖を迂回して湖を背に北上した。

ユフス川を船頭に金を払って渡り、当初の予定とは異なるメルソリアへの入国を図った。

というのもアケルエント国内の魍魎に浮ついた気配があり、何らかの軍事行動をアケルエントが行なっている兆しを感じ取った為だった。


理由はすぐに分かった。

大規模な傭兵団がメルソリア国内を王都に向けて移動していたのだった。

それはアケルエントを脅かすものでは無かったが緊張するには充分なものであった。


「あの旗印、護岸騎士団だな。」


「西の国や傭兵には疎いが護岸騎士団の名は聞いた事がある。」


カヤテが答える。


「護岸騎士団?なに?」


ユタが尋ねた。


「この辺り一帯で荒稼ぎする傭兵団だ。規模もかなり大きい。」


「ふうん?」


森の中から移動する傭兵達の様子を伺った。

練度は統一されてはいないが、中には動きの質から精鋭である事を伺うことができる集団も見受けられる。


「ッ!?」


ユタが小さく息を飲んだ。


「どうした?」


「・・ううん。強そうな奴がいたから。」


「そうか。・・・ところで、お前には秘密にしていたのだが。」


シンカは傭兵達が通り過ぎるまでと、少し森の深くまで踏み入ると大きな岩を背に座り込み、外套の下から一振りの剣を取り出した。


「ユタが真面目に学ぼうとするのを待っていれば一生機会は無いだろうからな。」


取り出したのは剣だ。

灰色の砥木の柄、砥木の鞘。

灰色一辺倒な所にユタの髪や瞳と同じ焦茶の組紐をで飾り付けてある。


「・・・・ぁ」


ユタは震える手で剣に手を伸ばした。

それ程までに剣が欲しかったのか。

今自分が持つ剣の何が駄目でそれを求めるのかシンカには分からない。


そっと口を開閉しながら受け取った剣を抜き、ユタはその刃に見入った。


剣を作っていた事を知っていたカヤテがにやにやと笑いながら様子を伺っている。


「白硬蒼玉の剣身だ。普通の金属より重量があり一般的な片手剣より長いが、今のユタになら扱える筈だ。」


「この剣、と、透明だよ!?鉱石の中に不純物が少ない物を探すのは苦労した。光を反射しにくい様形成してもいる。透明ではあるが見えにくいだけだ。」


「凄い!これなら戦闘で色んな小技を使えるよ!」


剣を掲げて木漏れ日に翳し見上げる。

その目尻には輝く物すら見える。


「・・・・」


喜ばれるのはシンカにとっても嬉しい事だ。

しかし恐らく、ユタにとってその剣は身を守る為のものでは無い。

人を斬る為のものだ。

それがシンカには幾分か悲しく感じられる。


「ねえ聞こえる?この剣、血を求めて泣いてる・・。」


「聞こえんわ!そんな物騒な剣を作った覚えはないぞ。」


「剣の名前は吸血丸。」


「そんな名は絶対許さんぞ!俺の人格が疑われる!」


「そんな!・・・じゃあ・・・透明だから空丸。」


「名付け下手か。まあ俺に嫌はないが。」


ユタは嬉しそうに透明の刃を舌で舐めた。

喜んでいるのならそれで良いがその興奮状態はどうにかしてもらいたい。


シンカは気付いていた。

ユタの強張った表情、何時もとは異なる脈拍。

触れるべきなのか、触れざるべきなのか。


軈て傭兵達は西へと去り一向も進路を西へと向けた。

それから日数にして15日後、漸く鬱蒼とした森が途切れて畑地の中央に聳える白の高い壁とその中に広がる街を目にすることができた。




ユタは商家の娘としてランジューの首都狩幡で育った。

祖父と両親の営む商家はランジュー国内で見れば中堅を稍々下回る程度の規模で、恐らく一般的な王都市民と余り変わらぬ質素な生活を送っていた。

祖父も両親も穏やかで1人娘を過不足無く愛して居た。愛して居ただろう。

暖かい家庭だった。それは良く覚えている。

働く両親の傍らユタは良く庭で花を摘み家の卓上に飾った。

それを見つけると祖父は笑いながらユタを抱き上げて褒め、両親は頭を撫でて笑った。

豊かな日々であった。


ユタが10になった年、大陸中央の情勢がきな臭くなり始めた。

数年に渡り計画されたロボクのアゾク要塞の竣工に始まりアゾルト・マニトゥーの軍事同盟、ルーザース・オスラクの開戦、ラクサスのクサビナへの宣戦布告。


ランジュー国内でもクサビナと同盟を結びアゾルトと敵対するか軍事同盟に参画しガルクルトの北洋諸島を切り取りに掛かるかの論議が常日頃から為されていた。


転がり落ちるように情勢は乱れ、クサビナがルーザース、リュギルと同盟を組んだ後に三方面作戦を展開する形で戦争が勃発した。


ランジューは中立を歌いアゾルトとの国境と沿岸部に軍を配備し専守防衛の体勢を構築した。

国内は戦争特需に沸き、商人達は隣国に武器兵糧を売る事で利益を得ていった。

ユタの両親も同じ流れに乗る事となった。

日に日に食事が豪華になっていった事をよく覚えていた。


忘れもしない13年前。

ユタの家族が営む紹介は貿易船よりコブシの食糧を安価で輸入し、アゾルトに転売していた。

売れば売るほど儲かる時期であった。

祖父と父がアゾルトに商体を組んで赴き、そして終ぞ帰ることは無かった。


当時アゾク要塞に攻め入るグレンデル・ロボク戦線は膠着し、反比例する様にマニトゥー・アゾルト同盟は黄迫軍に押されていた。

二国に見切りをつけた傭兵達がランジューへと逃れ、狩幡から船で国へ帰る事は日常茶飯事であった。


祖父と父の帰りを待つ中、ユタは母と出掛けた街中である物を目にした。

父の着けていた母と揃いの指輪と祖父の腕輪が売られているのを見つけたのだ。

母は店の者を問い詰め、それが傭兵に売られた者だという事を知った。

そしてその傭兵を探し出した。


母は彼等を問い詰めた。

彼等は説明をする為とユタの家にやって来た。

そこで殺戮が行われた。

家人は男は殺され、女は強姦された。

母も例外では無かった。


まだ10になったばかりのユタは狂った光景を呆然と眺めていた。

今尚その時の光景は脳裏に赤錆のようにこびり付き、ユタを離さない。

眠れば夢に見る。起きれば憎しみが心を支配する。


傭兵団の長はクチェ・アイスという男だった。

まだ若い傭兵団で、クチェも20を超えた程度であったが腕は立つようだった。

家の護衛をあっさりと斬り殺していた。


ユタは家族を殺した6人の男を悪霊に魂を売ってでも殺すと誓った。


父と祖父もこの男達が殺したのだ。

旗色の悪い国に着き実入りが無いまま引いた腹いせか代償に父達の商隊を襲ったのだ。

その行いがばれて罪を問われる事を恐れて、家人の口を封じたのだ。


その後、ユタはクチェに連れられて鈴剣流の総本山鈴紀社に赴いた。

彼は憎しみに燃えるユタを見て良い剣士になるとそう宣ったのだ。


クチェは暫く鈴紀社で腕を鍛え、また何処かへ旅立っていった。

ユタは10年間、ただ復讐の為だけに腕を磨いた。

だが記憶にあるクチェの腕には及ばず焦りだけが募っていた。

そんな時にシンカと出会った。

技を磨く剣士であれば大なり小なり誰しもが相手の力量を測ることができるだろう。

ユタもそれなりに自信があった。


自分の直感を信じるのであれば、目の前に立つ半裸の男は自分など到底足元にも及ばぬ力を持つ筈であった。

重心の位置や身振り等、一般人を装い隠してはいたが彼の持つ雰囲気で自分が敵わぬ事が分かった。

一度だけでも彼と手合わせすれば、それだけでも大きな経験となるだろう。

そういう下心で彼を家に招いた。

男は知識や経験が豊富で楽しい酒宴となった。

彼はあっさりと自分の元を去った。


だがその出会いだけでも一所に籠る事の愚かさを教えられた。

旅に出て経験を積み、復讐の為の牙を研ぐ。

そして一月後には鈴紀社を出た。


両脇に聳え立つ森に恐れ、細い路の頼り無さに怯え、濃い気配を感じさせる森の闇に慄いた。

無残に転がる馬車の残骸を見ては周囲を確認した。

一度余りにも巨大な蜘蛛に追われる馬車とすれ違った。

ユタは木陰に身を潜めて通り過ぎるのを待ったが生きた心地がしなかった。

人の手の及ばぬ魍魎たちの森。

いや、人にとっては未踏の深遠なる森であっても魍魎達にとっては杜に過ぎないのだろう。

杜。言い得て妙だ。


森に精霊が住まうというならそこは神聖な領域、杜だ。


魍魎の為に閉ざされた森、則ち杜。


ユタは旅をし、時に護衛などで路銀を稼いでケツァルに辿り着いた。

シンカと酒を酌み交わした時、クチェはコブシで名が付いたと言う様な事を言っていた。

それに従い西を目指した。


狩幡から船を用いればコブシまで二月もかからず辿り着ける。

だがそれでは力をつける事は出来ない。


ラクサスのガジュマを経由して更に西を目指し、スライに辿り着いたのちコブシに向かうかメルセテに向かうか迷っていた時だった。

相性の悪い地形で族に囲まれたのだ。高所の利を活かし矢を射かける男達にユタは商人を守り切れず、自身も苦戦していた。


どの様な命運なのか、そこにシンカが現れたのだ。

ユタにとってはそれだけでも目の前が拓けた様な気分であった。


シンカは強かった。見た事のない強力な行法を扱い、また隠す事なく曝け出されたその身のこなしは鬼の様に力強く獣の様に俊敏であった。


森の中から現れた事からも魍魎に抗う術を持ち合わせている事が分かった。

ここで彼に縋らなければ自分は一生涯変われぬまま朽ち果てて行く。


そんな確信があった。


何より彼に学び更なる力を得て親の仇を討つ。

ユタはその為に生きてきた。今更その生き方を曲げる事は出来ない。

今尚目を閉じれば凄惨な光景がはっきりと蘇る。

忘れる訳にはいかなかった。

だがシンカとの旅は屡々ユタの憎しみを忘れさせた。


ユタは、真面目な顔をしながら時折ぼそりと呟かれるシンカの冗談が好きであったし、何より飾らぬ性格も、面倒見が良く親切で暖かい性格を好ましく思っていた。


常々言葉にしていた通り、彼になら抱かれたいと思っていたのは事実だ。

だが彼の子供を産みたいと思ったのは半分真実で半分嘘だった。


子を孕めば恐らく剣の腕は落ちるだろう。


彼の伴侶であるナウラとヴィダードも人として好いていた。

異物でしかないユタを受け入れてくれたし、欲が少なくそのあり方は清かった。


醜い感情に取り憑かれ、打算の元にシンカの側に居続けるユタにとって彼女達はひどく眩しく見えた。


まるで清らかな水面に映り光を撒く陽光のようだと思っていた。

ユタはシンカと共にあり徐々に憎しみを薄めていた。


景色は美しく、各地で様々な食事を楽しみ文化に馴染む。とても楽しい日々だった。楽し過ぎて昔の出来事を忘れられる日々が増えていった。

あの時の夢も徐々に見る頻度が減っていた。

このまま本当にシンカの元に居続けて過ごしても良い。


そう思っていた頃だった。

エラム大湖の遺跡調査を終えて北上しメルソリアに向かっていた時、道を行く傭兵の集団を見かけた。

その中にはあの時のユタの家人を殺戮した男が4人含まれていた。

4人の中には当然クチェも含まれていた。

蒸留酒を煽ったかの様に全身が熱く滾った。

あの時の憎しみが戻ってきた。

ユタは悩んだ。

自分の復讐にシンカ達を巻き込む訳にはいかない。

それにこれは自分の戦いだった。

そこで剣を授けられた。

やれ、と。

仇を取れ。やられたら遣り返せ。許すな。と。

そう言われた気分だった。

元来シンカは好戦的な人物では無いが剣を抜くのは早い男だ。

危険があり、状況が許せば直ぐに抜く。


頼ることは考えなかった。

1人でやり遂げる事がユタの中の正義だった。


だがシンカへの恩を蔑ろにすることになる。

ユタは最初に取り交わした約束を忘れた事はない。

知識や技術を継承するという約束だ。

自分の至極真っ当な女として、人としての感情はシンカと共にある事を望んでいた。


だが、そんな柔らかく暖かな感情の下には汚泥のように醜悪で消し去り難い憎しみという感情が滾っていた。


ユタは暫し塞ぎ込む事となった。

メルソリアの王都アシルに辿り着きユタは尚悩み続けた。


ある日、ユタはシンカに無理に稽古をつけてもらった。

雨の日だった。

石灰岩で構成された白い街並みは雨に煙り、その明るいげな色彩を大分翳らせていた。

行法の手解きを受けて剣を交え、一息ついた時。

ユタはシンカに尋ねた。


「ねえ。僕が突然いなくなったら、皆んなはどう思うのかな?」


ユタは皆んなは、と言葉を濁したが本当に聞きたいのは皆の気持ちでは無かった。

もちろんそれも気になったが、一番知りたかったのは目の前の男がどう思うかだった。


「俺は本人ではないから本当のところは分からんが、寂しがるとは思う。ナウラやカヤテは勿論、ヴィーも口ではなんと言いつつもその後再びお前に逢えるのなら是非も無いのだろう。」


「あは。ヴィーのその感じ、凄く良くわかるよ。」


火照った体が雨に冷やされ心地が良い。ユタは顔を両手で多い雨と汗を拭う。

目頭を強く揉み込んだ。


「・・僕が死んだら皆んな悲しんでくれるかな?」


「ナウラは三日三晩泣き腫らすだろうな。カヤテは元の職業柄離別には慣れていそうだ。悲しんでも泣きはしないだろう。ヴィーは分からん。一切表には出さないだろうが内心は悲しむだろう。あれでも感性はそう掛け離れてはいないからな。」


シンカの言う通りだろう。

良い仲間と出会えた。ユタもそう思っている。

ユタは彼女達が大好きだ。改めてそう思えた。


「・・その・・さ。シンカは?・・僕の事、どう思ってる?」


「手の掛かる弟子だ。本当に。これでもお前を手塩に掛けて育てているつもりだが?」


シンカも濡れた顔を拭う。拭ど雨は滴り見る間に顔を伝う。


「それは知ってるよ。でも僕が言いたいのは・・」


ユタが言葉を紡ぎ終える前にシンカは遮った。


「悲しむに決まっているだろうが。何故悲しまないと思う?」


「そ、そうだよね。僕、頭悪いからさ、自信無くて・・・」


声が震えていたかもしれない。

目頭が熱い。鼻がつんと痛んだ。

痛んだが、それは悪くない、何処か心地の良い痛みだった。


「ユタには俺も世話になっている。笠山でも、マルンでも、ケツァルでも。お前が居なければ。弟子にして良かったと思っている。・・・座学は今一だが。」


咄嗟に自分の胸を鷲掴みにした。

胸が痛んだ。

これも嫌な痛みではなかった。シンカの言葉がとても嬉しかったのだ。


そんな風に思われているとは思っても見なかった。


「・・えへへ。褒め過ぎだよ。全然慣れない。勉強は、御免ね。・・・ねえ。・・・重かったら、聞かなかった事にして欲しいし、その、深く考えないで欲しいんだけどね?・・・えっと。シンカは、僕の事・・・好き?」


しとしとと、この辺りには珍しい雨が降り頻る。

ユタにとってはありがたい事だった。


きっとシンカは全部見通しているのだ。

ユタの様子がおかしいのも、今どんな感情を持っているのかも、きっと分かっているのだ。


「人としてならば勿論だ。だがユタが聞きたいのはそういう意味では無いのだろう?・・・そうだな。そう言う目では見ないようにこれまでして来た。お前は何処か別の所に心を囚われている。そこから抜け出せない限りお前はどんな相手と心を通わせようと、それは不健全な関係となる。ユタが変質的に力に拘るのを見て俺はそう考えた。」


本当に鋭い。人の心の声が聞こえるのでは無いかとすら思えてしまう。

だがそうでは無い。彼だって人だ。

時に迷い、時に間違える。

それを正しながらこれまで旅をして来た。

力強く、何時も正しい。

それでも間違えるそんな彼の生々しさがユタは好きだ。


「・・・・」


「ユタ。恐らく俺はお前の事を好いている。1つの事にこれだけ懸命になれる人間はそうは居ない。どんな理由があってもだ。お前の穏やかな気性は素直に好ましいと思うし、人の心を推し量れる所は尊敬している。見目も美しく好ましい。お前が短所と思っている三白眼も俺は愛らしいと思う。鍛えられたしなやかな身体も。お前の中で嫌う部分は無い。そう考えると、お前と確と向き合い過ごせれば直ぐに異性として好意を持つに至るだろう。・・・いや、誤魔化しは良く無いな。俺はお前を女として、既に好いている。」


俺の心音を聞けば嘘か否かは分かるだろう?と彼は続けた。

雨が降っていて本当に良かった。

みっともなく涙を流している事だけはきっと気付かれていないだろう。


鼻をすすらないように、不用意に強く瞼を閉じない様にだけ気を付けた。


「僕、シンカの事大好きだよっ。ほんとに、好きだよっ。冗談じゃない!嘘でもないよ!」


「分かっている。」


頭が撫でられた。

子供扱いしないで欲しいとも思うが、それがシンカの親愛の表現だと言うことも知っていた。


「・・シンカ・・・。僕・・・」


「いい。今は言えなくとも。だが、お前は同胞、仲間だ。それどころか家族だとも思っている。ナウラ達とてそれは変わらん。お前に寄りかかられる事を厭う者は1人もいない。それだけは忘れるな。」


「あ、ありがとね。僕、ほんとにシンカと出会えて良かった!」


これ以上は嗚咽を零しそうで背を向けて駈け去った。

恐らくシンカと共にいれば真っ当で穏やかな心持ちで将来を過ごしていけるだろう。

しかしそれで良いのかと何かが耳元で囁く。

人知れず殺され、父と祖父は弔われる事すらなく、母や家人達は絶望の後に命を奪われた。

彼等がユタに囁く。それは妄想だと分かっている。


しかしあの無念を晴らさずして自分が幸せになどなって良いはずもない。

だが、シンカを利用して捨てるなど人としての道理を捨て去っている。

気持ちを語ってくれたシンカ。


彼の気持ちをかなぐり捨ててユタは闇へと足を踏み出す。

それはクチェ達と同類になるという事だろう。

それでも。


「・・ご免、シンカ・・・・」


ユタは文だけを残し何も語らず宿を後にした。


アシルに着いてから彼等についてそれとなく調べてはいた。

護岸騎士団。そう名乗っているらしい。

団長は護岸のヤニスという有名な男で、かなり力のある騎士団という事だった。


副団長がクチェ。あの男だ。


当時ユタの家を襲撃した者は10名だった。

名前は皆覚えている。

護岸騎士団に属するのは4名だけだ。

残りは死んだのか、何処かで生きているのかは分からない。


だがあの当時クチェに顎で使われていた男達だ。

単身で立身出来るはずもない。何処かの戦争に参加してそこで死んだと考える方が妥当だろう。

ユタはシンカから学んだ傍聴術や探聞術でそれらの情報を仕入れていった。


彼等が今河口の港町エシナに滞在している事は簡単に突き止める事ができた。


ユタは直ぐにエシナへと向かった。

エシナへは4日でたどり着く事ができた。


護岸騎士団は数万にも及び傭兵団としては規模の大きい部類に入る。


闇雲に動いてもクチェ達の顔すら見ずに袋叩きにされ、犯されて殺されるだろう。


自分より弱い者に犯されるなどあり得ない。

ユタはシンカに認められて森渡となった。加えて元の流派は鈴剣流。何にをしてでも勝ちを捥ぎ取る泥臭い流派だ。


今こそシンカの教えを生かす時だ。

ユタは瞳に暗く澱んだ光を湛えて安宿で牙を研いだ。



ある日、1人の男がエシナの街で死体で発見された。

男はエシナ郊外に駐屯する傭兵団の隊長を勤める者で、それなりの腕を持つ者であった。

大層無惨な殺され方で、手足が切り取られ、胴にも無数の刺し傷が確認できた。

顔は苦痛に歪み、涙の跡も見受けられ、生きながらに手足を断たれ、なるべく死なぬ様工夫されていた事が分かった。


メルソリアの国法では国民の障害沙汰には然るべき機関による調査が行われるが、国外の者には適用されない。

当然身内を殺された護岸騎士団はその日のうちにエシナ行政に犯人捜索の申請を行い捜査を開始した。


男の死体からまず分かったことは、下手人は正面から堂々と男を切り捨てたと言うことだ。則ち剣の腕が立つと言うこと。


判断に至る根拠は死体の背中に傷が無かったことだ。

散らばる腕に防御瘡も見当たらない。

かなりの腕利きであると判断された。


死体には金銭が残されており、物盗りでは無く怨恨の類であろうと判断され、捜索は始まった。


しかしその日の夕方第二の事件は堂々と起きた。

見廻りの兵達が多く蔓延る中次に狙われたのもそれなりの地位の傭兵であった。

今度の男は中隊長。

500人の部下を従える男だ。

歴戦の男で当然腕が立った。

この男も背に傷は無かった。

この男の手足はまるで紙縒りの様に捻れ、先と同様顔は苦痛と恐怖で酷い有様だった。


この段階で護岸騎士団が下手人に狙われている事が確定した。

傭兵達はエシナの衛兵と協力し、街に滞在する剣士を虱潰しに捜索することとなる。

だが剣士の内階位を持つものがまず少なく、居ても大半が智位や義位。

殺された男は2人とも信位。信位以上を持つ戦士は皆現場不在の証明を行う事ができた。


クチェ・アイスはこの報を聞き額を揉み込んだ。

傭兵家業を行なっていれば恨みの1つや2つ一年で買う事ができる。

護岸騎士団は騎士団とは名乗ってはいるが、その下部は賊に毛が生えた程度の者達だ。

いまは隊長を勤める者達も10年も遡れば似たような物だ。


護岸騎士団は団長のヤニスとクチェが手下を集めて十数年前に起こした歴史の浅い傭兵団だ。

今で頃それなりの規模を持ち、戦争に参じて身を立ててはいるが、昔は存続、或いは生存の為幾らでも手を汚した。

薄汚い行いなど日常茶飯事だった。


クチェはエシナの宿で殺された男達の様を思い返した。

1人目の男はまだ別の名を団が名乗っていた時からの構成員であった。

腕の切り口は見事の一言に尽きた。

骨も筋肉も血管も、潰さず鮮やかな切り口を見せていた。

四肢のうち1本は確実に戦闘中に落とされている。

動きながら、防ぎながらあれ程までの切り口を残すなど自分と同等か、それ以上の実力を持っているのは間違いない。


それ程の剣士に恨みを買う様な心当たりはない。

そもそもそれ程の剣士自体大陸に両手指で済む程しか存在しないだろう。


2人目の男も長い付き合いだった。

屈強な男だ。その男の筋肉に覆われた手足が抵抗虚しく5回転も捻られ、その後身体を幾度も突かれて殺害されていた。

深い恨みを感じた。

相手は相当の筋力を持つのだろう。

2人は選ばれたのか、偶然2人だったのか。それすらもわからなかった。


翌朝、進展なく一日の始まりを迎えた。

クチェはヤニスそ相談して団の幹部、特に腕が立つ者を町の中の小高い丘の上に立つ海泡沫の精霊殿に呼び出した。

心当たりを確認し、今後の対策を練る為だった。

クチェは数年前に入団した腕利きの剣士三面のオシェと弟弟子のケルゴ・アルク、リンジ・ハイネンと連れ立って霊殿へと向かった。

霊殿の入り口で1000人の部下を仕切る大隊長が全身の皮を剥がれて息絶えていた。


「・・・失血死か?」


「恐らくそうでしょう。」


クチェの問いにケルゴが答える。


「これ程の憎しみ。あれの仕業か?・・・だがあれに俺以上の剣才は無かった。」


「あれとは?心当たりがあるのですか?」


「いや。気のせいだろう。それよりもリンジ。部下を呼んで死体を片付けさせろ。」


リンジは二年程前にふらりとアケルエントのペルポリスに駐屯していた護岸騎士団の元に現れた。

理由は尋ねていないが廃退的な雰囲気であった。


クチェは霊殿へと踏み入った。

メルソリア特有の柱のみで壁の無い霊殿だ。

潮風がそのまま入り込み鼻腔を撫でる。

この精霊殿は精霊を信仰する人々の手に寄って維持されており、護岸騎士団の様なエシルの民権やメルソリアの国籍を持たない者でも利用する事ができる。


暫くして団の中でも発言権のある者達と、次の参戦へ向けて金で雇った腕利き達が集まった。


「ヨゼも殺されたか。まだ犯人は分からないの

か。」


ヤニスが短く刈った髪を逆撫でながら独り言ちた。


「今遺体を運びました。」


リンジが駆け込んでくる。


「殺された3人、共通点はあるか?」


「皆古株だ。時期的に言えば3人が揃ったのは団が名を変える前後。10年は前だぜ。」


ヤニスに副官のウゴが答える。


「俺も心当たりはねえな。」


ニコラも無いのなら本当に当たりがつかない。

いや、あるにはあるが、力量が乖離している。


「シラー、ファラ。腕の立つ剣士に心当たりはあるか?」


金で雇った亜人の2人にヤニスが尋ねる。


「知ってはいるけど、あんたらなら兎も角、ヨゼ程度にやられて恨む様な奴らじゃないからねぇ。」


角の生えた大女、鬼人シラーが蓮っ葉な口調で答えた。


「私の里の者は剣技には秀でていないし、剣士となるとわからないわ。」


もう1人の美しい華奢な女、森妖人ファラも心当たりはないという。


「使えないね。」


「所詮は亜人だよ。」


「こいつらほんとに強いのかな?」


三つ子がくすくすと嫌らしく笑いながら2人を揶揄した。

シラーは苛立った様だがファラは気にもとめていなかった。


「あら?」


ファラが神殿の入り口に顔を向けた。


「来るな。経も濃い。手練れだ。」


シラーが呟いて巨大な鉄塊、分厚い段平を肩に担いだ。

現れたのは笠を被り、外套で全身を覆った人物であった。


「凄い血の匂い。・・・あら?その格好・・・」


皆が武器を構えた。


「森渡りだな・・お前達は森渡りと敵対しているのか?」


シラーが稍焦った様子で尋ねた。


「森渡り?何だそれは。」


ヤニスが訝しげにシラーを見る。


「知らないのか?・・・歴史の表に出て来る者達では無いから無理も無いか。あの格好に見覚えが無いのなら敵対している訳でもない・・・?」


シラーの焦りが気になったが今気にするべきは目の前の不届き者だ。


「やあ。」


女の声が聞こえる。

朗らかな語り口だった。

だが声はのっぺりと起伏が無く、そして憎悪に塗れていた。


「久しぶり。クチェ。僕が何しに来たかは分かるよね?」


女は笠を背後にずらした。

茶の髪茶の目のシメーリア人。

顔立ちは美しいが強烈な三白眼が目を引く。


ユリアータ・クベリーク。


やはりそうだったか。心当たりはユタしかいなかった。

だが当時のユタは才能あれど仁位止まりの剣才しか持たない少女に過ぎなかった。

だが今の彼女はあの頃とは隔絶した力を持っていると分かる。

ぶれぬ重心、無音の足音。


この中で正面切って勝てる者はいないだろう。


衝撃だった。


あの血濡れた屋敷で1人尿を漏らして座り込んでいた小娘が、鈴紀社でクチェを木刀で殴り殺そうと挑んで来た少女が。


クチェを殺す実力を携えてここまでやって来たのだ。


「ユタ!如何してこんな所に!俺に会いに来たのか!?」


リンジが顔を輝かせる。

愚かな男だ。この濃密な殺意を感じ取れぬとは。ガンジ・ハイネンは鷹だが鳩しか産めなかった様だ。


「ヨゼは僕のお母さんを犯して殺した。そのまま首を切って。入れたまま首を斬ると凄く締め付けて気持ちいいんだって言ってた。だから生きたまま皮を剥いであげたよ。薬で声を奪って、ゆっくり剥いだ。その後塩を全身に塗り込んであげたよ。」


「く、狂ってる・・・。」


まだ若いキリアンがユタを凝視しながら怯える様に呟く。

確かに狂っているのだろう。ここまで力をつけるまでに、復讐に狂ったのだろう。


「あとは、クチェだけだよ。」


若手の剣士が2人動いた。

緊迫感に堪えられなくなったのだろう。

剣を振りかぶってユタへ斬りかかる。

ユタは動かなかった。


腕どころか瞼一つ動かさずその場に立ち続けた。

結末は当然の如く2人の剣によりユタが斬り捨てられる結末に終わる。


「・・は?」


誰かが声を上げた。

気持ちはよく分かった。

二本の剣は立て続けにユタの身体を斬りつけて反対側へ抜けた。

当然身体は血飛沫を上げて地に伏すと考えていた。


だが次の瞬間ユタの姿はそこに無かった。

僅かにずれる位置におり、2人の首を流麗な太刀筋で刈り取った。


「・・霞不知火・・・お前は徳位まで至ったか・・・」


鈴剣流奥義霞不知火は門弟の中でも存在すら秘匿される奥義である。

逆戸斬りの応用技術であるが、己の才覚のみでこの技を扱える様になる事が徳位の昇格条件となっている。

その昇格条件ですら秘匿されていた。


若い剣士が2人地に伏し、石材と鎧が打つかるけたたましい音が鳴り響く。


「ユタ!何をしている!お前ではクチェさんには勝てない!投降するんだ!俺が何とか皆んなに話をして」


「煩いな。僕はお前の世話になんかなりたくない。気持ち悪いんだよね。じろじろ脇や胸元、脚ばかり盗み見て。だから君は強くなれないんだよ。弱い男に体を委ねる訳がないじゃないか。皆んなに言っておく。僕はこの日のために生きて来たんだ。クチェを殺せれば他の人に興味は無いよ。」


ユタの痛烈な物言いにリンジは赤茄子の如く顔を赤らめた。

更に2人がユタに駆けた。

ユタはそれぞれの胴を指して早くも無い動きで切り払った。

躱せないはずが無かった。


その程度の動きに反応出来ない。2人とも信位は得ていた。

ユタは暗く嗤う。


「・・・まさか。」


クチェは思わず浮かされた様に口を開いた。

あれは恐らく奥義なのだ。徳位の自分が知らない奥義。

実際その予測は正しかった。鈴剣流理の奥義、胴太貫きは扱えるものがいなくなり失伝していた。


ユタはシンカに教わり体得していたのだった。


「あり得ん。一体俺が社を出てから何があったのだ・・・」


クチェは剣を構え直してケルゴに視線を向けた。

ケルゴは小さく頷いた。


「他のはどうでも良いけど、手出しするなら殺すよ。ひひひひっ。」


周囲がクチェとユタを囲む様に開けた。

ここまで来ればやるしかないだろう。だがたとえどんな理由があろうとも仲間たちはユタを許すことは無い。

クチェを仕留めた所で囲まれて殺されるだろう。

それが分からないユタでは無いはずだ。

自分が死んでもクチェを殺したいのだろう。

余りにも強い憎しみだ。クチェは自分が怖気付いている事に気付いた。


「鈴剣徳位、ユリアータ・クベリーク。家族の仇!」


「鈴剣徳位、クチェ・アイス。妹弟子。やれるものならやってみろ。」


外套に隠れてユタの手元が見えない。

クチェは身体を落として左に剣を持ち、右手を大きく広げる。

威嚇の構えだ。

空気が張り付いている。

見ている者達も手に汗を握り固唾を呑んでいる。

波の音が聴こえる。潮騒が何処か間が抜けている様に感じられた。


ユタの脚が動いた。

床に落ちた剣がクチェに向けて蹴り飛ばされた。

床に広がっていた血液と共に飛来する剣を斬り弾いた。

ユタは直ぐに駆け込んでくるだろう。剣を直ぐ様構え直した。

だがユタは動かなかった。

替わりに剣と共に蹴り上げられた血液が鋭い針に形状を変え、クチェに迫った。


「っ!?」


クチェは横っ跳びに水行法を躱す。

ユタはそこでようやく駆けた。

気の弱い者なら直ぐ様目を逸らす様な鋭い眼光でこちらを見据えている。

相変わらず目付きが悪い。

だがそうさせたのも自分なのだろう。


行法を使える様になっているとは考えなかった。

何とか回避はできた。しかし体勢は崩れている。

そこに斬りかかられる。

腹目掛けて突き。払って弾く。

続いて素早い動作で首の斬り払い。剣を合わせて受ける。


そして急所を狙っていると見せかけて脚を狙う。同じ流派だ。その程度の動きは読めている。

脚を上げ、脚甲で受けた。

剣を振るい牽制し、背転で距離を開ける。ユタが懐から何かを投げた。


大事を取って再度後退した。

放られた物は土瓶であった。

床石に打つかって瓶が割れる。中からは匂いの強い液体が流れ出た。


「薬?」


「・・・・」


ユタは相変わらずにやついている。

唐突に床に広がった液体が飛び散った。

またしてもクチェは横っ飛びに水行法を躱した。


「ぐああああああああっ!?ああっ!ああああああああああ・・・」


背後にいた若い団員が躱し損ねて液体をもろに浴びた。

顔が溶けている。


のたうち回る男にヤニスが止めを差した。

跳んだクチェにユタが突撃する。

ユタの剣は透明だった。

血が付着し剣の形が幾分か見て取れた。

剣身4尺、持ち手が拳一つ分の断頭剣。材質は金属ではない。


クチェは今度こそ直撃までに体勢を立て直した。

振りが早い。剣で受ける。

剣の長さが分かりにくい。躱す事は危険でできなかった。


「っ!何っ!?」


慌てて剣を取り落とした。

千剣流剣士の攻撃を受けるよりも強い一撃だった。

受けきれば腕を壊す。

咄嗟に剣を手放し背後に転がりながらなんとか躱した。


重い一撃だった。

剣自体の重量もさることながら、断頭剣と言う剣自体が力を込めやすい形状をしている事から強い一撃となったと想定できる。


そもそも断頭剣という物は処刑用の剣であり、死刑囚の首を一撃で斬り落とす為に力を込め易い様片手でしか扱えない様握りが短くなっている。

ユタの剣は加えて剣身も稍長め。

女が片手で振るえる剣では断じて無い。


「ふ、ひひっ。逃げてばかりじゃ無いか。君は副団長なんだろ?皆見てるよ?」


冗談じゃない。

強い。技術は同格、力はあちらが上。行法も扱える。

クチェの背を脂汗が伝った。


自分は鈴剣流の徳位まで登り詰めた男だ。

その自分が嘗ては片手間でも殺せた小娘に追い付かれ、追い越され、今殺されようとしている。

クチェは2本目の剣を抜く。


受けられぬなら受け流せば良いだけ。

ユタが再び駆けた。

だが早かった。予想の倍は早かった。振り下ろされる剣を擦り落として反撃する。


反撃は屈んで躱され替わりに横薙ぎの一撃が振られる。

クチェは大きく真上に跳んだ。

辛うじて直撃は避けられる。右靴の踵が半寸切り飛ばされた。


宙で剣を振る。

ユタは其れを防いだ。

ユタの背後に位置するケルゴに視線を送る。

着地したクチェに再度剣が振られる。

素早い剣戟だ。


とても片手で自分の物より重量のある剣を振っているとは思えない。

半身になり何とか躱すと直ぐ様反撃に出る。

首を撥ねる軌道だったがまた躱される。


「っ!?あっ!?」


血が舞った。

背後からケルゴが袈裟懸けにユタを斬りつけていた。


「背中が甘かったな。」


ユタを仕留めるべく剣を構えた。


「がっ?!」


突如ケルゴが苦悶の声を上げた。

何が起こったかクチェには分からない。

だがユタが何かをしたのだ。

斬り殺そうと剣を振った。

ユタはそれを右手の剣で防ぐ。


「や・・やめ・・・ユタ・・」


位置がずれて何が起こったかを目にする事が出来た。ユタの外套の背から刃が突き出、ケルゴの腹に刺さっていた。

ケルゴが剣を取落す。

ケルゴの腹に刺さる曲剣の刃が徐々に角度を変え、心臓に迫る。

ケルゴは刃を掴み、その侵攻を止めようとした。だが予想以上に鋭利な刃はからの指を落とし、そのまま胸元まで刃を進めた。

ケルゴは目を裏返して唐突に崩れ落ちた。


「っおらっ!」


ヘルガーがユタを斬りつける。ユタはまたも防ぐ。反対側よりウゴが槍で突いた。左手の、たった今兄弟子のケルゴを殺した曲剣で防ぐが背から斬りつけるキリアンの剣は防げなかった。


「うぁっ!」


呻きを上げる。


「おらぁ!」


ヘルガーの二太刀目を躱そうとするが躱し切れず、肩を斬り付けられて断頭剣を取り落とした。

血溜まりに剣が落ちた。

ウゴが鋭い蹴りを腹に放った。


「っ!?」


ユタは為すすべなく蹴り飛ばされ床に転がった。

それでもまだ離さない曲剣をキリアンが手を踏み潰して手放させた。

それからキリアンとヘルガーが数度身体を蹴りつけ、ユタは漸く動かなくなった。


「・・・・人間ってのは同じ種族同士でもここまで醜い事ができるんだねぇ。好かないな。」


見物に徹していたシラーが顔をしかめて口にした。


「・・・死んでは元も子もないからな。それに、仲間の仇だ。」


クチェは額の汗を籠手で拭った。

一対一で対峙していれば敗れていた。

だがここにいたのはクチェ1人ではない。鈴剣流剣士はどんな手を使ってでも敵を倒す。それだけの話だ。

ユタはその技術を培った師を連れて来ればよかったのだ。


ユタは虫の息だ。蹴られて臓器も破れているだろう。腕も指も折れている。

これで終わりだ。


「ク、クチェさん。どうせ殺すならこの女、俺にください。」


下卑た、酷く歪んだ顔でリンジが告げた。

先の様子を見るにリンジはこの女に懸想していたのだろう。


「好きにしろ。だがここから連れ出すのは許さん。柱の陰ででもやっていろ。」


「あ、ありがとうございます!」


直ぐ様衣類を脱がそうと四苦八苦し始めた。

亜人の女達は顔を顰めて不快感を表したがリンジは気にも止めなかった。

団の手練れが何人もやられた。今回の事は痛い教訓となった。

剣を拾い身形を整えているとファラがまた顔を上げた。


「・・なに?」


「・・これは。」


「・・・・怖い。何、これ・・・」


クチェは入り口に目を向ける。


「ん?」


ここに来た時のユタと同じ装いをした人影が4つ、丁度現れた所だった。


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