火口の遺跡

「シンカ。治療します。傷口を見せて下さい。」


「ナウラァっ!やったか!?」


「弓使いは。ですが風行使いは逃しました。右足と左腕は奪ったのですが、もう一頭の金剛狼に咥えられて逃れました。金剛狼も右後ろ脚を奪いましたが。」


「そいつはどうでもいい!弓使いは苦しめたか!」


「もちろんです。私とてヴィーの事は妹の様に思っています。少しずつ焼いて、最期は呆けてしまいましたが。」


「・・・良くやった。流石だ。」


「シンカ。ヴィーは大丈夫なの?」


剣を鞘に収めて穏やかな雰囲気に変わったユタが尋ねる。


「何とか。少し様子をここで見る。街へ戻ろうかとも考えたが、危険がある。遺跡に向かう方が良いだろう。」


「その辺りはお任せします。」


ナウラは自身の背嚢を下ろすと中より自分で配合した薬を取り出す。

シンカの衣類を捲り上げると傷の様子を確認する。


「腸を損傷しています。ヴィーも折角助かってもシンカが死んでは直ぐに後を追いかねません。気をつけて下さい。」


「それを止めるのがお前の仕事だ。」


「私とて貴方が死ねばどうなるかわかりません。このエンディラの民としての性は容易く私自身の理性を塗り潰します。」


シンカの失われた小腸が薬により緩々と再生し始める。ナウラは同じ薬をヴィダードにも投与する。


「ヴィーは愛されてるね。男の人に愛されるって、なんかいいね。僕はどうすればいいのかな?」


「俺にも分からないな。・・・それより。あれは山渡りだ。森渡りと山渡りは元来敵対関係にある訳ではない。これからは考えねばならぬが。森渡りにこの事を知らせる必要がある。山渡りは敵であると。始末出来なかった者も気になる。不用意に街に戻るのはかえって危険だと判断するが。」


「私もそう思います。本当に遺跡があるのならヴィーが完全に復調するまで潜むのが良いのではないかと。」


「・・僕は危険でもいいんだけどね・・」


シンカは喉絞めて鳥の鳴き声を真似た。

すると一羽の鳥が飛来しシンカの足元に降り立った。


急ぎ認めた文を足に結び付け、手持ちの炒り豆を与えると鳥は飛び立っていった。


腸の再生が終わると最後に腹の筋肉と皮膚の再生を終え、ようやく完治する。

ヴィダードの折れた肋骨を治療するため衣類をはだけさせ、湿布を貼り付けた。


「遺跡の情報は山渡りの謀略的な宣伝では無いのでしょうか?」


「それはこれからは半殺しにしてある連中に尋ねればいい。」


シンカは身体を起こすと腕を自分の身体に縫いとめられた風行使いの元へ歩んだ。


「さて。ではお前の考えを探ってやろう。」


「・・・・」


何も話す気は無いのか、男は無言を貫いた。

男の額には痛みの為か脂汗が浮いている。


「何故我らを襲った。どうやら殺す気は無かった様だが、1人2人欠ける程度は問題無かったと見える。奴隷という訳では無いのだろうな。つまり金では無い。ならば知識か?・・ふむ。知識か。何の為に?森の知識なら汝等も持っているだろう。自分達の持たぬ知識を求めたか?・・図星か。成る程。後は質として他の一族を従わせ、役立たせようとしたか?・・これも図星か!?強欲だな。」


考えを読まれて山渡りの風行使いは顔を青ざめさせた。


「シンカ。当てずっぽうでは無いのですか?」


血みどろの火行使いを引き摺ってナウラが現れる。


「見極め方は後で教えてやる。他の者でも試すが。・・おい。この山の奥に遺跡は無いのか?」


「・・化け物め。」


シンカは男の顎を踏みつけ、脊椎を破壊して命を奪った。


虫の息の火行使いにも質問を行い、山渡りの計画が朧げながら把握できた。


山渡りは森渡りを捕らえて何処かへ引き渡し、利用する計画を立てていた様であった。尋問した男は詳細を把握していなかった。


知識としてか、戦力としてか。或いは両方かは分からない。

山渡り達は各国の大都市に潜伏し、森渡りが現れるのを待ち拉致を行う計画を立てた。


迷い、遺跡を発見した工夫は恐らく山渡りだろう。森渡りが食いつきそうな種を他にもいくつも撒いていたことが推察される。


シンカ達の場合は酒場で遺跡に興味を示した会話を聞いており、道中に網を張っていたと言う事らしかった。


火行使いと弓使いに留めを刺すとシンカはナウラとユタを見遣る。


「このまま遺跡を探す。そこでヴィーの治癒を待つ。」


「遺跡は本当にあるのでしょうか?」


「遺跡の残骸があるのは真実だ。可能性はあるだろう。」


「ヴィーに水を汲んであげないと・・」


「見る限りではこれからは登りが続く。水源は無いだろう。俺が水行で用意する。」


シンカ達は汚れを落とし、血の匂いを消して支度を整えた。


「シンカ。君がそこまでして遺跡に行きたいと言う理由は何?」


顔を覗き込まれ問われた。


可愛らしい仕草であるが、三白眼でその愛らしさも幾分か減じている。


「我ら一族は森の変事を鋭敏に感じ取り、人々の営みを陰ながら支えて来た。一族の者とてそれを義務と考えていた訳では無いが・・他にできるものが居らずそれを知り得たのであれば対処せざるを得ないだろう。それに、魍魎が蔓延った原因は分かっていても、何故東西南北人間から鱗族に至るまで言語が同じであるのか。どのような進化のすえに多様な民族が起こり得たのか。経とは一体何か。それを知れば或いは今よりも住み良い世になるのではないかと考えてもいる。勿論、半分は知識欲だがまごう事なく考えてはいる。」


「も、魍魎の由来を知っているの!?」


ユタが驚きの声を上げた。ナウラも珍しく目を見開いている。


「何故今まで教えて下さらなかったのですか。」


「歴史と民族。それを学ばずに話せる話ではない。話すにしてもはっきりとした原因が分かっている訳でもない。恐らくそうであろう。と言う話なのだ。それに、まだお前達にはこの話を受け入れる下地が出来ていないと考えている。」


「・・嫌がらせでは無いようですね。安心しました。」


「人聞きの悪い。お前に嫌がらせなどしたことは無い。」


「そうでしたでしょうか?」


ナウラを軽く小突く。


ヴィダードの様子を伺う。顔色は青ざめているが、息も脈も正常であった。

柔らかい麦色の髪を撫で付けて小さな鼻に口付けした。


膝の裏と背に手を差し込んで彼女を抱いた。


「シンカがこんなにヴィーの事を大事にしてたなんて・・僕てっきりそんなに好きじゃ無いんだと思ってたよ。」


「シンカは捻くれ者ですからね。とは言え彼女の過剰な反応には丁度良い塩梅かも知れません。」


好き放題言うナウラである。


「でもヴィー程の手練れが人数で負けてるとは言えやられるなんて、敵も相当の手練れだったね。」


「山渡りに魍魎使いがいた事が計算外だった。」


「従罔と言いましたか。」


「馬や牛を売るものも広意義では魍魎使いに含まれるだろうが、その才能を戦いに用いる者達は一線を画す。」


「シンカは魍魎を手なづけていると言う事でしたが。」


「ナウラも言葉を解する鬼羆を見たから理解できるだろうが、魍魎の中には知能の高い種もいれば、齢を重ねて知恵を得る物もある。暴力で従えるのも1つの手だが、ナウラは黒駿馬にそのような事をしなくとも良い関係を築けたはずだ。それは彼等の知能が優れ、お前を認めたからなのだ。お前はサビを戦いに利用しようと思うか?」


「決して。」


「俺もそうだ。従わせているのではなく、親しくしていると言う表現が正しいか。」


「そう言えば、どのような魍魎か聞いた事がありませんでした。黒駿馬でしょうか?」


「いや、違う。この話は遺跡にたどり着いてからにしよう。」


「山渡り・・なんだか良い流れになって来たね。でも皆んな当たり前みたいに行法使うから・・・剣一筋だとあんまり活躍出来ないよ・・・」


「だから経の扱い方を教えているのだ。経の扱いは鍛えれば鍛える程起こすまでの速度や一度に扱える量が向上する。精霊の民程ではないがお前も上達するだろう。」


「うん。僕頑張るよ。」


軍において行兵が希少なのは練兵に時間が掛かる事と才能の有無に由来する。


経とは全ての生物が持つ物ではあるが、その存在を知覚でき、利用方を掴む事ができ、行法を行う為に加工できるかは天性の才能となる。


更に更に一連の流れ学ぶ環境も必要となれば希少さも頷ける。


一行はナウラを先頭とし、シンカがヴィダードを抱き、ユタが殿となって山を登り始めた。


火山岩で構成されたがれ場を登り、遺跡を探す。

時折硫黄の臭気が風に漂って来た。


休火山では無い。活火山である。だが近年噴火を起こしたと言う情報も無い。


夕刻に溶岩洞を発見し一夜を過ごす事にする。


溶岩洞には灰色堅頭竜の番が巣を作っていた。

灰色堅頭竜は体長13尺、体高5尺。

体長の内半分はしなやかな尾で、二足歩行。

何より特徴的なのは禿げた爺様の様なつるっとした頭部だ。麓には棘が生えている。

嘴を持ち、腕は小さい。


「堅頭竜か。こいつらは珍しい岩食だ。あの頭で岩を砕いて食べる。人に害は無いが、巣に入ったものを警戒しているな。」


吹き矢を取り出し2頭に撃ち込んだ。

しばらくふらついた後に竜は倒れ伏した。

殺してはいない。眠らせただけだ。


「竜は初めて見ました。意外と可愛らしいですね。」


「竜は魍魎の中では人に懐き易いが、人が容易に訪れる事ができる場所には生息しない。人に懐き易いのは獣、鳥、爬の順で魚、蟲、鬼は例外を除き殆ど懐かない。」


「殆ど、ですか。鬼が懐く事などあるのですか?」


「うん。コブシの山間の村で、一頭の二角青鬼と共存して居る所を見た事がある。」


「それは・・恐ろしく無いのでしょうか。」


「意思疎通はできて居る様だった。存外鬼は人語を理解して居るのかもな。」


眠らせた竜には強力な睡眠薬を与えてある。明日まで目覚めることは無いだろう。


溶岩洞の成り立ちを説明し夜番を2人に任せると、薬の副作用がもたらす儘に睡眠を取った。


翌朝起きるとヴィダードの顔色は幾分かマシになっていた。今日中には目を覚ますだろう。完全な復調までには2日といった所だ。


溶岩洞を出て更に山の頂を目指す。

青色山脈西端の峰、その中でも火山脈に含まれる一部の連山の内、特に標高が高いこの山を傘岳と呼ぶ。以前の噴火の際に火山灰が傘の様に広がった為だ。


傘岳には2つの景色が見受けられる。


溶岩流や火砕流で植物が焼け爛れて、今も尚乾いた下草が疎らに映える程度の荒れ果てた山肌と、溶岩流や火砕流、山火事、有毒な気体の被害に遭わなかった森林地帯である。


青色山脈西端の火山脈は森林地帯も範囲は狭く、魍魎も強力な個体は生息していない。


自分が遺跡が作られた当時の権力者であれば果たしてどこに遺跡を作るか考える。


傘岳の噴火の影響でこの辺りの魍魎による被害は小さい。


山は人々を守るものとして山岳信仰の対象になっていた可能性が高い。


であれば山にある遺跡は山を祀るもの、神殿である可能性が高い。


ならばそれは山頂か、火口に造られるはずだ。


しかし傘岳は活火山で、断層を確認する限りでは200年に一度に噴火していると考えられる。


ならば、火口に神殿を造るとは考えにくい。であれば山頂付近に建立されている可能性が高い。


今シンカ達が通っている道は溶岩流の通り道である。ならば反対の北側、溶岩流や火砕流の流れ出ない位置に遺跡はあると推察した。


谷から尾根に上がり、稜線を辿る。一気に開けた視界にナウラとユタは目を見張った。


左右には見渡す限りの広大な連峰が連なり、背後には遥か遠くまで続く森と、その合間に続くうねった路が見渡せる。ラクサスの南東に聳える針山脈が朧げにではあるが見る事ができた。


「ヴィーがこの景色を見る事ができないのは残念な事だと思います。」


「帰りも通る。」


「ヴィーはシンカの顔しか見てないから・・景色なんて興味ないんじゃないのかな?」


稜線を辿り頂を目指す。高山植物の数が徐々に増え、味気ない灰色の山路に彩りが現れ始める。風向きの関係かこの辺りには火山性の有毒な気体が流れてこないのだろう。


1日登山を続けて、夕刻には岩陰で野営を行う事にする。この日もヴィダードは目を覚まさなかった。


翌朝目覚めるとヴィダードが目を開けてシンカの顔を見つめていた。


「気がついたか。」


「迷惑をおかけしましたぁ。」


「うん。大丈夫か?」


「あぁ、身体中から貴方様の匂いが・・ヴィーはもう・・・」


通常通りのヴィダードの鼻を摘むと身体を起こした。


「体調は?」


「・・節々が痛みます。申し訳有りませんが、山越えは難しそうねぇ。」


「いい。頭痛、吐き気、耳鳴り、脈拍異常、呼気の乱れは?」


「気怠さと節々の痛み、肌の鋭敏化が。」


「わかった。」


症状に見合った調薬を行いヴィダードに服用させた。


「ナウラがお前にこの景色を見せたがっていた。」


標高は海抜半里は超えている。既に低い雲が眼下に掛かっていた。


「綺麗ねえ。貴方様はこんな景色を見て回る為に旅をしているのねえ。」


「お前は何の為に旅をしている?」


「ずっと、お側に居たいのよ。ずっと。」


ヴィダード頭をひとなでした。


朝食を終えまた山を登り始める。ヴィダードの目が覚めた為、昨日より抱き抱え易くなり登山の速度も上がった。高山植物も疎らになる頃、火口まであと1町程度の位置まで上り詰める事ができた。


そこから迂回し、山の反対斜面を目指す。何となくの予感通りと言うべきか、どうやら溶岩流や火砕流は南へ向けて毎度流れているようで、回り込んで行くと裾野へ向けて樹海が広がっている様が確認できた。


更に時間を登り口とは反対方向へと回り込み、日が落ちるかどうかの瀬戸際でとうとう黒ずんだ巨大な火山岩の崖に掘られた遺跡を目の当たりにする事ができた。


黒ずんだ崖には高さは20間、幅は15間の大きさで遺跡が掘られて居た。


美しく繊細な装飾が施された柱がつるりと磨かれたまま立ち並び、その中央に黒々と入口が口を開けて居た。


「素晴らしい。」


「美しいです。これは掘ったのでしょうか?」


「それしか考えられない。だがこの技術。精巧で滑らかな磨きだ。手作業でこれ程緻密なものを作れるものなのか?」


「時間を掛ければ可能ではないでしょうか。」


「時間と人手があれば。だがこれ程の標高に、いったいどれほどの人を?」


薄っすらと砂塵が積もった階段が5段。その先に未知への入口が広がっている。


「見ろ。」


遺跡の手前、磨き上げられた入口前の広間に化石が顔を出していた。


「模様・・・蝸牛の細工ですか?」


「これは化石だ。大昔に死んだ生き物が長い年月をかけて石となったものだ。蝸牛では無く、頭足巻貝だ。」


「貝!?此処は山頂です。幾ら何でもそれは信じられません!」


「俺も驚いた。頭足巻貝は海の魍魎だ。海の魍魎の化石が何故山頂にある?わかるか?」


「・・誰かが此処に持ってきた、でしょうか。」


「おそらく探せばより多くの海の化石が見つかるだろう。此処は太古の昔、海の底だったのだろう。」


「これ程標高が高いのにですか?」


「青色山脈の西端は山頂にこういった化石がよく見られる。一説だが、此処より西は何億年もの昔は地続きでは無く、大陸同士が年月をかけて接し、押しあった結果盛り上がりこの西端ができたと。ぶつかった際に海底が盛り上がったから山頂に貝や魚の化石がある。そんな説だ。」


ユタが手を水平に並べて両の手同士を押し付け、うんうんとうなづいている。

何も分かっていないだろう。


「言わんとしている事は分かりますが、何と雄大な・・・」


「本当の事は誰にもわからんさ。こいつらが飛ぶ事ができたのか、この遺跡の主人がこいつらを好んで食べていたのか。」


言いながらシンカは遺跡に足を踏み入れた。遺跡の中は風が流れており、驚くほど清潔に保たれていた。だが細い蔦植物が天井の隙間から入り込み、そこら中に蔓延っていた。


回廊を進み、広間に出た。広い空間。灯りは無い。


だが丸い部屋の壁面に半円型の穴が規則正しく開いている。そこから僅かな風が流れる。


風は部屋の中央で纏まり、入口へ向けて流れる。

風はが砂塵を運び去るのか埃は無い。

半円型の穴に近づく。森で鍛えられた目は暗闇を見渡すのに役に立つ。闇はシンカの障害にならない。


穴に火種の類の痕跡が見られない。煤などがこびり付いていないのだ。


シンカの予想ではこれは灯り窓だったが、衝撃を与える事で一定時間白色光を発する光石も無く、煤の痕跡もないとすれば予想違いなのだろうか。

1つづつ調べて回る。


流れ出る空気の匂いに違いが無い。1つ1つの窓が同じ空間に通じているようだ。


「そうか!やはりこれは灯り窓だ!」


「火や石の痕跡は有りませんが。」


「此処は火の精霊、或いは火山そのものを報ずる社なのだ。そして今、この山の火は猛っていない。山が活発に火を噴き始めると、この窓は火山の灯りを取り込んで煌々と赤く輝くのだろう。」


「・・見て見たいです。」


「残念だが俺が生きているうちに見る事は叶わぬだろう。お前がその目でしっかりと確かめて記録を残すのだぞ。」


「・・・・・」


魍魎の気配も痕跡も無い。


ヴィダードを床に下ろして更に探索を始めた。

入口通路を背にして正面に3つの入口がある。


右の入り口は控えの間と思しき空間だった。

中には無数の土器の壺が置かれていた。

土器といっても滑らかな表面は陶器と遜色のない輝きを放っている。


陶器ではないことに気づいた理由は釉薬の有無であったが、釉薬の知識を持っていなければ陶器と判断しただろう。


勿論釉薬を使用しない陶器と考えても良かったが、引っ掻いて作られた紋様自体は遥か昔の遺跡から出土する土器の特徴である。


整頓され並べられた土器と転がる土器がある。

かたや整列ひ、かたや転がる壺に違和感を感じる。


緩い風だけがシンカの体を舐めて吹いてゆき、静寂の中に時の流れを感じさせた。

1つの壺を覗く。並んでいたものだ。土がそこから3寸程積もっていた。匂いを嗅ぐが、何の匂いも嗅ぎ取れなかった。


何かが腐り、土へと還り、年月を経て微細な生き物さえも死に絶えた乾いた土だ。


食料が保管されていたのだろうと推測する。


確かに竃の様なものも存在するが、調理場の様なものも存在しない。


木製の物があったのだろうが、朽ちて塵と消えたのかもしれない。


とするとこの部屋は厨房や食堂の様な場所だったのだろう。

反対の部屋には金属の武器が散見できた。

しかし殆どが錆びてその輝きを失っている。装備品や衣類が保管されていたのかもしれないが、金属以外は朽ちてしまったのか確認ができなかった。


両脇の部屋の確認を終えると最後の中央の部屋へ踏み込んだ。


広い空間だ。


遺跡の入口から最奥まで、感覚的には火山の火口真下に近い位置まで到達しているだろう。


灯りの燈らぬ灯り窓が並ぶ空間は正円状で、その直径は半町に及ぶだろう。


正面には祭壇と思わしき小降りの台座があり、台座の上には炎の形を模した精緻な細工の孔が開いていた。


滑らかに磨かれた床を歩み、祭壇に近づく。


「山岳信仰というより火山、ひいては炎、熔岩の信仰と見るべきか。」


周囲を見回す。


「壁面に文字が書かれている。楔形の文字か。我々が使う文字はこの楔形文字を起源としている。この壁に刻まれた文字は楔の頭が張り出している。相当古いぞ。」


「確かにいくつかそれと分かる文字があります。」


「表す意味は現代の文字とは異なる事が多い。だが・・」


「どうかしましたか?」


「俺が今まで読んできたどの楔形文字よりも古いものと思われる。解読は骨が折れそうだ。」


「シンカでもそうなのでしたら、私では殆どが難しいでしょうね。」


「一族の中でも俺は古代文字の読解に秀でている方では無かったからな。少し落ち着いて学べばお前の方が得意になるだろうさ。」


シンカに褒められてかナウラは僅かに小鼻を膨らませた。それ以外に特に表情に変化はなかったが、得意げに感じたのは理解できた。


最早ナウラの事で知らぬ事柄は無いと言っても良いだろう。幼少期の出来事から抱いた時の表情の変化まで。


ヴィダードも何れそうなるだろう。


2人はどれ程自分の事を理解しているのだろう。したいと思ってくれているのだろう。


ナウラの顔を見ながらその様な事を考えた。


「入口すぐの部屋も、この部屋も、壁は文字でいっぱいでしたが何が書かれているのでしょうか?」


「うん。・・・・・」


目についた所から楔形文字の解読を始めた。


「歴史だな。なんだこれは?分からん単語だ。・・・ナウラ。これは時間が掛るぞ。」


「私が書き写します。先生は解読を進めてください。」


一度ヴィダードの元に戻り荷を解くと、直ぐに解読を始めた。


ヴィダードは不貞腐れてナウラに豆を一粒指で弾いて飛ばした。


数日は滞在する事になる。夜営の支度をユタに任せ、2人は光石を使って解読と写しを行なった。

この日は解読は殆ど進まず、この遺跡が粳吼山の罔殿と呼ばれていた事しか分からなかった。


罔、則ち魍魎。


魍魎の建物。粳吼に意味は無く固有名詞と考えられる。


この文字の特徴から、この霊殿、罔殿が機能していたのは4000年以上前の事と考えられる以上、森とともに変質した動物、則ち魍魎の事を指す言葉では無い。


罔とは精霊を指す言葉なのだろう。


粳吼山に建立された霊殿


それがこの遺跡の正体という事だ。


しかしそんな事は訪れる前から予測できていた事だ。


この日の解読は日没とともに終了し、食事をして就寝とした。


ヴィダードは柔らかい食べ物は食べられるが硬い物は厳しいようで、火を使い豆を入れた汁物を与えたが自分では食べず口移しを強請られた。


勿論言い分は飲まず、我儘を言うのであれば自分で食えと突き放すと、匙で与える形に落ち着いた。


抱き抱えてという条件が着いたが、この日はそれを飲んだ。


因みにそれを見たナウラはシンカの隣に無言で腰掛け、ユタは小一時間席を外した後に汗だくで戻ってきた。

剣の訓練をして来たようだ。


翌日朝食を取り終わると解読に移った。


それから5日もの間、シンカとナウラは楔形文字の解読と記録に費やす事となった。


その間にヴィダードは完全に復調し、ユタは行法を扱えるようになった。


遺跡をおとずれ7日目の昼過ぎ、シンカはナウラと顔を突き合わせ、読み解いた事を纏めることにした。


ユタは自分で持ち込んだ無臭の干し肉を齧りながら舟を漕いでいる。


ヴィダードはシンカの膝に頭を乗せ、瞬き1つせずに顔を見上げ続けていた。


つまり、興味が無かった。


「整理をしよう。最後まで分からなかった単語が年号であると仮定すると、全ての文章が成立する。人名、地名等の固有名詞では説明がつかなかったからな。まず、この遺跡は凡そ5000年もの間ウルサンギアと自らを呼称する民族により運営されていた。森渡りの書館には3000年から4000年前の書物と文字が残っている。この文字の特徴よりもこの遺跡の文字の特徴がより象形的である事を考えると、古の大国ヴァルドの起こりよりも古い年代の文字であると判断できる。ヴァルドは今より4300年ほど前に起こり2900年前に滅んでいる。ヴァルドの書の幾つかは里に残っている。俺も読んだことがある。遺跡の文字は間違いなくその書物より古い。つまりこの遺跡は最も近くて9300年前には建立され、5000年の間廃れる事なく管理されていたという事となる。」


「この遺跡を建立せしめた文明が滅んで直ぐに古代の王朝が起こったとは考えにくいですね。」


「ああ。だから実際はもっと古い時代の可能性が高いのだ。」


「鳥肌が立ちました。何故これ程の技術を持つ文明が滅びたのでしょうか?」


「え、その顔で本当に驚いてるの?で・・・・まあああか。うん。滅びた理由の記載は無いな。・・・さて。記述の内容が正しければ、ウルサンギア達は自然の力を見通すことが可能であり、同時にその力を信奉してもいた。精霊の信仰は現代の人々と同じく持っていたようだ。粳吼山の火山周期200余年も正確に把握しており、噴火が近付くと此処で催事を行なった。噴火を何かに利用していたようだが、それは名詞が多く理解できなかった。」


「火山の火口間近に建物を建て、噴火を祈るなど、到底真似のできない行いです。今では想像できない高度な技術があったのでしょうか?」


「この美しく磨かれた床を見ればそうとしか考えられない。だが恐ろしいのはこれまでその痕跡が隠され、片鱗すら掴ませなかった事実だ。例えばメルセテで700年前に作られ始めた青磁の器だが、交易品として大陸中に出回っているし、ランジューの400年前の地層でその破片が出土している。こう言った形跡が必ず残るが、幾ら数千年前とはいえ何の痕跡も見られないのは些か不自然に過ぎる。」


「大きな地殻変動や天変地異で平地の痕跡が消えてしまったのでしょうか?」


「その可能性もある。だが俺はどうしても疑問に思えてならない。火山の火口近くにあっても数千年呑み込まれることのない遺跡を作るもの達が地震や洪水などで損なわれるような街づくりをするだろうか?」


「確かにおっしゃる通りです。では故意に痕跡を消したと?」


「それも可能性の1つだ。或いは後続の文明や国家がその痕跡を悉く消し去ったか。分からんよ。」


「先生。今私は感動しています。自分で答えを探さなければならないのですね。大陸のどこにあるか分からない痕跡を辿り歴史の真実を探し求める。素晴らしい学問です。歴史学、でしょうか?」


「全く感動しているようには見えないが。」


嘘だ。僅かに頰に赤みが差している。興奮している事がシンカにはよくわかった。


「考古学と呼ぶ。古きを考え真実を導く。歴史学は記録から学び、考古学は遺物から学ぶ。」


「早く楔形文字を教えて下さい。先生と一緒に考えたいです。」


「うん。いいが、歴史も教えねばならん。2つは不可分だ。」


「分かっています。・・それで、他に分かったことはありますか?」


「・・この粳吼山遺跡は炎の罔象、則ち精霊を祀った霊殿だが、御多分に洩れず水と風と地を祀る社もあるようだ。水は予想が付く。壁画には偉向湖と記載されている。間違いなく東のエラム大湖の事だろう。エラム大湖にこの様な遺跡があった記憶は無いが、まあその内行こう。地は奈狡山の地底とある。俺はジャドールの里か、或いはエンディラの里のどちらかでは無いかと考えている。」


「エンディラですか。私はジャドールの方が可能性を感じます。風は?」


「全く想像が付かない。姥度谷という地にあるらしい。谷か。」


「先生が存命のうちに見つける事は叶わないかもしれませんね。ですが、私なら何とかなるかもしれません。もし弟子の私だけがそれを見つけ、隠された真実を発見できる事を口惜しくお思いなら。長く生きて共にあってください。」


「ふむ。叶わんなぁ。」


ヴィダードがシンカを見上げながら小さな声でヴィーも。と囁いた。


怖い。


ユタは涎を垂らして寝ている。


「進化と適応放散についてはまだ説明していなかったな。今よりも億年、兆年昔には人やそれどころか獣も大陸には存在していなかったと考えられている。魚が爬に、爬が鳥と獣に環境の変化に従い生き残るべく姿を変えた。長い年月をかけて。原始の獣は鼠の類であった。獣は獣で環境に適応するべく進化を遂げた。知っての通り馬や猿、熊、駱駝。そして人は猿から進化した。」


「まさか。私にも先生にもあの様な毛は生えていません。」


「人が服を着る様になり毛は退化したのだ。必要がなくなったからな。」


「まさか・・・しかし、以前グリューネの森で見かけた黒鼻猿の生々しい仕草は・・・」


「環境に適応しその形態を変える事。これを適応放散という。」


「私達は虫だった事があるのでしょうか?」


「俺もお前も虫だった事はないだろうが。虫は人とは別の進化の行き着いた先だ。さて。此処で言語の話に繋がるが、何故この大陸の人類は最西端のマルカから最東端のエンディラまで同じ言語、同じ文字を扱うのかと言う話に繋がる。別々の場所でそれぞれの民族が猿から進化を遂げたのだとすると、言語は全く異なっていたはずだ。だがそうはならなかった。」


「つまり、何処かひとところで進化が起こったのでしょうか?」


「そう見るべきだと思う。そしてそこで彼等は言葉と文字を得てから大陸中に散り、その先でさらなる適応放散を行なった。」


「しかし、言葉を覚える前に散っていてもおかしくは無いと思うのですが。」


「俺もそう思う。そこに作為を感じていた。だがこの遺跡に来て1つの疑念を得た。ウルサンギアとは何だ?穏やかな生物の進化の流れの中では、彼等は異物だ。1万年前、俺たちの子孫は碌な言葉もなく服も着ず、その日暮らしの生活をしているはずだった。文明が無かったのだから当然だ。だがこの遺跡はどうだ。服を着ない者に作れる構造物ではない。」


「先生は、彼等ウルサンギアが我々の先祖に言語を与えたと。そうお考えなのですね?」


「それだけではない。衣類や文化にも影響を及ぼしたのではないかと考えている。」


「何者なのでしょうか?」


「分からん。それを知るための旅だ。」


「何故ウルサンギアは消えたのでしょうか?」


「うん。それだが、始めの記録から4600年でぴたりと記録が留まっている。ウルサンギア人が滅びたのか、この遺跡を捨てたのか。それは分からない。」


その日は王都スライに戻る為の支度を行い、シンカは遺跡の様子を描画して過ごした。


翌朝スライの街へ向けて遺跡を発し、7日後には何事も無く到着していた。


山渡りの襲撃からかなり時間も開いた為か、襲われる事も不審な気配もなく宿を取ることができた。


始めに街を出てから半月は超えるが一月には及ばない短い旅であったが、シンカにとっては大きな変革となった旅であった。




山に囲まれた美しい村の、切り立った崖に掘られた横穴式住居、その最も高い位置にある住居の窓枠に一羽の鳥が降り立った。


その足には畳まれた文が結び付けられている。

鳥は小さく鋭い嘴で窓枠を幾度か小突いた。

軈て中年の女が窓の横の扉を開いて現れ、鳥の足に手を伸ばした。


鳥は伸ばされる手を激しく突き、女は悲鳴を上げた。


ぶつぶつと文句を言うと一度住居に戻り木の実を取り、鳥へ与えた。


木ノ実を突く鳥の足から漸く女は文を外し、室内へと戻って行った。


女は住居の奥へと進み、一際大きな部屋へと踏み入った。


其処には5人の老人が石の椅子にかけて茶を嗜んでいた。


女は最も手前に座っていた老人に文を手渡した。


「な、なんと!?」


文を読み始めて早々に老人が大きな声を上げた。


「何?!どうかしたのか?!龍でも出たか?!」


2人目の老人が尋ねる。


「シ、シンカからの文じゃ。」


「何?!間違いでは無いのか?!彼奴、漸く里に戻ってくるのか?!」


3人目が口角から唾を飛ばしながら尋ねる。


「ふむ。・・いや、そうでは無い。が、重要な情報じゃ。彼奴、山渡りに襲われて交戦したと書いておる。身の回りに気を付けろと。」


「何処じゃ!?何処で交戦したのじゃ!?今すぐ迎えの者を送るのじゃ!」


4人目が激しく怒鳴り立てる。


「・・・残念ながら書いておらん。」


「見せるのだ!」


5人目が文を奪い取る。


「・・・今年も彼奴は戻る気が無い様だの。」


文を奪った5人目の老人は項垂れた。


「・・血が付いておる。彼奴、負傷したのか?」


「シンカが?彼奴が血を流す所など想像できんわい。だとしたら大人数で囲まれたのだろうな。可能性としては返り血の方が高いと思うが。」


「返り血を浴びる様な不手際を彼奴がするか?見ろ。指の形に血が付いておる。彼奴の手に血が付いていたのだ返り血の可能性は低い。」


2人目と3人目が議論を交わす。


「僅かに毒の匂いがするな。これは神経毒の類では無いかの?彼奴は神経毒は使わん。里にもこの毒を好んで使う者はおらん。山渡りの毒と考えるべきでは無いか?」


「となると彼奴か、彼奴と共におる者が毒を受け血を流したと考えるべきだの。何れにせよ里の者と大陸中の一族に知らせんとな。」


「この毒の治療は里の者でも皆ができるわけでは無い。彼奴が受けたわけでは無いだろう。」


2人目、3人目、4人目が順に口を開く。


「この字、墨が滲んでおる。僅かじゃが。湿度の高い所で書いたのでは無いかの?紙が湿度で僅かに湿っていたのでは無いか?」


「その可能性はある。ベルガナとヴィティア辺りかもしれんのぉ。」


「彼処は・・ヨウロ、センヒ、後はソウハとジュナの夫婦が今はいるはずじゃが、連絡はなかったのぉ。」


1人目と4人目が議論を交わす。


そして行方の知れぬ男に5人揃って溜息をついた。


「いい加減彼奴帰って来ないと彼奴に子供弟子入りさせたい教育婆共が煩くて敵わん。」


「儂この前ジュミの奴にいつシンカが帰ってくるか胸倉掴まれて聞かれたぞ。知らんって答えたら滅茶苦茶怒られた。」


「どうしよう、儂今年は帰ってくるかもって答えた。この文の感じ、絶対帰ってくる気ないよ。」


「彼奴無駄に優秀だからのぉ。彼奴の弟子は籤引きで決める事になっとったのぉ。今希望者何人?」


「31じゃの。」


「シンカ何人弟子育てられるかの?」


「シンカだし30人行けるんじゃないか?」


2人目と3人目、4人目の老人が議論を交わす。


「そういえばリンファが旅支度を始めてるらしいのぉ。何か知ってるんじゃ無かろうか?」


「知らなさそうだが確認してみるかの。」


焦燥した様子で5人の老人は数刻の間その後も議論を交わした。

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