悲しみを燃やして


森渡りの里、シン家5人の女達はその晴れ渡る天気とは裏腹に不安に沈んでいた。


夫が1人旅に出てから17日が経過していた。


捜索に出た同胞からの連絡はまだ来ておらず、捜査の進捗どころか夫の安否すら不明であった。


玄関の扉を開き、春先のまだ冷たい風を家の中に取り込んで室内の空気を入れ替え、気分を変えようとしていた時だった。


そんな家中に鳥が飛び込んで来た。

森鶫のヤカであった。


ヤカは所々羽根が抜けて乱れていた。

乾いた血痕も付着していた。


「っ!?」


リンファが崩れ落ちた。シンリを抱きながら目を見開き、荒く呼吸を繰り返した。


ヤカはナウラの肩に止まると襟を啄み激しく引いた。


「…………まさかっ!?」


カヤテがふらつく。膨らみつつある腹を気遣いユタが支えた。


「そんなはず無いっ!嘘よっ!」


錯乱するリンファの狂態にシンリが怯えて泣き始める。


ヤカに付着した血液はシンカのものだった。

含まれる経と匂い。間違えようも無い。


そしてヤカの仕草。

こんな仕草は見た事がない。


シンカに何かあったとしか考えられなかった。


「そっか……シンカ、いっちゃったんだ……」


ほろりとユタの眼から涙が零れ落ちた。


「そっかぁ……やだなぁ…」


「ユタ!滅多な事を言うものではありません!」


珍しい強い語気でナウラがユタを嗜めた。

ヴィダードは無言で装備を整え始めていた。


「ヴィー。先走らないで下さい。一緒にいきましょう」


実際に目にするまで信じる事は出来ない。

ナウラは自室に戻り始める。


「………すまん、私も行きたいが……」


「私とヴィーで行きます。ユタも残って下さい。家の事、任せましたよ」


「ああ。そちらも、頼むぞ」


「うん……ごめんね?……辛いね。凄く胸が痛い……」


リンファとカヤテに手伝ってもらいつつ2人は急ぎ支度を終えた。


ナウラとヴィダードは陽が暮れる前に里を出て南を目指した。


ナウラの心中は重たく暗かった。


ヴィダードの菅笠の上にヤカが止まり、時折鋭く鳴いて2人に道を示した。


13日かけて南下すると2人はスイキョウ隊と遭遇した。

正午近くの事だった。


「ナウラさんとヴィダードさん。どうしました?何か里でありましたか?」


「いえ。里では何も。夫に何かあってはと。何かご存知ですか?」


「……それが、15日程前に本隊、クウハン隊から伝達があったのです。巣を見付けたと。ここから真南に30里、東に3里、ケルレスカンから南東5里、ケルマリオから北東4里の位置です。私の隊はここで伝達役として待機との事でした。ですが四半日後に近付くな、とだけ再び伝達があり、それ以来連絡が途絶えているのです」


「……まさか」


スイキョウが首を振る。


「ケルマリオのハンネさんに状況を確認する為に10日前に鷹を送りましたが…」


「連絡が無いと言う事でしょうか?」


「何かが起こったのです。不用意に南下するのは危険かと、此処で待機しています」


ヴィダードの笠の上でヤカが騒ぐ。


「やはり私達は夫の安全を確かめたいので進みます」


「シンカさんとは16日前にこの辺りでお会いしました。距離からして巣の発見には間に合わなかったのではと思われますが…」


「ですが、何かが起こった後、居合わせた可能性は大きいのではないでしょうか?」


「…ですがそうですね。ただ、何が起こっているか何も分かりません。気を付けてください」


「有難うございます。そちらも気をつけて下さい。何か分かれば知らせます」


ナウラの胸中の暗雲が更に厚く広く心を覆う。

ヴィダードに目で合図を送り足速に南下を再開した。




15日前のケルマリオでの事。


宿泊する宿屋にてハンネは伝達を受けた。

御告げの王種の巣を発見したと。


部隊の派遣を求められ、直ぐに指示を出した。

ハンネ隊、コクリ隊から人を割き、クウハン隊は100名以上の人数となる。


隊長はクウハンだ。

王種が強力で倒せなかったとしても、クウハンの指揮下であれば無事に帰還するだろうと考えていた。


密に連絡を取りつつ討伐は14日前に実行される事となった。

増援は間に合っていなかった。


だが巣である崖の隙間に王種が潜んでいる機会を逃すのは愚行と、クウハンは先行して攻撃を行う事とした。


討伐の手段として毒気を使うと聞き、問題は無いとハンネも判断した。


巨大な魍魎をも葬る薬だ。

狭い空間で使わなければ効果は薄い。


そして半日後、再び伝達が届く。


近寄るな、と。


始め、ハンネにはその意味が分かりかねた。

どの様な状況下でその指示が為されたのか。


それ以降クウハン隊と連絡が取れなくなった。

此方からの伝達に誰一人として返答が無い。


全滅したのかという想像もしたくない事態が起きたのでは、と不安を抱えながらも、連絡が取れる範囲の同胞には4里の距離を保つ様指示を行った。


陽が傾き始めた頃、1羽の鳥がハンネの借りている宿の部屋に窓から舞い降りた。


森鶫だ。

森鶫は本来渡り鳥であり、これを従罔としている同胞は1人しか存在しない。


シンカだ。


シンカがヤカと呼ぶ森鶫の脚には紙が結えられていた。

脚から外す前から分かる。

手紙には血が付着している。


手紙を外すとヤカは直ぐに飛び立っていった。北東へ。巣がある方向へ。

呼び止めるも脇目も振らず飛び去り、直ぐにその姿は見えなくなった。


ハンネは手紙に視線を落とした。


細く折り畳まれた紙。里で作られているものだ。

広げる。

シンカからの伝言であった。


クウハンが死んだ事。

自分にも状況がわからない事。

これから巣へ向かう事。

そしてクウハンの最後と言葉。

妻と子への言葉。


簡潔な手紙だった。


ハンネはそれを読み、思わず口元を押さえた。

目頭が熱く鼻が痛い。


シンカも急いでいたのだろう。

クウハンがどの様な状態だったのか、書かれてはいなかった。

場所の情報だけだ。


その簡潔な手紙からハンネは様々な感情を読み取った。

クウハンとシンカの並々ならぬ覚悟。


推測する。

恐らく。


クウハンは想像を絶する事態に遭遇したのだろう。

碌な伝達を行う余裕がないほどの。

クウハンがなす術なく破れる様な何か。


クウハンは判断したのだ。100程度の森渡りではそれは倒せないと。


クウハンは死ぬ前にハンネに近付くなと告げた。

誰が何と言おうとその指示は守るべきだ。


ハンネは現在の4里という警戒網を維持する事に決めた。

しかし懸念されるのはシンカの存在だ。

恐らくシンカはクウハンが何に敗れたのかを知らない。


何とかして連れ戻すべきではと考えたが、件の場所に人を送ればその者が死んでしまう。

手を出す事が出来ない。

そう判断した。


何とか距離を保ちつつ情報を入手するしか無いと。


その晩、警戒させていた部隊員から伝達が届く。

昼下がりから夕刻にかけて巣の近辺から無数の轟音が鳴り響いていたと。


そして早朝に大規模な牛鬼の群れの痕跡を発見したとケルマリオ南東の隊員から連携を受ける。


そして昼前にクウハン隊の生き残りが初めて発見された。


30代の男だったが、彼は糞尿を漏らし異臭を漂わせ、震えながら歩いているところを発見された。


始め、彼は何も話す事ができなかった。

歯の根は震え、飲み食いさえも出来ない状況だった。

情報を聞き出す事は当然出来なかった。


それからぽつりぽつりとクウハン隊の生き残りが発見され始める。

討伐決行の日から4日後までで15人が発見された。


始めに発見された男が話しをできる様になったのは丁度その頃だった。


断片的な記憶を聞き取る。

彼だけでは王種の正体も鬼である程度の情報しか判断できず、他の生き残りの回復を待つ事となった。


森の異変は初日にしか報告されず、やきもきする事となる。

その後も生き残りがちらほらと発見されたが、皆恐怖のあまり逃げる事しか出来ず、鬼の正体は判然としなかった。


10日経過した時点で、生き残りは20名へと増えていた。


断片的な情報を纏めると、毒気を崖の隙間に流し込み、魍魎が吠えた事。

その時に鼓膜が破れた事。始めの攻撃で何人かが犠牲となり、クウハンが撤退の指示を出した事。


誰かが伝達を行うも、直ぐに殺された事。

分散して逃走を図り、クウハンがその時間を稼ごうとした事。

その後も鬼に追われ、何人か犠牲となり隊員達は恐怖に震えながら森に隠れ潜んでいた事。


そこまでは把握できた。


シンカの存在は確認できなかった。


ここまでの情報でハンネはスイキョウに里へ増援を求める伝達を行った。

数日後に入れ違いとなる形でスイキョウから情報及び指示を求める連絡が届く。


同時にハンネは決死隊を募った。


情報を持ち帰るためにコクリと選りすぐりの戦士10名を集め、死を覚悟した部隊を結成し、森へと送り出したのは討伐決行の日から19日後の事であった。




ナウラとヴィダードがそれを発見したのは里を出てから16日が経った時だった。


「………クウハンさん…ですね」


下半身を失ったクウハンの遺体。


ナウラは遺体を観察する。


「傷口が焼かれています。自分で焼いたと見るべきですね。……この近くに危険が?」


「小さな魍魎の気配をたくさん感じるわぁ。この辺りに危険な魍魎は居ないと思うけどぉ…」


「胸の上で手が組まれています。誰かが看取ったか、遺体を発見したかです」


「シンカ様の匂いがするの」


「遺体が魍魎に荒らされていません。周囲に魍魎避けの薬が撒かれています。死後硬直前か後に手が組まれたと考えると、時期的にも看取ったと考えた方が自然でしょう」


「シンカ様がここを通ったのよお。早くいきましょぉ?」


ナウラはクウハンの手をそっと解き、掌を確認する。

樹木の皮が付着していた。


「……この方は下半身を失い、自分で焼いた後に木を伝って手だけで逃れて来たのでしょう。凄まじい事です。生きたかったのか、同胞の為か…両方でしょう。敬服致します。……ヴィー。気持ちは分かりますがこの方の冥福を祈りましょう」


「そうねぇ」


2人してクウハンの亡骸に祈りを捧げる。


その時、2人は森を此方に向けて進む気配を感じ取った。

武器を抜き木陰に身を潜める。


現れたのは初老の男を筆頭とした11名の森渡り達であった。


「……心配せんでいい。シンカの妻達よ。……あぁ、やはりか、クウハン……」


コクリだ。

森渡りの十指の1人。


コクリはナウラと同じ様にクウハンの亡骸を調べ、祈りを捧げる。


「矢張りとは?何が起きているかご存知なのですか?」


「いいや。それを確かめる為の決死隊が我々だ。シンカからクウハンがここで死んだと報告を受けていた」


「何も分からないのですか?」


「想像を絶するものが王種だった。それしか分からんのだ。クウハンが死ぬ間際に近付かぬ様指示を出した。不用意に犠牲を増やすわけにもいかず、対応が遅れておったのだ」


「王種の正体も不明なのですか?」


ナウラは訊ねる。


「うむ。鬼とだけ。恐らく正体が分かるほどそれを目にした者は、皆死んでいる」


「…鬼……ですか……。鉱物を食す鬼…」


無数の選択肢がナウラの脳裏に浮かぶ。断定するには情報が足りなかった。


「ナウラとヴィダードと言ったか?何故此処に?シンカから何か連絡があったのか?」


ナウラは首を振る。


「何もありません。この子がシンカの血を付けて里に帰ってきたのです。何かあったのではと慌てて里を出ました」


「…………そうか……」


その沈黙が何を考えてのものか、ナウラには理解できた。

しかし自分はその可能性を除外する。

まだ何も分からない。何も。


吐き気を催す程に不安を覚えている。

もし夫の身に何かがあったのであれば…と。


「私達も同行します。何があっても私達の自己責任です」


「止めても2人だけで行くのだろうからな。同道しよう」


一行は南を目指して歩みを再開した。

クウハンが何処を通り最期の場所まで辿り着いたかは血痕を辿れば容易だった。


頭を潰された森渡りの女の亡骸を発見する。


「…巨木が…殴り倒されたのか…?」


「位置からしてあまり体格は大きくないな。頭まで6尺半程か…」


「6尺半の鬼がこの巨木を殴り倒すだと?…信じがたい」


森渡り達が遺体付近を調べて囁き合う。

コクリが彼女の遺品を漁る。


「……センハだ」


森渡り達が祈りを捧げる。ナウラとヴィダードも同じく冥福を祈った。


「足跡を見たか?あれは…草履か何かを履いているのか?」


「まさか…鬼が…?知能がある可能性が高いとは聞いていたが…」


一行は更に進む。


そして再び遺体を発見する。

今度は二つと半分。


1人は胸に大穴が開き、1人は首を引きちぎられている。

ナウラは遺体の主が夫ではない事に安堵をし、他人の死に安堵した事に罪悪感を覚えた。


「ハングとスイラクだ。それとクウハンの下半身。…此処にも魍魎避けの薬が撒かれているな。シンカか…」


薬が撒かれていなければクウハンも、センハも。ハングもスイラクも遺体を食い漁られてしまっていただろう。


森渡り達が戦闘痕を調べている。


だが結論としては抵抗したものの、王種には傷を与える事はできず、なす術なく殺されたのだろう、というものだった。


「恐らく、此処でハング、スイラク、クウハンの3人で隊員を逃すべく戦ったのだろう。しかし返り討ちにあった。鬼は彼方へ逃げたセンハを追い、殺した。そして此処に戻り、別の者を追い掛けた。クウハンは擬死でやり過ごし、その後其処の岩を熱して傷を塞いぎ、あちらの木を腕だけで登り、枝伝いに逃走した」


コクリの指の先に血液や臓器がこびり着いた岩と、木がある。

だが状況は推察出来ても鬼の正体は分からぬままだった。


森渡り達が何方から逃げてきたのかは分かりやすかった。

全力で逃走した為か、痕跡が無数に残っていた。草履を履いた大きな足跡もだ。


一行は周囲の気配を探りつつ慎重に進んだ。


ナウラには違和感があった。

何故遺体はそのままの状態なのか。


王種が魍魎避けの薬を嫌うはずが無い。あれは小型の魍魎を避ける為の薬であり、一部の中型や大型種に効果はない。


鬼は人を食べないのか?

ならば何のために殺したのか?


食べる為でなければ、何故殺した?

敵意。娯楽。それ以外。分からない。


森が開ける。正面には北東から南西へと伸びる高い崖。

その足元に縦の亀裂が入っていた。


森渡りの遺体が此処にもある。

森渡り達は緊張し、周囲の気配を探りつつ亀裂に近寄る。


ナウラとヴィダードも気配を殺し続く。

コクリが視線を隊員の1人に向ける。


隊員が首を振った。

そして手信号。

音、無し。


コクリが手信号を送る。

別の男を指差し、亀裂を示す。


頷き指された森渡りが亀裂に脚を踏み入れ、闇に飲まれていった。


無音のまま時間が流れる。


ナウラは首元から緊張により流れ落ちる汗を不快に思っていた。


暫くして亀裂の中から鳥の鳴き真似が聞こえて来た。

中には何も居ない様だった。


森渡りの達は2人が入り口に残り、他は亀裂に脚を踏み入れた。


「……霧だ……」


洞窟の中に声が響く。

足元に濃い霧が溜まっている。


「道理で見つからないわけだ…」


小声で森渡り達が囁く。


腐敗臭が漂っている。


先に入った森渡りが鍾乳洞の中心に立っていた。


焚き火の跡がある。

鬼は火を扱えるという事だ。

ナウラは身震いをした。


周囲の森渡り達も同じ様に唖然として焚き火の跡を見ていた。 


広間の壁際に小動物や人骨が積まれていた。

森渡りの装備も見受けられた。

埃が僅かに積もっている。

最近のものでは無い。

恐らくランギ隊のものだろう。


鬼は人を食べていた事は間違いない。

では、何故先の遺体は手付かずだったのか?


鍾乳洞の広間は二方向に続いていた。

先に洞窟に潜り込んだ森渡りが片方を指差し首を振る。

塞がっているという事か。


コクリはもう片方に脚を向ける。

広間に6人が残り、5人が先へと進んだ。

腐敗臭のする方へ。


「うっ!?」


森渡りの1人が口を抑える。

ナウラもえずいてしまった。

嗅覚に敏感なヴィダードは鼻に綿を詰めており反応していない。


夥しい数の骨が積み上げられていた。

中には森渡りの装備も見える。

シンカが引っ張り出したのだろう。


見渡す限り、真新しい物はない。

此処にはシンカの物は何一つとして無いという事だ。

ナウラはまたしても安堵する。


一行は広間に戻る。

今は王種が棲家に居ないとは言え、いつ戻るかは分からない。

なるべく多くの情報を入手しなければならない。


「…この先は崩落している」


1人が小さく言葉を発した。

鍾乳洞に声が反響する。


「崩落してそれ程時間は経っていない様だ」


小声でもう1人が返す。


「……シンカ様の匂いがするわぁ」


鼻から綿を抜いたヴィダードがそう言葉にした。

ヴィダードは嗅覚だけで旅をするシンカを追い続けた女だ。

ナウラには腐敗臭もあり判別できなかったが、ヴィダードの言葉は信じるに値する。


ならば、シンカは何処へ?

炮烙の下に埋まっているのか?

何故鬼の棲家は崩落したのか?


答えは一つしかない。


「…戦闘があったのでしょう。道を作ります」


ナウラは鍾乳洞の壁に手を突く。

崩れ落ちた瓦礫が形を変え、隙間を作り出す。

細い通路が生まれた。


ナウラは通路に入り、瓦礫を土行法で変形させて進んでいった。


暫く進み漸く開ける。

外に出たのだ。


その先の光景を目にし、ナウラは棒立ちになった。


後からヴィダードと森渡り達が続く。


「こっ!?これはっ!?」


コクリがその光景を目にして声を上げた。

冷静沈着な森渡りの十指が。


凄まじい光景だった。


ナウラも開けた先には森が続く物だとばかり思っていた。


そこは更地だった。

広大な範囲の樹々が倒れ、土が剥き出しになっていた。


大樹が倒れて居なければ耕し畝を作る前の農地だと言われても納得できるだろう。


「………一体………何が、あったんだ?」


1人が発した言葉。それに尽きた。


一行は何故更地が出来たのか確認する為脚をすすめた。

探索を始めてすぐ。


ナウラは未踏の山奥にあるのは不自然な木片だ。

匂いを嗅ぐ。

間違いない。シンカの物だ。


眩暈がする。

薬が入った背嚢の破片だ。


シンカがもし大怪我をしていれば、治療が出来ない。

息が荒い。不安に押しつぶされそうだった。

胃がきりきりと痛む。


そんな中、森渡り達が集まり何かを調べていた。

ナウラとヴィダードは彼らに近寄る。

森渡り達は太い倒木を調べていた。


「……この部分。指が食い込んだ後だ。しかも片手だけで」


「まさかっ!?大人2人でやっと抱えられる太さだぞ!?長さは10尺以上だ!」


「これを振り回せば森も更地に変わるだろう。それ以外にこんな事をできるか?」


「途轍もない嵐が来たと聞いた方が、まだ現実味があるな…」


「だが、嵐など来ていない」


「討伐の日の夕刻に聞いたという轟音はこれの音か?」


「そうだろうな」


足元を確認しながら進んでいく。


「っ!?」


そしてナウラはそれを見つけた。


腕だ。

見覚えのある革手袋を嵌めた左腕。


ヴィダードが腕を大切そうに拾い上げる。腕は肘あたりが粉砕されていた。


皮膚に残る大きな手形の鬱血痕。

掴まれ握り潰されたのだと分かった。


動悸が激しい。


一部食いちぎられた跡もある。


ヴィダードが革手袋を外した。

5つの指輪が嵌まったシンカの手だ。

ナウラの送った指輪も嵌っている。


「そんなっ!?」


ナウラの叫びを聞きコクリが近づいて来る。


「…シンカの物か?」


無言でナウラは頷く。

ヴィダードは掌に頬擦りをしている。


「…少し見せてくれ。……断面が鋭利だ。掴まれ、自分で切断したのだろう。これはシンカがこの時点では生きていた証だ。望みは捨てるな」


その通りだ。

だが、腕を失い、この災害の様な魍魎を倒せるのか。

それがナウラには疑問だった。


更地の続く先へ脚を進める。


流蜻蜓の翅を見つける。

刃が半ばから折れ曲がっていた。

乾いて黒ずんだ血液が付着している。


「深手を負わせたか。これまで見てきた同胞の遺体が持っていた武器に血液は付着していなかった。それ程の硬さを持つ魍魎なのだろう。それに傷を与えている。俺では出来ん事だ」


魍魎の骨を加工した柄を見付ける。

リンファの短槍、素貧。その持ち手だ。


穂先は無い。至る所に罅が入っている。

何か強い衝撃が石突きに加えられたのだろう。


次に見付けたのは大きな手だった。灰褐色の肌。

断面は鋭利で、一撃で切り落とされたことがわかる。

近くに2本目の翅が落ちていた。刃に罅が入っている。


「…シンカは巨木を振り回し森を更地に変える魍魎と戦い続けて、手傷まで追わせたのか…」


「俺だったら…初めの攻撃を躱せるのか…?」


「灰色の皮膚の鬼…。何だ?変質している可能性もある。断定できない」


次に一行が見付けたのは鬼の左脚だった。


「…シンカは到頭脚を切断したのか…。鬼の接液がそこら中に残っているな…」


「見事だシンカ!これ程の力を持つ王種相手に…。見ろ、この大腿骨を。皮膚も!何度も同じ場所を狙い到頭切断したのだ!何と凄まじき技量!」


「普通の魍魎なら生き残る事は出来ないはずだが…」


「いや、此処に穴がある。枝か何かを杖にして進んでいる。王種を普通の魍魎と同一視しては駄目だ」


そして一行は再びシンカの身体の一部を発見する。

右脚だ。

ナウラが拾い上げる。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


息が荒い。

それでも調べなくてはならない。


皮膚や筋肉が引きちぎられた様な傷口。

小さな石の破片が潜り込んでいる。

投石で千切られた様だ。


まだこれだけではシンカの安否は分からない。


3本目の翅を見付ける。刃が歪んでいた。

鬼の脚を切断した事で役目を終えたのだろう。


「…シンカの流血は脚を失ったにしては少ない。直ぐに止血をしたのだろう。…まだだ。先へ進むぞ」


険しい表情でコクリが告げる。

コクリにも分かっているはずだ。ナウラにも分かる。

これ程の力を持つ鬼を相手に、片手片脚で生き延びる事ができるのかどうか。


それでもナウラは信じる。

痛かっただろう。苦しかっただろう。

それでもシンカは戦い続けた。


何故?

明白だ。

同胞の為、家族の為。ナウラ達の為だ。


その表情が容易に目に浮かぶ。


決意を込めた強い眼差し。


歯を食いしばり痛みに耐え、背を見せず戦い続ける。

今までもそうだった。だから分かる。


次に発見したのは青鈴岩の剣、その柄だった。

剣身は見当たらない。


「剣身は何処だ?…まさか、刺したのか?一体どうやって…」


漸く森が迫る。

所々樹々が薙ぎ倒されている。

シンカが片手片脚で戦い続けた証だ。


ナウラは倒木の影にシンカの頭が転がっていやしないかと恐れながら周囲を進んでいた。


ヴィダードもシンカの腕を両手で抱きながらも目を見開いて周囲を窺っている。


「牛鬼の足跡だな…」


「凄まじい数だ。200?いや、300に届きそうだ」


「牛鬼の群に関する報告があったな。何があったんだ?」


森に入る。


少し進むと何かの肉が地面にこびり付いているのを発見した。


「臓器だな。………シンカ…お前は……到頭腹を斬り裂いたのだな……」


コクリが目頭を抑えた。


ナウラの双眸からはとうに涙が溢れている。


再び剣の柄が見つかる。

何かの紋章が設えてある。


「この紋章、我等の祖たる故ヴァルド王朝、王族の紋章だ。つまりこの剣は王の剣。シンカの両親が森に飲まれた時にこの剣も失われた筈。…何処で…?」


コクリが呟く。ナウラにはどうでも良い疑問だった。

ナウラの興味はシンカの安否。それ以外は何事もどうでもいい。


「そこら中からシンカ様の匂いがするわぁ。包まれているみたい」


ヴィダードはもうおかしくなってしまっている。

気持ちは分かる。


何よりも大切な夫の手脚を拾い、正常でいられるものか。


戦いの痕跡を辿る。


カヤテの短剣の柄を見付ける。

見た事のない針の武器を見付ける。

ひしゃげた右腕を見付ける。


「…これも自分で切断している。まだ、死んではいない。まだだっ!」


周囲の地面は無数の牛鬼の蹄跡でならされ、鬼やシンカの足跡を追うのは難しかった。


しかし戦闘痕ははっきりと行き先を示していた。


ただ、進んだ。


そして、到頭見つけた。


「……これが…」


鬼だ。

身体は大きくない。


しかし死して尚留まる経にその個体の強さを垣間見た。


肌に残る雷による損傷、鋭い切り傷。

至る所にシンカが戦った痕跡が残っていた。


仰向けに倒れ、天を睨み付けていた。


凶悪な赤ら顔だ。


「…朱顔鋼鬼…?!」


「いや!?まさか!?有り得ん!いや、有り得ん!?」


「そんな馬鹿な!?何という!こんな事があるのか!?」


「あまりに凶悪な為に我等が2000年前に狩り尽くした筈だ!」


朱顔鋼鬼。

書籍で目にした事がナウラにはあった。

古のテュテュリス人が変異した魍魎。


特に経が強力だったテュテュリス人が変異したもの。それが朱顔鋼鬼。


鬼となって尚殺戮を好み、集団で街をも滅ぼしたと伝わる。


硬い表皮と強靭な膂力。討伐の為に多くの森渡りが犠牲になったと。


「生き残りがいたのだろうよ…」


「その王種、しかもバラドゥア兵の経を取り込んだ、曼陀羅龍の血肉を喰らい変質した…」


「人に如何にか出来る類では無いぞ!?」


森渡り達が口々に評する。


「シンカは、これを……1人で倒したのか…?」


「1人で倒せる様な相手では無いぞ!」


答えるものは居ない。

だが、これ迄の痕跡全てがシンカが成し得た事を示していた。


「なんて事だ!…何という、人がこの様な!」


「正しく英雄だ……」


「シンカ。お前は……」


「1人で立ち向かうなど……勇者……そうか、お前は…」


這いずった跡があった。

ナウラは痕跡を屈み込んで調べる。


シンカに教わった知識でシンカを探す。

血を流しながら、恐らく片足だけで這い進んだのだ。


シンカの這いずった跡を辿る。

鳥の羽根が散らばっている箇所に辿り着いた。

森鶫の羽根だ。シンカは此処で友達の傷を治療したのだ。


涙が止まらない。


ヴィダードの頭の上でヤカが鳴く。


シンカの這いずった跡が続く。

北へ向かっている。

里の方向に向かっていた。


至る所に溢れ固まるシンカの血。

断続的に溢れるそれは、傷口から流れたものでは無いだろう。

吐血だ。

息をするのも辛かったに違いない。


それでもシンカは這った。


無数の牛鬼の死体が転がっている。

土行法で貫かれたもの。

肌に樹形の火傷を残す、雷で倒されたもの。

鋭利な切り傷は白糸によるものか。


時折片足で立ち上がり片脚で進み直ぐに倒れる。

ナウラは気付く。

彼は目が見えなかったのだ。


急所を逸れた牛鬼の傷や、躓いた痕跡で分かる。


それでも里を目指したのだ。


脚一本で腕も無く抵抗を続けるシンカの姿が脳裏に浮かぶ。

歯を噛みしめ持てる力を振り絞り闘ったのだろう。


「……凄い……」


無数の牛鬼の死体が転がっていた。


「手も無いのに…これを1人で…?」


牛鬼の死体の中にそれは確かにあった。


シンカの匂いが確かにする骨や肉片だった。

牛鬼の死体の中心に何かが散らばっていた。


シンカや鬼の血に染まった何か。

ナウラは最早進む事ができなかった。

コクリがそれを拾い上げる。


手紙だった。


シンカの親からシンカに宛てた手紙。

それと、割れてしまった焦茶の珠。

ナウラ達がシンカに贈った物だった。


シンカは森に飲まれ、森に還ったのだ。


ナウラは崩れ落ちた。


「………遅れ先立つ、事は……ありとも……」


その後は言葉にならなかった。


森渡り達は辺りを焼き払い、摂理から捻じ曲げられた全てを焼却した。



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