地の遺跡


婚姻の儀を終えた翌日のシンカは怪しげにこそこそとナウラと打ち合わせを始めた。

互いの手帳を見せ合い議論を交わす。


「ちょっと!2人で何してるのよ!」


リンファが焦れて2人の間に顔を挟んだ。


「げっ!」


面白いものを期待したのだろうだ、見ていたのは遺跡に関する覚書でありリンファは顔を顰めた。

リンファは勉学を好いていない。


「げ、とは何だ。学術の積み重ねが我等のゆとりある生活を作っているのだぞ。」


「そうです。学ぶ事は人や精霊の民が魍魎に勝る為の大きな力。それを。げ、とは。森渡りの名が泣きますね。」


シンカとナウラに説教されたリンファは奇妙に顔を歪めた。


「こいつら狂ってるわ。」


その言葉にうんうんとユタが同意した。

ヴィダードはシンカの背中に張り付いており特に興味は示していない。


ユタの結婚式まで時間がある。森渡り達は朝一で大山鷹に乗って一度里に戻っていった。

何故かリンドウとリンメイ、リンゴが残りあれこれ議論する2人をつまらなさそうに見ていた。


次の目標は青金山脈である。


その日、シンカはイーヴァルンの里外周を探索して藤の若木を見つけ出すと根を傷つけないように持ち出しヴィダードの生家に贈った。


「アルウィスタリア。あの子の好きな花を贈ってくれるのねぇ。貴方のヴィダードへの想い。わたくし達への気遣い。確かに受け取りました。」


フスニヤはそう述べて暖かく笑った。


「お前は人間だが、我等の家族だ。いつでも訪れると良い。私もファラの誘いに乗りグレンデーラに向かおう。無論、その帰りには義弟の故郷に寄らせてもらうぞ?」


イーヴァルンの民が人間の諍いに関わるなど10年前のシンカが聞けば信じなかっただろう。

シンカとヴィダードの出会いが彼らに何かを抱かせたのだ。


彼らは己らに危機感を抱いていたのかもしれない。閉ざされた里で進歩なく生き続けることに恐れていたのかもしれない。


いつまでシャハラの民が守ってくれるのかも分からないのだ。


自分達に都合の良い人間の一派を見つけ出し彼らと誼を得る事で新たなる道を開く。


ファラは初めからそのつもりで里を出て人の争いを近くで見てきたのやもしれない。


森渡りとて行った事は同じだ。

己らをグレンデルにならば託せると判断したのだ。


「・・・娘を頼んだぞ。」


ダールは短くそう告げた。

無論だったがシンカは確とダールの目を見て頷いた。


「己の命よりも尊い。命に替えても。」


ダールは何も返さなかったが掌を突き出して来た。

シンカはその手に己の手を重ねる。

そして指を絡めた。


その時シンカははっと思い至った。


雨が降り地に落ちた雨水は大地を巡って川に集まり海へと流れる。

温まり蒸発した水は雲となりまた雨として地に落ちる。


循環だ。

精霊への祈りは自然への祈り。恵への祈り。水への祈り。


その両手で水の循環を表す。

では風は?


吹き抜ける風。何処までも進めと経に想いを乗せる。


土は地に触れる事により大地に敬意を払う。


火は力強い手振りで勢いを表し更に燃え上がるべく風を送る仕草と取れる。


こじ付けかも知れない。

行法の起こりは定かではない。


ヴァルドの民が大きな集団となる前から経は日常的に扱われていた。

今よりも更に自然を畏怖していた時代に行法は生まれたはずだ。


自然への想いを手振りにしたのだろう。シンカはそう考えた。


ダールは暫し黙祷した。

娘の安全、健康を祈願したのだろう。

シンカはその想いを受け取ろうと己も目を閉じた。


「それではねぇ。父様、母様、兄様、イスラット。」


ヴィダードらしくさしたる言葉も残さずに彼らに背を向けて里を出た。

こうして森の民の里での行事を終えたのだった。




2羽の鷹に分乗し、一行は南西を目指した。

向かう先はジャバールの民が住む青金山脈である。


青金山脈は鈍色の草木生えぬ岩肌剥き出しの山で、剣山の様に鋭い峰が幾本も突き出た荒涼としたら見た目の山脈だ。生き物が住める様には見えない。


イーヴァルンを出て1日。裾野で一晩を過ごすと2日目には青金山脈の切り立った峰々に辿り着く。

だが昼前から雲行きが怪しくなり流れの速い風に煽られて分厚い雲があっという間に見渡す限りの頭上を覆った。


鈍色の山岳に紅消鼠のおどろおどろしい分厚い雲から激しく大粒の雨が降り注いだ。


シンカは振り返り後続のリンメイ、リンドウに信号を送る。


不時着、続け。


リンメイが手を挙げる。


了。


鷹の羽が濡れそぼってしまえば飛び続ける事は出来なくなる。

八半刻も保たないはずだ。


強い雨足に煙る視界で着地場所を探した。

鷹の脚を二度と叩き高度を下げさせた。

シンカの目に着陸が出来そうな峰が映る。


突如強風が吹いた。煽られて大山鷹が錐揉みになる。


籠に捕まりつつ鷹の脚を摩る。


漸く態勢を立て直す。落伍者は居ない。

背後を振り返ると後続の鷹の姿が無い。

豪雨に声を出しても届かないだろう。


同乗者は幸いにしてカヤテがいる。


「カヤテ!光を!」


「!」


一瞬の後カヤテが右手を振る。火球が打ち出され途中で激しく発光した。


「いいぞ!」


シンカは指を口元に当てて強く吹き込む。指笛が峰々の合間に吸い込まれていく。

カヤテが2度目の法を行う。


「リンドウ!リンゴ!リンメイ!」


シンカも両手を突き出し経を吐き出す。

瞬光閃の光が駆け抜ける。


広い足場が近付く。


鷹の脚を4度叩くと鷹は尾羽を膨らませ羽ばたきを変えて浮揚し、着地した。


「ナウラ!籠を外せ!カヤテ!続けろ!ヴィー!鏑矢を!ユタ!リンファ!周囲に雨をやり過ごせる場所が無いから探してくれ!無ければ土行で洞を作れ!」


激しい雨の向こうに妹達の姿は見えない。


「皆!脚を滑らせるなよ!落ちれば助からん!」


崖の下は何も見えない。奈落だ。

シンカは経を練る。

体を損なうぎりぎりの速さだ。

口を大きく開き息を吹く。


息に乗せて経を直線に走らせた。そして手を突き出す。


風行 夜標。


一直線の閃光が数瞬迸った。


「シンカ!見えたぞ!」


カヤテが火球を目の前で発光させる。

リンドウ達が乗る大山鷹は激しく羽ばたきながらこちらに向かっていた。


「羽が濡れて上手く飛べていない!ヴィー!上昇気流を起こせ!」


ヴィダードがすぐに両手を突き出す。

シンカの位置から鷹まで一直線に雨が止んだ。

いや、上昇気流を起こすと共に上空に気幕を作り雨を避けているのだ。


再び火球を打ち出そうとするカヤテを止める。

この距離で発光させれば鷹の目が昏み墜落する。


指笛を再び吹く。


鷹は懸命に羽ばたきこちらに向かってくる。

シンカは全身に経を巡らせ肘を曲げながら両腕を挙げた。


シンカの腕に巨大な鷹が停まった。

鷹と3人の重みに踵が脆い岩肌を踏み割った。


「降りて!カヤテ!籠を外せ!」


負荷の無くなった鷹が地に飛び降りた。


「頑張ったね。よく頑張った。偉いよ。」


リンメイが鷹の首を抱いて耳孔の辺りを掻く。

鷹は疲労の為鼻息が荒い。雨水が鼻息に飛ばされていた。


「兄さん!」


リンドウがシンカに抱き着く。


「兄さん!」


リンゴも続いた。


2人とも恐怖に震えていた。


「急ごう。青金山脈はジャバールの民が掘った坑道が至る所にある。嵐を凌ごう。」


鷹を連れて歩く。

籠はナウラが持った。偶に風に煽られている為カヤテが肩を持っている。


至る所で岩肌を伝い小さな滝の様に水が流れている。


昼過ぎの筈が夕方の様に薄暗い空の下、雨足を笠と外套で防ぎながら進む。


リンファが残した岩肌の傷を辿り進むと前方で灯りが見えた。

リンファが石を熱して輝かせているのだろう。


崖を伝ってその方向へ進んでいく。

振り返ると全員着いて来ている。

二羽の鷹も濡れて重くなった羽をだらりと垂らしながら着いてきている。


リンファは笠の鍔を抑え、強風に外套をはためかせて待っていた。


「大丈夫?!」


「全員無事だ!」


返すと安堵した表情で

返すと安堵した表情で崖に開いた穴に引っ込んだ。


シンカはそれに続く。

シンカの後に6人と2羽が続き、無事にジャバールの民の坑道に逃れることができた。


笠と外套を岩肌の出っ張りにかけて乾かし始め、シンカは濡れた鷹に近付く。

彼等は体を震わせて水気を飛ばすが乾ききるはずもない。

背嚢から取り出した布で羽を拭ってやった。


「カヤテ、リンファ。岩を熱してくれ。団を取ろう。」


ここは標高が高く晴れていても冷える。況してや今は濡れ鼠である。


熱された岩が赤く輝き辺りを照らす。

壁際に岩が積まれ、広い坑道は奥まで続いている。

論ずるまでも無く人工的な洞である。


「シンカ。まずは此処で衣類を乾かしますか?」


「そうしよう。」


ナウラに返事をする。

入り口から見える近くの峰に落雷が落ちた。

尖った峰の岩が砕かれて落ちていった。

強い雨が入り口から吹き込んで周辺を濡らしていた。


「青金山脈は草木が無く気温の変化で簡単に天気まで変化する。南からの湿った風がそこに加わり簡単に嵐が起こる過酷な場所だ。」


「ジャバールの民はよくこの様な場所で過ごせますね。」


「山下に棲む彼等にとって、この雨は貴重な水源となる。」


「シンカは此処にきたことがあるのでしたね。」


「ああ。一度な。でなければ俺とナウラとカヤテはアゾクで吹き飛んでいる。」


冗談めかして口にした。


軽食を皆で取った。

外の激しい雨風の音を耳に雨が上がるのを待つ。

リンドウが爪をやすって削りかすを吹き飛ばす。一体何のためについて来たのやら。


「兄さん、俺もう鷹に乗りたくないよ。」


リンゴが泣き言を言う。


「本当に無事で良かったわ。生きた心地がしなかった。」


妹弟想いのリンファには辛い時間だっただろう。


「・・ねえシンカ。この後はどうするの?ほんとに此処に遺跡はあるの?」


少しの不機嫌さを滲ませてユタが尋ねる。

ユタにとってシンカとナウラが遺跡を調べ議論を交わす数日間は無意味な時間だ。しかし流石に止める事はない。


彼女は自由だ。嫌なら好きにして良い。

そう言うと置いていかれるのも嫌なのだと言う。


「今いる坑道は恐らく地下の大聖堂につながっている筈だ。峰々から掘り下げられた坑道は全てそこに繋がっている。・・崩落していなければ。」


「ちょっと、怖いこと言わないでよ!」


リンファは顔を顰めてシンカの背を叩いた。


「この山を歩く時は自分が人の畑を歩いていると考えるんだ。この足元の下に彼等の食料が埋まっている。踏みしめられた道以外歩いてはならない。ごみ、残飯の投棄、指定場所以外での排泄、唾棄は処罰の対象となる。」


「他に何か注意事項はありますか。」


見知らぬ規則を耳にしてナウラの目は輝き始めていた。


未知の民族の作法に興味津々なのは分かるが流石に変態的だとシンカは考えた。


「彼等と酒の席を共にしてはならない。彼等の酒の作法に飲み比べがある。全員に小樽が配られなみなみと羊歯から作られた酒が注がれる。これがまず人の口には合わない。匂いで吐く。そしてそれを卓の端から順に飲み干していく。太鼓の音に合わせて。これを飲み干せなければ隣の者に殴られる。俺は以前顔の右半分が潰れて眼球が飛び出してしまった。2度と飲まん。」


酒好きのナウラが薄暗い中で顔を青ざめさせた。


「人とは何もかも異なるのだな。」


カヤテがふむ、と頷いた。


「ナウラやヴィダードは人間と殆ど変わらぬが、ジャバールの民は最も離れている民族だろう。見た目はミンダナなどの鱗族の方が離れているがな。不思議なものだ。」


軽食を終えても外は嵐のままだった。

一行は松明を作ると坑道の奥を目指した。積み上げられた岩石に鶴嘴が放置されている。


鷹と籠はその場に置き去りにして深く掘られた穴を縄梯子で降った。


標高が高いせいか廃棄されて久しいと思われる坑道に魍魎はいなかった。


鉱山を下に向けて進んで行った。


「シンカ!」


ナウラが指を指す。

鈍色の壁面に輝く鉱石が見受けられた。


「銀鉱石だな。彼等は貴金属に興味が無い。食料として銀は好みではないらしい。武器や工具にも用いるが、硬度の高いものだけだ。銀は柔らかいからな。」


「変わった民族なのだな。本当に。」


「うん。鉛色の肌に黄色の目。体毛は男女共に無い。小柄で寸胴。だが力は強く岩を素手で砕く。強化無しに殴られれば首が捥げる。まあ岩が動いていると思うと間違い無いな。」


降り続けるも目的の場所に辿り着く前に腹時計で夜が来た事を察知し、一晩を過ごした。

翌日も暗闇の中で目を覚まし、松明を点けて鉱山を降った。


彼等は有史以前からずっとこの山に住み着き数千年かけてこの山を掘り下げている。

一体どこまで掘り進めるのか疑問でならない。


「どこまで下るのだ?まさか

用が済んだらこれをまた登るのか?」


「うん。」


カヤテは項垂れた。


螺旋階段を降りる様に山の中の坑道を降り3日目、到頭一際広い空間に辿り着いた。


其処は綺麗に石畳で舗装されていた。

青い光を放つ青長灯石が壁に無数に空いた坑道の脇に掲げられ空間を青白く彩っている

ちらほらとジャバールの民の姿も見受けられる。


「凄いっ、触ったら気持ち良さそう!」


「ああ。磨いた大理石の様な質感だ。サルバの頭を思い出すぞ。」


失礼な事を話す2人の妻を尻目にこちらの様子を窺うジャバールの民に声を掛ける。


「ブナハーオに会いに来た人族のシンカと言う。家の場所は知っているのだが通っても良いだろうか?」


尋ねられた男は黄色に輝く目を細めて不気味ににたついた。


ジャバールの民の男女の見分けは拳の大きさで判断する

ジャバールの民の男の拳は気骨節が分厚く盛り上がり殴る事に適している。

女の拳は指の腹が発達し握った岩を磨り潰す事に適している。


残念な事にそれ以外での判別には体格と骨格でしか区別できない。


「おお!何年か前に来た人間か!覚えているぞ!」


残念な事にシンカには彼の区別が付かなかった。

ジャバールの男はシンカの言葉に容器に答えた。


「俺の印を付けておいてやる!通んな!」


男は口を開いてえずくと口から黒くとろみのある体液を吐き出して手に貯めるとシンカの頬に擦りつけた。


「ひいっ!?」


ヴィダードが怯えてシンカの背にしがみついた。

彼等は生物を食さない。


口から吐き出した液体も人や魍魎と違い周期などはない。人の唾液と比べても仕方ないのだろうが、気分は良くない。


しかしこの体液を頬に付けていることこそが客人である事の証しなのである。


郷に入りては郷に従え。全員が黒い体液を頬につけると広間を抜けた。

抜けた先は更に広い空間だった。球体の空間で、至る所に穴がある。


此処が大聖堂と呼ばれる場所だ。此処が青金山脈の全ての坑道に通じているのである。


「あなた様ぁ、危うく石像になるところでしたぁ。」


ぐずぐずと頭を背中に擦るつけるヴィダード。


「石像になると食われる可能性があるぞ。」


真面目な表情でシンカが答えるとヴィダードは大人しくなった。

戦ったとしてもヴィダードには相性の悪そうな相手だ。


広大な大聖堂を見上げつつ一行は更に進む。

大聖堂を抜けた先は住居区となる。

石畳の道を歩くと岩肌をそのままくり抜いて形成した家屋が現れる。形状としては森渡りの里に近いが、天然の崖に掘られた森渡りの里に比べ、ジャバールの住居は極めて人工的である。


それらが青白い灯りに照らされている。

ジャバールの民は暖色光では目が眩んで視野が効かないのだ。


シンカは人2人が擦れ違える程度の道を黒色の煉瓦を踏みしめつつ進み、1枚の扉の前に立った。


立てかけられている金属の槌を手に取り扉に激しく叩きつけた。

けたたましい音が響く中2度、3度と繰り返すと扉が開いた。


扉の中からは代わり映えのしないジャバール顔が現れる。


「この経、シンカかっ!久しいな!」


ジャバールの民に人の顔の区別はつかない。

男はシンカに向けて厳つい腕を振り岩壁を殴り壊す拳を叩きつけた。


シンカは経を全身に纏いそれを受けると己も殴り返した。


「相変わらずひ弱な挨拶だな!」


「8年ぶりか?ブナハーオ。俺は拳だけでお前を打ち倒す事は出来ないが経を使えばある程度の事は出来るぞ?」


数年前にシンカの顔を潰したのはこの男だ。


「待て待て!この前は生やすのに三月もかかったんだぞ!不味い水銀や骸炭を食わなきゃならんかった!・・それで?後ろのは?」


「家族だ。以前は断念した遺跡の調査に来た。」


前回ジャバールを訪れた時はこの更に地下にある遺跡に足を踏み入れる事は叶わなかった。10日に及ぶ儀式を執り行っており部外者は立ち入り禁止だったのだ。


待てば問題無かった筈だが、シンカは色も文化も合わないジャバールに10日も居座る気力が湧かなかったのだった。


旅装を解く事なくブナハーオの妻ウサナンに挨拶をすると直ぐに下層に向かうべくブナハーオを急かした。


ジャバールの民は皆気さくだが食べ物、飲み物、習慣の全てが人には合わない。

仕方がない。


来た道を戻り大聖堂に入る。

大聖堂の中央に穴が開いており、2人のジャバール兵が守っている。巨大な鶴嘴を持って此方を見ている。


しかしブナハーオが片手を上げると構えを解いて通してくれた。

黄色く輝く小さな瞳が頬の印を確認していた。

螺旋階段を暫く降ると正面に一面の奈落が現れた。


此方の壁面から闇に向けて太い綱が数本伸びていた。

先は見えない。

闇の中から風の唸りが不気味に響く。


ヴィダードがシンカの正面に全力でしがみ付き、臓器を絞り上げた。


「ちょっと待て。おいシンカ!まさか其処の箱に乗って向こうに渡るなどとは言わないだろうな!?」


カヤテが指差した方向には鋼鉄の箱がぶら下がっていた。吊り籠だ。


これに乗り動かす事で綱の先に向かうのだろう。

籠は錫で鍍金が施されていたが経年劣化か何かで所々剥がれて不安を掻き立てる風情を醸し出していた。


シンカは首肯する。


「それは駄目だろう!嘘だと言ってくれぇ!こんなのは間違っている!」


カヤテはシンカの腕を取って激しく揺さぶった。


「兄さん!私怖い!」


シンカに迫ろうとするリンドウの顔をヴィダードが片手で鷲掴みにして阻止する。


「あんた、本気なの?高々遺跡の為にこんな危険を犯そうってわけ?馬鹿なの?」


リンファは雪山に半裸で繰り出したクウロウを見た時と同じ表情でシンカを凝視した。


遺憾である。


ナウラは流石のものでやや顔色が悪い程度の反応しか示していない。


ユタは炒り豆を摘みつつ自分の指の産毛の本数を数えていた。


「馬鹿とは何だ。恐らく此処が最後の霊殿なのだ。古来からの謎が詰まっている筈なのだ。」


「恐らく?!筈!?確証ないわけ?!」


「煩いな。何が問題なのだ?」


リンファは歯と白目を剥いて奇妙な表情を作り動かなくなった。


「ブナハーオ。案内助かる。10日後に戻る。」


礼を述べ懐から紅鉛鉱の大きな結晶を取り出しブナハーオに投げ渡す。

彼は凶悪な面を悪鬼の様に歪めた。


「おおおおおっ!何と美味そうな!こんな希少なものを嬉しいぞシンカ!」


肩を叩かれシンカは踏鞴を踏む。爪先が崖から飛び出て小石がぱらぱらと奈落に落ちていった。


「ひいぃぃぃぃっ!?」


シンカに張り付いていたヴィダードは足元を失い悲鳴を上げた。


「では。」


張り付くヴィダードをそのままに吊り籠乗った。

必然的に腕にしがみついていたカヤテも引きずられて同乗する。


「あれ?私は何故これに乗っているのだ?」


こてんと小首を傾げたカヤテを尻目に中を確認する。


2、30名は乗れそうな大きな釣り籠で備え付けられた椅子もある。

先頭には踏み板があり、これを踏む事で進めるのだとわかる。


ユタが左手首内側の黒子を見詰めながら乗り込み、ナウラも続く。


不安そうにリンドウ、リンゴも乗り込んだ。

最後にリンメイが特に何の感慨も無い様子で箱に飛び乗る。

若き俊英だけある反応だ。


シンカは踏み板の前に陣取り踏み板を強く踏んだ。

不気味な軋みと共に吊り籠は動き出した。


「シンカ。本当に大丈夫なのですか?まさか辿り着いて何もなかったでは済まされませんよ。」


皆余程これに乗るのが苦痛らしい。

やや眉の端を下げたナウラが尋ねる。


「多分大丈夫だろう。」


「多分?!、あんた、ほんとに頭大丈夫なの?!」


リンファがきっと眦を釣り上げた。

気の強そうな目が更に釣り上がる。


「お前に頭の事は言われたくない。嘘をついて別れた男を11年も待っていた頭のおかしい女ではないか。」


「それ言うのもう止めなさいよ!」


「いや。子が生まれたら子にも事細かに教える。」


「辞めなさいっ!」


リンファはシンカに掴みかかった。

吊り籠が大きく揺れ大きく金属が軋む音が鋼鉄の箱の中に響いた。


「うわあああああっ!何をしているリンファ!やっていい事と悪い事があるぞ!」


暫くの間箱の中は阿鼻叫喚となった。

揺れと騒ぎが収まり皆が落ち着くと漸く再び進み出す。


「元々ここは地続きだったのだ。だが脆い地層でその下は空洞だった。ある時ジャバールの民が採掘をしていると突然一部が崩れた。そこから徐々に崩落が進んだ。行く行くは神殿までの道筋が全て崩れ落ちると判断した彼らはまだ向こうへ渡れる内に綱を渡し、吊り籠で向かえる状態を作ったという。」


「成る程。不思議に思っていたのです。足場が無いのにどうやって綱を渡したのかと。」


籠を進めながらナウラと会話をする。


「スイハやスイホの様な練土に優れた者がいれば天を伝えばできなくは無いだろうが、縄自体の重さもある。至難だろうな。」


「所でこの下には何があるのですか?誰も確認していないのでしょうか?」


「梯子や足場では無理がある程度の深さはあるらしい。彼らは今尚、それを確かめる為に別の場所を掘り下げている。」


そんな蘊蓄を垂れていると鈍色の向こう崖が現れた。


人が歩く速さで2時間。距離は1里といった所だ。

執着まで漕いで降りると殆どの者が足元に崩れ落ちた。


立っているのはユタとリンメイだけだ。


「あたし、二度と此処には来ない。ほんとにその太古の遺跡はあるのよね?」


「うん。ブナハーオの話を聞く限りでは。」


シンカは期待に胸を膨らませていた。


道を進む。広い通路は始め黒の煉瓦造であったが、黒く艶やかな材質に変わった。


「・・・何?黒曜石・・じゃ無いわね。黒の御影石・・いいえ。宝石の方が近い?」


「ファ姉さん。これ程の大きさの宝石なんて・・。シンカ兄さんも分からない?」


リンメイに訊ねられる。シンカは首を振った。


「今までに炎、水、風を司る3つの遺跡を見てきました。何処も入り口から中までこの材質て作られています。」


「火を付けてみる?それと酸をかけてみれば絞れるんじゃ無い?」


リンドウが口にする。


「馬鹿。ジャバールの民が大切にしている霊殿だぞ!?」


シンカは慌てて首を振った。


シンカは窪みに埋め込まれた青長灯石を翅の柄で殴る。

淡い青色の光が溢れ出した。


それと同時に行先の通路の天地と両脇から同じ色の光が漏れ出る。


「この長灯石の光を壁の中で増幅してるの?凄いね!どうやってるんだろう!?」


リンメイが疑問を口にしながら壁にはめ込まれた寸分の歪みも無い直方体の長灯石を引っ張り出そうと苦心したが爪を差し入れる隙間もない為結局断念した。


灯りは10尺おきに上下左右から差し込み、十分な視界を確保する事が出来た。

通路は緩やかな勾配で下り坂になっている。延々と歩き続けるうちに黒く艶やかな通路に鉱石の結晶が垣間見え始めた。

青い光に照らされて眩しいほどに結晶は輝いていた。


全てが巨大な金剛石であった。

更に歩き続けると通路は全て金剛石に変わり、全体がぼんやりと青白く光っていた。


一同唖然とした様子で非現実的な光景に見入っていた。

言葉も無く歩き続けた。


やがて唐突に足元に何も無くなった。

いや、そう見えただけだ。崖の様に足場が途切れた様に見えたがそれは違った。

金剛石の床の下の岩盤が途切れて奈落が広がっていた。


しかし落ちることは無い。

水の様に澄んだ金剛石の床が広がっているからだ。

深く大きな穴の壁からは色とりどりの結晶がびっしりとこびり着き輝いている。

見上げた先も同じだ。遥か上方まで穴が延び、何処からか取り込んだ光に輝いていた。

それは正しく偉大なる大地に畏敬を捧げる霊殿であった。


「すっご・・・」


リンファは呟いてシンカの腕を抱き寄せた。うっとりと上を見上げている。

ふわりと甘やかな香りが鼻をくすぐった。

小さい頃から嗅ぎ慣れたリンファの匂いだ。


先程まであれだけぷりぷりしていたのに現金なものである。

とは言え彼女がこの度を楽しんでいるのであれば余計な事を言って機嫌を損ねるのは賢く無い。


それにシンカ自身リンファにくっつかれて満足しているところもあった。


透明な床のお陰で地底を貫く巨大な孔の中に浮いている様に感じられた。

しかしやはりと言うべきか、果ての見えない穴の上に立つのは肝が冷えるのか、皆落ち着かない様である。


ナウラだけは早速旅装を解き、もう大分分厚くなった手帳を取り出していた。


「さあ。シンカ。やりますよ。」


そうしてリンファとは反対の腕を強く引く。

そうして10日間の調査研究が始められた。


始めは興味津々だった妹達も僅か1日で飽きてカヤテ、ユタと鍛錬を始めた。


この遺跡には時折礼拝者が訪れた。

ジャバールの民の礼拝者も祈りの仕草は変わらない。

これも謎めいた共通点の1つだ。


孔の外周部の変成で慣らされた美しい鉱石に太古の文字は刻んであった。

それを手分けして書き写し、額を付き合わせてナウラと確認していく。


興味が無いくせに背中にはヴィダードが貼り付いている。


3日目になると同行者達の目は苛立ちから怒りに変わった。

しかし2人がそれに気を止めることは無い。


3年前にウルク山遺跡を調査してから始まった10000年前の古代の研究。

そんな研究が終わろうとしていた。


9日後、同道した者達への説明の意味を込めて2人は調べ終わった内容を纏め始めた。


「この遺跡はジャバールの民が残したもので間違い無いです。彼等は己らの事を罔象の僕と呼称しています。加えて記載の食文化からして間違い無いでしょう。」


「ふむ。では10000年も前からジャバールの民はこの山を掘り続けているのだな。」


丁度礼拝に訪れていた子連れのジャバール女性の背を見つめてカヤテは言葉を発した。


「ジャバールの民はウルサンギア人を別称で外の民と呼んでいる。この外の民に言葉と文字を教わったと。」


「成る程。我等が今尚扱うこの言葉はウルサンギア人により齎されたもので間違いがなかったのだな。」


「彼等は外より燃える氷を求めて現れ、ジャバールの民の生活を豊かにする変わりこの山の採掘を行わせました。」


「燃える氷とは何だ?」


「分からん。」


カヤテの問いに首を振った。


「シンカでも分からない事があるのだな。」


少し驚いた風にカヤテが口に出した。


「知らない事の方が多い。なぜ空は青くなったり赤くなったりするのか。そんな身近で大きな事すら分からん。」


笠を弄りながら答え、透明の床に横たわった。


「話を戻します。ジャバールの民はウルサンギア人から製鉄の技術や鉱山を掘り進める為の火薬などの高度な知識、技術を得ています。地底湖の水を抜き、底から燃える氷を彼等は箱に入れて持ち出す。其れを何処かへ持ち去るという流れを3000年は行なっていた様です。」


「何に使ったかは書いてないの?」


ナウラの説明にリンファが尋ねる。


「はい。記載はありません。そして彼等はある時空に消える、とあります。」


「空?どういう事?禍鳥の様に羽が生えていた?」


「いえ。他の遺跡と同様彼等の特徴は大きな目に黒い巻き毛の頭髪とあります。羽が生えているなどという記述は有りません。」


「高度な知識を持つ文明人が突如滅びる事に比べれば何処かに去ったと考える方が理にはそぐうというものだ。」


「兎に角、大陸全ての民族に言葉と文字を与えたのがウルサンギア人だと考えて良いと思われます。文明を与え技術を与え、彼等はこの地では燃える氷を代償に求めました。他の遺跡や各地でも彼等は何かと引き換えに精霊の民や人間に文明を与えていたのでしょう。」


「成る程。己らの言葉を与えて意思疎通を行える様にし、裕福な暮らしと引き換えに労働力を求めていた、と。」


ふんふんとカヤテは腕を組み頷いた。

彼等が忽然と記録から消した時期がジャバールの民の記録で遡る事ができた。


イーヴァルンの民が居をひとまとめにした2900年前から更に3000年前に彼等は空へ消えた。

空がどういう意味なのかは分からない。飛んで月にでも向かったのか、それとも空で忽然と消えたのか。


兎に角意図的に姿を消した、隠した事は間違いないだろう。


今から11000年前が彼等ウルサンギアが始めて現れた時期だ。

目が眩むような昔だ。


シンカはこの100分の1も生きる事は出来ないのだ。


加えて分かった事が1つ。


彼等が自然を尊んでいた事は分かっていた。


しかしその中でも取り分け水に対して特別な思いを抱いていた様であった。


水を司る精霊が居ると信じ、それを罔象と呼称した。


その言葉が長い時間を経て残された民族により精霊全体を指し示す名詞となったのだろう。


それと同時に数千年前より人の力及ばぬものを指す名詞として魍魎の別称ともなったのだろう。


崇高で信奉の対象であった罔象という言葉が人間を害する憎きものへの呼称となってしまったという事実を彼等はどう感じるのだらうか?


そんな事を考えた。


戦争が終わればシンカはナウラとこの研究成果を共著する。


楽しみで仕方がない。

その為にも死ぬわけにはいかない。


生きる理由は人それぞれ、多種多様だ。

シンカにも生きている為の理由は沢山ある。


重要な事、くだらない事様々だ。どんな理由でもそれを馬鹿にする事はできない。如何なる時でも、誰であっても。


それらを守る事がシンカの戦う意味、生きる理由だ。


そしてそれは万人にとっても同じことなのだ。


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