賜川を漕ぐ

一向と合流出来たのは3日後の夕刻であった。


グリューネ王国第四の都市レニに近い森の浅層で待機する一行を発見した。

ナウラと侍女2人がいない。


レニへ旅支度の為に向かっているのだろう。


遠目から見るレニは物々しい雰囲気を醸し出す兵達が厳重に出入りを監視していた。

兵員も数が多い。

常備兵ではないだろう。


白い衣を巻き付け、頭には日差しを遮る為に白い巻き布を締めている。

金属装備は臍から股間を覆う前垂れと脛当てだけだ。


「あの旗印はフリッツ ダルのものだよ。」


オスカルが近付きそっと告げた。


「貴方様。ご無事でしたか。」


近付いて来たヴィダードの鼻をつまむ。


「おじさんが陛下に誅されるのなら次はフリッツだ。」


「オスちゃん、俺には分からない。オスちゃんやフリッツは内戦を終結させて今の国王をその王座に着けた英雄の1人ではないのか?そんな恩人を何故捕まえて殺そうとするんだ?」


それは王都イラを出てからというものずっと疑問に感じていた事柄だった。


「王座に着いたからこそだよ。陛下に敵はもういない。なら、今度はこれから先の敵を前もって摘み取りたいんだ。僕達は光りすぎたんだ。王国に明星は1つでいいって事だよ。」


「人間らしいな。醜い。余りにも。」


「そうとも言えないのが辛いところだよ。だって、僕が望まなくても誰かが僕達を担いで内乱を起こすかもしれない。そうなれば人はもっと死ぬ。今なら僕達だけの命で済む。」


「俺だったら。たとえ何人が死のうとも恩人を取りたい。そうあり続けたいが・・」


「それが出来ないのが国王なんだよ。」


オスカルの言葉は何故か強くシンカの印象に残った。


町の様子を伺いながらじっと時を待った。

薬の副作用で強烈な眠気がある。

咳は咳止めで誤魔化すが睡眠は取らねばならない。

ヴィダードに後のことを任せて眠りについた。


目を覚ますと薄明かりが木立を照らしていた。夜が明けて朝日が一帯を照らし、木の葉の間から光の帯が差し込んでいる。


この国の木々はひょろっとしたものが多く、下枝が少ない木々が多い。


ナウラが戻るまでの間夜の番をしてくれていたヴィダードに仮眠を取らせ、シンカ自身は木陰からレニの様子を伺っていた。


兵数は昨夜より増え南門に50程。他はこの場所からでは分からないが、同数程度であろう。

彼の所領があるボニ近辺の大小様々な街は同様に兵が割かれている筈だ。


アンリが2歳のアレンをあやしている。

今は眠っているが、オスカルの長男のランドは苦しい行程に泣き言を言わず着いてきている。気骨のある子供だ。将来は大物になるに違いない。


朝日が登りきり暫くしてレニの南門から人が溢れ始める。旅人や商人達の馬車がイラに向けて移動し始めたのだ。その一団が去ると見慣れた人影が街から現れた。


特に問題無く町を出ると森の合間の街道へ向けて歩を進める。

門近辺の畑地を抜けて細まった街道に入ると道を森に逸れて合流を果たした。


「大丈夫だったか?」


「問題ありません。問題はここから半日のレヒレ川をどうやって渡るかです。」


「うん。それは着いてから考えるしか無いな。」


「人の命を預かる逃避行にしては随分と悠長ですね。」


「一波乱はあるだろうが、熊に比べればましだろう。」


「確かにおっしゃるとおりです。」


しっかりした宿で一晩を過ごしたナウラと侍女2人はある程度体力が回復した様だったが、マリアは未だに疲労が色濃く残って居る様だ。


半刻ほど時間を置いてヴィダードを起こし一行はレヒレ川を渡河するべく足取りを西へ向けた。


グリューネの西側国境はレヒレ川を境としている。

西の国セレキアに渡れば国王アルベルト アドゥーの手も及ばない。


夕刻になり街道の先にレヒレ川の船着場が見えるとシンカは1人街道を進み、船着場の様子を伺う事にした。


船着場には軍の簡易営舎が張られ、30ほどの兵士が詰めている。

然し営舎の規模は比較にならず、恐らくは200程の兵が近辺の国境を周回しているものと判断できた。


シンカが船着場に近づくと数人の兵士が寄ってくる。


装備はレニの町を張っていた者達とあまり変わりはないが旗印が異なっている。


「薬師か。セレキアへは何をしに行く?」


「旅の薬師で御座います。一所には留まりませぬ。」


「ふむ。顔を見せろ。・・・北方人か。・・・おい!北方人の手配はあるか?」


「・・いえ。肌を隠した春槍流の戦士が街からの脱走に手を貸したとはありますが。」


「ふむ。槍は持っていないな。槍はその背嚢に隠せる物では無いが、一応検分する。荷を下ろせ。」


シンカが持つ武器は翅と砥木の短弓だけだ。

背嚢の中の薬剤を改めると兵は頭をさ下げた。


「時間を取らせたな。気を悪くしたら済まない。此方も仕事でな。」


薬師を悪戯に迫害すればその国から薬師が居なくなる。

森の浅層に薬材を取りに行く必要がある薬師を国は束縛することができない。

であるから国はなるべく好条件で薬師が過ごせるよう取り計らう。


周囲をみ回す。

取り分け豪奢な営舎が上流側にたっている。

指揮官が酒でも飲んでいるに違いない。


営舎の配置を確認しつつ桟橋に向かう。

舟守に金を払い小舟に乗り込むと穏やかな川面に舟が滑り出した。


濃い水の匂いが鼻に香る。

時おり潮の匂いも混ざっている。


この川には時折爬が出る。

全長3丈にもなる川下鰐という水棲の爬で、静かに近寄り獲物に食いついて離さないという。


然し今は海が満ちており川に海水が逆流している為、鰐は現れない。


舟の上からグリューネ側の川岸を確認する。舟を着ける位置に目星を付けて、今度はセレキア側を確認する。

セレキア側のレヒレ川川岸は、不審な動きを見せるグリューネに応じてか国境警備を担う兵が様子を伺っている。

両岸の様子を確認しシンカは川を渡って行った。



オスカル達がレヒレ側に程近い森の中に辿り着いて3刻が過ぎた。


既に日は落ち、グリューネ兵の野営地から伸びる松明の光がオスカル達が潜む森の中まで僅かに届く。


野営地からの兵の声と大河の流れ行く音、それに小虫達の鳴く声でオスカルは潜んでいる気分になれなかった。


自分の子供達はまたも薬で眠らせており、些か健康に不安が残るが大丈夫というシンカの連れの女達を信じる事にしていた。


それに他に選択肢もない。


シンカの連れている女性は美しく力強かった。

恐らくは人間では無いのであろうが、こうして見ると人と亜人とは大差無いのだと実感する。


オスカルは声を潜めて隣で膝をつくナウラに声をかける。


「こんな時にあれなんだけど、君はどうしてシンちゃんと一緒にいるの?」


遠くの松明の光に浮き上がる褐色の顔には微塵の変化もない。


「助けて頂きました。死にかけていたところを。路頭に迷っていたところを。」


その言葉で何と無く疑問に思っていた事が氷解した。


「あぁ・・そういう事か。」


「何か。」


「あまり何を考えているのか分からないし、少しぶっきらぼうだから分かりにくいけど、お人好しなんだなぁ・・」


「酒好きで、自堕落で、下品なことも言いますが。そうですね。優しいのです。」



ナウラの表情は変わらなかったが、何処と無く自慢げに見えた。


「彼は力を持っている。人が避ける森で生き抜く力だ。余裕があるから人に優しくできるんだね。追い詰められた人間は心が狭くなって、攻撃的になる。」



「あの人が失敗しない理由は自分の力量を知り尽くしているからです。そして人を巻き込む大きな夢もお持ちではない。」


「夢・・ああ、奥さんが5人ってやつか。誰でも叶えられる小さい夢でも無いけど、大きくは無いよね。」


「ええ。」


何と無く、彼女には彼に対する深い愛があるのだと感じた。

そうであって欲しい。自分にこれ程まで良くしてくれる彼には幸せになって欲しい。


当然の感情だ。


「男性に伺いたかったのですが。」

「ん?」


今度はナウラの方から声が掛けられた。


「失礼ながらオスカル様は2人の奥方を娶っておられますが、なぜ2人娶られたのでしょうか?」


「2人とも好きだったから。」


「私の一族も、ヴィーの一族も1人の夫に妻は1人です。何故貴方達は複数の妻を娶るのでしょうか?1人ではいけないのですか?」


「文化の違いは分からないけど、身分の高い人間は子孫を確実に残す為に複数の女性を娶るね。これはそれだけじゃなくて、貴族同士の繋がりを強固にする効果もある。」


「オスカル様は如何ですか?」


「好きだったから。だって村娘と女傭兵だよ?身分が欲しければ貴族の娘を貰ってるよ。それになんてったって器量良しで優しいからね。」


オスカルは自分の妻2人を愛している。


健康で可愛らしい子が4人も生まれ、自尊心や名誉欲が薄れた所だった。

そうでなければイラでシンカに逃げるように諭された時、応じる事は出来なかっただろう。


自分が、そして妻子が今尚無事なのは勿論シンカ達一行のお陰であるが、妻2人が自分と子を愛してくれている事が分かっていたことも大きい。


若い頃あれだけ欲した地位や名誉が、いつの間にかオスカルの一番大切な物では無くなっていたのだ。


「人は、好きでは無い者同士でも結婚すると聞きました。」


「貴族や商家ではよくあるね。僕達とは求めるものが違うのさ。自分の子供はお金や地位を齎すものだと考えているんだ。これは、親の責任だね。」


「とても、不幸なことに思えます。」


「おじさんもそう思うよ。」


兵達の野営地が徐々に静かになりつつある。

夕餉が終わり就寝の支度に映るのだろう。

定期的に出入りする部隊の感覚は掴めている。

あとはシンカがどうやって現れるかだ。


それが想像もつかない。


今夜は雲が出ていて月明かりが目立たない。

虫の声が大きい。


船着場に待機している兵隊はベネ家の旗印を掲げている。

であれば此処には宰相のエルラド ベネか、その長男ロゴラス ベネがいるはずだ。


何事も無く逃げられるとは思えない。

浅い森で長らく潜んでいると目も耳も闇や森に慣れて来る。


幸いな事に潜み始めてから一度も魍魎は出ていない。

これは近くに大勢の人間がいる為らしい。


唐突にナウラとヴィダードが顔を上げた。

ベネ家の私兵陣地にも周囲の森にも異変は見受けられない。


「丘蝙蝠が鳴きました。」


「え?」


「知らないのぉ?この辺りには蝙蝠は生息していないのよぉ」


「ヴィーも10日程前まで知らなかった筈ですが、よく其処まで自慢が出来ますね。」


「ナウラも一緒でしょぉ?」


「私は自慢していません。」


この2人は仲が良いのか悪いのか。いや、良いのだろう。

度々軽い口論をしている所は見たが、嫌い合っている節はない。


視線だけで意思疎通を図っている所も度々目撃しているし、お違いを認め合っているのだろう。


「シンカ様が来たようねぇ。合図を出します。」


ヴィダードは奇妙な奇声を上げた。


「・・・ヴィー。何ですか其れは。私には握られた蛙の呻き声に聞こえましたが。」


「・・・五月蝿いわねえ。通じたわよぉ。」


「そうですか。では応答を待ちましょう。」


「・・・・」


待てどもオスカルには何の合図も聞こえなかった。


「・・返答がありません。やはり潰れた蛙の声音では流石の先生でも意思疎通は難しかった様ですね。・・やはり貴女と先生はふ」


「言わせないわよぉ!」


二人は暫く無言でもみ合っていたが力で捩じ伏せようとするナウラと素早く逃れるヴィダードで決着は付かなかった。


「・・あの、今結構危機的状況だとおじさん思うんだけど・・・その。」


「予定調和です。」


「そうねえ。」


肩で息をさせながらナウラが何かの生き物の声まねをした。


巧いもので、聞き覚えのある鳥の声音だった。

夕刻、日が沈んですぐによく聞く素早く飛び回る小さな鳥の声だ。


「偶々上手くいったからっていい気にならないでほしいわぁ。」


「偶々ではありません。三回に一回は成功します。」


オスカルは次第に心配になって来た。

既に彼女達の優秀な能力は見て来たが、この緊迫した場面で糞下らない喧嘩をしている様はどう考えても不安を抱くに値する。


背後を見るとステラが心配そうにこちらの様子を伺っている。

反面アイリは気にせず周囲の様子を伺っている。

少しして同じ声音の鳥の声が川の方から聞こえて来た。


「合図を出すので此処より僅かに南から岸へ向かえとの事です。3人ずつ。」


「今の鳥の声で其処まで分かるの?」


「より南、合図、3。が今の合図でした。」


「あれぇ?それって南の敵に3刻後の合図で突撃じゃないのぉ?」


「貴女はもう黙りなさい。敵に突撃するわけがないでしょう。」


「でもお」


「黙りなさい。シンカの一番弟子は私です。あの人の事は私が一番分かります。」


「腹が立つわねぇ。いちいち。あの人を一番喜ばせられるのは私よぉ。貴女なんて閨ではされるがままなんでしょ。」


「その断崖絶壁に少しは肉を詰めてから出直しなさい。貴女こそ体力が足りずに最後はうんともすんとも言わなくなると悩んでいたではありませんか。」


2人で襟首を掴み合い眼を付けあっている。

陣の明かりが届くか届かない程度の距離まで移動するとシンカからの合図を待った。


「まずヴィダードがシェラさんとフラーと一緒に川岸に向かいます。次の合図でアイリ様とステラ様とランド、アルスの4人。次にオスカル様とマリアさんとリタと私の4人の順です。」


「どういう根拠でその組み合わせなの?」


念の為確認する。


「幼子を誰かが抱えた上で武器を振るえる者が付くべきでしょう。始めにヴィーが先導します。私は最後まで残り対応します。」


「うん。そうだね。大丈夫だと思う。」


暫し待つとまた鳥の声で合図が聞こえる。


「ヴィー。頼みました。」


「・・・」


ヴィダードは先程までのふざけた様子とは打って変わり鋭い目つきで敵陣をみつめつつ腰を上げる。


その横顔を見てオスカルは思わず背筋を粟立たせた。


ヴィダードの目は独特だ。


晴天の青空のように澄んだ空色の瞳であるが、その上澄みの様に澄んだ様は酷く冷たく、吹き荒む吹雪の様な冷たさを感じさせた。


そしてその奥に何か強烈な、煮えたぎる様な熱量を持つ強い意志を潜めていた。


だがそれは抑えきれず、底知れない不安となって見る者に危機感を抱かせる。


良く。

シンカは良くこの眼を持つ女を懐に入れられる。


ヴィダードを見て感じた印象である。


彼女は今何を思っているのだろう。

何かあれば、その目先にある全てを底知れぬ冷たい炎で焼きつくしてしまうのではないかとオスカルは感じたのだ。


その後に、果たして自分や子供達の骨は残るのだろうか?


「シェラ。フラーを頼むよ。苦労をかけて済まない。」


「身寄りの無い私にとって、ご無礼は承知しておりますが、オスカル様を兄と思ってお仕えさせて頂いております。」


「うん。無礼じゃ無いよ。僕も妹の様に思っているよ。同じでよかった。」


オスカルは元々身分も無い貧乏人であった。

品も無く仕事に就けず、養ってもらっていたこともある。


だが、己の才覚と度量の深い王や同僚達に眼をかけられ名を成すことができた。


愛した女性を食べさせる事も、子を養う事もできる様になった。


自分を認めてくれる人を大切にしなければならない。

それがオスカルの人生論だった。


今思えば釦を掛け違った出来事がうすぼんやりと思い起こせる。


恩があるアルベルトの過ちを許せなかった。

許していれば。あの時、渋らずに援軍を送っていれば。

後悔は先に立たず、今となっては後の祭りだ。

ならば。


今目の前にある物は、手放さぬ様必死に守らなければならない。

それが侍女であってもだ。


ヴィダードに引き連れられフラーを抱いたシェラが闇に消えていく。


歩哨は彼女らに気づかない。


2度目の鳥の鳴き声が聞こえる。


「アンリ様、ステラ様。」


ステラがアルスを抱き上げ、アンリが先頭に立つ。


「2人とも頼むよ。ランド。お母さんと弟を頼むよ。」


「オスカル。ランドは大丈夫よ。この子はもう立派な男だ。」


アンリに頭を撫でられながらランドはしっかりとうなづく。

自分がこの子のくらいの歳にこれ程しっかりしていただろうか?


3人が暗闇の中を進んでいく。

歩哨は又しても気付かない。

陣で歩哨の交代が為される。

少し時間が空き3度目の合図が帳の向こうから響く。


「オスカル様、先頭を。マリアさん、リタを。私が最後尾に。」


「分かった。マリア、頼むよ。」


「は、はい。」


マリアが硬い表情で眠るリタを抱き上げた。


オスカルはナウラの顔を見る。

ナウラは笠と外套により闇の中では至近距離であっても見分けが付きにくい。

唯一露出している顔も肌色が褐色である為姿を捉えにくい。


視線が合うと一度浅くうなづいた。


ベネ家の陣を右手にしずしずとレヒレ川に向けて歩む。

乾いた目の細かい土の弾力を足の裏に感じながら、音を立てぬ様気を付けて先を目指した。


「っ!?」


半ばまで歩んだ時、背後から息を飲む声音が聴こえた。

振り向くと何かで蹴っ躓いたマリアの様子を伺えた。


拳大の石だった。大した事ではない。いつもなら。

マリアは足を縺れさせた。石を蹴り、躓き、足を縺れさせた。


オスカルは咄嗟に手を伸ばすことができなかった。


首だけを後ろへ向けていたから手を背後へ伸ばせなかったのだ。


マリアはそのまま地に倒れた。


抱き抱えていたリタが地に着かぬ様倒れる向きを変えた。


だが伝わる衝撃を無くすことはできなかった。


リタが目を覚ましぐずり出した。

リタは3歳だ。寝ていた所に強い衝撃が与えられて目を覚ます。あたりは真っ暗で何も見えない。

泣くなという方が無理な話だった。


マリアは慣れていない森で体力は限界に近かったに違いない。

疲労と緊張、そして夜闇。


オスカルにはマリアを責める気には到底なれない。

寧ろ謝りたいとすら考えた。


残っていれば拷問をされたかもしれない。

館に乗り込んできた兵達に強姦されていたかもしれない。


だとしてもそれは全てオスカル1人の責任である。

急ぎリタの口を塞いだ。


「大丈夫。父さんが付いてるよ。安心して。」


寄ってきたナウラがリタの顔の前に手を突き出し何かをすると口を抑えた手の下で、尚泣き叫んでいたリタが大人しくなり軈て再び眠りに就いた。


「なんだ!?」


「子供の泣き声がしたぞ!」


歩哨2名が警戒を露わにする。

「誰かいるぞ!」


見つかった。

2人の歩哨の内1人が陣に駆け込んだ。


「急ぎます!マリアさん!後少しです。」


歯を食い縛り立ち上がったマリアを引き連れ、先を急ぐ。

最早足音を忍ばせる必要もない。

走りレヒレ川の東岸を目指した。


ベネ家の陣が慌ただしい。

野太い嘶きがいくつも聞こえ、次いで軽快に砂地を踏み均す地響きも聞こえ始めた。


グリューネの駱駝騎兵だ。


「急いで!」


駆ける速度を上げるが松明を掲げて此方を目指す駱駝騎兵は刻一刻と迫ってくる。数は30程か。

汗を流し息を切らせながら漸く岸辺に辿り着く。

小舟が一艘停まっており、目深に笠を被った男が1人立っている。


「怪我は?」


「ないよ!」


「早く船に。ナウラ。櫂を任せる。」


ナウラが舟に乗り込み、マリアが続く。オスカルは乗り込んだマリアにリタを託し自身も乗り込もうとした。


「動くな!」


駱駝騎兵が寄って来てオスカル達を取り囲んだ。


「オスカル ガレ様。貴方の捕縛令が出ております。大人しく投降してください。」


「如何なる罪で私を捕縛するというのか!」


頭に血が登る。


何の罪も犯していない。

貨幣の一枚横領してはいないし、謀反の計画など以ての外だ。


「王都にて陛下の下知を授かった兵を斬り殺し、グリューネから亡命しようとしている。罪が無いと言うか。」


現れたのは繊細で女が好みそうな顔付きの男だった。

痩せており体は強そうでは無い。


「ベネ候。貴殿の良く回る口に付き合う気はないぞ。そもそも我が屋敷に見張りを立て、私を害そうと企んでいた候がよくもぬけぬけと。」


しかしこの男が個人の利得で策を弄する様な男ではないことをオスカルは理解していた。


国王アルベルトはグリューネを再統一し、疑心暗鬼になっている。

諸侯が謀反を起こし、王位を簒奪しないか日々怯えていた。

何時かは兵を起こしてオスカルを討伐していただろう。

そうなればオスカルは家族や自領の民を守る為に戦っただろう。


しかし、それではまた多くの兵と民が死ぬ。

エルラドはそうなる前にオスカルを謀殺しようとしたのだ。


オスカルが身1つで死ねば内乱は起こらない。

シンカが居なければそうなって居た。


いや、此処まで来て兵に囲まれては同じ事。


エルラドは間違っていない。

国家を憂いて単身前王を暗殺しようとした男だ。


内乱終結時、アルベルトは戦にて一度も活躍をしなかったエルラドを元勲とし、報償を与えようとした。


エルラドはそれを一度断ったのだ。


オスカル1人が投降すれば国は治る。

最後のに乗った家族とシンカ一行だけは見逃してもらう様願えば丸く治るのか。


オスカルは肩の力を抜いた。


「わ」

口を開き言葉を発しようとした。


その時シンカが左手を上げた。

何の合図かオスカルには分からない。

兵士達が警戒し剣を抜いた。


直後。

背後から何かが飛来した。

風を帯びたそれはエルラド ベネに向かう。


誰も抗えなかった。

何かは吸い込まれる様にエルラドの右の眼窩に入り込み、後頭部を破裂させて背後の駱駝騎兵の胸に突き立った。


木製の矢だった。


「流石ヴィー。角度からして川向こうの樹上からか。6町といったところか。」


ぼそっとシンカが呟いた。


「て、敵襲!」


駱駝からエルラドと兵士が落ちると近くにいたベネ家の私兵が叫んだ。

兵士達は盾を構えて身を守る。


「行くぞオスちゃん。」


「ま、待って、エルラドが・・彼がいないとグリューネは・・」


「不味かったか?」


「ま、不味いよ!エルラドは国士だ!」


「もう手遅れだし良く分からないのだが、何の国だ?」


「おじさんの・・」


「オスちゃんとその家族が死ぬ事で成り立つ国か?」


「・・・」


「生きられない国に如何なる価値があるのか俺には分からないが、オスちゃん。子供は、細君はどうするつもりなんだ。俺がいい仲になってもいいのか。」


「ぜ、絶対駄目だよ!」


「ならばあんな日陰に付いた瓜のような男は放っておけ。」


「ひ、酷過ぎる・・」


シンカに舟へと押し込まれる。

シンカも乗り込むと舟が進みだした。


川向こうから風行法が飛来し、ベネ兵達は未だに丸盾に隠れており追いかけては来ない。


エルラドが死んだ。

いや、殺した。

これはオスカルが殺したも同然だ。

エルラドは優秀な人間だった。


エルラド・ベネ、アロルド・ドナ、オスカル・ガレ。

人々はこの3人をグリューネ3英傑と呼ぶ。


アルベルトは王族だが、元は傍流の出であった。


200年に渡って続いてきたグリューネ王朝は官吏による賄賂や身内厚遇による専横政治により崩壊しかかっていた。


重い賦役に耐えきれなくなった農奴が反乱を起こし、それに便乗した諸侯が内乱を起こした。


アルベルトは王族ではあるものの、暮らしは農奴とさして変わらぬ貧しいものだったが、どういう訳か大変人望があった。


反乱が起きた時、人望のあるアルベルトを立てたのがアロルドだった。アロルドは地方役人だったが、各地で内乱が勃発した際にアルベルトを盟主とするよう上司に掛け合った。


自分達役人が盟主となるよりアルベルトを盟主とした方が人望が付いて回ると考えたのだ。

彼は戦争には疎かった。だが人の機微に聡く、また人の嫌う地味で手間の掛かる事を積み重ねることが出来た。


才を振るう事が出来なかったオスカルをアルベルトに推挙したのはアロルドだった。


ボニをお治めていたオスカルは信頼していたアロルドに相談があるという体で王都イラに呼び出されたのだ。


思えばアロルドもオスカルの謀殺に一枚噛んでいたのだろう。


軍を率いたオスカル、フリッツ、カイウス。

策を練ったエルラドとキリング。

軍を支え、内政を司ったアロルド。


乱が終わってまだあまり経たないが懐かしい。

恐らくアルベルトにオスカルを謀殺する様諫言したのはキリングだろう。


だがキリングも自身を顧みない国士だ。

国にとって、オスカルは死ぬべきだった。

エルラドは死ぬべきではなかった。


家族と自分の命を引き換えにこの後悔を背負った。


生きて行く限りこの重荷を背負って行くのだ。

夜闇を流れ行くこの川の行く先の様に、人の行く先も又見通すことは難しい。


長大な時と言う名の大河を人は小舟で進んで行く。

辿り着く先は誰にも予想できない。

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