月の心に懸かる雲なし


ヒルデガルト・ヨルドが無残な戦死を遂げた直後、岩の巨人に撹乱されたヒルデガルト隊は制地権を失っていた。


直後、防壁内側から経が浸透し大地が針状に隆起する。

無数の赤鋼兵が山嵐に巻き込まれて身体を貫かれた。


「…か……かあ……さ……」


「…腹……俺の……」


「いた…い……たす…けて……」


苦しみを訴えようとも楽になることすらできず命を失っていく。


その様子を本陣から窺っていたグリシュナクは立て掛けていた槍斧を手に取る。


槍を掲げると付き従っていたヘルベルトが角笛を吹き鳴らした。


攻略を進める5将の援護射撃を行なっていた赤将ヴェルナーの兵が途端に攻勢へと転じる。


「閣下。私めもヴェルナーと共に門を攻めます。痛い犠牲でした。まさかこれ程とは。ルーファスからも連絡が途絶えました。恐らく生きてはおりますまい。では」


防壁付近でヒルデガルトを殺した巨人が膝をつき、地に崩れ落ちた。

そのまま大地に沈み込んでいく。


グリシュナクはヘルベルトの言葉に頷く。己も巨大な赤皮馬に跨り無言で槍斧を振り翳し、グレンデーラを指し示す。


赤鋼軍兵士一際大きな声が上がり大気を震わす。

腰の古びた短剣を人撫でしてグリシュナクは馬を駆った。


グリシュナクに続き騎馬軍が駆ける。

馬蹄の地鳴りが一帯を揺らす。


怒涛のグリシュナク。

戦線の膠着や自軍の旗色が悪化する時、その巨大な槍斧を振り翳して最前線に突撃し、敵を蹴散らす老将である。


彼の背中に鼓舞された精強な兵達はそれまでの劣勢を忘れ、怒涛の勢いで敵を食い破る。


グリシュナク・バラドゥア、怒涛のグリシュナク。


巨漢の老武人は寡黙であり、言葉を発する所を見た者が存在しないと言われている。


彼の腰にはグリシュナクが携えるには違和感のある古びた短剣が常に佩かれている。


グレンデーラへと疾走する馬上でグリシュナクは過去を振り返った。


いつもの事だ。戦場で槍斧を振るう間はいつも過去を振り返る。


若き日、グリシュナクが一貴族の次男でしかなかった頃。

今よりもクサビナは外敵の脅威に晒されていた。


現在はガルクルトと隣接しているバラドゥア領であったが、当時はガルクルトの属国であるハンネラという小国と隣接していた。


ガルクルトの威を傘にハンネラは年に2度は国境侵犯を行なっていた。


バラドゥアがハンネラを攻めようとすればガルクルトが軍を起こし牽制する。

バラドゥア一族は煮湯を飲んできた。


そんな最中、グリシュナクは1人の娘と縁を得て婚姻に至った。

バラドゥア家に連なる分家の娘であった。


その分家は国境を治めていた。

グリシュナクがリュギルとの戦線に駆り出されている間にハンネラが分家の領地を襲撃した。


グリシュナクの妻はその時偶然帰省していた。

リュギル軍と国境で睨み合っているグリシュナクの元にその方が届いたのは襲撃から10日後の事だった。


グリシュナクはそれを聞いた時、夏の始まりで肌が汗ばんでいたのを良く覚えていた。


その汗が瞬時に引き、気が遠くなった事も。気付けば1000の軍勢を率いて妻の実家に向かっていた。


グリシュナクは戦場を駆ける時、いつも思い出す。

美人では無かったが素朴な愛嬌があり、誠実で、素直でいつも愛らしい笑顔でグリシュナクに微笑んだ妻を思い出す。


それと同時に無残に犯され、裸で投げ出された腐敗した姿も脳裏にこびりつき離れなかった。


怒り狂ったグリシュナクはたった1000の軍勢でハンネラに進軍した。


みずからが先頭で槍斧を振るい、数に勝る敵を撃破し、1人残らず殺し尽くした。


逃げた者も草の根を分けて探し、可能な限り殺した。


途中からバラドゥアの増援を得て更なる殺戮を望んだ。


王都に攻め入り手当たり次第にハンネラ人を殺してハンネラ王都に立て篭り、ガルクルトからの使者を斬り捨てた。


ハンネラから兵を引く様に述べた使者の首を共の者に持たせ、妻を返せば王都を返すと告げた。


誰もグリシュナクの望みを叶えられる者はいなかった。いる筈がない。


こうして半世紀ほど前に1人の男の復讐心により地図より一国が消えた。


グリシュナクを撃退しようとするガルクルトの兵を蹴散らした。

グリシュナクは最早死んでも良かった。何処かで戦死する事を求めていた。


ハンネラの村々を攻め、ハンネラ兵を突き出した村は助け、突き出さなかった村は滅ぼした。


ハンネラの町村は自らハンネラ兵狩りを行いグリシュナクに突き出した。


グリシュナクは妻を愛していた。

心の底から愛していた。


婚姻時に妻に贈った護身用の短剣を常に携え、妻も身元に向かう為に最前線に立ち、武器を振るってきた。


武器を振るえば振るう程、グリシュナクは力を得て妻から遠ざかった。


憎しみは薄れて明け方の薄闇の様に暗い憎悪は薄れていった。

しかし朝日は昇らなかった。

彼の朝日は沈んで二度と昇らなかった。


常に死を望んでいた。

再び妻の腕に抱かれる事を望んでいた。


グリシュナクには国や王への忠誠心も一族への愛着も親兄弟への親愛も郷土への郷愁も、何一つとして存在しなかった。


戦場で戦いの果てに命を落とし、短剣を再び彼女へ渡す。


グリシュナクは敵国を滅ぼした功を以て赤鋼軍に取り立てられた。

グリシュナクは死ぬ為に苛烈に戦う。


己の命を散らせる敵を求めて50余年戦い続けてきた。

妻への想いはその間僅かたりとも失せなかったのだ。


自害は出来なかった。

生きたくとも生きる事が出来なかった妻を思えば自害は亡き妻への冒涜であると考えていた。


だからこそ怒涛のグリシュナクの戦は苛烈である。

彼には失うものが無いのだから。




「始まったか…」


森渡りの報を聞きオスカルは戦盤上の駒を動かす。

森渡りの補佐が有れば防壁の破壊までまだ持つと考えていた。


だが甘かった。


重鉄のユルゲンの捨身の攻壁により防壁の一部が破壊されてしまった。


「現在エリヤス卿とマンフレート・スレイプルが交戦中!ネス軍の火龍箭を利用し持ち堪えております!」


「西側にてリンブ隊がルーファス・エイクスル隊を撃滅。影渡るルーファスを討ち取りました」


「東側にて黄迫軍を足止め中!撃退には兵数足りません!」


「定時連絡!ランスウ、スイギ、リンガクが戦死!」


「南側赤鋼軍本隊の圧迫が強化!南門保ちません!」


次々と齎される情報を元にシャーニが駒を動かしていく。


「南門上に行兵及び森渡りを集結!流入点に大筒を集めよ!赤鋼軍を押し返し流入点を塞げ!」


オスカルの指令を受けて森渡り達が方々に合図を送る。

彼等が居なければとうに赤鋼軍を市街地まで迎え入れ、青鈴城での防衛戦に移っていただろう。


しかしそれは負けだ。

城に立て篭り凌いだとしても民が居なくなれば終わりだ。

市街地に敵を入れるわけにはいかなかった。


「グリシュナク隊が丸太で南門を攻撃!直に門が破壊されます!」


「定時連絡!センハ、ハンボ、クウイ、テンロウ戦死!」


「…これは…?リンレイ様!シンカより伝達!大珠を此処より北に2と8半里、東に3と4半里まで持てと!」


「見つけたか!ハンネイ!今の座標までこの王種の珠を!」


それはオスカルには見覚えがあるものだった。

シンカに助けられた数ヶ月を思い出す。

シンカが弟子の女性2人と倒した余りにも大きな熊の珠であった。


シンカは旅の間中この珠に手を当てて何かをしていた。

行法の才が無いオスカルには何をしているのか分からなかった。


尋ねたオスカルにシンカはこう述べた。

珠は経を含んだ体内分泌物の結晶体で、経を溜め込むことが出来ると。


シンカは毎晩珠に経を流し込んでいた。

特に意味はないと言っていた。目的も無いと。


オスカルは考える。


あの砂漠の国で朽ちる筈だった自分がまるで精霊から遣わされたかの様な男に救われた。


人の生は天が定めるものでは無い。己や周囲の人間の選択の積み重ねが人の人生を築く。


だが、もし何か人には想像も出来ない大きな存在が有るのだとしたら。


オスカルとシンカが出会ったのは偶然だったのだろうか?


逃避行の道すがら太古の熊と出会しそれをシンカが倒したのは偶然だったのだろうか?


たった1日シンカが砂漠の街に着くのが遅れていれば。


逃避行で別の道を選んでいたら。


あの珠は此処にはなかった。


オスカルがシンカの伝でグレンデルに亡命していなければ恐らくグレンデルは既に敗れていただろう。


シンカがカヤテと出会っていなければ森渡りは今日、この場には居なかっただろう。


全てが、繋がっているのだ。


今此処にオスカルが居て、森渡りが協力し、シンカがグレンデルの為に何かを探していて、嘗て倒した熊の大きな珠を求めている。


全てが、繋がっているのだ。


オスカルには何か役目がある筈なのだ。


誰がその配役を決めたのかは分からない。

だが直感した。全てには意味がある。


オスカルが此処に来たことには意味があるのだ。


それは今だ。今、オスカルは何かをしなければならないのだ。


「リンレイ殿。シンちゃんの言う場所まで貴方達だったらどの程度時間がかかりますか?」


「直線距離なら1刻半。戦場を迂回すると2刻半ですね」


穏やかにリンレイが答える。


オスカルの根拠の無い直感に従うのであれば、危険の少ない迂回路では駄目なのだろう。


しかし直線距離は黄迫軍の攻める位置付近を通る。

余りにも危険だ。


危険どころか防壁から出た瞬間に捕捉され攻撃を受ける。


「…そうか」


オスカルは理解する。己がしなければならない事を。


この珠を最短距離でシンカへ届けるのだ。


それと同時に何かが間に合うまでグレンデーラを護らなければならないのだろう。


「…コンドール殿…。…申し上げにくいのですが…」


「お申し上げ下さい。オスカル殿。この後に及んで貴殿が悪意を以て言葉を告げるとは思わない」


グレンデル一族の何と清々しい事か。


かつて己が忠義を捧げた王がこの様な人となりであったのなら、果たして今頃自分はどの様な道を歩んでいたか。


オスカルは歯を食いしばる。

涙を堪えていた。


「エリヤス殿とネス殿には犠牲覚悟で防壁を修復頂きたいのです。水際で食い止めるだけではもう保たないのです!」


己の力不足にオスカルは額を卓に打ち付けた。

死んでくれとしか言えない己の不甲斐なさに何度も。


「我が一族は端からそのつもりです。貴方が悔やむことでは無い。…ガンケン殿、伝達を。エリヤスとネスに。壁となれと」


オスカルはもう一度頭を垂れる。


「ゲルト殿に伝令を。森渡りを護り北東に1部隊を派遣!」


ガンケンが2つの指示を伝達する。


「成る程。シンカに珠を迂回路で届けるまで壁は保たないか……。さて、ハンネイ。行けるかな?」


「無論。ですが行けて森まで。森から先は斥候部隊に引き継ぎを」


「分かった。ハンネイについて行ける者は?多分帰っては来れられないよ?」


4人の森渡りが歩み出て仮面を外す。


「ジュイ、リクウ、ゲンテン、ナンガ。いいのかい?」


4人の森渡りは無言で頷いた。

5人は仮面をリンレイに渡すと窓辺に近寄る。

濃紺色の人の頭程の珠をハンネイが袋に入れて背負う。


そして窓から飛び降りていった。




ゲルト・グレンデーラはその報を伝令の森渡りから受けていた。

振り返ると此方へ鼯の様に滑空してくる5つの黒い影が見える。


「デレク。頼みがある」


裂けた腕を森渡りに治療して貰いながらゲルトは部下のデレク・グレンを呼んだ。


「は」


「今からここに来る5人の森渡りを護衛して北東の森まで向かって欲しい」


攻撃の手を緩める事なく押し寄せる黄迫軍の脇を無傷で抜けられると筈がない。


「断る理由は有りません。弟のデリクが死にました。此処にいても俺は死ぬでしょう。ならば面白そうな任にて死ぬ方が、土産話になる。敵将と共に散った弟には負けられません」


デレクは血に彩られた顔で嗤った。


「…頼む」


防衛に戻るゲルトを見送るとデレクは振り返る。


「お前達!防壁北東から街を出で黒尽くめ達を森まで送る!付き合い切れない者はゲルト隊長のところに行け!」


叫んだデレクに対し、彼の部下はデレクから1人も視線を逸さなかった。


「流石だな。いいか、今日は死ぬ日だ。団長がそう言っていた。何の目的かは知らない。だが関係無い!どうせ死ぬなら亀みたいに壁に籠もっていないで好きに駆けて好きに死にたい!俺はそうだ!お前達はどうだ!?」


全員が剣を突き上げ吠えた。


5人の森渡りが器用に防壁に着陸した。


「あんた達も死ぬんだろ?黒尽くめじゃ味気ない。俺はデレク。名前教えてくれよ」


「ハンネイだ。これを味方に届ける」


ハンネイは襷掛けした袋を叩く。


「ジュイ。護衛よ」


「ナンガ。同じく。宜しくデレク」


「リクウ。里の未来の為。死ぬのは怖くない」


「ゲンテンだ。俺は100人は倒すぞ」


5人の森渡りは皆20を超えた程度の年齢である。

デレクには彼らが何故みすみす死ぬ様な任に着くのが分からなかった。


この街は彼等の街ではないのだ。


「…行けと言われているのよ」


ジュイがぼそりと呟いた。


「…誰にだ?」


部下の隊列が整うのを待ちながらデレクは返す。


「分からん。しかし必要があると。俺でなくてはと思うのだ」


ジュイの替わりにゲンテンが答えた。


それ以上尋ねる事はしない。

己自身が同じ思いだったのだ。


「よし!行くぞ!」


デレクの指示に配下ぎ動き始めた。攻撃の手が薄い防壁北東の角から梯子を落とし200の兵が降下を始めた。


その中には黒尽くめの姿が5つ混ざっていた。




ケルヴィン・スジルファル子爵がそれに気付いたのは位置的に当然と言えば当然だった。


防壁北東付近を攻める己の視界端で青鈴兵が壁を脱し北東方面へ駆けていくのだ。


「…何か嫌な予感がする。グラントル!手勢を割いて奴等を追え!」


「……分かりました。おい!半分は俺に続け!」


グラントルは急ぎ兵をまとめて背を見せる青鈴軍を直ぐに追いにかかった。

追撃を仕掛けたグラントルに対し青鈴兵は5分の1を割いて追撃の阻止に当たった。


兵差は十倍。加えて此方は騎兵である。鎧袖一触と思われた。


「蹴散らせ!敵は歩兵だ!」


グラントルに続き500の騎兵が50の青鈴兵にぶつかる。


「退け雑兵!」


長剣を振り下ろすグラントルに対しグラントルが目を付けた青鈴兵は真っ向からそれを受けた。


「っ!?」


そして受け切られた。

強い。自軍の練度など比較にならない。馬上からの強烈な一撃を受けて反撃を仕掛けてくる。数合打ち合い漸く首を撥ねるが部下達はそうはいかない。

僅かな間に30近くが討ち取られていた。


「……ふ。……道連れ…だ」


傷だらけの腕を失った青鈴兵が一瞬輝く。

自爆だ。爆発と共に散り、10人が持っていかれた。


「…これが青鈴兵の本領か!?」


白兵戦に並ぶ兵無し。


会戦のグレンデル。

騎馬隊の突撃すら受け止めるとは信じ難かった。


「囲め!囲んで数で押し切れ!子爵様に増援の要請!500では止め切れん!200は俺に続け!」


300を包囲に残してグラントルは馬を進める。

敵が更に50を分けて防衛に回してくる。


ハンネイは半数に減った青鈴兵と共に刈り取られた麦畑の間を駆けていた。


敵武将を足止めするが、後方から敵の増援が土煙を上げて押し寄せていた。

森まであと3分の2。


敵増援と敵武将が合流して足止め部隊を迂回しつつ此方の背を追いかけて来る。


「デレク。また来るぞ!」


「分かってる!カイン!50率いて足止めを頼む!」


「は!」


兵数が4分の1に減った。


「敵200の足を止めたわね。青鈴軍って凄いのね」


ジュイが走りながら口にする。


「そっちこそ!肩を並べられて光栄だな!」


足止めを更に迂回し300が迫る。

森まで後3分の1。


「ハンネイ!此処で俺達が抜けても足止め出来るのは200迄だ!100を5人で相手取れるか?!」


デレクが叫ぶ。


「いや、敵は騎馬隊!逃げ切ることもできないし抑えることも難しい!」


「ならお前らを護って戦いながら森へ移動する!皆!転身!敵との衝突に備えろ!」


デレクの目に映るのはエケベルから青鈴軍を攻撃する諸侯軍の武将であった。


「微速後退!後退!後退!後退!止まれ!敵との接触まで五、四、三、備えろ!」


迫る騎馬隊、振りかざされる剣。

デレクは敵武将の前に躍り出て剣を受け、馬を躱しながらその足を斬りつけた。


馬が嘶き地に転がる。


味方が敵の突撃を受け止めている。


リクウが両手を地に着いた。複数の砂弾が馬の顔に飛び、攻撃を受けた馬が棹立ちとなって敵兵を振り落とす。


ナンガが地に手を着く。

敵の足元に嫌な匂いのする水が発生した。


ジュイが右手を振る。

炎の鞭が現れ水へ打ち付けられた。


途端に激しく炎上して敵兵が炎に巻かれる。

人の焼ける嫌な匂いが立ち込める。


敵の後続が突撃を仕掛けて来る。

顳顬に血管を浮き立たせたハンネイが両手を突き出す。


突風が吹き駆け寄る馬が激しく煽られ体勢を崩し転ぶ騎馬が続出する。


リクウが再び地に手を着く。

砂が蛇型取り敵複数に絡みつく。


ゲンテンが手を組み合わせる。

宙に無数の水滴が浮き一斉に放たれた。


砂の蛇が濡れて固まり更に締め付けを強め、絡み付いた敵を絞め殺した。


デレクは馬から落ちて起き上がった敵将に斬りかかる。


「ふん!我等の尻を追いかけてどうする!?」


「知れたこと!捕らえて企みを吐かせるのみ!」


「愚か!大人しく捕らえられておく我等ではないわ!敵中で周囲諸共破裂し粉砕してくれるわ!」


正面から斬り合う。

腕は互角だった。


「攻撃を防ぎつつ後退!陣形を守れ!たかが6倍程度の敵に崩される我等ではない!」


「敵は少数!押し潰せ!敵将デレク・グレンを討ち取れば子爵様より褒賞があるぞ!」


「己の弟は大軍の中を突き進んで兵器を潰して死んだ!お前らはどうだ!?先に死した同胞に誇れる死に様を見せろ!」


「敵は自爆するぞ!致命傷で満足するな!必ず止めをさせ!」


激しく斬り合いながら両者は移動する。


「足止めを食らった味方はまだ来ないか!?」


「はっははははっ!俺の部下達が中途半端な仕事をするものか!皆等に覚悟を決めている!街の為!家族の為!俺達は既に命を捧げている!お前らには分かるまい!蛆の様に他人の肉に食らい付き物乞いの様に我等の富を漁ろうとする汝等には!」


剣を振り続けて右手を振る。

炎弾をグラントルは剣で受け流す。


デレクの部隊が半ば囲まれつつある。

囲まれれば最早下がることもできない。


その時だ。


「ハンネイ。俺が道を切り開く。まだ20しか仕留めていないからな」


ゲンテンが経を高めながら息を吐く。


「……いいのか?」


「ああ。分からないが、此処だと思う。…では、先にな」


ゲンテンを水の膜が卵状に覆う。

それが解けて帯状になり蠢き出す。


「ゲン家の秘奥を見せてやる。水行法・角帯結びだ」


浮かぶ水の帯が縦横に暴れ出す。

ゲンテンは1人陣形から脱し敵に突っ込んだ。

水の帯が乳酪を斬るように敵を切断していく。


20人を斬り背を斬り付けられる。


ゲンテンは蹌踉めくだけで再び敵を斬り始める。

長く行法を行使し続ける影響で精神的な負荷に大量の発汗を行っていた。


50人を斬り角帯結びが効力を失う。


ゲンテンは己の汗を増幅させる。

水行法・水蜘蛛針。


水滴が針となり周囲の敵を貫いた。


「ぐっ!」


難を逃れた敵兵がゲンテンを斬り付ける。

前頭部脇から袈裟に斬られる。

灰色の何かが地に落ちる。


「…俺の脳か。……まだ80。足りんな」


幸にしてまだ動ける。


ゲンテンは腰の剣を抜き斬られた相手の首を飛ばす。


「後19。18、17。まだだ」


腹に槍が突き立てられる。槍の柄を切断し、刺した敵の顔を水で覆う。


7人更に斬り捨てて右手を斬られる。

腕が剣ごと宙を舞った。


ゲンテンは最後の法の準備に移る。肝心な臓器を体内から水で守り、首と頭部への攻撃を残った左手で防ぐ。5人の敵兵がゲンテンに武器を突き立ていた。


「な、何故死なないんだ!?」


「化け物め!」


「鬼の生まれ変わりか!?」


恐れ慄く敵を見遣りゲンテンは鼻で笑う。


「俺は人間だ!お前ら餓鬼と一緒にするな!死ね!槍鶏頭だけが散り際ではないと知れ!」


ゲンテンの体内の経が急速に水に変じていく。血を巻き込み更に膨張する。

ゲンテンの身体が爆散した。全方位に水条がばら撒かれ、周囲の兵士を貫き散った。

水行法・水暴発だ。


「……103。お陰で下がれたぞ」


ハンネイはゲンテンが敵を引き留めた影響で残り1町まで森への距離を詰めていた。

しかし無傷では無い。敵は120程度。こちらは20まで数を減らしていた。


「デレク、次は俺とナンガで防ぐ。火付け役に1人くれ」


リクウが告げる。


「分かった!ベック!2人に付け!頼んだぞ!」


激しく剣を振りながらデレクは指示を出す。

ベックと呼ばれた青鈴兵を連れてリクウとナンガが残る。


ナンガが地面に手を着く。

壁が立ち上がりどろりと油に変わる。

油の膜に向けてリクウが礫時雨を飛ばす。


威力は低い。しかしスジルファル子爵兵に油が振り撒かれた。


「よし!ベック!」


「応!」


右手が振られる。鳳仙火が起こり周囲に炎弾を撒く。

至る所で油に引火し敵が炎上した。


「づあっ!」


ナンガが腹を斬り付けられる。


「すまんリクウ。先に逝く」


斬られた腹から腸がこぼれ落ちていた。

溢れる臓器を押さえながらナンガは斬り付けられた兵士の胸に柔らかく拳を当てる。


轟音と共に兵士は吹き飛ぶ。

ナンガは己の経を高めながら敵中に突撃した。


数度敵に斬り付けられながらもナンガは最後の法を行う。体内の経が岩へと変じナンガの身体を引き裂きながら周囲に鋭い鋒を突き出す。


土行法・紅葉葉楓。


敵5人を巻き添えにしてナンガは果てた。


デレクは続きグラントルと斬り合っていた。

違いに負傷箇所は幾多に及ぶ。


負傷に徐々に足が鈍る。

ゲンテンが死に、ナンガが死んだ。


グラントルと斬り合う向こうで討死するベックと己の身体を岩に変えて周囲を巻き込んで死ぬリクウが見えた。


だが敵の数も少ない。此方は10余、敵は30。


満身創痍でなければ屠れた数だ。


後退し続け残り森まで10丈余り。

ジュイが炎の鞭を敵の顔に巻き付け、腕を引いて首を捻り折った。


僅かな間が生まれた。


ジュイは炎の鞭、火蜈蚣をデレクの背後から振るう。デレクの頬を焦がしながらグラントルに絡み付こうとする。


「くっ!?」


グラントルは左腕を犠牲にして防ぐ。

隙にデレクは攻めに転じた。


グラントルはデレクの割波を防ごうと剣を立てる。

だがジュイはそれを許さなかった。鞭を引きグラントルの体勢を崩した。


デレクの剣がグラントルの鎖骨を割り、胸当てごと胸部を引き裂いた。


「っ!?……っ」


どうと大柄な身体が大地に転がった。


「今だ!森へ走れ!」


デレクの掛け声に生き残った数名が森へと駆けた。森が近づく。

その時デレクは激しい戦場の音の中、小さく声を聞き取った。


目の前を走る女の身体を抱えて転がる。

転がった先は既に森の中だった。


樹々に雨霰のように矢が打つかり刺さる。


「…助かったわ。ありがとう」


ジュイが例を述べる。


森の際に間に合わなかったデレクの部下が転がり伏していた。


しかしハンネイの身体は無い。


「…如何やらハンネイも逃れた様ね」


「…まさか生きて任務を完遂出来るとは。弟にも、親にも、先に散った同胞にも誇れる」


遠くで足止めの青鈴兵を破った騎馬隊が駆けて来るのが見えた。


「行きましょう。森の深くまで潜れば奴等には何も出来ない」


デレクはジュイの背を追った。

疲労が激しい。


目も霞む。暫く進みデレクは森の下草に膝を着いた。


枯れ葉を踏む心地の良い音が耳に届く。


「…貴方、大きな負傷はしていなかった筈だけど……まさか?!」


ジュイは回り込みデレクの背を確認した。

ジュイの目はデレクの背に突き立つ2本の矢を認めた。


「貴方…さっき、私を庇って…」


「1本はな。どっちが致命傷かは分からん」


「…駄目。今は薬も無い。ごめんなさい。貴方を治せない」


ジュイは歯を食いしばり目を閉じた。


「辞めろよ。弟が待ってんだ。大人しく行かせてくれ。だが、背に傷を喰らったのは見っともない話だ。情けねぇ」


デレクは荒い息を吐く。


「大丈夫。貴方が目を閉じたら私が抜いてあげる」


「おお……それは助かる。ばれないように傷口に石でも詰めといてくれよ?」


「何言ってるのよ。貴方は私を庇って傷付いたのよ?貴方を馬鹿にする人がいたら私が説明してあげるわ」


ジュイは矢が木の幹に触れない様にデレクの身体を凭れ掛けさせた。


2本の矢は1本が胃を、1本が肺を貫いていた。

僅かな時間でデレクは息を引き取るだろう。


「でも、青鈴軍の人って皆立派ね。そんな人達だから私達森渡りは協力したのだけどね。始め、私達は里の未来の為、憎いフレスヴェル王家に痛い目を見させるために参戦した。でも直ぐに私達は後悔した。他人事だった私達の隣で貴方達は故郷の為、同胞の為、家族の為に文字通り自分の命を燃やして戦った。私達はそんな貴方達に感化された。貴方達が護りたいと血反吐を吐き、腸を引き摺っている姿を見て、貴方達の為に命を燃やしても良いと思った」


「………」


ジュイは死にゆくデレクの兜を取り、母親の如く頭を撫でた。

デレクは心地よさに目を閉じた。


「ゲンテンも、リクウもナンガもそう。私も…そう」


「………弟に、自慢できる。……敵将も斬った。任務もやり切った。……何より、女の命を護った。…俺の勝ちだと思わねえか?」


「知らないわよ。弟さんと仲良くしなさいよ?」


デレクは一度鼻で笑うと大きく息を吸う。


「あー!腹減った!」


それ以降デレクが言葉を発する事はなかった。


ジュイは言葉通り矢を抜き、魍魎に遺体が食い荒らされない様に火を掛けて森の暗がりに消えていった。




ケルヴィンは青鈴軍の足止めの部隊を大きな被害を出しつつ殲滅し馬を進めた。


1000の兵はたった300の敵に400まで減らされていた。

そして森まであと少しと言うところで横たわるグラントルを見つけた。


「グラントル!」


馬から降りてうつ伏せの彼を抱き起こす。


「…子爵様……やられました……」


胸からの激しい出血が彼の残り僅かな命を物語っていた。


「…敵の中の、黒尽くめの1人が、怪しげな、荷物を……申し訳、ありません……止められませんで……」


「いい。お前で無理なら誰にも無理だ」


グラントルの命が溢れていく。

グラントルは力の無いケルヴィンに付き従ってくれた得難い家臣だ。


彼のお陰で兵を強く鍛えられた。此処まで生き残ることができた。


「……有難い言葉です……最後の矢が、奴に当たりました。奴は、北東に……追ってください……」


グラントルは咳き込み吐血した。


「貴方に…お仕え出来て…良かった……。もう少し…お付き合い、したかったんですがね……」


懸命にケルヴィンを見上げていたグラントルの首が力を失いケルヴィンの胸に当たる。


「………いくぞ!馬を降り森に踏み入る!目標は負傷している!血痕を見落とすな!いくぞ!」


グラントルの身体を横たえ、己の外套を掛けて駆け出した。




ハンネイは背を駆ける激痛に唇を噛みしめながら森の浅層を北東に進んでいた。


「………」


ハンネイは考える。

己を何が突き動かすのか。

グレンデル一族への敬念か、己自身の矜持か。


こうなる事は分かっていた。


グレンデル一族の在り方に好意を抱いた。

だがそれは死んでも良いと思える程の感情では無かった。


だが、何かがハンネイを突き動かした。

それが何か分からない。


指に刺さったとげの様にそれがハンネイを惑わせる。


蝙蝠の声が聞こえる。合図だ。


「キッ、キキキキッ」


合図を返す。

ハンネイは太い張り出した根に腰掛けた。


根は苔むし、触れるとハンネイの手を冷やした。


離れた位置に男が2人現れ飛び上がる。

離れた位置の枝を掴み勢いのまま此方へ飛んで着地する。


「良くやった、ハンネイ」


「血の匂いだ」


セキバとコクブだ。


「お前!?これは?!」


ハンネイの容態を確認したセキバが声を上げる。


「分かっている。俺はもう駄目だ」


「……その傷は今の俺達の手持ちでは治せん…」


コクブが悔しそうに木の幹へ拳を叩き付けた。

ハンネイの背に刺さった矢は突き抜けて胸から矢尻を飛び出させていた。


矢尻は心臓こそ避けたものの太い血管を傷付けており、ハンネイは最早一歩たりとも歩く事が出来ない状況だった。


「…横になりたい。矢尻を落として抜いてくれ…」


頷いたコクブが短剣を抜くとハンネイの胸から飛び出た矢尻を斬り落とし、背から矢を抜いた。


「……ああ…助かった…。楽になった…」


目が霞む。

ハンネイは己の荷袋を指差す。


「…これを、シンカ隊長に……」


終わった。自分の役目は全て終わった。


その時ハンネイは森の奥から視線を感じ、その方角を見た。


「…成る程…」


目を見開く。間抜けな事に口も半開きとなった。


「……そう言う事か……………」


セキバとコクブはハンネイの視線を追った。


その先には何も無い。

薄暗い森が続くだけだ。


「何だ?如何した?」


視線を戻した先、ハンネイは両目から血を滴らせて息を引き取っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る